第410話 グラディエイター
集合場所はスパーダ大正門前、とギルドで告知されていた。緊急クエストを受注し、晴れてスパーダ軍第四隊『グラディエイター』の一員となった者は、まずここに集まり、簡単な説明の後、ガラハド要塞目指して出発となる。
スパーダの表玄関である大正門は、大通りを真っ直ぐに下って行けば辿り着く一本道。ネルでも迷わない安心な道順である。
しかしながら、今朝の交通状況は中々の混雑ぶり。スパーダ大通り方面は一部通行止めです、なんてカーラジオ風の音声案内が頭に響く。というか、ヒツギだった。
ともかく、そんな渋滞一歩手前みたいな状況になっているのは、現在スパーダにいるほとんど全ての冒険者が同じ大正門目指して集まりつつあるからだ。通りに出た時から、すでに各々の武装を整えた冒険者の集団が、徒歩だったり馬に乗ったりして行進している。中には、幾つかのパーティを乗せた大型馬車や、大量の物資を搭載した貨物竜車の大きな車体もちらほら混じる。おまけに、戦場へ向かう冒険者を見送るスパーダ国民も集まっており、道の左右を占有していた。凱旋パレードほどではないが、それに近い盛況ぶり。
そうして俺達もすぐに列を成す冒険者集団の仲間入りを果たす。流石にメリーの巨躯とオーラは目立つのか、冒険者にも群集にもチラチラと注目され、ヒソヒソと内緒話をされている。気にはなるが、仕方がないと割り切っている。
「おお、凄い集まってるな」
大正門の前は、闘技場が丸ごと建てられるほど大きな広場となっているのだが、今は大勢の人でごった返している。そこへさらに、現在進行形で続々と冒険者が到着してくるのだから、人口密度は増加の一途。薄ら雪が積もる冬の季節でありながら、この場は真夏の甲子園球場か東京ビックサイトみたいな熱気を感じる。
「ここまで冒険者が集まっているのは、初めて見ますね」
隣で轡を並べるフィオナが、台詞とは裏腹にぼんやりと興味のなさそうな目で広場を見渡している。馬上にある分、視界が高いのでよく見えた。
「それだけ危機意識が高いってことか」
「いえ、勝ち戦に乗りたいだけでしょう」
最近フィオナには、期待を砕かれてばかりな気がするが、果たして気のせいだろうか。
しかしながら、言われてみれば納得である。
「他の国からも冒険者がわざわざ参加するのも多いって聞いたけど、そういうことか……」
真に救国の志があるのなら、とっくに騎士団へ入団しているだろう。冒険者は報酬があって初めて動く。傭兵と大差はない、というより、この両者の区別はほとんどないといってもいいだろう。
はっきり傭兵と呼べるのは、傭兵団と名のつく組織に所属する者くらいだ。
「スパーダはこれまで四度ダイダロスの侵攻を退けていますので、誰もが今回も勝てると思っているでしょうから」
スパーダとダイダロスで起こった争い、ガラハド戦争と呼ばれる戦いの始まりは、レオンハルト陛下の祖父、つまり先々代の第50代スパーダ国王の時代まで遡る。
最初の戦いである第一次ガラハド戦争は、50代目が息子に王位を譲る直前の、老齢の時に起こったという。侵攻そのものはかろうじて防いだものの、この戦いでガーヴィナルより受けた傷により、50代目は亡くなった。
続く51代目の時に、第二次と第三次ガラハド戦争が起こる。俺も最近知ったのだが、この先代国王は悪政を敷く典型的な暴君という評価であるらしい。神学校も相当ヤバい荒れ方をしていたとか。しかしながら、この二度に渡りスパーダをダイダロスの魔の手から守り切った実績だけは、今も賞賛すべき偉業として語られる。
ただ、当代のレオンハルト陛下が、まだ13歳の王子だった頃に参加した第三次ガラハド戦争は、彼の活躍こそが一番の語り草となっているらしいが。
そして、十年ほど前に起こったのが第四次ガラハド戦争。王となったレオンハルト陛下が、黒竜王ガーヴィナルと一騎打ちの末に撃退したという伝説の戦いだ。先代の悪政から地道に国を建てなおしつつあった実績と、さらに防衛戦争における大戦果。二つが重なり、レオンハルト陛下は今もスパーダ国民から熱烈な支持を受け続けている。
「相手がダイダロスだろうが十字軍だろうが、スパーダ軍の強さは変わらないからな。そりゃあ期待もするだろう」
さらに、これまでの戦争でしっかりと報酬が支払われたという実績もインセンティブの一つとなっているだろう。
スパーダは同盟関係にある都市国家群において、ダイダロスの侵略を防ぐ盾としての役目を務める代わりに、同盟各国から多大な援助を受け取っている。雇った冒険者達に気前よく報酬を弾んでも、スパーダの懐は痛まない。
ただその分、他国から直接的な戦力の応援はほとんど望めないようだが。精々、隣国のファーレンとアヴァロンから騎士団の一部隊が駆けつける程度だという。
まぁ、あんまり各国から集まりすぎたら指揮も混乱するし連携も不安と、色々問題あるだろうからな。何より、今までそれで上手くやってきたのだから、一つの体制として確立しており、今回の有事にも素早く対応できるというわけだ。すでに、それなりの金銭と物資がスパーダに集まりつつあるとウィルから聞いた。
「ねぇークロノー、すっごいキラキラしたのがいるよー」
真面目に戦争の状況について思いを巡らせていたところを、リリィのあどけない声で遮られる。
小さな人差し指が示す先には、この人ごみの中でも一際目立つ煌びやかな一団が見えた。古代ローマ兵のようなプレートアーマーは、金を基調として色鮮やかな装飾がされて何とも派手である。しかし、そこには確かな実用性と魔法の効果が秘められていることが、この距離からでも分かった。第六感が、微弱ながらも数々の魔力を察知してくれる。
そんな良い装備に身を包むのは、筋骨隆々の男達、いや、冒険者なら体格のよい男なのは当たり前なのだが、その中でも特に目を引く見事な肉体を誇っているのだ。腕や脚、あるいは肩や胸、腹なども一部露出しているようなデザインの鎧もあるお蔭で、その筋肉美が惜しげなく晒されている。
「なるほど、アレがプロ剣闘士ってヤツか」
実際に見たのは初めてだが、間違いないだろう。豪華な装備はスターとしての見た目に相応しく、それでいて、ただ歩く姿も堂々としていて隙がないのは、戦いのエキスパートであることを示している。
何より、彼らが歩む先では冒険者の誰もが道を譲り、見事に人垣が割れていく。俺も祝勝パーティで経験した、アレである。
「何か一人だけ、こっちに向かってきてませんか?」
胡乱な目つきでフィオナが言った通り、剣闘士集団から離脱して真っ直ぐこちらに向かって接近してくる人影が一つ。何でだ、というか誰だ、と疑問に思う間もなく、人の割れた道が俺達の目の前まで繋がった。
「やぁ、おはよう。君達が『エレメントマスター』で間違いないよね?」
堂々と現れた一人の男が、爽やかな笑顔を浮かべて声をかけてきた。
「……そうですけど」
ソイツは、とんでもない美形だった。
ゆるやかなウェーブを描く金髪は肩口に届くほど長く、柔和な青い目に泣き黒子が印象的な白皙の美貌。男のくせに、髪はリリィみたいに艶やかで繊細なプラチナブロンドだし、サファイアの澄んだ瞳はネルのような輝きを宿している。
とろけるような甘いマスクには、魅了が宿っていると断言できる。俺も一瞬だけ、目を奪われた。
そんな美貌を誇っていながら、その首の下は鍛え上げられた筋肉の鎧をまとっている。傷痕どころか染み一つない白い肌は、不気味なほどに綺麗で、人というより彫刻像が動いているような印象だ。白い筋肉美を飾りたてる黄金のプレートメイルと真紅のマント姿は、正に芸術品。
「初めまして、僕はファルキウス。剣闘士団『スターライトスパーダ』の筆頭剣闘士を務めている――んだけど、その顔を見ると、僕のことは全く知らないようだね」
あはは、と苦笑を浮かべる様も、何とも絵になっている。おまけに、赤い唇から紡がれる声も麗しいテノールボイス。この顔と声で愛を囁かれたら、スパーダの女性は一発で落ちるだろう。
「いえ、その名前には聞き覚えがあります。確か、スパーダで一番人気の剣闘士ですよね」
スパーダに住んでいれば、剣闘の話題は自然と耳に入る。この国における剣闘ってのは、日本でいうプロ野球とサッカーとアイドルを一つに合わせたくらいに圧倒的な人気を誇っているのだから。
そんなスパーダ剣闘界のトップに君臨する選手の名前くらいは、いくら俺でも聞いたことはあった。勿論、顔までは知らなかったが、こうして本人を前にすれば納得せざるをえない。
ともかく、このファルキウスさんからは特に敵意のようなものは感じられない。とりあえず、馬から降りて俺も挨拶の一つでもしよう。
「『エレメントマスター』のクロノです。それで、貴方のようなスター選手が、俺達に何の用でしょうか?」
「ふふ、そんなに固くならないでほしいな。今は君の方が有名なくらいじゃないか、イスキアの英雄さん」
泣きじゃくる赤ん坊でも一発で泣きやむんじゃないかというほどの穏やかな笑顔を浮かべながら、ファルキウスさんが俺の肩に気安く手を置いた。
悪魔のローブ越しでも、その掌が本当に剣を握ったことがあるのか疑わしいほどに柔らかな感触が伝わる。
「ランク5冒険者と筆頭剣士、どちらが上ということもないだろう。敬語は必要ないし、僕のことは、気軽にファルって呼んでほしいな」
いや、それはちょっと……ここは少し妥協させてもらおう。
「ありがとう、ファルキウス」
「ふふ、今はそれでもいいかな。それじゃあ、僕はクロノ君と呼ばせてもらうよ」
屈託のない笑みで、真っ直ぐに俺の目を見つめてくるファルキウス。全くドキっとしない辺り、俺はノーマルなのだと安心できる。
「ああ、それで、こうしてやって来たのは、本当にただの挨拶さ。これから共に戦う『グラディエイター』の仲間としてね」
なるほど、特に裏はないようだ。
そう納得しかけたのだが、ファルキウスは俺の肩から手を離すどころか、そのままスルリと腕を滑り込ませて何とも自然に肩を組む姿勢に変わっていた。一瞬の早業、コイツ、手慣れてやがる。
「でもね、黒き悪夢の狂戦士なんて恐ろしげな二つ名を持つ君のことは、前から気になっていたんだ。悪魔のような男だと、噂では聞いていたけれど――」
ほとんど体が密着状態。俺よりほんの数センチだけ低いくらいの高身長だから、顔も近い。ついでに、仄かに花のような甘い香りも漂ってくる。お上品な香水の匂いだ。
「驚いたよ、こんなに綺麗な男だったなんて。特に、この黒髪。アヴァロン王族よりも黒くて、暗くて、でも艶やかで、羨ましくなるほどに、魅力的だよ」
ファルキウスの空いている方の手が、俺の毛先を優しく撫でた。
思わず飛び退く。
「少し、離れてくれないか」
「初心なんだね。そういうところも、可愛いよ」
背筋がゾっとした。割と本気で。
脳裏によぎったのは、いつだったか、街中で姉貴がチャラい男にナンパされているところに遭遇したシーン。軽薄な美辞麗句を並べ立てるチャラ男を、心の底から軽蔑した眼差しを向ける姉の姿が印象的だった。
まぁ、あの場は俺が一声かけると、チャラ男は「すんません、今マジでこれしかないんで勘弁してください」と、財布の中から二千円札を投げ捨てて遁走していき、事なきを得たのだが。
軟派なナンパ男を一発で退散させる強面の俺が、まさか口説かれる側になるとは……異世界って、こんなに恐ろしい場所だったのか。
「ははは、ただの冗談さ。けど、少し馴れ馴れしすぎたかな、ごめんね」
一歩後ずさりながらも余裕の微笑みで謝るファルキウス。だが、その青い目が結構マジに見えるのは、俺の気のせいだろうか。気のせいだと信じたい。
「ところで、そちらの可愛らしい妖精のお嬢さんが、僕のことを睨みながらピカピカ光っているのは、どうしてかな?」
振り返り見れば、メリーの鞍の上で仁王立ちになって「うぅー」と威嚇しているリリィの姿が。
「クロノ、この人も危ないよ! 近づいちゃダメ!」
それには全く同感である。
しかしながら、あまり邪見にするわけにもいかないビッグネームでもある。それなりに仲良くしておきたいところだ。あくまでも、適度に距離を置いて。近づきすぎると怖い。
「すまん、ちょっと警戒しているだけだから」
「気にしてないよ、悪いのは僕だからね」
やはり爽やかに笑いながら、ファルキウスはメリーの元まで歩み寄り、睨みつけるリリィへと手を差し出した。
「すまなかったね、可愛い妖精さん。僕はファルキウス、よろしくね」
「リリィなの。クロノに触っちゃメっ! だからね!」
釘を刺しつつ、リリィは差し出されたファルキウスの白い指先を握って握手した。
「女性の嫉妬ほど怖いものはないからね、心得たよ」
何とか無事にリリィと自己紹介を交わした彼は、次に隣に控えるフィオナへ視線を移す。
「私のことはお構いなく」
そう言って小さくノーと手をふるフィオナ。これほどの美男を前にしても、興味の欠片もないとばかりの態度だ。
「魔女のお嬢さんは、クールなんだね」
いえ、ただの天然です。
肩をすくめる、というリアクションさえバッチリ決めてみせるファルキウスに、俺は心の中でそう突っ込んでおいた。
「それにしても、面白い面子のパーティだよね。僕は生粋の剣闘士だけど、冒険者ともそれなりに交流はあるんだ。君達は始めて見る構成だよ」
呪いの武器を使う黒魔法使いと、魔女と妖精だからな。俺だって同じ構成パーティなんて見たことない。まぁ、呪いの武器を使うヤツは少数だが一定数いるし、魔女も格好だけなら誰でもできる。だが、リリィのような半人半魔の妖精はそうそう見つからないだろう。
「戦ったら面白そうだけど、無理に舞台へは誘わないよ」
どこぞの金髪剣士のように戦闘狂ってわけではないようだ。ちょっと一安心である。
「ああ、でもそういえば、クロノ君だけは、上がったことがあるんだよね。それも、大闘技場のアリーナに」
「知ってたのか」
「見事なファイトだったようだね。君のお蔭で、僕のファンが少し減ったよ」
全く嫌味を感じさせない笑顔は、本当に気にしていないのだろう。冗談一つとっても、いちいち様になる。
「そうだ、良かったら今度選手として招待するよ。一度は舞台に上がったのだから、その気がないってわけじゃあ――」
「いや、遠慮させてもらう」
呪いの武器が欲しいだけだったからな。正直、強敵と戦いたいわけでも、人気が欲しいわけでもないからな。剣闘の舞台に上がるには、あまりに危険すぎる。
「残念、是非お手合わせ願いたかったんだけど。君となら絶対に良いファイトができる、そう確信している」
気が付けば、またファルキウスの立ち位置が近かった。ええい、その麗しい目で見つめるな。
「すまないが、俺には全くその気はないからな」
「ふふ、分かっているよ。でもせめて、一度くらいは僕の舞台を見に来てほしいかな。この戦いが終わったら、招待するよ」
「それなら、喜んで招かれるよ」
さりげなく半歩下がって距離をとりつつ、安心できるパーソナルスペースを確保。本当に親しくするつもりでやっているならファルキウスには悪いが、やはり今のところ油断できないからな。
「まぁ、今は終わった後のことより、これから始まる戦いについて考えるべきなのかな。もうそろそろ、アイクから作戦説明が始まると思うし」
おお、いよいよか。ちらりと周囲を見渡してみれば、大正門の門前に赤い鎧のスパーダ騎士が集まっているのが確認できた。
「アイクって人が『グラディエイター』の隊長なのか?」
「失礼、アイクは愛称さ。本名はアイゼンハルト、スパーダの第一王子だね」
アイゼンハルト第一王子、その名前だけは知っている。一応、姿も勲章授与式の時にちらりと見た。
レオンハルト陛下をそのまま若返らせたような、まさに息子って感じだった。本当にウィルと血が繋がっているのか疑わしいほどに逞しい青年だったな。
「愛称で呼ぶってことは、仲良いのか?」
「君とウィルハルト王子みたいな関係、と言えばいいかな」
魂の盟友なんですね、分かります。見た目にも、二人の年齢は近い様に思えるから、同じ神学校に通う生徒同士だった可能性は高い。あそこなら、王族と友誼を結べる機会があるから、不自然ではない。
「それじゃあ、僕はこれで。他にも顔を見せておきたい人もいるからね」
「そうか、それじゃあな。武運を祈る」
「こちらこそ。戦場ではグラディエイターの名に恥じない、本物の剣闘士の強さを披露させてもらうよ」
そうして、また人垣を割って颯爽とファルキウスは去って行った。神学校の幹部候補生のものより広めの赤マントが翻る背中を見送って、ちょっと安心する。
表向きは友好的に話が進んだが、やっぱりちょっとアレなんじゃないのかと悪い意味でドキっとさせられたからな。
「はぁ、嫌な緊張感を味わったぞ……」
「綺麗、とか言われてましたよね。嬉しくはなかったんですか?」
「男に言われると怖いぞ。ああいうのは冗談でも勘弁してほしいな」
というかフィオナ、思い出させるな。
まぁ、別にこれからファルキウスとパーティを組むってワケでもないし、大丈夫だろう。綺麗だとか招待云々とか、全て彼なりの社交辞令だろうし。
「それより、もうすぐ作戦説明が始まるみたいだし、馬から降りておいた方がいいんじゃないか」
「それもそうですね」
「はーい」
そうして、俺達はもう少しの間だけ、人ごみの中で待機しているのだった。勿論、ファルキウスに続いて、俺達に声をかけてくる者は皆無だったが。
それはそれで、ちょっと寂しかった。
2014年1月3日
あけまして、おめでとうございます!
黒の魔王は、連載開始が2011年ですので、何と今年で3年目。早いものですね。そろそろクロノにも、使徒の一人くらいは倒して欲しいところですが・・・今年こそ、きっと何とかなるでしょう!
それでは、今年も黒の魔王とヤンデレを、よろしくお願いします!