第413話 開戦・第五次ガラハド戦争
冥暗の月16日。早朝。
冬晴れの空に登る朝日を背景に、十字軍は現れた。
「……来たか」
白い息と共に、そんなつぶやきが思わず零れた。
俺は今、ガラハド要塞の大城壁の上に立ち、眼下に蠢く白い軍勢を眺めている。その全容は濛々と噴き上がる真っ白い雪の煙によって未だ判然としない。
スパーダ軍の調べによれば、あれは除雪によって巻き起こっているらしい。山道を塞ぐ分厚い雪の層を、白毛のドルトスダンプやら炎魔法やらで跳ね、融かしながらゆっくりと前進を続けている。
そうして一ヶ月近くもの時間をかけて、十字軍はついにここへ到着したというわけだ。残念ながら、途中で遭難したり雪崩に巻き込まれるということはなかったようである。これが神のご加護ってヤツだろうか、全く、クソ喰らえだ。
「アルザスの時とは、比べ物にならない規模ですね」
左隣に立つフィオナが言う。俺と違って、随分と落ち着き払った様子だ。
「大丈夫だ、今回は味方の数も桁違いだからな」
右を見れば、赤い鎧兜のスパーダ騎士が整然と立ち並び、左を見れば、バラバラ装備の冒険者が雑然とたむろっている。
防衛の最前線となる大城壁の一番上にある通路は、壁の厚さと相まってかなりの広さを誇っている。大型の馬車一台がそのまま通れるほど幅があり、各所に設けられた階段も広々とした作り。人の行き来は勿論、物資の運搬もスムーズに運ぶ。
そんな広い通路が一キロも続いているのだから、本当に圧巻である。長さだけなら万里の長城には完敗だが、この壁の高さが五十メートルあることを思えば、迫力的には圧勝だろう。
そして、これだけの広さの通路に、花火大会の歩行者天国が如き人で溢れかえっていれば、一目でスパーダ軍の兵数の多さが分かるというもの。実数にすれば、現在このガラハド要塞にはおよそ四万の兵士が集まっているという。
アルザスで共に戦った冒険者の数は百三名。その差、実に四百倍である。
「恐らく、十字軍はこちらの三倍以上の兵数は確実に揃えているでしょう。兵力の比較でいえば、五分ですね」
「五分になっただけで十分すぎる。今回こそ、真正面から戦って勝てるだけの可能性があるんだからな」
もっとも、ここにいる兵の中で、勝率は五分だと思っているのは俺達くらいだろうが。いや、首都スパーダに住む人々まで含めても、勝利を疑う者は一人としていないだろう。
強いて言えば、それが自信ではなく慢心となって、隙になるのが不安である。だが、こればかりはどうにもならない。兵の意識改革なんて、王様だってやるのは難しい。
僅かな不安要素は、緊張の汗となって、ヒツギの皮手袋に包まれる掌を濡らした。
「ふわぁー」
俺が敵の大軍を目前に少しばかり固くなっている隣で、リリィが隠すこともなく大あくびをかます。
通路の壁に腰掛け、五十メートル上空の方へ小さな足を投げ出して座る姿は、知らぬ者が見ればさぞ肝を冷やすことだろう。今にも頭から壁の外へ転がり落ちていってしまいそうだが、最悪、落下したとしても妖精のリリィなら無事に着地できる。
「リリィは緊張してないか?」
「んー? 大丈夫だよ」
これから戦争を始めるってことをまるで理解していないような、無邪気な微笑みで答えてくれる。
「だって、今日はクロノが一緒だもん。なにも怖くないよ」
「そうか……そうだな。俺もリリィが一緒なら、誰が相手でも恐れはしない」
壁の下から吹き上げってくる風に、大きくエンシェントビロードのワンピースと、プラチナブロンドのロングヘアを翻らせるリリィの姿は、幼いながらも神々しく見えた。砦に舞い降りた天使、もとい、妖精である。
おまけに、手を伸ばせばその身に届く。頭を撫でれば、不思議と心も落ち着いた。
「やぁ、クロノ君、随分と落ち着いているのは、流石といったところかな」
不意に背後からかけられた爽やかな声には、つい最近、聞き覚えのあるものだった。
振り返り見れば、スパーダ一の剣闘士ファルキウスの顔が――って近い!
「離れろよ」
「ああ、すまない。君を見かけて、つい嬉しくてね」
つい嬉しかったら近づくのかよ、男に。勘弁してくれ。
ファルキスは全く悪びれない悪戯な微笑みを浮かべて、ようやく一歩の距離を置いてくれた。
未だ撫で続けてリリィの頭に触れる掌から、ピリっとした魔力を感じたのは気のせいではないだろう。うん、俺だって警戒してるさ、リリィ。
「ファルキウスは、こんなところにいていいのか?」
「君こそ、律儀に『グラディエイター』の持ち場にこだわらなくてもいいんじゃないのかな? 何だったら、レオンハルト国王陛下が守る中央までエスコートするよ。ガラハド要塞は、初めてだろう?」
こんな一直線の通路にエスコートもクソもあるかよ。暗に離れてくれという俺の意思は、この男には全く通じていないようだ。
戦闘開始直前となった現在であるが、勿論、事前にどの隊がどの辺を守るか、という分担の指示は出ている。
レオンハルト国王率いる第一隊『ブレイブハート』は、城壁の中央部、長さにして三百メートル分の通路が持ち場。
エメリア将軍の第二隊『テンペスト』は後方で予備兵として待機。主戦力となる騎兵部隊は、門を開いて突撃の命があるまで待つこととなる。ただし、一部の射手や魔術師は防御塔などで遠距離攻撃を行う。
第三隊『ランペイジ』を率いているのは、ゲゼンブールという名前だけ聞いた将軍である。どんな人かは全く知らないが、この部隊が最初に要塞で守りを固めていた。そのままの流れで、彼らの持ち場は大城壁の左右、左翼となる北側、右翼となる南側の通路である。
この軍団は基本的に人間・エルフ以外の異種族で構成されているらしい。歩兵が中心だが、天馬騎士やグリフォン騎兵などは、ほとんどこの『ランペイジ』の所属となっているので、空を守るのも彼らの担当となる。
そして俺達、第四隊『グラディエイター』は、城壁の左右の一番端っこが持ち場だ。断崖絶壁の岩肌と接する壁の北端と南端に分かれていて、俺がいるのは北である。
一度、戦端が開かれればどの場所も激戦必至であるが、やはり中央部が最も激しい攻撃に晒されるだろう。故に、活躍したいなら真ん中へ、ということだ。
そして『独立遊撃権限』を持つ俺達『エレメントマスター』は、指示された持ち場にこだわらず、自由に場所を移動できる。
無論、ファルキウスも同様。逆に言えば、コイツは好きでこの場所へやって来たともいえるだろう。
「俺達は、ここでいい」
特に強い意志があるわけではないが、とりあえずそう断言しておく。一応、最初からのこのこ真ん中で暴れたりしたら、鋼の規律、一糸乱れぬ陣形、と名高い『ブレイブハート』の邪魔にならないかと思ったのだ。無論、ヤバそうだったらなりふり構わず飛びこんで行くが、大丈夫そうなら、任せておくべきだろう。何でもかんでも、自分が守らなければと思いあがってはいない。
「そうかい、なら、僕もここにいようかな」
「……好きにしろ」
「ありがとう、優しいね、君は」
いや、別に優しくはないだろ。本当の優しさってのは、ネルみたいな天使対応のことを言うんだ。
そんなツッコミを覚える素っ頓狂な台詞でも、この男が真っ白い歯をキラリと光らせて、喜色満面のキメ笑顔で言えばカッコいい。こんなベタなリアクションでも映画のワンシーンが如くバッチリ決まって見える。何か悔しい。
「けど、戦う時は少し離れろよ」
「君の背中を守りたかったんだけど、ダメかな?」
「悪いが、俺の背中はもう予約済みだ」
ヒョイとリリィを抱っこして、ファルキウスの熱視線を遮る盾とする。猫の子のように掲げられたリリィは、ピカピカ光る威嚇モード。効果は抜群だ。
「むぅー、剣闘士の人はあっちで戦って」
「あはは、これは参ったな。完敗だよ、妖精さん」
そうさ、パンドラにやってきたその日の内から、俺の背中を守るのはリリィの役目になってるんだからな。洞窟のゴブリンを一緒に討伐したのが懐かしい。
「それに、俺の近くにいると危ないからな」
「呪いの武器を振るう狂戦士でも、僕なら隣で戦えるから大丈夫だよ」
「フレンドリーファイアって知ってるか?」
今回は『エレメントマスター』の最も基本的な陣形で戦う予定となっている。俺が前衛で、リリィが共に前衛となるのはやや変則であるが、それでも、フィオナは後衛につく。
魔女の大先生が放つ炎魔法は抜群の火力を誇るが、同時に、驚異の誤射率も叩き出すもろ刃の剣である。俺とリリィなら大丈夫だが、他のヤツはどうなるか分からない。
「後ろから飛んでくる炎に巻き込まれるぞ」
「はい、私が巻き込みます」
しれっとした顔で、フィオナがさりげないアピール。気を付けるつもりなど全くない、と断言するような台詞である。
「危ないので、離れていてくださいね」
「うん、なるほどね、気を付けるよ」
流石のファルキウスも、これにはやや苦笑い。まぁ、これで不用意に近づいてくることはあるまい。
「そういえばフィオナ、壁は壊すなよ」
「善処します」
「味方の動きにも注意してくれ」
「前向きに検討させていただきます」
うん、大丈夫ということにしておこう。なんだかんだで、フィオナは今まで誤射で失敗したことはないしな。アスベル山脈で雪崩を起こしたのも俺だったし。
「しかし、ファルキウスは本当にここにいていいのか? 他のヤツらは見当たらないぞ」
他のヤツら、とは同じく『独立遊撃権限』を持つ者のことである。
右は『ランペイジ』の兵がいるし、左の冒険者軍団の中に、スパーダ正門前で権限を授与された時に見かけた彼らの顔は見当たらない。
「戦力的な配分は問題ないよ。南の右翼はアイクがいるし、ウチの団員も置いてきたからね。そしてこちら側には、僕がいる」
その物言いは、ファルキウス一人と団員全員が、同じ戦力であると暗にほのめかしているように感じた。気安く接して来るファルキウスだが、どうやら自分の実力に絶対の自信を持っているらしい。
「あとは、『ヨミ』と『ブレイドレンジャー』は最初から中央に行ったと聞いたね。ソロの人は、うーん、僕もちょっと分からないかな」
流石に『独立遊撃権限』メンバー全員の動きを把握してるわけではなかったか。まぁ、パーティだと動けば目立つけど、個人だと目につきづらいからな。
ところで、この『ヨミ』と『ブレイドレンジャー』という二つが、我が『エレメントマスター』と並んで『独立遊撃権限』を授かった冒険者パーティである。無論、両方ともランク5。冒険者歴でいえば、何年、いや、何十年という大先輩だ。
『ヨミ』は、そのまま黒き神々の一柱『冥剣聖ヨミ』の名をいただいた、女性の剣士だけで構成された四人パーティだ。腕利きの女剣士が集まって、見た目にも華やか――かと思えば、それほどでもない。
リーダーは太刀を背負った婆さんだったし、他の三人は狼獣人とラミアとフルフェイスの兜で顔の分からない女性であった。確実に美人だと言える顔を持つのは、ラミアの人くらいだろう。そういえば、彼女は褐色肌に赤茶色の鱗で、単色系の色合いだったアテンとは随分違って見えた。同じ種族でも、色々と違いがあるんだなと改めて感じた。
そしてもう一方の『ブレイドレンジャー』だが、その名の通り、彼らは本当に『レンジャー』だった。そう、五色の五人組な戦隊である。
リーダーのレッドソードさんは、赤い髪に赤いマフラーを巻いた人間の青年だった。きっと、正義感の強い熱血漢に違いない。
サブリーダーのブルースピアさんは、青い髪に青いマフラーを巻いたエルフの青年。間違いなくクールな性格で、熱いレッドを抑えるポジションだろう。
黄色い髪はないが、黄色いマフラーを巻くイエローアックスさんは、サイクロプスの巨漢。カレーが大好き、かどうかは分からない。そもそも、この世界でカレーにまだお目にかかってない。赤羽さんが開発していることを密かに願っている。
緑の髪はない代わりに、体が緑色なのはゴブリンのグリーンナイフさん。勿論、緑のマフラーも巻いている。ゴブリンの顔など見分けはつかないが、彼がきっと最年少だろう。設定的に考えて。
そして紅一点、ピンクアローさんだが、種族は不明だ。サイードもセリアも着用していた盗賊・暗殺者クラスが装備する全身スーツタイプの防具に身を包んでいるお蔭で、体つきから女性だと判別はできる。しかし、フルフェイスのヘルメット、もとい、兜を被っているので顔は見えないのだ。勿論、スーツもメットも目に眩しいショッキングピンクである。
並んでみれば、ピンクが最も戦隊ヒーローに近い装備である。レッドからグリーンは、冒険者らしくそれぞれバラバラの鎧や防具で身を固めていて、イメージカラーとお揃いのマフラーがあるくらいだ。
それにしても、あのレッドの人は俺と同じ異邦人なんじゃないかと疑うコトしきりなのだが……気になるが、調べるのはこの戦いが終わった後にしよう。俺、この戦いが終わったら『ブレイドレンジャー』の秘密を探るんだ。
「もっとも、僕らの出番があるまで敵がもつかどうかは分からないよね」
「ファルキウス、十字軍を侮るなよ」
「ふふ、随分と警戒しているんだね。僕はスパーダ軍の強さをよく知っているし、何より、自分の力を信じている。特に、愛する人のいる今の僕は、誰にも負ける気はしないんだよね」
ファルキウスの瞳には、慢心というより、魂の底から溢れ出る力を解き放ちたいという好戦的な色が映っているように思えた。
それにしても、コイツには恋人がいるのか。安心した。物凄く安心した。お相手は、どうせこのスーパーイメケンにお似合いの超絶美女か美少女なんだろうが、それでも俺は嫉妬することなく、心から祝福できるね。末永くお幸せに。
「それなら、その人を守るためにも頑張らないとな」
「うん、必ず守り通してみせるよ」
そう力強く答えるファルキウスの微笑みを、俺はようやく素直に美しいと思えた。愛のために戦うなんて、男としてはかなりカッコいい動機だろう。
「クロノさん、そろそろ十字軍の姿が見えてきましたよ」
静かに壁の向こうを指差すフィオナに従って視線を向ければ、確かに、もう随分とこちらへ近づいてきた白い大軍勢が確認できた。
いよいよか、と思いながら、俺は抱えていたリリィを下ろして、迫り来る強大な敵に向かって立つ。ここに立ち並ぶスパーダ軍も、ついに目前へ迫った敵を前に、少なからずざわめきが起きていた。
「……本当にドルトスで除雪してるんだな」
ここまで近づいて、ようやく噂に聞くその様子がはっきり見えた。
ズラリと一列に並んだドルトスは、まるで白いブルドーザーだ。山道に積もった雪を軽々と跳ね除け、道を切り開いてゆく。
マンモスのような巨躯に人がまたがっているのを、俺は改造のお蔭で強化魔法ナシでもよく見える目で捉えた。
白いローブ、頭にはすっぽりフードを被っている姿は、記憶にある十字軍兵士とは少々趣が異なる。彼らが十字軍のモンスター使い、ということなのだろう。召喚ではなく、そのままモンスターを扱っていることから、調教師と呼ぶ方が正しいか。
力強く雪道を突き進むドルトス部隊のすぐ後ろには、明らかに炎魔術師と分かる赤いローブ姿の集団が続く。手にする杖から轟々と炎こそ出してはいないが、恐らくは雪を融かす熱の魔法を行使しているのだろう。
ドルトスが跳ね除けた大量の雪は、不思議と積み上がって行かないのだ。どかした雪は彼らが消滅させることで、進軍の邪魔となる障害物を残さない。
そして彼らの後ろに続くのが、遡ること半年前、あのアルザスの河原で対峙した忌まわしい白き軍勢。
今日も神の威光を讃えるかのように何本もの十字の旗は掲げられ、力強く風になびく。その旗の下で、白いサーコートに長槍を林立させる歩兵の列が遥か彼方まで続いている。この高さから望む彼らの姿は、さながら白アリの行列に見えて、一思いに踏みつぶしたくなる衝動に駆られる。
「あれ、おかしいな、話が少し違っているようだ」
俺が殺意と戦意の入り混じった視線を向ける横で、ちょっと気の抜けたファルキウスの声が聞こえた。
チラリと横目で見れば、麗しい顔を「うーん」としかめて何やら試案している様子。どうやら、十字軍の凄まじい数を前に気圧された、という風ではないようだが。
「どうしたんだ?」
「十字軍は人間だけで構成された軍隊だと聞いていたんだけれど――」
その情報ソースは俺である。正確には、俺達『エレメントマスター』とシモン、ダイダロスからの生き残りだ。
まぁ、スパーダ軍もダイダロスに巣食う十字軍を調べてはいるから、その裏は間違いなくとれているはずだ。そして、戦う前に提供される当然の情報として「十字軍は人間の軍隊」と、スパーダの騎士は勿論、冒険者にまで知らされている。
「あそこに並んでいるのは、どう見ても人間じゃあないよね」
ファルキウスの示す先に、確かに、彼らはいた。
俺の良く知る十字軍歩兵の列、そのすぐ隣に、同じように列を作って歩く集団が。
ドルトスに騎乗する調教師とよく似た白いローブにフードを被った者達は――確かに、注意深く見れば、隣に並ぶ人間の歩兵と比べて大きさがまちまちだ。
特に、サイクロプスかゴーレムかミノタウルスか、というほどに大きな体を持つ者は目立つ。ちょっと注意すれば、すぐに分かる。そして、それに気づけば、ゴブリンのように小さな背丈の者も多く混じっていると気付けた。
「……何だ、アイツらは」
十字軍と戦った俺にも、すぐに理解できなかった。
おかしい。十字教を信仰する彼らにとって、人間以外の種族は魔族と呼ばれ忌み嫌われている。同じ十字軍兵士として参戦することはありえない。そもそも、シンクレア共和国の国民に、異種族は一人としていないはずだ。
しかし、この湧き上がる疑問にあっさりと解答を示したのは、他でもない、ファルキウス自身であった。
「うん、彼らは間違いなく、ダイダロス人だね」
「ダイダロス人……だと……」
どういうことだ、と問いかける前に、今度はフィオナが応えてくれた。
「クロノさん、アレは恐らく『戦奴』でしょう」
戦奴。それは文字通り、戦う奴隷。
「まさか、奴らダイダロス人を徴兵して、戦の矢面に立たせようってのか!」
「敬虔な十字教徒の司祭が指揮官なら、魔族と肩を並べて戦う真似は決してしないでしょうが……シンクレア貴族が率いているなら、ありえます」
戦奴制度は、かつてシンクレア共和国が数多の異教徒を駆逐しアーク大陸の西半分を征服していった頃に、よく見られたものであったという。
要するに、征服した地域の住民、異教徒を戦奴として駆り出し、いくら消耗してもよい使い捨ての兵士として利用するシステムである。
表向きには、異教徒を正しい神の教えである十字教に改宗させるために必要な行為、いわば異教徒であることの罪を購う行動であり、それを経ることで、彼らは正式に十字教徒として、シンクレア共和国民として迎えられる、という理屈だ。
犬にでも食わせた方がマシな、クソッタレな論理である。
そのくせ、異教徒出身者は『二等神民』という名の明らかな下級身分に列せられるのだ。
「魔族とはいえ、人と変わらぬ知性を有していると認めはしないでしょうが、理解はしているでしょう。ですから、異教徒と同じ方法で、戦奴として従わせているのかと」
つまり、家族の命なりなんなりを盾にして、戦争に参加することを強要できるということだ。野生のモンスター相手では脅しなど無意味だが、言葉が通じるなら、人間と同じように脅し、屈させることができる。
そして異教徒と戦った経験のあるシンクレア貴族ならば、その手の方法も熟知していると、フィオナは言う。
「待てよ、それじゃあ俺達は――」
「ええ、まずは戦奴に身を落とされたダイダロス人の捨て駒部隊と、戦うことになるでしょうね」
一際、強い風が谷間を通り抜けた。その突風に煽られて、戦奴の白いフードがバサリと外れる。
そこにあるのは、強面のオークや、トカゲの頭を持つリザードマンの顔。小さい人影は、やはりゴブリンだった。
エルフやドワーフといった、より人間に近い姿をした者はほとんど見かけられない。より人間からかけ離れた容姿を持つ種族を、意図的に集めたとしか思えなかった。
「ふ、ふざけるなよ……俺は、十字軍を殺しに、ここまで来たんだぞ……」
一体どうして、何の罪もないダイダロス人と戦わねばならないのか。俺は何のために、この手を血で染めようというのか。
「いいえ、クロノさん。彼らも『十字軍』ですよ」
俺の顔を覗き込んで、そうフィオナが断言する。彼女の輝く黄金の瞳に、迷いは一切ない。
「……クロノ、くるよ」
再び壁の上に立つリリィが、何の動揺もないといった無表情で指し示す。
下から吹き上がってくる風に乗って、ラッパの音が聞こえてくる。俺の視界には、甲高い音色に合わせてズラズラと兵を展開させてゆく十字軍の様子が映る。
数えきれないほどの人数が眼下で蠢く様は、中々に壮観であるが――白ローブの戦奴達が前面に押し出されるように並び行く様子に、背筋が凍った。
揃いの白ローブは、身を守る防具ではなく囚人服にしか見えない。彼らは奴隷、反抗の危険がある罪人。故に、その手に武器を握ることはゆるされなかったのだろう。剣も槍も、ちっぽけなナイフさえ、身に着けているのが見えない。
代わりに与えられるのは、高さ五十メートルの大城壁を登るための、長大な梯子。太い柱や大きな岩の塊のようなモノを持っているのは、恐らく、梯子を支える台座を作るための資材だと思われた。
全く無防備な戦奴達は、難攻不落のガラハド要塞と向かい合う。
そして、俺の動揺など全く関わりなく、突撃、を意味するであろうラッパの音色が、高らかに木霊した。
「ちくしょう……」
こうして、戦いは始まった。
冥暗の月16日。早朝。第五次ガラハド戦争――開戦。
第21章は、これにて完結です。感想でもちらほら言われていましたが、ええ、この章は戦争が始まる話ではなく、戦争を始めるまでの準備のお話でした。
次章こそ、本当に戦争が始まるので、どうぞお楽しみ!