第456話 雷龍咆哮
「お下がりください閣下! 敵騎兵部隊が凄まじい勢いで我が陣を突破してきております!」
立ち並ぶ十字軍兵士達の彼方で、野太い雷の柱が幾つも突き立つのを眺めながら、十字軍第三軍の貴族将校、ヘルマン男爵は悲鳴のような意見具申を述べた。
「……いや、ならん」
それを一蹴するのは、病的な青白い顔でありながら、ギラついた目つきで同じく戦場を睨むベルグント伯爵である。
第三軍の総大将たる伯爵は十字軍の陣地を出て、すでに雪原の中ほどまで達しようかというほど前に出てきている。自ら戦場に立ち、陣頭指揮を揮うといえば聞こえはいいが、十万以上もの大軍を率いる将としては、いささか危険が過ぎるだろう。
そして今、彼はさらに危険な判断を下そうとしていた。
「あれは敵の決戦兵力に違いない。逆にアレを蹴散らせば、一気に決着はつくであろう……我が方も、騎兵をぶつける」
「あの部隊は、重騎士の方陣さえ力づくで突き破ったのです、並みの騎兵ではありません!それと真っ向勝負など、こちらもたたでは済ま――」
「私が第一騎兵部隊以下、動けるだけの重騎兵を率いて出る」
「そ、それはなりません閣下! 敵はあの騎兵だけでなく、勢いに乗った冒険者軍団が続いておるようです。おまけに、奪われたエンシェントゴーレムまで! これ以上、閣下が前に出るのは危険に過ぎますぞ!」
「くどい! ここで問答している時間はない。命令に不服とあらば、如何にヘルマン男爵、貴公であろうと……斬る!」
有無を言わさぬ迫力、というよりも、いっそ狂気じみた態度の将軍閣下に、それ以上の反対意見など言えようはずもなかった。
「……も、申し訳ありませんでした。閣下の騎兵突撃を、全力で支援いたします」
「それで良い。私は早く、一刻も早く、娘を助け出さねばならんのだからな……ああ、リィンフェルト、待っていろ、もうすぐ、私が行くからな……」
遥か彼方を見つめながらつぶやくベルグント伯爵の姿に、男爵はおぞましいものを見た、とばかりに顔をそむけた。
愛しい娘を敵に捕らわれ、伯爵は我を失っている。そう、ヘルマンでなくとも分かっていながら、少なくとも今すぐにはどうすることもできない。
貴族の連合である第三軍を、身内の足の引っ張り合いで崩壊させないよう、これまで綿密に計画をたて、伯爵の命令を徹底できるよう軍を組織したのが、かえって不運を招いた。
ベルグント伯爵の聡明さと武勇を、ヘルマン男爵は他の貴族の誰よりも知っている。今は、知っているつもりだった、と言うべきか。
領地が隣り合い、それでいて位も上、土地も豊かな伯爵には、これまで幾度となく助けられてきた。歳はヘルマンの方が一回りは上だが、それでもベルグントを「若造が」と侮ることもなしなかった。その才覚を認めるが故に。
良い関係を築けてきた、と思う。伯爵の腰ぎんちゃく、と揶揄されようが、それが最も自分に利益をもたらす立ち回りだったことは、紛れもない事実でもあった。
しかし、ベルグントの娘への愛情、という酷く個人的な感情の一点のみ、ヘルマンは見誤ったと後悔せざるを得ない。あの伯爵をして、ここまで瞳を曇らすこととなったのだから。
「後は任せた、ヘルマン男爵」
「はっ! 閣下に神のご加護があらんことを!」
いよいよ、勝敗が危うくなってきた。
早くも撤退すること考えながら、ヘルマン男爵は勇ましく馬を進めて行く伯爵の後姿を見送った。
「――ふんっ!」
気合い一閃。エメリア将軍は、馬上にて片手でハルバードを振るう。対するは、同じくハルバードを構えた重騎士。
騎乗の将を絡め捕らんと繰り出された、槍の穂先と斧の刃を併せ持つハルバードの一撃もろとも、エメリアは撃ち砕いて見せた。
鈍い衝撃音。直後、鋼鉄の塊が宙を舞う。
馬上から繰り出された、それも片腕での一撃。ただ、それだけで百キロ超の重騎士が、木の葉のように軽やかに吹っ飛んだのだ。最精鋭の重騎兵の中でも、これほどまでのパワーを発揮するのは、エメリアただ一人。人外の膂力、と呼ばざるを得ない。
「ん、あれは……まさか、我らに勝負を挑むつもりか?」
エルフの、それも女性にあるまじき腕力と、規格外の巨体を誇る二角獣の騎馬でもって、立ち並ぶ重騎士の隊列をぶち破りながら、エメリアはどこまでも冷めた表情と物言いで、敵陣の彼方に現れる影を見た。
白銀の騎士達が、馬首を揃えて蠢いている。敵騎兵部隊の襲来であった。
「馬鹿め、と言ってやりたいですよ、姉上」
大弓に番えられた、これもまた大きな矢を、至近距離で重騎士にぶち込み射殺しながら並走してくる部下の一人は、彼女の弟。義理の弟であるシモンとは違う、血のつながった実の弟。バルディエル家を継ぐ、長男ゲイルである。
金髪碧眼の整ったシャープな顔立ちに、色白の肌。長身痩躯ながらも引き締まった肉体から溢れ出る魔力に、類まれな弓の才能。まさしく理想的なエルフ男性であるが、戦場にてエメリアと並べば凡庸に見えてしまう。
「数が多い。それに、練度もそれなりだ……良い相手だ、歓迎しよう」
そう、エメリアはかすかにほくそ笑む。武勇を轟かせる女将軍に相応しい、不敵な、それでいて、獰猛な笑みだった。
「ゲイル、私はここで降りる。副隊長の指揮の下、このまま敵陣を突き進め」
「いつもの単騎駆けですか。今日は数が多いですので、ご注意を」
「大丈夫だ、ガラハド(ここ)でやるのは二度目だからな」
そういえば、姉は第四次ガラハド戦争で名を上げたのだったとゲイルが納得した時には、もう、エメリアは最高速度で駆ける馬上より、何の躊躇もなく飛び下りていた。
その動作は鎧兜に大盾と槍斧という重装備とは思えないほどに軽やか。しかし着地した瞬間、彼女が持つ超重量はありのままに雪の地面を叩く。そこに立っていた、十字軍歩兵諸共に。
巻き上がるのは、雪と血、紅白の飛沫。ザザザ、と悲鳴をかき消す音を立てながら、エメリアは直立のまま慣性に従って十数メートルの距離を滑った。
「……おいおいマジかよ、将軍級のヤツが一人で落ちてきたぜ」
「気をつけろ、コイツ自分から飛び下りてきたぞ。よほど強いか、よほどの馬鹿だ」
交戦経験のあるダイダロスなら、エメリアの名前と姿は知られていた。こうして堂々と降り立ったなら、力自慢のダイダロス騎士がこぞって一対一の決闘を望んだに違いない。
しかし、彼女のことなどまるで知らない十字軍から見れば、敵陣のど真ん中で部下の騎兵に置き去りにされてゆくその姿を見れば、あんな感想が出るのは当然だろう。
顔も名前も知らずとも、エメリアが纏う装備を見れば、雑兵でも一目で位が高いと分かる。艶やかな漆黒の黒地に、輝く黄金の装飾、背に翻る赤マント。その重厚さ、荘厳さ、男ならば思わず目を奪われる。
しかして、審美眼ではなく敵の実力を図る戦士としての眼力を持つ者ならば、その鎧が幾多の激戦を潜り抜けたことを見抜くだろう。これは、ただ権威の象徴としてのデザインではなく、純粋に戦闘に特化した性能を秘めている。そして、この巨大な金属板の塊である重鎧を着こなす、その人物の強さに思い至る。
だが、この場ではそこまで察せられる者は、一人としていなかった。見る目のある者はいたかもしれない。
それでも観察しきれなかったのは、他でもない、エメリア自身が、その鎧を脱いだからだった。
「封印装甲解放」
つぶやいた声は、風に攫われて消える。次の瞬間には、絶対的な防御力を体現する鎧兜が外れた。
ガキリ、と歯車がかみ合うような音が響く。すると、鎧の各所が一斉に分離。留め金が同時に破損しても、こうも綺麗に落ちないだろう。ワンピースの肩ひもを外したように、黒鋼の装甲はストンと雪の上に落ちる――その前に、霞の如く消え去った。
空間魔法に収納した、と正解を導き出すのは無理だろう。
何故なら、立ち並ぶ十字軍兵士の前に晒されたのは、鎧を脱ぎ捨てた、エルフ女性の体である。
「な、なんだぁ……俺、夢でも見てんのか」
「夢でも幻術でも構うかよ! こいつは、堪らねぇ……」
「俺、サキュバスに精気を吸われて死ぬのが夢だったんだ」
目を奪われない者はいなかった。
肩口で切りそろえられたブロンドヘアはサラサラと流れ、青い瞳が輝く切れ長の目は鋭く、美しい。
重騎兵として戦場を駆けるに相応しい肉体は、逞しく引き締まっているが、同時に、この上なく女性らしいラインも描いている。ドンと突き出た胸は兜の内にピッタリ収まるんじゃないというほどに大きい。綺麗な腹筋が浮き出しつつも、腰はくびれ、さらには大きな尻と、長い脚へと繋がってゆく。
正にこの場に広がる雪原の如き白さを持つ柔肌は、今、その大部分が惜しげもなく晒されていた。
エメリアが身に着けているのは、黒い下着、それも、高級娼婦でも着こなせるかどうかというほどに、際どい面積のもの。重装備の名残は、今も堂々とはためき続ける赤マントのみ。彼女の裸体を隠す役には立っていない。
硬く重い鋼鉄の内より、そんな極上の女体が現れれば、男の浅ましい欲望が見せる幻と思ってもおかしくはない。まして、ここは血で血を洗う戦場の真っただ中。この世の地獄にあって、こんな夢のような光景があるなど――それこそ、サキュバスが幻術を仕掛けてきた、というのが最も現実的な答えだろう。
しかして、エメリア・フリードリヒ・バルディエルは、サキュバスなどでは断じてない。鎧を脱ぎ捨て、裸同然の姿でありながらも、彼女の両手にはまだ、武器が握られているのだから。
「荒天に座す、万雷の女王――『雷冥龍・ジオ・エリザベス』」
加護発動。巨大な紫電の柱が、エメリアの体を飲みこむ。天に向かって突き立つ、大木のような雷撃は、正しく本物の雷と同じく瞬き、すぐに消える。
そうして、閃光を百発炸裂されても及ばぬ強烈な大発光が過ぎ去った後、再び、彼女は現れる。その、姿を変えて。
「……竜人だ」
その名をつぶやいた十字軍兵士は、きっと、一人や二人ではない。彼らが目撃したのは、正に竜人と呼ぶより他はない姿をしていた。
エメリアの頭から、輝くクリスタルのような二本の角が生えている。彼女の白い肌が広がるはずの手足には、鋼の光沢を宿す黒い鱗が手甲と脚甲の代わりとばかりに浮かぶ。それ自体が帯電しているのか、時折、バチリと紫電の火花が散った。
しかし最も目立つ変化は、背中から伸びる一対の翼であろう。本物の飛竜からそっくりそのまま移植でもしたかのように、黒鱗に覆われた腕部は太く、中ほどにある手は鋭い鉤爪を備えた指が三本ある。大きく広がる翼膜の暗い紫色が、不気味に輝いて見えた。
そんな竜の特徴を己の体に現出させた、いわば、変身とでも言うべき変化を終えたエメリアは、赤い唇が色っぽい口を、歌うように開く。彼女の口から紡がれる言葉は果たして――
「ガァアアアアアアアアアアアアアアっ!!」
魂が震えるほどの威圧感を放つ、恐ろしいドラゴンの咆哮であった。
「……凄いな、一気に押し返したぞ」
そんな呑気な感想を、俺は変わらず壁面に立ちながらもらす。この地上二十メートルほどの高みからは、雪原で繰り広げられる大決戦の様子がよく見える。
シモンとガルダンのコンビがタウルスで大暴れを始めたのを好機と見て、一気呵成に正門から飛び出した第二隊『テンペスト』は、見事に敵陣を中央突破せしめた。当たり前だが、その迫力は俺がリィンフェルトを捕まえた時とは比べ物にならない。
雷属性を中心とした攻撃魔法を乱れ撃ちながら、騎兵の突破力でグイグイと敵陣へ食い込んで行く様は圧巻の一言。騎兵突撃こそ戦場の花形、なんて言われるのも納得がゆく。
敵陣を貫く最先鋒は『テンペスト』の中でも最精鋭と呼ばれる第一騎兵部隊。その数はおよそ三百。そして、その後ろに第二以下、全騎兵部隊、合わせて、確か三千ほどだったか。重騎兵、軽騎兵、魔法騎兵、三種混合の騎兵たちが続く。
そのさらに後ろには、早くも手柄を上げる機と見た目ざとい冒険者集団が、我先にと戦場へ躍り出ていた。
しかし、そんな激戦の中にあって最も目立っているのは、たった一人で押し寄せる敵を薙ぎ払いながら突き進んでいる、エメリア将軍だろう。
「雷龍の加護だと聞きましたけど、あれはもう本人がドラゴンになったようなものですね」
距離はあるものの、視力が強化されている俺と、自前で『鷹目』を使えるフィオナなら、ここからでも姿を変えた彼女の様子は見える。
手にするハルバードにはまばゆい紫の雷光がまとわりつき、一振りするだけで無数の電撃が広がって行く。武器による一撃というよりも、雷龍がサンダーブレスを薙ぎ払う様に噴いたという方が近い。
ただの歩兵では槍が届く距離まで近づくことすらできず、一方的に吹き荒れる雷に焼かれてゆくのみ。魔法防御に優れる重騎士が、その雷撃に耐えて間合いに踏み込もうとも、今度はドラゴンの膂力を秘めているだろう腕より繰り出されるハルバードの一撃でもって、叩き切られる。
そのパワーと雷光を宿す刃、二つが合わさった彼女の一閃は、重騎士が構える大盾ごと真っ二つにしていた。俺でも『共鳴怨叉』と『黒凪』のコンボでなければ、盾ごとは切り裂けないことを思えば、その威力の凄まじさが分かる。
なるほど、加護を極めるとあそこまで強く、それでいて派手になるのか。
ちょっと羨ましい、と思うと同時に、確かに姉があんな一騎当千の猛者だったら苦手にもなるな、とシモンに同情の念も抱いた。
「この勢いなら、本当に大将まで辿り着けそうだな」
「真正面から対抗を選んでくれたのは、幸いですね」
ここは味方の活躍も把握できると同時に、敵陣の動きもよく見える。だから『テンペスト』の突撃に対し、陣の後方に控えていた十字軍の騎兵軍団が一斉に動き出したのも、はっきりと確認できた。
そうして今、両者は雪原の上で正面衝突し、騎兵も歩兵も入り乱れる混沌とした大乱戦と化している。
しかし、その最前線は、十字の描かれた旗と、緑色に矢と蹄を模した紋章の旗がはためく、恐らく敵の総大将がいると思しき地点まで、ジリジリと近づきつつあった。普通だったら、逃げ出していてもおかしくないところだが、大将は謎の根性を見せているのか、その場を動こうとしない。
もっとも、ここで背中を見せて退けば、たとえ一キロ先の十字軍陣地に辿り着いたとしても、スパーダ軍がそこまで一気に雪崩れ込んで行きそうではあるが。
十字軍は、幅の広い雪原の左右いっぱいに展開しているから、数の上では突撃している『テンペスト』と一部の『グラディエイター』両部隊よりも未だ遥かに勝っている。こちらとしても、突っ込みすぎれば背後の穴を埋められ、包囲殲滅の危険がある。
果たして、こちらが大将を討つのが速いか、敵が体勢を立て直して包囲を完成させるのが先か。何とも際どい戦況だが――
「勝った! あーはっはっは、僕のタウルスが一番強いんだぁーっ!」
「へっ、俺様にかかればこんなもんよ! 大したこたぁなかったぜ!」
二機の敵タウルスと超ド級の殴り合いを演じていたシモンとガルダンが、威勢よく勝ち名乗りを上げる。言葉の割には、辛勝と呼んだ方がしっくりくるほどボディも顔面もボッコボコに凹んでいるが。
そんなタウルスの足元には、ボロボロどころか完全に機能停止し鉄くずと化した無残な機体が転がっている。無様な敗者の残骸を蹴飛ばしながら、味方タウルスはいよいよ虫けらのように蠢く十字軍へと向いた。機体は損傷が大きく見えるが、ブースターもまだ生きてるし、全身の稼働も問題なさそう。人間の集団を蹴散らすには、十分すぎる力が残っている。
「これはもう、勝負は決まったな」
「そうですね」
「ねぇーねぇーリリィ達は行かなくてもいいのー?」
決戦から残党狩りへと移行するのは、そう遅くはないだろう。今から前線へ向かえば、それなり以上に首級を上げられそうだが……
「手柄が欲しいワケじゃないからな。見ろ、勢いに乗ってまだまだ冒険者達が飛び出して行ってる。城壁の防備が薄くなりすぎれば、万が一ってことも有りうる」
「はーい!」
リリィも特に手柄に対するこだわりはないようなので、笑顔で元気の良い返事をくれた。
「結局、使徒は出てきませんでしたね。残念でしたか?」
「……いいや、奴らとは、戦わないにこしたことはないからな」
今回こそは、と息巻いていた気持ちはあった。
だが、こうして勝利を目前にしてみると、無事に終えられそうで良かったという安堵感の方が大きい。むしろ、最初からサリエルが出張って来ていたら、確実にガラハド要塞は陥落していただろう。
「さぁ、俺達は最後まで気を抜かずに城壁を守り切ろう――」
そうして、俺は緑のマントが特徴的な、ヘルベチア騎士の最後の一人を斬り捨てた。
これで、ここに挑んできた精鋭騎士部隊とやらは殲滅した。他に気を取られることなく、目の前の敵だけに集中できるなら、俺達『エレメントマスター』の敵ではない。
城壁の下には、壮麗な白銀鎧とマント姿が嘘だったかのように、黒焦げだったりバラバラになった騎士の死体が、すでに積み上がられていた歩兵とキメラ兵の死体の山の一部と化している。
「これで今度こそ、俺達の勝ちだ」