第412話 ガラハド要塞
冥暗の月11日。スパーダ軍第四隊『グラディエイター』の第一陣は、無事にガラハド要塞へと到着した。
整えられた山道ではあるが、降り積もった雪に加えてキツい傾斜が続く中々の難所だったが、トラブルも脱落者もなく、つつがなく予定通りの日程を終えた。
俺としては、一度は通ったはずの道なのに、全く見覚えがないことに少しばかりのショックを受けたくらい。無論、それはガラハド・スパーダ間の道だけでなく、この圧倒的な大要塞の威容もである。
「ガラハド要塞って、こんなデカかったんだな……」
目の前にそびえ建つのは、ただひたすらに巨大な壁。ガラハドの大城壁、と呼ばれるソレは、歴史を知らずとも、何者もこれを超えることは叶わなかっただろうと見る者に思わせてならない。
実際に歴史を知る者ならば、もっと驚くべき代物でもあるが。
実はこの大城壁、古代遺跡を利用して建設されたものだという。元々は、正門となっている巨大な鋼鉄の門と、そこから広がる崩れかけの壁が数十メートルに渡って伸びているというだけの、遺跡というより、ただの廃墟と言った方が適切な有様だった。しかし、残骸であっても古代のテクノロジーで作られた扉と壁は強固で、この立地もあってそのまま利用しようと、遥か昔の初代スパーダ王は判断したのだ。
そうして長い年月の中、少しずつ、だが着実に要塞は拡大・強化されてゆき、今の超巨大な城壁の完成まで至ったというわけである。
そんな歴史ある大要塞が建設された場所は、奇跡的に開かれた山間の切れ目。その一点だけ標高が低くなだらかで、そのすぐ両脇から、断崖絶壁となって二つの岩山が突き出ている。山の中というより、巨大な谷間のような印象を受ける。
もしかすれば、この奇妙な地形も、古代に造成されたのかもしれない。
そしてガラハドの大城壁は、およそ一キロの幅を持つ谷底を、端から端まで完全に封鎖しているのだ。
その高さは約五十メートル。精密に組まれた垂直の石壁は、攻めるダイダロス側からだとダムにしか見えないだろう。
一方、俺の立つスパーダ側からだと、その巨大城壁に見合った大きさの砦が建っているのが見える。箱のような四角形で、四隅に防御塔を備えているのは、イスキア古城と同じ造りだ。ただし、その大きさは桁違い、倍くらいに見える。
違うのは大きさだけではない。デカい分だけ壁面装甲が厚くなっているのに加え、建物全てを覆う広域結界による魔法防御力も備えているのだ。
砦が単体でも高い防御力を発揮するが、この天に向かってそびえ立つ摩天楼のような四本の防御塔は、さらなる守りの力をもたらしてくれる。
塔の天辺は、砦で一番の高所からスパーダの宮廷魔術師による最大火力の攻撃魔法をぶっ放す砲台。大樹の根のように地下深くにある最底辺は、大城壁を除くガラハド要塞全てを守る結界を発動させる結界機の役割を果たす。攻守において、防衛の要となる重要な施設の一つである。
さらに驚くべきなのは、この巨大要塞の他にも、倉庫や兵舎、馬も天馬も飼える厩舎などの建物も立ち並んでいることだ。最早、ちょっとした町である。
「あの時は、アルザス戦の直後でしたからね。覚えてないのは、無理もないでしょう」
要塞の規模に驚いているのは俺だけで、フィオナは何の感動も浮かばないといった表情。むしろ、俺を気遣ってくれる分、要塞など気にも留めてない感じだ。
「あの時は世話をかけたよな……」
救助に来たスパーダ軍と合流して以降、完全に緊張の糸が切れた俺は、茫然自失の状態だったからな。気が付けば、猫の尻尾亭で寝ていたというような感覚。
これでも、リリィとフィオナの手前、心配はかけまいと表向きは空元気で普通にしていたつもりだったが……改めて思えば、当時のことはほとんど記憶にない。
ミアと出会って復活するまでの間、二人には世話になったし心配かけっぱなしだったしで、本当に謝罪と感謝の念が絶えない。
「大丈夫だよ、リリィ、もう負けないから!」
「ああ、そうだな。俺達は強くなった、使徒が来ても、今度こそ勝ってみせよう」
高まる戦意と必勝の誓いを胸に、俺はリリィを抱えてメリーから降りる。 ここから先は、馬を引いて指定の厩舎まで行く。
フィオナも軽やかにマリーから降り、手綱を引いて歩き始めている。掲げた看板にデカデカと『ガラハド飯店』と書かれた建物に向かって。
「おいフィオナ、そっちは食堂だぞ」
「分かってます」
「馬を連れたままじゃ入れないだろ」
「……分かってます」
いや絶対、分かってなかっただろ。何ちょっと拗ねた顔してんだよ。
施設が充実していると、誘惑も多い。特に戦場ではみんな餓えている。
しかし、到着したばかりで餓えているのはどうなんだろう。
「預けたら食事にするから」
「了解です」
スパーダの正規兵は食事が支給されるが、俺達にはない。全て自前である。
だからこそ、こうして普通の飲食店なんてのも建っているのだ。まぁ、普通に酒保商人と呼ばれる、軍隊を相手に商売する者もいるから、このテの店が皆無ってことはない。
特に鉄壁を誇るガラハド要塞は、絶対に突破されないという信頼も相まって、こうして城壁のすぐ近くに堂々と店を構えられるのだろう。あの如何にも娼館らしい三階建てなど、かなり年季が入っている。というか、こんな近くにあって大丈夫なのか、ああいう店は。別の意味で心配になる。
「それにしても、凄い人だな……リリィ、はぐれるなよ」
「はーい」と元気の良い返事でスイスイと人波を避けて歩くリリィの足取りは軽い。軽いというか、浮いている。『フェアリーダンスシューズ』は、やっぱりちょっと楽しそうだな。
この場には、すでにスパーダの主力が集結している上に新たに冒険者もやって来たのだ。人口密度はさらに上がっている。
ほとんどのスパーダ騎士はすでに砦の方へ詰めているものの、騎馬の多い第二隊『テンペスト』は屋外に天幕を張って駐留している。自分の馬は自分で世話するようだ。そうでもしないと、戦場で命を預けるパートナーにはなれないだろう。
ともかく、丸ごと一軍団の兵士と、冒険者の軍団とで、砦の外も人で溢れているのだ。勿論、俺達もテントを張っての野外生活となる――かと思ったが、宿をとることができた。運が良かったというより、ランク5の役得といった感じか。もっとも、田舎ギルドの客室とどっこいといったものだが。
そうして、どうにかこうにか人ごみをかき分け進んでいると、不意に頭上を大きな影が過って行った。
「おお、アレが竜騎士ってやつか」
見上げてみれば、緑の鱗を持つ飛竜が崖の上に設けられたヘリポートのような場所へ次々と降り立っている姿が見えた。どうやら、竜騎兵隊が駐留する専用の飛行場となっているようだ。
サラマンダーより二回りは小さいワイバーンだが、竜の系譜に連なる者としての力強さを、羽ばたく両翼から感じさせてくれる。
「あー、一匹だけ白いのがいるよー」
「本当だ、アイツが隊長なのかな」
純白の鱗が目に眩しい、何とも優美な外観の白竜が、最後に降り立っていった。真っ白い翼に逆巻く風がここまで届いたのか、そよ風が吹き抜けていく。
「白い飛竜とは珍しいですね。よほどの実力者か、よほどの金持ちじゃなければ乗れないですよ」
ちょっと白けた様子で、フィオナが言う。
「あそこに掲げられている旗、アヴァロン国旗ですね。だとすると、第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』でしょう」
フィオナの目線を追えば、たしかに崖の上にはためく青と白のカラーリングが特徴的な旗がある。描かれた紋章のモチーフは、剣と盾と竜。あまり馴染みはないが、ソレがアヴァロンの国旗であると、知識としては知っている。
だが、そこからどこそこの部隊だ、というところまでは分からない。
「詳しいな、フィオナ」
「授業で聞いただけです」
そういえば、何かの授業でやったような気がしないでもない。なぜなら、俺も第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』というフレーズにどこか聞き覚えがあるのだから。
どうやら、学業成績だけならフィオナの方が優秀なようだ。俺も高校じゃそれなりに成績は良い方だったが、一番ってワケでもなかったからな。やはりフィオナ、天才か。
「アヴァロンから多少は援軍が来るって話は聞いたが、なるほど、下手に人数を派遣するより、精鋭の竜騎士が来てくれた方がありがたいな」
アルザスでも見かけた天馬騎士をはじめ、空を飛べる騎士という存在は強力かつ希少な存在である。アヴァロンは大軍こそ送らないが、こうして虎の子の空中戦力を派遣してくれるのだから、それなりにスパーダを応援する気持ちが窺える。
「恐らく、今回は十字軍もかなりの空中戦力を投入してくると思います。一騎でも対抗できる兵が多いのは、確かにありがたいですね」
「リリィもいるよ!」
「いや、スパーダ軍とアヴァロン軍に任せても大丈夫だろ。俺達『エレメントマスター』は、今回こそ三人一緒に戦える」
あくまで、予定であるが。できれば、リリィがまた天馬騎士の相手をするような緊急事態とならないことを祈る。
「ラストローズ討伐では、全くお役にたてなかったので、今回こそ、活躍して見せますよ」
「リリィ、いっぱい頑張るから、クロノ、いっぱい褒めてね!」
「心強い言葉をありがとう。俺も頑張るよ、全身全霊で――」
十字軍を、血祭りにあげてやる。
さぁ、迎え撃つ準備は整った。後は、ヤツらが来るのを待つだけだ。
「――ああ、もう、日が暮れるんだな」
竜の飛影が横切る空は、いつの間にか赤く染まり始めていた。もうすぐ、このガラハド要塞も暮れなずむ夕日で赤に染まるだろう。
鮮血によってこの地が本当に赤く染まるのは、さて、あと何日後となるだろうか。
時が来るまで、俺は静かにここで待とう。
冥暗の月16日。早朝。
東の空から登り始めた朝日を背景に、一騎の天馬が悠然と飛んでいた。
眼下に広がるのは一面の銀世界。青々とした草原は今や分厚い雪の下、深緑の森も雪と氷で色を失っている。
飛来するペガサスの毛並みも、この雪景色に劣らぬ純白の艶を持つ。誰が見ても、美しいと口を揃えるだろう。
しかし、その背にまたがるのは、さらなる真白に身を染める者。白銀に煌めく絹糸のような長髪がなびき、身にまとう聖なる法衣は風にはためく。
如何なる汚れも穢れも一切許さないとばかりに、真っ白に透き通った肌の、一人の乙女である。
「……着いた」
溜息のように呟いた一言は、白い吐息の跡だけを残して宙に消えた。
少女は手綱を僅かに引いて、純白の騎馬へ命を伝える。主の意思を正確に汲んだ従順なる下僕は、美しくも逞しい白翼を羽ばたかせ、一気に高度を下げて行く。
降り行く先にあるのは、白い景色の中に黒々と浮かび上がる、大きく無骨な建築物。守るためではなく、攻めるためにこの地へ建てられたソレは、雪よりも冷たそうに見えた。
そうして、ペガサスに乗った彼女は降り立つ。
「――第七使徒サリエル卿、ようこそ、アルザス要塞へ!」
正門前に整然と立ち並び、出迎えの声を上げるのは、この要塞に詰める全兵士。白い装備は図らずとも雪上での保護色となっているが、五千もの人間が集団になっているのは中々に壮観である。
しかしながら、五千人の内にあっても、サリエルの小さな体は輝かんばかりの存在感を主張する。
十字軍総司令官、第七使徒サリエルが天より舞い降りる一幕は、正に降臨と呼ぶべき神々しさ。神の奇跡をその身に宿す美しき少女の姿に、兵の誰もがひれ伏しながら息を呑む。まだ幼い少年兵は目を輝かせ、妙齢の女騎士は嫉妬すら忘れて美貌に見入り、歴戦の将校はただ感嘆の息を吐く。
「……面を、上げなさい。状況の、報告を」
フワリと天の羽衣が舞うようにサリエルがペガサスから降り、自らの足で白い地面に一歩を踏み出した時になり、兵たちは魅了から解放され、己の職務をハっと思い出す。
やや慌てて駆け寄ってくる、煌びやかな白銀の鎧を身にまとった青年は、このアルザス要塞を預かる将で、ベルグント伯爵の甥っ子であると聞いていた。
「失礼致しました、サリエル閣下! 自分は、ベルグント伯爵連合軍、第八大隊を率いる――」
緊張の面持ちで紹介された名前は記憶には留めるものの、サリエルがその名を呼ぶことはないだろう。
自分がこの場に来たのは、真冬にも関わらず強行されたガラハド要塞攻略戦を見守るためである。総司令官の指揮権をふりかざして、余計な介入をするつもりはない。
「本隊は、すでに出陣したようですね」
「はっ、凍土の月24日に本隊はアルザス要塞より出陣いたしました。ご覧のとおり、街道は険しい山と風雪によって閉ざされておりますので、道を確保しながら進むのにいささか時間がかかってしまいました」
聞いてもいないのに、彼らがどのようにして雪道を切り開くと同時に、街道が再び雪で閉ざされぬよう保持しているのかを甥っ子将軍は懇切丁寧に説明してくれる。
使徒にケチをつけられたら大事だ。理解と納得を得るために彼も必死なのだろう。
もっとも、どんなにずさんな作戦計画であったとしても、サリエルは口を挟むことは決してないのだが。無口な彼女の意思など知りようもない彼は、懸命にも無為な説明を重ねつづけた。
「――ですので、ちょうど今日か明日あたり、叔父上、失礼、ベルグント将軍閣下はガラハド要塞への攻撃を始めるものと思われます」
長い説明を経て、ようやく結論が出たその時、サリエルはピタリと足を止めた。あまりに唐突に歩みを止めたものだから、青年は大きく踏み出した足を慌てて戻そうとして、たたらを踏んでいた。
ちょっと間抜けな彼の姿は、サリエルの真紅の瞳には映っていない。その赤い視線は、遥か遠く、晴れ渡った冬の青空の下に悠然とそびえるガラハドの山並みへと向けられている。
「……始まった」
何が、とは、誰も問いかけられなかった。しかし、そのつぶやきを聞けば、誰もが薄々と察することはできるだろう。
サリエルはそれ以上、言葉を続けることはなかった。彼女に説明の義務はない。自分が分かれば十分なのである。
使徒の持つ超感覚によって、今この瞬間、十字軍とスパーダ軍の戦いが始まったことを察知したのだった。
「用意は、しておきます」
「用意……ですか?」
今度こそ、彼は疑問をぶつけた。サリエルの台詞は、独り言ではなく明らかに自分へ向かって投げかけられたものだから。
「用意、です」
「は、はぁ……サリエル卿をもてなす準備は整っておりますし、すぐお休みになられたいのでしたら、部屋もご用意しておりますが……」
サリエルの言う「用意」とは一体何のことか、全く分からないとばかりに困惑顔で、彼はしどろもどろに正解を探るような物言い。ジっと真紅の眼差しを受け、緊張の汗が青年の顔に流れる。
「後でよいです」
無口な彼女は迷うことなく詳細説明を放棄して、行動に移った。
ちょうど潜り抜けたアルザス要塞の大きな城門を戻り、再び外へ。そこにいるのは、未だに直立不動で整列を崩さない十字軍兵士五千の姿。彼らの視線を一身に浴びながら、サリエルは呑気に散歩でもするかのように静かな足取りで、城壁に沿って歩き始める。
一体何処へ行こうというのか――そんな疑問を誰もが抱いたその時、サリエルは再び足を止めた。
新雪の降り積もる雪の地面を見つめる姿は、石化の魔眼によって石像にされたようにピクリとも動かない。
「あ、あの、サリエル卿……そこに、何か?」
たっぷり間をおいてから、謎の停止中のサリエルへ、ついに声をかけた。ゆっくりと振り向いたサリエルは、変わらず人形めいた無表情だが、はっきりと言葉を発した。
「ここに、魔法陣を描きます」
何の魔法で、何の為に。それはサリエルしか知らない。そして、彼女はきっと説明はしない。
故に、彼らにとって正しく「神のみぞ知る」という意味に等しい。
しかし、使徒が行うなら、そこに誤りはない。必ずや神意に沿った、必要な行動のはず。
ならばサリエルのソレは、きっと我らが十字軍を勝利に導くものである――そう、誰もが解釈しただろう。
だが、当の本人は思う。彼らの希望とは対極にある「できれば、使いたくない」という本音を。
これから描く魔法陣。それがもたらす魔法の効果を使うその時がくるとすれば、恐らく――
次回で、第21章は最終回となります。開戦、と銘打っておきながら、長い準備回でした。
それでは、次回こそついに開戦、ですので、どうぞお楽しみに!