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黒の魔王  作者: 菱影代理
第25章:偽りの日々
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第484話 拳闘試合

 教会の隣に立つ割と大きな二階建ての建物は、酒場である。この第202開拓村唯一の娯楽施設だ。村を襲った十軍兵士が葡萄酒の樽を持ち出してきたのもここ。

 中の造りとしては、イルズ村冒険者ギルドの一階と似たようなものだった。簡素な木造の広間に円卓が幾つか並んでいるだけ。飾りといえば、壁にかけられたモンスターの角や毛皮といったワイルドな品ばかり。お世辞にも上品な店とはいえないが、酒を飲んで大騒ぎするには十分すぎる場所だ。

 真冬でありながらも、詰めかけた客の熱気でむせ返るような厚さを感じる。

 さて、そんな酒場のど真ん中で、俺は今、上半身裸になって突っ立っている。何かの罰ゲームでもなければ、ストリップを披露しているわけでもない。

「ヒュー、鋼のような筋肉だぜぇ!」

「それで司祭なんて嘘だろー」

「凄い体、ちょっと私、好みかも!」

 すでにアルコールの入った男達に、酒場の給仕娘からも割と好評な声が飛んでくるが、断じて、ストリップではない。

「いい覚悟だぜ司祭サマよ、腕っぷしには自信があるってかぁ?」

 俺のすぐ前に立っているのは、同じく上半身裸で、これもまた見事な筋肉を披露しているライアン。

 武器は持たず、己が肉体一つでもって男と対峙するという構図は、正しく『決闘』というより他はない。そう、予想に違わず、俺がライアンから持ちかけられた用事というのは、この一対一での決闘であった。

 もっとも、一応の建前としては実力を図るための試合、ということにしているが。

「ええ、悪事を働く十字軍兵士に天罰を下せる程度には」

「へへっ、上等だぜぇ――おい、グラブをつけろ!」

 鋭いライアンの呼びかけに、傍に控えていた男がすぐに反応する。

 俺は黙って両手を前に突き出すと、妙に慣れた手つきで男がボロボロの布きれで包まれた大振りのグローブを素早く装着させてくる。対面では、ライアンも同じくボロいグローブを仲間の手で嵌めていた。

 まるでボクシングみたいだな。

「エリシオン流ってやつだぜ。ルール説明は必要かい?」

「何となく想像はつきますが、お願いします」

 グローブの装着を完了したライアンは、仲間の男を押しのけるように一歩を踏み出し、真っ直ぐ俺へと近づく。

 繰り出されるのはアッパー、の形だけで、ゆっくりとノックでもするように、グローブに包まれた手の甲が俺の胸板をトントンと軽く叩いた。

「使える武器エモノコイツだけ。蹴りも投げも、ついでに神様の奇跡で起こす魔法も禁止だ」

「優しいルールで安心しました」

「おうよ、顔面に喰らっても鼻と前歯が折れるだけだ、安心してぶち込まれてくれ」

 素晴らしいね、命のやり取りがない試合というものは。

 いきなり真剣を抜かないだけ、ライアンはマトモな精神を持っているだろう。

「けど、眼鏡ソイツは外しておいた方がいいぜ」

「ご心配には及びません」

 俺の回答に、ライアンは浮かべていた自信気な笑みを消して、顔を寄せてきた。

「どんな目の色を隠してやがる、テメぇ? 俺は知ってるぜ、ソイツはオジキの色眼鏡だろ」

『カラーリングアイズ』を知っているようだ。そういえば、ランドルフからこれをもらった直後に、ライアンが殴り込んできたのだった。

 この際、種は知れていても、色を見られていなければいいだろう。ランドルフがバラしていなければ、という前提であるが。

「へっ、まぁ精々、頑張って隠してな。どうせこの後、すぐぶっ飛ぶことになるんだからよ」

 それだけ言い残して、ライアンは再び元のポジションへと戻って行った。

 顔面パンチしたら眼鏡は吹っ飛ばずに割れるだけだろう。レンズが割れれば、効果も失うだろうから、結果的には同じか。

 何にしろ、俺はパンチをくらってやるつもりもなければ、負ける気もないのだが。

 ここでライアンに演技だとしてもあっさり負ければ、用心棒としての意義は失われる。村人での挨拶において堂々と紹介こそしなかったが、ランドルフは村の主な面々には話を通しているのだ。そうでもなければ、いくら司祭を名乗っていようが、俺という危険人物を受け入れる余地はない。

 しかしながら、あまりにワンサイドゲーム、開始直後にパイルバンカーの一発でライアンを気絶させたら、それはそれで遺恨になりそうでもある。うーん、この場合、どういう勝ち方がベストなのだろうか。

「……」

 チラリと振り返った先にいるのは、俺が脱いだ法衣を抱えて椅子に座っているサリエルだ。もしかしたら、何かアドバイスをくれるかもと淡い期待を籠めて見つめてみたのだが、

「……頑張ってください、兄さん」

 妹は完全に観戦モードになっていた。ちくしょう、さてはコイツ、この状況について何も考えてないな。

 そうして、特に画期的なアイデアも思い浮かばないまま、決闘、もとい試合は始まるのだった。

「ええー、それではぁー、本日のメーンエベントを開催しまぁーっす!」

 と、司会者兼審判として酒場中に響く大声で、一人の男がテンション高めで宣言する。ライアンのグローブをつけていた仲間の奴だ。

 そういえばコイツは昨日、部屋からライアンを引きずり出していった二人組みの内の片方のような気がする。ちょっと馬面な青年は、その金髪と赤い目から、今ならレキと同じバルバドス人だということが判断できる。

 もう一人の方は肌が黒かったから、イヴラーム人だろう。ソイツは俺のグローブをつけてくれた方だ。

 改めて酒場を見渡すと、他にも同じ特徴を持つ人々が並んでいるのがよく分かる。それと分かっていれば、一目瞭然だな。

「東コーナー! エリシオンの極悪ギャング共を叩き潰した最強の拳士にして、我が村の自警団長、ライァァアアアーン!!」

 うおおお! と湧き上がる様子からライアンはとりあえず村における人気のほどが窺える。だが、それよりも気になるには、お前が自警団長だったのかという点だ。

「そしてっ、チャンピオンに対するは西コーナー! 村を襲った不埒な野郎に天罰下し、さらにはあの鎧熊を仕留めたという謎の眼鏡! クロエ司祭だぁーっ!!」

 すみません、鎧熊をやったのは妹の方です。

 訂正できるはずもないし、信じてもらえるわけもない。だからまぁ、俺の手柄ということにしておいた。あと、眼鏡呼ばわりはやめろ。

「おぉー、司祭様頑張れー」

「十字軍をぶっ潰した腕前を見せてくれよー」

「ユーリちゃんを紹介してくれぇー!!」

 とりあえず、ブーイングが飛んでこないことに一安心ではある。雰囲気的に、親衛隊の時みたいに殺気立ってはない。明確に敵意を燃やしているのはライアン一人で、他は滅多に見られない娯楽イベントとして楽しんでいるような感じがする。

 やはり、ここは観客を冷めさせないよう、下手な試合はできないな。

 あと、サリエルが気になるなら、各自好きにアタックでもなんでもしてくれ。あまりの無反応に心を折られたら、その時は司祭として慰めてやることもやぶさかではない。

「時間無制限! 勝敗は公平に、気絶ダウン降参サレンダーのみ! それではぁ、レディー、ファイっ!!」

 ゴング代わりの合図が、高らかに響き渡った。

「しゃぁーっ!」

 先手必勝とばかりに、ライアンは勢い込んでかかってきた。

 重騎士になっていてもおかしくない図体だが、踏込みは軽やかで素早い。野太い腕から繰り出されるストレートパンチも相当の威力が乗っていることが窺える。

 だがしかし、それはあくまで普通の人間の範疇だ。

「――チイッ!」

 ギリギリのところで避けられた、とライアンは思っているのだろうか。俺としては悠々と体を反らして、先制パンチを凌いでいた。

「ラァっ!」

 大きく空振りとなった右ストレートだったが、それを戻さず、伸ばした腕のまま裏拳をかますような薙ぎ払いが飛んでくる。

 一歩だけ下がり、やや上半身を逸らせば、轟々とうなりを上げて通過していくライアンの拳を観察できた。

「オラっ! オラオラオラぁ!!」

 それからは、気合いの入った叫びと共にライアンの猛ラッシュが始まった。

 いまだにどう倒すかという答えの出ない俺は、とりあえず時間稼ぎに回避を続ける。右に左にワンステップ、スウェーバック。この酒場リングはそれほど広くないから、観客が立っているところまで動くわけにはいかない。際どいところは、適当に弾くかガードをして防ぐに留めておいた。

「ライアン攻める、攻める! 怒涛の攻めだぁ! クロエ司祭、ライアンのスーパーラッシュを巧みなフットワークで凌いでいるが、反撃の手がでません!」

 傍から見ていると、そういう風に見えるのか。

 となると、ここで一発逆転的にパンチ一発KOしても、マグレ当たり、みたいに思われそうだ。

 できれば、ライアンを圧倒する技量、村の自警団長でもまる及ばない実力をクロエ司祭は持っている、とギャラリー全員に思わせたい。ここから適当に反撃して殴り合いを演じるのも手だが……いや、ここまでハッキリとライアンのパンチ全てを見切られる実力差ならば、もう少し、やれるところまでやってみよう。

 どう勝つか。その方針がようやく、俺の中で固まった。

「オラぁ! どうした司祭サマよ、ピョンピョンとウサギちゃんみてぇに逃げ回っているだけじゃあ、この俺は倒せねぇぜ!!」

 一歩引いて距離を置き、呼吸を整えたライアンはそんな挑発を叫んでから、再び猛然と殴りかかってきた――ところを、止める。

「っ!?」

 大きく振りかぶり、今まさに大砲のようなパンチが繰り出されようとしていた右拳に、俺の左拳が当たる。より正確にいうなら、当てたのではなく、添えた。そっと、優しく、ゆっくりと。

「なっ、クソっ!?」

 発射体勢完了のところへ、突如として割り込んだ障害物のせいで不発にせざるをえない。ライアンは不自然に体勢を崩しながら、振り上げた右手を引っ込めた。

「このっ――っ!?」

 体を捻るような体勢のまま、今度は左拳を抉り込むように放とうとしたところに、俺は右手を置く。

 これも、素早い動きは必要ない。ここまで相手の動きが分かる、見切っているのなら、先を見て攻撃動作を妨害するのは、それほど難しいことではない。

「な、なんだぁ!? 一体、何が起こっているんだ! ライアンのパンチがことごとく、打たれる前に封じられているぅううううっ!?」

 熱い解説を、どうもありがとう。

 二度、三度、さらに続けてライアンの攻撃を制し続けていると、こうして素人目にもマグレではなく、俺が狙ってやっているのだと理解できる。

「はぁ、はぁっ! ち、チクショウっ!」

 何度目かのパンチを、俺は寸分の狂いもなく、柔らかいグローブを差し出して止める。

「どぉーなっているんだぁ! これぞ正しく神の奇跡!? いいやっ、これは紛れもなく、ルール違反の魔法なんかじゃない! 純然たる、クロエ司祭の実力だぁ!!」

 おおぉー、とどよめく観客の反応がちょっと心地よい。なるほど、こういうのをスパーダの大闘技場グランドコロシアムの規模でやれば、凄い気持ちよさそうだ。

 呪物剣闘大会カースカーニバルの時は、勝つために必死でそんな余裕は微塵もなかったが。

 とりあえず、盛り上がり的にはもう十分だろう。ここで、勝負を決めよう。

「そろそろ、私も攻撃してもいいでしょうか」

「なっ、んだとぉ……」

「逃げるだけでも、防ぐだけでも、相手は倒せませんからね」

 そんなことを言いながら、俺はゆっくりと右拳を掲げた。誰の目にも分かりやすい、ストレートパンチを放つ体勢。

 勿論、魔力は籠めていない。パイルバンカーを使ったら、いくらなんでも人間のライアンは死ぬ。ヴァルカンは死ななかったけど。

「ガード、してくださいね。死ぬかもしれないので」

「ふ、ふざけやがってぇ……」

 ライアンは前半のラッシュと、後半の封じ込めによって、顔も体も汗で塗れた暑苦しい状態だ。滝のような汗を流して荒い息を吐きながら、俺を睨みつける姿は、対峙していて中々に迫力を感じられる。

 だがしかし、普通の人間と改造人間、如何ともし難い実力差が開いている。そのあまりに大きすぎる差を、何となくでも感じているのか、ライアンは自然と己が身を守るように腕を上げていた。

 そして、彼の後ろに立つ位置にいる観客たちも、それとなく左右へ避け始めていた。いつ、ライアンの体が吹っ飛んできても良いように。

 誰も彼も、察しが良くて助かる。

 これでようやく、攻撃できる。

「では、行きますよ」

 ダン、ドッ、バァン! と、三つの音が重なるように連続的に響いた。

 ダン、というのは俺が踏み込んだ音。まだ新しい木張りの床を踏み抜かんばかりの勢い。

 次のドっ、という鈍い打撃音は、俺の右ストレートがライアンに直撃したことを示してくれる。狙ったのは顔でも腹でもなく、胸元。両腕のガードによって最も守りが固くなっているポイントをきちんと見切ってから、俺はそこへパンチをぶち込んだのだ。

 そして最後、一際に大きく鳴り響いたバァン! という轟音は勿論、ライアンが勢いに負けてぶっ飛び、壁に背中から激突した結果である。

 その上背と筋肉量から見て、体重百キロあってもおかしくないヘビー級のライアンであるが、二百キロオーバーの豚獣人ブーマキメラも軽く蹴飛ばせる俺からすれば、その程度の重量などさして問題にはならない。

 そうして、彼の逞しい肉体はパンチを受けた、というよりトラックに轢かれたのに近い勢いで吹っ飛ばされたのだ。そこに壁がなければ、どれほどの飛距離となったかは分からない。

 ライアンは真正面から受けた超重量のパンチ力と、直後に背中を強く打ちつけた衝撃によって、完全に意識を失ったようだ。壁に叩き付けられ磔にされたような格好となったライアンは、次の瞬間には足の力が抜けきったようにフっと体勢を崩し、そのままバッタリとうつ伏せに倒れ込んだ。

 10カウント以内で起き上がることは、まずないだろう。

 これで、俺の勝ち――だがしかし、この華麗な勝利を祝う歓声が響くことはなかった。

「……」

 沈黙、である。チラリと左右を見れば、一様に唖然とした表情を浮かべる村人達の顔、顔、顔……どうやら、俺は加減を誤ったらしい。ドン引きだよ。

 ち、ちくしょう、こんなことなら、実力を低く見られてもいいから、もっと普通に打ち合いをすれば良かった。なんて後悔しても、もう遅い。

 この凍りついた空間の中で動くものと言えば、倒れたライアンを介抱するように走り寄ってきた三つ編み眼鏡の給仕娘の一人だけ。ぐったりと床に倒れ伏す大柄なライアンを前に、当然ながら小柄な眼鏡っ子一人ではマトモに起き上がらせることさえままならない。

 うーん、ここで俺が「大丈夫ですか」と助けに入ったところで白々しい。だが、助けてやってくれ、くらいのことは俺が言った方がいいだろう。

「誰か、ライアンを運んで――」

 と言いかけたその瞬間、けたたましい音を上げて酒場の扉が蹴破られた。

「うおっ!? なんだっ!」

「げえっ、ランドルフさんじゃねーか!?」

 尻を蹴飛ばされたような驚きの声をあげる男達。彼らの言う通り、登場したのはランドルフ村長であった。

 よほど焦って飛んできたのだろう。額からは汗を流し、ぜぇぜぇと荒い息を漏らしている。ついでに、薄い髪の毛もバサバサと頭の上で飛び跳ねていた。

「な、何ということを……」

 血走ったような目をギョロリとさせて周囲を一瞥するランドルフ。その姿は定年直前にリストラされた冴えないサラリーマンという風でありながらも、妙な凄味を感じさせた。

 そして、ランドルフは駆け出すや、立ち並ぶ観客たちをかき分けて、一気に俺の前まで躍り出た。

「も、申し訳ありませんでしたクロエ司祭様!!」

 と、甲子園球児がヘッドスライディングするような勢いでもって、俺の前で土下座を始めた。

「とんだご無礼をいたしました!」

「……少し、落ち着いてくださいランドルフさん」

 敬語口調の司祭演技で反応できた自分を、ちょっと褒めてやりたい。思わず素が出るところだった。

「いえ、とても許されることではございません。まさか、司祭様に喧嘩をふっかけるなどと……ライアンがここまで大馬鹿をやるなどとは思いませんでしたが……止められなかったのは、私の不徳と致すところ」

 なるほど、ランドルフがこんな剣幕でスライディング土下座をかます理由はそれか。

 きっとライアンが司祭にイチャモンつけて喧嘩を始めた、なんてことを聞いたのだろう。酒場で堂々とやっていれば、バレないわけもない。

 そしてランドルフは、そんな情報を笑って聞き流せるはずがない。俺の危険性を誰よりも理解しているのは、恐らく彼である。

 一方、ライアンはそれほど恐れてはいない。俺が十字軍兵士をどのように殺戮したか、直接見てはいないからだ。両者の間に、俺への危険性の認識に大きな乖離があるのは、当然かもしれない。

 だからこそ、ライアンは平気で俺に決闘の真似事を持ちかけることができたし、ランドルフは俺の怒りを買うことに戦々恐々としているのだ。

「頭を上げてください」

「……真に申し訳ありませんでした。今すぐ、ライアンには落とし前をつけさせますので」

 すっくと立ち上がったランドルフは、ちょっとフラついた足取りで倒れたライアンのもとへと歩み寄る。その間、客が手にしていた安い麦酒エールの満ちたジョッキを引っ手繰って。

「起きなさい、ライアン」

 ジョッキを逆さにして、叩き付けるように中身の酒をライアンの頭にぶちまける。

「うっ、うぅ……」

 それが気付けとなったのか、重苦しいうめきをあげながらも、ライアンは意識を取り戻し、ぼんやりとした顔を上げた。

「あ、なんだぁ……オジキ?」

「起きたか、ライアン。寝覚めはどうだ?」

「……悪くねぇ」

「そうか。それで、最後に何か、言い残すことはないか?」

 いきなり、不穏な台詞が飛び出たぞ、と思ったその瞬間、ランドルフは懐から一振りのナイフを抜き放っていた。

「なっ、オジキっ!? そいつは――」

「ライアン、お前は喧嘩を売る相手を間違えたんだ。どうしようもなく、致命的にな」

「お、俺は……」

「落とし前をつけるには、これしかない。分かるな?」

「オジキ……すまねぇ……」

 そうして、ライアンは全てを悟ったような顔で目を閉じ、ランドルフは流れるような自然な動作で、ナイフを振り上げた。

 え、おい、嘘だろ、そんなまさか――

「待てっ!!」

 ギリギリだった。

 ランドルフは、本当にナイフを振り下ろしていた。ライアンは抵抗しなかった。己の首に、刃が迫ったにもかかわらず。

 だから、俺が止めた。俺にしか、止められなかった。

「司祭様っ!? 何故止めるのです!」

「いくらなんでも、それはやりすぎです」

 グローブをはめたままの手で、どうにかランドルフの手首を押さえて受け止める。あと一秒でも止めに入るのが遅ければ、鋭い切先は首にザックリいってただろう。

「しかし――」

「落ち着いてください。これは……そう、私が望んだことなのです」

「……どういう、ことでしょうか」

「私がライアンに頼んで、この酒場へ連れてきてもらいました。一日でも早く、この村に馴染もうと思いまして。後は、酒の勢いと場の雰囲気で、こういう流れになってしまいまして……私もライアンも、腕っぷしには自信のある男ですから。とても有意義で、楽しい試合ができました。彼には感謝こそすれ、恨む理由は一つもありません」

 よくもここまで嘘八百を並べられるものだ。ちょっとでもこの場に居る村人に聴取すれば一発でバレるだろうが、それでも、俺自身が怒っていない、引いては、村に危害を加える意思は一切ないことをランドルフに伝えるには、これが一番だろう。

「そう、ですか……そういうことでしたら」

「ええ、そういうことですから、この事は気にしないでいただきたい」

 とりあえず、この場ですぐに嘘がバレる前に、俺はさっさと退場した方がよさそうである。

「申し訳ありません、楽しい場が少し白けてしまったようですね。私はこれでお暇させていただきます。レキとウルスラも待っていますしね」

 適当なことを言いながら、俺はサリエルから法衣を受けとり、頭からすっぽりと被って速やかに着替えを済ませる。いくらなんでも、上半身裸のまま外に出たら、俺が焦っているのがバレバレである。

 落ち着いて、穏便に、この場を脱するのが最優先。

「皆さんは、この後もどうぞ楽しくお過ごしください」

 そそくさとサリエルを小脇に抱えて、俺は出口に向かって歩き始める。

 途中、のっそりと起き上がったライアンが、何か言いたげな表情で俺を見つめていたが、結局、一言も声を発することはなかった。

「それでは、失礼させていただきます」

 そうして、俺は酒場を後にした。

「……まさか、あんな騒ぎになるとはな。シンクレア人ってのは皆、ああなのか?」

 問い掛けは勿論、ランドルフが躊躇なくライアンを殺そうとしたことである。あんなんで人を殺していたら、あっという間に絶滅するぞ。

「ランドルフの言動は一般的な反応とかけ離れている。最も彼と近い行動原理が見られるのは――ギャング」

 どうやら、あの人は結構ヤバい過去を持っていそうである。ランドルフを見る目が変わっちゃう。

「とりあえず、もっと注意して行動した方がよさそうだな」

「同意する」

 深く反省しながら、俺は酒場とすぐ隣にたつ教会へ帰るのだった。

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