第485話 剣術修行?
「ヘイ! ヘェーイ! ヘヤァーっ!!」
「とぁー、ほぁーっ」
酒場から歩いて三十秒で教会に戻ると、裏手の方からそんな珍妙な掛け声が聞こえてきた。
二人分の声はレキとウルスラだろうことはすぐに分かる。もう日も暮れて真っ暗になるというのに、二人はまだ外で遊んでいるのだろうか。
レキとウルスラは午前の授業が終わった後、午後からは村人達の仕事のお手伝いに出ている。都会と違って、田舎の農村では子供も立派な労働力。見習いシスターも、ずっと教会に引き籠りというわけにもいかないのだ。
だから、真っ当に遊ぶ時間は手伝いも終えて帰って来た今ということになるが、もう教会へと戻るべきだろう。
そんなわけで、一声かけていこうと二人のいる裏手に顔を出したのだが、
「おーい、レキ、ウルスラ……何やってるんだ?」
当初の予定とは違う疑問の声を、俺は上げていた。
「あっ、クロエ様おかえりなさーい! これは、見て分からないデスか?」
レキの手に握られているのは、その辺の木からとったと思しき棒切れとも呼べないような枝。ウルスラはさらにもう一回り小さい枝を、杖のように両手で握りしめていた。
「素振りでもしていたのか?」
「イグザクトリィーっ!」
正解、という意味だろう。
レキは弾ける笑顔で「やぁーっ!」と枝をフルスイング。剣術じゃなくて、野球の練習だったのだろうか。
「もしかして、クロエ様も剣の修行は止めろって言うデスかぁ?」
よほど胡乱な目で見ていたのだろうか、レキが疑いの眼差しを向けてくる。
「私は止めてもいいの」
「ノォーっ! 自分の身は自分で守るのデーッス! セルフディフェーン!」
どうやら、レキの方は真面目に剣術修行をしているつもりらしい。ウルスラは全くヤル気がないのか、もう手から枝をほっぽりだしてしまっていた。
「レキは強くなりたいのか?」
「イエーッス! レキは強くなって、今度こそウルを守って見せるのデス!」
そう赤い目をキラキラと輝かせて即答できる時点で、彼女は十分に強いと思えた。
襲われたのはつい一昨日だというのに、恐ろしい記憶として封じ込めるのではなく、乗り越えようと前向きに行動する姿はどこまでも力強く、清々しい。
「ダメ、ですかぁ? ニコライ様には、剣の修行なんてシスターのすることじゃないからノー! って怒られました」
「だからコッソリやってたの」
「今度はもっと、ちゃんと修行してパワーアーップ! お願いしますクロエ様、レキの修行を止めないで! ノンストップ!!」
なるほど、レキは前々から強くなりたいという向上心を持っていたと。そして一昨日の一件で、より強くなったというところか。
こんな小さな女の子が剣士の真似事、なんてのを真っ当な司祭であるニコライが止めるのも無理はない。恐らく彼は、二人には立派なシスターに育って欲しかったのだろう。
しかし、本職が狂戦士な俺としては、強くなりたいから剣を振るう、という行動を止める理由は何もない。いや、むしろ推奨するね。
「レキ、強くなりたいなら、強くなれ。好きなだけ修行に打ち込めばいい」
「リアリィ!? ほ、ホントに、イイんデスかっ!?」
「ああ、そうだ、折角だからちょっと見てやろうか?」
飛び上がらんばかりの勢いで、「ヨロシクお願いシマース!」と頭を下げるレキが、あまりに素直で可愛い、というより、眩しく映る。
「ウルスラは、まぁ、ヤル気がないなら、そこで見学してるだけでいい」
熱意溢れるレキとは対照的に、なんとも微妙な表情のウルスラは、コックリと頷いて壁際にそそくさと移動していった。
「それじゃあ、振ってみろ」
この裏手は、十数メートル先に家屋が建っているだけで、結構な空きスペースとなっている。もしかしたら、雪が融けたらここは教会の裏庭か菜園にでもなっているのかもしれないが、今はただの空き地である。剣を振るうのに何の支障もない。
レキは意気揚々と枝を両手に、素振りを開始した。
「ヘーイ!」
「ちょっと待て」
俺は一振り目にして、止めに入る。
そう、ここで俺は理解する。最初に聞こえた珍妙な声は、素振りの掛け声であったのだと。
「その掛け声は、ちょっと変じゃないか?」
「デスか?」
「ああ」
「うーん……じゃあ、何て言えばいいデスか?」
そこで、俺は回答に困った。
そういえば俺、剣を振る時っていつも何て言ってたっけ?
いや、問題なのは、そもそも俺が剣術を全く習得していないこと。真っ当な剣術だと掛け声一つとっても、合理的な発声やら何やらありそうだが、俺にはそういう理屈はない。
人に教えることができない。ここにきて、我流で戦ってきた致命的な欠点が浮き彫りとなった。
「えい! とか、やぁ! というのが普通だが……自分の出しやすい、力の入りやすい声が何か、よく考えて決めるといい」
「んー、オーライっ!」
と、レキは言っているが、俺としてはまた随分と適当な返しをしたものだと思ってしまう。俺、最近は嘘ばっかり言ってる気がする。
「え、えぇーい! やぁっ!!」
とりあえずヘーイ! から改善された掛け声を上げつつ、レキの素振りは再開された。
何度か見て、俺はすぐに気づく。
酷い太刀筋だ、と。
「レキは一度でも、剣術の稽古を受けたことはあるか?」
「ノォーン! そんなことあるワケないデス!」
「剣の修行ができる子供なんて、貴族か騎士の家くらいなの」
それもそうか。読み書き計算よりも、剣術なんてのは日常生活ではもっと役に立たない。わざわざ教えられる環境が整っているはずもない。
ならば、何の指導も受けていないレキが、そこらの子供と変わらぬチャンバラみたいな振り方になっているのも当然。
しかしながら、ここでまたしても俺の我流剣術が的確なアドバイスをすることを許さない。俺は機動実験を通して、思うが儘に武器を振るってきた。ナイフや剣をはじめ、槍、斧、ハンマーなどなど、ライトゴーレムや他の人型モンスターに実験体といった奴らが装備していた武器を奪って、随時対処してきたからな。
正しい剣の振り方、なんてものを意識したことは一度もない。それは脱走して自由の身となった後も、変わらない。
もしかすれば、俺の剣の腕前は『呪鉈「辻斬」』を手に入れて使い続ける中で、自然と呪いの意思によって洗練されていったのかもしれない。気が付けば、大体どんな武器でもそれなりに使いこなせるようになっている。
だから、本来あるべき正しい素振りの仕方など、教えられないのだ。
「……姿勢を正して、脇を開きすぎない。体は揺らさないよう、真っ直ぐ前を向いて……あとは、漠然と振るんじゃなくて、どうすればより速くなるか考えながら、振れ」
「ハイっ!」
それっぽい適当なアドバイスしか言えない自分が悔しい。今言ったことを、俺はこれまで一度たりとも意識してやったことなどない。
結局、レキの素振りは特に上達することはなかった。
まぁ、あんなアドバイス一つですぐに改善できるほど、剣術ってのは甘くないだろう。
あるいは、レキに天賦の才があれば、コッソリ素振りを続けるくらいのことでも、『一閃』を習得していてもおかしくない。一度見ただけ、見よう見まねで、武技を使えるという天才も稀にいるのだと、神学校で聞いた。
「よし、もういいぞ」
「やぁっ! あっ、はーい」
百回ほどの素振りを終えたレキは、汗一つ流れない涼しい顔だ。
「クロエ様、どうでしたっ!?」
素晴らしい、君には才能がある! みたいな解答を期待しているような眼差しで見上げてくるレキに、俺は素直に言った。素振りを見ていて気付いた、とある違和感のことを。
「レキ、もしかしてその枝、軽いんじゃないか?」
「……ホワッ? 枝は軽いデスよ?」
ちょっと貸してみろ、とばかりにレキがブンブン振るっていた枝を手にする。
試しに振ってみよう、としたところで、俺はいまだにサリエルを抱えていることに気づいた。
「ユーリ、ちょっと降ろすぞ」
「はい」
雪の地べたで悪いが、サリエルを背中からパージ。そのまま転がしておくわけにはいかないので、壁の花となって呑気に見学しているウルスラの隣に座らせておいた。
さて、それで問題の枝である。
「ふんっ」
と軽く一振り。
その重さ、そのしなり、何の変哲もない木の枝であることが分かる。
逆にいえば、特別に軽量なわけでもない。神学校で何度か木剣を使ったことがあるが、それと比べてもさして重さに違いはないように思える。つまり、練習用の棒切れとしては妥当な重量であるといえる。
そしてその重さは、とても小さな女の子が軽々と振れるものでもないはず。
「もっと重くても、振れるんじゃないか?」
「イエーッス! レキは力持ちだから、水桶だってウルよりイッパイ持てるのデス!」
どうやら、同年代の女子の中でもパワーに優れるようだ。
それにしたって、手にした得物の軽さに威力を持て余しているような感じは、ただ子供にしては力強いという域を超えているような気がした。
試しに、本物の長剣でも振らせてみたいところだが、流石にいきなり真剣は危ない気がするから……そうだな、斧かツルハシとかがいいだろう。
「ちょっと待ってろ」
教会の裏口から入ってすぐに、倉庫スペースがある。勿論、これも小さい場所だが、ここにスコップやら何やらがまとめて収められている。農家の必需品的な物は大抵、ここにも揃えられていた。
目当ての道具はすぐに見つかった。俺は一本の斧を手に、すぐに戻った。
「これを振ってみろ」
「えーっ、いいんデスかぁ?」
この反応は、きっとニコライが子供には危ないから絶対にこのテの道具には触らせなかったからだろう。保護者としては正しい判断。本当に前の司祭は人格者だったことが窺える。
「気をつけて扱え。重かったら、無理に振ろうとするな」
「大丈夫デーッス! これくらいでちょうどイイ、デスよ?」
強がりじゃないことを示すように、レキは軽々と斧を担いでみせた。
「よし、じゃあ振ってみろ。勢いで自分の足を切らないように、注意するんだ」
「ハイ!」
そして、レキは斧を振り上げる。
うん、この時点で、随分と様になっているように思える。やはり、レキにあの枝は軽すぎたのだ。
「やぁあーっ!!」
繰り出された一撃は、中々に力強かった。
斧の重さに振り回されることもなく、レキは見事に振り下ろした刃を地面へ叩き付ける寸前でピタリと止めている。
「凄い力だ、レキ」
やはり、子供の腕力を越えているとしか思えない。
「えぇ、そ、そーですかぁ? エヘヘー」
と、ちょっと恥ずかしそうにはにかむレキは何とも可愛らしいが、彼女の体に一体どれほどのパワーが秘められているのか、俺は気になった。
流石に、あのエリオほどのスーパーパワーではなさそうだが、もしかしたら、かなり恵まれた身体能力を誇っているのかもしれない。だとすれば、本当にレキは剣士か戦士として強くなる才能を秘めている。
「これは、素振りの前に体力測定が必要だな」
すっかり日が暮れて村が闇夜に包まれた頃、レキの体力測定は終わった。
走力、跳躍力、投力、筋持久力、この場でできる限りを試した。
まず、走力は村の中で最も走りやすい教会の前を通るメインストリートで、目測50メートル走で計った。勿論、ストップウォッチなどないので、時間は俺の体内時計である。だが、それほど誤差があるわけじゃないだろう。
次に跳躍力。これは走り幅跳びと垂直跳び。
投力は、その辺で石ころの一つでも雪の下から発掘すればすぐできた。
微妙に困ったのが、筋持久力を測る懸垂である。都合よく鉄棒なんてあるはずない。仕方なく、掴まるのにほどよい梁を教会の中から見繕ってレキをぶら下げた。
だが苦労の甲斐もあって、レキはこの懸垂で恐るべき能力を発揮した。
「レキはやっぱり、パワーに優れるようだな」
レキの懸垂回数は、計測不能であった。途中で数えるのをやめた。いつまでも続けていられるとばかりに、あまりに余裕だったからだ。
本人の体重が軽い、というのもあるだろうが、これはとんでもないことだろう。ちなみに、俺も飽きるまで延々と懸垂くらい続けることはできる。回数で計るなら、数百キロ単位で重りが必要だ。
俺のスペックはさて置いて、レキは全体的に身体能力が高いということが改めて判明した。走れば速いし、飛べば結構なジャンプ力。石を投げれば見えないほど遠くまで飛んで行く。子供としては凄まじいが、まだ人間の範疇には収まるくらい。
それでも、懸垂で判明したレキのスタミナは驚異的。なぜなら、彼女はあの斧をずっと同じパワーとスピードで振るい続けることができる、つまり、長時間の戦闘に耐えられるということだ。
この点に関してだけは、そこらの大人でも勝てないだろう。
「うぅー、でもちょっと疲れたデーッス」
はふぅ、と可愛く白い息を吐きながら、レキは冷たさをものともせずに雪の原に寝転ぶ。俺達は再び、教会の裏手へ戻ってきた。
「良かったな、レキ。これだけの能力があれば、間違いなく強くなれるぞ」
「本当にホント、デスか? お世辞はノン、デスよっ!」
「疑うなら今度、他の子どもとさっきやったことを競ってみろ。絶対にレキが一番だ」
逆に、こんな能力の子供がゴロゴロいたら、スパーダは負けていただろう。
俺がうすら寒い想像を抱く反面、レキはどこまでも嬉しそうにニヤニヤと顔を緩ませていた。何て言うか、純粋だ。リリィみたいだ。
「じゃあじゃあ、武技、教えてよクロエ様!」
「えっ」
またしても返答に困る、我流クロノ。ヤバい、俺ってば本当に、ロクに教えられることが何一つないぞ。戦闘能力は俺が最も誇るべき点のはずなのに、師匠としてはまるで無能。
武技を教えるのは、逆立ちしても無理だ。
ああ、ちくしょう……こんなことなら『黒凪』が素で使えるからといって、オーク先生の武技授業を最後まで受けておくんだった……後悔しても、もう遅い。
どっちにしろ、俺に教えられることはほとんどないということを、レキには言わなければいけないだろう。どうせすぐにバレる。
ならば、言うなら今しかない。
「すまないレキ、実は俺……我流だから、とても人に教えられるような技がないんだ」
「えっ、えぇーっ!? だってクロエ様、すっごく強いのに? あの悪い兵士を、みーんな一人でやっつけたって、レキ知ってるデス!」
「確かに、それはその通りだが、俺の使う技はちょっと特別で、俺以外が使うならどうすればいいのか、全く見当がつかないんだ」
「そ、そんなぁ……」
笑顔が一転、今にも泣きそうに表情を曇らせるレキに、俺も泣いてしまいそうだ。
「期待させてしまって、すまなかった。俺にできることといえば精々、模擬戦をしてやれるくらいだ」
「模擬戦って、戦ってくれるんデスか!?」
「そりゃあまぁ、実戦形式で相手することなら、いくらでもできるぞ。勿論、手加減もしてやれる」
「やりたい! レキ、やってみたいデス! レッツプレーイ!」
物凄い喰いつきである。もしかして、ただ素振りしかしない練習内容にレキはすっかり飽きていたのかも。まぁ、楽しいもんでもないしな、こういう反復練習は。まして、ちゃんと身になっているかどうか実感できないと、尚更。
その点、実際に相手と打ち合える模擬戦は、動きも変化もあって楽しいだろう。
「今日はもう暗いから、明日にしないか?」
「ちょっとだけ! まだゴハン、できてないから大丈夫デス!」
俺がすっかりその気になってレキの能力を図ることにしたから、ウルスラとサリエルは先に教会へと戻らせている。ウルスラには悪いが、一人で夕飯の準備をしてもらっていた。
「こんなに暗いと、見えないんじゃないか?」
「レキは暗くても見えますよ?」
なんと、夜目まで利くとは驚きだ。本当にレキは優れたスペックを持っている。実は狼獣人なんじゃないかと、その犬耳っぽいヘアスタイルを見て思う。
「分かった、それじゃあ、少しだけな」
「イエーッス!」
小さなランプ一つだけがぼんやりと裏手の一角を照らす中で、俺はレキと向かい合う。
俺が手にするのは最初にレキが使っていた枝。長さは普通のロングソードよりもやや短いか、といったくらい。練習で使うには十分な得物。
対するレキが持っているのは、俺が倉庫から引っ張り出してきた斧である。相手が俺じゃなければ、絶対に使ってはいけない凶器だが、今は他にちょうどいいものがないから仕方ない。一応、最低限の安全に配慮して、刃の部分には布を巻いてある。
「かかって来い」
「行くデス! ファイアーっ!!」
そうして始まった模擬戦だが、当然のことながら、レキはパワーがあっても技術は皆無。俺は子供とチャンバラ遊びでもするような気持ちで、適度にあしらう。
当たれば痛いじゃすまない斧の振りおろしは回避し、勢いに任せて振り回される攻撃をたまに枝で受け流し、特に致命的といえる隙を晒した時は、そっと優しくレキの体に枝を当てた。
「ゴハン、できたよー」
程なくして、ウルスラが呼びに来た。
「もうちょっと! もうちょっとだけ!!」
「今日は終わりにしよう。明日、また相手してやるから」
「むぅー、次こそ当てマス!」
レキはすっかり、模擬戦に夢中になってしまったようだ。よほど楽しかったとみえる。
まぁ、子供は全力で動いて遊ぶのが一番だからな。果たして、これが本当に修行として効果があるのかどうかは不明だが……こんなに喜んでくれるなら、俺としても悪い気はしない。
とりあえず、明日にでも木剣がないか探してみよう。