第436話 三人の元用心棒
「こ、こりゃあ……ツイてねぇぜ……」
生まれは農民、畑仕事はイヤだと冒険者になったが、ものの見事に落ちぶれてチンピラ。しかし、命を助けられたことで改心して再び真面目に冒険者をとやった矢先に、盗賊の用心棒というグレーゾーンというかギリギリでアウトな仕事をして再び命の危機。だが、それもまた同じ人物に救われたことで、更なる誓いを立て、勇んで受けた緊急クエスト『グラディエイター隊員募集』。
祖国スパーダを守る一員として、微力を尽くさんと戦場に赴けば――
「今度こそ死んだな、俺……」
いきなり謎の結界に閉じ込められて、そこへ無数の敵が雪崩れ込んでくるという現状に、ザックという名のしがない、本当にしがないランク2冒険者の男は、絶望の言葉をつぶやいた。
手にした新品のバトルアックスが、いつにも増して重く感じる。
目の前に溢れる敵、敵、敵、白い敵。あまりの迫力に、髪が真っ白になるほどの恐怖だ。もっとも、彼はスキンヘッドだが。
「はは、俺の人生なんざ、やっぱこんなもんかよ――」
「どうかな、滅びの宿命を受け入れるには、まだ早い」
乾いた笑いと共に零れた諦観の言葉を、いつの間にか、すぐ隣に立っていた男の声が遮った。
「そ、その声は……アンタもしかして」
彼の声音には確かな聞き覚えがあった。頭は悪いが、人の顔と声と名前を覚えるのは得意な方だ。病人のようにやつれた男の姿が、ザックの脳内にすぐさま思い浮かぶ。
「ザック、といったか。久しいな、まさか生きているとは」
「やっぱり、ルドラの旦那か!」
視線を向ければ、思い描いた男の顔はそこにはない。白い髑髏の面が素顔を覆っているのだが、それでも一発で分かった。
くすんだ金色の長髪を無造作気味に一本でくくった髪型。痩せこけた体躯に黒コートをまとい、その腰からは一振りの刀がぶら下がる。仮面を抜かせば、以前に見た通りの姿。
だが、何よりもその身にまとう陰鬱な雰囲気が、彼を認識させる決定打である。ただ暗いだけの男ならいくらでもいるが、この男に限っては、まるで息を潜めた魔獣のような威圧感、恐怖感、といったものを感じさせるのだ。
それは剣術を極めつつある達人特有の雰囲気なのか、それとも、彼が本物の人外であるからか。そこまではザックにも分からない。
自分がこの男について知っているのは、その風貌と本名かどうかもわからないルドラという名前。そして、ついこの間、スパーダとファーレンをちょっとばかし騒がせた盗賊団の用心棒として、共に雇われていたことで知り得た、彼の超絶的な剣術の腕前だけだ。
「おっと、顔を隠してるってこたぁ、名前は言わない方が良かったかい?」
「構わんさ、この期に及んではな」
「けど、まさかこんなところで会うとは思わなかったぜ」
「あっちに見覚えのあるゴーレムもいるぞ」
ルドラの指差す先には、並び立つ冒険者の中でも頭一つ分以上、抜きん出ている縦にも横にも大きなゴーレム。赤い一つ目のアイアンボディーは、ゴーレムとしてはよくある姿であるが……
「うおっ、マジかよ、ガルダンじゃねーかアイツ」
自分には、ゴーレムという種族の知り合いは一人しかいない。もっとも、アイツは馬鹿だからこっちのことなんざもう覚えていないかも――なんて思いながら注目していた矢先、ギラギラ光る単眼が、こっちを向いた。
次の瞬間、鋼の巨躯がズンズンと接近し始める。ちょっと逃げようかな、と思ったのは、自分だけでなくルドラも同じだろう。
「あぁん!? おいおい、どっかで見たコトあるハゲとチビじゃねーかぁ!」
「うるせーガラクタ野郎」
「……ガルダン、お前も、よく生きていたな」
かくして、ファーレンの盗賊団の元用心棒三人組が、ここに再集結していた。
「けど、思い出話に花を咲かせる暇もないぜ、この状況じゃよぉ」
殺気だって押し寄せてくる大軍勢を目の前にして、素直に再会を喜べるほど呑気な精神はしていない。如何にルドラの剣技が鋭かろうと、刀一本で切り抜けられる戦況ではないのは明らか。
「どうやらスパーダ軍は、敵の策にハマってしまったようだが、私は絶望するほどの窮地だとは思えん」
「そりゃあ旦那の腕前ならな、どうとでもなるかもしれねぇよ……それとも、俺らも助かるほどの希望でもあるってのかい?」
「ある」
こともなげに、ルドラは断言した。思わぬ返答に、ザックは目を丸くしながら半信半疑で聞いた。
その生き残る希望とは何ぞや、と。
「こちら側には、クロノがいる」
スパーダではあまり聞きなれない響きの名前。だが、聞き覚えのある名前であった。いいや、正確に言えば、忘れようにも、忘れられない名前なのだ。
この名を聞いたのは、確かあの時――
「俺はクロノ、ランク3の『エレメントマスター』というパーティを組んでいるんだが、俺たちを知ってて狙ったのか?」
馬鹿な盗賊が、欲を出したせいで絶対に喧嘩を売ってはいけない相手を襲ってしまい、返り討ちにあってしまった。不運にも自分は、その仲間の一人。だが幸運にも、あの場で生き残った唯一の一人でもある。
俺だって、相手がアンタだと知っていれば――確か、その時も同じ言い訳をした気がする。あの男に、命を握られながら。
体に巻きつく、黒く、硬く、冷たいワイヤーの感触と共に、恐怖の記憶が鮮やかに蘇る。
「はは……マジだ……ホントにいやがる……」
視線の先には、黒い悪夢が確かに存在していた。
黒い髪に、黒と赤のオッドアイ。ルドラと同じような、だが、それよりもワンランクは上だろうと素人目にも分かる黒コートを身にまとったクロノは、自分の記憶の中と寸分たがわぬ鋭く険しい表情をしていた。
手にしているのは、デカくてゴツくて、そしてやはり黒い、鉄の塊。見たことのない形の不思議なソレが、少なくとも魔法の武器であることは、四日前に盛大な雷をぶっ放して巨大ゴーレムを仕留めたシーンを目撃したことで知り得ていた。
「あの男がいるならば、何とかなる。そんな気がしてならないのだ、私は」
初めて会った時は、白いシャツにズボン、左目の眼帯だけが特徴的だったランク1の冒険者。次に会った時は、自ら名乗った通り、ランク3冒険者。
そして、今、彼はイスキアの英雄と呼ばれるランク5冒険者となっている。
思えば、とんでもない人物と面識があるものだと、改めて感じた。恐らく、クロノはルドラを倒したのだろう。彼の言いようからすれば、その実力を認めさせるほど正々堂々と、そして、圧倒的に。
「た、確かに……そうかも、しれねぇな……」
逆に考えて、今の立場からクロノと敵対する十字軍側に寝返ることができるとするならば、そうしたいか、と問われれば、即座にイエスとは答えられない。いや、悩んだ末に、ノーの結論に落ち着くだろう。クロノの敵に回るのは、それほどまでに恐ろしい。
「はっ! なに腑抜けたこと言ってんだよオメェら!」
相変わらず、威勢だけはいいガルダンが吠える。
コイツもクロノに負けただろうに、よくもここまで元気なものだ。いや、もしかしたら、あの場であっさりスルーされたのかもしれない。ザックのそんな予想は、当たらずとも遠からず、という自信が不思議と持てた。
「コイツぁ手柄をあげる絶好のチャンスってもんじゃねぇか!」
「……そういやお前、スパーダ騎士になりたかったんだったか」
「違ぇよ! 最強の騎士だっつーの!」
路地裏で木の棒を片手に五歳児が叫ぶなら、何とも微笑ましい台詞である。
「はいはい、そんじゃまぁ、精々頑張って敵さんを蹴散らしてきてくれよ」
「へっ、言われなくたって、あんな人間だけのヘナチョコ軍団なんざ、このガルダン様がブッ飛ばしてやらぁ!」
ガルダンが決意表明を声高に叫んだその時、それを上回る大声量が響き渡った
「聞けぃ! 栄えあるスパーダの騎士達よ! これより我らは死地に入る!」
どうやら、グラディエイターの副隊長が、突然の事態に動揺する部下たちに向けて、明確な命令を出すようであった。
内容としては、この結界を張った術者を殺して解除する、という単純明快なもの。
「――我らが事を仕損じれば、敵はこのまま本丸へと雪崩れ込む! いいか、何としてもここで食い止めるのだ! 失敗は許されん、一歩も退くな。スパーダ騎士の矜持を、今、ここに示せっ! スパーダ万歳!」
騎士達から上がる万歳の声は、すでに彼らが覚悟を決めたのだと察するには余りある。自分にはとても真似できない。
「聞け、冒険者諸君! 君らには命令に従う義務も、王への忠誠心も求められてはいない。だが、今ここに逃げ場はどこにもなくなった! 敵を前に震えるならばそれで良い。来る敵へと刃を振るう勇気があらば、尚良し! 無理強いはせん、ついてこれるヤツだけ、ついて来いっ!!」
そう呼びかける副隊長の声は力強い。事実、大多数の冒険者も雄たけびを上げてヤル気をみなぎらせている。
「よっしゃあ! いよいよ俺様の晴れ舞台だぜぇー!!」
心の底から敵陣突撃大歓迎、というガルダンには全く賛同はできないし、副隊長の演説に乗せられたわけでもない。
「ちくしょう……やるしかねぇか……」
逃げ場がない。ただその一点だけで、自ら死地に飛び込む根性を出さざるを得ないのだった。
「ふっ、今日は血に飢えずに済みそうだ、姫よ」
そんなことをつぶやきながら、刀の柄を撫でるルドラは、何だかんだで楽しそう。
マトモに命の心配をしているのは、この中で自分だけなのではないか、という錯覚に襲われる。おかしいのは俺の方なのか……いやいや、普通はビビる場面だろう。
そう思い直し、ザックは嫌々ながらも重いバトルアックスを構えた。
「――『荷電粒子砲』、発射」
そして、あまりにも眩しい突撃の合図が響き渡った後、冒険者達は城壁を飛び出していくのだった。
「――うぉおおお!? 無理ムリ、もう無理だろこんなんマジでぇ!!」
スキンヘッドの強面男が、尻に火が点いたような勢いで城壁への階段を逆戻りしていた。普通なら、今すぐ回れ右して逃れたいところだが、彼は味方の冒険者だから見捨てるわけにはいかない。
どうやら、突撃に参加したものの、上手く乗り切れず敵陣の中に突っ込むことができなかったようだ。切り傷だらけで血塗れのボロボロになっている姿を見れば、それを馬鹿にはできない。むしろ、よく生きてここまで引き返してこれたものだ。
透明な結界によって形成された魔法の階段は空中を歩くも同然で、とても下など見られない。高所恐怖症でなくても、次の一歩こそ虚空を踏むのではないかという恐怖に苛まれる――だが、いざ戦いが始まれば気にならなくなるもんだ。
必死の形相で逃走中の彼も、透明だろうと階段は階段だ、とばかりに転落の恐怖を忘れて勢いよく駆け上げっていく。
「待ちやがれこのハゲ!」
「ぶっ殺してやるぜ異教徒ヤロウ!!」
後ろからは、白い装備の歩兵が大挙して押し寄せてきている。奴らが手にする槍の穂先がケツをかすめる。彼は生きた心地がしないだろう。
装備していたバトルアックスを遥か階下に投げ捨て、半分涙目の無様極まる逃走劇の真っただ中に、俺は榴弾砲撃を撃ちこんだ。
「くそっ、ちっくしょぉ――うぉおおっ!?」
野太い悲鳴を上げながら、すぐ背後で炸裂した爆風に煽られ前のめりにスキンヘッドの冒険者は倒れ込む。
際どいところだったが、どうにか敵だけを爆破に巻き込むことに成功した。口汚い罵声をあげる十字軍歩兵共は、黒炎に焼かれて沈黙する。
「おい、大丈夫か! 早く上がれ!」
十数人単位で仕留めたとしても、すぐに後続が押し寄せてくる。グズグズしていれば、また槍に突かれる羽目になる。
幸いにも、逞しい冒険者の彼はすぐに立ち上がり、俺の元まで駆けこんできた。
「ありがえてぇ! 助かったぜクロノさん!」
「あれ、お前……」
通り過ぎた様に見た顔は、どこかで見た覚えが……いや、確実にある。
「わっ、オジさん酷い血塗れなのニャ! 今すぐニャーが治してあげるのニャ!」
「すまねぇな、猫の嬢ちゃん……」
後衛組み唯一の治癒術士である猫獣人の娘が、命からがら逃げ戻った彼の治療にあたっているのを背中越しに感じながら、俺は再び前に集中する。見覚えのある男だが、ゆっくりと思い出している余裕などないのだから。
俺は右手一本で構えた『ザ・グリード』を、階下から迫りくる敵へと向ける。歩兵突撃を真正面から粉砕するなら、やはり掃射が一番だ。
「くそ、完全に分断されちまったか……」
今、盛大に魔弾をぶっ放す俺の立つ位置は、タウルスがぶち抜いた穴の真ん前だ。そこだけ壁の色と質感が全く異なる補修跡を背にして、押し寄せる敵を必死に食い止めている真っ最中。
『荷電粒子砲』は予定通り、敵の戦列に突破口を切り開く破壊力を見せてくれたし、エリウッド副隊長以下、重装歩兵と冒険者の混成突撃部隊も、素早くそこへ斬りこんで行ってくれた。
だが、あまりに敵の数が多すぎた。
一度切り開いた道は、あっという間に塞がれる。恐らく、的確な指示があったわけではないのだろうが、それでも、奴らは前進するのを諦めなかった。
最前列に展開していた重騎士は、こっちの突撃部隊を背後から突くべく方向転換を始め、代わりに、二列目以降に溢れかえっている歩兵が先に城壁へと全軍突撃を敢行。
乱れた陣の中で、一部が反転、他は前に突撃、というのは、とてもスムーズな動きはできない。前と後ろがぶつかり合って、味方同士で完全に動きが止まってしまっているところが幾つもあるのが、ここからはよく見える。
これで、同じだけの数を相手取る決戦であれば致命的な混乱であるが、奴らが相手するのは、俺と、その後ろに立つ後衛組み、僅か数十名の小勢のみ。どうにかこうにか、自陣から抜け出し、城壁への突撃を開始できた一部の歩兵部隊だけでも、俺達を押しつぶすには十分すぎるほどの数だ。
「流石に、一人じゃキツいぞ……」
右手の『ザ・グリード』は、すでに『機関銃形態』へと換装済み。『雷砲形態』は影空間の中で、ヒツギが「熱っちっちー」とか言いながら冷却中。まぁ、砲身が冷えたとしても、魔力チャージしないと再発射はできないから、今の状況でもう一発は諦めざるを得ない。
轟々と黒いマズルフラッシュを瞬かせる六本の銃身は、際どいところで歩兵突撃を押しとどめてくれているのだ。ほんの少しでも射撃が止まれば、あっという間に距離を詰められる。
「――榴弾砲撃」
そして左手が握るのは、『ザ・グリード』のフォアグリップではなく、もう一丁の銃だ。
水平二連の銃口に、中折れ式の装填機構。ストックのない猟銃のようなシルエットは、俺がイスキア古城で酷使したせいで使い潰れたシモンの試作型銃とほぼ同じ。
しかし今、俺の手にあるのは、最早『試作型』の域にはない。つまり、完成形。
その銘は『デュアルイーグル』。
命名は俺。勿論、製造はストラトス鍛冶工房である。
渋い木製のグリップには魔力を流す魔法陣と重なって、双頭の鷲が彫り込まれているのが、唯一の飾り気だ。他はとにかく榴弾砲撃の使用に特化させた造りになっている。
『ザ・グリード』が機関銃なのに対し、『デュアルイーグル』は擲弾銃という役割分担だ。
基本的には、自前で作り出す榴弾砲撃を、この銃で威力・射程・精度・魔力消費といった面を強化してくれる、いわば火属性の短杖のような効果をもたらす。グリードゴアの甲殻を吹っ飛ばすために犠牲になった『ラースプンの右腕』、その折れた刃を融かして再利用した銃身は、火属性との相性は抜群。
勿論、超電磁弾頭のように専用弾丸を発射することも可能だ。残念ながら、今はシモンが徹夜で強化系の術式を一発一発刻印してくれた通常弾と、対サリエル用の特殊弾の二種類しか用意できていないから、この局面で活躍してくれそうな効果を秘めた弾はまだない。
それでも、無手で榴弾砲撃を使うよりは遥かに使い勝手が良い。それこそ、『ザ・グリード』の掃射と並行して行使しても、難なく連発できるくらいに。
ついさっきまでは後衛として突撃の支援をすべく、目立つ魔術士部隊目がけて榴弾砲撃でピンポイント爆撃する作業に従事していた。
しかしながら、今ではこの砲撃も目の前から押し寄せる歩兵突撃を止めるために使わざるを得ない状況となってしまっている。
「榴弾砲撃――くそ、キリがないな」
俺が守るのは幅20メートルの透明階段。これで地下ダンジョンの通路みたいに狭ければ防御も楽勝なのだが、一人で守るにはあまり広すぎる。四車線道路よりも幅があるのだ。
右手の『ザ・グリード』を薙ぎ払う様な水平射撃を階下に向けて浴びせながら、突出してきたところにはすかさず『デュアルイーグル』で一発ぶち込み粉砕。それでどうにかこうにか、一人の歩兵も寄せ付けずに堪えているのだが、正直、ギリギリで止めて――いや、僅かに、こっちが押され始めている。
最初は階段に足をかけたところで止めていたのが、今や十段目にまで侵攻ラインが伸びてきている。
銃弾の雨と爆風の嵐は、ただの歩兵の命などあっさりと吹き飛ばす。だが、戦場特有の熱病染みた狂気に駆りたてられたように、ヤツらは止まることなく、全力疾走で仲間の屍を踏みつけ死地へと飛び込んでくる。
死にもの狂いの突撃は、その圧倒的な数と勢いでもって押し通ろうとしていた。事実、このまま行けば、もう少しで押し切られるに違いない。
俺が『首断』を抜かねばならないほど、敵に接近を許した時点で、ここは泥沼の大乱戦に突入する。そうなれば、1か2といったランクしかいない後衛組みは一瞬で全滅。俺だって、いくらなんでもこの人数に囲まれればヤバい。
「……まずい、な」
見れば、突撃部隊も相当に苦戦を強いられているようだ。
術者の少女を守る重騎士部隊を相手に、すでに重装歩兵の大半が倒れている。今は冒険者が前に出て、どうにかこうにか、敵陣の中を切り開きつつあるが……このペースを見るに、ターゲットの元まで辿り着けるかどうか、かなり危うい。
今からでも、俺が行くべきか――
「ふぅーニャー! これでもう大丈夫なのニャ。あとは消毒して、包帯して、ゆっくり安静にしていれば治るのニャ!」
「おう、そうさせてもらうよ、この状況を切り抜けられたらな……」
ダメだ、今、ここを離れれば、後衛組みは全滅する。この小さいながらも一生懸命に治療を施す猫娘も、命からがら生還したスキンヘッド男も、死んでしまうのだ。
だが、俺が突撃に加勢しなかったせいで、術者を仕留められなければ、どの道、みんな死ぬ。もしかしたら、術者を殺す前に、こっちが押し切られてしまう可能性もある。
ならばいっそ……ああ、ちくしょう、本当に、どうにもならない。どうやら俺には、味方の犠牲を躊躇なく選べるほどの覚悟は、まだないらしい。
可能性としては、俺はもう突撃に加わるのが一番なのは間違いない。今からでも間に合う。俺なら、あの敵陣に斬りこんで行けるはずだ。
しかし、背にしたこの十数名の命を諦めることもできない。
「リリィかフィオナがいれば……」
口から出てくるのは、そんな情けない弱音だけ。
この際、あの二人じゃなくてもいい。ほんの少しの時間でいい、彼らを守れる人物が欲しい。俺のように火力でもって敵を止めてくれてもいいし、堅固な防御魔法で耐えてくれてもいい。
誰か、もう一人だけ、頼れる魔術士がいれば――
「……いるわけ、ないだろう」
そんな都合の良い助けが、入るはずない。来るはずのない『誰か』の助けを期待するのは、馬鹿のすることだ。そう、最後の最後に「神様、助けて」とお祈りする十字軍と同じ。
だから、俺は選ばなければならない。
ここで全滅すれば、十字軍は難なく城壁を超える道を手に入れる。ガラハド要塞は陥落も同然。
何が何でも、ここは守らなければならない。守りたいものを犠牲にしてでも。
「諦めるしか、ないのか……」
悩むのは、ここで終わりにしよう。
さぁ、覚悟を決めろ、黒乃真央。俺は今から、術者を殺りに行く。スパーダを、守るために。
「くっ……」
そう自分に言い聞かせて、俺は固く引き絞った『ザ・グリード』のトリガーから、ついに指を外し――
「――うわぁ!? 何これ、もう戦い始まっちゃってるよソフィさん!!」
「ふむ、ここは危ないから、一旦、城に戻ろうか、シモン」
物凄く見慣れた人と、最近、見慣れ始めた人。そんな二人組が、唐突に現れた。
聖堂結界は解除されてはいない。突撃部隊は未だ奮戦中。ここには、まだ誰も助けに入るのは不可能である。
要するに、その二人は最初からこの場にいたのだ。
より厳密に言うなら、シモンと謎の女冒険者ソフィさんは、壁のすぐ傍で倒れていた無傷のタウルス、そのコックピットに続く背中のハッチから、現れたのであった。
リリィがパイロットを殺すことで、行動不能にさせたタウルス。その巨体はずっと目の前に転がっていた。最初は雪に埋もれてちょっとした山になってたし、俺が『荷電粒子砲』をぶっ放したら雪の層が融けて鋼のボディが再び日の目を見た。
最早、ただの自然物、転がる大岩のようにそこにあっただけの残骸に、まさか、誰かが潜んでいようとは思うまい。まして、それが顔見知りだとは、もっと思わない。
果たして、二人はそんなところで何をしていたのだろうか。というか、どうやって入った。それよりも、シモン、もうガラハド要塞についていたのかよ。俺はてっきり、まだスパーダを出発してないのかと――いやいや、違う、違うだろ。そうじゃない、今重要なのは、そんなことじゃない。
「やれやれ、数ばかりゴチャゴチャと……邪魔だよ、人間共」
そんなソフィさんのつぶやきが、戦いの喧騒の中にあっても、不思議と耳に届いた。
彼女がサっと右手をかざした次の瞬間、吹雪が再来した。タウルスの頭の天辺から足の先までの範囲で。
地に伏したタウルスは、十字軍にとっては障害物でしかない。わざわざ登ってくる者はいないが、周囲は歩兵で溢れかえっている。
だが、突如として出現したダークエルフの美女とエルフの美少女を前に、近くの十字軍兵士はすぐに反応し、視線と敵意と、あるいは、下種い感情を二人へと向けていた。
歩兵共はケーキに群がる蟻のように、ゾロゾロとタウルスへとよじ登り始めた――というタイミングで、ソフィさんが吹雪を巻き起こしたのだ。
無論、それは氷魔法に違いない。違いないが、俺がこれまで見てきた、あるいは、知識にあるものとは一致しない。
現代魔法における氷属性の攻撃魔法は、基本的に氷柱を射出するか、冷気を放出するかの二種類に分けられる。俺も第四の加護を利用すれば、この二つを形くらいは真似ることができた。
だがしかし、ソフィさんのソレは、単純な氷属性攻撃というよりも、そう、結界のように思えた。氷雪に閉ざされた、吹雪の結界。
そこに足を踏み入れた者は、ことごとくその身を凍らせる。タウルスの体に張り付いたまま、次々と氷像と化していくのを見せつけられれば、そんなシンプルにして絶対的な効果を察するに余りある。
流石に、近づいただけで凍死体へと早変わりするほどの氷結地獄を目の前に、十字軍歩兵は躊躇の様子を見せた。
そんな彼らを一瞥することもなく、ソフィさんは何事かを叫んでいるシモンを小脇に抱えて、優雅にこっちへ戻り始めた。
「……見つけたぞ、頼れる魔術士を」
そうつぶやいた俺の顔には、満面の笑みが浮かんでいたことだろう。