第498話 嵐の前の静けさ
「なぁ、サリエル……レキとウルスラの様子、ちょっと変じゃないか?」
ヴァレンティヌス祝祭も終わった翌日、氷晶の月の15日。その日の夜に、俺は前にしたのと似たような相談をサリエルに持ちかけた。
「確証はありませんが、恐らく、昨晩のヴァレンティヌス祝祭において貴方がレキと遊んだことが原因だと推測される」
「やっぱ、そうなのかな」
酒を飲んでぶっ倒れたウルスラを差し置いて、レキとだけ遊び歩いたのはちょっと悪いかなとは思ったが、まさかこれほど影響が出るとは。
「ただの気のせい、だとは思いたいんだが……」
今日の二人には、恐ろしく違和感を覚えた。
まず朝になって起きると、レキは先に起床していたようでベッドには俺一人だけであった。いつも通りに準備を済ませて食堂へ向かえば、そこにはいつも通りに朝食の準備をしているレキとウルスラがいたのだが、妙に静かだったのだ。
いつもなら、あーだこーだと言いながら、二人仲良く料理に勤しんでいるのだが、どうも必要最低限の会話しか交わしていないようだった。
その時は、もしかしたら疲れているのか、と思う程度でそれほど不審には思わなかった。レキは夜まで祭りではしゃいで遊んでいたし、ウルスラはアルコールでダウンだったし。
しかしながら、ウルスラが元気だったのは、祝日も終わったので予定通り行われた原初魔法制御の訓練で明らかとなった。これといって反応が鈍いわけでもないし、むしろ一日休んだから力が有り余っているとばかりに、激しい攻撃に晒されたものだ。
だが、次に違和感を覚えたのは夕方に帰った後。いつもなら夕食時には仲良くお喋りに興じるはずの二人が、シーンと静かなのである。
思えば、これほど静かな夕食はこの教会で暮らしてから初めてだ。サリエルは話を振られなければ無言だし、俺だって無限に明るい話題を提供し続けることができるワケじゃあない。
そもそも、俺は今日の夕食の場でついに、二人に村を出て行く日付を伝えたのだ。楽しい雰囲気になれるワケがない。
レキもウルスラも前々から俺が近い内に村を出ることは知っているから、それほど驚くことはないけれど、いよいよ別れの時が来たか、というようにどこか沈んだ表情で話を聞いていた。
だが、二人の様子がおかしいことと、別れの話は全くの別問題であることは間違いない。
「これはもう、覚悟を決めて明日、話をするしかないか」
話といっても、別に偉そうな説教を垂れるつもりはない。要はレキを特別扱いみたいにしたことを、俺が頭を下げて謝るより他はないのだから。
何といっても、俺に残された滞在日数はあと五日。二人が妙な仲たがいをしている状態で、旅立つような真似はしたくないからな。
「――だ、ダメだ、全然上手くいかない」
だがしかし、時は無為に過ぎ去っていく。
氷晶の月16日。俺は朝からレキとウルスラの二人を呼んで話をすることにした。
「ウルスラ、祭りの日はレキだけ連れて遊んだことは、悪かったと思っている。このことで不公平に思っているのなら、ちゃんと穴埋めはするから――」
「ううん、別に、そのことは気にしてないの。私が勝手に寝てしまっただけだから」
「そ、そうか……」
「クロエ様は気にし過ぎデース。レキ達は別に、何とも思ってないデスよ?」
二人揃って笑顔でそう言い切られてしまえば、俺にはもう、何も言うことはできなかった。
納得したワケじゃない。ただ目の前の現実として、レキとウルスラの二人は以前のような親友同士に見えないのだ。どこか余所余所しい、まるで赤の他人とルームシェアを始めたばかりのような距離感。それで二人は大丈夫だと、納得できるワケがない。
「くそ、ちくしょう……何なんだよ、一体、何が悪かったんだ……」
氷晶の月17日。その日は、レキと模擬戦をした。
ウルスラとのことを聞いてみても、
「んー? ウルとは別に、何もないデスよ?」
平気な顔でそう答えるだけ。隠し事をしているだろう、と強く言い出せるほど、レキには何の動揺もなかった。
けれどその顔は、祭りの日にはしゃいでいた時の彼女よりも、何故だか随分と大人びて見えた。
「俺が、何かとんでもない間違いをしていたんじゃないのか……」
氷晶の月18日。ウルスラとの訓練。
レキとのことを聞けば、
「別に、何もない。いつも通り、なの」
どこまでもクールな顔で、彼女は言い切る。それはたとえ何かを隠していたとしても、絶対に口を割ったりしないという鋼の意志さえ感じられた。
「どうすりゃいいんだ……このまま、何もできないのか、俺は……」
気が付けば、氷晶の月19日。村を出る日は、もう、明日になっていた。
「出発を延期しますか?」
「……ダメだ、それはできない」
サリエルの提案に頷くことは簡単だ。
けれど、それをよしとすれば、俺はいつまでも帰れなくなるだろう。
覚悟は、決めたはずだ。だから、優先順位も決して間違えたりしない。俺はスパーダに帰る。最も確実にして、最も早い方法で。
それが、この第202開拓村に雪解けまで潜伏し、しっかり準備を整えてから山を越えるという作戦だ。予定の変更はない。ありえない。
リリィが、フィオナが、俺の帰りを待っている。今度こそ守ることができたスパーダで、俺の仲間達が、待っていてくれているんだ。必ず、帰る。
「明日の朝には、村を出よう」
「分かりました」
その日の晩は、なかなか眠れなかった。レキとウルスラの、冷戦とでも呼ぶべき静かな不破を解消できない自分の不甲斐なさに耐えかねて。
だがどんなに思い悩んだとて、陽はまた昇る。氷晶の月20日。旅立ちの朝はやって来た。
「――お世話になりました、ランドルフ村長」
「いえいえ、こちらこそ。結局、クロエ司祭様には三度も村を救ってもらうことになりましたから。礼を言うのはこちらの方ですよ」
別れは教会の前。早朝にも関わらず、見送りにはランドルフ村長をはじめとして多くの村人達が来てくれていた。ヴァレンティヌス祝祭の時と同じくらいの人口密度である。
空は旅立つにはうってつけの快晴。気温も例年通りに春の陽気を見せ始め、日当たりが良く人通りもある街道には、少しだけ土が覗き始めていた。
「ささやかですが、これは我々の気持ちと、当初の約束通りの報酬となります。どうぞ、お受け取りください」
そう言って差し出された皮袋は、予想以上にズッシリと重い。中を開けてみれば、シンクレアの銀貨がかなりの量つまっている。
シンクレア共和国の貨幣制度は司祭生活の中でとっくに理解している。だから、パっと見ただけでそれなり以上の金額であることが分かった。
ついでに、銀の含有量からいって、スパーダをはじめとしたパンドラでも十分に通用する価値のある貨幣であることも知っている。
「こんなに沢山……本当に、いいんですか?」
「貴方の御恩を思えば、足りないほどですよ」
にこやかに笑って言うランドルフ。だが、俺も多少は村の財政状況というのは知っている。それを思えば、破格といえる報奨金。いくら冬はもう越したも同然といえど、とても軽くポンと出してしまっていい金額ではない。
「やはり、こんな大金は受け取れません」
十字軍が征服したことでできた開拓村だが、すでに、そんなことを言いだしてしまうほどには、情が湧いてしまっている。ここに来たばかりの頃では、考えられない変化だ。
「そういうワケには参りません。これは私共の誠意であり、ケジメでもあるのです。クロエ司祭様、貴方はこの褒賞を受け取るに値する、素晴らしい活躍を果たされたのだから」
そこまで言われると、受け取らざるを得ないのだが……俺にだって、意地はある。
というか、俺にはそこまで差し迫って金が必要なワケでもないからな。
「それじゃあ、このお金で『カラーリングアイズ』と『七色変化の髪留め』を買い取ることにします」
「いえ、それは元からお譲りするつもりで――」
「どちらも高価な魔法具ですからね。この金額で足りるかどうかは分かりませんが、まぁ、ここは私の活躍に免じて、まけておいてくださいよ」
そうして強引に、銀貨袋をランドルフへと突っ返した。
「へへっ、オジキぃ、司祭様がそこまで言うんなら、そういうコトでいいんじゃねぇのか?」
ニヤニヤと笑いながら、ライアンが横から茶々を入れる。
「ライアン、お前という奴は……」
「ええ、ライアンの言う通り、そういうコトでいいんですよ」
そこまで念を押して、ようやくランドルフは納得した、というか諦めたのか、銀貨を受け取った。
「クロエ司祭様、最後の最後まで、村の為に、どうもありがとうございました」
ランドルフと固い握手を交わすと、少しばかり感慨深い気持ちになる。初対面は、お世辞にも良い印象だったとはいえないからな。
「よう、本当にもう、行っちまうんだな」
「ああ、ライアン、お前にも世話になったな」
「よせよ、改まってそういうコト言うのは。男は黙って見送るだけだぜ」
「そうか……そうだな」
そうして、ライアンとも固い握手を交わす。
最初は全力で絡んできたガラの悪い男だと思ったものだが、こんな風に別れを惜しむほどの友人になるとは……本当に、人との出会いというのは分からないものだ。
「皆さんも、どうぞお元気で」
それから、自警団員を中心に、それぞれの村人と短いながらも別れの挨拶を済ませる。
「司祭様、また来てくださいよ!」
「俺ら、今度こそ一本とれるくらいには強くなってますから!」
「最後にユーリちゃんを抱っこさせてくれぇー!」
とりあえず、みんな快く送り出してくれるようだった。
振り返れば、結局俺は司祭として一人の懺悔や人生相談やらを受けたことはないが、それでも、まぁ、村を守る用心棒としての仕事は果たしたせいか、村人達の心証もそう悪いものではないように思えた。
結果として見れば、俺にしてはよくやった方じゃないだろうか。
だがしかし、それで満足して晴れ晴れとした気持ちで村を出て行くことは、どうにも無理そうだ。
「レキ、ウルスラ……」
最後の最後で、俺は二人の不仲という最大の問題を解決しないまま、無責任にも別れることとなったのだから。
「二人とも、仲良くするんだぞ」
素直に頷くレキとウルスラ。
こんなありきたりな言葉しか言えない自分に、酷く自己嫌悪を覚える。この期に及んでも、俺は解決の糸口どころか、ハッキリとした原因さえ分からずじまいなのだから。
「クロエ様……本当に、行ってしまうデスか」
「ああ、ごめんな、レキ」
大きな赤い目に涙を浮かべて、悲しみの表情を隠すことなく縋りついてくるレキの頭を撫でる。この犬耳ヘアをこうして撫でるのも、これで最後になるのか。
「ねぇ、クロエ様、最後に聞きたいことがあるの」
ウルスラはいつもと変わらぬ無表情だが、どこか暗い影を落とすように俯き加減になりながら、不意に聞いてきた。
「私達のこと、好き?」
「ああ、大好きだ」
言うまでもない。けれど、こういうのは言わないと伝わらないものだろう。
「二人に出会えて、良かった。今までありがとう、レキ、ウルスラ」
そうして俺は、ウルスラも抱き寄せ、二人一緒に抱きしめた。彼女達も小さな手を俺の背中へ回して、強く抱き返してくるのを感じる。
「それじゃあ、クロエ様、もう一つだけ、教えて」
胸の中で、ウルスラが言う。
「クロエ様は、レキとウル、どっちの方が好き、デスか?」
続けるように、レキが言った。
「なっ……」
その質問に、俺は即答することはできなかった。
「何を、言ってるんだ。どっちの方が好きだとか、区別するわけないだろう」
どっちが好き、誰が一番好き。そういうのは恋愛感情における優先順位であって、親愛の情においては意味を成さない理屈である。
両親のどちらの方が好き、兄弟は、あるいは、友人なら――程度の大小はあれど、それは明確な差を意識するものではない。
俺にとってレキとウルスラは、少し年の離れた妹も同然だ。どちらか一方を特別扱いする気はないし、してはいけない。
「そう、やっぱり……クロエ様なら、そう言うと思っていたの」
「でも、それじゃあダメなのデス」
二人が俺を抱きしめる力が、急に強くなったような気がした。よりきつく、より熱く、固い抱擁。まるで、離してしまえば死んでしまう、とでもいうような必死ささえ感じる。
「お願いデス、クロエ様」
「嘘でもいいから――」
どっちの方が好きか、答えて。
燃える盛るほど熱い感情が籠っているような、それでいて、凍てつく無感動にも思える、そんな問いかけだった。
俺は、急に二人のことが分からなくなる。どうして、こんな質問をするのか。どうして、そんな無意味な答えにこだわるのか。
これじゃあまるで、同じ男を好きになってしまった乙女のような――
「レキ、ウルスラ……ま、まさか……」
そこで、俺はようやく気付いた。気づかされた、というべきか。
普段の俺なら絶対に「自惚れるなよ」と一笑に付すべきその理由。けれど、今の二人のあまりに真剣で必死な姿に、もうそれ以外は考えられない。
どちらが好きか。その質問の意図。
急に余所余所しくなった、二人の関係。
答えは、どこまでも単純明快なものだったんだ。
「二人とも、俺のこと――」
究極的に核心をつくべく俺の問いかけは、唐突に遮られた。
「うわっ! 何だアレ!?」
「おいおい、大丈夫かぁ、ボロボロじゃないか!」
集った村人たちが、俄かに騒ぎ始める。
そんなことを気にしている場合じゃない、と思うものの、つい視線は騒ぎの原因があると思しき方向へと向けてしまった。
「何だ、十字軍の騎兵……?」
村のメインストリートを真っ直ぐ進んでこっちへ向かってくるのは、一騎の騎兵であった。それは月に二、三回は通行するのを目撃する、見慣れた伝令兵に違いない。
だがしかし、様子がおかしい。
馬は酷く疲れ切ったようにトボトボとした足取りで、何より、騎乗している兵士は満身創痍といった有様。どこに落としてきたのか兜はなく、白銀の光沢が眩しい鎧は泥に塗れて薄汚れていた。
その姿はありていに言ってしまえば、何者かに襲われ命からがら逃げ伸びた、というものである。
異常事態の発生を予感させてならない。俺はレキとウルスラから離れ、速やかな対応に動き出したランドルフとライアンを追って、騎兵の元へと向かった。
「おお、騎士様、これは一体どうされたのですか!」
最初に声をかけたのはやはり村長たるランドルフ。
現れた騎兵は、どこか見覚えのある顔だった。ヒゲを生やした細面の中年男は、確か、最初にマシュラム捜索でやって来た者だ。その後も伝令兵として度々、この村を通るのを見かけたし、ランドルフと情報交換で軽く話し込んでいるのも知っている。
「はぁ……はぁ……す、すまないが……水……水を、くれないか……」
崩れ落ちるように馬から降りた騎兵の男は、砂漠で行き倒れたような台詞を言いながら、力なくその場へとへたり込んだ。
ランドルフの指示で村人の一人が手桶に冷たい水を汲んで戻ってくるまでの間、騎兵は息を落ち着かせるだけで精一杯といった様子で、とても事情説明などできずにいた。
「どうぞ、落ち着いて、ゆっくり飲んでください」
「す、すまない……」
固唾を飲む村人たちに見守られながら、騎兵はコップですらない手桶であっても、文句も言わずに口をつけた。ガブガブと飲んで行く様は、彼がどれだけ渇きに苦しんでいたかを如実に物語っている。
「ふぅ、はぁ……ら、ランドルフ村長、落ち着いて、聞いてほしい……」
二リットル近い量のある手桶の水をあっという間に飲み欲し、ようやく一息ついたのか、騎兵はどうにかこうにかといった様子で語り始める。
「今すぐ、この村から逃げるんだ……き、霧が、出る前に……早く」
「霧? どういうことですか、一体何があったのですか!」
「第201開拓村は、消滅した……本当に、消えたのだ、跡形もなく」
「そ、そんな馬鹿なっ!?」
その叫びは、村人達も、俺も、内心で抱いたものだろう。
モンスターや盗賊に襲われた、というなら理解できる。だが、この男の物言いでは、村一つが完全に消え去ったということだ。俄かには信じがたい状況である。
しかし、この騎兵が現れたのは確かに、スパーダとは反対方向にある東側。彼が隣の第201開拓村から出発したことは疑いようもない。そして、この姿から何かに襲われたのも間違いない。
だから彼は、ここまで逃げてくる際に、正しく「村が消える」というシーンを目撃したのだろう。
「とにかく、早く逃げるんだ……霧が出てからじゃ遅い……や、奴らは、霧に紛れて、やって、来る……げほっ! ごほっ!!」
「騎士様! 大丈夫ですか、騎士様っ!」
「水……もっと、水を……喉が、焼けそう、だぁ……」
絞り出すように言うや、そのまま騎兵は喉を抑えながら苦しみだした。
「騎士様! お気を確かに!」
ランドルフの声などもう聞こえていないかのように、男は街道の上に体を投げ出し、激痛に耐えかねるようにもんどりうつ。あまりに異常な苦しみように、誰も手が出せない。
「お、おぉ……ぐぉお……」
息が詰まったような苦しげなうめきを上げて、次の瞬間には激しく嘔吐するか、と思いきや――
「うぼぁああああああああああっ!」
男の口から、大蛇が飛び出した。
いや、違う。細長くくねる動きは蛇に似てはいるが、その姿は全くの別物。
それはいわゆる、触手。より正確に表現するならば――
「タコっ!?」
自在にうねる触手。びっしりと縦に並ぶ粒のような吸盤。正しくタコと呼ぶより他はない。
しかし、そのタコ足は日本人として見慣れた赤でも白でもなく、不気味なほどに鮮やかなエメラルドグリーンに染まっている。薄緑の体表はヌラヌラと粘液に塗れており、一振りするだけで透明の飛沫が飛んだ。
「かっ、あ――」
口からタコ足を生やした男は、ビクンと大きくエビ反りになる。同時に、いよいよ激しくタコ足は蠢き、住処のタコ壺から外へ出て行くように、男の口の中から姿を現した。
「きゃぁあああああああああっ!」
「うわぁっ!? なんだこのモンスターは!」
「ひぃいいい! で、デビルフィッシュだぁーっ!」
阿鼻叫喚、と表現するに相応しい悲鳴が村人達からあがった。
現れた緑のタコは、全長にしておよそ五十センチと、それほど大きなワケではない。人間の体の中に潜んでいたのだから当然でもあるが。
全体像を見れば、タコにソックリというほどでもない。決定的な違いは足が四本しかないこと。タコの足は必ず八本だということは、日本人なら小学生でも知っている。だから恐らくコイツは、全く別の種であろう。
蛇のような瞳をギラリと光らせ、裏側には丸く牙の並んだおぞましい形状の口。細かい部分は異なるものの、やはり全体的なシルエットとしては、タコに似ている。
「魔弾」
気にはなるが、今はゆっくり観察している暇などない。
今にも周囲の村人の誰かに飛び掛かりそうな勢いと気配だった緑タコに向かって、俺は即座に一発喰らわせる。
キィー、と甲高い虫のような鳴き声を上げて、大口径の疑似完全被鋼弾を胴体に喰らい、弾かれたように吹っ飛んだ。
「……まだ生きている。衝撃には強いのか」
確かに頭部を吹っ飛ばしたはずだが、二メートルほど先に転がった地点では、まだグネグネと元気よく触手が蠢いているのが見えた。
それなら、これでどうだ。
「炎弾」
榴弾砲撃の術式をさらに簡略化して、単純に炎を発生させるだけの弾を作り出す。それを軽く放り投げてやれば、着弾と同時に黒い炎が俄かに噴き上がる。
すでに頭はないはずなのに、ギィーギィーと苦しげな声を上げてしばらく炎の中でのたうった後、ようやくタコの動きは完全に止まった。
「……やったのか?」
「ああ。火は有効なようだな」
あまりにおぞましいモンスターの出現に、流石のライアンも冷や汗を一筋垂らしながら聞いてきた。
「なぁ、アレは一体、何なんだよ……」
「とりあえず、隣の第201開拓村は、このタコのモンスターに襲われたことは間違いないだろう。騎士が言った通り、これは早く逃げる準備をした方が――」
言いかけたその時、不意に、左目に違和感。
いや、それは反応した、と言うべきだろう。
唐突に浮かんだ、赤い光点。それは遥か遠く、東の方から輝いているように見えた。
「そうか、そういう、ことか……」
随分と久しぶりな気もするが、忘れるはずもない。この、神の目に灯る赤い輝きの意味を。
「暴食の『グラトニーオクト』」
魔王が与えし、第五の試練が今、始まろうとしていた。
第25章はこれで最終回です。
感想欄でちらほらと予想されていた方はいましたが、やってきました第五の試練。
それでは、次章もお楽しみに。