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黒の魔王  作者: 菱影代理
第25章:偽りの日々
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第474話 修行の成果

 アヴァロン王城の広大な庭園の一角で、二人の巫女が対峙していた。

「さて、修行を再開・・して早一週間じゃ……そろそろ組手の一つでもしてよかろう」

 如何にも武技の達人が弟子に教えを説くかの如く鷹揚に語ってみせるのは、パンドラ神殿が一つ『火の社』を治める巫女、ベルクローゼン。

 今日も一点の穢れなき紅白の巫女服を身に纏い、腰に手を当てて堂々と仁王立つ姿からは、彼女の酷く幼い容姿に反して、厳かな気配が漂っているような気がしないでもない。

 ベルクローゼンの真紅に煌めく勝気な瞳の向こうには、自分と同じ艶やかな黒髪をサラサラと風になびかせて立つ、もう一人の巫女が映る。

「はい、ベル様。よろしくお願いします!」

 純白の衣に、鮮血のような真紅の袴をまとっているのは、他でもない、アヴァロンが誇る美しき第一王女、ネル・ユリウス・エルロードである。

 本来のクラスである治癒術士プリーストの法衣と同じようにゆったりと全身を包むこの巫女服であるが、今の彼女は傷ついた味方を癒す心優しい印象ではなく、むしろ進んで敵を打ち倒す勇敢な戦士が如くキリリと引き締まった凛々しい表情を浮かべている。

 普段とは全く違った装いに加え、髪型も激しい動きの邪魔にならないよう、頭の後ろで一本にくくり大きなポニーテールにしていることも、彼女の印象がいつもとガラリと変わって見える一因であろう。

 そんなネルとベルクローゼンの二人が、『火の社』が建つ丘を間近に望む広い雪の原にて、向かい合っているのである。黒髪の巫女が二人並んでいるのは、まるで姉妹のように見えるだろうが、互いの年齢は姉妹どころか母と子、いや、祖母と孫よりもさらに数倍するほどにかけ離れている。

「うむ、参られよ」

 構えはしない。だが、ベルクローゼンが臨戦態勢に入っていることを、ネルは肌で感じた。

「……行きます」

 つぶやいた言葉を置き去りにするように、ネルの姿が消えた。少なくとも、この場に二人を観察する第三者がいれば、そう見えたに違いない。

 それでもベルクローゼンの赤い瞳には、雪上を滑るように走り抜けるネルの姿がしっかりと映しだされていた。

 目にもとまらぬ高速移動、といえば『疾駆エア・ウォーカー』をはじめとした移動強化系の武技が代表的である。その例にもれず、ネルが行使しているのも『疾駆エア・ウォーカー』もとい、ほぼ同じ原理でいて全く同じ意味での古代文字で表記される『疾駆はやがけ』という古流柔術での技だ。

 ネルは一呼吸分の練気を経て発動させた『疾駆』をもって、まずは一直線に駆け出した。そして間合いを半ばまで詰めたあたりで急転換。ほぼ直角に左手へと回り込む。まともに見ていれば、ここでネルの姿は視界から消失するだろう。

 それほどの機動を発揮するのは、一歩目でトップスピードに達する加速力、雪の上でも足を滑らせることなく駆け抜け、さらには急転換を実現する制動力。どちらも『疾駆』という技を極めていなければ引き出せない性能である。

 だが、ネルの達人さえも驚かせる完成度の『疾駆』は、ただ彼女がこの武技を使いこなしているから、というだけが理由ではない。

「やはり、羽まで使えば効果倍増じゃな」

 ネルが『疾駆』をまとっているのは、両脚に加えて、その背中から生える大きな白翼まで含まれる。

 本来、空を飛ぶためのみに特化された形状の翼は、人体では決して実現できない莫大な量の風を受け、流し、体を前へ進ませる。恐らく、ネルは駆け出した瞬間、強靭な脚力による一歩だけでなく、翼をはばたかせてさらなる推進力を得たことだろう。

 そうして走り始めれば、続けて二度、三度と大きな翼は風を打って、更なる加速を彼女にもたらす。

 極めつけは、左方への急転換。武技の達人であっても加減を誤って踏み込めば、あまりの負荷に足が折れることもある『疾駆』中での急制動であるが、ネルはこれも翼を使うことで安全かつスムーズに成功させていた。

 見えない壁に手をつくように、翼は空気の壁を強かに打ちすえることで方向転換に必要なエネルギーを発生させたのだ。ネルの足にかかる負荷は半分以下。体がほとんど風の流れに身を任せるように、自然に望む方向へと運ばれる。

 翼という飛行器官を持つことを最大限生かした『疾駆』の使い方に、ベルクローゼンが感心した微笑みを浮かべた頃には、もうネルは死角となるギリギリの方向から一撃を繰り出していた。

 右手を真っ直ぐ前へ突き出す、掌底。

「ふふん、甘いっ!」

 並みの相手ならこれで詰み。ネルの細腕でありながら、そこに渦巻く魔力の気配に背筋が凍るような掌底は、確実に敵の急所を撃ち抜いただろう。

 ベルクローゼンは間近に迫ったネルの姿を横目で捉えながら、かすかに上体を逸らす。これだけで、まずは攻撃を回避できる。

 それと同時に、左足を少しだけ前へ突き出した。それはちょうど、超高速で踏み込んできたネルの足を絡め捕るような位置。要するに、足を引っ掛けた。

「――っ!」

 ベルクローゼンの思惑通り、ネルはこれに対処しきれず見事に引っかかる。足首に思わぬ障害物があたり、脆くも体のバランスは崩れ去り、突っ込んできた勢いのまま前へと転がるように放り出された。

 綺麗にベルクローゼンの前で一回転するように吹っ飛んで行くネルを、まぁ、受け身くらいはとれるじゃろう、という気持ちで見送った直後――異変。

「むっ!?」

 ベルクローゼンの右手が、掴まれていた。

 誰に? 他でもない、ネル。足に引っかかって転倒する真っ最中のはずの、ネルである。

「のわぁーっ!!」

 唐突に視界がブレる。気が付けば、ベルクローゼンは雪の上を転がっていた。まるでアスベル山脈の天辺から巨大な雪玉を転がしたような勢いで。

 ネルは転ぶと同時に、ベルクローゼンに見事な投げを決めていたのだ。もしかすれば、わざと自ら足を引っ掛けて、彼女の油断を誘った上で手をとったのかもしれない。

 手痛いネルの反撃を受けながらも、ベルクロ-ゼンの受け身は完璧。受け身くらいはとれる、という感想は正しく自分自身に当てはまった。

 ベルクローゼンの小さな体は雪上を二転三転しながらも、すぐに体勢を立て直し、再び地についた両足で積もった雪を抉りながら吹き飛んだ勢いを止めきった。

 そして顔を上げたそこには、すでにネルの姿はない。

 ここはだだっ広い空き地のような雪原。遮蔽物は皆無。ならば――

「上かっ!」

 ちょうど南中で天の真上にかかる太陽を背に、白翼をはためかせたネルが流星のように迫り来る。頭が下になる真っ逆さまの体勢。突き出された手は、今度は右手一本ではなく両手であった。

 重ねられた二つの掌から迸る魔力の気配に、ベルクローゼンは比喩ではなく本当に、背筋が凍った。

「一の型・流し!」

 脳天を押し潰すように走る両掌底に、ベルクローゼンの振り上げた手が重なる。彼女の真っ白い小さな手はしかし、この瞬間には手首から先が黒い鱗に覆われ、指先には鋭い爪が生えるリザードマンのような形状へと変化していた。

 まるで竜鱗を使ったグローブを装備しているような見た目。だが、それは紛れもなくベルクローゼン本人のものである。

 漆黒の鱗に守られた無骨な手だが、『一の型・流し』が宿す繊細な魔力コントロール効果を正常に発揮し、恐るべきネルの一撃を華麗に受け流す。

 かするようにベルクローゼンの体を上から下まで横切って行ったネルの手のひらは、秘めた威力を雪の地面に解き放った。

 インパクトの瞬間、雪原に波紋が広がる。そこが水面であるかのように、雪が波打ちながら大きく同心円状に広がって行った。

 雪の波紋が駆け抜け、一拍の静寂が訪れた後――地面が爆ぜた。

 間欠泉が噴き上がるように、ドっと雪の飛沫が晴れ渡った青空にキラキラと散る。それはネルとベルクローゼンの二人を内に閉じ込める竜巻のような円筒形となって、十数メートルの高さにまで達していた。

「むんっ!」

 噴き上がった雪の塔が風に消えるよりも前に、ベルクローゼンは次なる攻撃を繰り出していた。今度は足を引っ掛けるという小細工などではなく、真っ当に攻撃力を秘めた一撃。

 それでも、今は鋭い爪が生え揃う竜の手で貫手を放てば、組手の枠を超えた致命傷を与えることとなる。そこはあくまでも古流柔術に則って、繰り出したのはネルと同じ型の掌底である。

 彼女の掌には、赤と黒が混じり合った禍々しい魔力のオーラが薄らと渦巻く。触れるだけで人の意識を昏倒させるには十分すぎる威力を宿した一撃は、地面に両手を押し付け跪く格好のネル、そのガラ空きとなっている頭部を正確に捉えていた。

「……一の型・流し」

 最短距離を疾走する掌底を、ネルの側頭部に炸裂する寸前に防いだのは、彼女の白い翼であった。

 ただの苦し紛れではないことは、その繊細で柔らかな純白の羽毛に触れた瞬間から、弾き飛ばされるように掌底が流されていく感覚だけで、理解するには十分である。ネルの白翼には、確かに『一の型・流し』が発動していた。

 まさか、ここまで翼を器用に扱えるようになっているとは――などと感心している暇は、ベルクローゼンにはない。

 攻撃を受け流された以上、今度は自分が反撃カウンターを受ける番なのだから。

「一式・徹し」

 ネルは弾かれるように勢いよく上体を起こしながら繰り出したのは、やはり掌底。

 この掌底こそ、古流柔術における基礎となる攻撃技である。防御は『一の型・流し』、攻撃は『一式・徹し』、と対になっているといってもよい。

 ネルが放った『一式・徹し』は、師であるベルクローゼンが教えた通り、その術理を忠実に再現している。

 それはつまり、手のひらに籠めた魔力を相手の体へ流し込み、内側で炸裂させるという内部破壊の効果を、これ以上ないほど発揮させているということに他ならない。

 真正面から受ければ、自分でも一発で昏倒してしまうだろう。

 そう危機感を覚えたベルクローゼンはもう形振り構わず、他の生物とは一線を画す硬質さを誇る鱗で守られた手で、そのまま受け止めることを選択する。最早、『一の型・流し』で綺麗に受け流せるほどのタイミングではなかった。

「――むおおっ!」

 思わず唸ってしまうほどの衝撃と共に、再びベルクローゼンは雪の上を転がる。

 自然に威力を殺すなら、そのまま大人しく滑り続ける方が良いが、彼女は何よりも更なるネルの追撃を恐れた。次にまた、こんなのが飛んで来れば、久方ぶりに痛覚というものを味わう羽目になる。

 雪山で氷元素精霊アイズ・エレメンタルの群れが現れたかのように、ドっと激しい雪の飛沫をあげながら、ベルクローゼンは隙を見せずに立ち上がり、油断なく構えた。

 さて、ネルの姿は――いた。追撃はない。不思議と、ベルクローゼンに一撃を与えた立ち位置から、一歩も動かず静かに佇んでいた。

「私の負けです、ベル様。戦闘不能です」

 唐突な降参の宣言、というわけでもないだろう。

 すでに構えを解いたネルの手、強かにベルクローゼンを吹き飛ばした掌底を放った右腕は、折れていた。手首と肘は砕け、さらにその間でバッキリと折れ曲がっている。

 その傷はベルクローゼンの鱗に覆われた手に攻撃を加えると、どれほど強烈な反作用が返ってくるかを証明していた。

「うむ……しかし、見事な腕前じゃ、ネル」

「うふふ、ありがとうございます」

 お世辞ではなく本心からの賞賛だが、果たしてネルはどう受け取っているのか。

 見る者を魅了するプリンセススマイルを浮かべながら、ネルは痛々しい右腕を掲げた。

「『回生ヒール』」

 無詠唱による中級治癒魔法。白色の淡い燐光が患部で瞬くや、ネルの右腕は全く元通りとなっていた。

 驚異的な再生力、というよりは、治癒魔法に天賦の才を持つネルからすれば、この程度の回復はできて当然といったところだろう。

「もうお昼ですね、社に戻りましょうか」

「うむ、そうじゃな」

 組み手の終りを示す一礼を済ませると、優雅に巫女服と黒髪を翻し、ネルは雪の上を歩き出す。国を代表するお姫様としても、神に仕える巫女としても、相応しいと誰もが納得しうる美しい後姿を、ベルクローゼンは頬に一筋の冷や汗を流す苦笑で見つめた。

「よもや、これほどまでとは……妾の見立て以上じゃ」

 視線を落とせば、そこにある黒い鱗に覆われた――否、覆われていた、手がある。

 ネルの『一式・徹し』を真正面から受け、ちょうど手の甲にあった鱗は綺麗に弾け飛んでいた。掌からも、鱗が剥がれた甲からも、ドクドクと鮮血が流れ落ちる。

「三式まで覚えれば、もう、人の姿ではとても相手にできんな」

 ネルが撃ち砕いたこの黒き鱗は、ただの鱗ではない。リザードマンは元より、野生の地竜や飛竜が持つものよりも、比べものにならぬ頑強さを誇る。

 黒竜の鱗。それは、地上に生息する数多の生物の頂点に君臨する最強の種族が持つ、絶対防御の象徴。

 人の姿で出すなら強度は知れるが、それでもそこらのモンスターが持つ鱗や外殻を遥かに超える硬さを持つ。

「残念じゃ、竜の身に過ぎぬ妾では、古流柔術の奥義は伝授できんのじゃからな」

 そう、二百五十年の長きに渡って巫女を務めるベルクローゼンの正体は、人間ではなく、黒竜。

 彼女が持つ古流柔術の技と知識とは、かつて古代のエルロード帝国騎士の誰もが習得した基礎段階まで。それ以上の奥義、極意というべきものは、ベルクローゼンが知らぬ以上、完全に喪失したといってよい。

 だからこそ、彼女は残念でならないのだ。

 ネル・ユリウス・エルロードという少女は、かつて教えを授けた数多のアヴァロン王族の弟子たちの中でも、それこそ、天才と称される兄のネロと比べても、全く及びもつかないほどの才能を秘めていたのだから。

 おめでとう、ネルは巫女に進化した!


 2015年1月9日

 次回は来週の月曜日、1月12日に更新します。

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[気になる点] ネルってなんで羽生えてるんだろう(今更) [一言] いつかもし古流柔術の奥義を覚えたらネル無双が始まる……!
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