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黒の魔王  作者: 菱影代理
第24章:聖夜決戦
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第459話 白の戦慄、再び

「サリエル様!」

「第七使徒サリエル様!」

「天使だ! 天使が我らの窮地に舞い降りたぞーっ!!」

 俄かに湧き上がる十字軍の歓声。その熱狂的な響きは、とても敗残兵とは思えない。

 山を揺るがすほどに兵士達の歓喜の声が木霊する中、サリエルは静かに動き出す。フワリ、と風に舞う木の葉のような軽やかさで、首なしタウルスより飛び下りた。

 小さな白い体が、正しく天使のように落ち行くと同時に、姿勢制御システムが完全停止したタウルスはついにバランスを失い、グラリと塔が崩壊するように倒れ込んで行った。

 鋼鉄の巨人が前のめりに倒れ、轟々と噴き上がる雪煙を背景に、ついにサリエルは戦場の大地へと降り立った。

 彼女の不気味に輝く真紅の瞳が最初に捉えたのは、当然のことながら、最も近くに立つ敵――すなわち、ネロであった。

「コイツはヤバい、逃げるぞ」

 即断だった。

 これまで生きてきた中で、強力なモンスターや凶悪な暗殺者などと、幾度となく対峙してきたネロであったが、これほどまでに危機感を覚える相手はいなかった。他の誰とも比べ物にならないほど、この、美しい少女は強い。

「賛成。アレを相手にするのは、割に合わないわ」

「で、でも、ここで私達が逃げたら……」

 サフィは迷いなく賛成。シャルロットは渋っている。

 だが、ネロは悠長にメンバーの意見統一を図るつもりはなかった。あとでシャルロットのご機嫌取りをする覚悟を決めて、ネロは未だに自らの腕の中にいる幼馴染を抱え上げようとしたその時。

「――ちょっと待てやぁっ!!」

 脱兎の勢いで駆けだそうとしたその瞬間、野太い怒号が響いた。とても無視できない大声量と威圧感に、ネロと、そしてサリエルも、声の主を見やる。

「なんやぁ、お嬢ちゃん、いきなりしゃしゃり出てデカい顔しよって! 一人で殿たぁ、ワシら冒険者舐めとんのかぁ、あぁ!?」

 鬼のような、というより本物の鬼の形相で、赤いオークの大男が南方訛りで怒鳴り散らしながら、穿たれたクレーターの内へとズンズン踏み込んできたのだ。白銀のオーラをまとうサリエルに対し、彼の全身からは燃え盛る火炎の如き真っ赤なオーラが噴き出している。

『灼熱王鬼・アグニオーラ』の加護を顕現させているその姿は、ランク5冒険者パーティ『鉄鬼団』のお頭リーダー、グスタブに他ならない。

「おいおい、無茶するぜあのオッサン」

 彼が言葉通りに、派手な登場をしたサリエルに対してスラムのチンピラが如きイチャモンをつけているワケではないだろう。あの少女が尋常ならざる魔力と気配を放つ、天災級のドラゴンに匹敵しうる化け物であると、グスタブほどの実力者が察していないはずがない。

「お蔭で、私達から注意は逸れたわ。尊い犠牲に、感謝ね」

 いつものようなサフィールの毒舌は、やはり、いつも通りに的を射ていた。

 恐らく、グスタブの目的は時間稼ぎ。

 あの相手に数で挑めば、尋常じゃない犠牲者が出るだろうことは明らかだ。必要なのは、ランク5と同等以上の実力者。

「ちょっと待って! 私達も加勢すれば――」

「ダメだシャル、ここは退く」

 確かに、今この場には『鉄鬼団』と『ブレイドレンジャー』と『ウイングロード』が揃っている。だが、この三パーティが協力しても、確実に仕留められる保証はない。

「もう大将首はとった。アイツがどれだけ強かろうと、スパーダの勝ちは揺らがない。後は他の奴らに任せりゃ、それでいいだろ」

「でもっ!」

「分からねぇのか、アイツと戦えば死ぬぞ。最悪、全滅だってありうる」

 ネロはそう踏んでいるからこそ、迷いなく撤退を選ぶのだ。

 これ以上の戦果は必要ないのだから、サフィールの言う通り、確かに割に合わない、危険に過ぎる相手であった。

「……分かったわ」

 子供じみたワガママばかりのシャルロットだが、曲がりなりにもランク5冒険者。時には利益と危険を天秤にかけて、苦渋の決断をすることもできる。

「後はスパーダ軍に任せりゃいい」

 そうして、ネロとシャルロットとサフィールの三人は、静かにサリエルの脅威から離れて行く。

 代わりに、絶望的な存在感を放つ彼女に向かって、グスタブと、そして、彼のパーティメンバーが続いた。

「何や、よう分からんが、あのちんまいお嬢ちゃんは敵のお偉いさんに違いはないで。討てばどえらい褒賞や」

 ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて、愛用の巨大金棒を肩に担ぐ姿はどこまでも頼もしい。周囲の冒険者達のほとんどは、グスタブの真意には気づかず、彼が本気で手柄を狙っているように思うだろう。

「ふん、あの子、この私達を前にしてもお人形さんみたいにすまし顔よ。ちょっと可愛いからって、いい気になってるわ!」

 ブフーと鼻息荒く戦意をみなぎらせるのは、ショッキングピンクの鎧と長柄斧ポールアックスが目に眩しい、巨漢のミノタウルス。『鉄鬼団』の自称紅一点、ダグララス。

「ち、ちっちゃいけど、とっても、強そう、なんだな」

 巨漢揃いのメンバーでも一際に大きな体躯を誇るサイクロプス。両手に愛用のバトルアックスを握りしめ、ゴンは小山のような体をブルリと身震いさせた。

「ターゲット、ロック完了。いつでも撃てマス」

 常人には引くことすらできない、歯車のついた大型機工弓に爆破術式を付加エンチャントされた矢を番えたアイアンゴーレムのゼドラは、言葉通りに真っ直ぐサリエルへと狙いを定めている。

 鋼鉄の指先が、力強く限界まで引き絞った破壊の矢を解き放つその時が、戦いの幕開けとなるだろう。

「……」

 サリエルは無機質な赤い瞳に、ただ目の前の敵を映すのみ。オーク、ミノタウルス、サイクロプス、ゴーレムと、いずれも人間を遥かに超えるパワーを誇る強力なモンスターの揃い踏みにも関わらず、何ら感情の揺らぎは見られない。

 不気味なほどに静かに佇むサリエルと、加護を発現させ戦意がみなぎるグスタブ達の睨み合いが、交わされる。

 訪れる静寂はほんの一時。

 グスタブが一つ、大きく赤い煙の息を吐いてから、言った。

「……ほな、行くで」

 刹那、サリエルの姿が爆ぜる。白い少女の影は、遥か紅蓮の爆炎の彼方へ。

 ゼドラの手から、矢が消えていた。

 小型モンスターなら群れごと消しカスにする火力を秘めた鏃を持つ爆破の矢は、目にもとまらぬ速さで、音さえも置き去りにして、すでに放たれていたのだ。

「ウォオオアアアァアアアアアアアアアアっ!!」

 サリエルが華奢な見た目通り、その爆発で儚く散ったなどとは思わない。

 グスタブは聞く者を震え上がらせる雄たけびを上げて、猛然と駆け出す。燃える灼熱のオーラを噴き上げる彼が突進する様は、まるで巨大な火の玉。

 対して、現実に噴き上がる黒煙の内より、サリエルは静かに歩み出る。

 彼女の雪よりも白い柔肌には、焦げ跡一つついていない。全くの無傷。いや、そもそも自分が攻撃を受けた、という認識さえないかのようだ。

 人の意思、というものをまるで感じさせない人形染みた容姿と雰囲気のサリエル。右手に握る十字の槍だけが、彼女の戦意を示していた。

 筋骨隆々の大男というシルエットに反して、爆発的な速さの突進速度のグスタブは、瞬く間に無防備に歩くサリエルへと肉薄する。大きく振りかぶられた巨大な金棒が、赤を通り越して、光り輝く白熱の色を発した。

灼熱撃破バーニング・インパクトぉおおおおおっ!!」

 炎の鬼神の力を宿す武技が、サリエルの頭上より真っ直ぐ振り下ろされる。脳天にそのまま隕石が落ちて来るような熱さと速さと、そして破壊力を持つ一撃はしかし――自ら直撃を避けるように、サリエルのすぐ真横をかすめるように通り過ぎて行く。

 気が付けば、彼女が持つ十文字槍の穂先が、天を向いていた。降り注ぐ陽光を照り返して輝く白銀の刃には、かすかに白い煙がまとわりついている。

 何のことはない、攻撃を槍で受け流したのだ。ただ、その瞬間が見えなかったというだけ。

 グスタブが強烈な戦慄を覚えたその瞬間には、力の限りに繰り出した武技が地面を割らんばかりの勢いで叩いていた。インパクトの瞬間には、本当に雪の大地が割れる。いや、それどころか火山が噴火したように、ドっとマグマが噴き出した。

 達人級の武技『大断撃破ブレイク・インパクト』と同様に、同心円状に強い衝撃波を伴う『灼熱撃破バーニング・インパクト』だが、加護によって付加される超高熱でもって、本来ならただ砕け散るだけの地面を、瞬時に融解させる。

 間欠泉のように噴き上がるマグマの飛沫が鼻先一センチを過っても、やはりサリエルは動じない。赤い瞳はただ冷徹に、目の前の敵を捉えていた。

 グスタブの攻撃が完全な空振りに終わったタイミングをもって、サリエルは受け流しで振り上げたままの槍を、そのまま斜め下に切り払うように振るう。白銀の穂先が描く軌跡は、グスタブの首元をなぞる――

「おおっ!?」

 咄嗟に体を前へと突き出し、グスタブは斬撃の軌道を辛くも逃れた。代わりに、聖銀ミスリル製と思しき柄部分で肩口を殴打されることとなる。

 長柄武器の柄など、いくら金属製でもグスタブの巨躯を、それも加護をまとった状態であるならば、叩かれたところで痛くもかゆくもない。むしろ、叩いた方が折れるだろう。

 しかしそれも、相手が手練れの騎士かベテラン冒険者というレベルでのこと。

 この自分より頭が二つ、いや、三つ分は小さい少女が繰り出した無造作な薙ぎ払いで、グスタブはそのまま地面を五メートルに渡って転がされることとなった。

「――破岩震撃クラッシュザッパー!」

「ウゴォアアアアっ!!」

 吹き飛んだグスタブと入れ違うように、二つの巨体がサリエルを挟撃する。

 右方、『破岩震撃クラッシュザッパー』と武技の発動を叫ぶダグララス。左方、渾身のパワーを籠めた斧の二連撃を繰り出すゴン。

 独特の甲高い震動音を発するピンクのポールアックスと、轟々と唸りをあげる二振りのバトルアックスは、見事に左右同時のタイミングでサリエルの細身を両断しようと迫る。

「……ふっ」

 小さな呼気をもらす練気と共に、サリエルの体が大きく傾ぐ。いや、そのまま仰向けに倒れ込んでいきそうなほど、勢いよく背中を逸らせた。

 空を向くサリエルの顔と体の真ん前に、バトルアックスの横薙ぎが通り過ぎて行く。無骨な刃はただ虚空と、彼女から立ち上る白銀のオーラをかすかに切り裂くだけの空振りに終わる。

 ゴンの攻撃を回避すると同時に、サリエルはダグララスの武技もまた、この不自然な姿勢のまま迎え撃っていた。

 いつのまにか両手で握った十字の槍が、体を倒す真っ最中でありながら、鋭く突き出されている。穂先が狙ったのは、触れるものを粉砕する震動能力を宿すポールアックスの刃ではなく、柄。

 丸太のような二の腕に、隆起した力こぶと野太い血管が浮き出るミノタウルスの剛腕が繰り出した武技は、少女の細腕が突き出す細身の槍によって難なく受け止められた。サリエルは今にも地面に背中が着きそうな際どい姿勢でありながらも、ダグララスの攻撃を止めた反作用をまるで感じさせない不動を見せる。

 それどころか、彼女はただ受け止めたどころか、そのまま反撃に移っていた。

 ポールアックスの柄に沿って、十字の刃がスライドする。その先にあるのは当然、武器を握るダグララスの指。

「っぶぁあああっ!? 危っぶないじゃないこの人形娘ぇえっ!!」

 辛くも柄から手を離す、凄まじい回避反応を示したダグララスは興奮した猛牛よりも荒ぶった声で絶叫する。

 対するサリエルは、どんな怒号も罵声もどこ吹く風といった様子で、武器を手放し無手となったダグララスへとターゲットを絞り、バネのように体を起こして、追撃への一歩を踏み出す。

 待て、とばかりに素早く切り替えされた二本の斧、すなわちゴンの斬撃が、大きな銀髪のポニーテールが翻るサリエルの無防備な背中に向かって放たれるものの、彼女の姿を捉えることは叶わなかった。後ろをチラと見もせずに、避けられていた。

「ちょっ、ちょっとぉ!?」

 新たにサブウェポンを構えるよりも前に、サリエルの槍が己の体を貫く方が早いと悟ったのか、ダグララスは焦りで上ずった叫びを上げる。無論、自らが人形娘と呼んだように、およそ人らしい感情を見せないサリエルが、どんな無様な命乞いをされたとしても、攻撃の手を止めてくれるとは思えなかった。

 故に、ダグララスを救ってくれるのは、カノジョの仲間より他はない。

「――ん」

 そのまま真っ直ぐ、全ての槍使いランサーがお手本にしたいくらいに綺麗な突きのモーションに入っていたサリエルだが、その場でピタリと止まる。

 直後、彼女が踏み込んでいただろう先の空間に、超高速の何かが過った。眼力に自信のある剣士でも、恐らく矢である、くらいにしか分からない。しかし、サリエルの真っ赤な瞳は、正確に射線も発射点も捉えていたようだ。

 真紅の視線をわずかに横にずらしてみれば、そこにはモノクロカラーのゴーレム、ゼドラが遥か数十メートルの後方に、弓を構えて立っているのが確認できる。

 放った矢は、爆発するでもなく、毒が塗ってあるわけでもなく、ただ、巨大な鏃を備えた貫通力に特化したタイプ。あるいは、サリエルはその鏃が、突き刺されば抜けないよう施された返しがノコリギのように過剰にギザギザした形であることさえ、見えていたかもしれない。それは刺されば致命傷であることは勿論、かすっただけでも、大きく肉を削ぐ凶悪な形状であった。

「ゼドラちゃん、ありがとぉおおーっ!」

「喜んどらんで、さっさと武器拾わんかいダァホ!」

 援護の矢の後を追いかけてくるように、打撃から復帰したグスタブが再びサリエルへと肉薄する。

「デカい一発は当たらん! 数で攻める、囲め!」

 燃え盛る嵐のような勢いで突っ込んでくるグスタブを前に、サリエルはダグララスへの追撃を中断。

「か、囲むんだなぁー!」

 サリエルが再度、グスタブと矛を交えようとした時には、フリーとなっていたゴンが背後へと回り込んでいた。繰り出す斧の二連撃は、やはり一瞥されることなくかわされる。

「後ろに目がついてるんだな!?」

「はっ、後ろどころか、コイツは全部見えとるんとちゃうかぁ!」

 グスタブの金棒とゴンの双斧が、サリエルを前後から乱れ撃つように襲うが、そのことごとくが紙一重で回避される。避けられ続ける。完璧に見切られていると、理解できないほど愚かではないが、すんなり納得できるほど悟っているわけでもない。

「フン、いつまで続くか、試してやろうじゃないの! 行くわよぉ――『共震角レゾナンス・ブルホーン』!」

 ポールアックスを回収したダグララスが、猛攻をかける二人の加勢に飛び込む。発動させるのは、武技ではなく強化魔法。それも、自分だけでなく、味方全てに作用する広域発動型。

「おう、やったるわぁ! 『焦熱波及ヒートウェイブ』!」

 ダグララスの『共震角レゾナンス・ブルホーン』は岩をも砕く震動能力を、グスタブの『焦熱波及』は鉄を溶かす高熱を、それぞれ効果範囲内の味方に与える。

 今、サリエルへ襲い掛かる金棒とポールアックスと双斧には、本来の物理的威力に加え、震動と高熱による二重の効果が同時に発動したこととなる。 それはつまり、ただの一振りが並みの戦士が放つ武技よりも強力な破壊力を宿すということ。

 生半可な攻撃を全く通さないサリエルの白銀オーラも、この二重強化を経た一撃の前ではたんなる霞も同然。当たれば正しく、一撃必殺と化す――そう、あくまで、当たれば、の話である。

「チイっ! 何で当たらんのやぁ!!」

「このっ、チョロチョロするんじゃないわよぉ!」

「ふんっ! ふんっ! がぁあああーっ!!」

 三人の攻撃は、ことごとく避けられ続けていた。

 フォーメーションは、サリエルを中心に置いて、互いの攻撃を邪魔しないよう、また、獲物を逃がさないよう、等間隔に囲む三角形を形作っている。戦いは流動的なものであるが、それでも長年の経験により、三人はほとんどこの三角包囲を崩すことなく、サリエルに対して実現しうる最速かつ最多の連続攻撃を叩き込み続けていた。

 彼女を襲うのは近距離での斬撃・打撃だけでなく、僅かな綻びを突いて包囲を脱しようとした時、あるいは、三人の連撃の合間をついて、完璧に味方の隙をフォローするように、遠距離から例のノコギリ鏃の巨大矢が飛んでくるのだ。

 ランク5の階級に恥じぬ、神業的なフォーメーションによる連携攻撃だが、サリエルは涼しい顔でその全てを捌いて見せる。

 かすっただけで燃えながら地平線まで吹っ飛んでいきそうな金棒のスイングを潜り抜け、触れた先から全身まで粉砕させる刃を受け流し、嵐のような連撃の中でも銀髪の一本さえも切り落とされることを許さない。さらに死角と動作の隙をつく、暗殺者のような絶妙のタイミングで飛来する矢を、事前に察知していたかのようにかわし、あるいは、放たれた矢を見てから射線を逃れる。

「いい加減、喰らいやっ!」

「お願いだから当たって! 先っちょだけ! 先っちょだけでいいからぁーっ!」

「ぬぅん! だぁああああああ!!」

 必死の攻勢が続くも、サリエルに疲労の色は見えない。それどころか、生気を感じさせない真っ白い顔には汗の一粒も浮かんではいない。

 加護の力は、長く発動を続けられるものではないというのは、パンドラ大陸では常識である。『鉄鬼団』の面々も、その例外ではない。遠からず、今の威力とペースを維持した攻撃はできなくなる。

 ならば、この白銀のオーラを迸らせるサリエルもまた、何らかの加護を発動させているのではないか。そう、グスタブも、周囲で戦いを見守る――この苛烈な戦闘を前に見守るより他はない、そんな冒険者達も、予想している。凄まじいパワーとスピード、そして底知れぬ不気味さを感じさせるのは、何か強力な加護の力によるものに違いないと。

 しかし圧倒的な破壊力の渦中にありながらも、静かに攻撃を捌き続ける彼女の姿から、永遠に加護を発動させられ続けるのではないかと、思わずにはいられない。

 そんなことはありえない、と分かっていながらも、誰もがそんな戦慄を抱いたその時――ついに、反撃が始まった。

「アカンっ!? 止め――」

 幾百、幾千の一撃必殺を潜り抜け、サリエルが包囲を抜けた。若さゆえの焦りが技に出たか、ゴンの攻撃動作にコンマ一秒の乱れが生じた、その瞬間であった。

 気が付けば、サリエルが大木のようなゴンの背後に回り込んでいる。

 十文字槍を右手一本で振り上げ、そのまま刹那の間だけ無防備となった大きな背中を刺す――否、それは、投擲であった。

 片手だけで、全てが金属製の槍を投げる。助走をつけることも、全身の力が伝わる合理的な構えをとることもなく。それは、腕の振りと手首の返しだけで投げつける、酷く非力なフォーム。

 しかし、それは恐ろしく速く、そして、鋼鉄をも貫く威力を誇っていた。

「――ガッ!?」

 サリエルの狙いは目の前のサイクロプスではなく、正確無比な援護射撃を行うゴーレム、ゼドラであった。

 そう誰もが認識した時には、十字の刃が深々と輝く単眼モノアイへと突き刺さっている。まるで登場時の再現。そして次の瞬間には、煌々と白い光の大爆発が巻き起こった。失明せんばかりの眩い光の暴力が駆け抜ける。

 後には、首と手足が千切れるように吹き飛び、かろうじて白熱化した胴体だけが原型を留めるゼドラの残骸と、墓標のように突き立つ十字の槍だけ。

 しかし幸いにも、と言うべきだろうか。前衛三人組みは仲間の無残な姿を見ることはなかった。武器を投げたとはいえ、恐ろしい敵は未だすぐ目の前に立っているのだから。

 勿論、サリエルは無手になったとて、降伏の意志など欠片もない。彼女はすでに、次のターゲットを定めていた。

「にっ、逃がさないだぁあああアアアア!!」

 ゴンの振り返り様の一撃は、サリエルが槍を投げ終えた直後にやってきた。彼自身、背後を正確に見て繰り出したワケではないが、二本の斧から繰り出す得意の連撃は、およそ人が回避可能な範囲の全てを薙ぎ払っている。

 普通なら、人だろうがモンスターだろうがバラバラにしているところが、サリエルにとっては避けるどころか、むしろ反撃を叩き込めるだけの隙に見えたようだ。

 ゴンの右手の斧が振り下ろされた時、サリエルは手を伸ばせば彼の野太い腰回りに触れるだけの間合いに立っている。続く左手の斧が、すでに斬るべき相手のいない虚空を薙いでゆく最中、サリエルは白蛇が這うように、スルリとゴンの巨躯を登る。

 一歩目を蟹股に開かれた膝にかけ、二歩目は腰に巻かれた分厚い皮のベルトにつま先だけを引っ掛けて。三歩目はない。足場を探す代わりに、手を伸ばす。

 彼女の白い左手が、一つ目の大男を優しく抱きしめるかのように、首元に触れる。

 ゴンが最後に見たのは、彼女の輝く真っ赤な瞳と、振りかぶった右手の指先に灯る白光。その二つの輝きであった。

「スティンガー」

 サリエルの右手が白い閃光となって、ゴンの巨大な目玉に突き刺さる。バキン、と鋭く鋼を貫くような音が響いたのは、彼の発動させている加護『岩山亀ダンドラム』がもたらす硬化能力のお蔭か。

「ギィイガァアアアアアアアアアアアアっ!?」

 叫んでいられるのは、彼が生きている証でもある。サリエルの放った『スティンガー』という武技と思しき貫手は、もしゴンに硬化の加護がなければ、そのまま後頭部まで難なく貫き通すだけの威力が宿っていた。

 眼球一つを砕かれるだけで済んだのは僥倖といえるだろう。

 もっとも、失明という事態に直面して自身の幸運を喜べる者はいないだろう。その一方、目を失いながらも、即座に反撃に出られる者もまた、どれだけいるだろうか。

「待ぁでぇええええええ!!」

 サリエルが素早く右手を抜き去り、巨体から離れて再び地面に降り立ったちょうどその瞬間、掴まれた。ゴンは斧を手放し、ほとんど勘の手さぐり、だが、それでも敵である小さな少女の腕を、奇跡的に捕まえることに成功していた。

 岩でできているような無骨な灰色の手が、すでに折れているんじゃないかというほど、白く細い少女の腕を握りしめている。

「ヴルゥアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!」

 神速の回避行動を見せるサリエルの動きが止まった絶好のチャンス。逃さぬとばかりに、猛然と突っ込んでくるのはダグララスであった。

 鉄色のオーラを濛々と噴き上げ、雄たけびを上げる口元は全開に開かれよだれがまき散らされる猛り狂った姿は、正に神となったモンスター『ブルブロス』が突進するかのようだ。

 しかし、天高く振り上げられた必殺の超震動ポールアックスは、サリエルとの間に唐突に割り込んできた大きな灰色の塊によって遮られる。

「――ッアア!?」

 それは、ゴンの体であった。

 サリエルは掴まれた左腕一本で、二メートルを大きく超えるサイクロプスの巨躯を、無造作に振り回したのだ。まるで、それが紙でできたハリボテであるかのように、軽々と。

 巌のような巨体を真っ直ぐ持ち上げ、半身を捻りながら頭上を通過して真っ直ぐぶん投げるオーバースローのようなフォーム。

 しかし、そうして盾として利用された者が、紛れもなく仲間であるとダグララスは瞬時に認識してしまう。故に、攻撃の手が止まった。

 かなり無茶な急制動であるが、そうでもしなければ、自らの一撃で大切なパーティメンバーにして、可愛い後輩を真っ二つに両断することとなる。どんな無茶をしてでも、止めざるを得なかった。

「ブハァアアアアっ!」

 ゴンとダグララス、互いに大きく逞しい肉体が激しくぶつかり合う。痛々しい鈍い音と共に、血飛沫をあげながら、二人が一体となった塊が転がって行く。

 鮮血の跡を雪が融けた泥の地面に引きながら、ほどなくして二人は止まった。

 灰色のゴンはピクリとも動かない。一方、茶色い毛皮のダグララスは、ボロボロに砕け散ったピンク鎧の欠片を落としながらも、再び固い蹄を大地に立てる。

白戦槍クリスサギタ

 立ち上がったダグララスの健闘をあざ笑うかのように、サリエルが無詠唱で放った攻撃魔法、長さ二メートルほどの白い槍が、彼を大地へと縫い付けた。腹のど真ん中に突き刺さり、仰向けに倒れ込む。再び立ち上がることは、もうないだろう。

「――『灼熱撃破バーニング・インパクト』ぉおおおおおおおおおおおおおっ!! 」

 最後に残ったお頭リーダーグスタブが、サリエルの無防備に晒される背中から放ったのは、初撃と同じ炎の武技。だが、そこに籠められた威力が桁違い――それこそ、技を放つ金棒どころか、自分さえも炸裂させた灼熱の大爆発で吹き飛んでも構わないとばかりに、持てる炎熱の全てをつぎ込んでいる。そんな自爆覚悟の大技であるということは、この鬼気迫る気配を叩きつけられれば、サリエルでなくとも自ずと分かろうというもの。

 どれだけ速く動こうとも、すでに『灼熱撃破バーニング・インパクト』の爆発範囲からは逃れきれない。紙一重で避けることの意味は、最早ない。

 いよいよ致命の一撃がその身に迫るサリエルは、ただ、一言をもってグスタブ最後の技に対抗した。

戻れコール

 そうつぶやいた時には、すでに、サリエルの手に再び十字の槍が握られていた。それは、ゼドラに投げつけた白銀の十文字槍に他ならない。

 召喚魔法で呼び戻したというタネは、考える間でもなく一目瞭然である。ただ、その召喚速度だけが異常であった。あまりに早すぎる。だが現実に、槍はサリエルの下へ帰って来ていた。

 持ち方は逆手。穂先は背中側に、より正確に言えば、今にも金棒を振り下ろさんと迫るグスタブの胸元を向いている。

 そしてそのまま軽く突き出すだけで、吸い込まれるようにグスタブの分厚い胸板のど真ん中を貫いた。攻撃を止めるには、それで十分だった。

「が、はっ……はは……強ぇなぁ、お嬢ちゃん……ホンマに、人間かいな……」

 こうしてサリエルは、三分とかからず『鉄鬼団』を全滅させた。

倒した敵は、まだたったの四人。眼前には、ほぼ戦意を喪失しつつあるものの、武装した冒険者が何百、何千と蠢いている。さらにその先には、何万もの赤いスパーダ兵が。

 彼女の戦いは、まだ、始まったばかりであった――

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― 新着の感想 ―
強者は強者と戦わなければいけないみたいなこと言ってた癖に、本当の強者が来たら逃げるんやね。 そのとおり、ネロは薄っぺらい
[一言] 何というか、サリエルの強さは身体的なポテンシャルよりもそれをうまく使い切る技術の方が大きそう。カッコいい
[気になる点] ネロはクロノが雑魚狩りをした時に、強者は強者と戦わなければいけないみたいなこと言ってた癖に、本当の強者が来たら逃げるんやね
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