第462話 時、満ちる
カイが刺された。
自らの武器である大剣は、竜革の胸当てを貫き、深々と胸のど真ん中に突き刺さっている。その刃の大きさから、致命傷であることは一目瞭然。
ついに『ウイングロード』のメンバーが一人、欠けた。サリエルとは四人揃ってようやく対等に戦える、という戦力の条件が崩れ去ったことに他ならない。
つまり、俺達の勝ちは、もうなくなったということだ。
「カイ……」
しかし、頭に浮かぶのは撤退という合理的な方針転換ではなく、戦闘続行の闘争心。
誰かが犠牲になるシーンは、初めてじゃあない。かといって、慣れるもんでもないだろう。
仲間が殺された。人が怒る理由としちゃあ、これほど妥当なもんはない。
「――よくもカイをっ! このぉーっ!!」
だがしかし、俺より先に怒りに火が点いた奴がいた。直情的なシャルが、これでキレないはずがない。
あるいは、俺に『ウイングロード』のリーダーとして、勝ち目のない戦いを即座に中断しよう、という正しい判断を下そうとする冷静な考えを少しでも思い浮かべた時点で、当然の結果かもしれない。
シャルは怒りのままに、真っ赤なスパークが弾ける短杖『真紅の遠雷』をサリエルへと向けていた。
「止せっ、シャル!」
怒りよりも、次なる犠牲者が出ることへの恐れが勝る。
サリエルは隠すことなく怒りで真っ赤になったような殺意と魔力を迸らせるシャルの方を向く。完全にターゲットにとられた。
「――閃砲」
シャルに向かって放たれたのは、魔法名を信じるならば光属性の下級範囲攻撃魔法。おまけに、無詠唱の。
だが、目の前で迸る閃光の渦はあまりに巨大。十メートルを余裕で超える光の竜巻が、シャルが先に放っていた雷撃を儚く消し飛ばしながら、ターゲットを飲みこんで行った。
「う……あぁ……」
光が過ぎ去るのは一瞬のこと。
再び視界が晴れた時、そこにはシャルの盾となって前に立つ、大柄なミノタウルスの白骨死体が最初に見えた。濛々と白い蒸気を噴き上げ、わざわざペンキでも塗りたくったのかというほど、奇妙なほど骨が真っ白い。両手にした大盾も同じように白く染まり、ボロボロと風化するように崩れて行く。
サリエルの『閃砲』は、完全にサフィ謹製のアンデッドミノタウルスを一発で浄化してみせた。
だが、その威力はミノタウルスの盾一枚で完全には削ぎきれなかったようである。
「ぁああああっ! 痛ぁああいぃいいいいいっ!?」
シャルの両腕もまた、白い蒸気を上げる。少しばかり丈の長いローブの袖は綺麗に消し飛び、そこから、灼熱の光に焼けただれた痛々しい細腕が覗いていた。
恐らく、受ける寸前に何とか防御魔法を発動させたのだろう。もし、そのまま受けていれば、シャルは激痛に泣き叫ぶことさえできず、ミノタウルスと同じ白骨死体へと焼却されていたに違いない。
もっとも、サリエルにとっては一発で殺し切れなかったのがさほど惜しい話でもない。一発でダメなら、次を撃てばいい話である。
「白杭」
そして、もう杖も満足に握れない魔術士を殺すのに、大袈裟な技は必要ない。無防備な一般人を殺傷させられるだけの威力があれば、事足りる。
例えば、そう、胸の急所に突き刺さる、一本の杭があれば十分。
サリエルが優雅に掲げた右手より放たれた白杭は、真っ直ぐ、正確に、シャルの胸元へと飛び込んで――
「――ぐはぁあああっ!」
「ネロっ!?」
その一撃は、シャルの前に割り込んだ者、すなわち、俺という愚か者へと先に突き刺さった。
サリエルが『閃砲』を撃った時点で、俺は『千里疾駆』を発動させ、駆け出していた。だが、ヤツの追撃はムカつくほどスムーズかつ、早かった。
お蔭で、マトモに防ぐことも弾くこともできず、自分の体をシャルの前に割り込ませるという無様極まるガードしかできなかった。
ああ、ちくしょう、痛ぇな……刺さったのは脇腹の上あたりか……アバラが二本くらいイっちまったな。
「そんなっ、どうして!」
「バっ、か、ヤロウ……無茶な、攻撃……しやがって……」
悪態一つつくだけで、とんでもない激痛と疲労感だ。
しかし、即死しなかっただけマシだろう。死にさえしなければ、回復薬を使うことができる。まぁ、それも普通のヤツが相手だった場合か。
「ち、くしょう……ここ、までかよ……」
気が付けば、サリエルが目の前に立っていた。
俺の氷結封印は、もうとっくに破られていたのか。凍らせたはずの足は、すでに自由となったからここまで歩いてこれたのだし、その右手に十字の槍が握られているのもそうだ。もしかすれば、コイツは好きなタイミングで氷を砕くことだって、できたのかもしれない。
格が違う、というのは正にこのことか。
不思議と、悔しさは感じない。胸に去来するのはただ、現実にある力の差を理解する諦観。
「い、いやっ! いやよ、ネロ! こんなところで、終わるなんて――」
こういう時、素直に泣きながら無念を叫べるシャルが、何故だか少し羨ましく感じた。
それはきっと、シャルが心の底から俺達なら最強になれると、信じていたからだろう。
けど、俺は違う。所詮、俺の力なんてこんなもの。
自分の無力なんてのはもう、ガキの頃に散々、思い知らされたから。なぜなら、俺はアイツを助けることはできなかったし、今、こうしてシャルを救うことも、できない。
「悪ぃな、シャル……」
だから俺は、ただ謝ることしかできなかった。
そして俺はシャルを背中にかばい、胴をぶち抜く杭の痛みを堪えながら、どうにかこうにか、刀を構えた。
「逃げろ、俺が時間を稼ぐ」
「そんな……ネロ! ネロぉ!!」
レオンハルト王なら、サリエル相手でも何とかなるかもしれない。
だが、その助けも今すぐには来ないだろう。
周囲にいるのはすっかりビビっちまった冒険者ばかり。ついでに、サフィの救助もあまり期待はしない。
アイツはどこまでも冷静で合理的だからな。無駄な事は一切しない。ここで割り込んでも絶対にサリエルを相手に勝てない。それどころか、俺とシャルを助け出して撤退することさえままならないという絶望的に低い勝率を、ここまでの戦闘で理解している。
ならば、この隙に一人で逃げ出すのが最善策。助けに来れば全滅、逃げれば一人助かる。どちらの結果がより良いかは、ハッキリ数字が示している。
だから俺が、やるしかない。
勝てないと分かっていても、いや、そもそもロクな時間稼ぎさえできるかどうかも、怪しいが……それでも、俺がこうして刀を握るのは、ほんの少し、男としてのプライドがあるからだろう。
ああ、全く、らしくねぇ。
「じゃあな、シャル。行くぜ――」
その時、気づいた。サリエルの赤い瞳が、かすかに揺らいだことに。
小さな、本当に小さな変化だが、それは確かに人としての感情の発露であった。恐らく、驚いているんだと思う。
俺が抗戦の意思を見せたこと……に対してじゃないってのは、すぐ分かった。そもそも、コイツはもう、俺のことなど、見ちゃいなかったからだ。
真紅の瞳は俺と、背中に庇うシャルも通り越して、さらに後ろへと向けられていた。
何だ、一体コイツは、何を見ている? そこに、誰がいるんだ?
疑問の答えは、直後に得られた。
「サぁリぃエぇルぁああああああああああああああああああっ!!」
それは、地獄の亡者が叫ぶ怨みの声よりも恐ろしい響きだった。高位のアンデッドモンスターを相手にしたことは何度かあるが、それでも、ここまで腹の底から震えるようなおぞましさではなかった。
肌をビリビリと刺すような、それでいて、毒沼に浸かったみたいにドロドロとへばり付くような不快な殺気。この感覚は、そう、正しく『呪い』と呼ぶべき類のモノ。
そんな呪える叫びを上げながら、俺の頭上を黒い影が飛び越していく。黒い髪と、黒いコートを風になびかせて。
「お前は――」
「アンタはっ――」
思わず、口にした台詞は俺もシャルも同じ。
「貴方は……」
そして何故か、サリエルも似たような反応を口走っていた。
「――闇凪っ!!」
激突する、白銀の穂先と漆黒の刃。白黒二色の魔力と苛烈な火花を散らす。
鋭い金属音を立てながら、両者は弾かれる。いや、サリエルが下がった。
穂先にまとわりつく、血のように赤い不気味なオーラを振り払いながら、サリエルはフワリと法衣と髪をなびかせて着地する。
それとは対照的に、俺の前には重々しい鉄塊が落ちてきたかのような重量感を持って、ソイツは降り立った。
「クロノっ!?」
俺の呼びかけに、奴はピクリとも反応しなかった。
クロノは振り返ることなく、ただ真っ直ぐ、槍を手に静かに佇むサリエルを、あの黒と赤の凶悪な目つきで睨んでいることだろう。コイツは今、全神経をサリエルに集中させている。
俺の声どころか、ここに二人の人間がいる、ということさえ気づいてないかもしれない。
「よう、久しぶりだな」
その一言で、サリエルとクロノ、二人には面識があることが察せられる。そして何より、クロノの後姿から発せられる尋常ならざる気配から、血なまぐさい因縁であると思わせてならない。
「再会の時を待っていた」
俺は、全てを悟った。
ああ、そうか、コイツは今この瞬間のために、ガラハド戦争に参加したのだと。千人単位の部下を率いる拡大権限を蹴ったのも、納得がいく。
何故ならクロノのターゲットは、サリエルという少女一人だけなのだ。他の奴など邪魔者でしかない。これまでの戦闘だって、お遊びのようなものだろう。
戦争という巨大な舞台で、たった一人の仇討ちを狙うとは……イカれてやがる。
だが、現実にサリエルは戦場へ現れた。果たして、それは運命なのか。だとしたら、黒き神々の中には飛び抜けて趣味の悪い野郎がいるんだろう。
こんな頭のイカれた狂戦士の望みを、叶えようというのだから。
「サリエル、今度こそお前を……殺すっ!」
そうして、クロノの戦いは始まった。
2014年10月17日
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