第426話 王の一閃
「……どうなった」
高らかに響く破砕音と、城壁を揺るがす震動が収まってから、俺はのっそりと立ち上がる。右を見ればリリィが、左を見ればフィオナが、それぞれ同じく床にしゃがみ込んでいた。どうやら怪我はなさそうだ。
ただ、反応の遅れた冒険者の中には、揺れに足を取られて転倒した者もいたようで、そこかしこで呻き声が上がっている。
それよりも気になるのは、壁がどうなったかである。
「うおっ、ザックリ突き刺さってるじゃないか」
眼下に見えるタウルスは、ストレートパンチを振り切った姿。ドリルの右腕は肘まで届かんばかりに深々と突き刺さっている。腕の長さと壁の厚さを考えれば、もうあと一押しで貫通するといったところか。
見たところ、ドリルの回転も止まっているようだし、タウルスもこれ以上は力押しでは貫けないと判断したのか、さらに腕を押し込むような動きは見られない。
だが、もう一度パンチを喰らえば、今度こそ壁は粉砕される可能性が高い。二撃目は絶対、許すわけにはいかない。
「リリィ、フィオナ、今から飛び乗れば、破壊が間に合うはずだ」
「待ってクロノ、まだアイツの攻撃は終わってない」
今すぐ飛び出せるように、魔手の発射準備をしていた俺の右腕を、リリィが抱きしめるように止めた。
どういうことだ、と問いかけるより先に、タウルスが動く。
再び、巨大ドリルの右腕を振りかぶる――かと思いきや、その腕が外れた。ガキン、と甲高い金属音を立てて、綺麗に肘の部分で分離したのだ。ドリルは壁に突き刺さったまま。
「何だ、壊れたのか」
「ううん、アレはそういう武装なの」
ドリルを外したタウルスは、役目は果たしたとばかりに、再び青白いブースターを噴かせてさっさと後退を始めた。舞い上がる雪風が、この壁の上にまで届く。
「くそ、追いかけるのは……無理だよな」
ブースターのお蔭で凄まじい機動性を発揮するタウルスは、あっという間に城壁から遠ざかっていく。もし、俺が先走って乗りこんで行っていたら、そのまま十字軍の本陣まで運ばれてしまうところだった。
そうして、すっかり反撃のチャンスを掴めないまま、タウルスは元来た道をバックで戻っていく。南左翼の方でも、同じようにタウルスが帰り始めていた。向こうはこっちよりも血気盛んな冒険者がいたらしく、果敢に乗り込んだ者が、あえなく振り落とされている姿が見えた。
いくら下が雪とはいえ、二十メートル以上ある高さから落ちれば、無事では済まないだろう。
「追いかけるどころじゃないわ。だって、この壁はもう、破られるから」
苦々しく、そうリリィが言葉を漏らしたその時だった。
爆音が轟く。同時に、城壁を走り抜ける震動。爆発音も揺れも、どちらも戦端を切ってから何度も起こった現象であるが、この響きは最大級。大きい、という以上に、近い。壁のすぐ傍――否、壁の中で、大爆発が起こったのだから。
「――っく! 嘘だろおい、ドリルが爆発しやがった!」
炸裂の瞬間を直接、目にせずとも分かる。
リリィは「そういう武装」だと言った。つまり、タウルスの巨大ドリルはただの掘削機ではなく、目標物に突き刺した上で爆破させる爆弾だったのだ。徹甲榴弾をそのまま打ち込んだ、と言ってもよいだろう。パイルバンカーではなく、グレネードバーストだったか、ちくしょう。
ゴゴゴ、と不気味にして不吉な轟音を響かせる壁の上で、俺はたまらず大きくたたらを踏む。
だが、未だに俺の右腕を抱きかかえるリリィがいたことと、いつの間にか左腕を掴んでいたフィオナのせいで、三人共倒れは何としても避けるべく気合いで踏ん張った。どうにかこうにか、無様に転ばず済んだが……恐らく、いや、間違いなく、城壁の方は無事では済んでいない。
恐る恐るといった風に、濛々と黒煙が立ち上る壁の向こうを覗き込んだ。
「こ、これはヤベェだろ……」
壁には、大穴が空いていた。
この立ち位置から覗きこむだけでは、壁の向こう側まで貫通しているのは見えない。見えないが、俺の背後、つまり、壁の内側からも黒煙が立ち上っていることを鑑みれば、状況は一目瞭然だろう。
穴の詳しい大きさはまだ判別不能だが、ドリルの大きさと爆発の規模を鑑みれば、やはり『大穴』と呼べるだけの広さは空いているに違いない。幸いというべきか、それとも狙っていたのか、穴の位置は地上から十数メートルの高さにある。壁の真ん中よりもやや下、といったところ。今すぐ、戦奴の地上部隊が雪崩れ込んでくることはない。それでも、垂直の壁を縦横無尽に駆け回る機動力を有するキメラ兵の侵入は避けられないだろう。
そう、今まさに、ガラハド要塞が誇る絶対防御は破られたのだ。
壁はドリルの一撃にはかろうじて耐えたが、内部で起こった大爆発までには、耐えきれなかった。この古代の遺物を用いて作られた堅牢なガラハドの大城壁、その防御力を超える攻撃が叩き込まれただけのこと。単純だが、どうしようもないほど絶対的な力の理屈。
「まだ、あと一機残ってる。狙ってくるわよ」
リリィが指し示す先には、登場から未だに動かずにいたフルチューン・タウルスが堂々と立っている。城壁に向かって、右でも左でもなく、ど真ん中に。
アイツが真っ直ぐ突進を始めたら、ぶちあたるのは未だ無傷の城壁中央部。そして、壁よりは確実に装甲が薄い、正門である。
「ま、まずい、いくらなんでも、正門が破られるのはまずい」
戦いの素人でも真っ先に思いつくだろう城のウィークポイント。そこが開けば、陥落したも同然。
天を覆わんばかりの大城壁に見合った巨大な鋼鉄の正門を、あのタウルスは狙っているのだ。あまりに真っ直ぐストレートすぎるその狙いに、気づかない者はいないだろう。
「おいおいおい、アレちょっとヤベーんじゃねぇの?」
「ちょっとどころじゃねぇよバカ!」
「あんなん喰らったら、一発で破れるに決まってんだろぉ!」
隠すこともなく、焦りの声がそこかしこで上がる。スパーダ兵は多少ざわめいてはいるが、統率力の低い冒険者は好き勝手に不安の声を叫ぶ。将校なら、逃亡兵の出現を心配するような雰囲気。
だが、もし本当に逃げ出す冒険者がいても、俺にはまだ一歩もこの場を退く気はない。
「次は絶対に止める――ヒツギ、銃身換装だ」
「ええぇー!? 今『ぷらずまぶれすー』を撃ったら壊れちゃいますよぉー!」
「門が破られるよりはマシだ、いいからやれ!」
再び『ザ・グリード』を構え、ヒツギが「ええい、やってやるですぅ!」と気合の声を上げながら触手を動かし始めると同時に、疑似雷属性の充填も始める。
左手はフォアグリップを握るその前に、残弾五発となった内から、もう一発分『超電磁弾頭』を素早く装填。
「超電磁弾頭装填確認! エネルギー臨界点まで、あと、えーっと……五十秒くらいーっ!」
この際、フルまでいかなくても構わない。ギリギリまで引きつけてから撃てば、そこそこの威力は出るだろう。
「リリィ、フィオナ、目を狙うぞ」
「私がレンズを壊すわ」
「では、私は『飛雷槍』で」
眩い白光を放つ『至天宝玉』を手にしたリリィと、『アインズブルーム』を両手で構えたフィオナが即答してくれる。準備万端、それどころか、一言しか説明してないのに、俺の意図を理解しているようだ。
あの赤い雷の攻撃魔法の一撃でタウルスは倒れた。機体内部に強力な電撃を流すことができれば、その構造上、全身をショートさせられるという推測に基づく、弱点狙いの作戦。
さっきは突進するフルチューン・タウルスに、かすり傷一つも負わせることはできなかったが、目を覆うレンズを壊す、あるいは傷つけるだけならリリィ一人でもいけるだろう。何より、リリィが放つ光弾は凄まじい誘導性を持つ。タウルスがあの速さで回避行動をとったとしても、難なく命中させられる。
あとは、俺とフィオナの雷撃で決める。こっちは命中率にやや難あり、チャージまでの時間も欲しいから、限界まで引きつけよう。ヤツのドリルが唸る右腕が、壁まで届く寸前まで。
もっとも、その時はあと十秒ちょっというところ。俺のチャージもフィオナの詠唱も、かなりギリギリ。
すでにタウルスは右腕を大きく振り上げている。城壁に一撃をぶちかます直前。冒険者達が絶望の悲鳴を一際大きく響いた――今だ、ここでもう、撃つしかない。
その瞬間、俺が発射を叫ぶ寸前のことだ。
赤い光が走った。
「――何だっ!?」
毒々しいほど真っ赤で、けれど、鮮やかに煌めく真紅の輝き。五十メートルの城壁さえ一刀両断できそうなほど、巨大にして長大な縦一文字の一閃。
それはタウルスが放ったものではなく、むしろ、その逆。真紅の光は、城壁の方から、いや、正確にはそこに立つ何者かが発したものだ。
一体誰が。そう確認するより前に、俺は赤色の超巨大な『一閃』がフルチューン・タウルスを、真っ二つに切り裂く場面を目にすることとなった。
キン、という涼やかな音色が高らかに木霊する。それはきっと、赤い光がタウルスの分厚い金属装甲を、一瞬の内に断ってみせた音に違いない。
気が付けば、タウルスの頭から股下まで一直線に緋色が走り、次の瞬間には、未だ噴き出すブースターの勢いのまま、巨体が左右に分離した。赤熱化した広大な断面が晒されたのは、二等分の残骸が雪上に突っ込むまでの刹那の間。
左右に別たれたタウルスの半身が、盛大な雪煙を巻き上げて地面に沈むと同時に、真っ赤な爆炎に包まれた。立ち上る赤と白は、タウルスが完全に破壊されたことを、何よりも雄弁にスパーダ軍へと語る。
そこまで見届けてから、俺はハっと思い出し、赤い光が放たれた城壁通路の中央へと視線を向けた。
あまりに圧倒的な威力でタウルスを一刀両断してみせた、驚異の攻撃。それを放った者の正体は、誰に説明されずとも、一目瞭然だ。
「あれがスパーダ最強の男、か……」
視線の先には、真紅の刃の大剣を振り切った体勢で、堂々たる威厳と力強い魔力の波動を発する、赤い王様の姿があった。
「……使うしかあるまい」
そう静かに呟いて右手を延ばしたのは、第52代スパーダ国王、レオンハルト・トリスタン・スパーダ。
真紅をベースに黄金で彩られた全身鎧に、頭には兜の代わりに王冠型の大魔法具という、正に王として相応しい姿。荒ぶる獅子のたてがみのような赤髪と同じ色合いのマントを雪風になびかせて、ガラハド要塞の城壁上、そのど真ん中に堂々と仁王立ちしている。
鋭い黄金の眼光は、青白い光を放ちながら猛然と我が城へと襲い来る鋼の巨人を射貫く。
「出でよ――」
伸ばした右手、装着した手甲に組み込まれた金色の腕輪が割れるように稼働した――その瞬間、螺旋状に連なる赤い光の魔法陣が展開される。
魔法の赤光、それが秘める効果は『収納』というただ一点。仰々しい腕輪の魔法具に、多重展開される魔法陣と凝った構成だが、あくまで『空間魔法』の一種にすぎない。
しかして、これは冒険者が多くの物を便利に持ち運ぶためだけに用いる鞄ではなく、財宝を収める厳重な金庫としての役割を求められた特別製。如何なる干渉も侵入も許さない、王の宝物庫である。
その扉が今、腕輪が唯一主と認めるスパーダ王の手によって開かれた。
「――『王剣・クリムゾンスパーダ』」
現れたのは、一振りの大剣。一国の王に相応しい壮麗な装飾などない、無骨な作り。スパーダ伝統の両刃剣をそのまま大きくしたような形状だ。
真紅の刀身は肉厚で、ドラゴンさえ叩き切ってしまえそうな重厚感。同時に、ギラつく刃は尋常ではない切れ味も感じさせる。大剣に求められる頑強さと、細剣や刀の持つ鋭利さ、その両方を兼ね備えるというのなら、それだけで名剣、業物と呼ばれるべき作り。
しかして、この一振りは単なる剣の枠には収まらない。巨大な赤き剣が宿す魔力は、並みの杖とは比べ物にならないほどに莫大。一度、鞘より抜き放てば、身を焦がすような熱い魔力の気配が迸る。刃から炎が噴き出していると錯覚するほどに。
つまりそれは、大魔法具と呼ぶべきモノであるということだった。
初代スパーダ国王より受け継がれ、歴代の王達がさらなる強化を目指して錬成を重ねることで、何時の時代も常に「スパーダ最強の剣」でもあり続けた、正に伝説の剣。
それが、今レオンハルトの手にする『王剣・クリムゾンスパーダ』である。
「コォオオオ……」
僅かほども切っ先を揺るがすことなく、凄まじい重量の大剣を正眼に構えたレオンハルト。巌のような泰然とした立ち姿の中、動くのは呼吸を行う口のみ。
独特の呼吸音を発するソレは、ただ息を吸い、吐いているのではない。武技を習った学生なら、誰でも習う『練気』という基礎の技である。呼吸という動作を通して、体内の魔力を練る、言い換えれば、武技を発動させる為の前準備といった効果だ。
魔法が呪文や詠唱、魔法陣を経て発動するように、武技もまた、魔力というエネルギー源を、こうしたプロセスを経ることで効果を表す。勿論、無詠唱や略式といった、魔法と同じように練気にも様々な高等技術は存在する。熟練者なら、それと悟られずに、自然な呼吸と同じように練気を行うようになる。
しかし今のレオンハルトは、師範が入門したての少年少女へ見せるお手本のように、ゆっくり、はっきり、忠実に武技の術理をなぞった練気呼吸を行う。
一流の剣士であれば、たった一呼吸で上級攻撃魔法一発分の魔力を練り上げることができるという。まして、スパーダ最強の剣士、このパンドラ大陸においても間違いなく指折りの実力者たるレオンハルトが行えば、その身に生み出される魔力量は一体、どれほどのものになるか。
圧倒的な量と質は、大魔法具たる『王剣・クリムゾンスパーダ』と同じく、燃え盛る火炎を幻視させようかというほど。自ら一歩進み出た王の後ろに控える歴戦の騎士達も、その尋常ならざる気配、見えない圧力に一筋の冷や汗を流す。
目の前には、ついに城壁まで百メートルをきったエンシェントゴーレムの巨躯が迫っていた。鋼鉄の巨人を高速飛行させる出力を誇るブースターは、ただゴーレムが歩くよりも大きく爆音を轟かせている。
しかし、レオンハルトがゆっくりと王剣を振り上げたその間だけは、時が止まったかのような静寂を感じさせた。三秒にも満たない、嵐の前の静けさ。
溜めこんだ王の力が今、解放される。
「鋼の巨人よ、我が王剣奥義が一つ、受けてみよ――『龍鱗ヲ裂ク紅蓮』」
「あー、これ以上は無理、かなぁ……」
フルチューン・タウルスが赤い一閃で一刀両断されるのを遠目に見て、ドロシーは疲れたような声でつぶやいた。
「くっ、まさか、あのエンシェントゴーレムを一撃で切り裂くとは……だが、そう何度も撃てる攻撃ではあるまい。ドロシー君、早く追撃を行うのだ、まだ機体は残っているだろう!」
タウルス本来の性能であるフルチューンが、城壁に大穴をこじ開けてきた大活躍を見て、ベルグント伯爵、もとい将軍閣下は剣術試合を観戦する少年のように興奮した様子でやって来たのは、ついさっきの事である。
「すみませんアイさん、お願いします」
「あいよー」
こっちの事情を分かりやすく将軍様に伝える便利な窓口として、冒険者少女アイは非常に優秀であることを、つい先ほどの一幕でドロシーは学習している。理路整然と、正しい知識と専門用語で説明するよりも、アイのように大雑把な説明でなければ馬鹿は理解も納得もできない。
アイはグリフォンの子供を抱っこしたまま、軽やかな足取りでベルグントへと近づいて行った。
「魔力が足りないから、これ以上動かすの無理だからー」
「何だとぉ! その言い訳はさっきも聞いたぞ! 現に三機ものエンシェントゴーレムが動いたではないか!」
「最初のサンプル十機と、今のフルチューン三機、合わせて今日動かせるだけの魔力量しかこっちにはないの。これでもフルに魔力溜めてきたんだから、マトモに動かすなら、うーん、明後日以降になるんじゃない?」
この金髪ツインテールと見た目通りに明るく元気なアイは、これもまた馬鹿の見本のような人物かと思いきや、意外にも自分の研究を理解しているらしい。勿論『白の秘跡』の研究者としての専門知識は持ち合わせていないようだが、大まかにエンシェントゴーレムの構造、運用法といったものを把握している。お蔭で、ベルグント伯爵への説明も必要十分な範囲、その説明内容にも誤りと呼べるほどの齟齬もない。
最初にけしかけた十機は、アイが『サンプル』と呼んだように、ただの情報収集用の実験機体である。
発掘された人型重機『タウルス』は、その保存状態にも差があった。良好な機体はスムーズに修復が進むが、そうでないものは本来の性能に戻すのは難しい。特に、完全に破損したパーツなど、古代の技術がなければどうしようもない。とりあえずの代替品で誤魔化すのがせいぜいだ。
おまけに、スパーダ攻め開始まで、という厳しい納期の問題もあり、最終的には全機の完全修復は諦めざるをえなかった。
そうして不完全な状態で稼働することとなった十機は、サンプルとして利用されることとなったのだ。元より、実際に動かす稼働データの収集、分析も不十分であった。ならば、もういっそ実地で得たデータで、仕上げていけば良いという考えでもある。
ドロシーがたった一人でサンプル機体を操作する間、同行してきた他の『白の秘跡』研究員は、この場で得たデータを即座にフルチューン・タウルスへとフィードバックして、より完璧な調整を行うという仕事に専念させていた。
努力の甲斐もあり、見事に真のタウルスは動いて、いや、飛んでみせた。素晴らしい研究成果、プロジェクトは大成功である。
ともかく、アイは誰に説明されずとも、何となく小耳に挟んだドロシーの話から、この概要を理解していたということであった。
ああ見えて、古代魔法に精通したインテリ冒険者だったりするのだろうか。人を見る目に自信のないドロシーには分からない。
「壁に穴をあけた今こそ攻め時! この期を逃すわけにはいかんのだ!」
「そんなこと言われても、動かないものは動かないしー」
「き、貴様、この千載一遇の好機を――」
どんどんヒートアップしていく二人を尻目に、ドロシーは着々と撤収準備を始める。何と言われようが、ガラハド要塞の城壁に二つも大穴を開けてきたのだから、こちらに求められる成果は十分に果たしたといえるだろう。
ドロシーは十字軍に協力する気もなければ、神の為に聖戦を遂行せんという熱心な信者でもない。この十字軍第三軍が勝とうが負けようが、彼女にとっては関わりのないこと。
自分にとって大事なのは、ジュダス司教に命じられたまま、実戦を経てタウルスの研究を進めることである。
「はぁ……疲れた……私も早く、データの解析したいなぁ」
城壁に見事『パイルバンカー』を打ちこみ、無事に帰還を果たした二機を見上げながら、ドロシーはしみじみと言う。再展開された巨大な白光の魔法陣の中へ、底なし沼に沈むようにゆっくり足元から消えていくタウルスの姿は、つい先ほど出撃した時よりも、どこか一回り大きく成長したように見えた。
サンプル十機とフルチューン一機を失ったが、それでもトータルで見れば収穫であったとドロシーは判断している。
タウルスが全損するほどの攻撃を受けることで、その耐久限界は明らかになったし、テレパシー干渉を受けるという貴重な経験もできた。
本当に戦場とは何が起こるか分からない。人も機械も、実戦に勝る経験はないようである。
そんな安っぽい教訓に感じ入っていたドロシーは、鼻先に舞い降りた白い粒を見て、ふと現実へと意識を向けた。
「あ、雪」
見上げてみれば、そこに青天はなかった。いつの間にか薄らと雲がかかっており、今にも宙に溶けて消えそうな粉雪が儚く舞っている。
「あー、これは吹雪くね」
おい、まだ私の話は終わってないぞ、的なことを絶叫する伯爵を背景に、アイがちょっとうんざりしたような顔で言う。
「……そう、なんですか?」
ちょっと待っていれば降りやみそうな様子に、思わずドロシーが問い返す。
「そうなのでーっす! アタシってこう見えて山育ちだから、何となく分かるんだよね。さっき向こうの方に白竜の影がチラっと見えたのでー、これから三日三晩は激しい吹雪に見舞われるでしょうー」
少なくとも都会育ちには見えないが、ともかく、アイはやけに自信満々に山の天気予報を語る。
「そんなの見えたんですか?」
「見えた気がしたの!」
そんなあやふやかつセンシティブな理由は、頭の固い生粋の研究者脳のドロシーからすれば全く信ずるに値しない。しかしながら、人間の経験則というのも、また一つの合理性があるということも理解できる。アイの言葉は、それなりに信用できるかもしれない。
「んじゃ、そういうワケだからさオッサン、今日はもう城攻めは止めといた方がいいよ」
「この小娘が、私に意見しようなど十年早いわ! それと、私はオッサンではない!」
「それじゃあ後で占星術士にでも聞いてみなよ。こんだけいれば、一人くらいは優秀なのいるでしょ?」
思いの外、真面目な返しのアイにベルグント伯爵も何か感じるところがあったのだろうか。頭で紅茶を適温で沸かせそうなお怒りぶりが、ちょい温めがせいぜいか、というくらいには下がっているように見える。
無茶な命令をわめくイメージしかない彼であるが、これでいてお飾りで将軍をやっているわけではない。モンスターや異教徒を相手に、己の領地を守り、時には拡大を果たした百戦錬磨の武闘派貴族様である。
万が一、攻城中に猛吹雪に見舞われればどうなるか。その危険性は、誰に指摘されるまでもない。
うーむ、と重苦しく唸った後、ついにベルグント伯は冷静さを取り戻した。
「……何にしろ、今日はもうゴーレムを動かすのは不可能、というワケなのだな」
「はい、もう無理です」
もう格納庫に仕舞っちゃったし、再出撃とか手間かかりまくって面倒くさすぎる、という余計なことまでは、さしものドロシーも言わなかった。
タウルスを収納する、この『格納庫』と呼ばれる空間は、単なる空間魔法ではない。メディア遺跡で発掘された当初、タウルスは古代魔法によって作り出された空間に安置されていた。巨大な人型が今の今まで全く発見されなかったのは、そういう理由である。
隠し扉や通路を探すだけでは決して発見できない。高度な魔法の探索技術か、よほどの幸運にでも見舞われなければ、遥か古の時代に閉じられた異空間への道は開かれないのだから。
要するに『格納庫』というのは、この最初にタウルスが隠されていた古代の空間魔法そのもののことである。本来なら、魔法が施されたメディア遺跡の定位置から動かすことは不可能なのだが、そこをジュダスが何とかしてくれた。その方法は、ドロシーさえも全く見当がつかない。
「何時になれば、ゴーレムは動く」
「えーと……このガラハド山脈は、こちらの予想以上に地脈の反応が大きかったので、当初予測の21.7%の魔力回復率の向上が見られるので――」
「時間をおいて魔力が回復すれば、動かすことはできるのだな?」
「はぁ、まぁ……」
「よろしい、それだけ分かれば十分だ。あとの詳しいことは、癪ではあるが、その無礼な冒険者娘に聞くこととしよう」
「はい、それがよろしいかと」
「ちょっとぉ! アタシを勝手に説明役にしないでよねーっ!」
何を今更。心の中でドロシーがツッコミを入れた時には、舞い落ちる雪の粒が大きくなっていることに気が付いた。
どうやら、アイの天気予報は本当に大当たりなようだ。
龍鱗ヲ裂ク紅蓮・・・レオンハルト王はネーミングセンスでもスパーダ最強です。