第437話 三人のボディーガード
「うわっ、ちょ、ちょっと、コレかなりヤバいんじゃないの!?」
「大丈夫だ、っつーか騒ぐなよ。自分の立場を忘れんな」
私は隣に立つ見た目だけはカッコいい白騎士と化しているセバスの肩を遠慮なくバンバン叩きながら、目の前から迫りくる危機を訴えた。
彼のウザったそうな視線と注意を受けて、自分の立場を思い出す。とりあえず、周囲の兵士に動揺を与えないよう表面上だけは取り繕ってから、再び声をかけた。
「けど、すぐ目の前まで来てるじゃない」
私はこれでも、ヘルベチア領にてモンスターと盗賊と異教徒を相手に、ことごとく制圧した実戦経験がある。ちょっとやそっとでビビるような、か弱い乙女ではない。
「まぁ、確かに勢いはあるが――」
今、十字軍の真っただ中を突き進んでくるスパーダ軍の小勢が、凄まじい迫力であることは、セバスとしても認めざるを得ないのだろう。あれこそ正に、死兵というもの。
勇猛果敢にして精強なんて噂に聞いたスパーダ軍だけど、どうやらそれは紛れもない事実であることが現在進行形で証明されている。いや、スパーダ騎士だけでなく、冒険者までもが、死にもの狂いで戦い続けているのだから、とんでもない根性だ。正直、そういうの止めて欲しい。
「――全滅するのは、もう時間の問題だ」
満身創痍、という表現でも足りないほどの有様。先頭を突き進むエルフの大男など、特に酷い。というか、美形と名高いエルフにあるまじきゴツさ……私の夢を返せ。
全身を血に塗らし、元は真紅に輝いていただろう甲冑がドス黒くなっている。ただ派手なだけじゃなさそうな黄金の盾も、力自慢な重騎士による武技の連打により、雲に隠れる月のように欠けていた。
彼が振るい続ける赤い槍だけは、新たに鮮血を浴び続けギラギラと真紅に輝いているが、それが折れるのも、あと一撃か、二撃か。
そしてそれは、揃いの赤い鎧を纏った、ダイダロスでは有名らしいスパーダ重装歩兵の僅かな生き残り達も同様。戦いの洞察力が鈍い私でも、彼らの体力と魔力が限界に近いことは察せられる。あるのはただ、死ぬまで戦い続ける気力くらいだろう。
「でも、あの黒いヤツとデカいヤツは、まだ元気なんだけど。凄い勢いで殺しまくってるじゃない……」
黒いコート姿で黒い刀を振るう、黒づくめの剣士と、巨大なメイスと盾を軽々と振り回すパワフルなゴーレム。あの二人の突破力は飛び抜けていた。
剣士が禍々しい黒刀を振るう度に、固い装甲で守られているはずの重騎士の、首か手足が飛ぶ。ゴーレムがメイスの一撃を繰り出せば、歩兵は三人も四人も一挙に宙を舞う。
激戦の最中、多少なりとも疲労はしているはずだけど、ともすれば、このまま私の元まで辿り着いてしまうのではないと不安になる。
うーん、何だか、嫌な予感がするのよね……
「へっ、安心しろよリン、お前はちゃんと俺が守ってやるからよ!」
そんな力強い返事をくれたのは、セバスではない。アイツはここまでストレートに優しいお言葉を私にかけることなどありえない。
振り向いた先に立つのは、赤い髪の大男。顔はセバスに一歩譲るものの、その逞しい肉体と相まって、ワイルドな魅力に溢れるそれなりに美形と呼べる戦士だ。
歩兵の標準装備である長槍よりも、二回りは大振りな刃と太さを持つ大槍を背負い、体は動きやすさを重視して、有翼獣の毛皮で作られた肩胸鎧だけを装着している。この寒空の下で、薄着な装備でも平気な顔をしていられるのは、彼が高い火属性との親和性を持つことの証。熱がりの熱血馬鹿だし。
「まぁ、頑丈なアンタなら盾くらいにはなりそうよね」
「ぶっちゃけすぎだろオイ!」
自分で守ると言っておきながら、抗議の声を上げる彼の名前はジャック。騎士でもないのに、私の護衛役として、遥々ヘルベチアからついてきた酔狂な男だ。
実は彼こそ、ヘルベチア領を荒らしまわっていた盗賊団の頭領である。ベルグント伯爵の、というより、私の説得によって、情状酌量された盗賊団員達の多くは農民に戻ったけど、ジャックだけはその腕っぷしを生かして私の護衛として雇われることとなった。勿論、私が望んだワケじゃない。半ば押しかけ護衛。断ったら私の方が悪者になるみたいな勢いで頼まれたから、仕方ないでしょ。
まぁ、セバスのように頭脳明晰とはいかないけど、ほとんど一人でヘルベチア騎士を相手取ってきたその戦闘能力は確か。その実力はベルグント伯爵も認めたくらいだし。下手な騎士を雇うよりかは、よほど護衛として頼りになる。
「あははは、ジャックなんて全然頼りにされてないんだって! リン姉ぇを守るのは僕なんだから!」
けらけらと上がる笑い声は、この戦場に置いては場違いなほどに幼い。というか、その声の主は本当に子供だし。
馬上から視線を下げると、まず目に入るのは巨大なハンマーの先端。ただ鋼鉄の硬度と重量のみで敵を叩き潰すことを目的としたスレッジハンマーは、どこまでも無骨さを感じさせる。
けど、その金属塊の下にあるのは、巨大なハンマーとはあまりに不釣り合いな愛らしい男の子の顔。ふんわりした金髪に、クリクリとした大きな瞳はエメラルドグリーンに輝いている。少女と見紛うその容姿は、正に紅顔の美少年と呼ぶに相応しい。
おまけに服装は、ウサミミがついてるくせにやたら目つきの悪い熊みたいな顔のフードがついた、ファンシーなデザインの白いローブ。まぁ、ダイダロスの店先で見かけたものを、私が冗談半分に買い与えたものなんだけど。
パンドラの固有種らしい兎のような熊のような、不思議なモンスターの毛皮は、やたらフサフサモコモコしていて、耐寒性だけは抜群みたいけど、少なくとも、十字軍兵士が着るべき装備ではない。少年兵にだって、ちゃんとサーコートとチェインメイルは支給されている。私だって、まさか戦場にまで着込んでくるとは思わなかった。
だから、顔も服もキュートなんだけど、背負った巨大ハンマーがひたすら異彩を放つ、酷くアンバランスな姿となっている。
「エリオ、頼むから味方はブッ飛ばさないでよね」
この子の名前はエリオ。
実の弟ってワケじゃないけど、リン姉、と私を呼ぶように弟同然の関係性であるのは間違いない。要するに、私が世話していた孤児院の子供の一人だ。行儀の悪いクソガキ揃いの中でも、飛び抜けてトラブルを起こす超問題児である。
「ええー重騎士ならちょっとくらい当たっても大丈夫でしょ?」
口を開けばこれである。可愛くお願いしても、私には通用しないことは骨身に沁みているだろうに、よくやる。いや、天然でやってるのが、この子の恐ろしいところか。
とりあえず私は「はぁ」と小さく溜息をつくだけで、これ以上の釘を刺すのは諦めた。言って分かるようなら、こんなに苦労はしていない。良い子なのは顔だけである。
そう、この私がここまで苦労させられているのは、エリオが普通の子供ではないからだ。
何を隠そう、この子は、私と同じ……いや、それ以上に神様から才を授かっている。その能力は、単純明快、すなわち『力』である。
見た目は華奢な子供でありながら、その身に宿るのは十人の大人をまとめて投げ飛ばすほどの超人的な腕力だ。いわば『腕力強化』を生まれながらにかけられているようなもの。もっとも、エリオの出すパワーの上昇率を鑑みれば、上級の『腕力最大強化』でも及ばないけれど。
だからエリオは武技も魔法もマトモに習得していないけど、持ち前のスーパーパワーでハンマーを振り回せば、それだけで一騎当千の戦士と化す。いや、その子供の無邪気さと残酷さでもって、敵も味方もまとめて吹き飛ばすような戦いぶりは、狂戦士と呼ぶべきかもしれない。
そんな子をヘルベチアに残しておくわけにはいかない。エリオの手綱を握っていられるのは、今はもう無い教会で一緒に暮らしてきた私だけ。エリオは私を守り、私はエリオの世話を焼く。本当に、手間のかかる弟みたいな存在だ。
「ご安心を、リンさん。いざという時は、私が治しますから」
穏やかな口調でエリオをフォローしたのは、その声に見合った優しげな風貌の司祭だ。
青天の下に輝く大海原のような青い髪に、柔和な目元にかかる眼鏡が知的な光を宿す。私と同じく白い十字教の法衣に身を包んだ彼は、若くしてヘルベチア中央教会を任された本物のエリート司祭様である。
「もう、あんまり甘やかさないでよね、コンラッド」
けれど、私の言葉づかいは他の男どもと同じくらいおざなり。
十字教でいえば、ただのシスターである私よりも、正式に司祭長の位を持つコンラッドの方が圧倒的に立場は上だし、単純に年齢も上なんだけど……なんでだろう、気が付いたからこんな感じに。
おかしい、私がアリアの聖名を授かる洗礼の時は、ちゃんと敬語でやり取りしていたんだけど。何だかんだで、私も彼の優しさについつい甘えてしまっているのかもしれない。
こうして、十字軍の遠征について行くと言ってくれた時、私は速攻で「よろしくお願いします!」と言っちゃったし。だってこの人、治癒魔法凄いし、おまけに、強力な水属性の原初魔法も使える凄腕の魔術士クラスでもある。
「私はただ、リンさんの迷惑にならないようフォローするだけですよ。エリオ君がヤンチャした分は、きっちりとお説教いたしますので」
「助けてリン姉! この眼鏡が僕の事をいじめるんだ!」
「あ、お願い。ついでにご飯も抜きにしといていいから」
「リン姉ぇー!」
「それにしても……」
可愛い泣き顔で助けを乞うエリオをガン無視して、表情をキリリと引き締めたコンラッドの言葉に耳を傾ける。
「どうしたの?」
「あの黒衣の剣士……恐らく、吸血鬼です」
「えっ、吸血鬼ってあの有名な?」
でも、確かにあの男の正体がそうだと言うなら、この重騎士をバッタバッタと斬り伏せる強さにも納得がいく。吸血鬼が得意とするらしい闇魔法を一度も使っていないところを見ると、もしかしたら、まだ余力を残しているのかもしれない。
「吸血鬼がいるとなると、ちょっと危ないかもな」
セバスの雰囲気が一段階、鋭くなるのを感じた。
「恐れることはありません、不浄なるアンデッドの相手は、聖職者たる私の本分ですからね」
「コンラッド、もしかして行くつもり?」
私の問いかけに、彼は力強く頷く。コンラッドがただ教会内で上手く立ち回ってきただけで、司祭長の位に上り詰めたわけじゃないことは知っている。
ヘルベチアでは私と一緒に、モンスターと盗賊と、それと、特に異教徒の討伐において大きな活躍をしてくれている。彼は安全な場所で神の助けを祈るだけでなく、自らの手で魔族を討つという真に神への奉仕を実行する、本物の聖職者だ。
「リン、ここはコンラッド司祭に任せてもいいと思うぞ」
「どっちにしろ、止めても聞かないでしょ?」
今のコンラッドは、異教徒が籠るアジトを前にした時と同じ目をしている。彼は、本気だ。
「ありがとうございます、リンさん。必ずや、あの悪しきアンデッドを浄化してご覧にいれます」
まるで私の忠実な家臣みたいに、恭しく頭を下げるコンラッドには、「う、うん、頑張ってね」と若干引き気味でエールを送っておいた。
でもまぁ、コンラッドがあのヤバそうなサムライヴァンパイアを仕留めてくれるというのなら、これほど安心できることはない。
「おいおい、司祭サマだけズルいんじゃねーのかそりゃあ? 俺にも戦わせろよ!」
「そうだよ、僕も遊び相手欲しいー!」
血気盛んなジャックとワガママなエリオが不満に口を尖らせている。ええい、面倒なヤツらめ。これだから男ってのは……
「はいはい、分かったわよ。それじゃあジャックは、あの厳つい血塗れエルフの大男。エリオは馬鹿デカいゴーレムの方をやって」
まぁ、この二人なら、順当な相手だろう。
「へへっ、いいぜ、俺の見たところ、野郎は大将首だぜ」
「ありがとリン姉! あのデっかいゴーレムなら、僕が本気でやっても簡単に壊れなさそうだし!!」
ジャックが大槍を構え、エリオはハンマーを担ぐ。二人ともヤル気満々。これの相手をさせられる、オッサンエルフとゴーレムに、私はちょっとだけ同情する。
「いいのか、リン? あまりガードを薄くすれば、万が一もありうる。あと一枚しか残ってないんだぞ」
「一枚あれば大丈夫でしょ。それより、早くあの三人を倒す方が安心できるわよ。このままじゃやっぱり、こっちの被害が大きすぎる。重騎士もギリギリじゃない」
セバスの言はもっともだけど、私の言い分にも一理ある。
流石のセバスも、いつものように私の言葉を馬鹿にせず、うーん、と真面目に考え込んでいる。
「確かに、三人ともヤル気になっちまってるし、ここは勢いのままに叩く方が得策か」
それに、肝心の城壁への攻撃も随分と滞っている、とセバスが続ける。
「アルザスの悪魔ってヤツでしょ、アレ」
遠目ではよく分からないけれど、黒い人影がたった一人で歩兵の突撃を止めているのは確認できた。ちゃっかり、私が作った結界の階段を足場にして、ゾロゾロと登り来る歩兵達を、何だかよくわからない攻撃魔法で殺しまくっている。
「アイツが結界の内にいたのは、幸運だぞ」
「何言ってんのよ、あんなヤバそうな奴の相手しなきゃいけないなんて、最悪よ」
「あの悪魔一人に対して、こっちは全軍で攻められるんだ。これ以上、確実な手はねぇだろうが」
セバスの言わんとしていることは分かる。恐らく、これを見越してベルグント伯爵は、私をこの場所にぶつけたんだと思う。
十字軍第二軍のダイダロス占領を、たった百人の小勢で妨害してみせるばかりか、二人もの使徒の手を煩わせたというアルザスの悪魔。あの男を討ち取れば、第三軍の良い宣伝になる。何より、この場においては士気も急上昇するに違いない。
「まぁ、それはそう、なんだけどさ……」
理屈では、これが一番だと分かっている。多少の犠牲は出るけれど、こちらが負ける要素は何一つない。強敵であるのは確かなんだろうけど、孤軍奮闘する今の状況下においては、これ以上ないほど美味しい獲物と言える。
でも、何故だろう。
私は、あの男の姿を視界に入れる度に、どうしようもなく……嫌な、予感がするのだ……
「はぁ……戦争、早く終わんないかなぁ……」