第416話 垂直戦線(バーティカルリミット)(1)
「よし、それじゃあ行くぞ――フォーメーション『垂直戦線』!」
思い切り壁を蹴って、俺は地上五十メートルの虚空へと我が身を放り出す。傍から見れば投身自殺以外の何物でもないが、俺は自ら死に逝くのではなく、殺しに行くのである。
一瞬の浮遊感を覚えるその間に、壁に張り付くキメラ兵の姿を確認。城壁上に立ったままだと、覗き込みでもしない限り壁面そのものは死角となるが、こうして見れば一目瞭然だ。
垂直の壁は、今の俺の体勢から見れば単なる石畳の地面に等しい。遮蔽物もない、この五十メートル×千メートルの広大な長方形のフィールドに、匍匐前進でもするかのように這いつくばっているキメラ兵がそこかしこで見えた。もっとも、匍匐前進といっても人が全力疾走しているような速さで動いているのだが。
壁を登るための鉤爪が生えているとはいえ、それでもそんな高速で登って来るとは、とんでもない身体能力である。
そんな事を思う間に、俺の体は重力の軛に囚われ、猛烈な勢いで急加速を始めた。このまま黙っていれば三秒もしない内に雪の地面に激突であるが、俺の体はすぐに急停止。
「まずはお前から――落ちろっ!」
ちょうど俺の真下で登って来たキメラ兵。見たところオークキメラらしかったが、その凶悪な顔面に固い靴底がめり込み、文字通りに蹴落としてやったので、はっきり姿を確認する前に目の前から消え失せた。
登って来た勢いを倍する速度で地上へ弾き返されたオークキメラの巨体は、途中で壁面に体を擦らせ血の跡を一直線に引きながら、最後はベチャリと赤く弾けた。真下にいた戦奴を巻き込んだ、数人分の血の華。じっくり鑑賞する気は起きない。
キメラを蹴った勢いで落下速度を半分ほど殺し、もう半分は左手に握った漆黒の鎖で消す。
見事に壁のど真ん中で宙づり――ではなく、垂直の壁面に直立する体勢となって、俺の体は止まっている。
「よし……意外と安定もしてるし、これならいけそうだ」
バインドアーツは握った左手の一本だけでなく、今や素早く腰と背中にまで回され、しっかりと俺の体を固定してくれている。リリィを背負ってダイダロスの城壁を登った時にも、『影触手』で似たような格好となったが、制御をヒツギに任せているという以外は、ほとんど同じだ。
しかしながら、バインドアーツとヒツギの操作によって、ただ触手を伸ばす・縮める、以上の自由自在な動きも可能となっている。だからこそ、俺はほとんど触手でぶら下がっているだけという不安定な状態でありながらも、垂直の壁の上で戦おうという発想に至った。
左手を鎖から離しても、きちんと地に足のついた感覚で立っていられる。よし、これで両手をフリーにして戦える。
「それに、ここなら思い切りぶっ放せる――『ザ・グリード』、掃射っ!」
壁の上に浮かぶ影より、再び漆黒の重砲を呼び出す。今度こそ、敵への憐みもなく、味方への誤射も気にせず、全力全開で撃てる。
六本の銃身が高速回転すると共に、黒いマズルフラッシュを焚く。毎分二千発の発射速度をもって、銃口から黒き魔弾が解き放たれた。
「グォオオアアアっ!」
地獄の底から這いあがってくる悪鬼の如き迫力のキメラ兵共を、魔弾の嵐が迎え撃つ。
正面にいるのは、それぞれハーピィ、猫獣人、そして、小柄だから一瞬それと気づけなかった、ゴブリンベースのキメラの三体。
敏感に危険を察知し、三体がそれぞれ回避行動を見せる。壁登りの最中でありながらも、猫獣人とゴブリンはノーモーションで反復横跳びのように真横へ飛んでみせた。
しなやかな猫獣人の筋肉が躍動し、生やされた黒い毛皮の腕が再び壁を掴む――その前に、殺到した弾丸の黒旋風に巻き込まれて、あえなくその身を散らせる。叩き込まれた数百もの弾がズタズタにその身を寸断し、かろうじて原型を留める無残な有様となって、来た道を自由落下で戻って行った。
猫獣人の死体が雪上に落ち切る前に、俺はゴブリンキメラの方へと素早く銃口を切り返す。狙い撃つというより、ほとんど薙ぎ払うようにして、小さなゴブリンを捉える。
どれだけ素早く飛び跳ねようが、この連射力の前には無駄なこと。
初めてリリィと出会った日、洞窟に棲みついたゴブリンを駆除した時と同じように、あっけなく弾丸によってその身が撃ち砕かれる。
大口径の疑似完全被鋼弾は一発かすっただけで手足を吹き飛ばし、胴に当たれば臓器を散々に引っ掻き回した上で貫通していく。猫獣人よりもヒットした弾数は少ないだろうが、それでもこのゴブリンキメラは、原型さえ留めることのない血袋と化して落ちて行った。
もっとも、緑と茶色の皮膚を持つ二人のゴブリンを、双子の奇形児のように合体させた姿であった以上、もとより原型からかけ離れていたのだが。
そうして、『ザ・グリード』の火力にモノを言わせて三秒ほどで二体のキメラ兵を仕留めたが、ハーピィだけは撃ち損ねた。
セキセイインコみたいな黄緑色の羽に加えて、地味な茶色の羽を新たに生やした、四枚羽のハーピィキメラ。飛行能力も二倍になったとばかりに素早く飛び上がり、垂直の壁面を薙ぎ払う弾幕から逃れてみせたのだ。
先にゴブリンを始末することを優先した結果、ハーピィは鳥の両足から生える鋭い鉤爪を向けて、滑空するかのような速度と勢いでもって、もう俺の目前へと迫っていた。今から銃口を合わせても、撃ち落とせるかどうかギリギリといった間合い。
だが、俺は焦ることなく、いや、それどころか、目の前のハーピィキメラを無視して、次なる獲物を探し始めた。
「やぁーっ!」
リリィが俺の肩を蹴って飛び出す。ハーピィの相手は、この頼れる相棒に任せておけばいい。
妖精結界から眩い輝きを発しながら、落下速度以上に加速をつけて突っ込んで行くリリィは、まるで光の砲弾である。
しかしながら、羽を広げて迫り来るハーピィへと与えられる死に様は、爆死ではない。
リリィとハーピィキメラ、共に四枚羽を持つ者同士が真正面からぶつかり合うその瞬間、妖精結界より一振りの白刃が煌めいた。
「流星剣っ!」
それは光刃と呼ばれる魔法の剣。物質としての刃を持たないが故に、その切れ味も大きさも、術者の意志と技量によって如何様にも変化する。
リリィが振るった白光の刃は、俺の『絶怨鉈「首断」』よりも長く幅広の刀身を誇る、『流星剣』の名付けに恥じない華麗な外観。 無論、そこに秘められた灼熱の威力も、リリィが技名をつけるに値するものがある。
真っ直ぐ縦一文字に振るわれた光刃の大剣は、鋭い鉤爪を繰り出す攻撃体勢のままのハーピィキメラを頭から股下まで一刀両断。キラキラ光る天の川のような剣閃はしかし、無残な死のみを相手にもたらす。
あまりの高熱により、ベロリと剥がれるように別たれた断面からは、一滴たりとも血が零れない。ちょうどリリィの目の前で左右に別れ、図ったかのように彼女の体を避けていく。
左右で二等分された死体は、俺の一歩ほど手前で壁面にぶち当たると、そこでようやく突っ込んできた勢いがなくなり、重力に従って虚しく落ちて行った。
「リリィは変身しなくても、ちゃんと大魔法具使えるんだよ!」
ハーピィを斬り捨てた地点で空中浮遊しながら、自慢げな顔でリリィが振り返る。小さな両手に掲げるのは、真紅に輝く妖精女王の宝物『紅水晶球』――ではなく、神々しい白光を放つ『至天宝玉』だった。
リリィが修行に行った先で入手したこの大魔法具は、人造人間のリビングデッドの制御だけでなく、その眩しく輝く見た目通りに、光属性を強化する効果もあるという。
属性強化は、魔法鉱石なら未加工状態でも発揮するような、ごく基礎的な効果である。故に、宝玉の形状をした大魔法具であるならば、その色と輝きに応じた属性強化能力を秘めているのは半ば当然ともいえる。
『至天宝玉』は光の強化を追求した加工はされていないものの、大魔法具と呼ばれるだけの膨大な魔力量は当たり前に秘めている。
それを、光属性が得意なリリィが使えば、凄まじい威力を引き出すことができるのだ。
お蔭で、リリィは巨大な光刃である『流星剣』を難なく繰り出せるし、こうして空中浮遊ができるくらいの飛行能力も獲得している。
「まぁ、リリィは変身してなくても強いからな」
小さいままでも、頼りになる。大魔法具で武装すれば、もっと頼りになるのだ。こんな戦争の最前線でも、何の心配もなく背中を預けられるほどに。
「――それにしても、キメラ兵の数がどんどん増えていってるような気がするな」
俺とリリィの連携で三体を瞬殺してみせたが、その僅かな間に、もう新手が壁を登り始めている。右手に三体、左手に四体、蠢く異形の影が壁面に映る。増えた気がするというか、倍以上になってるじゃないか。
おまけに、戦奴達も果敢に梯子をかけようと、そこかしこで奮戦している。無理強いされた戦いだろうが、自分の命がかかっている以上は、彼らとしても死にもの狂いでやらざるを得ない。
バケモノ然としたキメラ兵であっても、この絶望的な城壁を突破する唯一の希望に見えるのだろう。キメラが勢いよく駆け登って行く後に続くように、梯子をかけて自らも登って行く。
戦奴は武器も防具もない素手だが、それでも屈強な異種族が大勢乗り込んでくれば、今以上に防衛線は乱れる。その隙をついて、十字軍の本隊が一気に攻めてくるというのが、目下一番の不安である。
何にしろ、今は敵の急先鋒となっているキメラ兵を排除するより他はない。どれだけ湧こうが、ここで叩き落としやる。
「行くぞリリィ、合わせろ!」
「うん!」
『ザ・グリード』を構えたまま、体を左方へ捻る。四体が登る――いや、すでにこっちに狙いを定めて、蜘蛛のように這いながら向かってくる気味の悪いキメラ兵共へ銃口を合わせる。
トリガーに指をかけると同時に、虚空でバウンドしたリリィが素早く俺の背後に回ってきたのを察した。俺が左を撃ち、リリィが右を撃つ。背中合わせの同時射撃。
「喰らいやがれっ!」
「えぇーいっ!」
黒い鋼鉄の魔弾と白い光輝の光矢の乱れ撃ち。ばら撒かれる無数の弾丸が迫り来るキメラ兵を真正面から撃ち砕き、また、吹き荒ぶ殺矢の嵐が敵を穿ち貫く。
全く相手を寄せ付けない、圧倒的な火力。如何に屈強にして狂えるキメラ兵といえども、この光と闇の弾幕の前では一方的に撃ち殺されるより他はない。
ついでに、淀んだ黒い血飛沫を上げて吹き飛び、落ち行く異形の死骸の向こうで、魔弾の流れ弾によって梯子も粉砕される。
地獄に垂らされた蜘蛛の糸に殺到する罪人の如く、梯子を上って行く戦奴達が哀れな悲鳴の大合唱を奏でながら、地上に崩れ落ちていった。願わくば、彼らの行き先が地獄ではないことを祈る。
心のどこかで、戦奴を殺すことに躊躇する念が燻っているが、それでも意図的に狙いを外すことはしない。優先目標はキメラだが、膨大な数で押し寄せる戦奴も、出来る限り数を減らしておくに越したことはないのだから。
俺とリリィが瞬く間に七体のキメラ兵を始末し終え、次のターゲットへ狙いを絞ろうとしたその時だ。
「あっ、危ないよ!」
リリィが天を指差した。その指には煌々と輝く、光の魔力を凝縮した灼熱の光弾が灯っている。
そして、その指先が狙う先にあるのは、轟々と火炎と黒煙の尾を引いて飛来する、燃え盛る巨大火球。
「遠投投石器かっ!」
アレは単なる炎魔法ではなく、岩に火炎をまとわせた、物理的な破壊力と赤熱の火力を併せ持つ砲撃だ。
アルザスの戦いでは、数人の魔術士で発動する複合魔法によって、火球による遠距離砲撃を十字軍が仕掛けてきた。
しかし今回の相手は、田舎の村々を占領するためだけの部隊ではなく、難攻不落の大要塞を攻略すべくやって来た大軍団である。つまり、遠投投石器のような攻城兵器も持ちこんできたってことだ。
そして、ようやく準備が整ったとでもいうのだろうか。今この時、ついに砲撃が開始されたのだ。
放物線を描いて落下してくる燃え盛る岩塊に向けて、リリィが迎撃の光矢を放つ直前――それは、木端微塵に砕け散る。
壁に当たったからではない。未だ上空にあるまま、下方から飛来した一発の火矢によって、見事に撃墜されたのだ。
「フィオナか、流石だな」
完璧なサポートである。やはり城壁の上に残してきた配置は正解だ。
フィオナもその気になれば、垂直の壁でも戦えるのだが、無理に前へ出る必要はない。このフォーメーション『垂直戦線』を決める時に、「私のポジション、ちょっと離れすぎてないですか? というか、リリィさんと近すぎないですか?」とフィオナがちょっとゴネたけど、やっぱり後衛はしっかり後ろに置くのが最善だな。
そんな事を思いながら、上空で派手に爆散した岩の破片が雨のように降り注いでくるのをやり過ごす。赤熱化した欠片は、当たれば痛いや熱いじゃ済まないはずだが、俺もリリィも大した問題にはならない。
これくらいなら『悪魔の抱擁』は難なく防いでくれるし、リリィの妖精結界など言わずもがな。
もっとも、粗末な白ローブだけの戦奴にとっては、命中すれば絶叫を上げて梯子から転がり落ちていくほど、恐ろしい弾雨となるが。
「砲撃はフィオナが何とかしてくれるから、こっちは気にせず戦闘を続行だ」
「うん!」
元気いっぱいの返事をくれるリリィを伴って、城壁の中央側に向けて壁面を走り出す。
立て続けにキメラ兵を倒したせいか、キメラも戦奴もこの辺を避けるように動き始めたからだ。戦奴がその行動を選択するのは当然だと納得できるが、バサーク状態にあるというキメラ兵も、即座にそういう判断を下すというのは、いささか妙な話である。
恐らく、純粋な狂化に陥っているというより、攻撃性と闘争心を高める軽度の症状に留めると同時に、脳内には『壁を登る』というのを優先するよう命令が刻みこまれているんじゃないかと推測できる。
あの『思考制御装置』を介していれば、それくらいの行動は制御できるはずだ。プログラムで動くロボットのように
ともかく、俺とリリィは移動を余儀なくされる。こちらから動いて仕留めに行く、というのは『独立遊撃権限』のお蔭で、味方に咎められることもないし。授かった権利の通り、自由に動いて暴れさせてもらおう。
2014年2月14日
今回は話の内容を鑑みて、二話同時投稿とさせていただきます。ただし、ストックの関係上、次週の更新はお休みとなります。変則的な更新となり、申し訳ありません。
それでは、引き続きクロノの立体機ど――もとい、城壁での戦闘をお楽しみください!