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黒の魔王  作者: 菱影代理
第23章:ヘルベチアの聖少女
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第447話 アヴァロンの巫女

 冥暗の月23日。

 すでにアヴァロンへと無事に帰国を果たしたネルだったが、その病状は相変わらずであった。熱狂的なネル姫信者のヘレンでなくとも、すっかり生気を失った、けれど儚くも病的な美しさを醸し出すネルの姿を目にすれば、アヴァロンの人々はその身と心を気遣わずにはいられない。

 特に、実の父親であるアヴァロン国王、ミリアルド・ユリウス・エルロードなど、あまりの娘の変わり様に、滂沱の涙を流して悲しんだ。だが、大泣きに泣く父の姿を見ても、ネルの瞳には何ら人らしい、感情の色が浮かぶことはなかった。

 そんな悲劇の再会となったのは、およそ一週間近く前になる17日のことである。

 それから今日この日まで、ネルの身を案じる父の計らいによって、彼女は王宮の奥で静かな療養生活に入るのだった。

 しかしながら、23日の今日、ネルは温かく柔らかなベッドの中ではなく、趣のある雪景色が広がるアヴァロン王城の広大な庭園を、照りつける冬の日差しの下、一人で歩いていた。

 朝の散歩、などではない。ネルはアヴァロンに戻ってより、重病人のように動きのない生活をしてきた。自発的に外出することなど、一度たりともない。

 彼女がここにいるのは、他でもない、父、ミリアルド王の進めである。


「ネル……『火の社』の巫女様へ会いに行け。あの方ならば、きっと、お前の悩みを聞き届け、解決に導いてくださる」


 ネルの病状が精神的なものである、ということは父の耳にはとっくに入っている。だからこその、助言であろう。

 年頃の娘の悩みを、自分が解決するなどという思いあがった勘違いをするほど、ミリアルド王は愚かではなかった。医者でもなく、魔術士でもなく、ネルと幼いころから親交のある、アヴァロンのパンドラ神殿『火の社』におわす巫女を相談相手として選んだのは、賢明な判断であろう。

 事実、相変わらずの無表情ながらも、ネルは了承の意を告げて歩き出したのだから、彼女に対する信頼、期待の高さが窺える。あるいは、大人しく従った方が面倒にならずに済む、という打算によるものだったのか。

 どちらにせよ、ネルはこうして巫女へと会いに来たのである。

「……変わらない」

 庭園内にある小さな森を抜けた先に『火の社』がある。

 門のような、けれど扉も屋根も壁もない、不思議なシンボルオブジェを見て、ネルは少しだけ感情の籠った声でつぶやいた。

 真っ赤な朱塗りの柱は、この白い雪景色には一際、鮮やかに見える。地面から突き立つ二本の柱、その上を一本の柱が繋がる、門の骨組みだけのような形は、シンプルながら、どこか神秘的なイメージを抱かせる。

 門のような、と形容しつつも、事実、これが門であることを、ネルは思い出す。その昔、彼女が教えてくれた。そう、確かこれは――

「――鳥が居る、と書いて、鳥居という。これはのう、神域へと通じる門なのじゃ」

 ネルは真っ直ぐ、鳥居を潜る。勿論、周囲の景色に変化などなく、絵画に描かれる壮大な神の世界に変貌したりはしない。

 この鳥居はあくまで宗教的なオブジェにすぎない。赤い柱の外にも内にも、ただ一節の魔法術式さえも刻まれてはいないのだから、何らかの魔法的、あるいは神秘的な変化など起こるはずもなかった。

 そうして潜ったすぐ先にあるのは、石の階段だ。さして堅牢な造りでもなければ、計算され尽くした精密な形状もしていない。粗削りな石材を組み合わせてできた、粗末な石段である。

 ここは小山、というより丘と呼ぶべきか。周囲より一段高くなっている地形だ。標高、などとわざわざ書くほど高さはないが、それでも、この石段を登り切ると、どこか外界と隔絶された高みへとやって来たような気分にさせる。

 なるほど、そういう意味で、確かにここは神域なのかもしれない。軽やかな足取りで石段を登ったネルは、不意にそんなことを思った。

「――久しいのう、ネル」

 最後の階段から足が離れ、頂上まで登りついたと同時に、声がかけられる。

 口調こそ隠居老人のようであるが、その声音は酷く幼い。

「……お久しぶりです、ベル様」

 予期せぬ出迎えであったが、ネルは特別に驚いたりはしない。そういえば昔から、こちらが行くことを伝えていなくても、彼女はいつもここで待ち構えてくれていたと思いだす。

 そしてネルの視線の先には、スパーダ留学へ向かう一年前に挨拶に伺った時と同じ、そして、まだ幼い子供の頃に初めて会った時とも、全く変わらず同じ姿で佇む、巫女がいた。

「うむ、また少し大きくなったようじゃのう。背も、魔力も、ふーむ、胸もなかなか……やはり、人の成長というのは早いものじゃ」

 ケラケラと子供のように、けれど孫を見つめる老人のように、笑ってみせるのは一人の幼い少女だった。

 艶やかな黒髪に、煌々と輝く真紅の瞳――黒髪赤眼。だがしかし、彼女はエルロード王族ではない。いいや、そもそも『人』ではないが故に、魔王の血筋とは関わりがない。

 腰を超えるほど長い黒髪は、冬のそよ風にサラサラと流れ、クリクリとした勝気な赤い瞳は、真っ直ぐにアヴァロン王女の姿を見つめる。可愛らしい、天使を模った一級の芸術品のように整った愛らしさを誇る容姿ではあるが、一見すればただの子供にしか思えない。

 しかし、彼女の纏う雰囲気はパンドラの大神殿を預かる神官長のような威風と貫禄があった。

 それでいて、彼女の服装は神官が着用する白い法衣とは、やや異なった趣のものだ。

 上着は同じ純白だが、その作りはガウンのように左右を合わせて着るような形。そして、最も特徴的なのは、鳥居と同じく真紅の色合いが目に鮮やかな『袴』と呼ばれる衣装である。ズボンとロングスカートを融合させたような、ゆったりしたこの衣装を身に着けるのは、各地に無数に点在するパンドラ神殿の中でも、『火の社』に務める彼女だけであろう。

 この白い上着と赤い袴を合わせて『巫女服』、と彼女もアヴァロン王城の人々も呼んでいる。何でも、古代よりもさらに昔、遥かなる神代より伝わる由緒正しい衣装であるらしい。

 そんな巫女服姿の少女。そう、この小さな彼女こそが、二百五十年もの長きに渡り、アヴァロン王城にある古代遺跡の神殿『火の社』にて巫女という神聖不可侵の職責を与えられた人物である。

 その名は、ベルクローゼン。

 彼女の存在を知る、アヴァロン王族とごく少数の重臣達からは、敬意を籠めて「巫女様」と呼ばれる。そして、ネルを始めとした王族の子供たちは、親しみを籠めて「ベル様」と呼ぶのだ。

「こんな寒空の下で立ち話というのも何じゃ、本殿へ入るがよい。熱い茶と、ついこの間ルーンより仕入れたポテチが――」

「いえ、お構いなく。長居するつもりはありませんので」

 にこやかな巫女様のお誘いを、ネルは変わらず暗い無表情で無碍に断る。

 だが、これぞ年の功とでもいうべきか、ベルクローゼンは全く気分を害した様子はなく、むしろ、ますます笑みを深めてネルを見つめ返した。

「ふむ、随分とつれないのう」

「申し訳ありません。少し、体調が優れないので」

「くっくっく、あのネルが嘘をつくようになったか! スパーダに留学したのは正解じゃったな」

 ふぁっはっはっはー、と何が面白いのか高笑いを上げる姿を、ネルは体調不良を嘘と断じられてもさして動じることもなく、胡乱な目つきで見るのみ。言い訳の言葉は、さらに重ねる気もなければ、必要もなかった。

「しかし、病を患っているのは確かなようじゃな」

「ご心配には及びません」

「妾は心配などしてはおらぬさ。まぁ、ミリアルドめは随分と心を痛めておったようじゃが……ふふ、まこと、鈍い。エルロードの血筋かのう」

 少しばかり意地の悪い笑みが、ベルクローゼンの顔に浮かぶ。その姿は、悪戯を企む子供そのものであった。

「こう揃いも揃って、そなたの患う病に気づかぬのでは致し方あるまい、この妾が診てしんぜよう」

「いえ、私は病気にかかったわけではありません」

「いいや、そなたは確かに患っておるよ。それも、かなりの重症とみた」

「ベル様は、何か……勘違い、をしているのではありませんか」

「ふふん、妾の診断に間違いはない。ネル、そなたがそこまで頑なに否定するのならば、あえて宣告しようではないか」

「……何ですか?」

 僅かな苛立ちと呆れがないまぜになったような溜息をついてから、ネルはそう問うた。その気だるい雰囲気と口ぶりは、正しく兄のネロと瓜二つ。シャルロットの無茶な提案ワガママを聞く時と、全く同じである。

 そんな冷めきった反応を受けながらも、ベルクローゼンはどこまでも不敵に笑いながら、自信満々に言い放った。

「恋の病、じゃ!」

「……え?」

「ああ、悲しいかな、惚れた男と戦で離れ離れに……傷心の帰国、といったところかのう」

 どうじゃ正解であろう、とばかりにふんぞり返るベルクローゼンのドヤ顔を、ネルが見つめること一秒、二秒、三秒――

「え……えっ……ふぇええええええええっ!?」

 素っ頓狂な絶叫が、厳かな境内に木霊する。

 血の気の失せた青白い顔は、一瞬のうちに赤く染まる。頬に朱がさすどころか、耳まで真っ赤。

 見開かれた目は、驚愕と動揺をありありと示す。その青い瞳には最早、曇りはない。今日の青天よりも青く澄んだ、キラキラした輝きが俄かに蘇っていた。

 まるで感情を失ったように陰鬱な無表情の仮面を被ったネルであったが、ベルクローゼンの言葉一つで、今や羞恥の炎に包まれた火達磨となって壮絶に悶えている。

「ち、ち、違います!? 違います、ホントに違うんです!」

 手をバタバタ、羽もバタバタ。穴があったら入りたいどころか、手負いの飛竜が如く空へ飛んで逃げて行くんじゃないかという勢い。

 キャーキャーと甲高い悲鳴染みた否定の言葉に、一体どれほどの信憑性があるというのか。甚だ疑わしいところであるが、ネルはあたふたしながらも弁明を続ける。

「わ、私は、ただ……クロノくんに、その……」

「ほうほう、そのクロノとやらがそなたの思い人か。ネルを惚れさせるとは、そんなに男前なのかのう?」

「クロノくんは顔がカッコいいだけのヒトじゃありません! 確かに、いつも凛々しくて、とってもカッコよくて、でも、笑うと可愛くて……えへへ、凄く、優しいんです……」

「くぁー、コレはもう完全に手遅れじゃのう!」

 春を待たずに境内の雪が融ける、とばかりにだらしなく蕩けた表情のネルを前に、あまりのむず痒さにベルクローゼンは身悶えする。どうしてこんなになるまで放っておいた。

「それにしても、ここまで惚れ込んでおきながら、その自覚がないときたものじゃ。うーむ、やはりこの鈍さは血筋か……」

 別にもう聞いてもいないのに、如何にクロノが素敵な男性であるかを、顔を赤らめながらも嬉しそうにぽつぽつと語るネルを見ながら、そんなことをつぶやく。

 こんなにイカれているくせに、よくも「違います」と否定できるものである。

「まぁ良い。ネルよ、話は妾がたんと聞いてやる故、まずは本殿へ上がるとよい。こんなところでいつまでも話し込んでおれば、風邪をひいてしまうぞ」

「あっ、そ、そうですね……すみません。それでは、お邪魔させていただきます、ベル様」

 そうして今度こそ、ネルは誘いに応じた。

「うむ、そなたの惚気話、楽しみにしておるぞ」

「も、もう! だから違うんですって、ベル様ぁーっ!!」

 ネルの元気な声が、雪の境内を超えて、庭園にまで木霊する。

 アヴァロンは今日も、平和であった。

 本当にネルはモノローグでもクロノに対して「好き」「愛している」といった類の言葉を一度も使用していません。ネル視点の話を読み返すと、恋心に気づいてない、ということが確認できるかと思います。後付け設定じゃないですよ!

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[一言] そっか。だからスプーンペロペロ事件でも、好きだからしょうがないんじゃ!とか開き直る事がなかったのか
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