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黒の魔王  作者: 菱影代理
第25章:偽りの日々
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第493話 呪える原初魔法

「ウルスラの力は呪いじゃない。恐らく、強力な吸収ドレイン効果をもった原初魔法オリジナルだ」

 話を聞いた上で、俺はそう結論付けた。

 何十人もの人間が昏睡状態でぶっ倒れたり、ドルトスほどの大きなモンスターが一瞬で骨になったりと、確かに凶悪な呪いとしか思えないおぞましい効果を現しているが……それほど強力な呪いだというならば、そこに凄まじい怨念が宿っていなければおかしい。

 呪いの正体、核ともいえる怨念というものが、とんでもなく自己主張の激しいものだというのは、俺がこれまで扱った呪いの武器達のお蔭で嫌というほど分かっている。そう、呪いとは本来、所持者の自我さえ容易く狂わせるほどに、強烈な意思の力なのだ。

 だが、ウルスラは呪いの声を聞かなかった、呪いの意思に触れなかったということは、つまり、その力は何者かの怨念によってもたらされたものではなく、自分自身の力であることの証明である。

 しかし、生まれながらに持った力とはいえ、必ずしも完璧に使いこなせるとは限らない。要するにウルスラは、フィオナと同じ、ただ魔法の制御が上手くいっていないだけなのだ。

「というワケで、力に慣れるためには実際に使うのが一番。さぁ、ウルスラ、全力で力を解放するんだ」

「……え」

 ぼんやりした顔で、ウルスラはヤル気を見せていない、というより、イマイチ話についていけてないといった様子だ。うーん、いくら聡明な子といえども、魔法の理論みたいな内容はまだ難しかったのだろうか。

「それは、たぶん……凄く、危ないの」

「だからこうして、人気のないところまで来たんじゃないか」

 ここは、村から出て数百メートルほど進んだ、街道があるだけのだだっ広い雪原である。誰かが街道をやって来たらすぐに発見できるし、左右にある林からモンスターは飛び出してきても、十分な余裕をもって対処できるだけの距離もある。

 ランドルフには一言声をかけておいたし、そうでなくても今はゴブリン戦の後始末で忙しいだろうから、万が一にも村人がここへ現れることもない。

 俺は話を終えた後、善は急げとばかりにウルスラを連れてここへ来たのだった。

「でも、クロエ様が」

「俺は大丈夫だ。呪いには強いからな」

「呪いじゃないって話なの」

「まぁ、呪いだろうが原初魔法オリジナルだろうが、どうせ力づくで抑えるしかないからそんなに大差はない」

 というのも、俺が頼りにしているのはやはり『黒化』だからである。

 黒色魔力を付加エンチャントすることで、物質を強化したり、呪いを支配することができるのだが、同じ要領で、俺は愛馬であるメリーを調教したこともあるのだ。

 今やアンデッドの不死馬ナイトメアと化した彼女ではあるが、生前(?)においても、俺が魔力を流すことで同調するという効果は十分にあった。それこそ、まだまだ乗馬初心者な俺でも、ネルを乗せてモンスターひしめく包囲網を突破してイスキア古城へ到達できるほどに。

「いいかウルスラ、俺が一緒に力を抑える。安心しろ」

 彼女の華奢な肩に、優しく両手を乗せる。こうして改めて近くに立つと、ウルスラがまだまだ小さな女の子であることを実感させられる。

 とても、その身の内に絶大な魔法の力を秘めているとは思えない。

「全力で力を行使するのは、初めてか?」

「……はい。どんなことになるのか、私にも、分からないの」

「大丈夫だ、必ず上手くいく。俺を、信じてくれないか」

 ウルスラにしてみれば俺の言葉など全くの無根拠であるし、俺自身だって、本当に上手くいくかどうかは分からない。

 それでも、ウルスラをこのままにしていてはいけないと、俺は強く確信している。彼女の能力は、十字教の観点から見れば正しい意味で『呪い』であるのかもしれない。

 しかし、だからといって解呪という名の処刑なんて断じてあってはならないし、この先の人生ずっと、ワケの分からない自分の力に怯えて過ごすなんていうのも、あまりに酷というもの。

 要は、力を使いこなしさえすればいいのだ。

 少なくとも、力を制御できるようになれば、完璧に隠し通すことができる。いつかバレる、と余計な不安に恐れる必要はなく、安心してこれまで通りの平和な生活を送れるだろう。

 あるいは、この力を使って冒険者など新たな道を進んだっていい。この世界で、力はあるに越したことはない。純粋に自分の身を守るために使うだけでも、計り知れない価値がある。

 こんな風にウルスラにとって力の制御は大きなメリットがあるが、まぁ、結局のところ、俺自身が彼女の不安を取り除いてやりたい、という思いが、こんな魔法の先生の真似事をさせる最大の理由なのだが。

「はい、クロエ様を、信じます――」

 どうやら、ウルスラはヤル気になってくれたようだ。大きな青い目がすっと閉じられると、変化はすぐに訪れた。

 フワリ、と銀髪のツイテンテールが波打つと、例の白い霧は湯気が立つように薄らと湧く。真白の蒸気は徐々に、その色合いを濃くしていく。

 ウルスラが纏うのは普段通りの修道服。その長い袖と裾から、霧は止め処なく溢れ出てくる。

 気が付けば、視界はすっかり濃霧に閉ざされ、肩を掴む近距離にあるにも関わらず、ウルスラの顔がボンヤリとしか見えないほどとなっていた。

「……っ」

 そして俺は全身に感じる。ああ、これは紛れもなく、強制的に魔力を奪われる吸収ドレインに他ならない。

 かつてキプロスという白マスクの片割れと戦った時、ヤツが操る蛇の使い魔サーヴァントに強力なドレイン攻撃を受けたことがある。あの時と全く同じ感覚だ。

 確か『黒喰白蛇クライムイーター』とかいう名前で、黒色魔力を扱う実験体を安全確実に拘束する目的で開発されたとアイツは言っていたはず。流石に専用の使い魔サーヴァントとでもいうか、ドレインの度合いはあちらの方が圧倒的に強かった。数分で俺の全魔力を持って行かれそうな勢いだったし、事実、魔力が底をついたしな。

 俺はウルスラの放つ霧に、レキと同じようにすっかり包み込まれているが、まだまだ危機感を覚えるほどの吸収は受けていない。もしかすれば、俺の魔力量もあの時と比べて増えているからこその、余裕かもしれないが。

 とすると、やはりレキが最初の事件で唯一立っていられたこと、今日の一件でも大して衰弱しなかったこと、これらは彼女自身の魔力量、というより生命力が常人よりも遥かに高いことを現している。

「……黒化」

 少しずつドレインの効力が上がって来たことを察知して、俺は黒魔法を発動させた。

 今回は、普段とは少し違う使い方をしている。

 ウルスラには肩に乗せた手から魔力を流すと同時に、俺自身はドレインへの防御も兼ねて、全身から放出も行っている。傍から見れば、俺の体からは黒いオーラが立ち上っているように思えることだろう。

 黒化で自ら魔力を流すのと、ドレインで吸収されるのは、結果的に体内から魔力が消失することに変わりはないが、その消費量には雲泥の違いがある。吸収力に対して、自ら一定量で魔力をぶつけることで勢いを相殺している、といった感覚だろうか。

 だが、これも放出量と吸収量にそれほど差がないからこそ起こる現象。これから先、さらにウルスラのドレイン能力が上昇すれば、さほど防御力には期待できないだろう。そしてそれは、ドルトスを瞬時に白骨化させるほどの威力まで耐えられないことは間違いない。

 まぁ、そうならないようにウルスラ自身に魔力を流して、多少なりとも俺が力の発動をコントロールできるようにしているのだが。

「あ……く、クロエ様……」

「どうしたウルスラ、苦しいのか?」

 固く目を瞑ったまま、ウルスラは額から一筋の冷や汗を流しながら、つぶやくように言う。

「も、もう……抑えきれない、かも……」

「無理に抑える必要はない。限界まで力を出していい」

 ウルスラの体を、少しずつ俺の黒色魔力が覆っていくのを感じる。

 魔力というのはそう簡単に他人へ渡せるものではない。だから、俺が黒化で流し込んだ魔力は、そのままイコールでウルスラに吸収されるワケではないのだ。

 構造的には、人の体の表面だけに黒化をかけて覆っているだけ、という感じである。ウルスラの持つ原初魔法オリジナルそのものをコントロールするのは不可能だが、俺の黒色魔力で身を包むことで、力が外へ出るのを抑える、調整することはこっちの意識で可能という理論。

 もっとも、それは俺が呪いの武器を制御するのと同様に、俺自身が絶対的に魔力量で上回っているからこそ抑えが効く力技だ。

 この莫大な魔力で抑え付ける、という一点に限っては自信が持てるからこそ、俺はこの方法を選んだのだが――

「ごめんなさい、クロエ様……わ、私……欲しいの」

 そこで、ウルスラの目は見開かれる。視線が合った刹那、俺の背筋が凍った。

「――っ!?」

 円らな青い瞳があるはずだが、そこには、真っ赤に充血しきった白目と、ハイドラの魔眼が如き毒々しい紫色の輝きが瞳に宿っていた。

 その眼光は、どこか魔人化したフィオナと重なる。コレは、ただの人間がしていい目じゃない。もしかしたら、俺は思っていたよりもずっとヤバい力を、目覚めさせてしまったかもしれない。

「うぉおおっ!?」

 突如として噴きつける突風、否、白い霧の乱流が俺の体を舞い上げる。修道服の裾から漏れる霧が、そのまま俺の足を絡め捕るように渦巻くや、次の瞬間には上昇気流となって勢いよく噴き上がったのだ。

 咄嗟に黒化を打ちきり、掴んだウルスラの両肩を手放し、俺は霧の風に運ばれるまま吹き飛ばされることを選んだ。ここは一旦、距離をとった方が安全だと、俺の直感が強く訴えていたから。

 上空五メートルほどまで飛ばされると、あとは重力に従って自由落下が始まった。霧の追撃はなかったお蔭で、俺は危なげなく着地を済ませる。

 そうして、再びウルスラへ視線を向けた時、彼女の『呪い』は真の姿を現していた。

「な、何だアレは……」

 真っ白い人影が、幽霊のようにウルスラの背後に浮かび上がっている。

 結構デカい。まだ身長が150センチに満たないウルスラの倍はあるから、3メートル近い大きさだ。薄ボンヤリとした霧の中に浮かび上がる白い人影は、間違いなく霧そのものが密度を濃くして作り上げている。

 何の飾り気もない純白のローブを被ったようなシルエット。人影、と判断できるのは、そこに肩のラインが浮かび、ちょうど頭の部分がハッキリと目に見えて形成されているからだ。

 ソレは、女の顔であった。くっきりとした目鼻立ちは美人であることに相違ないが、その肌も、波打つような長い髪も、そして、見開かれた目も真っ白だから、生身の女性というよりも石膏像といった方が近い。どっかの美術館にそのまま展示されていても違和感のない造形である。

 だがしかし、コレが人間の女性をそのまま模ったものではないということは、額から伸びる二本の角が示していた。般若の面そっくりの形だ。

「ウルスラ! 大丈夫かっ、しっかりしろ!」

 白霧の鬼女を浮かび上がらせるウルスラは、血色に紫の瞳を妖しく輝かせながら、俺の声に反応したように視線を向ける。

「ふ、ふ……ふふ、うふふふ……」

 悪魔の目を持つウルスラが、笑う。

 ああ、滅茶苦茶ヤバそうな雰囲気だ。どうにも正気を失っているように思える。

「ウルスラ、気をしっかり持て。俺のことが、分かるか?」

「ふふ、クロエ様……私、分かるの……うふふ、クロエ様、美味しい」

 幼い彼女にあるまじき、妖艶な舌なめずり。

 気づけば、俺の足元には霧が流れ込んできており、そこから少しずつ、だが、着実に黒色魔力を喰らっていた。

「クロエ様、ちょうだい」

 ヒュウウ、という木枯らしが吹き抜けるような、それでいて甲高い女の声のようにも聞こえる音と共に、霧が動き出す。

 ウルスラが俺に向かって手を伸ばすような動作と連動するように、背後霊化している女の影の腕が――文字通りに、伸びた。

 ローブの袖に隠れた女の真っ白い手が、凄まじい速度と威圧感を持って迫り来る。腕の部分はゴムのように伸びたワケではなく、密度を落として霧状に戻しているようで、たなびく白煙で本体と繋がっているように見えた。ちょっとロケットパンチみたいだ。

 俺を掴み取るように広がる大きな真っ白い掌。コイツを真正面から受けるのは、どう考えても危険すぎる。感覚からいって、恐らく、この手は触れただけでドルトスを瞬時に白骨化させた時に匹敵する強烈な吸収力が宿っているに違いない。

「――おおっ!」

 かなり余裕をもって回避したはずだが、俺の体から一気に魔力が抜けるのを感じた。事実、この目にも体から漏れ出る黒い靄状の黒色魔力が、通り過ぎて行く霧の手に吸い込まれていくのがハッキリと見えた。

 これはちょっと、いや、かなりヤバい。このドレイン能力は、いよいよ『黒喰白蛇クライムイーター』並みである。

「ふふ、くふふ……クロエ様、クロエ様ぁー」

 ウルスラがさらにもう片方の手も伸ばす。

 今度は、両手でもって迫り来る。

「くっ、榴弾砲撃グレネードバーストっ!」

 凄まじい吸収力を放ちながら迫る両掌を前に、俺は堪らず攻撃を選択させられる。回避だけじゃ、この状況は凌ぎきれそうもない。

 狙うのは勿論、霧の手の方だ。ウルスラ本人に当てるわけにはいかない。どんなに危なくても、カスリ傷一つ負わせることはできない。

 大人として、それくらいは最低限の義務である。俺、まだ17歳だけど。

「やっぱり、一時凌ぎにしかならないか」

 俺が放った榴弾砲撃グレネードバーストは、寸分違わず掌のど真ん中に命中。吹き荒れる黒赤二色の爆炎が、外観だけは綺麗な女の手に見える真っ白い霧の塊を散らす。

 だが、何らダメージもなければ、魔力を消耗した様子も見せず、浮かび上がる女の影にローブの袖が翻り、瞬時に腕は元通りとなっていた。

 再生、というより、あの女の形そのものに大した意味はないのだろう。ウルスラの力の本質は、この立ち込める霧の全て。女に見えるのは単なる幻影ヴィジョンであり、吸収ドレインの力は、発せられる霧の総量に等しい。

「欲しい、私、もっと欲しいの……ねぇ、クロエ様……」

 今までに見たことのないほど、嬉しそうな、いや、恍惚とした表情を浮かべて、ウルスラは俺を、俺の魔力を求めて手を伸ばす。

「ああ、いいだろう、ウルスラ」

 この窮地を切り抜ける最も簡単な方法は、ウルスラを殺すことである。だが、そんな本末転倒なことは当然却下。

 次に挙げられるのは、気絶させること。一撃喰らわせるのは痛いかもしれないが、肉体へのダメージ的には大したものではない。だが、これも却下だ。

 そもそも、全力で力を使えと言ったのは俺だ。

 そして、少しばかり予想以上のパワーだったとはいえ、これは、当初の予定意通りの状況ともいえる。元から、彼女の力が暴走することも見越した上での作戦、荒療治である。

「満足するまで、くれてやる――」

 さぁ、魔力が底を尽きる覚悟を決めて、ウルスラに付き合うことにしようじゃないか。




「た、ただいま……」

 教会に帰り着いたのは、すっかり日も暮れた後である。息も絶え絶え、というより、命からがらの生還だった。

「ヘイ、おかえりなさ――うわっ、クロエ様、顔色がディープブルーっ!?」

 出迎えてくれたレキが驚くのも無理はない。俺はウルスラの相手でかなり魔力を吸い取られたせいで、結構な魔力欠乏に陥っている。

「大丈夫だ、一晩寝れば治るから。できれば、すぐ食事できるとありがたいんだが」

「オーライっ! ゴハンはもう出来てマース!」

 本当は今すぐベッドに倒れ込みたいほどの疲労感だが、ちゃんと食事をとっておかないと回復力は確実に下がる。頑張って食べよう。それに、レキが折角用意してくれた夕飯でもある。無碍にしてはバチが当たるというものだ。

「ウルは大丈夫だったデスか?」

「ん……だ、大丈夫、だから……」

 あんまり大丈夫じゃなさそうな返事をするウルスラは、人見知りの子供にでもなったかのように、俺の後ろに隠れている。

 彼女が隠している顔が今、熱く火照って朱に染まっていることを、俺はすでに知っている。

「ウル? どうしたデスか?」

「ほ、本当に、大丈夫だから……」

「クロエ様、ウルはどうしたデスか? すごーく怪しいデース!」

「ああ、それは結構な量の魔力を吸収したのは初めてだったから、体調が――」

「悪いデスかっ!?」

「いや、良くなりすぎてるんだ。体の中で魔力を持て余しているような感じだから、ウルスラも一晩寝れば落ち着くだろう」

 とりあえず、考えられる原因はそれしかない。前にフィオナから、何でもない状態で魔力回復ポーションを飲むとどうなるか、と何気なく質問した時、正しく今のウルスラのように体が火照って落ち着かなくなるのだと聞いたことがある。下手な魔力ブーストは、かえって集中力の低下を招くので、戦闘前に魔力ポーションを服用することはオススメしないと言っていた。確かに、俺も冒険者の中で、そんなことしている奴は見たことない。

 そんな俺の的確な解答であるのだが、レキは「ふーん」と納得したのかしてないのか、微妙な顔をしてから、キッチンへと引っ込んで行った。

 魔術士タイプではないレキからすれば、実感の湧かない話かもしれないな。

「ウルスラは夕飯、どうする?」

「……今日は、もう寝るの」

 黒色魔力で腹いっぱいだから、一食抜いても問題はないだろう。

「そうか、おやすみ」

「お、おやすみなさい、なの……」

 ウルスラは頬を赤らめ、やけにモジモジとした様子で、そのまま自室へと去っていった。

 勿論、彼女の目はとっくに元の青い瞳に戻っている。霧の原初魔法オリジナルが消えるのと同時に、目は元通りとなっていた。やはり、力の行使と連動しているのは間違いない。

 俺はウルスラと別れ、夕食であるいつもの豆スープと思しき匂いが漂ってくる食堂へと足を向けた。

「おかえりなさい、兄さん」

「ただいま、ユーリ」

 食堂に入ると、サリエルが席について待っていたので、白々しい演技の挨拶を交わす。コイツに兄貴呼ばわりされることも、気づけばすっかり耳に馴染んできたな。

「もしかして、俺達が帰って来るまで待ってたか?」

「はい」

 そんなことを聞きつつ、俺もサリエルの隣の定位置につく。テーブルの上には、まだ料理は並べられていない。

「先に食べてても良かったのに」

 もっとも、俺もこんな時間までかかるとは思わなかったけど。明日からは、遅くなったら先に食べるように言っておこう。

「かなりの魔力を消耗している。ウルスラの原初魔法オリジナルは、当初の予想を上回るものと推定」

「俺、そんなに酷い顔色してる?」

「外見的変化は、多少、血の気が失せている程度。しかし、私の第六感は明確な魔力低下を察知している」

「流石だよ、お前は」

 鋭い第六感は健在か。簡単に弱みを掴まれてしまいそうだ。恐ろしい。

「確かに、ウルスラの力は想像以上だった。あれほどのものとは――」

「後悔、していますか」

「まさか。俺がいる内に、知ることができて良かったと思ってる」

 並みの魔術士だったら、とてもウルスラの能力は止められない。余計に被害が拡大し、いよいよ処刑せざるを得ないほど取り返しのつかない事態になることは、目に見えている。

「ウルスラの能力はやはり吸収ドレインで間違いない。ただし、霧で女のビジョンが浮かぶほどの密度がある。おまけに、全力で発動させると、ウルスラは正気を失う」

「強力な原初魔法オリジナルを使うものには、よく見られる現象。強大な力を振るうことで全能感を覚えたり、極度の興奮状態に陥っていると分析されている」

 強い力を使えれば、そりゃハイにもなるってものだ。

 俺は今の自分にあるこの力は、基本的には地獄の人体実験で手に入れた。とんでもない苦痛を経たからこそ、強い力そのものの魅力にとり憑かれていないのかもしれない。

 もし、ただ異世界にやって来た、というだけでこれほどの超人的な能力を手にしていたら、もっと調子に乗っていたかもしれない。自分が選ばれた、特別な人間だと勘違いしそうだ。

「ウルスラは俺の魔力を、もっと喰いたいという感じだった。美味しいんだと」

吸収ドレイン魔法がシンクレアにおいて禁術指定されている理由の一つに、ドレイン時に強烈な快楽を伴うことが挙げられる」

「お、おい、ちょっと待て、そんな話聞いてないぞ」

「……すみません」

 相変わらず馬鹿正直に謝るサリエルであるが、よく考えれば、話し合いの後、善は急げと俺はすぐにウルスラを連れて出て行った。あの場にサリエルは同席こそしていたが、俺は意見を求めることはしなかった。

 完全に俺の手落ちである。

「ってことは何か、ドレイン能力を使うと麻薬みたいな依存性があるかもしれないってことか?」

「はい。ドレイン魔法を習得した者は、周囲にある全ての魔力を吸収せずにはいられないと聞きます」

「それじゃあウルスラはっ!」

「彼女には耐性が備わっている。もし、ドレインの快楽に抗えないなら、最初の事件の時に暴走、あるいは、事件後に犯行を繰り返すこととなる」

「だ、大丈夫なヤツもいるってことか」

「依存性に陥りやすいのは、本来、ドレイン能力を持たない者。原初魔法オリジナルとして有していれば、その制御は本能に組み込まれている。過剰な快楽を覚えることはない」

「なるほど……お前、それが分かってたから、俺を止めなかったんだな」

「力の制御がウルスラのためになる、という論理には、私も同意している」

 サリエルもサリエルなりに、仲良くなったウルスラのことを考えてくれているのだろう。表面上の演技だとは、思いたくはない。

「でも一応、明日ウルスラに聞いておくよ。見たところ、過剰な魔力で落ち着かないって感じだったけど、万が一、異変があるとも言い切れないからな」

 所詮、俺は素人だし。

「それで、ウルスラの能力に見当はついたのか?」

「はい、幻影が浮かぶ吸収ドレイン能力は、イヴラームの神による加護の一種です」

 俺はシンクレアとイヴラ-ムとの争いの歴史については全く知らない。だが、使徒としてそれなり以上の知識と教養を持つサリエルならば、何か心当たりがあるのではと期待していたが、どうやらアタリのようだ。

「有名なのか?」

「イヴラームの王、呪王エイヴラハムが誇る最も強力な『呪い』の一つとして、シンクレアではよく知られている」

 曰く、エイヴラハムはその強烈無比なドレイン能力によって、あらゆる魔法を全て無効化、吸収し、自らの力としてさらに強力な呪いとして返すという。相手の魔力を奪い続けられるから、実質、敵を倒すまでは魔力が尽きないということだ。無敵じゃねーか。

「どうやって倒したんだ?」

「第二使徒アベルは単独で、剣技のみをもって討ったと伝えられています」

 流石は勇者と呼ばれるだけあるってことか。自分が魔法を封じたところで、相手のエイヴラハムは自前の魔力でいくらでも攻撃魔法を連発できただろうに。

「まぁいい、それより、制御の仕方というか、修練のやり方とかはどうなんだ?」

「この能力は有名ですが、使用者はエイヴラハムをはじめ、極一部の親衛隊のみが行使できたという稀有なものです。イヴラーム人の間でも魔法の極意として扱われていたようなので、詳細は一切不明」

 そんなことだろうと思ったよ。何にせよ、手探りでやるしかないってことだ。

「ところで、バルバドスの蛮王ってヤツにも、特殊な能力があったのか?」

「蛮王ベオウルフは、不死身でした」

「どうやって倒したんだ?」

「第二使徒アベルが単独で、七日七晩、蘇っては襲い来るベオウルフを殺し続けたところ、最後には骨だけとなって、ついに殺し切ることに成功しました」

 アベル、またお前か。

 しかし、ドレインチートのエイヴラハムに、残機数チートなベオウルフという、二人の王を倒した。さらに、これに加えてドラグノフの竜帝とやらも倒したのだから、そりゃあ歴史に名を刻む伝説の勇者として語り継がれるだろう。

 今はもう、伝説の中にのみ生きる存在、となっていたら綺麗なオチがついて最高だったのだが……コイツはまだ第二使徒として現役である。少なくとも、今の俺では手も足も出そうにない。

 聞くんじゃなかった、と気分を落ち込ませているところで、不意にサリエルが口を開いた。

「……ウルスラは、原初魔法オリジナルの制御ができるようになると、思いますか」

 話題転換のつもりなのか。いや、コイツ自身も、特別に仲の良いウルスラだからこそ、気にもなるのだろう。

「正直、分からない。アレはちょっと魔法のコツを教えてどうこうなるレベルじゃないからな」

「正気を失った、ということは、それだけ自らの力に飲まれている証。ウルスラの人格に影響を及ぼす危険性は、ゼロではない」

「はぁ……やっぱり、そうだよな……」

 俺の考えが甘かったということだろうか。

 いや、でも、あれほどの力があることがハッキリと証明されたのだ。ウルスラはその気になれば、この開拓村の村人全員を一晩の内に殺しつくせるだけの能力がある。

 あの吸収ドレイン能力は、ただの攻撃魔法とは一線を画す恐ろしい性能を秘めているのだ。

 出力を落とせば、何ら痛みを感じさせることなくジワジワと魔力を、ひいては生命力を奪い尽くすことができる。つまり、相手が睡眠中に霧に包みこめば、そのまま永久の眠りへ導くことが可能というワケだ。

 そして実戦においては、最大出力の一点集中でドレインを放てば、大型モンスターも骨にできるし、きっとゴブリンも群れごと骨を通り越して灰にまで変えることができるかもしれない。ついでにドレインという特性上、防御魔法を崩すのにも大いに威力を発揮するだろう。

 ああ、そういえば、霧で姿を隠すこともできると言っていたから……姿を現さずに相手を霧で包み込んで、一方的に倒すことだってできるかもしれない。

 考えれば考えるほど、恐ろしい魔法の力。

 でも、だからこそ、なのである。

「なぁ、ユーリ、ウルスラはこの先、平穏な生活をずっと続けられると思うか?」

「その可能性はある」

「そうじゃない可能性も、あるだろ」

「はい。吸収ドレイン原初魔法オリジナルを差し引いて、ウルスラの性格、容姿、現在の境遇から推察するに、将来的に身の危険に晒される可能性は非常に高い」

 今はいい。たとえ、どんな暴漢が襲ってきても、俺が返り討ちにできる。もし十字軍が大挙して攻め込んできても、抱えて逃げるくらいはできる。

 だが、あともう一ヶ月もしない内に、俺はこの村からいなくなる。

 ウルスラがこの先ずっと、この開拓村で見習いシスターをやっていれば、危険といえば今日のようなモンスターの襲来くらい。すでに、ここの村人とは十分に上手くやっていけているのは間違いない。

 しかし、忘れてはいけない。俺が居なくなった後、この教会にはレキとウルスラの見習いシスター二人だけに任されるわけではない。

「後任の司祭によっては、二人がどっか別の場所に飛ばされるかもしれない、か……」

 レキとウルスラの二人が一緒にいられるのは、ひとえにニコライ司祭のお蔭であった。

 だが、新たな司祭を彼と同じほどの人格者であると期待はできない。むしろ、そうじゃない可能性の方が高い。特に、こんなパンドラ大陸なんて海を越えた別天地まで赴いてくるようなヤツである。敬虔な十字教徒、すなわち、強烈な差別意識を持つ原理主義者である可能性は十二分にあるのだ。

 果たして、二等神民であるバルバドス人とイヴラーム人に優しくできる司祭が、シンクレアにどれだけいるだろうか。

「シンクレア共和国は、二人にとって住みよい国ではありませんから」

「そうだ、だから俺は、やっぱりウルスラには自分の力を使いこなせるようになって欲しい。いざという時は、せめて俺のように、逃げ出すことができるように――」

「クロエ様ぁー、ゴハン、できてるヨー」

「うおおっ!?」

 突如として目の前に割り込んできたジト目のレキに、俺は思わず椅子からひっくり返りそうになる。

「いつまでお話してるデスか。レキのスープが冷めちゃうデース」

 気が付けば、テーブルにはいつの間にやら夕飯がすでに準備されていた。豆のスープと黒パンと、今夜はもう一品、ジャガイモと塩漬け肉のソテーがある。

「あ、ああ、すまん、レキ。早く食べようか」

 適当に謝りつつ、俺ははたと気づく。今のレキの体勢、結構際どいぞ。

 椅子に座った俺に対して、彼女はテーブルの下を潜って体を乗り出してきているのだ。俺の投げ出した足を両手で開き、股の間に体を滑り込ませるように迫っているレキは当然、ほとんど密着状態。

 可愛らしい膨れ面の顎を俺の胸板に乗せ、年齢とあまりに不釣り合いな大きさの胸が、腹の上で柔らかく潰れている。厚い生地の服越しでも、レキの体の温かさを感じた。

「ほら、もう戻れ」

「あっ、たまにはレキに食べさせてくれてもいいデスよ。アーン!」

 ちくしょう、俺がいつもサリエルに食べさせているのを揶揄していやがる。

「馬鹿なこと言ってないで、早く、もーどーれー」

 ちょっと顔を下げればキスできそうなほど近いところにあるレキの顔。彼女の頬を、俺は両側から挟んでプニプニと弄んでやった。柔らかい、リリィみたいだ。ちょっと癒される。

「クロエ様のケチー」

 ひとしきり弄ばれた後、満足したのかしてないのか、レキは渋々といった様子で席へと戻った。やはり、テーブルの下を通って。お行儀悪いからやめなさい。

「でもまぁ、遅くなって悪かった。いただきます――」

 とにもかくにも、こうして、午前はゴブリン軍団と戦い、午後はウルスラと激闘を繰り広げるという、想像もしなかったハードな一日は幕を閉じた。

 明日は、もう少し平和に一日が過ごせますように。思わず、そう神に祈ってしまいそうになるくらい、今日は疲れた……

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