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黒の魔王  作者: 菱影代理
第23章:ヘルベチアの聖少女
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第439話 悪夢の始まり

「はっはー! 往生しやがれ、エルフのオッサン!!」

 エリウッドの気力を振り絞った一撃で、どうにか突き殺した重騎士アーマーナイト。その鋼の巨躯が倒れた向こうから、赤毛の青年が槍を振りかぶって現れた。

 強烈な一撃が来る――分かっていながらも、エリウッドの疲労と失血を強いられた左腕では、どうにか盾をかざすだけで限界であった。

「――虎穿っ!!」

 赤い魔力のオーラが、通常の倍ほどもある大きな穂先に灯っている。欠けた盾の向こうにエリウッドが見えたのは、そこまで。

 次の瞬間、目にもとまらぬ赤い閃光と化した槍が、凄まじい衝撃となって襲ってきた。

「ぐうっ!?」

 盾を弾き飛ばされたのは、不覚ととるべきか、当然の帰結ととるべきか。欠けた月のように壊れながらも、ここまでエリウッドの身をハルバードの斬撃の嵐から守り切ってくれた『ゴールデン・トーラス』は、ついに主の手を離れた。

「まだだぜ――群狼薙ぃいい!」

薙払ブラッシュ!」

 間髪入れずに男が繰り出す武技に合わせて、エリウッドはかろうじて同じく槍を薙ぐモーションの武技で応じた。

 術理の異なる武技でありながらも、互いに振るう槍は赤々とした魔力のオーラで燃えている。しかし、意気揚々と戦い始めたばかりの彼と、疲労困憊の自分とでは、威力の差は歴然であった。

「くっ……」

 寸でのところで、槍までも弾き飛ばされるのを防いでいた。盾に続いて武器まで失ってしまっては、その瞬間に戦死が確定したも同然。

 だが、どうにか握り続けているはずの右手に、よく馴染んだ柄の感触は、ほとんど感じなかった。

 爆発的なパワーだけで押し切るような男の薙ぎ払いを、真正面から受けた衝撃で完全に右腕が痺れてしまったようだ。おまけに、肩や二の腕に走る裂傷から、弾けるように新たな出血を強いられる。

 体に残る貴重な生命力が、また少し、零れ落ちた。

「最早、これまでか……」

 ターゲットの術者まで、あと数十メートルといったところ。だが、その僅かな距離が果てしなく遠い。

 重騎士アーマーナイトの壁は未だ途切れず、そして、目の前に立ちはだかる赤毛の男はかなりの手練れである。今のコンディションで倒すのは厳しい相手。

 チラリと周囲を確認してみれば、サムライ男とゴーレムもそれぞれ、強敵を前に苦戦を強いられているようだった。今度こそ助けは期待できない。まして、この敵陣真っただ中へ、外からの援軍が今すぐに来てくれる可能性はもっとありえない。

 八方ふさがりの手詰まり。やはり、突撃を成功させるには圧倒的に戦力が足りていなかった。捨て身の作戦であるとは百も承知であったが、いざ全滅を目前にすれば、一抹の虚しさを覚える。

「ここが、命の捨て所か」

 だが、命を賭してここまでやってきた騎士と冒険者の働きを、無駄にするつもりはエリウッドにはなかった。それは副隊長としての責務でも何でもなく、ただ、一人の男として。

 覚悟を決めたエリウッドは、これが最後の攻撃と心得て鋭く前を睨む。

「へっ、息が上がってるぜオッサン。エルフってな長生きって聞くけどよぉ、やっぱ歳には勝てねぇってか?」

 好戦的な笑みを浮かべながら軽口を叩く若造を前に、普段なら一喝の下に拳骨でも喰らわせてやるところだが、今のエリウッドはピクリとも眉を動かすことさえない。

 彼の脳裏にあるのは、調子に乗った小僧への怒りではなく、ただ、次の攻撃を成功させるためのシミュレーション。

 そして、次の瞬間には思い描いた通りに、実行。人生最後の戦働きを始めた。

「はあっ!」

 気合い一閃、繰り出した一撃は――虚。

 つまりはフェイント。鋭く速い、しかし何の重みもない一撃を、赤毛男の鼻先に繰り出す。

 恐らく、本命ではないと即座に察していただろう。軽く体を引いてあっさりかわし、特に驚いた様子は見られない。

 だが、それでいい。一歩でも下がらせる、ほんの僅かでも間合いの外へと動いてくれれば、まずは第一段階クリアである。

 次なる第二段階への以降は早い。フェイントから素早く槍を切り替えし、穂先を繰り出した先は、地面。

「うおっ!?」

 エリウッドは穂先で地面を跳ね上げ、男に向かって融けかけの雪と泥が入り混じった目つぶしを行ったのだ。まるでスラム街のチンピラが使うような戦法。騎士としてあるまじき行い――と言うのは、無駄に誇り高きアヴァロン騎士くらいだろう。スパーダ騎士は、それも立派な技の一つと認めている。

 もっとも、『ブレイブハート』に入隊したての頃に覚えさせられた、このセコい技を実戦で使うことになるとは、当時の若きエリウッドは夢にも思わなかった。

「――っとぉ、引っかかるかよ!」

 その口ぶりと盗賊の首領みたいな装備から、真っ当な騎士ではないらしい赤毛男は、やはりこの目つぶし戦法にも難なく対応してみせた。顔面に冷たい土砂を浴びることなく、素早く身を横へ逸らして回避しきっていた。

 しかし、これも想定の内。第二段階もクリア。

 赤毛男は、フェイントと目つぶしに対して回避行動をとったお蔭で、一足で間合いを詰めて槍が届く距離から離れた。二歩目を踏み込まねば、エリウッドの体に刃は到達しない。

 たった一歩分の猶予だが、これこそエリウッドが放つ最後の一撃を成功させるに絶対的に必要な時間であった。

 作戦は今、最終段階へと至る。

「ぉおおおおおおお!」

 腹の底から響くような唸りは、残り僅かとなった魔力を一気に圧縮し、練り上げる練気の呼吸。強化系魔法のように、詠唱も魔法名も唱えることもなく、身体に爆発的なパワーを与えてくれる。

 エリウッドは漲る力のままに両手で『ヴァーミリオン・ピルム』を振り上げた。通常の構えではなく、両腕を大きく上に掲げて、頭上よりも高く槍を置くスタイル。

 そう、それは『投槍』の構えであった。

「――なっ!?」

 赤毛男が驚愕に目見開く。エリウッドの狙いを即座に察したのだろう。

 力強く掲げられた赤き槍の矛先が、守るべき大将である可憐な少女へと向けられていることに。

 彼我の距離はおよそ三十メートル。有効射程範囲内には十分に入っている。

 しかし、問題なのはその短い距離に立ちふさがる護衛の群れ。眼の前の赤毛男は言わずもがな、彼を超えても、重騎士の壁が立ち塞がり、最後には、ずっと少女の傍を離れず隙を見せない一人の青年の騎士が伴っている。

 それでもエリウッドにとって幸いだったのは、この敵陣の中において、ターゲットである彼女だけが騎乗していることだ。本来なら、大きな男達に囲まれて頭の先まで埋もれるだろう少女だが、その純白の一角獣ユニコーンへ跨っているお蔭で、むしろ頭一つ分も飛び出ているのだ。

 狙ってくれてと言わんばかり。向こうからすれば、こんな近距離まで詰め寄られることさえ想定していなかったのかもしれない。

 だが、その侮りが命取り。

 エリウッドは少女を守る兵の間隙、それこそ針の穴を通すような隙間を狙って、必殺の一投を放つ。

「――『業火投撃エルイグニス・シュート』ぉおおお!!」

 迸る紅蓮の猛火に包まれた槍が、宙を疾走する。

 武技による瞬間的な腕力強化を、全てこの一投に賭けたエリウッド渾身の槍投げは、引き絞られた弦から放たれた矢のように――否、それ以上の速さで飛ぶ。敵を貫くというより、砕くという方が適切な破壊的な勢いで。

 事実、エリウッドは一人か二人が目標の前に立ちふさがったとしても、盾も鎧も体もぶち抜いて、刃を届かせるつもりで放っていた。最悪の場合、もし外れたり止められたりしても、触れれば大爆発を起こす強力な火属性を宿している。

 衝撃・炎熱、共に高い耐性を持つ『ヴァーミリオン・ピルム』ならば、通常の『業火投撃エルイグニス・シュート』を使ったとて、武器としての機能を保ち続けることができる。

 しかし、最早この先、自らの手で振るうこと叶わないと見たエリウッドは、恐れ多くも王より賜りし栄光の赤槍を、あの世への道連れとすることを選んだ。つまり、槍が耐えられる以上の爆発力を籠めていた。

 そんな熟練の炎魔術師ファイアーマージが放つ上級攻撃魔法よりも危険な火炎の一撃と化した投槍は、エリウッドの狙い通り、ついにターゲットである少女の目前へと迫る。

 控えていた金髪の騎士が白銀煌めく美しいレイピアを抜き放って前へ出ていたが――ここまで来れば、もう手遅れだ。ソイツに当たれば、槍の威力に耐えられずそのまま主諸共串刺しか、あるいは共に地獄の業火に焼かれるか。

 エリウッドは作戦成功の達成感と悔いなく戦場で死ねる安堵感をもって、三十メートル先でついに噴き上がった爆炎を見た。

「――危っぶなぁ!? マジで死ぬかと思ったじゃない!!」

 そんな、少女の叫び声が、聞こえてきた。

 すでに、爆音は轟き、吹き荒ぶ爆風も通り過ぎた後。自らの一撃は、何者にも妨げられることなく、確かに、命中したはず。

 だがしかし、吹き抜けるそよ風が黒煙を散らしたその先に、彼女はいた。黒い髪に、黒い瞳の美しい少女が。先と変わらぬ、焦げ跡どころか煤けた様子もない、真っ白な法衣を身にまとった、全くの無傷の姿で。

「ば、馬鹿な……」

 ありえない、という考えは、視界にチラつくかすかな白い光によって、自ずと否定されることとなった。種を明かせば単純そのもの。何て事はない、ただ、普通に、防がれただけのこと。

 そう、自分達を閉鎖空間の窮地に陥れた件の『聖堂結界サンクチュアリ』。それを新たに展開することで、エリウッドの『業火投撃エルイグニス・シュート』を完全無欠に防ぎ切ったのであった。

 あの強固な結界に阻まれては、如何に渾身の武技といえども、その穂先はおろか、大爆発さえそよ風ほども通りはしない。

 少女が何事かをギャアギャア喚きながら、お付の青年騎士と緊張感の欠片もなく騒いでいる元気な様子を目の当たりにしながら、エリウッドはそこまでの理屈を瞬時に認識した。

 そう分かっていても、やはり「ありえない」という結論戻ってくるのは、彼女がこれほど巨大な結界を先に行使しているにも関わらず、目前に迫った攻撃に対し、瞬時に新たな結界を構築してみせたことだ。

 侮っていたのは、むしろこちら側だった。城壁を丸ごと分断する巨大な結界、これほど大規模な魔法発動であれば、その行使に全ての集中力と魔力を使い、とても他の魔法は行使することなどできない。何の疑いもなく、一般的な魔術士の常識通りに、そんな想定をしていた。

 だが、現実ではこの通り。彼女は自らに迫る危機を、難なく防いで見せたのだ。もしかすれば、この大きな結界も、彼女からすれば大した労力も魔力も割かない、何てことないものなのかもしれない。

 しかしながら、少女の底知れぬ魔法の実力を理解したとて、もう、今更のことであった。

「おい、テメぇ――」

 必殺にして必死の一撃が無為に終わったことに呆然としかけたエリウッドだが、すぐ目の前から漂う鋭い殺気に、歴戦の騎士の勘と体が反射的に反応した。

「――よくも俺のリンに手ぇ出しやがったなぁ!!」

 赤毛男は怒り心頭といった様子で、猛然と槍を繰り出していた。純粋な怒気がそのまま魔力の高ぶりとなって現れているのか、赤いオーラが槍の穂先だけでなく、柄を包み、さらには両腕からも迸っている。

 盾を失くし、矛を投げたエリウッドに残されているのは、腰から下げたスパーダ伝統の両刃剣『グラディウス』であった。その切れ味鋭く、頑丈で実用的な剣を流れるような動作で抜き放ち、迫る赤い一閃を凌ぐ。

「ぐうっ!」

 全身全霊をかけた一撃を放った直後でありながらも、即座に攻撃へ対応してみせたのは流石と言わざるを得ない。並みの騎士なら、ここで心臓を貫かれていただろう。

 だが、エリウッドにはもう、反撃するだけの力は残っていなかった。

「許さねぇ、リンを傷つける奴だけは、絶対ぇ許さねぇ!」

 彼の怒りは、どうやら例の少女を狙ったことに起因するらしい。よほど敬愛しているのか、それとも若者らしく単なる恋慕なのか。

 その感情的理由が正当であろうとなかろうと、エリウッドがこのまま彼の燃え盛るような怒りのままに、嬲り殺しにされることには変わりない。赤毛男は先ほどまでの余裕の表情を一変させ、今や憤怒の形相で獣が吠えるような怒号を上げながら槍を幾度もエリウッドへ叩きつける。

 その嵐のような連撃を前に、エリウッドを守る赤鎧が脆くも砕け散って行く。火炎のようにゆらめくオーラを纏った刃が体をかすめる度に、プレートが弾け飛ぶ。心臓を狙った突きで、最も分厚い胸甲が割れ、栄光の名を冠する金色の右籠手『ライトハンド・グロ-リー』も、ついにヒビが入る。

 体も鎧も崩壊寸前。それでも尚、右手のグラディウスで致命傷だけは防ぎきっているのは、最後の最後まであきらめない、スパーダ騎士の矜持の現れか。

 願わくば、この怒れる赤毛男だけでも道連れに――天国への階段に一歩を踏み出した状態のエリウッドには、叶えられない望みであった。

 無駄死に、という言葉が脳裏を過る。

 胸の内に溢れるのは、ただただ「すまない」という謝罪の念だけ。何も成せず、こんなところで力尽きてしまう不甲斐なさを、謝る。

 立派なスパーダ男児たれと、逞しく育ててくれた両親に。槍と剣を叩き込んでくれた教官に。戦場での生き残り方を教えてくれた上官に。自分を信じて、ここまでついて来てくれた仲間と部下に。勝利を奉げると誓った、レオンハルト国王陛下に。

 そして、こんな戦うことしか知らないつまらない男を愛してくれた妻と、この世に生まれた最愛の娘に。

「……すまない、エリナ」

「リンはっ、俺がぁ、守るっ!!」

 大きく体勢を崩し、のけ反った姿勢。無防備に開かれた喉元に、強烈な突きが次の瞬間に届くことをエリウッドは悟る。

 これを喰らわば、即死。最後の瞬間に思い浮かべたのは、世界で一番可愛い、娘の笑顔だった。

「――そんなに大事なら、こんなところに連れて来るなよ」

 熱狂的な喧騒で支配されているはずの戦場でありながら、その冷めた声だけが妙にはっきりと耳に届いた。

 誰だ。

 思った瞬間、グチャリ、と人の体が潰れる音が聞こえた。

 俺は、死んだのか――否。

 そう否定してくれたのは、未だに、頭の中で「パパ大好き」と微笑み続ける娘の姿。ここが天国か。いや違う、自分はまだ、戦場の真っただ中にいる。

 そして、馬鹿みたいに仰向けに倒れ込んだまま、突き抜けるような青天を眺めていた。

「な、何が起こった……」

 たっぷり三拍ほどの間をおいて、エリウッドは瀕死の体ながらもガバっと勢いよく上半身を跳ね上げる。

 と同時に、目の前で槍を振りかぶったままの姿で制止していた、赤毛男が――倒れた。ドっと、鈍い音を立てて、自分と同じように仰向けで。

「あ……な、んで……リン、おれ、は……」

 そんな、よく分からないつぶやきを残して、赤毛男は事切れた。つい先ほどまで、怒りで炎が灯ったようにギラついていた瞳が、今や光を失い、虚しく空を見上げているのみ。

 雪と泥の上で死闘を演じたせいでグチャグチャとなった地面が、彼が流した大量の鮮血によって赤一色に染め上げられている。

 赤毛男の胸元に、大きな穴が空いていた。向こう側がはっきり見えるほど、巨大な風穴。死因は一目瞭然だった。

「これは……一体、誰が……」

 誰に問うたわけでもなかったが、解答はそのつぶやきの直後に得られた。

「大丈夫ですか、エリウッド副隊長」

 いつの間にか、すぐ傍らに黒衣の男が立っていた。サムライ男ではない。彼よりも背が高く、大きく、そして何より、禍々しい気配を感じる。

 背筋に悪寒を覚えながらも、見上げた顔には、確かな見覚えがあった。

「冒険者クロノ、何故、君がここに……」

「頼れる魔術士を見つけたので、後衛はその人に任せてきました。そんなことより、酷い傷だ、ハイポーションをかけます」

 恐ろしく鋭い容姿で微笑みながら、その口から紡がれるのは穏やか、それでいて、この敵陣の真っただ中にあるのを忘れるほど、落ち着いた物言いである。

 マトモな男じゃない。

 この瞬間にエリウッドが抱いた、素直な感想である。勇敢だとか、度胸があるだとか、そんな表現で片づけられないほどの、異常。

 だがしかし、クロノのお蔭で九死に一生を得たという事実も、同時に理解もしていた。故に、エリウッドは感謝の念をもってハイポーションでの治療を受ける。

 クロノの影からウネウネと湧き出る不気味な黒い触手がポーション瓶を器用に開け放ち、思い切り頭からぶちまけられても、ケチをつけることはしない。

「かけすぎだ、このバカ……」

 そんなクロノの苦々しいつぶやきが、聞こえたような、聞こえなかったような。

「真に、かたじけない……これでもう少し、戦えるようになった」

 一見すると蒸留酒ウイスキーのような、琥珀色の液体をしたハイポーションは、スパーダで高級回復薬として出回っているものに違いない。その効果は駆け出しの冒険者でも一つは所持している一般的なポーションとは、その回復量・回復速度、共にその差は歴然。伊達に『上級ハイ』の古代語を冠しているわけではない。

 エリウッドの瀕死の肉体にも、再び剣を手に立ち上がれるだけの体力を即座にもたらしてくれる。

「いえ、その必要はありません」

 はっきりと否定の言葉を発したクロノは、もう、エリウッドの方を向いてはいなかった。

 その顔は真っ直ぐ前を向き、恐らく、黒と赤の視線は数十メートル先に控える少女を鋭く射貫いていることだろう。

 意識は完全に、当初の目標である術者に向けられている――だが、クロノの手にある凶器が向かう先は、違った。

 一つは、左手に握る鉄と木でできた魔法の武器。武器屋廻りが趣味のエリウッドだからこそ、それが『銃』と呼ばれるマニアックな魔術の杖であることを知っていた。赤毛男を撃ち抜いたのは、これによるものだろう。

 そして、鈍く冷たい鉄の輝きを発する水平二連の銃口は、再び彼へと向けられていた。すでに物言わぬ躯と化しているにも関わらず。

 バズン、という重苦しい発射音が二発同時に重なる。黒い閃光と共に迸った衝撃によって、軽く男の死体が跳ねる。弾丸は腹部に命中したようだったが、どこに被弾しようと、何も変わらない。死体は死体のまま。

 そんなことはクロノも分かっているだろうに、何故、わざわざ死体を撃つような真似をしたのか、エリウッドには理解不能だった。

 よもや、死体が蘇って襲ってくるのではないかと警戒しているわけではあるまい。彼の胸の内に、十字軍に対するそれほどまでの憎悪があるのか、それとも、二つ名の通りに狂った戦士であるためか。

「後は――」

 流れるような動作で、クロノは右手に握った大鉈を振るっていた。一目で呪いの武器と分かる、それも、とんでもないレベル。そんな代物で、クロノはさらに死体を斬った。

 禍々しい赤黒いオーラを噴き出す呪いの刃が薙ぎ払ったのは、男の首。もし、生きている間、彼が全力で『硬身ガード』の武技を行使したとしても、あっけなく断ち切られていただろう。

 無論、ただの屍の首を刈り取ることなど、呪いの武器特有の恐ろしいまでの切れ味を誇る刃にかかれば、造作もない。

 そうして落とした生首を、クロノは敵陣の彼方へと蹴り飛ばした。突如として赤毛男の首が飛び込んできた歩兵の集団から、滑稽なほど無様な絶叫が響く。

「――俺に、任せてください」

 そう、クロノは自身がしでかした死体への狂気染みた追撃などまるで意識していないように、凛々しくそう言い放った。

 エリウッドはただ固唾を飲み、クロノの背中へ何の言葉もかけることもできなかった。無理もない。今の彼は正しく、黒き悪夢の狂戦士と化しているのだから。

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ナイトメアバーサーカー!!!来たか!
[良い点] ちゃんと徹底的にトドメ刺すように成長してる
[一言] こうしてパンドラ大陸にサッカーが生まれたんだよね
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