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黒の魔王  作者: 菱影代理
第25章:偽りの日々
493/1041

第492話 白い霧の呪い

 暑い、うだるような暑さの夏の日。通気性の悪い教会の食堂にて、孤児達が蒸し暑さに汗を流しながらの昼食を終えた頃、幼きイヴラーム人の少女ウルスラは、一人だけのろのろと未だに食事を続けていた。

 薄ら黒ずんだ粗末な木の椀に残る生温いスープ。汁気を吸ってブヨブヨになった豆を、彼女の握るスプーンが緩慢な動作で掬っては、小さな口へと運ぶ。

 不味い。それはいつものこと。だから、ウルスラが食事を終えるのが決まって最後なのも、いつものことだった。

 そうして彼女は、許された食事時間をギリギリいっぱいまで使ってようやく完食できる普段通りのペースで食べ続けたが、不意に、それは遮られる。

「ねぇー、ウルスラちゃん、ちょっとぉ、聞きたいことがあるんだけどぉー」

 一人の少女に、声をかけられた。

 年の頃は自分より少しだけ上、十歳を過ぎたかといったところ。ウルスラが一拍遅れてぼんやりと青い目を向ければ、そこには年相応にして可愛いと評判の少女の顔があるはずだが、何故か白い靄がかかったように見えて、どんな表情をしているのか判然としない。

「私の指輪、どこかで見なかったぁ?」

 ゆっくりと首をふる。見ていないし、そもそも彼女が指輪というアクセサリーを所持していること自体、知りもしない。

「えぇー、困るぅー、アレ、ママから貰った大事な指輪なのにぃー」

 両親の形見の品を所持することは子供たちに許されている。だが、アクセサリーなど貴金属である場合もあるので、基本的には教会の司祭によって厳重に管理・保管されることとなっている。

 故に、この少女が指輪を失くすことは、ありえない。

「本当に知らないのぉ? ポケットに入ってたり、してなぁい?」

 そんなのあるワケない、という当たり前の思考すら浮かぶことなく、ウルスラは唯々諾々と彼女の言葉に従い、麻で編まれた安物の半袖半ズボンのポケットを探って見せた。

 毛糸のクズしか入っていないはずのポケットに、ウルスラの指先は硬い何かに触れる。取り出してみれば、ソレは、まるで見覚えのない銀色の指輪であった。

「あぁーっ!? ソレぇ、私の指輪ぁー!!」

 少女の叫びが食堂中に響き渡る。子供たちの視線は全て、一瞬にしてウルスラの席へと集中。

「酷い! 酷いよぉ、ウルスラちゃん、私の指輪を盗むなんてぇ!!」

 知らない、と口にしようとはした。

「最低!」

 だが、言えなかった。ウルスラの頬を、少女の掌が強かに張る。

 バチン、と小気味よい音が鳴るが、その残響をかきけすように、少女はわんわんと泣き始めた。叩かれたウルスラではなく、何故か、叩いた方が、泣くのだ。

「おい、どぉーしたんだよぉ!」

「なになに、何で泣いてるのぉ!?」

 気が付けば、周囲の子供たちが集まり始めている。ウルスラは席に座りスプーンを右手に握りしめたまま、十数人もの男子と女子に取り囲まれてしまう。

「聞いてぇ、ウルスラちゃんがねぇ――」

 口を挟む余地など、あるはずなかった。これまで、一度もマトモに孤児と話したこともないウルスラでなかったとしても、涙ながらに盗難被害を訴えかける少女の話を遮ることはできないであろう。

「えぇー、それホントぉ!? ヒドーい!」

「オイ、謝れよ盗賊!」

 子供たちの意見は満場一致で少女の擁護とウルスラの糾弾に傾く。

 無理もない話だ。孤児として共同生活を送るという特殊な環境下の子供たちは往々にして、彼らだけのルールというものが存在する。

 例えば、チクること。保護者たる司祭やシスターには、どんな些細なことでも勝手にチクる行為は、子供たちは重大な裏切りとして決して許さない。

 だが私物の盗難は、より許しがたい大罪として認知される。

 ただでさえ孤児である彼らには、自分のモノ、自分だけのモノというのは少ない。大抵の物品は全て共用。子供たちの中に差別を作らなうようにする、当然の処置であるが――しかし、だからこそ孤児にとって私物という存在の希少価値はより高まる。

「謝れ!」

「盗賊! 謝れよっ!!」

 指輪を盗まれたと泣き出す少女と、彼らがグルだったのかどうかは、この際、どうでもいいことだろう。子供たちはすでに、正当な怒りの理由を得ているのだから。

 盗みは許さない。裏切りは許さない。だから、ウルスラを責めることが、彼らにとっての正義。

「う……あっ……」

 燃え上がる怒りの感情と罵声とで、ウルスラは自身の無実を叫ぶどころか、大人しく言い分に従って謝罪の言葉さえ、出すことができない。金魚のように口を小さくパクパクさせるだけで、喉が詰まったように、ただの一言も喋れない。

 息が、苦しい。

「この盗賊ヤロォー!」

 黙り込む反応が、かえって火に油を注いだのか。血の気の多い男子の一人が、ウルスラの波打つ銀髪を引っ掴んで、椅子から引きずり倒した。

「あっ」

 という痛みと衝撃の呻き声は、鳴り止むどころか、ますますヒートアップする怒声に混じって儚く消える。

 綿埃と食べカスとが散らばる床に打ちつけた額が、鈍い痛みを発する。ついでに頭から首筋にかけて、湿った不快感も覚えた。倒された拍子に、スープの椀もひっくり返って頭から被ってしまったようだ。

 もう食べるべき料理はなくなったのに、右手はいまだに、スプーンを固く握りしめている。

「あ……あぁ……」

 見上げると、降り注ぐ憎悪の視線の数々。耳に鳴り響く悪意の言葉。

 取り囲まれ、立ち塞がれ、逃げ場など、ない。

 怖い――その感情を取り戻した時であった。

「シャラァーップ!」

 意味は分からないが、凄まじく大きな叫びが食堂を震わせた。言葉、というよりも、モンスターの咆哮じみた声である。

 あまりの声量に、思わず子供たちも注意を引きつけられずにはいられなかった。それはまた、床に倒れたウルスラも同じ。

 林のように並ぶ足の隙間から、声の主が見えた。

「な、なんだよレキ!」

「何か文句あんのかよ、お前!」

 レキ、と呼ばれた子供は……少年なのか少女なのか分からない。だが、餓えた狼のようだと、ウルスラは思った。

 ボサボサの金髪は、特に犬の耳みたいに尖っているのが特徴的。真っ赤な瞳は血に飢えたようにギラギラしており、悪い目つきにより一層の迫力と凶悪さを与えていた。

「聞いてよぉー、レキちゃん、酷いんだよ!」

 子供たちの中から、自称被害者である少女が一歩進んで歩み出た。同情を誘う確信を得ているのか、彼女の半泣きの顔には悲壮感は映らない。

「だって、ウルスラちゃんが、私の大事な指輪を――」

「ファッキン、ビッチ!」

 メキリ、と骨が軋むような壮絶な打撃音を、この場にいる子供たち全員が聞いた。耳の奥に残るほどに、生々しい音であった。

 レキが繰り出した右拳が少女の顔面に真っ直ぐ突き刺さるや、彼女の体は宙を舞う。クルクルと綺麗に回りながら、潰れた鼻から噴き出す血が螺旋を描く。

 子供たちがズラっと並んで座れる長い食卓には、幸いにも、食器はすでに片付けられている。少女は何もないフラットなテーブルの上に着地。勢いのままゴロゴロと転がり、最後にテーブルから落ちて、ようやく動きを止めた。

「キャァーっ!」

「な、なっ、何すんだよお前ぇ!?」

 あまりに唐突なレキの凶行に、場は騒然となる。女子はこの世の終わりみたいに泣き出し、男子は小さな闘志に火がついたように湧き上がる。

 対するレキは、何ら悪びれた様子を見せず、むしろ、より一層に狂暴性の滲み出る獰猛な笑みを浮かべて、彼らを睨み返す。

「カモーン、ベイビー」

 そうして、教会全てを揺るがさんばかりの大乱闘が始まった。

 一応は女子であるレキ一人に対し、十人ほどの男子。戦力差は歴然。だが、何故か戦いは拮抗する。

「ゴォーっ、ヘェールっ!!」

 レキの拳は男子の顔面に叩きこまれると、鼻を折り、前歯を砕き、子供の喧嘩にあるまじき深刻なダメージを与えた上で吹き飛ばす。

 組みつく相手には噛み付き、髪を掴んで引きずり回し、股間を蹴飛ばす。飛んで跳ねて、殴って、蹴って、投げて、凄まじい大立ち回りをレキは演じた。

 順調に男子の数は減り、ちょうど残りは半分かという時である。

「何事だっ! 何を騒いでいるお前たち!」

「ああっ、レキ!? ちょっと、また貴女なの!!」

 教会に勤める司祭とシスターが、食堂へと現れた。これほどの大騒ぎをして、気づかれないはずがない。

「やめなさい! こらっ、やめないか、レキ、痛っ!?」

「まぁ、何て酷いこと……あぁ、神よ……」

 暴れ続けるレキに、戦場で横たわる屍のような男子と、いよいよ金切声をあげて泣き叫ぶ女子――そんな混沌とした場において、いまだ床に這いつくばったままのウルスラが、目覚めた。

 不安と恐怖と混乱との極致において、彼女の『呪い』が、目を覚ましたのだ。

「……消して」

 それはまるで、真冬の雪山で猛吹雪にあったような光景であった。吹き荒れる白い霧が、一瞬にして視界を奪い去る。

 ウルスラの願いどおり、白い闇は瞬時に全てを消し去った――

「……ヘイ」

 弱弱しいレキの声で、ウルスラは我を取り戻す。

 いつの間にか、霧は消え去っていた。そして、嵐が過ぎ去った後のように、やけに静かである。

 再び取り戻したウルスラの視界が映し出したのは、レキ以外の全員が、バッタリと床に倒れ伏している光景であった。子供たちも、司祭もシスターも、レキという例外だけを残し、死んだように伏せっているのだ。

「あっ……」

 息を呑む。その恐ろしい光景に。そして何より、これを引き起こした自分自身に。

 ウルスラはすでに、気づいている。さっきの霧は自分が出したものであること。そして今、不思議なほどに体が軽くなり、どこか解放感すら覚えるほど体調が良くなっていることの変化を。

「オー、マイ、ゴッド……」

 だがこの場で一番不思議だったのは、レキがやけに満足そうな笑みを浮かべてから、倒れたことであった。




 ゴブリン軍団の撃退に成功した。

 最大の脅威であったドルトスは、正面に現れた二体と背後の二体、合わせて四体で打ち止めとなり、それ以降は順当に敵を始末していけた。

 裏の門は破られてしまったが、ドルトスさえいなければ、残っているのは五十にも満たないゴブリンの集団のみ。俺はグレネードで適当に数を減らした後、その場は自警団員に任せ、すぐに正門へと戻る。

 俺が離れていた間は、白銀の重装甲で真正面からゴブリンを薙ぎ払うライアンを中心に、皆がよく防衛線を守っていた。そこに俺が戻り再び銃火を浴びせれば、五分とせずに奴らは壊滅。

 とても敵わぬ、とゴブリンの族長は手勢を手早くまとめて慌てて森に引き返していったが、コイツを仕留めなければ村の危機は去らない。これほどの敗北を喫した以上、もうこの村を狙おうとは思わないだろうが、復讐に燃えて次はもっと多くの兵力を養ってから攻めてくる可能性は否めない。

 森に逃げ込んだゴブリンを深追いするのは危険である。あの族長ならば万一に備えてトラップや伏兵を置いているかもしれない。視界の悪い森の中で逆襲されれば、今度こそ犠牲者が出るだろう。

 だから、追撃は俺一人で行った。

 自警団の随伴がなければ、俺は全速力で走れるし、誰かを守るために注意を割く必要もない。気楽なものだ。相手は数十のゴブリンと数体のランク1モンスター。そして、魔術士がたったの一人。

 俺が奴らに追いついた時、飛んできた反撃は族長が放った『風刃エールサギタ』の一発きり。二発目は許さず、榴弾砲撃グレネードバーストで展開していた風の防御魔法ごと吹き飛ばしてやった。

 後はただの残党狩り。逃げ散るゴブリンの背中に魔弾を食わらせてやるだけの簡単な作業である。そうして奴らは一匹残らず、殲滅を完了させた。

「おう、戻ったのか司祭様、早かったな」

 族長の撤退に置いていかれた捨て駒のゴブリンが周囲に残っていたが、それの殲滅もちょうど完了させたらしい。ライアンが森から帰った俺へ真っ先に声をかけてくれた。

「もしかして、逃がしたのか?」

「大丈夫だ、ちゃんと全員、始末してきたさ」

「ヒュー、流石だぜ。アンタを敵に回すなんざ、あのゴブリンはモンスターの中でも飛び抜けたバカだったぜ」

 ガハハ、と豪快に笑いながら肩をバンバン叩いてくるライアン。でもお前は真っ先に俺に噛み付いてきただろう、という野暮なツッコミはやめておいた。

「それより、自警団に犠牲者は?」

「ゼロだ。神の奇跡ってやつだな」

 それを聞いて、ホッと胸をなでおろす。裏門は破られていたし、俺が抜けた間、正面にはまだそこそこの数が取りついていた。柵を挟んでの攻防で、運悪く戦死する者がいてもおかしくない状況だ。

 本当にツイていてる。白き神に感謝の祈りを奉げる気はこれっぽっちもないけどな。

「でも怪我人は多いぜ。婆さんも大忙しだ」

「村で唯一の医者だからな、倒れないよう気をつけて見てくれよ」

「へへっ、司祭様は聖なる治癒魔法だけはできないんだったよな」

 ライアンも自警団員も、俺が治癒魔法を使えないことをよくよく知っている。俺は彼らを訓練で痛めつけはするが、それで負った傷を癒したことは一度たりともないのだから。堂々と「治癒魔法使えないし」と宣言したら、凄いブーイングが飛んできたもんだ。

「人には得手不得手があるんだよ」

「殺す方が得意な司祭って、聖職者としてどうなのよ」

「いいんだよ、敵を殺せば神様は大喜びだからな」

 皮肉に笑って、俺はこの場を切り上げることにする。

 戦いが終われば、殺戮特化な司祭の俺に出番はない。死者も出ていないから、葬儀のお仕事もナシ。

 まぁ、後で壊れた門や柵の補修くらいは手伝うことになるだろうが……

「じゃあ、後は任せたライアン。俺はちょっと、レキとウルスラに話があるんだ」

「レキの奴、あのデケェのを一人で殺ったんだってな。大戦果じゃねぇか、褒めてやれよ、尻尾振って喜ぶぜ」

「……そうだな」

「行けよ、ウルスラとユーリちゃんも、心配してるだろうしな」

 珍しく素直な気遣いの言葉をかけてくれるライアンに礼を言って、俺は足早に教会へと向かう。

 さて、ゴブリン軍団の迎撃そのものは大成功に終わったが、まさか、新たに別の問題を抱えることになるとはな。

 ウルスラ、彼女が秘める化け物じみた力を、俺はすでに知ってしまったのだから。




「……」

 重苦しい沈黙が、狭い教会の寝室を包み込んでいる。

 今、この場には俺、サリエル、レキ、そして問題の中心人物たるウルスラの四人が勢ぞろい。俺は小さな文机とセットのイスに座り、シスター三人組はベッドに座らせた。

 真ん中のウルスラは、ちょうど俺の真正面に位置しているのだが、あからさまに落ち込んだ暗い表情でうつむいたまま、決して目を合わせようとしてくれない。

 さて、この場に集った事情はすでに四人全員が理解している。サリエルだけは例の場面を見てはいないが、俺が前もって軽く説明しておいた。これからする話において、上手くフォローしてくれと頼んではおいたのだが、さて、人の心の機微など理解できないロボットみたいな性格のコイツには、あまり期待はできそうもない。

 ともかく、俺が呼んだ以上、俺が話を切り出すべきだろう。正直、自分でもどう話が転がるか予想がつかないが……ええい、もう、なるようになれ。

「これからする話は、ここにいる四人の秘密にすることを、神に誓おう。ウルスラ、君が隠している能力チカラについて、話してくれないか。たとえ、それがどんな恐ろしいものであったとしても、俺はウルスラを傷つけるようなことは絶対にしないと、約束する」

 そう口火を切ったものの、場はシンと静まり返ったまま。聞こえなかった、なんてことはありえないが、それでも、思わず同じ台詞をもう一度言ってしまいそうなほど沈黙に俺が耐えかねたその時、ようやく反応が返ってきた。

「あ、あのデスね、クロエ様、ウルは、ちょっと、うぅー、えーっとぉ……」

 あからさまにウルスラを庇うように、レキが何か言い訳を口にしようとしているが、可哀想なほどにしどろもどろで、屁理屈にすらなりえてない。

 けど、そんな一生懸命なレキを見たからだろうか。ウルスラはついに覚悟を決めたように、顔を上げた。

「……いいの、レキ。もしかしたら、こういう時が来るかもしれないって、思ってはいたの」

「ウル、でもぉ!」

 首をフルフルと振って、レキの制止をウルスラは拒絶した。

 そして、つぶやくように小さな、そして、震えた声で、彼女は語る。

「クロエ様、私の体は……呪われているの」

 思わず、俺は自分の両手をチラリと見てしまう。そこにあるのは、未だに何の反応もかえってこない灰色のグローブ。

 俺にとって『呪い』とは、忌むべき存在というより、最も身近に俺の力となってくれる、頼れる相棒である。

 だが、ウルスラの言う呪いはそういうことではないのだろう。

「あの白い霧が、呪いなのか?」

「はい」

「アレはいきなり出るものなのか、自分の意思に関係なく」

「ううん、普通は出ない。出すか出さないかは、私が決められるけど……危ない時は、勝手に出ることも、あるの」

「それじゃあ、今回は自分の意思で出したんだな。レキを守るために」

「……はい」

 素直に「偉いぞ」と褒めて頭を撫でながら、合点がいく。

 ウルスラが身の危険を冒してまで、避難所である教会から飛び出して外へ行った理由だ。聡明なウルスラは、戦闘能力のないただの子供が、ただ心配だからと外へ出ることがどれほど危険かつ無意味な行為かよくよく理解しているに違いない。

 それでもレキの下へ向かったのは、ウルスラにはいざとなったら『呪いの力』がある。

 もしかすれば、俺がそもそも二人と知り合うキッカケとなった十字軍襲撃の一件、あれも俺が助けに入らずとも、あと十秒もすればマシュラムはウルスラによって白骨死体に変えられていたかもしれない。

「でも、その呪いの力を、自分じゃ完全に制御しきれない。そうだな?」

「ごめんなさい、危うく、レキを殺してしまうところだったの」

「そんな! レキは全然ダイジョーブだからっ、ウルは悪くないデス!」

 だが一歩間違えば、レキは本当に死んでいたかもしれない。

 俺が目撃した正にあの時、レキは白い霧に襲われている真っ最中であった。ウルスラは自ら離れることで、レキがそれ以上襲われないようにしたが、その対応は正解である。

 ただ、俺があの場に居合わせたから、結果は同じでもそこに至る過程には少しばかり違いがある。まず、俺はすぐにレキを拾い上げて、教会に放り込む。次に、ウルスラを近くの家屋に避難と隔離を同時に行った。

 ウルスラもそうするのがベストだと分かってくれていたから、行動は迅速に終え、俺はすぐに戦線復帰できたというワケだ。

「そうだな、レキはこうして無事だった。それだけで、今はよしとしよう」

 重要なのは、ウルスラに力の危険性について説くことではない。まず必要なのは、情報。

「ウルスラ、自分の呪いについて知っていることを、全て話してくれないか」

「……は、はい」

 肯定はするが、ウルスラの表情は酷く辛そうだ。本当に、普段の彼女からは信じられないほど、はっきり分かるほどに暗い表情変化。

「呪いのせいで、辛い目にあったかもしれないだろう。だから、どうしても話したくないことがあれば、話さなくてもいい」

「ううん、いいの……クロエ様と、シスター・ユーリになら、話しても」

「本当にいいのか?」

「私の呪いを見た人は、怖がるか、私を殺そうとするの。クロエ様が私を殺さなかったというだけで、信頼するには十分だから」

 どこか感情を殺すように冷たい目で語るウルスラに、俺はもう、何も言えなかった。

 彼女にとって俺という存在は、自分をいつでも殺すことのできる男、なのである。それなりに、仲良くなれたと思っていた。少しは慕ってくれたと、思っていた。

 とんだ大馬鹿だ。超人的な戦闘能力を誇る俺は、ただそれだけでウルスラにとって恐怖の対象だったろう。表向きはどんなに仲良くすることができたとしても、彼女は自分の呪いがバレれば……想像を絶する、ストレスだろう。

「ごめんなさい。でも、クロエ様とシスター・ユーリを、信じていることは本当なの」

 そんなフォローを言わせてしまうほど、俺は顔に出てしまっていたのだろうか。つくづく、自分が情けない。

 けれど、ウルスラはもうそんなことなど露とも気にするそぶりは見せずに、本題である呪いの力、その詳細について語り始めた。

「私の呪いは、生まれつき、なの」

 誰かに呪われて、あるいは、何か邪悪な存在にとり憑かれた、といったことではないという。物心ついた時から、ウルスラは自分の中にある力の存在に気づいていたらしい。

「でも私の両親は、この力を呪いじゃない、とても素晴らしいものだと喜んでくれていた」

 イヴラーム人にとっては、加護のような聖なる力という認識だったのだろうか。

「詳しいことは、分からない。私が覚えているのは、両親がこの力を持つ私のことをとても可愛がってくれたということだけ。どっちの顔も思い出せないし、両親とどうやって別れてしまったのかも、もう覚えてないの」

 ある日、気が付いたら十字教の教会で孤児として保護されていたらしい。そもそも、自分が孤児になったこと、保護されたという状況そのものを理解できるようになったのは、教会にやって来てから一年は経ってからだという。

 ウルスラの記憶の曖昧さは、それほど不自然ではないかもしれない。例えば、まだ小さな子供が不運にも両親を何らかの事故で失ったとして、そこから孤児院に引き取られたという事情を、その時リアルタイムに正確に把握できているかどうかと言えば、否であろう。

 ただ、ある日突然、両親と会えなくなり、今まで生活していた家と違う場所で暮らすようになれば、その不安は大きなストレスとなって子供心に深く記憶に刻まれそうなものだ。トラウマになってもおかしくない。

 しかしながら、話を聞く限り、ウルスラにはそういう点がなさそう。気が付いたら教会に居て孤児たちと共同生活を自然に送っていた、というような感じである。

「その教会に、レキがいた……らしいの」

「レキはウルが来た時のこと、ちょっと覚えてるデスよ」

「なるほど、そこで二人は出会ったのか」

「ううん、最初は全然、レキとは話もしなかったの」

「ウルは誰とも話さないで、いつも一人だったデース」

「それじゃあ、どういうキッカケで仲良くなったんだ?」

「私の呪いが、事件を起こしたの」

 当時のウルスラは孤児達の誰とも打ち解けず、ずっと一人でいた。子供であろうとなかろうと、人間が共同生活する場において、そういう孤独なものはえてして、目をつけられる。ウルスラも、例外ではなかった。

 イジメ、である。

「でも、私のはそんなに酷いモノじゃなかったの。あそこは監視の目が厳しかったから、大したことはできないから」

 それでも、イジメはイジメである。陰口に無視は当たり前。私物の盗難も、何度か経験があったという。

「私もあの時、何をされていたのか、よく覚えてないの。あんまり気にもしていなかったから……でも、事件の時は、ハッキリ覚えてる」

 ある日、いつもより過激なイジメ行為がウルスラに加えられることとなった。

「指輪を盗んだ濡れ衣を、着せられたの――」

 そうして俺は、事件のあらましを聞いた。

「ごめん、ちょっと待って……」

 泣きそうになった。っていうか、ちょっと泣いてるかもしれん。目頭が熱い。

 ウルスラとレキから、どこか生暖かい視線が向けられる。

「何て言うか、スマン……同情するってのも筋違いかもしれないが……ああ、どうも俺は自分で思っていたより、そういう話に弱いみたいだ」

 孤児院の中でイジメを受ける少女、何ていうのは、どっかで見た事あるようなありふれた話である。そういうドラマがあったような気もするし、きっと現実の日本でも起こっている状況だと知ってはいる。

 だがしかし、すでに見知った、仲の良い女の子がそういう目に遭っていたと聞かされると、その衝撃たるや……孤児が背負う悲惨な過去というものを、俺は初めて現実的に感じたかもしれない。

「気にしないで、もう、昔のことなの」

「そう言えるウルスラは、強いよ」

 俺自身も苦しい経験をしたからこそ、それを乗り越える困難さは分かる。俺だって、もう十字軍との戦いを諦めて、リリィとフィオナだけを連れて逃げようと本気で考えたりもしたからな。

「それにしても、レキは随分とヤンチャだったんだな」

「ノォーっ! 昔の話デェーッス!!」

 中学生の時に恥ずかしいキャラ作りをしていたことを思い出された大学生みたいな反応で、レキは真っ赤に染まった顔を両手で覆い隠し、ベッドに倒れて足をバタバタさせた。

 そんなに恥ずかしがらなくても、いいと思うんだが。

「いきなり主犯を殴り飛ばすなんて、カッコいいじゃないか」

「もうヤメテぇーっ!!」

 どうやら、まだ荒れていた頃の話は厳禁なようだ。問答無用で男女平等にぶん殴るレキが、一体どのようにして今みたいな明るく元気な性格になったのか、大いに気になるところだが、今はそっとしておこう。

「すまない、話を戻そう。それで、その事件の後はどうなったんだ? というより、みんな生きてたのか?」

「一人も死んではいなかった。もし、死者が出ていれば、私はきっと処刑されていたの」

 それは決して、大袈裟な表現ではない。

 ウルスラの語るところによれば、事件の後、司祭はウルスラを『悪魔がとり憑いた呪い子』だとして、教会に即時処刑を訴えたという。

 何十人もの児童と、大人である聖職者もまとめて昏倒させたという被害の大きさから、ウルスラはすぐに異端審問へかけられることとなった。

 異端審問、というのがどういうものか、俺は詳しく知らないが、フィオナから聞いた限りの情報によれば、どうやら魔女裁判みたいなものらしい。つまり、裁判にかけられた時点で、有罪確定。神の名の元に断罪されるという。

「でも、ニコライ様が助けてくれたの」

 そこで、俺の前任にして正式に開拓村の司祭であったニコライ氏の登場となる。

 彼はウルスラをまだ幼い子供だからと、助命を嘆願したという。普通なら受け入れられないが、ニコライ司祭は教会においてそれなりに名の通った人物であったらしく、その願いは聞き届けられる。

 ただし、それは単に無罪放免ではなく、異端審問にかける変わりに、ニコライ司祭が責任をもってウルスラを改宗し、いつか必ず悪魔を祓い、呪いを解くという条件であった。彼がウルスラを引き取る、建前といってもいいかもしれない。

 ともかく、そうしてウルスラは無事にニコライ司祭の教会で保護されることとなったのだった。

「それじゃあ、レキとはその時に別れたのか?」

「ううん、レキも一緒についてきた」

「ウルの事が心配だったのデース!」

「厄介払いなの」

「ウルーっ!!」

 レキもレキで、喧嘩の絶えない問題児だったようなので、これ幸いとばかりにニコライ司祭に押し付けられたようだ。

 だが彼の偉大なところは、事件のあらましを聞いて、レキはきっとウルスラと良い友人になるからと、喜んで引き取ったということだ。そして、それが事実であったことは、俺の目の前で仲良くじゃれ合う二人の姿が証明している。

「なるほど、それで今に至ると」

「それからも、私の呪いの力がたまに出てしまうことはあったけれど……あの事件ほど大事にはならなかったから、特に問題は起きなかったの。でも、ニコライ様からは、凄く注意された」

「ニコライ司祭は、この力について何か言っていたか?」

「ううん、特に何も。シスターとして正しい信仰と生活を送れば、いつか呪いは解かれるとしか、言われていない」

 ウルスラが自分の意思で発動できるのなら、確かに根本的な解決が無理でも、平穏な生活を送っている限りでは力を行使する機会はやって来ない。

「それじゃあ、やっぱりウルスラは自分の力については、ほとんど何も知らないということか」

「呪いは、私が思った通りに動くけれど……力が大きすぎて、抑えることができないの」

 ドルトスを倒した後も、レキに霧がまとわりついていたのはそのせいだろう。傍から見ていても、彼女が力を制御できていないのは明らかだった。

「霧の能力は、ドルトスを骨に変えた攻撃の他には、何かあるのか?」

「全部同じ……だと思う。強くしたら、骨になるけど、弱かったら、倒れるくらいで済む、何となくだけど、そういう感じ」

「本質的に同一の能力ということだな」

「あとは、隠れようと思ったら、姿を消せる」

「それは……凄いな。霧は光属性で、透過か反射させることができる、のかもしれないな」

「よく分からない。でもこれのお蔭で、物置小屋で私だけが、あの男に見つからずに済んだの」

 なるほど、そういえばあの時、中にはレキの姿しか見当たらなかったからな。物置の隅の方で、姿を消していたのか。

「他に能力は?」

「ない。私が使えるのは、これだけ」

「そうか……ありがとう、よく話してくれたな」

 もう一度ウルスラの頭を撫でると、少しくすぐったそうにするが、さっき撫でた時よりも心なしか嬉しそうに見えた。呪いのことを話せるだけ話したから、少し気が楽になったのだろうか。

 ついでに、レキがちょっとムっとした顔で俺のことを見ているように思うのは、気のせいなのだろうか。

「ウルスラ、一つだけ質問させてくれ」

「何でも聞いて」

 いい顔だ。もう隠し事などないとばかりに、堂々とした表情である。

「呪いの声を、聞いたことはあるか?」

「声? それは、聞いたことはないの」

「なるほど、よく分かった――」

 それを聞いて安心すると同時に、俺に一つの覚悟を決めさせた。

「――ウルスラ、呪いの力を制御できるようにしないか」

「……そんなこと……本当に、できるの?」

「ウルスラに覚悟があるなら、必ず、できるようになる」

「で、でも……危ないの。あの霧は触っただけで――」

「心配する必要はない。俺なら大丈夫だ」

 なぜなら、と、俺はここぞとばかりに自信満々に続ける。

「呪いの扱いには、自信があるんだ」

 2015年4月17日

 次回は月曜日も更新します。どうぞお楽しみに。

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[良い点] 全力で敵をぶっ飛ばすレキ最高
[一言] クロノは呪いの扱いについてはたぶん世界最高だろうね
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