第473話 第五次ガラハド戦争の終結
「……勝った」
真っ白い残骸と化したタウスルの傍らで、シモンはガラハド山脈に木霊するスパーダ軍の勝鬨を聞いていた。
熱狂。そう表現する他ないほど、この場に居る兵士と冒険者は沸き立っている。
見れば、遥か遠くにはまだ濛々と雪煙と共に悲鳴と怒号が上がっていた。撤退する十字軍に、スパーダ軍の容赦ない追撃が加えられている最中なのだろう。
背中を見せて逃げ出す無防備な白い兵士達は、これからあと何人、ガラハドの土へ還ることになるのだろうか。すでに戦いを終えた自分には関係ないか、とシモンはそれ以上、考えることを止めた。
「やぁ、怪我はないかい、シモン」
少しばかりボンヤリした頭で雪の地べたに座り込んでいると、頭上から涼やかな声がかけられた。
「あ、ソフィさん」
見上げれば、そこにあるのは寒空の下にも関わらず曝け出された豊満な褐色の肉体。抜群のプロポーションを蠱惑的に包み込む、純白の踊り子のような衣装が目に眩しい――はずなのだが、少しばかり煤けて見えた。
艶やかな褐色の肌に浮かぶ玉のような汗と、その身から湯気のように立ち上る淡い水色のオーラに気づくと、シモンはようやく思い出す。
「あの、ありがとう、ございました……ソフィさんの方こそ、怪我、ないですか」
「私のことを心配してくれるなんて、嬉しいよ。大丈夫だ、安心してくれ。久しぶりに加護を使ったせいで、少しばかり疲れただけさ。体は見ての通り、全くの無傷だよ」
目の前で寄せられる深い胸の谷間に、思わず視線が釘付けになりそうなところで、シモンは理性を総動員して平静を保った。
「そ、そうですか、良かったです、それは……」
彼女も自分も、助かってよかった。心から、そう思う。
ついさっきの出来事のはずなのだが、不思議とシモンにはもう懐かしい遠い思い出のように感じられる一瞬だった。それほどの緊張感ということだ。サリエルを、使徒を狙撃するということは。
不運だったのは、サリエルの登場と共に自身が駆るタウルスが一発で破壊されたこと。幸運だったのは、最も分厚い防御を誇るコックピット周りだけは、どうにかこうにか損傷を免れたこと。
それでも凄まじい衝撃が加わり、シモンは操縦席の中で目を回していたのだが、唐突に脳内に響き渡る恐ろしき妖精のモーニングコールによって、すぐに目を覚ました。
作戦は最初から頭に入っている。リリィのテレパシーで自身の無事と、作戦の続行に問題がないないことを伝えてから、シモンは一世一代の勝負に臨んだ。
手にしたのは『ヤタガラス・二式』ではなく、確実にサリエルを撃つために作り上げた、新たなスナイパーライフル。スロウスギルの余った骨を組み込むことで、クロノの『ザ・グリード』と同じく弾丸を雷属性で加速させる魔法の機構を備えた、ストラトス鍛冶工房が送る最新作。その名も『サンダーバード』。
新たなる雷銃を構えたシモンは、ただじっと黙って時が来るのを待った。息を潜めて、気配を殺して。そして、どうか見つかりませんように、と黒き神々に祈りながら。
「やはり、貴方の力は危険すぎる。貴方も、貴方の仲間も、全て殺します」
「ふっ、馬鹿め……気づくのが遅すぎるんだよ」
そして、シモンは引き金を引いた。ここだ、とテレパシーがなくとも、クロノの気持ちが不思議と伝わったような気がした。
命中。正しく雷の如き速さで銃口より放たれた『心蝕弾頭』は、紫電の尾を引きながらサリエルの側頭部へ襲い掛かった。
加護のオーラで反射的にガードしたのだろう。大口径の特殊弾丸は彼女の頭を貫くことはなかったが、内に秘めた記憶破壊の効果は発揮されたと、確信が持てた。
やった、当たった。
そう思った次の瞬間、真っ白い光に包まれて、気を失った。
今になってようやく理解する。自分は狙撃が成功した直後に、サリエルから強烈な反撃を受けたこと。そして、それをソフィが身を挺して守ってくれたこと。
目覚めた今では、クロノとサリエルが狂気を極めたような戦いを演じていた雪原には、もう誰もいない。つまり、戦いは終わった。クロノは、サリエルを倒したのだ。
「……本当に、勝ったんだ」
「ああ、見事な一撃だったよ」
魔性のヴェールの奥で微笑むソフィに、この時ばかりはシモンも素直に彼女の賛辞に嬉しくなる。同時に、胸の鼓動も一つ高鳴る。少し、気恥ずかしい。
「あ、そうだ、ガルダンをコックピットから出してあげないと」
「アレはしらばく、そのままでもいいんじゃないかな」
狭苦しい操縦席にいまだ取り残されたままのデカいゴーレムの騎士を思い出す。
粗野で粗暴とある意味で冒険者らしいガルダンだが、彼が自分と同じか、それ以上にタウルスを気に入ってくれたことで、シモンはソフィよりもよほど親近感を抱いていた。特に、二人一緒にタウルスを駆って十字軍を蹴散らした時には、深い友情の念さえ覚えたほどだ。
「ハッチが壊れたから、どうやって出せばいいんだろう……」
救助には手間と時間がかかりそうだ。
そう思いながら、シモンは改めて周囲を見渡す。
戦いの勝利を喜ぶ者がほとんどだが、中には倒れた仲間の亡骸に寄り添い、涙を流す者の姿も見受けられた。
この近くで倒れている者はほとんど全て、サリエルによって殺された。ほんの僅かな時間で、これほどの被害を出すのだ。早々にクロノが仕留めなければ、スパーダ軍の勝利は揺るがぬとしても、甚大な被害を被っただろう。
「ん、あれ、あそこにいるのって……うわ、あの人たち、生きてたんだ……」
ふとシモンの目についたのはどこのダンジョン出身ですか、と聞きたくなるような、逞しい巨体の面々が寄り集まっている姿。それはオークとミノタウルスとサイクロプスの三人組、すなわち『鉄鬼団』のメンバーだった。
「ああ、彼らはタフだからね。それにモンスター系の加護となれば、生命力も底上げされる。きっちりトドメを刺ささないと、ああして何度でも立ち上がるのさ」
確かに、首をとられてもいなければ、心臓を貫かれてもいない。しかしながら、あのやられぶりは、普通なら再起不能なほどのダメージだったはずだ。
「いやぁー参った、今回のはホンマにヤバかったで」
「んもう、ホントに死んじゃうんじゃないかって、怖かったんだから!」
「お、オラはまだ……顔が痛いんだな……」
それでも、ああして自力で立ち上がり談笑しているとは、たとえ負けてもランク5ということだろうか。
「はぁ……そういうものなんですね」
「まぁ、大抵は助からないのが普通だけれど。ほら、『ブレイドレンジャー』の方は、手遅れだったようだよ」
カラフルな装備の『ブレイドレンジャー』のメンバーは、真っ白い雪原に倒れているとよく目立つ。シモンもソフィが示した先に視線を向ければ、すぐに見つけることができた。
「うっ……うぅ……くそう……ちくしょう……みんな、ごめんね……必ず仇は、とるからぁ……」
赤青黄緑の死体を前に泣き崩れているのは、目に眩しいショッキングピンクのスーツをまとった、『ブレイドレンジャー』のリーダー、ピンクアローであった。ふざけた格好でも、仲間の死がつらいのは同じであろう。
「本当に、恐ろしい相手だった。私もあれほどの手練れは初めて見たよ。よく、リリィ達は倒せたものだ……」
常に飄々とした余裕の態度を崩さないソフィでも、真剣な様子で言葉を漏らした。僅か一撃を防いだだけだが、サリエルの実力を彼女もまた身をもって体感したのだから、尚更であろう。
「あっ、そういえばお兄さんは、どこにいるの? 勝ったんだったら、もう戻って来てるはずだよね」
シモンにとって、夢にまで見た使徒打倒という勝利を得た喜びは、クロノとこそ分かち合いたかった。共に地獄のアルザス防衛戦を生き残った、親友として。
「そうか、君は気を失っていたから、アレを見ていなかったんだね」
意味ありげなソフィの口ぶりに、嫌な予感が脳裏を走る。
「え、ちょっと、どういうこと……お兄さんはどうなったの!?」
「落ち着いて聞いてくれ、彼は――」
「――行方不明って、どういうことですかっ、リリィさん」
フィオナは声こそ荒げていないものの、明らかな殺気を漂わせる無表情のまま、リリィの破れたワンピースを掴み上げた。幼い姿のリリィに対して行うには、虐待でもしているかのような勢いと剣幕。
しかし、リリィは一瞬だけ目を伏せたあと、すぐに怒りに燃える黄金の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「話した通りよ。クロノはサリエルと共に、転移魔法に飲み込まれて消えたわ」
フィオナの記憶は、サリエルの右腕を『火焔長槍』で吹っ飛ばしたところで途切れている。その援護射撃で、とうとう体に限界が訪れて気絶。次に目覚めた時は、ガラハド要塞の医務室であった。
そして今は、戻った宿の部屋でリリィに現状を問いただしたのだ。起きてからクロノの姿が見えないことに一抹の不安を感じていたフィオナであったが、リリィの口から語られた事実は、衝動的に掴みかからせるには十分すぎるほどの内容だった。
「どう、して……」
「クロノは、サリエルの殺害を最後まで諦めなかった。諦めて、くれなかったのよ」
「クロノさんは、そうでしょうね。そういう人、ですから……けれど、リリィさん、貴女がついていながら」
「ごめんなさい。あの時、止めきれなかったのは私の責任よ」
自分が糾弾するまでもなく、リリィが責任を感じているだろうことは、フィオナにも分かった。泣きわめくこともなく、怒り狂うこともなく、ただ冷静に、理性的に非を認める。
そんなリリィの姿に、フィオナは掴んだ手を離す。
そもそも、リリィだって妖精合体が解除された段階では、もう魔力が底を尽き戦闘どころか立って歩くことも厳しい状態にまで消耗することは分かっていた。気絶した自分と大差ない。あの時、リリィにできることは自分と同じく何もなかったはず。
そう理解はできても、胸に燻る憤りが収まったわけではない。代わりに湧き上がるのは、どうしようもないほどの焦燥。
「クロノさんは、どこに行ったんですか」
「分からない」
「飛ばされた方角は?」
「分からない」
「転移魔法の術式は? 一部だけでも、読めませんでしたか?」
「全然、分からなかったわ」
はぁ、と大きな溜息をついたのは、果たしてリリィかフィオナか。あるいは二人ともか。
重苦しい沈黙が僅かに流れた後、動き出したのはフィオナであった。まだまだ疲れが残る重い足取りで、部屋を横切りドアへと手をかける。
「何処へ行くつもり」
「クロノさんを、探しに行きます」
「アテはあるの?」
「あるわけないでしょう」
「止めときなさい」
「止めないでください」
振り向いたフィオナの目は、そこに黄金の太陽が燃え盛っているかのようにギラついている。
正気じゃない、というのが、自分でも分かった。
「少し、落ち着きなさいよ、フィオナ」
「リリィさんは、よくもそんなに落ち着いていられますね」
刺々しい言葉にリリィは答える代わりに、懐から一つの宝玉を取り出して見せた。
小さな手のひらの上に転がるのは、漆黒の輝きを放つと共に、ゆらめく赤いオーラが禍々しい、ちょうど人の目玉のような――否、正しく人間の、クロノの眼球によって創り出された大魔法具『黒ノ目玉』である。
「クロノは無事よ。ちゃんと生きている……コレを通して、私には分かるの」
だから取り乱すこともなく、冷静でいられる。
フィオナの胸に俄かに膨れ上がったのは、そんな余裕のリリィに対する怒りではなく、嫉妬。クロノと離れても、これほどまでに確かな繋がりを持ち得る彼女の存在が、妬ましくて仕方がない。
「本当にクロノの身の安全を思ってくれるなら、勝手な行動は慎んで。一刻も早く、クロノと会えるよう、私たちは最善の行動をするべきなのよ」
分かってはいる。分かってはいるが、どうしようもないほどの焦燥感がフィオナの胸を熱く焦がし、不安の黒煙が立ち込めるのだ。
「いい、クロノがまだ生きているということは、十字軍に捕まったわけではないわ」
クロノが捕虜となる可能性は非常に低い。
彼の活躍、もとい十字軍に与えた損害と、何よりその狂暴を極める戦いぶりは、生かして捕えておくにはあまりに危険。
そして何より、クロノの身分は単なる冒険者。スパーダにおいて何ら権力を持たない、人質としても一切価値のない存在である。
クロノは見つけ次第殺すというのが最も安全、かつ、士気を保つ最善策であることは疑いようがない。
「貴女も知っていると思うけど、サリエルには戦う力は失われていた。クロノもかなり消耗はしていたけれど、トドメを刺すには十分だわ」
転移した先で、クロノがサリエルに返り討ちにあう可能性はゼロだ。最悪、何らかの方法でサリエルがさらに逃げ延びたのだとしても、クロノの生存が確定している以上、リリィとフィオナにとってはさしたる問題ではない。
「戦いから、もう一晩経ったわ。クロノも動けるくらいには回復しているでしょう」
今日の日付は、冥暗の月25日。すでに夜は明け、時刻はそろそろ正午に差し掛かろうかという時間帯である。
クロノの強靭な肉体でいけば、一晩眠るだけでリリィの言う通り、問題なく歩き回れるだけの体力は回復する。そこまで力が戻ったクロノなら早々、敵に見つかるようなヘマはしない。
クロノの力があれば、危険なダンジョンの中でも問題なく生活し続けることができるのだから。もし、クロノが十字軍の支配する地域に飛ばされていたとしても、リスクを犯して人里まで近づく必要は必ずしもないのだ。
「きっと、クロノはスパーダを目指して帰ってくる。その時、私達がいなかったら、無駄に入れ違うことになるでしょう」
「では、大人しく待っていろというのですか」
「それは無理ね。貴女も、私も、ただ黙って待っていることになんて、耐えられるわけないわ」
リリィの幼い顔に皮肉な笑みが浮かんだのは一瞬のこと。すぐに真剣な表情を取り戻し、力強くフィオナへ語る。
「クロノがどこへ飛ばされたか、全く見当はつかないけれど、少なくともパンドラ大陸にいるのは間違いないわ」
何故か、という問いがフィオナの喉元まででかけたところで、解答が閃いた。
「クロノさんと繋がっていられるのは、加護の力ということですか」
『黒ノ目玉』は妖精女王イリスが創り出したものであり、クロノと身も心も一つになる『妖精合体』もまた、彼女から授かった神の魔法である。
それは翻って、妖精女王イリスの力が及ばない場所では効果は発揮されないということでもある。黒き神々の一柱である以上、基本的にその加護はパンドラ大陸全土で発現することが可能。
もし『黒ノ目玉』が何の反応も示さなかった場合は、クロノが死んだか、あるいは、加護が及ばない場所にいるかの二通りのみ。
リリィがクロノの生存を感じられるという時点で、彼がパンドラ大陸にまだ存在していることが同時に証明されるのだ。
「地続きで探しに行ける場所にいる、というのは僥倖だけれど……」
「人を一人探し当てるには、パンドラ大陸はあまりに広すぎますね」
パンドラ大陸全土の地図を見たことくらい、冒険者なら一度はあるだろう。北は万年、氷雪に閉ざされる永久凍土の大地から、南は一年中太陽がギラつく常夏の島々まで、ガラリと季節が変化するほど。端から端まで移動するだけで、どれだけかかるか想像もつかない。
「けれど、クロノに救援が必要となるならダイダロスだけよ」
言わずもがな、ダイダロス領は今や十字軍が支配する敵地の真っただ中。逆に、他の地域であれば、スパーダまで帰って来るのにさしたる問題はない。道中に多少の危険はあるかもしれないが、はっきりクロノと敵対するのは十字軍のみ。
「ダイダロスへ行くなら、準備がいるわ。着の身着のまま飛び出すわけにはいかない」
少なくともリリィには、人間に変装するための細工は必要となる。アヴァロンへ行った時と同じように。フィオナとしても、素顔を晒して行動するにはリスクが高い。
「だから私は一旦スパーダに戻って、ダイダロスへ捜索に行く準備を整えて来るわ。フィオナはガラハド要塞で待っていて。私が戻るよりも早く、クロノがここへ帰ってくる可能性もあるからね」
希望的観測としか言いようがないが、それでもゼロは言い切れない。クロノが思ったよりも近くに飛ばされている可能性もあるのだから。
「スパーダにはシモンを残すし、ウィルハルト王子もいるわ。定期的に連絡をとれば、こっちの様子は分かる。だから私とフィオナで、まずはダイダロスへクロノを探しに行きましょう」
「分かりました、リリィさん……すみません」
そう、今にも泣き出しそうに顔を歪ませるフィオナ。リリィはそっと、彼女の手をとって言った。
「いいのよ、私だってギリギリなんだから」
冥暗の月24日に始まった十字軍の第三次攻撃を、スパーダ軍は辛くも凌ぎ切り、ついにこれの撃退に成功した。
十字軍はガラハド要塞前の陣を引き払い、全軍撤退。スパーダ軍第二隊『テンペスト』は追撃を仕掛けるも、敵、殿部隊は驚異的な粘りを見せ、全滅と引き換えにこれを食い止めた。この戦闘が、ガラハドでの最後の戦いとなる。
ガラハド要塞が誇る大城壁は、敵の古代兵器により半壊。さらに激しい攻防戦の結果、数万もの甚大な死傷者を出す。しかしながら、レオンハルオ国王陛下をはじめ、アイゼンハルト第一王子、エメリア将軍、ゲゼンブール将軍、等々、スパーダ軍の首脳陣は無事に終戦を迎えた。
こうして、第五次ガラハド戦争は、スパーダの勝利と呼べる結果に終わる。
「……表向きの情報を見れば、な」
ふぅ、と少しばかり重い溜息をついたのは、スパーダの残念な方の王子様、第二王子ウィルハルトである。
手にした報告書の束を机の上にバサリと投げ出し、半ば癖と化している、右目にかかる片眼鏡をクイと上げる動作をしてから、顔を上げた。
「ですが、一先ずは安心といったところでしょう」
スパーダ王族特有の金眼が向く先には、そこにいて当然のように、だが、影のようにひっそりと佇む、一人のメイドの姿がある。勿論、彼女はウィルハルトが誇る、身の回りのお世話から護衛に諜報活動までと万能にこなすスーパーメイド、セリアだ。
「そうさな、国民にも同盟国にも、十分に面目が立つ戦果ではある」
「報告によれば、十字軍の数は第四次のダイダロス軍を上回っているともあります。こちらの被害も妥当なところではないでしょうか」
「数字だけで見ればな……だが、肝心の戦闘内容はどうだ。第四次とは、いや、他に覚え聞くパンドラの国家間では見られない異様な戦いであるぞ」
今、ウィルハルトが座っているのは王立スパーダ神学校にある幹部候補生専用の男子学生寮である。基本的に王侯貴族しか集まらない幹部候補生であるが故に、全て一人部屋。
だが、この所詮は学生に過ぎないウィルハルトの私室には、スパーダ王城にしか届けられていないはずのガラハド戦争の戦闘詳細、戦果報告、などなどの情報が集結していた。
勝手に機密文書を持ちだしたわけではない。これでも一応は第二王子のウィルハルトは、ある程度の書類は王城に出向けば閲覧可能であるため、そこで読んだ情報を、詳しい数字まで丸暗記した上で、要点だけ抜き出したメモにまとめて持ち帰っているに過ぎない。
それは現地の司令部にあるだけの情報量には劣るものの、第五次ガラハド戦争の戦闘経過を大まかに把握するには、十分すぎるものであった。
故にウィルハルトは、すでにあの要塞でどのような戦いがあったかを知っている。
「古代兵器のタウルスに、謎の次元魔法による分断作戦。そして、使徒……十字軍の戦力も、その戦術も、底がしれぬ。戦勝に浮かれていては、次の戦い、危ういぞ」
懸念すべきは父である国王、レオンハルトの慢心ではない。実際に戦場で指揮を執り、さらに報告によって例の『使徒』と刃を交えたことも判明している。十字軍の力をこれ以上なく体感しているのは、彼を置いて他にはいないだろう。
故に、問題となるのは同盟国の反応である。
一度退けた実績ができれば、次はもっと楽だろう、余裕だろう、とスパーダへの支援を惜しむ可能性は十分に考えられる。ほとんど軍を派遣しない以上、金銭と物的支援の面では、馬鹿にならない支出を同盟各国は出すこととなっている。
実際に血を流さないのだから当然ともいえる支援ではあるが、それが抑えられるに越したことはない。
スパーダとしてはより多くの支援を引き出すことが外交上の命題となる。
しかし、レオンハルト王は戦上手ではあるが、政治的駆け引きは……というワケだ。スパーダとしては、やや誇張気味に敵の強大さをアピールするべきなのだが、寡黙なレオンハルトにその手の演説を期待するのは酷な話だろう。
「そういえば、ネロ達も参加したのだったな……ふーむ、我の方からアヴァロンに訴えてくれるよう、一筆添えてみるか」
いまだ学生の身分に過ぎないウィルハルトは、こんなことしか今の自分にはできないのかと頭を悩ませる。
父親からは秀才だと期待されてはいるものの、現状ではまだ何の地位も役職も得ていない。だがしかし、同い年のクロノは戦局を左右するほどの活躍を上げているし、あのか弱いシモンだって、覚悟を決めて自ら戦場へと赴いて行ったのだ。
「戦いを終えた今こそ、我が働くべき時だというのに……」
戦後処理に、次の戦いへの備え。戦場に立つ兵士や騎士では関わり合いになれない外交戦略の場に出るだけの身分が、自分にはある。しかし、実際にその活躍の場に立てるのは、いったい何年後となるだろうか。少なくとも、まだ一年後の神学校の卒業を待たなければならないのは間違いない。
まるで、鉱山に引かれたトロッコのレールみたいな人生だとウィルハルトは思う。父であるレオンハルトは、学生の身分になどまる囚われず、その身一つで戦場へ赴いて行ったというのに、自分にはとてもそこまでの行動力は持てない。
「焦る必要はございません、ウィル様」
「ふっ、分かっておるセリア。焦燥感に駆られて馬鹿をやらかすほど、子供ではないつもりだ」
「盗んだ騎馬で走り出さないかと、心配でした」
「何年前に流行った歌だと思ってる……歳がバレるぞセリア」
古いフレーズに思わず苦笑を浮かべるウィルハルトに、ややムっとした雰囲気を醸しながらも素知らぬ顔を貫き通すセリア。少しだけ、緊張は解れた。
「時にウィル様、明日は凱旋パレードとなるご予定ですが」
「そういえば、もう帰ってくるのだったな」
スパーダ勝利の一報は、すでに国民の間にも広く知れ渡っている。スパーダは今、戦勝に熱く沸き立っている状況だ。
彼らはスパーダを勝利へ導いた偉大なる王の帰還を、今か今かと待ち望んでいることだろう。
「父上が戻り次第、我も聞いてみるが……セリアの方でも探りを入れてみて欲しい」
「それは、戦場より消えたクロノ様の行方のことでしょうか」
すでに、クロノが行方不明となったという情報も、ウィルハルトの耳には届いている。
負傷でも戦死でもなく、行方不明、という状態に当初は疑問に思ったものだ。しかし、どうやら宿敵となる使徒との戦いの果てに、敵が逃亡用に行使した転移魔法に巻き込まれたと聞いて、ようやく合点がいった。
もし、その転移魔法が敵の拠点に通じていたとすれば、クロノの生存は絶望的となる。心配しないはずがない。
「いいや、違う」
しかし、ウィルハルトは否と断じた。
「クロノのことは、リリィ君とフィオナ君に任せるべきだろう。無論、捜索の協力は惜しまない」
「よろしいのですか?」
「ふっ、クロノは我が魂の盟友であるぞ。男は黙って、帰還を信ずるのみよ」
クロノなら、きっとどんな状況でも生き延びる。そして、必ず生きてスパーダに戻ってくると、そう信じられた。根拠も何もあったものではないが、これが信頼というものだろうと、ウィルハルトは思っている。
「故に、我らが優先すべきなのは――父上が捕えたという使徒、第八使徒アイを名乗る者についてだ」
此度のガラハド戦争において、戦場に現れた使徒は二人。
一人は、第七使徒サリエル。
すでに戦局が決定し、十字軍が敗走を始めた段階で、逃げ去る彼らを守るように突如として天から白い光と共に現れたという。
ほんの僅かな間に、ランク5冒険者を仕留め、さらに千に近い兵を血祭りに上げてみせた。
それから詳しい戦闘の様子は不明だが、『エレメントマスター』が最後に戦い、その結果、クロノとサリエルは転移魔法によって戦場から姿を消したのは間違いない。状況は判然としないが、それでも第七使徒サリエルが、ガラハド戦争からこうして退場したというのは確定である。
スパーダ軍に目立った被害を与えたのは、この第七使徒サリエルなのだが、『エレメントマスター』との戦いで窮地に陥った彼女を助けるかのように、もう一人の使徒が現れたという。
それが、第八使徒アイ。
その名前には聞き覚えがある。そう、かつてクロノが地獄のアルザス防衛戦、その最後に現れ、仲間が全滅する遠因となった人物だ。
彼女の登場によって、クロノは今度こそ戦死の末路を辿るかと思われたが、尋常ならざる使徒の気配を感じ取って駆け付けたのが、レオンハルトであった。
あの戦闘狂の父が、一対一での決闘ではなく、アイゼンハルト王子、エメリア将軍、ゲゼンブール将軍と、スパーダ最強のメンバーで臨時パーティを組んで、たった一人の相手に挑んだというのだから、使徒の強大さがそれだけで理解できるというもの。
恐らく、サシで戦えば負けていた、と感じたのだろう。だが、王として簡単に死ねない、何が何でも勝利に導かなくてはならない。
果たして、レオンハルト国王はその責務を全うしたのだ。
「第八使徒アイは激戦の末に投降、厳重に魔力封印を重ねられ捕縛したとある。恐らく、近い内にスパーダへと移送されるであろう」
「そんな危険な人物を、本当にスパーダへ連れてくるのですか?」
「ただの凶悪犯罪者風情であれば、南ガラハド軍監獄へ放り込んでおけばよいが……強大な加護の化け物とあらば、我がスパーダ王城の最下層『コキュートスの狭間』に封印するより他はなかろう」
「処刑ではなく、あくまで捕虜として収容し続けると?」
「話によれば、使徒はただ強力な兵士というだけでなく、王侯貴族以上に尊ばれる、宗教的な重要人物でもあるという。どんな条件でも身柄を解放することはないだろうが、人質としての価値は計り知れんからな。それに、父上としても使徒の力の秘密は気になるところであろう。聞きたいことは、山ほどある」
しかし、ウィルハルトは使徒を捕えておく正しい理由を自ら述べておきながら、一抹の不安を拭い去ることはできない。
このスパーダのど真ん中に、これからずっと使徒という恐ろしい化け物を抱え込んでおくということに。
2015年1月2日
新年、あけましておめでとうございます!
恐らく、今年一年連載しても完結の見込みはありませんが・・・どうぞ、今年も『黒の魔王』をよろしくおねがいいたします!