第486話 手紙
翌日、冥暗の月28日。ちょうど朝の礼拝を終えた頃であった。
「……いよいよ来たか」
十字軍が、再びこの第202開拓村へとやって来た。
現れたのは騎兵が三人。軽装なところを見ると、恐らく何かを伝えるか、情報を集めるための伝令兵だと思われる。
「おはようございます、騎士様。こんなに朝早くから、一体どのようなご用件でしょうか?」
奴らが到着するなり、即座に対応にあたったのは勿論、村長であるランドルフ。
「うむ、少しばかり村の様子について話を聞きたいのだが、村長は?」
「私が村長のランドルフです」
「どういうことだ? ここの村長は確か――」
「実は事情がありまして……詳しい話は、あちらで」
うむ、と三人組の中で一番年上と思しきヒゲを生やした中年男の隊長は馬を降り、ランドルフに従って教会へとやって来た。案内される場所は、俺も交渉の時に使った例の部屋である。
室内にはランドルフと隊長だけが入り、他の騎兵二人は部屋の前で護衛するように立つだけ。話の前に、軽く人払いするようにという指示があったから、村人達は普段通りにそれぞれの仕事へ向かって行った。
しかし、俺はそういうワケにはいかない。午前の仕事である授業を堂々と礼拝堂でやるはずもなく、本来の目的である情報収集に徹することに。つまり、部屋の外へ潜んで盗み聞きである。
「ふむ、まずは村長が替わった事情について聞かせてもらおうか」
「はい、前村長は、その……真に残念ながら、モンスターに襲われ、亡くなられました」
感度良好。屋内の会話は、俺の地獄耳に筒抜けである。ちなみに、懐にはサリエルを抱えている、コイツの身体スペックを考えれば、同じように会話を聞き取っているだろう。
「その鎧熊は非常に大きく、とにかく狂暴でして。すでに何人もの犠牲者が出ております。その中には、ニコライ司祭様と、駐留していた二人の騎士様も含まれます」
「何と、それほどまでに被害が!」
「騎士様は最初に鎧熊が現れた時、すぐに現場へ駆けつけ対処にあたり、見事に鎧熊を撃退はしたのですが……二人とも酷い傷を負われ、そのまま……」
涙ながらに鎧熊の被害を告白するランドルフの演技に、俺はひとまず安心する。
もし、ここで俺の存在をリークして騎士に助けを求めるようであれば、残念だがここで村とはオサラバだった。場合によっては、騎士もろともランドルフを殺すこともありえた。
多少なりとも顔を見知った間柄の相手を殺すことは、できれば俺としても避けたいところだ。
「ふむ、そこまで危険なモンスターであれば、我が軍からも討伐隊を出したいところだが――」
「いえ、それには及びません。鎧熊に手傷を負わせることに成功しているので、あとはウチの自警団だけでもどうにかなるかと。お手を煩わせることはいたしません」
「そうか、こちらとしてもその方が助かる」
「左様ですか。もしかして戦争の方は、その、あまり芳しくないのでしょうか?」
「詳しいことは機密がある故、話すわけにはいかないが、今はまだ、予断を許さぬ状況だとは言っておこう」
「過ぎたことをお聞きしました、申し訳ありません」
どうやら、十字軍はまだ負けたことを堂々と公表すつもりはないらしい。敗残兵が引き揚げてくるのは、まだもう少し先になるか。
「しかしそれでは、この村に新たな司祭様と騎士様を派遣するのはしばし時間がかかる、ということでしょうか?」
「鎧熊の被害について、報告はするが……残念だが、あまり期待しない方がいいだろう」
「いえ、戦時ですから、致し方ないことかと」
よし、新しい司祭も駐留する騎士もしばらく来ないとなれば、俺の立場は安定する。折角ここまで潜入に成功しているのだ。雪が融けるまで、何としても時間を稼ぎたい。
「――時に、先日この村にマシュラム様がお通りになられなかったか?
なるほど、それが本題か。
貴族のお坊ちゃんが行方不明になってるんだから、そりゃあ探しに来るだろう。
「はぁ、マシュラム様ですか? いえ、御姿をお見かけしたことなど、第203開拓村に着任された時以来ですよ」
「ふむ……隠し立てすると、村の為にはならんぞ?」
「そ、そんな、とんでもございません! 私共にそんな隠し事をする理由など、何一つありはしないでしょう」
「すまんな村長殿、脅すつもりはないのだ。ただ、詳しいことは言えぬが、こちらで伝令に少々不備があり、マシュラム様が基地を離れてしまっておいでだ」
「は、はぁ、そのような事情でしたか……」
「もし見かけたら、すぐに伝えて欲しい」
「ええ、勿論でございます」
ランドルフ一世一代の演技が功を奏したのか、それともハナから目撃情報に期待していなかったのか、騎士は割とあっさり話を打ちきった。
「突然の来訪、すまなかった。我らはこれにて失礼する」
「いえいえ、よろしければ、もう少しくつろいでいかれても――」
「任務中でな。先の村にも急ぎ向かわねばならんのだ」
そうして、あっけないほどに三人組は村を去って行った。逃げたマシュラムの足取りを追っているのか、それとも、形だけの捜索だったのかは判別がつかない。
どちらにせよ、ランドルフは見事に村に余計な疑惑を十字軍に向けさせることなく、乗り切ってくれた。
「助かりましたよ、ランドルフさん」
十字軍が去って、ほっと一息ついた俺は教会の前で声をかけた。
「いえ、助かったのはこちらの方ですよ」
それは騎士の追及が厳しくなかったからか。それとも、俺の怒りを買わないような対応に成功したことか。
「ご安心くださいクロエ様。この村はすでに、貴方とは一蓮托生なのですから」
村人に非はなくとも、マシュラムとその御一行様が全滅したのは、紛れもなくこの村だからな。何としても、隠し通しておかねばならないのだ。
とりあえず、あの様子からして上手く誤魔化せそうだが……ボロが出ないよう、気を付けるとしよう。
ちょうど昼食を終えた後に、思わぬ二組目の来訪者が現れた。
「行商人が来たぞーっ!」
「ほーん、思ったより早かったなぁ」
「ああ、年明けになるかと思ったけど、ツイてるな!」
村に表れたのは大きな荷馬車を三台伴う、十数人規模の一団であった。主な商品は食料品や日用雑貨など。村人達はここぞとばかりに集まり、それぞれ品定めを始めている。
スパーダの大都会で暮らしていた俺からすれば、さして珍しい物など見当たらない。しかしながら、俺は例によってサリエルを背負い、この新春バーゲンセールみたいな混雑ぶりの中へ飛び込んでいた。
「うーん、めぼしい物はなさそうだな」
「兄さん、最後尾の馬車で武具や魔法具を扱っているようです」
「よし、行くぞ」
よく周囲を観察すれば、先頭の一台目が食料品、真ん中の二台目が雑貨を積んでいるようで、村人、主に家の台所を預かる女性たちが特に殺到している。サリエルが示したように、最後尾の三台目は戦いに関する装備品、その他諸々を積んでいるようだ。生活に直結しないこちらは、前の二台に比べてまだ人口密度は低かった。
「やぁ、司祭様もお買いものですか? いらっしゃい」
声をかけてきたのは、小太りの商人だ。顔立ちからいって、まだ若い。もしかすれば、俺とそんなに変わらない年齢かもしれない。
「まぁ、司祭様に役に立ちそうな商品はなさそうですが、ゆっくり見ていってください」
並んでいる商品で目立つのは、剣や槍といった武器、兜や小手といった防具、あとは魔法具といっても下級のポーション類が大半であった。
確かに、十字教の司祭が欲しがりそうな物は見当たらない。
だが、俺は別に流行りのロザリオなり新品の聖書を求めているわけじゃないから、大した問題ではない。
「巻物はありますか?」
「ええ、大した種類はありませんが、幾つか……えーと、どこだったかなぁ……」
そうして荷馬車の奥をゴソゴソと商人が漁ること数分。両脇に木箱を抱えて戻ってきた。
「ウチにあるのは、これで全部ですねぇ」
ありがとう、と適当に礼を言いつつ、早速、品定め。とはいっても、実際に見るのはサリエルの方である。俺はまだ、あまり魔法具に詳しいわけじゃあないからな。
俺は箱に収まった大小さまざま色とりどりの巻物を順番に手に取り、おんぶしたサリエルへと見せていく。
「どうだ?」
「ありました。鳥の紋章が描かれたものです」
ビンゴ。この少ない品ぞろえの中でアタリがあるとはツイている。というより、どこにでも流通している普遍的な商品でもあるのだ。
「伝令鳥の召喚術ですか。なるほど、故郷のご家族にお手紙でも?」
そう、これは手紙を運ぶ鳥の使い魔を使役する巻物なのである。
「ええ、そんなところです」
「あ、でもこれは下級なんで、飛ばしてもシンクレアまでは届きませんよ。ここからなら、そうですねぇ、ギリギリでヴァージニアの港まで着くかどうかってところですよ」
「いえ、十分です」
海は越えなくていい。飛んでほしいのは、あの向こう側に見えるガラハド山脈。その途中にある、要塞まででいいのだから。
「お幾らですか?」
「下級とはいえ、巻物ですからね、多少は値が張りますよ。えーと、そうですね、コレなら――」
構うものかと、俺は商人の言い値で購入した。
行商人が来てくれたお蔭で、スパーダ帰還の準備がようやくマトモに整い始めた。
まず、俺が転移で飛ばされた時点で所持していた装備品は『蒼炎の守護』と『心神守護の白羽根』の二点のみ。
それから、リリィの小屋へ戻ったことで、冬用の白ローブは入手できている。まぁ、装備はこれにこだわる必要もないのだが、また逆に、無理して用意するほどでもない。雪の融けた山を越えるには十分な防寒着だろう。
武器については、例の十字軍部隊を殲滅したことで一気に充実した。
重騎士の槍斧が四本に、歩兵まで標準装備の長剣が二十本以上。中でもマシュラム愛用の聖銀レイピアは特に優秀だ。羽のように軽い上に抜群の切れ味、おまけに大振りのエメラルドの装飾もついていて、使ってよし、売って良しの業物である。
あとはついでに、全身鎧に鎖帷子も揃っている。
奴らは遠距離用に弓とボウガンの二種類を幾つか所持していたが、魔弾のある俺には必要ないだろう。部隊の副官らしい風魔術士の男が持っていた緑の短杖も、かなりハイグレードな一品らしいが、これも俺には使えない。
とりあえず、不要な装備品などは行商人に売り払って金にしたかったのだが、足が着く可能性が高いからそういうワケにもいかない。十字軍にバレない程度に、自警団に配備して自前で使うより他はない。
しかしながら、俺の所持金についてはあまり心配はいらない。これも部隊殲滅の恩恵として、マシュラム以下二十数名分の所持金を全て俺が回収したからだ。流石は貴族のお坊ちゃん、夜逃げ同然とはいえ、それなり以上の路銀を持っていた。
この村で生活するなら三年は遊べるだけの金額だし、必要な装備やアイテムを買い求めるにしても不足はない。そりゃあ、巻物(スクロ-ル)も言い値で買えるというものだ。
ランドルフとは司祭兼用心棒としての報酬を貰うよう契約しているが、正直、こんなものは建前みたいなもので、収入としては全く期待していない。他には、最初の報酬としてニコライ司祭の財産を全て譲り受けたが……まぁ、こんな田舎にやってくる司祭だ、スズメの涙といっていい金額である。
彼の財産で役に立っているのは、金よりもむしろ教会という住居と、そこにある生活用品全般であるが。
今回の行商人には残念ながら空間魔法のかかった鞄類はなかったので、帰還の際はニコライ司祭がここまで旅するのに使ったと思しき丈夫そうな大きな鞄とリュックを使わせてもらう予定だ。
もっとも、肝心の帰還へ旅立つ日時はまだ未定なのだが。
「……うーん、こんなんで大丈夫かな」
とりあえず、俺はメッセンジャーサーヴァントを確保したその日の晩、手紙の執筆にとりかかった。昼間の内に書きたかったが、万が一、見られたら面倒である。
手紙の送り先は勿論、ガラハド要塞のリリィとフィオナである。
『こちらは、スパーダ軍第四隊『グラディエイター』所属、冒険者『エレメントマスター』。この手紙を拾った者は、すぐにスパーダ軍かパーティメンバーへと届けて欲しい。
リリィ、フィオナ、心配をかけてすまない。俺は無事だ。今はダイダロスの昔馴染みのところに匿ってもらっているから、心配はいらない。
冬のガラハド山脈を越えるのが困難なことから、雪が融ける春になるまで帰還を待つ予定。このまま十字軍から身を潜め、機を見て必ず、スパーダへと帰る。
今は下手に動かずスパーダで待っていて欲しい。俺には完璧に姿を隠せる原初魔法があるから、十字軍に見つかるようなヘマは絶対にしないだろう。ガラハドで出迎えてくれる必要もない。
本当に心配をかけてすまなかった。シモンとウィルにも、俺が無事なことを伝えておいて欲しい。一日でも早い、再会を願っている』
文面は以上。書きたいこと、リリィとフィオナに伝えたいことは沢山あるが、これで書面はギリギリイッパイだ。
とりあえず、俺の名前と居場所だけは伏せて、あとは出来る限りこちらの状況が伝わるようにまとめたつもり。万が一、この手紙が十字軍の手に渡ったとしても、大した情報は読み取れないはず。
姿を隠せる云々のくだりが嘘だってことは、リリィとフィオナなら読めば分かる。俺が帰還に備えてガラハド要塞に待機してフォローを頼みたい、という切実な状況をきっと二人なら読み取ってくれるはずだ。
最後に、スパーダに届いても上手く二人へ渡らなかった時に備えて、宛先となる住所を記しておいた。そこは、王立スパーダ神学校の幹部候補生専用寮。第二王子ウィルハルトの部屋番号だ。最悪、ここに手紙が届けばウィルかセリアが気づいて、上手く渡してくれるだろう。
「これで問題ないと思います」
すぐ隣であんまり綺麗な字じゃない俺の手紙を見て、サリエルは本当に真面目に推敲してくれたのか疑わしいような口調で太鼓判を押す。
「お前のことは何一つ書いてないんだが……」
サリエルからすればその方が都合いいだろう、なんて皮肉はとても言えない。書かなくて一番都合がいいのは、他ならぬ俺自身だからだ。
サリエルを殺せなかった、なんてリリィとフィオナに、俺は一体どんな顔をして言えばいいんだ。ついでに、どうやってサリエルの加護を消滅させたのか、その方法も。
あの優しい二人も、今度こそ俺を軽蔑して見捨てるかもしれない。
憂鬱だが、それでも……俺が自分で選んだ行動だ。辛いが、後悔はしない。
「それじゃあ、これで送ってくれ」
「はい」
このメッセンジャーサーバントの巻物を使用するのは、サリエルに一任する。俺では使い方が分からないからだ。
とりあえず内容を読むだけで、召喚するところまではできる。だが、そこから先、目的地の設定の仕方が俺には分からないのだ。
ここで召喚される鳥は当然、ガラハド要塞に巣があるわけではない。しかし、伝書鳩のような帰巣本能を利用した仕組みではないから、巣がなくてもいいし、むしろ術者が望んだ場所へ飛ばせるという利便性がある。
基本的には出発点地と到着地に魔法陣を設置することで、確実な双方向通信を実現するという仕組みだ。
しかし、今回の場合のように術者が目的地を指定するだけで、魔法陣の誘導ナシで飛ばすことも、不確実ではあるが可能ではあるという。
具体的には召喚用魔法陣にテレパシーの術式を直接刻み込むことで、目的地のイメージを刷り込ませる、というものだが、俺にはとても無理な魔法技術である。ここは経験があるというサリエルを頼る他はないのだ。
利き腕ではない左手一本で、紙に専用の魔法陣を静かに書くサリエルを、俺はベッドに座って黙って見つめることしかできなかった。
「ちゃんと届けばいいんだが……」
その夜の内に、俺の手紙を足に括りつけた鳩によく似た白い鳥を放した。
あとはもう、無事に届けられるよう、祈るばかりである。
2015年3月19日
次回は月曜日も更新します。お楽しみに。
2015年3月22日
手紙の内容を修正しました。