第482話 偽司祭
「改めまして、ご挨拶させていただきます。私の名はクロエ。この度、第202開拓村の司祭を務めることとなりました。正式にニコライ司祭の後任が派遣されるまでの臨時となりますが、精一杯、聖務を遂行することを誓いましょう。それでは皆様方、どうぞよろしくお願いいたします」
教会へと集まった大勢の村人達を前に、俺とサリエルの紹介が大々的に始まった。
そう、俺は本当に司祭の身分を偽って村に潜伏することとなったのだ。数多の十字軍兵士を殺し、第七使徒サリエルを犯し、魔王の加護を持つ、この俺が、である。
だが、なってしまったものはしょうがない。実際、他に良いアイデアなどなかったのだから。
司祭、と名乗ったように、今の俺は純白の法衣に身を包んでいる。襲撃で死んだニコライ司祭は老齢であるが大柄な人物であったらしく、幸いにも俺が着てもピッタリのサイズであった。
そんな装いに『カラーリングアイズ』という目の色を誤魔化す眼鏡をかけているから、普段よりも知的に見える……見えたらいいな。どうか、インテリヤクザと呼ばれませんように。
それにしても、落ち着かない。これなら全身を呪いの装備で固めた方が、まだリラックスできるというもの。だが、この十字教を象徴する白い衣装に、これからは慣れなければいけない。
俺はそんな心地悪さを押し隠しながら、直前に必死で考えたそれらしい挨拶の言葉を淀みなく言い切る。緊張で硬い表情になっているのが自分でもわかる。和やかなスマイルを浮かべろというのは無理な話だし、俺の顔の造形からしても物理的に不可能であった。
さて、村人たちの反応は――
「おお、あの方は司祭様だったのか……」
「それじゃあ、十字軍の狼藉に神の裁きを与えてくださったということか!?」
「クロエ様、ありがとうございます!」
「よろしくお願いいたします、クロエ様!」
神様のネームバリュー炸裂である。俺の十字軍兵士殺戮ショーは見事に正当化され、村人たちに安心と納得を与えてくれたようだ。
もっとも、前もってランドルフが根回しをした部分もあるだろうが。
「こちらは、私の妹になります」
「ユーリと申します。修道女として、兄と共に尽くします」
「ご覧のとおり、ユーリは手足を失った不自由な体ですが……神への信仰に変わりはありません。必ずやシスターとしての職責を全うするでしょう」
心にもない神への信仰を適度にアピール。そんなもんでも、サリエルの美貌とこの痛ましい姿があれば、感動的な雰囲気が漂うのだから、チョロいもんである。
「早速ですが、これより今回の襲撃によって犠牲となった方々の葬儀を執り行いたいと思います。ランドルフ村長、よろしいですか?」
「はい、すでに火葬の準備も整ってあります」
この辺は最初から打ち合わせ通り。
俺の司祭としての紹介と、その説得力を増すために、早々に初仕事へ取り掛かろうというのだ。
もっとも俺が関わらずとも、殺された村人の葬儀、ついでに殲滅した十字軍兵士の遺体を埋葬する必要はあった。死体は早く処分しなければ、アンデッドモンスターや疫病が発生する原因となるからだ。
そうして、俺達は村はずれに急遽設営された墓地へと移動した。
墓地といっても、目の前に妖精の森が広がる、何もない雪原だが。そのど真ん中に、布をかけられた数々の遺体が並び、周囲に火葬するための薪や、墓標の代わりとなる木組みの十字が用意されていた。
悲しみに暮れる村人達が大勢集う真新しいこの墓地で、俺こと司祭クロエの初仕事は始まった。
「天にまします、我らが神よ――」
歴史上、これほど心の籠らない祈りの言葉を、神は聞いたことはないだろう。
この憎き十字軍の奴らがこぞって口にする、神への祈り。俺に殺される直前に、多くの者が叫ぶ、救いの言葉。
俺は今、自分にとって最も無縁な台詞を、口にしていた。
「――神のご加護があらんことを!」
しかし、この晴れ渡った冬の空から、白き神が怒り心頭で俺の脳天に雷を落とすことはなかった。
何も起こらない。所詮、こんなものはただの言葉だ。
「う、うぅ……神のご加護が……」
「ご加護が、あらんことをっ!!」
しかし、シンクレア人にとっては、この何ら魔法的な効果は勿論、奇跡を起こすこともない単なる言葉に、確かな意味を見出す。これを口にする、意義がある。
そう、家族が死んだとき。恋人、友人、知人、隣人……親しい人と、永遠の別れをせねばならぬ時、この祈りの言葉の他に、相応しい台詞はないのだ。
彼らは涙ながらに、神への祈りを紡いでいた。
「……」
大きく吐き出しそうな溜息を、どうにかこうにか飲みこむ。
落ち着け、ここは黙って、仕事というか、演技に集中しよう。
実際の段取りはランドルフ村長が取り仕切っており、俺はこうして如何にもそれらしく祈りをあげているように、手にした聖書をそのまま朗読するだけの簡単なお仕事である。
「……レビエルの福音、五章、四節。一ページと十二行目まで」
「人々は悲しむ。しかし、神の愛により必ず慰められるだろう――」
おまけに、背負ったサリエルが俺にだけ聞こえるよう、耳元で読むべき箇所をピンポイントで教えてくれる。完璧なサポート態勢。
俺はそこに書かれている意味など全くチンプンカンプンでありがらも、精一杯、厳かに異世界アルファベッドの羅列を読み上げていく。
目の前には死者のご家族がすすり泣き、他の者も一様に悲しみの表情を浮かべている。果たして、俺の聖書朗読など聞いているのかどうか不明だが、それでも十字教の葬儀には必要なBGMみたいなものだと思って、サリエルが指示するままに俺は読み進める。
それでも、葬儀は滞りなく進行していった。
「清らかなる魂は必ずや、天上の楽園へ導かれ、神の身元へ至るであろう――」
そんな台詞を締めとして、集められた村人数人、そして、俺が手ずから惨殺した総勢二十七名の十字軍兵士の死体へ火がかけられる。
十字教では土葬が理想的であるらしいが、教会が責任を持って墓地のアフターケアをしてくれない限り、死体は常にアンデッド化の危険性が付きまとう。故に、こういった場所では火葬が選ばれる。別に十字教の教義としても火葬を禁じているわけではないので、執り行うのに問題はない。
「聖歌、斉唱」
轟々と勢いよく燃え上がる炎を背景に、聖歌を歌うのが習わしであるらしい。流石に歌なんかは即興で歌えるはずもないから、ここはサリエルを矢面に立たせることにする。
腹話術の人形のようにサリエルを抱きかかえる体勢へ移行し、伴奏のないアカペラの聖歌は始まる。
サリエルの口から紡がれる流麗な歌声に、斉唱といいつつも、誰もが黙って耳を傾けていた。俺が歌わないことに疑問の眼差しを向ける者はいない。 ここに集った村人達は、本物の奇跡でも目の当たりにしたような表情で、ただ一人歌い続けるサリエルを見つめ、固く祈りの手を組んでいた。
この綺麗な聖歌を耳にして、彼らは何を思っているのだろうか。感動のお蔭で、少しは気が紛れたか、救われた気になっているのか。
そして、神に捨てられ、神を捨てたサリエルは、どんな気持ちで再び神を讃える歌を口ずさんでいるのだろう。
テレパシーのない俺には、誰の気持ちも分からなかった。
いや、俺は自分の気持ちさえ、よく分かっていない。
かつて、この場所で同じようにニャレコやニーノ達、イルズ村の人々の死体が焼かれる炎の前で、俺は深い悲しみと共に、十字軍に対する復讐を誓ったはずだった。
それが今、俺は十字教の司祭の格好をして、シンクレアの人々を、形だけではあるが、弔っているのだ。一体、何をどう間違って、こんな状況になってしまったのか。
自分も、周囲も、何一つとして真実がない、全てが嘘で塗り固められた世界にいるような、どこまでも空虚な気持ちである。
ああ、ちくしょう。本当に俺は、何をやっているんだか――そんな自嘲的な感情を胸の底に押さえつけながら、俺はサリエルの聖歌を聞き続けた。
無事に葬儀を終えた後、また教会に集まり簡単な説法の真似事、まぁ、これも聖書の一節を読み聞かせるだけなのだが……そんな儀式と、あとは村の主だった人々とランドルフを仲介に挨拶を済ませて、ようやくこの日のお仕事は終了と相成った。
何というか、酷く疲れる一日だった。これなら丸一日、十字軍と戦闘している方が気が楽というもの。司祭を演じるのは俺に多大な精神疲労を与えてくれる。
ともかく、これで何とか初日のプレッシャーからは解放された。俺はすっかり人がはけて伽藍堂となった教会の礼拝堂で、「ふぅ」と一息つく。
俺とサリエルは司祭とシスターなのだから、当然、住む場所はこの教会となる。リリィの小屋を直して、片道一時間かけて通勤する理由はない。
これで二人きりであれば、教会の居住部分は完全なプライベート空間として少しくらいは気を抜けるのだが……実はここに、二人の同居人がいるのであった。
「ヘイ! クロエ様、レキって言うデス! ヨロシクお願いしマース!」
一人は、何故か外人みたいなカタコトで喋る女の子。
ショートカットの金髪には、くせ毛なのか犬耳みたいに左右で跳ねており、その勢いのある喋りと明るい表情でもって、何とも活発な印象を与えてくれる。
爛々と輝く赤い瞳の、エルフみたいな少女が、レキ。
「……ウルスラ。よろしく、なの」
もう一人は、大人しそうな女の子。
静かな光を宿す青い瞳は茫洋としていて、子供ながらにどこか神秘的な表情を浮かべている。エキゾチックな褐色の肌が、さらにミステリアスな雰囲気を増す。
そんな銀髪ツインテールの、ダークエルフみたいな少女が、ウルスラ。
「クロエ様、昨日は助けてくれて、ありがとっ、デス!」
「ありがとうございました」
そう、俺が最初に助けた、あの少女達である。
昨日目撃した時と同じく、二人とも紺色の修道服に身を包んでいる。つまり、この教会に住まうシスター、正確には見習いである、とランドルフから聞いた。
二人はニコライ司祭がパンドラに移住するにあたって、最後まで引き取り手がつかなかった孤児をやむなく連れてきた、という事情があるらしい。可哀想な子、というのはかえって失礼な感想なのだろうか、この場合。ともかく、何かと苦労の絶えない環境で過ごしただろうことは間違いない。
「いえ、当然のことをしたまでです」
そういえばウルスラの方は物置小屋の中にはいなかったが……恐らく、レキがかばって隠れていたのだろう。逃げていた時は間違いなくこの印象的な白黒コンビがいたのを目撃しているから、そうとしか考えられない。
あんな恐ろしい目にあったというのに、こうして素直に謝意を述べるとは、改めて良い子だと思う。
思わず、視線を合わせるように膝を突き、二人の頭を撫でた。
「ふっふっふー、クロエ様、レキ達の前で演技は不要デーッス!」
「な、何のことですか」
「待ってろ、俺が村を守ってやる――って、あんな風に話してくれればオーケーなのデス! 遠慮は無用、ノーモアー!」
レキの声真似に恥ずかしくなるが、それでも、彼女の心遣いはよく伝わった。
「クロエ様の本当の姿、私とレキはもう知ってる……だから、これから一緒に住む私達の前では、演技、しなくてもいい」
ああ、何というか、本当によく出来た子達である。慣れない司祭演技に四苦八苦している俺が、馬鹿みたいだ。
「……そうか、ありがとう。レキ、ウルスラ、これからよろしくな」
こうして、可愛らしい同居人のいる教会での生活が、始まった。
「結局、お前とは一緒に寝なきゃいけないんだな……」
寝室は、ニコライ司祭が使用していたものをそのまま、である。部屋は四畳半ほどで、ベッドが一つとクローゼット、あとは小さな机と椅子があるのみで、本当に寝るためだけの部屋といった感じである。
レキとウルスラの見習いコンビは、二人で一つの部屋を使っている。そちらもここと同じ狭い部屋で、ベッドだけで随分な面積を占領されていた。
どの部屋も手狭なのは、ここがド田舎の小さな教会であるからして、致し方ないことであろう。
つまり、俺とサリエルの一人ずつに、個室が割り当たるはずもないということだ。ついでに、せめて別々に眠れるよう二つのベッドを並べるスペースさえない。
「私は床でも、構いません」
「妹を床に転がして、自分だけベッドで寝る鬼畜な兄貴に俺を見せたいのかよ」
万が一、そんなシーンを誰かに目撃されたら、言い逃れは出来ない。ただでさえ薄氷のような信頼感が、バッキバキに崩れること確実である。
「……すみません」
「謝るな。別に、そこまで気になることでもない」
というのは強がりで、正直、サリエルと同衾することに、俺は理性的に大いなる抵抗感が、ある。無論、欲望に負けて再びサリエルに手をかけることはないと断言できるが……それでも、何も感じないわけじゃない。
ベッドの中で身を寄せ合えば、掻き立てられるだろうわずかな性欲にさえ、俺はどうしようもなく嫌悪を覚えてならない。
だが、それでサリエルを必要以上に避けるなんて女々しいことはやってられない。部屋は一つ、ベッドも一つ。なら、大人しくそれに従う。俺が我慢すれば、それで済む話なのだから。
「いいから、さっさと寝るぞ」
「はい」
簡素な白いガウンを着せたサリエルをベッドにゴロンと転がしてから、俺も入り、毛布を被った。ランプの灯を消せば、部屋は完全な暗闇に閉ざされる。
静かな夜。何も見えない、何も聞こえない。だからこそ、すぐ隣に感じるサリエルの温もりが、よりはっきりと伝わってしまう。
「なぁ、サリエル」
真っ暗な天井を見つめたまま、俺は声をかけた。
「はい」
「明日から、十字教について教えてくれ。最低限、ボロが出ない範囲でいい」
「……はい」
返ってくるのは、無機質な肯定の言葉だけ。サリエルとしても、拒否権はないだろう。
俺は十字教を憎んではいるものの、その一切を遠ざけるつもりはない。敵のものだからと、何も知ろうとしないのは愚かなことだ。
サリエルを味方……というには怪しいが、共にいることとなった以上、俺はそろそろ十字教そのものについて、もっと詳しく知るべきなのかもしれない。
太平洋戦争の時、アメリカが日本について研究したって話を聞いたことがある。要するに、敵を知り、己を知れば、というやつの一環だ。
しかしながら、とりあえず今日はやめよう。そんなに夜も遅い時間というわけでもないが、早く眠ってしまいたい気分だ。明日から頑張る。
そんな消極的な思考で目を閉じた時だった。
「私にも、教えて欲しいことがあります」
思わぬサリエルからの問いかけであった。
「何だよ、それは」
「貴方のこと」
知ってどうする、なんていうのは愚問だろう。それはきっと、サリエルにとっては知らなければいけないことなのだろう。死ぬことを許されず、俺に生かされる彼女にとっては。
「どこから、話せばいい」
「この世界にやって来てから。日本での貴方のことは、白崎百合子の記憶に残っています」
「白崎さんとは、あんまり話した覚えはないんだがな」
「高校生のクロノ――黒乃真央のことは、白崎百合子はよく知っている」
「……そいつは光栄だな」
本当に白崎さんは、俺のことが好きだったのだろう。きっと文芸部員あたりに俺のことを聞いたりもしていたかもしれない。もしかすれば、雑賀のヤツにも聞いたかも……いやないな、アイツは隠し事のできないタイプだったし。
「だから私は、この世界での貴方について知りたい」
ガラハドでの最終決戦を除けば、俺がサリエルと会ったのはたったの二回。研究所を脱走する時と、ダイダロスの大城壁に登った時。どちらにおいても、俺は自分のことなど何一つ、語ることはなかったし、語る余裕もなかった。
サリエルは俺のことを、何一つ知らない。
「一つ、条件がある」
「なんでしょうか」
「お前のことを、教えろ」
そして、俺も同じく、サリエルのことは知らない。逆干渉のせいで、意図せずに彼女の記憶を垣間見たが、それらはあくまで断片的なものばかり。詳しい事情は、全く不明である。
「分かりました」
サリエルに否やはない。俺としても……抵抗感がないとは、言い切れない。
それでも、俺がこれからもサリエルと付き合っていくのならば、彼女のことは知らなければいけない。俺のことは、教えなければいけない。
そしたら、少しは分かり合うことができるだろうか。
俺は、サリエルを許せるのだろうか。サリエルは俺を、許すだろうか。
分からないが、それはきっと、やらなきゃいけないことだ。
「けど、今日はもう寝るぞ。色々と、疲れてるんだ」
一方的に話を打ちきり、俺は今度こそ目を閉じる。すると、すぐに睡魔は俺の意識を夢の世界へと導き始めた。
「はい、おやすみなさい」
サリエルの静かな声が、やけに心地よく響いた。