第496話 ヴァレンティヌスの熱い夜(1)
氷晶の月14日。朝。
「今日はウルスラの訓練は休みにして、レキと模擬戦しようと思う」
と、昨日の夜に決めた通りのプランを全員揃った朝食の場で言うなり、少しばかり予想に反したリアクションをされた。
「ええーっ!?」
「えー」
やけに驚くレキと、やたら不満そうなウルスラ。俺はそんなに無茶なことを言ったつもりはいないんだが……ああ、そうか。
「お祭りにはちゃんと出られるように、早めに切り上げるから安心しろ」
その言葉に、二人はあからさまにホッとしたように息をつく。何だかんだ言っても、二人もまだまだ子供である。今日のお祭りを楽しみにしていることくらい、お見通しだ。
そんなワケで、予定通り午前はレキとの模擬戦をすることと相成った。
今日は自警団員が一人もいないから、初めてやった時のように、場所は教会の裏、レキと一対一である。
「サシでやるのは、本当に久しぶりだな」
「は、はいっ!」
プレゼントした大型木剣を手にするレキは見慣れた姿だが、やはり、何を意識しているのか、俺を前にどこか余所余所しい様子。
「俺がいなくても、自主練習は毎日欠かさなかったんだろ。偉いじゃないか」
「そ、そんなこと、ないデス……」
彼女がサボっていないことは、教会で留守番しているサリエルが証言している。
もっとも、自警団の方もゴブリンの襲撃があったばかりということで、毎日ある程度の時間をとって訓練を行っている。それにレキも一緒に参加しているようだ。
もうレキは見習いシスターというより自警団のエースといった方がしっくりくる。ドルトスも一人で倒したことをそのまま評価すれば、今すぐランク3冒険者になれる戦闘能力ということになる。ドルトス討伐の荷物持ちとして参加したことが、もう随分と昔のように思えてならない。
さて、思い出にひたっている場合ではない。すでにレキの強さは折り紙つき。あんまりボケっとして戦えば、今回こそ脳天に一撃を貰うかもしれないからな。
魔法・武技・加護は無し、と制約を課した上で、全力で挑もう。
「訓練の成果を見せてくれよ、レキ」
俺が木剣を構えた瞬間、発した戦意をレキは敏感に感じ取ったのか、どこか煮え切らない態度は一変。キリリと表情を引き締め、流れるように自然な動作で、大型木剣を構える。
その反応だけで、勘は鈍っていないと分かる。やはり、レキの戦士としての才能は本物だな。
「さぁ、来い」
「――行くデス」
「……凄いスッキリした顔してるの」
「そ、そんなことないデスよっ!?」
クロエ様との模擬戦を終えて帰って来るなり、ウルが不機嫌な顔で待ち構えていた。
「作戦のこと、忘れてない?」
「大丈夫デス!」
戦ってる最中は完全に忘れてたけど。だって、クロエ様と戦う時は全神経を集中させないと、とてもついていけないから。
それでも、当たり前だけど私はウルよりも全然、クロエ様から力を引き出すことはできない。魔法も武技も、ただの一度も使わない。使わせるほど追いつめるには、あとどれだけの鍛錬を積めばいいのか……絶望的な気になるけれど、そんなことよりも、私にとってはただ、クロエ様と戦うことが楽しくてしょうがなかった。
一週間ぶりに全力で戦って、確かに私は満足でした。
「昼過ぎから、クロエ様は教会でヴァレンティヌス祝祭の開会式。一時間くらいで終わるから、その後は自由になる」
気を取り直して、ウルは真剣に今日の作戦を改めて説明する。
こうして自室の中なら、大声さえ出さなければクロエ様に聞かれることは万が一にもない。ニコライ司祭は用があると平気で乙女の部屋に踏み込んでくるけれど、クロエ様は必ずノックして待ってくれるのです。
「夕方までは少し時間あるデス」
「それまでは私達も自由でいいの。でも、怪しまれないようにクロエ様とは別行動の方がいいかもしれない」
「でもでも、それじゃあ時間になった時、クロエ様が見つからないかもしれないデスよ?」
「ん、それもそうなの……それなら、クロエ様に気づかれないよう、こっそり監視するしかないの」
「クロエ様、物凄く気配に敏感デス。とても誤魔化せる気がしないデース」
「大丈夫、クロエ様は殺意か敵意がなければ気にしないから」
当たり前のようにウルは言うけれど、私はまだ、そこまでクロエ様のことは知らない。
こんな些細なことでも、ウルの一週間がどれほど私の模擬戦よりも濃密でハイレベルであるかを思い知らされる。
泣き出しそうな気持ちを胸の奥底に力づくで抑え込んで、私は何でもないように話を続けた。
「そ、それじゃあ、監視すればいいデスね」
「あ、もしかしたしたらクロエ様、今夜こそついにシスター・ユーリとエッチ、かもだから、二人だけで人気のないところにいかないよう気をつけなきゃいけないの」
「ええっ、そうなのデスかっ!?」
「少なくともここ二ヶ月の間は、クロエ様はエッチしてないの」
「何で分かるデス?」
「ドア越しに声を聞いたことあるの」
何でそんなことを、と若干引いてしまう。
けれど、ウルが恋愛に興味を持ったのは他でもない、クロエ様がプレゼントしてくれた恋愛小説。それを読んで目覚めてしまえば、なるほど、確かに毎日ラブラブなクロエ様とシスター・ユーリのカップルがいれば、二人の様子は気になってしまうだろう。夜中にこっそり、二人の寝室に聞き耳を立ててしまうほど。
うーん、そうだと気付けば、何だか私も気になってきたでーす。
「それなら、もしもの時は、レキ達が体を張って止めるデスね!」
「そう、偶然を装って合流すればいいの」
フフフ、と意地の悪い笑みを浮かべるウルは悪魔みたいです。
「でも、シスター・ユーリに悪い気がするデスよ、やっぱり」
「いい、レキ、恋は戦争なの。イヴラーム人は戦争と恋愛には、手段を選ばないの」
「ええっ、で、でもぉ……」
「大丈夫、私はシスター・ユーリのことも好きだし尊敬しているから、ちゃんと第二夫人に認めてあげるの」
「結婚できる人は一人だけデスよっ!!」
「それは十字教のルールなの。イヴラームでは何人とでも結婚できる。愛に寛容な、素晴らしい制度」
十字教シスターの修道服を着ているウルが言っていい台詞じゃないです、それ。
けれど、そういう気だからウルは、何て言うか、その、シスター・ユーリからクロエ様を『奪う』ことにそれほど抵抗を感じていないのかもしれない。
「でも、ウルがそんなにイヴラームにこだわるなんて、思わなかったデス」
「私も別に、こだわってるワケじゃない。でも、クロエ様はシンクレア人になれ、十字教徒になれ、って言わない。私がイヴラーム人でも、恐ろしい呪いがあっても、受け入れてくれる。だから――」
そうしてウルは、思わずドキリとしてしまうほどの妖しい微笑みを浮かべて言い切る。
「――大好き」
「――そんな聖人ヴァレンティヌスの覚悟は、弟子の一人である司祭へ送った手紙から、窺い知ることができます」
そんな風に、何食わぬ顔で知ったか知識による聖人伝説を語ることで、俺は無事に開会式を乗り切ることに成功した。
聖書の朗読箇所を把握し、説法みたいな語りの部分は前もってサリエルと協議を重ねて原稿を作っておいたから、準備はバッチリ。この村の信者は割と大人しく話を聞いてくれるし、変な質問も飛んでくることもないから安心だ。
「さて、それじゃあ後は自由だし、祭りに行くとするか」
今の時刻は午後三時といったところだろうか。すでに中央広場から、村人達の騒がしい声がこの教会にも聞こえてきている。昼間から酒を飲み始めた奴らも多い。
「私は留守番でも構いませんが」
「そういうワケに行くか」
本当に心の底から祭りのことなど楽しみにしていなさそうな無表情の我が妹(偽)を、俺はすっかり慣れた手つきで背負い紐で結んでやる。抵抗のない、したくてもできないだろう手足の欠けた体を背負って、いざ出発と教会の扉に手をかけた時に気づいた。
「そういえば、レキとウルスラは?」
「二人はすでに、祭りへ出かけたようです」
気の早いことだ。でもまぁ、子供らしくていいだろう。前もって小遣いも渡しておいたからな。
思えば、普段は二人とも見習いシスターとしての仕事は家事も含めて毎日きちんとこなしているし、レキは模擬戦、ウルスラは原初魔法の訓練と、これまで以上に厳しいスケジュールであっただろう。こういう時くらい、好きなだけ遊ばせてやるべきだ。
そんなワケで、俺は二人の行方を気にすることなく、祭りへと繰り出した。
一歩外へ出れば、すぐに中央広場の喧騒が目に入る。今日はほとんど全ての村人がこの場に会しているから、こうして見ると何だかんだでそこそこ人数がいるように見えた。
開拓村という性質上、村人の年齢層は比較的に若い。そのせいか、人数以上に活気に満ちていて、騒がしい。
まだ広場のど真ん中にデカいキャンプファイアーのように盛大な焚火はつけられていないが、楽器を持ってる奴らはそれぞれ好き勝手に陽気な曲を演奏している。フルートみたいな横笛を吹き、ギターみたいな弦楽器をかき鳴らし、酒瓶片手に男も女も肩を組んで歌っている。
リア充め、などと恨むのは筋違いだろう。本当はこういうお祭りなんてイベントがあれば、俺だってリリィとフィオナで両手に華の状態を満喫できたのに、と浅ましい悔いがあるだけで。
「あっ、クロエ様じゃないですかー! こんちわー!」
俺が微妙な気持ちにひたっていると、明るく声をかけてくれたのは、金髪赤眼のバルバドス人の青年。
「よう、テッドか。お、そこにいるのは――」
「可愛いでしょう! もう、村で一番可愛いでしょう、俺の娘! ほーらエヴァちゃーん、クロエ司祭様でちゅよー」
ちょっと気持ちの悪いニヤけ面のテッドが抱えているのは、真っ白い布に温かく包まれた赤ちゃん。
そう、このエヴァと名付けられた子は俺が前に、いきなり夜中にテッドが教会の扉を叩いて「子供が産まれるーっ!」と大騒ぎしていた時に誕生した子供である。
おおよそ生後二ヶ月といったところか。目の色は父親譲りの赤色だが、髪が栗毛なところは母親に似たのだろう。テッドの隣に立つ線の細い女性である奥さんの髪は、エヴァちゃんと同じブラウンである。
「元気そうで、何よりだ」
出産に立ち会った、というよりは、産まれた直後と言った方が正しいか。十字教における生誕の儀式をするために、俺はあの時に呼ばれたのだ。
お決まりの祝いの言葉と聖句を諳んじて、聖水に見立てた水、というかお湯を数滴かけてあげるだけで完了する簡単な儀式。しかしながら、十字教徒にとっては重大な通過儀礼でもある。
これを重視しているのは、バルバドス人で改宗したテッドよりも、元からシンクレア民である奥さんの方だろうな。
勿論、そんな事情など生まれたばかりの赤ちゃんには全く与り知らぬこと。「あー」とか言いながら、俺よりも背中のサリエルに興味があるように、魔法具で亜麻色に染まっている長い髪に向かって手を伸ばしていた。
一方のサリエルも、自分も生誕の儀式に立ち会った縁があるからか、多少の興味があるように、伸ばされたエヴァちゃんの丸っこい手に、そっと左手の指先でつついたりしていた。
「……どうだった?」
どうやら漏らしたらしいエヴァちゃんがグズって泣き出したのをきっかけに夫婦が去ると、俺は何となく聞いた。
「どう、とは」
「形式的な儀式だけとはいえ、生まれるのに関わったわけだからな。こう、何というか、感慨みたいな気持ち、ないか?」
「分かりません。私には生まれたばかりの赤子の気持ちも、子供を持った夫婦の喜びも、感情的に理解することができません」
殺戮のみを目的として生まれたコイツには、その対極にある生誕という現象を正しく人間らしい気持ちで捉えることは、無理なのかもしれない。
「しかし、悪い気はしませんでした」
「そうか。なら、それでいいんだ」
最近、思う。サリエルもこれから先、真っ当に一人の少女として生活していけば、少しは人らしい感情を理解するようになるかもしれない、なんて……甘いことを。
俺は、サリエルが幸せになることを望んでいるのだろうか。望んでしまったのだろうか。
心の奥底では、情にほだされることへの嫌悪感は止まらない。だから今でも、俺はサリエルとの関係は曖昧なままである。
「あ、クロエ様!」
「おー、クロエ様、一緒に飲みませんかぁー」
「見ろ、今日はユーリちゃんもいるぜ!」
「抱っこさせてくれぇー!」
「ええい、お前ら群がるな、散れ」
こんなめでたい祭りの日に暗い悩みにふけるなど許さん、とばかりに見慣れた自警団員共が俺を見つけて群がって来た。全員、揃いも揃って顔が赤い。すでに酔ってやがる。
「いいじゃないですか、ちょっとくらいー!」
「肉もありますよ、肉!」
どいつもこいつも、子供みたいに無邪気に笑いながら騒いでいる。
サリエルに関しては未だにその扱いに悩むが、彼らについてはもう、シンクレア人だからという抵抗感や拒否感というのはない。少なくとも、ゴブリンが大挙して押し寄せてくれば、躊躇することなく戦って守ろうと思えるほどには、もう、仲良くなってしまったのだ。
「じゃあ、少しだけな――」
気が付けば、俺も村の一員として何とも自然に祭りの渦中に放り込まれていた。
そんなに美味いとも思えないが、安い麦酒をガブ飲みしては、たまに生焼けのが混じってる肉を食らい、くだらない冗談で「あはは」と大声で笑っている。一気飲みは危ないからヤメロと注意したり、なんだコノヤロウやるかぁー! と喧嘩になりそうな奴らを力づくで黙らせてやったり、とても上品とはいえない楽しみ方。
それでも、馬鹿な自警団員達や、すっかり全員顔見知りとなっている村人達と一緒になって過ごす祭りは、どうしようもない悩みや先行きの不安さなんかを忘れさせてくれるほどには、楽しいものであった。
「――へへっ、流石は司祭様。あんだけ飲んでるくせに、平気な面ぁしてるぜ」
「お前は結構でき上がってるな、ライアン」
「るせぇー、俺はまだまだこれから! これからの男だぜ!」
赤ら顔のライアンは、泥酔一歩手前といった感じである。
いろんな奴らと飲んだり雑談したりして、最終的に俺はいつもの酒場でライアンと杯を交わすところで落ち着いていた。右にライアン、左にはサリエルを座らせている。無論、俺と同じくサリエルもそれなり以上の酒を飲んでいるが、彼女の顔はいつも通りの真っ白い無表情のままである。アルコール如きでは、俺達の改造強化された肉体に影響を及ぼすことはないのだから。
「おぉーユーリちゃんは飲んでるぅー?」
「あんまり無理強いはするなよ」
何の心配もない、と分かってはいても、一応は釘を刺しておく。コイツはその気になれば、一人で樽を飲み干すこともできそうだし。
そして当のサリエル本人は、とりあえず目の前にある麦酒の注がれたジョッキを、水でも飲むかのように黙って小さな口へと流し込んでいた。
「あぁー可愛い、可愛いなぁユーリちゃんはぁー」
ライアンはそんなことを言いながら、なんとも締りのない顔で言い放つ。
気のある女の子の目の前で、そういうことは言わない方がいいんじゃないだろうか。幻滅されるぞ。そんな、凄まじくどうでもいい心配がふと頭に浮かんだ。
「おい、可愛いって言われてるぞユーリ。良かったな」
「可愛い、に類する言葉による賛辞は社交辞令の一種。特に、意味のない言葉だと認識している」
「うわ、可愛くねぇ」
「クールなユーリちゃんも可愛いぜぇー」
いや、どう考えても可愛くないだろその答えは。だがしかし、何を言っても「可愛い」で済まされるくらいの顔立ちであることは否定できない。
「あー可愛い、ちくしょう、俺も独り身だったらアタックしたんだけどよぉー」
なんて言いながら、ビールのCMみたいにゴクゴクと喉を鳴らして美味そうにジョッキを煽るライアンの横顔を見ながら、ふと疑問が湧きあがる。
「……え、お前、独身じゃないのか?」
「は? 結婚してるけど? 言ってなかったっけ?」
き、聞いてねぇよ! と内心では驚くが、冷静に考えれば、ライアンの年齢は確かちょうど二十歳。この世界の基準で考えれば、結婚していてもおかしくないし、事実、同年代のテッドはああして子供まで生まれている。
「マジかよ、っていうか、奥さん誰だよ」
「ほら、そこにいるだろ――」
と、何でもないように親指を立てて指差す先にいるのは、満席を越えた飽和状態の酒場を忙しなく駆け回る、三つ編み眼鏡の図書委員みたいな地味な給仕の女の子。
あの子は、ああ、そうか、確か俺が拳闘試合でライアンをブッ飛ばした時、真っ先に駆け寄って手当していた女の子だ。なるほど、そういうカラクリだったのか……
「おいおい、そんなに意外かぁ?」
「い、いや、そういうワケじゃないんだが……少し、驚いた」
かなり驚いているが。実際、顔にも出てしまっているだろう。
「まぁ、この俺の嫁になるような女といえば、もっとセクシー美人だと思うだろうが――」
「ねーよ」
本当に微塵もそんなイメージ抱いたことないし、というか、本物の嫁さんを前にそういうこと言うなよ。
「結婚したのはいつなんだ?」
「あー、いつだったかなぁ……もう三年くらいにはなるんじゃねぇか」
「というと、ここに来る前の話か」
「んだよ、そんなに気になんのかぁ?」
正直、気になる。酒の席で聞く話題としては十分すぎるものだろう。
だが、俺自身はほとんど素面みたいなものだから、そこはちゃんと弁えて、嫌なら無理に聞き出そうとはしないが。
「別に面白くもねぇ昔話さ。だってそうだろ、シンクレアから離れてこんな魔境で暮らそうってんだぜ。とんでもなく金がねぇか、とんでもねぇ失敗をやかしたかの、どっちかじゃねぇかよ」
確かに、真っ当なシンクレア人がわざわざ本国を離れる理由はそうそうない。バルバドスとイヴラームに代表される二等神民ともなれば、こうして辺境に自然と追いやられていくのも納得いくが。
「悪い、軽い気持ちで聞いていい話じゃなかったようだ」
「へっ、気遣いなんていらねーよ。俺は別に昔のことなんざ、もう何とも思っちゃいねぇからな。住めば都、なんて言ったのは誰だったかな、勇者様だったか、まぁ、そんな感じで、ここの暮らしにゃ大して不満もねぇからな」
こうして酒も飲める、とライアンはジョッキに残った半分を一気に飲み干した。
「俺は騎士だったんだ」
空のジョッキを見つめながら、ふとつぶやくようにライアンは言った。
「けど、クソッタレな上官をブン殴ったら一発でクビんなってよ! 後悔はしてねぇ。あのヤロウが顔面血塗れで小便漏らして命乞いする姿を思い出したら、今でも笑いが止まらねぇぜ!」
果たして、本当に上官が死ぬほど殴られるに値するクズだったのか、それともライアンがやりすぎたのか、判別はつかない。だが、友人としてはそれが正しかったのだと信じたいところだ。
「その後はロクに働きもしねぇでブラブラしてたんだけどよ、そこをオジキに拾われて……まぁ、色々あって、アイツと結婚もしたし、パンドラ開拓に参加することになったワケだ」
ちょっと感慨深そうに溜息を一つだけついてから、今度は一転してバカデカいよく通る声で麦酒のお代わりを叫んだ。
「で、司祭様はどうんなんだよ? へへっ、いいじゃねぇかちょっとくらい、話してくれてもよぅ」
顔に浮かぶニヤニヤと悪い笑みは、根掘り葉掘り聞く気満々といった様子。
うーん、どうするか。即席で考えた偽の兄妹設定を話してやってもいいんだが――
「クロエ様っ!」
その時、聞きなれたレキの大声で呼ばれた。
偽名であるが、今やすっかり慣れたクロエ呼びに、俺はほとんどタイムラグもなく振り向いた。
「レキ、どうしたんだ?」
「た、大変デス! ウルがお酒を飲んで倒れちゃったのデース!」
な、何だと……と、驚くやら呆れるやら。
いや待て、急性アルコール中毒、というものの危険性は高校生でも知っている。ましてウルスラはまだ子供。もしかすれば、本当に危険なのかもしれない。
「大丈夫か、ウルスラっ!」
そんなワケで、俺はレキに連れられて倒れたというウルスラの元へと急行した。
場所は酒場から出てすぐ目の前の中央広場。いつの間にか、外はすっかり夜の帳が下りており、訪れる暗闇を払拭するように轟々と盛大な焚火が燃え盛っていた。
焚火の周りで昼間よりも輪をかけて騒々しい音楽を奏でながら、踊り合う男女の姿が見受けられる。そんな祭りの中心地に、ウルスラはいた。
「うーん……ムニャムニャ、なの……」
とても安らかな寝顔で、わざと言ってるとしか思えないような寝言をつぶやく。大きなワインボトルを抱き枕のように抱えて、テーブルの上で猫みたいに丸くなって彼女は眠り込んでいた。
「レキ、もしかしてウルスラ、この抱いてるワインを全部一人で飲んだのか?」
「ノン、ウルが飲んだのはそこにあるグラスの一口だけデーッス」
なるほど、どうやら大丈夫そうだ。
ワイン一口で酔って眠りこけてしまうならば、きっとウルスラはアルコールにかなり弱い体質なのだろう。一応、念のために医者の婆さんに見ては貰おうと思うが……
「とりあえず、教会に連れ帰って、寝かせてやろう」
実に子供らしくスヤスヤとすこやかな眠りにつくウルスラを抱えて、俺はそそくさとその場を後にした。