第423話 思考制御装置(エンゼルリング)VS思考支配装置(フェアリーリング)
「――うん、やっぱり、ここが扉で間違いないわね」
頼れる二人の仲間に守られて、リリィは微塵も焦りを感じさせない、むしろ優雅な動作で、コックピットハッチの開閉に挑む。
目の前にあるのは、そびえたつ壁と同義である、エンシェントゴーレムの背中。そこはただ、鈍い光沢を宿す鋼鉄の装甲板が継ぎ目なく広がっているのみ。扉どころかドアノブの影も形も見当たらない。
しかし、リリィはこの場所が当たりであると確信できていた。
根拠は三つ。一つ目は勘。二つ目は、僅かながら漏れ出る魔力の気配。ただし、ここだけ感じるかも、いや、気のせいかも、というほどかすかなものだが。
そして、最も決定的となる三つ目の根拠こそが、リリィが手にする大魔法具である。
「『至天宝玉』に反応アリ……これなら、上手くアクセスできそう」
右手に握る巨大なダイアモンドの真球が、淡い明滅を繰り返してリリィに変化を訴えかける。これほど分かりやすい反応もないだろうというほどに。
この大魔法具をあの小汚い孤児院で入手した時には、人造人間の頭脳への干渉装置としての使い方が本来の用途であると思っていた。それは恐らく当たりではあるが、全てではなかったようだ。
「『至天宝玉』とは、もっと広い用途を持つ、いわば『鍵』の効果を秘めているのではないだろうか。リリィはそう推測した。
「我が意を成せ、「『至天宝玉』」
手にした宝玉へ、ほんの少しだけ魔力を注ぎ込む。キラリと白い輝きが玉に浮かぶと同時、それに対応するように――否、事実、反応したのであろう、目の前の壁に変化が起こる。
カシャン、とあっけないほど軽い音を立てて、金属板の一部がスライドして開いた。それは扉ではなく、およそ三十センチ四方のパネルである。色は白。材質は聖銀によく似ているが、別物だろう。そこまでの綺麗さと魔力は感じられない。
リリィが無手の左手をそこへかざせば、青白い光で文字が浮かび上がる。勿論、それは古代文字。ただ、どうみても横書きの文章にしか見えないので、魔法陣というワケではなさそうだ。
さしものリリィといえど、完璧に古代文字の解読までは不可能である。幾つかの文字の読み方を先天的に知っているのと、神学校の授業で少しだけ習った程度の知識しかない。
だが、何となく、それこそ勘で、パネルに何と書かれているか察することはできた。
「アクセス承認、ね」
リリィの少女になっても紅葉のような掌が、青白く発光するパネルにそっと触れる。
すると、目の前の装甲板が綺麗に左右に分かれて開かれる。そのスライド式の扉は、古代の遺物でありながらも、驚くほど滑らかな動作と、軽い音をたてて稼働した。
開かれた空間は、縦二メートル半、幅一メートルといった長方形。どう見ても、人間のサイズに合わせた設計である。小さく華奢な少女であるリリィは、難なく扉の向こうへと歩みを進めた。
そこは、天井と壁に照明代わりの白く光るパネルが等間隔で埋め込まれた短い通路である。多少薄暗く感じるものの、三メートルほど先にすぐにまた新たな扉が見えた。
その先にあるのが、間違いなく目的地である操縦席に違いない。
そして、それが事実であることを、あっけなく二枚目の扉もタッチ操作で開け放ったリリィは確認した。
最初に目に飛び込んでくるのは、認証パネルに浮かんだものと同じ色合いの青白い光の数々。左右の壁は無数の大蛇が這っているかの如く、パイプやチューブが縦横無尽に走っているだけだが、正面だけは、スパーダの広場に立つ記念碑『歴史の始まり』のように、漆黒の面に古代文字が躍っているのだ。
通路と同じ高さしかない天上には、発光パネルが一つきりで、他に灯りはない。勿論、窓の類も。
つまり、ここからは一切、外の様子は窺えないのだ。もう目の間に迫っているであろうガラハド要塞の大城壁を写す映像も、どこにもありはしない。
それでもやはり、この部屋は操縦席で間違いなかった。
「――うふふ、こんにちは」
何故なら、そこには一人の操縦者がいる。息苦しささえ感じられる、狭く雑然とした小部屋だが、その中央に人が座っているのは入って一目で分かった。
その人物は、リリィが発した和やかな挨拶に答えることもなく、ただじっと、椅子に座っている。
いや、それは果たして本当に椅子なのか。座り心地は悪くなさそうな革張りだが、そこには全身を縛り付ける白いベルトが何本も付属している。無論、その全てが使用されており、操縦者の姿は雷撃刑を待つ死刑囚のようであった。
「なるほど、操作というより、直結なのね」
リリィは操縦者の異常な格好に驚くこともなく、ただ淡々と目に映る全てのモノから情報を集め、分析、推測してエンシェントゴーレムの秘密を導き出す。
真の姿となったリリィの頭脳は、人としても、魔術士としても明晰であるが、それ以上に、彼女はパンドラ大陸において誰よりも『白の秘跡』の研究を理解していることこそが、操作方法の解明を飛躍的に進めてくれる。
より具体的にいうならば、この操縦者が身に着けているモノに、物凄く見覚えが――否、バラして解析、研究し、実用化の域まで自ら高めてみせた、思い入れのある魔法具があるからだ。
「思考制御装置の改良型……というより、特化型なのかな?」
操縦者を席へと縛り付ける、最も強力な拘束具こそがソレである。
かつてクロノの心と体を縛り、今はリリィの実験道具と化した『思考制御装置』は、見た目はシンプルな白いリングである。この操縦者――顔は白い仮面で覆われているものの、見慣れた黒い髪と、ハッキリとボディラインの浮かぶ黒い全身スーツ姿から、異邦人、もといニホンという異世界から呼び出された少年の実験体であると判別できる。その彼の頭部にあるのは、白いリングという形状こそ同じだが、等間隔で太い針が外側に突き出ており、一見すれば王冠に見えないこともない。
「うーん、流石に外して持ってくのは無理そうね」
リリィはたとえ空間魔法といえど、その中に生首を入れて持ち運ぶ趣味はなかった。
「でも、コレがどんなものなのか、ちょっと確かめてはおかないと」
そう呟きながら、リリィは指先で光の魔法陣を軽やかに描く。中空に浮かぶ円形の魔法陣へ手をかざすと、一つのアイテムが転がり落ちた。
それは『思考制御装置』とよく似た、白いリング。デザイン上での違いは、流れるような呪文の文字列が、リングの表面に刻まれていることくらい。事実、その見た目と同じく、コレは機能面でも非常に似ていた。
そう、これこそリリィが研究し、シモンが開発し、レギンが製作してみせた『思考支配装置』、その試作型である。
「さぁ、私に教えてちょうだい、貴方の秘密を――」
そうして、リリィは手にした『思考支配装置』を、そっと少年の頭に輝く『思考制御装置』の上に重ねた。
「――ウソっ!? 七号機に外部干渉!?」
それは独り言というよりも、完全に驚愕の声であった。
いよいよガラハド要塞の城壁へと到達しようかというその時、ドロシーが見る危機警告で一杯のデータ画面に、一際赤く輝く表示が点灯したのだ。
それは、数ある異常の中でも、最も危険度の高い状態であることを示す。『外部干渉』とはすなわち、何者かがエンシェントゴーレムの中枢機関へ、不正にアクセスしているということ。
「自立機動ではないけど、アクセスできるのはここだけ……あ、いや、そっか、頭脳を直接刺しに来たんだ!」
この干渉犯は、動くエンシェントゴーレム、もとい、正式名称『タウルス』へと飛び乗り、ほとんどノーロックのハッチを開き、座席と一体化した実験番号672番の頭を、テレパシー系の魔法具で刺した。
何の前触れもなく、突如として外部干渉を受けたという状況を鑑みるに、それしか現実的な方法は考えられない。
『魔動演算機』を始め、古代の遺物に対する研究が最も進んでいるのがジュダス率いる『白の秘跡』であるという絶対の自信がドロシーにはあった。少なくとも、パンドラ大陸において、先進的な古代魔法の解明が進んでいる、などという情報は一切耳にしていない。
正直に言えば、彼女もまた『魔族』と敵を侮っていたのだ。
しかし、今この瞬間、絶対的なアドバンテージの確信は、儚く崩れ去る。
「あ、ありえない……けど、間違いない、コイツ――」
とんでもない早さで干渉犯による解析が進んで行く。操縦者の脳みそに収まっている人型重機の基礎的な操作方法から、その頭脳から直結しているタウルス本来の頭脳にまで、テレパシーの魔の手が伸びる。
いかなる方法でそれを検知しているのかは不明だが、魔動演算機は正確に侵入者の動きを伝えてくれる。そう、伝えるだけで、これに自動で対抗できる魔法回路は何ら組み込まれていない。
そもそも、パンドラ大陸の魔法技術では、魔動演算機やタウルスなどの古代の遺物といったものにアクセスすることさえできないと想定されていたのだ。わざわざプロテクトをかける意味などないし、そんなことをする余裕も、タウルス完成までのありえないほど短い納期の中にあるはずもなかった。
要するに、干渉犯は何者にも阻まれることなく、自由に操縦者の頭脳と機体の中枢を弄れるということだ。
「――タウルスのコントロールを奪う気だわ!」
これを止めるには、自ら手を打たねばならない。
魔族を相手にした戦場で、まさか自分が魔動演算機を武器に情報戦を演じることになるとは、全く予想していなかった。魔族でなくとも、『白の秘跡』が作り上げた『思考制御装置』によって支配された頭脳へ干渉することさえできないはず。人間の脳とは、それほどまでに複雑にして精密な、解読不能領域なのだから。
だがしかし、認めなければならない。この相手は我々と対等であるのだと。
「いい、いいわよ……私はブスだし色気もないし、魔力だってないけど……コレだけは、負けるワケにはいかないのよぉ!」
らしくないほど、熱くなっている。頭の片隅にいつもいる冷静で論理的、それでいて、卑屈でネガティブな自分がそう囁きかける。
ドロシーには闘争心や競争心、もっと突き詰めていけば、怒りの感情というものが、ほとんど欠落していた。なぜなら、彼女は最初から全てを諦めているからだ。
女としての魅力も、魔法の才能も。勿論、こんな貧弱な体で武技の才もあるはずがない。
専門的な古代魔法の研究だけが、自分にある唯一にして絶対の才能。逆に言えば、これで競える相手もまた、これまで一人もいなかったことを意味する。
エリシオン魔法学院にいる古代魔法の権威と呼ばれる偉い教授だって、自分の理論を盗むようなレベルなのだ。パンドラ侵略の第一歩に使われた、魔動戦艦ガルガンチュアの心臓部を作り上げたのは当時、17歳の女学生だったドロシーである。
自分の研究成果を奪われても、彼女は怒らない。あるのはただ、絶望と虚無感のみ。世の中がそういうモノであると、人は騙し騙されるモノであるということを、彼女は理解しているが故。
それでも今、こうして人並み以上に幸福と充実を感じて生きていられるのは、ジュダス司教が拾ってくれたからに他ならない。彼だけが、自分の才能を理解してくれる、評価してくれる。そして何より、必要としてくれる。
ジュダス司教に、競争相手として並ぶことは自分にできない。天才と評されるべきドロシーであっても、到底及びもつかない圧倒的な差をこれまで幾度となく見せつけられたから。一生かかっても敵う相手ではない。あの男は、尊敬し、崇拝し、教えを乞うべき偉大な先達なのだ。
しかし、今ここにタウルス七号機に外部干渉を仕掛けた相手は、別だ。
コイツは、古の魔法論理を解さぬ無数の無能共から抜きん出て、自らに並び立つ才を持っている。絶対的な格下でも圧倒的な格上でもなく、自分と肩を並べる、正しくライバルと呼ぶにふさわしい実力者が、現れたのだ。
これで、燃えないはずがない。ドロシーは生まれて初めて感じる、胸の奥から湧き上がる熱い闘志に突き動かされて、全身全霊で、侵入者の迎撃にあたった。
「操作卓を五枚型に変更、第一画面に七号機の機体情報を出して、672番には強心剤と造血剤と、ついでに加速薬も打って――まだ死なないでよね672番、私が干渉者を追放させるまではっ!」