第469話 エレメントマスターVSサリエル(4)
『心蝕弾頭』。それが、サリエルの記憶封印を撃ち砕くために作り上げた弾丸の名だ。
スロウスギルの指を材料にしているこの弾は全部で四発。俺とシモンで半々、一応、予備が一発はある計算となるが……かの狙撃手に二発目は必要なかった。
恐らく、シモンの狙撃ポイントは倒されたタウルスの残骸、その影だろう。サリエルが弾道ミサイルのような登場をしたせいで、着弾点となったタウルスは一発で大破したが、コックピットはどうにか無事だったのはリリィのテレパシーによって確認済みである。
俺達がサリエルと戦闘開始して以降は、特に何も示し合わせることもなかったが、それでもシモンは見事に仕事を果たしてくれた。
あとは、果たして本当に『心蝕弾頭』に効果があるのかどうか、それだけが問題だ。
「ん、あ……」
目を見開き、真紅の瞳が揺れる。ついにサリエルは明確な苦痛にうめきをあげたが、まだ死んではいない。
サリエルは寸前で狙撃に気づいていたからな。視線が逸れたのは、そのせい。
回避はできなかったが、白銀のオーラを頭部に集中させてガードを固めるくらいはできたようだ。お蔭で弾丸は強かにサリエルの頭を叩いただけで、一筋の血飛沫も上がることなく弾かれた。
そうして、衝撃によって大きく傾いだ体はしかし、寸前で雪の大地を踏みしめ転倒を堪える。そして次の瞬間には、しならせたバネが弾かれるような勢いで逆方向へと動く。
不自然な体勢から繰り出す無茶なモーションだが、それでもサリエルは、投げた。手にした十字の槍を、狙撃手が潜んでいるだろう方向へ。
「シモンっ!」
叫びはするが、その強烈無比な投擲を防ぐ手段は俺にはない。視線の先で、白い光の爆発が巻き起こったのを眺めることしかできなかった。それはつまり、今すぐシモンの安否を確かめるのもできないということ。
だが、こうした反撃もまた想定済み。一発だけならきっと、ソフィさんがシモンを守ってくれるはず。
故に最大の懸念は、サリエルにはまだ遥か遠くの狙撃ポイントを瞬時に見抜き、そこへ槍を投げられるほどの戦闘能力を維持しているという一点。
まさか、『心蝕弾頭』は効かなかったのか。
「ん、くっ……あ、あああぁ……」
さらに苦しげなうめき声を漏らして、サリエルの体が再び大きく傾ぐ。泥酔したようにフラフラと、彼女の白い生足は雪の大地を踊った。
それは紛れもなく、『心蝕弾頭』が効果を発揮した影響だろう。
やった、やったぞ。ついに俺達は、サリエルへ致命の一撃となる記憶の封印破壊に成功し――
「――ぐおっ!?」
視界が一瞬、赤く染まった。
いや、別に刺されたわけじゃない。血でもなく、かといって炎でもない。眼の前にチラついた赤い光景は……ああ、そうだ、これはついさっき見た、煉獄の空だ。
「こ、これは……逆干渉か……」
次に俺の目に浮かび上がった光景は、長い黒髪を振り乱して、大きな鉈と剣を両手にした目つきの鋭い美人が鬼の形相で斬りかかってくるシーン。紛れもなく、妖精合体モードの俺である。戦闘中の俺の姿を見ているのは、対戦者のサリエルをおいて他にはない。
今、俺の頭に次々とフラッシのように瞬く光景の数々は、彼女が見た記憶。俺は今、それを見せられているんだ。
『逆干渉』とは、テレパシー能力者を仕掛けた相手から逆に自らが干渉し、相手の記憶や感情を読む技術的な意味と、テレパシーの波長が狂い、意図せず互いの感情や記憶が混線する現象の、二通りの意味がある。
冷静に自分の身に起こっているのが『逆干渉』だと判断できたのは、ラストローズの時に経験しているからだ。思い出すのも恥ずかしい淫夢の罠に囚われていた時、ヒツギと悪食が強引にラストローズの幻惑を破ったことで、あの時は『逆干渉』が引き起こされた。それによって、俺はラストローズの能力の秘密を知るに至ったのだ。
そして今度は、サリエルの秘密が明かされようとしていた。
「ク、ロノ……マオ……貴方を……こ、殺し……ま……」
彼女の口からその時の台詞が漏れているのは、今と過去の区別がつかない混乱状態に陥っているからに違いない。
目に浮かぶのは、『首断』を手に全力でガンを飛ばしている俺の姿。サリエルの記憶は、俺と戦い始める直前まで戻っている。
どうやら、『心蝕弾頭』は現時点から時系列順に遡って記憶を解放していくようだ。今はついさっきの出来事が再生されているが、これが昨日、一昨日、一週間、一ヶ月、一年――と遡って行けば、いつか必ず、サリエルが記憶を封印された『その時』にぶつかることだろう。
そしてその瞬間こそ、彼女の意識に大きな影響を与え、戦闘不能に、あるいは完全に自我が崩壊するかもしれない。
「パイルバンカーぁっ!」
だが、大人しくその時まで黙って待っていてやる必要はない。俺は思い浮かぶサリエルの記憶の断片を視界にチラつかせながらも、目の前に立つ彼女を見失うことなく黒く渦巻く拳を振るった。
「ぜ、全軍、撤退……殿、は……わ、わた、し、が……あっ――」
ついに、俺の攻撃がサリエルへクリーンヒットした。
真っ直ぐ繰り出す渾身のパイルバンカーは、オーラを突き破ることはできなかったが、それでもサリエルの真っ白い腹部へと炸裂。解き放った黒色魔力が爆ぜる衝撃でもって、彼女の小さな体が木の葉のように舞った。
まるで、サリエルが見た目通りのか弱い乙女にでもなったかのように、殴り飛ばされた彼女は受け身さえとることもなく、無様に雪の上を転がった。
今の俺はきっと、リィンフェルトを人質にした時以上の鬼畜に見えるだろう。下着姿の美少女を全力でぶん殴っているのだから。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
だが、今こそ好機。ようやく、ようやくだ、俺はついに、使徒を追い詰めている。
誰に何と思われようが、俺はやる。
使徒を倒す。
だから、見ていてくれ。イルズ村のみんなと、冒険者同盟のみんな。今こそ俺が、仇の一人を討つ瞬間を。
「十字軍、は……す、スパーダに……やぶ、れ、ました……救援、を……」
今日の出来事なのだろうか。やけに豪勢な食事が並ぶテーブルを前に、緑の髪をしたイケメンの将軍らしき青年へと、サリエルは出撃する意思を伝えていた。
そのワンシーンが脳裏から消え去ると、俺の目には仰向けでグッタリと倒れ伏す現実のサリエルが映る。白い下着だけの裸身を晒す彼女は、扇情的というよりも、その遥か遠くを見つめるような茫洋とした表情と、手足を投げ出す無防備な格好から、背徳的といった印象が強い。
俺はケダモノ染みた欲望に突き動かされた暴漢よりも激しい勢いで、そんなサリエルへと飛び掛かる。
もう一度振りかぶった拳が、虚空を見つめる彼女の顔面に突き刺さる――直前、サリエルの右手が動く。
「戻れ(リバース)……」
瞬き一つするよりも短い間に、その手に十字の槍が再び握られていた。速い。ここまで速く逆召喚で戻せるのかよ。
気が付けば、槍はもう目の前。跳ね上げられた穂先に、俺は反応しきれない。
「ぐぅうおおおっ! く、そっ……まだ戦う力は、残ってるか……」
どてっ腹に一発、喰らってしまった。コートのない俺に残されたのは、シャツと上着の二枚だけ。どちらも丈夫なだけが取り柄で、何ら防御効果は持たない。
それなりに深く刺された俺は、雪上でもんどりうちながらも、素早く『妖精の霊薬』が入った袋に指先を突っ込み、最低限の回復を済ませる。
再び立ち上がる頃には、出血は止まっている。見れば、サリエルもどうにかこうにか、立ち上がっていた。槍を杖代わりに、足を生まれたての小鹿のようにガクガクと震わせながら。
「こ、こに……魔法陣、を……描き……」
雪原に立つ、巨大な要塞。向こう側に見えるのは、雪景色のガラハド山脈。その山影の形には、どこか見覚えがある。
きっとあれが、アルザス村の跡地に建てられたという、十字軍の要塞なのだろう。
「ちくしょうめ」
一言、それだけ吐き捨てて、俺は正面のサリエルを見据える。対する彼女もまた、記憶が溢れ出す衝撃に耐えかねるように、大きく真紅の瞳を揺らしているが、それでも、確かに視線は俺を捉えていた。
サリエルにはまだ、反撃の力は残っている。もう一度、真正面から仕掛けるのは危険だろうか……いや、ここで畳み掛けるべきだ。時間をおけば、今以上に消耗するかもしれないが、もしかすれば、何かしらの手段で回復しないとも限らない。
まだ記憶の封印は完全に破壊されてはいないが、それでも現時点でかなり意識をかき乱しているのだ。これが最初で最後の隙となるかもしれない。
やはり、勝負を仕掛けるのは今。けど、せめて何か一つ武器が欲しいところだ。
『首断』はコートを脱いだ時に、『極悪食』は煉獄で落とし、『デュアルイーグル』も左肩を刺された拍子に手放してしまった。ヒツギに回収させたくても、もう触手を作り出す魔力さえ惜しい。
最後に頼れるのは、どうやらこの改造強化された自分の肉体だけ、か――
「――火焔長槍」
その時、すぐ脇を金色の閃光が走り抜けて行った。過ぎ去ったのは一瞬、だが、それだけで半身が焼け焦げたかってほどの熱を感じる。
だがしかし、灼熱の矛先は俺ではなく、サリエルにこそ向けられていた。
「フィオナかっ!」
絶好のタイミングで援護射撃をくれたのは、間違いなく彼女だ。
振り向けば、いまだに悪魔の姿と化しているフィオナが、『アインズ・ブルーム』を掲げている姿が目に入る。
妖しい輝きを宿す魔性の瞳と一瞬だけ目が合う。声が届く距離にはないが、彼女の気持ちは伝わった。
最後の魔力を使い果たしたのだろう。フィオナはゆっくり膝を折るように倒れ込みながら、頭から生えるクリスタルの双角が輝く粒子となって霧散していった。魔人化解除。
気絶したフィオナは僕を率いるリリィに任せておけば大丈夫。
ありがとう、フィオナ。後は任せてくれ。感謝の念と共に、俺は力強く一歩を踏み出した。
「あ、う……あぁ……」
再び視界に捉えたサリエル。彼女にはもう、右腕が存在しなかった。
フィオナの放った金色の『火焔長槍』を回避しきれなかったのだろう。サリエルは二の腕の半ばから先が完全に蒸発し、雪の融けた泥まみれの地面には十字の槍だけが落っこちていた。美しい白銀に煌めく槍は、神の威光が失墜したかのように泥まみれ。
「天に、まします……我らが……神、よ……」
サリエルは槍を拾うことさえ忘れたように、真っ直ぐ俺を見つめながら口ずさんだ。十字教の祈りの言葉か。
浮かび上がる景色は、眩いほどに真っ白い輝きに彩られた大きな教会。
「我らの……罪を……許し、給え……」
天井は見上げるほどに高く、左右はどこまでも長く広がっている。解放感すら覚える広大な空間には、白い光がどこまでも満ちている。
だが、そこには誰もいない。
「我らを……悪より、救い……給え……」
サリエルはただ一人で、祈っていた。
見つめる先にあるのは、無機質な白い十字のシンボル。
俺もまた、それを見つめていた。サリエルの顔と白十字が重なる。
「……神のご加護が、あらんことを」
最後の力を振りぼり、俺は拳を振るった。
第七使徒サリエル。そして、その向こうで俺達を天から見下しているだろう、白き神に向かって。
喰らえ。これが、魔王の一撃だ。
「『炎の魔王』――」
異世界召喚。人体実験。イルズ炎上。冒険者全滅。魂の奥底に溜めこんだ憎悪に、怒りの炎が点火した。
黒々とした混沌が渦巻き、紅蓮のオーラが彩る、魔王の拳は、
「――憤怒の拳ぉおおおおおおおおおおおっ!」
サリエルの顔面を、真正面から撃ち抜いた。
拳に覚える、完璧なインパクトの感覚。残った魔力をありったけつぎ込んだ最後の一撃は、その威力を余すことなく通す。
目に映るのはもう、聖なる祈りの景色ではなく、雪の上をバウンドしながら人形のようにぶっ飛ぶサリエルの姿。盛大に雪煙を巻き上げて、彼女の体は一直線に転がって行く。
「はぁ……はぁ……ど、どう、だぁ……」
顔からドっと汗が噴き出る。視界が黒くちらついて、今にも意識が落ちてしまいそう。
完全な魔力欠乏の症状だ。
けれど、まだだ。まだ、膝を屈して倒れるわけにはいかない。
「と、トドメを……ヒツギ、頼む……な、鉈を……」
「はい、ご主人様」
珍しく、返ってくる声は静かだった。
俺は足を引きずるように、サリエルがぐったりと倒れ伏す地点に向けて歩く。
同時に、足元の影から今にも千切れそうなほどにか細い糸のような触手が、いずこかへ転がっている『絶怨鉈「首断」』を探して伸びて行った。
恐らく、サリエルは気絶しているか、意識があっても立ち上がれないほどのダメージを負っている。
だが、トドメを刺すまでは安心できない。相手は使徒。首を落とし、心臓を抉りだし、残った体は灰となるまで焼き尽くさなければ。
最後の仕事を完遂するために、俺には刃が必要だった。
「……これで、終わりだ」
朦朧とする意識の中、気が付けば、俺は雪の上に静かに倒れているサリエルの下へ立っていた。右手にも、いつの間にか手に馴染んだ柄の感触。ヒツギは見事に『首断』を探し出し、俺の手へと運んでくれた。
ああ、ようやく、終われる。
「地獄へ堕ちろ、サリエル」
両手で固く握りしめ、高々と振り上げた呪いの刃が、眠れる使徒の首を断っ――
「――ふむ、魔法、武技、一通り教え込んだが、なるほど、確かに儂は引き際というのをお前に教えた覚えはないな、サリエルよ」
目の前に、アイツが立っていた。
「アルス司教はお前の戦いぶりを案じておった……随分と入れ込まれたものだな」
その白髪と白髭を持つ爺の姿は、俺の記憶に刻み込まれたものと、寸分も違わない。
「まぁよい、使徒とはいえ、万が一、という時はありうる」
およそ人らしき感情の浮かばない、冷徹な青い瞳が再び、俺を見下していた。
「まして、お前は使徒としては最も弱いのだからな」
俺は、コイツの名前を知っている。
「これは、お前と『聖十字槍』のリンクが途切れると自動で発動するよう、組み込んである」
そう、コイツの名は――
「緊急離脱用転移魔法『天送門』。これを使う機会が訪れぬよう、精々、気をつけるが良い」
「――ジュダスっ!」
怒りのままに叫んだその時、もうあの爺の顔はそこにはなかった。
ちくしょう、最悪に胸糞の悪い気分だ。
ジュダス司教。ヤツの名はキプロスから聞いている。俺達、異邦人を召喚し、地獄の人体実験を強いる『神兵計画』を取り仕切る、全ての元凶だ。
まさか、ここでアイツの顔を見せつけられることになるとは……いや、それよりも、今の記憶の中で、ヤツは何て言っていた?
「転移魔法、だと……」
その時、異変は起こった。俺の言葉を肯定するように。
「何だ、槍がっ!?」
数十メートル向こう、俺がサリエルをちょうど殴り飛ばした地点に泥まみれで落っこちていたはずの槍、確か『聖十字槍』とかいう名前のソレが、一人でに浮き上がっていた。俺が魔剣で操るのと同じように、フワリと浮遊している。
次の瞬間に、槍が眩い白光を放つ。
「……くっ、アレが『天送門』か!」
光が瞬いた時にはもう、そこに槍の影も形もなく、一つの門が空中に現れていた。
高さは三メートル、幅は一メートル。そこに備え付けられるはずの壁も建物もないが、存在感だけは妙に大きく感じられる。
特に飾り気のない白塗りの門は、音もなく開かれていった。
その先にあるはずの虚空は、門の内には存在しない。中は白色魔力のオーラによく似た、真っ白い霧のようなものが激しく渦巻きながら、神々しい明滅を繰り返している。そこを通れば、確かに天国にでも通じているかのような輝き。
緊急離脱用転移魔法『天送門』。ジュダスの言葉を額面通りに受け取るならば、それは正しく、逃亡手段。圧倒的な力を誇る使徒を、ただ逃がすためだけに存在する魔法である。
全く、冗談じゃない。
「うぉおおおあああああああああああ!!」
鉈を振り下ろす。逃げる前に、殺すしかない――
「――っ!」
サリエルが、避けた。
カっと見開かれた目は、白目を向いている。まだ、気絶している。それでも、サリエルは動いた。
バネ仕掛けの人形みたいに勢いよく跳ね上がるや、転がるようにその場を逃れる。俺が刃を叩きつけた時にはもう、そこに彼女の首はない。
「待っ、ちやがれぇええええええええええええええっ!」
体力の尽きかけた肉体に活を入れて、強引に鉈を跳ね上げる。今度は横薙ぎ。黒凪を放つだけの魔力もパワーも残ってないが、当たればそれだけで、サリエルを両断できる威力が、この呪いの刃にはある。
「くそっ!」
しかし、それすらもサリエルは見えているかのように、軽やかにすり抜ける。あ、と思った時にはもう遅い。
サリエルは開かれた天国への門へ向かって駆けだしていた。
速い。今から走って、追いつけるかどうか分からない。いや、この速さなら、サリエルが門に飛び込む方が絶対に先だ。
まずい、まずいぞ。ここまで、ようやくここまで追い詰めたというのに、こんなところで――いいや、まだだ、まだ、諦めるな!
「逃がすかぁあああああああっ!!」
サリエルの全力疾走を、俺の全力投球が阻む。正確には、投擲。
俺は手にした『絶怨鉈「首断」』を、力の限り投げていた。脇目も振らず一直線に逃走するサリエルの無防備な背中を目がけて。
コォオオっ! と空を切り裂くだけとは思えない、おぞましい少女の声のような音を上げながら、高速回転しながら飛んで行く呪いの刃。威力は十分、狙いは正確。直撃コース。
しかし、寸でのところで、サリエルは飛んだ。『天送門』はおよそ三メートル空中に浮遊している。俺の攻撃を察知したというより、単純にそこへ飛び込むための跳躍だったのだろう。
それでも、当たりは、当たりだ。
「っしゃああっ!!」
思わず叫びながら、俺は追撃のダッシュを仕掛ける。
ぶん投げた刃は、サリエルの背中を両断する代わりに、ほっそりとした白い足を切り落としていた。左脚が太ももの半ばからバッサリと切断され、滝のように鮮血を落とす。右脚は落ちてこそいないが、それでも骨までは刃が届いたのか、内腿から剥がれ落ちるように鋭利な傷痕が開かれ、左脚の出血と合わさって、盛大に鮮血をまき散らしていた。
足を切られたその衝撃で、ジャンプしかけたサリエルは墜落。受け身をとれるほどの状態ではないのだろうか、無様に頭から落ちて行った。
「待ちやがれぇ――」
飛び掛かる。寸前、両足の機能を失いながらも、サリエルは立ち上がっていた。
いや、正違う。門の方が彼女を引き寄せたのだ。
扉の向こうから漂うオーラの渦が外へと漏れ出て、よく見ればそれは細い帯状となって、サリエルの血塗れた体に伸びていた。
門から放たれたオーラに包まれ、サリエルは重力から解き放たれたかのように、フワリと浮き上がる。
「サぁリぃエぇルぅぁあああああああああああああっ!」
突き出した俺の両腕は、ついにサリエルの体を捕えた。
だが、すでに空中にあるサリエルだ。俺はその身を離さないように、しがみつくだけで精一杯。
すっかり消耗した体力と魔力のせいで、俺の体はガタガタ。こんな無茶な体勢で、サリエルを殺傷せしめるだけの攻撃を放つのは無理である。
彼女の体はオーラに囚われ、がっしり抱き着く俺諸共グングンと上昇していく。止められない。止める手立てが、ない。
「く、そぉ……」
逃がすか。逃がして堪るか。ただその一心、執念でもってサリエルの体を離さない。
「――って! ダメぇ! クロノぉ!!」
耳に届いたその声が、ほんの僅か、俺の握力を鈍らせた。
「リ、リィ……」
視界の端に、小さな体で息を切らせて走り寄ってくる、リリィの姿が映った。
「ダメぇ! クロノぉ、行っちゃダメぇええええええええええっ!!」
力が、抜ける。
リリィが呼んでいる。
もういい、サリエルを逃がしてしまってもいい。リリィは、許してくれる。
だから、もう……
「ごめんな、リリィ」
やっぱり俺は、約束を破った。最後の最後で、俺は無茶をしよう。
俺は笑いながら、残った力を振り絞って、サリエルの小さな背中を更にきつく抱きしめた。門の内側から発せられる、聖なる光が全身を包み込んで行く。
もう、後戻りはできない。
「いいぜ、天国まで付き合ってやるよ……サリエル」