第457話 大将首を上げるのは
「ええいっ! 怯むな、押し返せぇええ!!」
跨った白馬の上で絶叫するのは、十字軍第三軍司令官ベルグント伯爵である。
彼は今、自らが手塩にかけて育て上げた最精鋭たるヘルベチア騎士団と共に、血で血を洗う戦場の真っただ中にいた。敵の騎兵突撃に対抗し、第三軍の主力騎兵を引き連れ真っ向から迎撃を行ったが、結果は泥沼の乱戦状態を引き起こすに至った。
「閣下、どうかお退きください! これ以上は、あまりに危険が――」
「何度も言わせるな! 私はリィンフェルトを助け出すまでは、一歩も退かぬ――『大嵐城壁』!」
傍らに控える騎士を怒鳴りつけながら、伯爵は手にした愛用の武器、風属性の行使に特化したハイグレードな大弓『エメラルド・イェーガー』を力強く引く。
撃ちだされた矢は眩い緑の輝きを発し、中空で弾けると上級範囲防御魔法『大嵐城壁』として効果を現し、青天から降り注ぐ無数の落雷を吹き散らして見せた。
「どの道、逃げ場などはないのだ。いいか、このまま前進を続け、魔族を蹴散らせ! 直に敵後方を歩兵部隊が塞ぐ。そうなれば一気に包囲殲滅が成るのだ、よいな!」
「はっ!」
苦しい戦況は続く。
周辺には重装備でありながら恐ろしく速く、それでいて雷魔法も連発する脅威の重騎兵が駆け回っている。正直に言えば、彼らの練度は伯爵の騎兵部隊よりも格上であると認めざるを得ない。
数は千にも及ばない、恐らくは三百騎程度と見る。それが先駆けとなってここまで陣を貫き、後ろに続く部隊をここまで導いてきた現実を目の当たりにすれば、その実力は嫌でも理解させられる。
だが、騎兵の数はこちらが倍、いや、三倍以上には達するだろう。練度は及ばずとも、弱兵と呼ばれるほどでもない。戦い続ければ、必ずやこちらが有利になってゆく――そう、素直に思えないのは、真正面から凄まじい勢いで進撃してくる、たった一人の女騎士のせいだろう。
「誰ぞ、あれを討てる者はおらんか!」
見逃すには、もう限界であった。このまま行けば、本当に一人で自らの元まで辿り着くのではないか。ありえない。
しかし、リィンフェルトは悪魔に捕まった。たった一人で敵陣を突き進み、そのおぞましい魔の手を愛娘にかけてみせたのだった。
親子そろって、同じ末路を辿るわけにはいかない。
「閣下、どうぞ私にお任せを!」
「いえ、どうか私に!」
「俺にやらせてくれぇー!!」
威勢の良い名乗りが続々と上がる。我こそはと手を上げた面子をザっと眺めて、伯爵は命じた。
「よろしい、全員でかかれ」
「そ、それでは決闘が――」
「馬鹿者、竜人を相手に決闘で勝つるは勇者のみぞ」
領主として、将として、だが、それ以前に一人の射手として、伯爵は弓の腕と、敵を捕捉する視力に優れる。
故に、この乱戦状態かつ数百メートル先にいる、例の女騎士の姿をはっきりと捉えていた。彼女が竜の角と鱗と翼を持っていることを、その翡翠の目で確かに見えたのだ。
そして、そんな特徴を持つ者は、竜人を置いて、他にはいない。
人間以外の亜人種族を魔族、と敵視するシンクレア共和国、ひいては十字教において、竜人の名を知らぬものはいない。竜の特徴を持つ人。いや、竜が人の姿に化けた、と言う方が正しい、絶大な能力を持つ、魔族の中で最も恐れられる種族である。
十字教が遥か古より続けてきた聖戦の歴史を紐解けば、彼ら(ドラゴニアン)の力の前に幾度も苦い敗北の記録が登場するだろう。たとえ勝てたとしても、そこに払った夥しい犠牲が確かな数字として残っている。
恐るべき竜人であるが、アーク大陸では百年前、第二使徒アベルによって最後の一人は討たれ、滅んだと伝わっている。彼が『白の勇者』と讃えられる伝説、『竜帝征伐』は最も有名なエピソードだ。
しかし、ここは海を隔てた別天地。白き神の威光は届かず、悪しき魔族が支配するパンドラ大陸である。ならば、竜人の一人や二人、存在していてもおかしくない。
「あれを相手にするは、竜退治と心得よ! 行けっ!!」
そうして送り出した騎士は、名乗りを上げるだけあってどれも腕に覚えのある者ばかり。単純に戦闘能力だけで評価すれば、あのセバスチャンを上回るだろう。
だが、果たしてそれで竜人を倒せるかどうかは分からない。最悪、少しでも手傷を追わせることができれば十分。あとは十字軍最大の強みである、数で押せばそれでよい。
「――むっ!?」
その時、向けられた殺気に気づけたのは、こうして戦場に身を投じてしっかり気を張っていたからだろう。
伯爵は達人的な速度と動作で弓を番え、反射的に放っていた。
螺旋状に渦巻く風をまとった矢は宙を疾走する、直後、爆発。敵の炎魔法――いや、爆破の術式を仕込んだ矢であったと、伯爵はすぐに見抜いた。
射手の勘が瞬時に教えてくれる。迎撃できていなかったら、直撃していたと。そして、これを放った者が、どこにいるか。矢の飛来した方向と、爆発の起こった高さから、すぐに割り出せた。
「ゴーレムの射手か……何という射程距離だ」
視線の先に捕えたのは、弦の両端に歯車がついた大型の機工弓を構える、一体のゴーレム。ウサギのような耳がついた、白黒のカラーリングが特徴的で、一度見つければ見失うことはないほどに目立つ。
「守りを固めろ、射手が狙ってきている!」
さらに注意を広げれば、その白黒ゴーレムだけでなく、近くに立つ全身ピンク一色の馬鹿げたデザインの装備に身を包んだ射手も、同じくこちらを狙って弓を引いていることが分かる。恐らくは、他にもここに向かって矢を向けている射手達は、何十、何百といる。
そして彼らは、正規のスパーダ軍ではなく、冒険者か傭兵であることは、敵の姿を見ればすぐに判別がつく。
「ふん、卑しい冒険者如きに、くれてやる首はな――」
不意に、台詞が途切れる。口から出てきたのは言葉ではなく、鮮血であった。
「がはっ!? な、なん、だ……」
胸元に走る灼熱の感覚。
まさか、ありえない。周囲は味方の騎士に囲まれ、狙撃の矢も見逃してはいない。
しかしベルグントの目には、己の胸から生える、血塗れた白銀の刃を見た。
「ば、馬鹿、な……」
何者かに、後ろから刺された。
裏切者? 否、その正体は――
「咲け、『雪月花』」
暗殺者。
そう思い至った時に見たのは、その暗殺者が左の逆手に握る氷の短剣を、自分の首元目がけて突き入れ――
「閣下!?」
「貴様っ、一体どこから現れた!」
「に、逃がすな! 追えぇーっ!!」
遠い残響のように、ぼんやりと部下たちの声が聞こえる。うろたえるな、騎士たる者云々、と叱責したいところだが、声は出ない。
私は一体、どうなった。確認しようとするが、首も動かない。そもそも全身の感覚がない。まるで、首から下の体が消え去ったかのように。
仕方なく、目だけを動かし、見た。無礼にも伯爵の頭を鷲掴んでいる、憎き魔族の姿を。
「……!」
おのれ、悪魔め。そう叫んだつもりだった。
伯爵が最後の最後に目撃したのは、黒髪の男。愛しい我が娘、リィンフェルトを毒牙にかけた、この世で最も怨めしい悪魔の男だ。しかして、その顔は何故か白い仮面に覆われており、怨敵の面を拝むことは叶わなかった。
そうして、ベルグント伯爵はそのままアンデッドとして即座に蘇りそうなほど、壮絶な憎悪の表情を張り付けた生首と化したのだった。
「――ほら、とってきてやったぜ、大将首」
未だ激しい白兵戦が繰り広げられている戦場のど真ん中で、ネロは呑気に言い放つ。片手には、大きなボールを弄ぶかのような軽い所作で、氷漬けとなった敵大将の生首をシャルロットへと差し出した。
「ちょ、ちょっと! そんな気持ちの悪いモノ押し付けないでよねー!」
「欲しいっつったのはお前だろ。感謝の欠片もねぇな」
『鉄鬼団』や『ブレイドレンジャー』を筆頭に、続々と手柄を上げんと突撃していった冒険者達の波に、『ウイングロード』もとい、『アルターフェイス』の面々も乗ることにした。
本来なら、こういう周囲の勢いと同調することをすこぶる嫌うネロであるのだが……
「ここで大将首を上げるくらいの大活躍しないと、お父様を認めさせることはできないわ! だから、お願いみんな、私に力を貸して!」
「断る。そんな面倒くさ――」
「これでダメだったら今度こそ私は死ぬわ! お尻ペンペンで死ぬわっ! いいのネロ、私がお尻で死んじゃうようなイケナイ子になってもぉ!!」
「……わ、分かったよ、仕方ねぇな」
と、猫耳尻尾をフシャーと逆立たせながら、ちょっとヤバい目つきで懇願して来る幼馴染の迫力を前に、さしものネロも承諾せざるを得なかった。
正直、シャルロットのお尻云々が何のことか全く分からないが、それでもレオンハルト王の忠告を無視してまで戦場に出張って来たのだ。ここはやはり、それなり以上の戦果を挙げないと格好はつかない。
だからといって、大将首というのはいくらなんでも高望みが過ぎる、と思ったのだが――
「まさか、ここまで上手くいくとはね」
「こんな前まで出張ってくりゃあ、隙の一つや二つはな。とりあえず、これは返しとくぜ、サフィ」
首を持たないもう片方の手で、ネロは無造作に掴んだ一枚の外套をサフィールへと差し出す。
生地はザラついた鮫肌の皮で、色は薄く濁った乳白色。お世辞にも綺麗とはいえない。そもそも、衣服に利用するのには向かない素材であることは、一見して明らか。
しかし、この汚らしい皮こそ、ネロが敵大将の首級を上げるのに最も役立つ効果を発揮したのだ。
これの名は『プレデターコート』。効果は、完全な姿の透明化。つまり、着用者は視覚的に姿を消すことができる。
この皮の持ち主は、野生のリザードマンの突然変異種。周囲の景色に同化するよう体色を変化させるカメレオンというトカゲに似た珍獣がいることは、アヴァロンでは昔から知られている。そのカメレオンと同じ、いや、それ以上の擬態能力を獲得した変異種ということになる。
もっとも、この皮は特殊な光魔法の固有魔法によって、自らに当たる光を、文字通りに『曲げる』ことで姿を隠蔽する。
その魔法原理が故に、着用者には光属性の高い適性が求められる。そして、ネロの最も得意な属性は光。このコートから完全な透過能力を引き出すことなど、彼にとっては造作もない。
そんな相性抜群な装備に加え、ネロがすでに獲得している音、匂い、気配、魔力、など多岐に渡る数々の隠蔽スキルを併用すれば、一流暗殺者を凌ぐほどの隠密ぶりとなる。それこそ、護衛の騎士に十重二十重と囲まれている大将だけを狙って、刺し殺せるほどに。
「高くつくわよ」
「じゃあ、コイツもくれてやる」
反対側の生首も差し出す。
「あら、いいの? ありがとう。中々、良い感じに恨みの表情を浮かべているわ。きっと、素敵なアンデッドができるわよ」
普段は無表情の毒舌家が、この時ばかりは朗らかな微笑みを浮かべる。持ち前の美貌が輝かんばかりに魅力が発揮する笑顔だが、生首を押し付けられた年頃の少女の反応としては、シャルロットの方が大正解であることは間違いない。
「そのまま報酬までパクるなよ」
「あら、心外ね。私はこれでも『ウイングロード』は気に入っているの。ちゃんとパーティの利益になるよう、そうね、精々ふっかけてやるわよ」
同じ微笑みでも、一転して暗黒と形容できる邪悪な表情で、サフィールは自信満々に答えた。相手から譲歩を引き出す商談や交渉などといった仕事は、彼女が一番であることはパーティメンバーには周知の事実である。
もっとも、パーティ内でマトモな交渉事を任せられるのは、サフィールとネロの二名だけでもあるのだが。ネルはお人よしすぎるし、シャルはすぐ頭に血が上る。カイは論外。
「っていうか、ちょっと二人とも、ちゃんと偽名で呼びなさいよ! もう、大将首に浮かれてるんじゃないの!」
ふふん、と絶対に勝ち誇った表情を猫面の下で浮かべているだろうシャルロットが、生首をやり取りする二人に向かって注意する。
「はぁ? もういいだろ」
「十分な手柄は上げたんだから、いつバレたっていいでしょう。というよりシャル、貴女はいつまでその恥ずかしい変装を続けるつもり?」
そういえば、ネロもサフィールも、気が付いたら仮面をつけていない。つまり、二人の冷めた視線は隠されることなく、猫耳尻尾にオモチャみたいな猫仮面姿のシャルロットへと無慈悲に突き刺さる。
「な、なっ、何よバカにしてぇー! コレはネロがプレゼントしてくれたから、しょうがなくつけてるだけなんだから!」
「そうなの?」
「いや、知らん」
「ちょっと、信じらんない!? 何で忘れてんのよぉー!!」
そう言われても、ネロには本当に心当たりはない。『アルターフェイス』用の変装は、それぞれが自前で調達しており、特に格好を示し合わせたワケではない。
しかし、明らかに怒りの感情を雷属性に変換して、バチバチと体中から弾けさせているシャルロットを前にすれば、ネロももう少しだけ考えてみようかな、という気にもなる。そうして、「バカーッ!」という絶叫と共に電撃が繰り出されようかという正にその時、ネロの頭脳が閃く。
「あ、思い出した。そのお面、ガキの頃に収穫祭の変な露店で俺が買ってやったヤツか」
「……そうなの?」
先と全く同じ質問のセリフだが、サフィールの表情はどこか固い。
「ふん、何よ……ちゃんと覚えてるんじゃない……」
言葉だけは相変わらず刺々しいが、尻尾をゆらゆらさせながらそっぽを向くシャルロットの姿は、どう見ても照れ隠しをしている子供のように分かりやすい素振りであった。
「お前、そんなのよく持ってたな」
「べ、別に! たまたまよ、たまたま見つけただけなんだから! そんなことより! スパーダに帰るまでが『アルターフェイス』なんだから、ちゃんと変装は続けなさいよ二人とも!」
おやつは300クランまで、と並ぶ新人冒険者の有名な心構えみたいな理屈を叫びながら、シャルロットは強引に話の矛先を逸らした。
ネロとしても、一応はまだ戦場にいながら、こんな呑気な話題を引っ張る気はない。ここはすでに役目は果たした。もう面倒な戦争など切り上げて、スパーダへ帰るという意見に否やはない。
「帰るのはいいが……そういや、カイはどこいった?」
「さぁ? その辺で遊んでるんじゃないの」
まるで興味がないとばかりな返答のサフィールだが、それだけで説明としては十分でもあった。
周囲で繰り広げられているのは、十字軍とスパーダ軍が演じる白兵戦。こんな戦場のど真ん中にいて、あの戦闘狂がとる行動は一つしかないだろう。
「あのバカは放っておいて、私達は帰りましょう」
「そうだな、こういう時くらい、好きにさせてやるか」
「ええー、大丈夫なの?」
唯一、反対意見のシャルロットであったが、その物言いは心配というよりも、単独行動させることに対する不信といったニュアンスが強い。
これまでカイを野放しにした結果、強力なモンスターを巣穴から引っ張ってきたり、ダンジョンに眠る強力なモンスターを叩き起こしたり、さらに強力なモンスターを……とにかく、余計なトラブルを起こす経験が幾度となくあった。
「もう勝負は決まった、流石に大丈夫だろ」
気が付けば、風に乗って高らかなラッパの音が聞こえてくる。スパーダ軍は命令伝達に鐘か角笛を使用している。ラッパを使っているのは十字軍だ。
そして、戦場の流れを見れば、その甲高い音色が何を示しているかというのは誰でも容易に想像がつく。つまり『全軍撤退』である。
すでに、ネロ達の周囲は前へ前へと突き進んで行く冒険者達ばかりで、十字軍はそのまま勢いに押されるように退いて行っている。数の上ではまだ優勢のはずだが、それでも、切り開いた中央部分より左右にひしめく大部隊も、城壁へ進む歩みを止め、少しずつ下がり始めているように見えた。
「行け行けぇーっ! 十字軍をぶっ潰せぇー!」
「兵がゴミのようだぜー! ヒャッハァー!!」
見上げれば、敵の秘密兵器だったはずのタウルスが、十字軍を追いかけるようにドシドシと重苦しい歩みを進めている。どうやってアレを奪ったのかは分からないが、あんな巨大兵器まで最前線に突撃してくるのだから、もう十字軍が攻勢に転じるのは不可能であろう。
そうして、ネロは進撃のタウルスとすれ違うように、踵を返して城壁に向かって歩き出した――その時。
「……っ!?」
ネロは踏み出した一歩を止めて、弾かれたように振り返った。
「どうしたのよ、ネロ?」
忘れ物? なんて呑気な問いかけをシャルロットが口にした瞬間、ネロの腕が彼女の肩へ伸びる。そして、そのまま肩を抱いて思い切り引き寄せる。
「え、えっ!? ちょっとネロ、な、な、何すんのよぉーっ!?」
唐突に熱烈な抱擁をされて、シャルロットは悲鳴をあげる。台詞の割には、何ら抵抗らしい抵抗はなく、抱かれるがままにされているが。
「サフィ! 全力でガードしろ! 今すぐだっ!!」
しかして、シャルロットの耳に届いたのは甘い口説き文句などでは断じてなく、ネロの鋭い命令であった。それも、かなりの焦りに満ちた。
そう、ネロは今この瞬間、迫り来る危機を察知したのだ。鋭い第六感が、かつて感じたことがないほど、途轍もない危険の存在を訴えかけた。
ネロはこれまで、一度も自身の勘を疑ったことなく、それが命じるままに反射行動をとってきた。そして、それが今回も正解であったことを、次の瞬間に理解する。
それは、白い光の点だった。
青空に輝くその光は、最初は目を逸らせばすぐに見失ってしまいそうなほど小さく弱い。だが、気が付けば星のように、次には太陽、さらには、満月のように加速度的にその存在を増していった。
紛れもなく、ここに向かって飛んできている。遥か彼方より、凄まじい速度で一直線に、空を駆けて。
天から降り注ぐ眩い白光に、周囲の者が「あっ」と気づき始めた。しかし、時すでに遅し。
白い光が弾け――