第481話 偽兄妹
シンクレア共和国の貧民街に、両親を失った幼い兄妹がいた。他に身寄りのない二人は、多くの孤児と同じように、十字教の教会によって保護される。
しかし、二人が迎えられた先は質素な共同生活を送るための孤児院ではなかった。
染み一つない真っ白の壁が続く、謎の施設。『白の秘跡』と呼ばれる教会の秘密組織が、恐ろしい人体実験を行う狂気の実験場であったのだ。
兄と妹は白き神に仕える忠実な兵士となるため、非道な改造手術に、仲間同士で殺し合うほどの過酷な訓練の日々を送ることとなる。
そうして二人が成人を超える頃には、武技、魔法、共に極めた精鋭兵士となっていた。
しかし、二人が初陣として送り込まれた戦場、そう、十字軍のガラハド要塞攻略戦は想像を超える地獄であった。
立ちはだかる巨大な大城壁。そこを守るは精強なスパーダ軍。そして何より、使徒とも対等に渡り合う驚異の戦闘能力を有する英雄達。
秘密兵器タウルスを一刀両断する、剣王レオンハルト。ヘルベチアの聖少女を戦場のど真ん中で辱める、アルザスの悪魔……他にも、スパーダには強力な力を誇る者達が何人もいた。
そうして、ついに十字軍は敗走。精鋭兵士として鍛え上げられた兄と妹も、無様な敗北を喫することとなる。
全軍撤退の指示が出され、猛然と追撃を仕掛けるスパーダ軍に追われる混乱の極致にあって、二人は思った。今なら、逃げられるのではないか。
どんなに強くなっても、スパーダに、魔族には勝てない。生きて戻ったところで、さらなる改造と訓練が続く地獄の日常が待っているだけ。
だから、逃げよう。
兄は負傷した妹を背負って、ガラハドの戦場から逃げた。尽くすべき神に背を向けて、もう二度と元には戻れない、裏切りの逃亡を始めたのだ。
果たして、二人が逃げ伸びた先に、希望はあるのか……
「――という設定でいこう」
「分かりました」
正面の壁が丸ごとぶっ飛び、見事に吹きさらしとなった小屋の中で、俺はサリエルに真実と嘘が半々くらいの作り話を語って聞かせた。
バチバチと暖炉の火が弾ける前で、俺はサリエルの体を後ろから抱えるように座り込み、毛布を被っている。寒さには耐えられるが、人並みに暖をとりたくはあるのだ。
ついでに言わせてもらえば、他にサリエルを寝かせる、あるいは座らせるのに適当なところはこの壊れた小屋にはもうないから、俺が仕方なく抱えている。決して彼女に気を許してなどいないし、断じてイチャついているワケでもない。
腕の中にあるサリエルの体から感じる温かさに、少しばかり気恥ずかしい気持ちになるのは、きっと気のせいである。
「名前は、もう俺はクロエと名乗って来た。お前は、えーと、そうだな……」
できれば、偽名でも呼ばれてピンとくる名前がいい。あまりに反応がないと、怪しまれる。嘘はできるかぎり、バレないに越したことはない。
十数秒に渡る脳内審議の結果、一つの名前が全会一致で可決された。
「ユーリ、と名乗れ」
「はい、お兄様」
「いや、お兄様はないだろ」
「……お兄ちゃん」
「兄さん、にしておけ」
「分かりました、兄さん」
もしかして、サリエルなりのギャグだったのだろうか。いや、ないな。コイツは本気で一番にお兄様、二番目にお兄ちゃん、の呼び方が妥当だと思ったに違いない。
真顔で冗談も言わない彼女は、なんというか、天然なフィオナよりもかえって掴みどころがないように思える。まぁ、つい昨日まで因縁の宿敵だった奴と、すぐに仲良くなどなれるはずもない。
もし、白崎さんの人格があったとしても、俺は上手く付き合えた自信は持てないね。
「しかし、こんなんで本当に大丈夫なのかよ……」
「村からすれば、危険を冒してまで私達の事情を詮索しようとはしないでしょう。何か言いづらい秘密がある、という体だけで十分」
「守ってくれれば、誰でもいいってか」
俺は開拓村を後にして、そのまま真っ直ぐ小屋へと戻った。
そしてこの有様である。
小屋は無惨に壁がぶち抜かれ、中には馬鹿でかい熊みたいなモンスターが転がっているし、サリエルはぶっ壊れたベッドで何事もなかったかのように寝ているし……とりあえず、事情を聞けばすぐに状況の把握はできた。
恐らくコイツが、開拓村で三人食い殺した鎧熊というモンスターだろう。恐怖の人食い熊であるが、そんなのを四肢の欠けた体で、一発で仕留めるサリエルの戦闘能力にこそ、俺は改めて戦慄を覚える。加護が消えても、コイツは化け物だ。
それにしても、俺が住んでいた頃にこんなモンスターはいなかった。
恐らく、リリィをはじめ妖精達がいなくなったせいで、この森は今まで生息していなかったモンスターも出没するようになったのだろう。思えば、リリィがあのゴブリンを駆除していたように、危険なモンスターを適時排除していたから、この妖精の森はダンジョンの危険度ランク1という安全が保たれていたのだ。
しかし、森の可愛らしい守護神がいなくなった途端、住み心地がよい森として他の地域から様々なモンスターが流入してきた。近いうちに、危険度ランクは3ほどにまで跳ね上がるかもしれない。
そう冷静に推測できたのは、俺が小屋半壊のショックからどうにかこうにか立ち直った時。ちょうど、日も暮れようかという時刻であった。
今更、村にも戻れない。やむなく、今日一晩はここで野営することに決めた。
「それにしても……本当に大丈夫だろうか」
サリエルとの協議の結果、ランドルフに提示された用心棒のお誘いを受ける、という方向で意見が固まった。
勿論、不安はある。
あるのだが、改めて現状を考えてみれば、村に潜伏して情報収集とスパーダ帰還への準備を進めていく、という方が結果的には安全確実ではないかという結論だ。雪山踏破の危険性も考慮して、雪が融ける春先までは留まることも可能性としてはある。
「十字軍に発見されても、その場で逃げればいいだけです。貴方の足なら、この森に逃げ込めば追っ手を撒くことは容易でしょう」
「まぁ、そうなったら覚悟を決めて強行突破するしかないな」
今の状態からガラハド越えを決行したとしても、アルザスを拠点とする十字軍の国境警備に発見される可能性は高い。奴らはスパーダの逆襲に備えて、街道は勿論、山や森の上空に天馬騎士を飛ばして鼠一匹通さない監視網を構築しているだろう。
その辺を考慮しても、やはり大人しく機を待つべき、という選択に落ち着いてしまうのだ。
「なぁ、俺はもう素顔をそこそこ村人に見られてしまったんだが、もし指名手配されれば一発でバレるんじゃないか?」
「明日から隠しましょう。貴方も、私も」
胸元に抱え込んだサリエルが、俺の顔を見上げながら言う。迂闊なことをした、と責めている気はないようだが、自然に反省の念は湧く。やっぱり、念には念を入れて、フードじゃなくて完全な覆面にしておくべきだった、とか。
「……俺はもう遅いんじゃないか?」
「バレないことを、祈りましょう」
「誰に祈るんだよ」
「日本人は、神を信じていなくても、祈りを奉げてよいのでしょう」
「ああ、それもそうか」
思わず、笑ってしまった。
都合のいい時だけ「神様助けて!」と言える実に日本人らしい精神に。そして、神を裏切った翌日に、早くもどことも知れぬ別の神に祈ってしまうという滑稽さに。
「ん……なんだよ?」
「いえ、何でもありません」
ジっとサリエルに見つめられていることに気づいた。何でもない、と答えてはいるが、その割には、真剣に凝視しているように思える。
何とも居心地が悪い。新手の精神攻撃か。
「今日はもう、寝よう」
これ以上、黙って見つめられては堪らない。それに、すっかり夜も更けて来た。寝るにはいい時間だ。まぁ、俺はこのまま不寝番だが。
「……いいのですか?」
「何が?」
「今日は、しないのですか?」
何を、と問い返す気にはなれなかった。
無機質な赤い瞳を覗き込みながら、俺は言い切る。
「もう、二度としない」
できるはずもないだろう。俺にだって、こんな、俺にだって……男のプライドってものは、あるのだから。
「いいから、寝ろ」
「はい……おやすみなさい」
そうして、俺は電源でも切れたようにピクリとも動かないサリエルの体を抱きしめたまま、その日の夜を明かした。
「ああ、どうも、ありがとうございますぅ!」
ちょっとぎこちない愛想笑いを浮かべながらも、そうはっきりと感謝の言葉を述べるのは、俺に用心棒を頼んだ張本人のランドルフである。
俺は名残惜しくも壊れた小屋を放置して、サリエルと持ちだせるだけの荷物、それと鎧熊の死体を魔手の黒鎖で雪道を引きずって、再び第202開拓村を訪れた。
村を恐怖のどん底に陥れた人食い鎧熊の死体に、村人たちは歓呼の声をあげる――ことはなく、ドン引きした様子で俺に対して恐怖の視線を浴びせていた。何かこれ、イスキア古城からスパーダに凱旋した時と同じ雰囲気だぞ……と、複雑な気持ちになっているところに、村の代表者として責任と面倒を一身に押し付けられるランドルフの登場。
あとは、昨日と同じ教会の一室に招かれ、話をすることに。
「いやぁ、本当に良かった……貴方様のような強いお人が村にいてくれるだけで、皆、安心して仕事ができるというものです」
簡単な挨拶だけを済ませ、俺は単刀直入に用心棒の依頼を受ける旨を伝えた。回りくどい問答をしていると、ランドルフもビビって言葉がスムーズに出てこないだろうし。
「受けたからには、仕事は果たそう」
「ありがとうございます、どうぞ、よろしくお願いいたします」
がっしりと固い握手を交わして、契約成立。といっても、細かい部分を詰めていくのはこれからなのだが。
「……ところでクロエ様、そちらの方は?」
昨日と同じく椅子に座って向かい合う商談体勢になったところで、最初にランドルフが飛んできた質問がこれである。当然といえば、当然か。
「俺の妹だ」
「ユーリ、と申します。兄さん共々、これからお世話になります」
俺の隣に座らせたサリエルは、そうリハーサル通りに淀みなく名乗った。
ニコリ、と可憐な笑顔でもみせれば完璧だったが、この人形娘にそれを求めるのは酷な話だろう。
「ああ、どうも、私、この村の村長を務めることになりました、ランドルフと申します。何かあれば、すぐに私へお申し付けください」
さりげなく、ランドルフが正式に村長になったことを俺はこの挨拶で知った。どうやら本当に、彼の他に適任の者はいないらしい。
「旅の用意を二人分、と仰られていたので、お仲間がいるのだと思っておりましたが……なるほど、ご兄妹でしたか」
「ああ、俺とユーリは十字軍兵士としてガラハド要塞攻略戦に参加した。想像通り、俺達は脱走兵だ――」
と、ここで俺は昨日の内に決めておいた設定を前提として、ほどほどにそれらしい事情を打ち明けた。
地獄の訓練が続くとある特殊部隊にいた。そしていざ戦争に参加すれば、訓練以上に悲惨な目にあい、とうとう二人で逃げ出した。もう絶対に、原隊に復帰することはできないし、するつもりもない。
というようなことを、如何にも悲しみを押し殺しています、というような演技をしているつもりで語った。本当に上手く演じられてるかどうかは、定かじゃないが。俺は演劇部じゃなくて文芸部だし。ついでに、サリエルも文芸部だし。
「俺は何とか無事に済んだが、妹は見ての通り……恐ろしく強いスパーダの騎士によって、手足を斬られた」
「お、おお……何という……やはり、噂で聞いた以上に、ガラハドでの戦いは酷いものだったのですね……」
俺の演技力はさておいて、実際にサリエルが見るも無残な達磨状態なことが、この話に説得力を持たせる一番の要因になったのだろう。
ランドルフも思わず、といったように黒縁眼鏡の縁に溢れ出た涙の雫が光る。
「いいさ、戦いはもう、終わったからな」
これ以上詮索はしないでくれ、という風を装いながら、今にも剥がれそうなメッキで本音を隠して、話を先に進める。
「あ、はい、そうですね、えーと……まずは、顔、でしょうか……?」
「やはり覆面はまずかったか」
何食わぬ顔でランドルフとここまで会話してきたが、俺もサリエルも顔を完全に覆い隠している。
俺はこの冬用白ローブにフードがあるから、それを被って口元にタオルを巻けば素顔は隠せる。タオルじゃなくマフラーだったらもう少し格好もついたのだが、この際、贅沢はいってられない。
しかし、より酷いのはサリエルの方だ。コイツは顔全体を包帯でグルグル巻きにして、まるで全身大火傷を負った重症者みたいな有様である。勿論、トレードマークの銀髪も見えないよう、大きな団子にまとめた上で、タオルをターバンみたいにして覆ってある。テルテル坊主の頭みたいだ。
「ええ、その見た目ではちょっと……皆が恐れてしまうでしょう。それに、あまり露骨に顔を隠されては、かえって怪しまれますし……」
ぐぅの音も出ないほどの正論である。だがしかし、今の俺達にはこうする以外に顔を隠す方法もなかったのだ。
ちくしょう、こんなことならイルズ村で生活していた頃に、道具屋で押し売りされそうになった呪いの石仮面だかいう胡散臭いアイテムをパチモンでもいいから買っておけば良かった。いや、それはそれで、怪しさ全開か。
「何か良い方法はないか?」
「あ、はい、そういうことでしたら……実はこちらで、用意をしておきました」
こんなこともあろうかと、ってやつか。俺が顔を隠したいだろうことを見越して、用意をしておくとは、このランドルフ、意外に頭が回る。あるいは、こういう気が回るからこそ、村長になれたのか。
「どうぞ、変装用の魔法具です」
そそくさとテーブルの上に置かれたのは、ランドルフがかけているのと似たような黒縁眼鏡と、床に落としたら見失ってしまいそうなほど小さく飾り気のないヘアピンの二点。
「『カラーリングアイズ』と『七色変化の髪留め』」
「おお、ご存知でしたか」
さりげなくサリエルがアイテム名を教えてくれた。名前からして眼鏡が『カラーリングアイズ』、ヘアピンが『七色変化の髪留め』なのだろう。効果のほども、お察しという所か。
「ありがたく、使わせてもらう」
迷うことなく、俺は眼鏡を、サリエルにはヘアピンを選んで、渡してやった。
「……どうだ?」
「ええ、ちゃんと変わっておりますよ。瞳の色は、そのまま青でよろしいですか?」
なるほど、俺の目の色は今、青くなっているのか。
シンクレア人の特徴を思えば、碧眼はかなりポピュラーだ。怪しまれることはないだろう。これでいいと、俺は頷き返した。
さて、サリエルにヘアピンを渡したはいいが、これも俺がつけてやった方が早いか、と隣に目を向けたその時だ。
ブワっと内側から弾けたように、一気にサリエルの頭を覆うターバンタオルと包帯が解かれる。だが、驚くよりも、大きくなびいた彼女の長い髪に目を奪われる。
それは、輝くような亜麻色の髪であった。
「これでいいでしょうか、兄さん」
思わず「おいサリエル!」と名前で呼んでしまうところだったが、あくまで演技を貫き通す彼女の台詞に、ドジを踏むことは避けられた。
落ち着け、別に髪の色なんて何色でもいいだろう。それが、白崎百合子を彷彿とさせる、亜麻色であったとしても。
「ああ、いいだろう」
ともかく、これで変装は完了である。
「えー、それでは次に、報酬についてのご相談なのですが――」
と、ランドルフが村として最も重要な案件を議題に切り出すが、俺の意識はふいに外、つまり、扉を隔てた部屋の向こう側へと向けられた。
「……何か、騒がしくないか?」
そう言った時には、耳をそばだてなくとも余裕で聞こえるほどの、誰か男が叫んでいるような大声が響く。流石に、ランドルフもこれに気が付いた。
なんだなんだ、揉め事か? 野次馬根性を出して、ちょっと様子でも見に行きたいな、なんて思った瞬間――
「オラァっ! テメぇかぁ、村に取り入ろうとしてる怪しい野郎ってのはぁっ!!」
そんな怒号と共に、ドアが開く。否、蹴破られた。ドーンと、派手に。蝶番がぶっ飛び、ドアは見事に床へとバターンである。
さて、ダイナミックな登場と同時に有り余る敵意をむき出しにする男を、俺は観察する。
かなり大柄、もしかすれば俺よりも。分厚い筋肉をまとっているのが、茶色い毛皮のコートを着ていても分かる。一見すると猟師のような格好だが、背負っている大きな戦斧からすると、モンスターとの戦闘を前提にした装備だ。
顔の方は如何にもこの異世界の人種らしい、堀の深い白人顔。ハリウッド映画で、スーパーヒーローになる前の貧弱な主人公少年にからんでくるアメフト部のいじめっ子同級生みたいな印象を受ける。ということはつまり、この男は俺とそれほど歳の離れていない青年ということでもある。
金髪碧眼で、これもまたシンクレア人らしい特徴。だが目を引くのは、がっつりワックスで固めたように、長めの前髪をオールバックでキメてる髪型。こんなド田舎の村で、この髪型を成立させられるだけのワックスや整髪料があるのだろうか、なんて疑問が先に浮かぶほど、こだわりの見られそうなヘアスタイルだった。
「おう、どうやらテメぇで間違いなさそうだなぁ……ええ、おい、なぁにガンつけてやがんだぁ、あぁん!?」
その気がなくとも、見つめるだけでガンを飛ばすように見えてしまうほど俺の目つきが悪いことは重々承知であるが、ここまでドストレートに言われたことはそうそうない。
「こ、こら、やめないかライアン、村の恩人に向かって――」
「恩人だぁ? おいおいオジキぃ、そいつぁ本気で言ってんのかい?」
ライアンと呼ばれた青年は、その口ぶりからどうやらランドルフの甥っ子であるらしい。ついでに、俺に対して凄まじい不信感を抱いているということも。
「どぉーかしてるぜオジキぃ! 見ろよコイツの顔を! コイツぁワルの中のワルに違ぇねぇ! エリシオンのスラム仕切ってるギャングのボスだって、ここまでヤベェ目つきはしてなかったぜぇ!?」
初対面でどこまでも酷いこと言うが、否定できないところがつらい。
そう、思えば俺のような男を用心棒として村へ取り込もうとするランドルフの方がおかしい。メリットがあると分かってはいても、あの殺戮劇とこの俺の顔を前にすれば、忌避感の方が勝るはず。
「いいから、出て行きなさい。この方達をお迎えすることは、すでに村の総意として決まったことだ」
「俺ぁ認めねぇぞ、こんな怪しいヤツをよぉ! 腹の底でなに企んでるか分かったもんじゃねぇ……あの鎧熊だってそうだ! この俺の獲物を横取り、いや、もしかしたらコイツが村にけしかけたのかもしれねぇ、タイミングが良すぎんだろ!!」
いかん、手土産のつもりで持ってきた鎧熊の死体が、かえっていらん不信を抱かせてしまったようだ。タイミングが良いといえば、これも確かにその通りではある。
「ライアン、それ以上言うなら、いくらお前でも許すわけにはいかないぞ」
「悪ぃな、オジキ……けど俺は、どうしてもこんな奴らを村に入れるのは反対だぜ。この男と、女の方も――っ!?」
そうして、初めてライアンが俺の隣に座るサリエルにも注意を向けたその時、目が合った。ライアンとサリエルが。多分。
「……」
亜麻色の髪ではあるが、ルビーよりも真っ赤に煌めく瞳を、真っ直ぐにライアンに向けている。何も言わずに。
だが、ライアンも何も言わない。ガンをつけて云々の文句は、一つとして出てこない。謎の静寂が、室内を包み込む。
そのままお互い、見つめ合うこと数十秒。サリエルは興味が失せたように、フイと視線を逸らした。
「……マブい」
ぽつり、とライアンが言葉を漏らす。聞き間違いでなければ、現代日本において恐ろしく古いスラングを。
「激マブ、だぜっ……天使、マジ天使……」
一目惚れの瞬間である。
まぁ、サリエルの顔は少女リリィに勝るとも劣らないほど可愛いからな。魅了が宿っていても不思議ではないし、そうでなくとも、超絶美少女であることに変わりはない。
「……すまない、つまみ出してくれ」
やれやれといった感じでランドルフが言うと、呆けた表情のライアンへ両脇を抑える二人の青年が現れた。格好はライアンと似たような毛皮コートの猟師風。
「アニキっ! ここは一旦引くべきですぜ!」
「これ以上ランドルフさんをキレさせたら、いくらなんでもヤベぇっすよ!」
「はっ!? お、おいテメぇら、邪魔すんじゃねぇ!」
如何にも舎弟染みた口調の青年二人は、そんな風に荒ぶるライアンをなだめるようなことを言いながら、必死に部屋の外へ引きずっていく。
「俺の話はまだ終わってねぇぞぉ!」
二人がどうにか部屋の外まで引きずり出すと、さらにそこから仲間が三人、四人と加わり、ライアンのデカい体を神輿でも担ぐように持ち上げて、そのまま教会からワッショイワッショイと去っていくのを、俺は半ば唖然としながら見送った。
とにもかくにも、こうして乱入者は退場となり、再び室内に平穏が訪れた。
「とんだご無礼をいたしました……申し訳ありません……」
「いや、反対する者がいるというのは、理解できる」
もう何度目かになるランドルフの深々と頭を下げる謝罪ポーズを前に、俺は気にしないという旨を伝える。
「ライアンは私の甥っ子でして……あの通り、力が人一倍有り余っている困り者なのです」
「俺を信用できないというのは、仕方ないことだろう。それより、ライアンとその仲間達は、昨日は村にいなかったようだが?」
「ああ、はい、彼らがウチの自警団でして。昨日は丸一日かけて、例の鎧熊を狩りに森へ入っていたのです」
そういえば昨日の話でも、十字軍襲来時に自警団の大半は森の中、と聞いたな。あの鎧熊を俺の獲物呼ばわりするくらい、血眼になって探していたのだろう。
「そこにアイツらが来るとは、運が悪かったな」
「いえ、むしろ幸運でした……自警団は血の気の多い若者ばかりでして、あの場にいれば、無謀な戦いを挑んで、大変な犠牲者を出すことになったでしょう」
ライアンの剣幕を見れば、容易に想像できる。その気がなかった俺でさえ、十字軍部隊の狼藉に目の前が真っ赤になるほどの怒りを覚えたのだ。力のある男なら、あそこで戦いを挑まないはずがない。
「自警団の方には、後で私がよく言い聞かせておきますので、どうぞご安心ください」
ここは村長のランドルフに説得を任せるしかないだろう。
サリエルの美貌を利用して、俺達が如何に不幸な境遇であるかを語り聞かせて同情を誘う作戦もできそうだが、コイツにそのテのパフォーマンスは期待できそうもない。
「俺達としても、村人との間に余計な軋轢が生じるのは避けたい」
「ええ、ええ、勿論です。私もお二方の受け入れにあたっては、全力を尽くしますので」
しかしながら、すぐ村に馴染める具体策があるかどうかと問われれば、ないと言わざるを得ない。
ライアンをはじめとした自警団は言わずもがなであるが、他の村人にしても、俺達の受け入れにもろ手を挙げて賛成しているとは言い難い状況だ。あの恐怖に満ちた視線を一身に浴びた俺としては、受け入れなど到底無理じゃないかと今から諦めムードである。
ついでに、用心棒といえば聞こえはいいが、有事がなければただの穀潰し。しかも、それなりの金を払って雇うのだ。活躍の機会がなければ、良い目で見られることはない。
もしかすれば、思った以上にこの開拓村に潜伏するのは厳しいかもしれない――
「兄さん」
その時、完全に置物と化していたサリエルが声をあげた。兄さん、とかいきなりナニ言ってんだコイツと素で思ったが、彼女を妹キャラに仕立て上げたのは、他でもない俺である。
いかん、思った以上に違う人物を演じるというのは、難しいものだな。
「なんだ?」
一拍の間をいて、俺はようやく返事をした。
「提案があります」
こちらが話しかけない限り基本的に口を開かないサリエルが、自ら意見を言おうとしていることに、少なからぬ驚きがあった。
とりあえず、ここで彼女の口を塞ぐ意味はない。サリエルは馬鹿じゃない、わざわざ自分から言うならば、きっとそれ相応に意味のあることに違いない。
俺は「話してみろ」と先を促す。心なしか、ランドルフも興味津々といった雰囲気だった。
「この村の司祭になります」
喉元まで出かかった言葉を、俺はすんでのところで飲みこむ。過剰な反応は、この場においてはNGだろう。
「おお、それは、また……」
無言を貫く俺の代わりに、ランドルフが困惑した様子で曖昧な問いを返す。
「死亡した司祭の後任がすぐに来る可能性は、第202開拓村の規模、立地、重要性を総合した結果、ゼロ。向こう一年間は司祭不在の期間が続くと推測されます」
「え、ええ、確かに、こんな田舎に新しい司祭様がすぐに来るとは思えないですし、代わりとなってくれるなら、これほどありがたい申し出はありませんが……」
「村の司祭を務める程度の教養はあります」
そりゃあ、お前は司祭どころか使徒だからな。余裕だろう。
「そ、そうですか……しかし、ええと、その、本当によろしいので?」
恐る恐る、ランドルフが問い掛けの視線を向けるのは、提案した本人のサリエルではなく、俺。正直、どうすべきか聞きたいのは俺の方であるが、ここで弱音を吐くわけにはいかない。
「司祭として雇われた方が、村にとっては印象がいいか?」
「ええ、それはもう……新しい司祭様の着任を喜ばない者はいないでしょう」
流石は十字教、白き神の威光といったところか。怪しい奴でも司祭を名乗ればオールオーケーらしい。
サリエルが自信満々に言ったように、司祭の仕事を全うするにあたっても何ら問題はない。むしろコイツにとっては本職だし。
それに、下手にただの用心棒として村に居座るより、司祭としている方が自然で目立たないだろう。村人からの支持も得られるというのなら、尚更だ。
何より、サリエルが自分で言いだした以上は、再び神の僕を演じることについても、覚悟を決めているということだ。
いいだろう……それならばサリエル、見事にニセモノ司祭を演じきってみせろ!
「分かった、司祭になろう」
「おお、本当ですか、ありがとうございます! それでは、どうぞこれから、よろしくお願いいたします、司祭クロエ様!」
「えっ」
もしかして、サリエルじゃなくて、俺が司祭になるの?
サリエル「流石はお兄様。狂戦士から司祭にクラスチェンジするなんて、なかなかできないよ」