第454話 起死回生の一機
遡ること四日前、冥暗の月20日。十字軍二度目の攻勢が行われた日のことである。
「はぁー、やっぱり、全然分かんないなぁ……」
と、シモンは薄幸の美少女といった容姿に物憂げな溜息をついていた。
この日、十字軍が攻めてきたお蔭で一時的にタウルスから避難してきたのだが、何だかよくわからない内にクロノがピンチであり、これもまたよくわからない内に、奇跡の大逆転勝利に終わっていた、とシモンとしては今日の戦いの流れはイマイチ飲みこめていない。まぁ、とりあえず勝ったんならいいか、と詳しく理解する気もないのだが。
そんなことより今のシモンを悩ませるのは、古代より蘇った巨大な兵器、もとい重機である『タウルス』のことである。
リリィの読み通り、シモンはすっかりコレのシステムを弄り回すのに夢中になっていた。寝食を忘れるとはこのことか。これまでも研究に集中するあまり徹夜続き、ということはあったが、今ほど熱中しているのは、初めて銃の製造にとりかかった時以来である。
シモンの研究人生の中で、二度目のターニングポイントだ、と未だ十七歳でありながらも、心の底から思えた。
「もう少し単語の意味が理解できないと、いくらなんでも解読は不可能だよね……」
しかし、肝心の研究内容、もとい、リリィの依頼であるタウルスのシステム復旧の進捗状況は芳しくない。そもそも、画面に表示される古代文字の意味がまるで不明なのだ。文章など解読できようはずもない。
実のところ、生まれながらに強力な妖精女王の加護を得ているリリィと、学業成績だけなら神学校でぶっちぎりの首席であるシモン、ついでに、経歴は謎だがかなりのベテラン冒険者であろうソフィ、この三人が集まれば、現代において解読されている古代文字はほぼ網羅できている。王立スパーダ神学校の古代文字専門の教授もビックリの解読率である。少なくとも、スパーダにある全ての『歴史の始まり』の文章を現代語に翻訳できるほどには、古代語に堪能なインテリ三人組みなのだ。
だが、どうやらタウルスのシステムに使用されている古代文字は、従来の古代語とは別のロジックで構築された言語であるらしい。半分ほどは、同じ古代文字が使用されてはいるのだが、もう半分は全く未知の文字。いや、そもそも文字ではなく、記号かもしれないし、数字かもしれない。はたまた、全く別の概念の意味合いを持つ『何か』かもしれない。
古代遺跡で普遍的にみられる古代語の文章でつづってあれば、ここまで作業は難航しなかった。とにかく、この謎の古代第二言語が解読不能であることが、現状における最大の問題点なのであった。
「はぁーあぁ……どうしよう……」
一際大きな溜息をついて、シモンは徹夜続きに加えて、いきなり戦場のど真ん中から生還するまでの戦いによる疲労がここで一気に祟ったとばかりに、テーブルに突っ伏した。
シモンの顔の下にあるのは、日記帳三冊分ほどにも及ぶメモ書きの束。上に重なった何枚かが散り散りになるが、拾い集める気力もない。
ついでに、注文した料理も半分ほどてつかずで、今やすっかり冷え切っている。勿論、これを食べる気にもなれなかった。
「――んおぉ!? おっとぉ、すまねぇな、お嬢ちゃん」
ヒヤリとした液体が、シモンの灰色の頭と、テーブルのメモに降って来た。三秒だけにわか雨にあたったくらいの水量を被る。
今のシモンは気にも留めない。ただの酔っ払い。
そう、ここはガラハド要塞にある最も大きな食事処、ガラハド飯店であった。
明日、再びタウルスに戻って先の見えない復旧作業に挑む予定である。逆にいえば、今日この日は要塞内に留まるということでもある。
久しぶりに狭苦しいコックピットから出たということで、マトモな食事でもとろうというソフィの心配りだ。
しかして、今ここに言いだしっぺのソフィ本人がいないのは、彼女が一足先に部屋へ帰ったからである。正確に言えば、シモンが帰した。
十二時には戻るから、それまでは一人にしてくれ、と。
二人で宿の部屋にいれば、彼女が何と言ってちょっかいを出してくるか分からない。シモンとしても、何故に彼女がここまで自分に絡んでくるのか甚だ疑問であった。好きだから、というのはまずないなと思ってはいるが。
シモンは自分の男性的な魅力というものが、どの程度のものか知っているつもりである。強く逞しい理想のスパーダ男児の対極に位置していると。
もっとも、世の全ての女性が男らしい魅力にのみ惚れこむわけではない、ということまでは理解できていないようだが。男女に限らず、どこに魅力を覚えるかは人それぞれである。
ともかく、意図は分からないがやたら絡んでくることに変わりないソフィの相手をし続けるのは、シモンとしても大いに気が引ける。しかしながら、このまま思考のループに囚われているのも、時間を無駄にするという意味では同じであった。
「ダメだ、今日はもう休もう……」
何一つ有益な閃きを得ないまま、シモンは疲れ切った頭を振りながら、席を立った――その時である。
「おお? なんだぁコレ、電子言語じゃねぇか」
頭上から、そんな声が降ってきた。
また酔っ払いの戯言か。と思えば、そうでもない。
見上げた先にあるのは、妙にくすんだ鈍色のボディを持つ、アイアンゴーレムの顔だった。タウルスとよく似た、赤い一つ目は真っ直ぐ、テーブルの上に散らかったメモ帳へと向けられている。
「タウルスの機動制御プログラムが初期化されています、再設定を行う場合は――って、おいおい、赤ん坊かよコイツぁ! だはは!」
そう、このゴーレムはシモンが書き写した古代文字の文章を、読み上げた。
「……ね、ねぇ、もしかして、コレ、読めるの?」
シモンは手元にあったメモ紙を適当にひっつかみながら、恐る恐る、といった様子で問いかける。震えているのは、鋼の巨体を前に怯えているのでは断じてない。それはいわば、武者震い。
「ああ? なんだエルフのガキ、このガルダン様を舐めてんのかぁ!? こんなもんゴーレムなら誰だって読めるに決まってんだろうがぁ!!」
こうして、シモンはガルダンという翻訳家と出会った。
電子言語とは、ゴーレムの母国語、みたいなものであるらしい。
全てのゴーレムは生まれながらに電子言語ベースで思考し、パンドラ大陸でもアーク大陸でも使われている共通言語でやり取りする時も、脳内で一旦、これに翻訳されて理解しているという。
また、魔法や武技も、自ら電子言語による一種の術式を組み上げることで初めて習得となる。どうやら、同じ技でも種族が違えば習得方法も発動方法も微妙に異なるようだ。
ゴーレムという種族の他には全く普及していない、そもそも、通常の読み書きは共通言語に例の異世界アルファベッドが用いられる。同族間のやり取りにおいても、わざわざ電子言語を文章にして記すことはない。
ただ、野生に出現するモンスターであるゴーレムが、果たしてコレを理解しているかどうかは不明であるが。人間と猿が会話できないように、人としてのゴーレムと、モンスターとしてのゴーレムもまた、意思疎通はできないのだから。
ともかく、この言語は、ゴーレムの頭の中にしか存在しないものなのだ。
そんな一種族限定の超ドマイナーな言語によって、タウルスのシステムは表記されているという。そう、ガルダンという翻訳家を得たことで、シモンは一気にタウルスの再起動を成功させるまでに至ったのだ。
「――でも、リリィだってがんばったんだよ!」
と、リリィからタウルスが動き出したことの説明と、ささやかな努力アピールを聞いて、ようやく合点がいくのだった。なるほど、俺の知らないところで思わぬ出会いと発見があったようである。俺が助けたガルダンが、まさかこんな形で活躍することになるとは。
それにしても、この電子言語とやらは、どうもプログラミング言語っぽいな、と思ってしまうのは俺が何だかんだで高度な情報化社会であるところの現代日本人だからだろう。
タウルスのシステムと、ゴーレムの脳内言語が偶然同じ、ということはありえない。電子言語は間違いなく古代には存在していて、それが現在ではゴーレム種のみに受け継がれていると考えて間違いないだろう。
となると、現代に生きるゴーレムは、モンスターのように自然発生したわけではなく、古代に造られた自立型ゴーレムみたいなものが祖先になっているのかもしれない。まぁ、そもそもゴーレムがどうやって子供を生み出しているのかも、俺は知らないのだ。というか、いるのか、子供。
ともかく、ゴーレムのルーツとその生態についての考察を深めることは、興味深くはあるが今すべきことではない。
そう、重要なのは、フルチューン状態のタウルス一機が、味方として参戦したという事実だ。轟々とブースターを勢いよく吹かしながら屹立するその姿は、味方として見れば頼もしいことこの上ない。
「まずは敵のタウルスから倒そう!」
「よっしゃあぁ! 俺様に任せとけシモン!」
目と鼻の先で城壁を殴り続けている敵機に向けて、のっそりと体を向ける味方タウルス。
シモンの少女のような甲高い声と、ガルダンの野太い声が、俺の耳まではっきり届いてくる。随分と打ち解けているような感じだが……天才頭脳派なシモンと文字通りのパワーバカなガルダンなんて全く反りが合わなそうなコンビであるが、これは真逆の性格だからこそかえって、というパターンなのだろうか。
とりあえずやり取りから察するに、メインパイロットはガルダンの方で、シモンはサポートに回っているようだ。即席の複座式といったところか。
まぁ、具体的にどういう操縦方法をとっているのかは不明だが。まさか、ゴーレムの核を取り出して直結してる、なんてマッドな方法ではないとは思うが。
それにしても、コックピットで交わされている二人の会話が外にまで丸聞こえなのは、設定の不備なのだろうか。
「通信機がオープンチャンネルになってるんだよ」
俺の疑問を察したのか、リリィがそっと教えてくれる。
「変更できないのか?」
「できるけど、二人とも、もう夢中になってるから」
男ってバカね、うふふ、みたいな苦笑顔のリリィである。
「ブースター全開! 行っけぇえええええええええ!!」
「うぉおおおお! ぶっ潰してやるぁああああああ!!」
二人のテンションMAXな叫びと共に、ガルダン機は急速発進。青白い輝きと、勢いで巻き上げられる雪煙を背に、猛然と敵タウルスへと襲い掛かる。
勿論、足元に蠢く十字軍兵士達は、全速力で突き進む鋼の巨躯にあっけなく蹴散らされていく。走っているワケではないので踏みつぶされることはないが、あのデカい体を飛ばす推進力の余波をモロに喰らって、無事で済むことはないだろう。
正しく蹂躙と呼ぶべきブースター機動を数百メートルほど経て、真っ直ぐ右腕を振り上げたガルダン機が、ついに敵機とぶつかり合う。
ガァン、と超重量の鋼鉄塊が衝突する轟音が、高らかに木霊する。
横合いから不意打ち気味に炸裂したストレートパンチによって、敵タウルスの体が大きく傾ぐ。そのまま倒れ込まず、素早くサブスラスターを駆使して踏ん張ったのは、流石といったところか。
「おらっ! おらぁあああっ!!」
しかし、怒涛の追撃を仕掛けるガルダン機を前に、それも結局は無駄な抵抗となる。二本の腕を交互に繰り出す、技術の欠片もない力任せの稚拙なパンチでありながらも、タウルスのパワーで繰り出されれば、それだけで驚異の鉄槌と化す。
敵機が地面に倒れ込んだ時には、ドラム缶を金属バッドでフルスイングしたようにボディがベコベコに凹んでいた。
「そのままトドメだ! アームブースター起動!」
「喰らいやがれぇ! 必殺のぉ、スーパーガルダンナックルぅうううううっ!!」
天高く振りかぶった右腕、その肘と手首から装甲が開き、俄かに青白い燐光が放たれる。あんなところにもサブスラスターが搭載されているのか。
一体、何のために使うのか甚だ疑問ではあるが、少なくとも今この時においては、頑強なタウルスを仕留めるにたる凄まじい打撃力を得るのに役立ってくれたのは間違いない。
鋼の拳は青い流星となって、仰向けに倒れた敵タウスルの胸元、コックピットのあるど真ん中へと命中。
スーパーガルダンナックルとやらは、確かに、パイロットごと胸を撃ち砕いた。
「おお、やった!」
思わず、そんな歓喜の叫び声を上げたのは、俺だけではない。
城壁の上からも、状況はよく分かってないだろうが、それでもこの場で最も厄介な強敵が颯爽と撃破されたことに、ドっと歓声が巻き起こる。
あるいは、タウルスという巨大ロボ同士の戦いそのものが、男として興奮せざるを得ないという理由もあるかもしれない。少なくとも、俺はちょっと感動している。
「よし、これであと二機だ!」
「しゃあ! ガンガン行くぜ!!」
真っ赤な単眼をギラつかせて、次なる獲物を狙い定めるガルダン機。
だが、流石に味方が同じタウルスによって倒されたという状況に、生き残りの二機も城壁への攻撃を中断し、ガルダン機へと向き直っていた。両者からは名乗りの一つもないが、正面対決を望んでいることは、その姿から明らかであった。
「二対一か……でも、僕が一番タウルスを上手く制御できるってこと、教えてやる!」
「上等ぉ! まとめてぶっ潰してやるぜぇええええ!!」
そうして、半壊したガラハドの大城壁を背景に、巨大ロボ同士の決闘が始まった――その時。
「開門せよ! 今こそ勝機、これより打って出る!!」
三機のタウルスが奏でる壮絶な轟音と不協和音の中にあっても、そう、はっきりと声が聞こえた。スパーダ人なら、誰もが聞き違えることはない。
レオンハルト王の突撃命令が下った。