第405話 スパーダ家の事情
「おかえりなさい、シャル」
王命による謹慎が解除され、一ヶ月ぶりに復学を果たしたスパーダの第三王女を、ネルは聖女の微笑みで歓迎した。
「きゃぁー! ネル、久しぶりぃー!!」
ご主人様と久しぶりに出会えた忠犬のような勢いで、シャルロットはネルの大きな胸へと飛び込んだ。自分にはない、豊かな実りの双丘へ。
「っていうかネル、普通に元気になってない!? ううん、むしろ前より成長した、みたいな?」
その成長を確かめるかのように、目の前にある乳を揉み揉み。デカい。シャルロットの小さな手では掴み切れない大物だ。まだ育つのかコイツめ、ぐぬぬ……という感想もなくはないが、シャルの言う成長とは、ネル本人から漂うやや大人びた雰囲気のことを指している。
シャルロットが最後にネルを見たのは、酷い落ち込みようで激しく情緒不安定だった姿だが、今や見違えるようだった。
「ええ、私はもう元気ですよ。あの時は心配をかけて、ごめんなさい」
「ううん、元気になったならそれでいいわよ! 私、分かってるから。イスキアの戦いが、ネルを冒険者として一回り大きく成長させたんだって」
うん、まぁ、大体そんな感じ、というニュアンスの肯定を、ネルは返した。
どういう心境の変化を遂げたのかは、ネルだけの秘密。ついでに、ブラのサイズが一回り大きくなったことも、秘密である。
「おかえりシャル。貴女は相変わらずね。お尻はちょっと育ったみたいだけど」
「そこはヤメてーっ!!」
何気ないごく自然な動作で、シャルの尻を撫でるというセクハラ、もとい、女の子同士のスキンシップをサフィールは実行した。
対するシャルは、飛び上がらんばかりの劇的なリアクション。その反応が見たかった、とばかりに眼鏡の奥の『紫晶眼』が妖しく煌めく。
「国王陛下の攻めは激しかったでしょう?」
「思い出させないで! 死ぬかと思ったんだから!!」
それは肉体的にも、精神的にも、である。
剣王と讃えられるスパーダ最強の武人から放たれる一撃は、痛い。とても痛い。それでいて、ギリギリで耐えられる痛み。
仕置きであるが故の、生かさず殺さず。絶妙な力加減である。パンパン。
「くっ、ぐぬぬ……ホントに死にたくなるくらい……痛いし、恥ずかしいし……なんで途中ちょっとリズミカルに叩いてるのよ……」
再教育期間中に放たれた、述べ7010発ものケツ叩きによるトラウマが、色鮮やかに脳裡に蘇っているのだろう。シャルは涙目で、ちょっと震えている。
その姿も見たかったのだろう。サフィールの目が光る。
「まぁ、無事に帰って来たんだからいいじゃねーかよ!」
「全然無事じゃないわよ、バカーっ!」
ヘラヘラ笑いながら適当な言葉をかけるカイに、シャルロットは御立腹の様子。カイは怒られ慣れているから、ちょっとばかりお仕置き喰らってもケロっとしていられるのだ。一緒にするなと、声を大にして言いたいところである。
だが、もっと不満なのは、もう一人の方だ。
「ちょっとネロ! 久しぶりに私が帰って来たんだから、もっと嬉しいとか喜ぶとか、色々あるでしょ! なんでちょっと不満そうな顔してんのよっ!!」
「決まってんだろ、お前のせいで緊急クエスト受けることになっちまったんだからな」
やれやれ、といつもの気だるげな態度でネロはそう返す。
それは実に見慣れた姿だが、今のシャルロットとしては、不満を覚える反応のようであった。少しは乙女心ってものを考えたらどうだ。そんな文句が聞こえてきそうだが、なんとか喉元で飲み込んだようだ。
「なによ、ネロだってその気がないわけじゃないでしょ?」
「いいや、俺は完璧に反対だ。ヤル気もねぇよ。けど――」
五人目のメンバーであるシャルロットが、緊急クエスト受注の是非を廻る多数決に参加したことで状況は一変。ここにはっきりと、決はとられた。
「決まっちまったもんは仕方ねぇ。戦争、やってやろうじゃねぇか」
ネロ、サフィールの反対二票、ネル、カイ、そしてシャルロットの賛成三票により、緊急クエスト『スパーダ軍第四隊『グラディエイター』隊員募集』の受注が決まった。
「いよっしゃー! 俺はやるぜぇーっ!!」
喜びの雄たけびをあげる気楽な友人の姿を横目にしながら、ネロは今更ながら問う。
「けどよ、謹慎解除早々に、こんな勝手してもいいのか?」
シャルロットは冒険者である以前に、お姫様である。当然、エルロード兄妹と同じく、個人の勝手な判断で戦場へ赴くことが許されるはずもない。
「大丈夫よ、お父様だって似たようなことしてるし」
レオンハルトがまだ第二王子の身分だった頃、父王の許しなく戦場に出たことがある。一度ではなく、二度。前科二犯。反省の余地なしだ。
一度目は、竜王ガーヴィナル率いるダイダロス軍が攻め込んできた、第二次ガラハド侵攻。当時、十三歳の時である。王立スパーダ神学校への入学式をすっぽかしてガラハド要塞に走ったのだった。
二度目は、大陸南部の獣人部族が連合を組み、隣国ファーレンへ攻め寄せてきた時の戦い。自国どころか、他国の戦争へ冒険者の身分を利用してわざわざ参加したのだ。当時は十八歳。今度は卒業式をすっぽかした。
そんな彼も今や、スパーダを治める立派な国王となっている。随分と丸くなったと、自他ともに認めるだろう。
「それに、お仕置きが怖くて、冒険者なんてやってられないわよ!」
ああ、コイツは何も変わってないな、とネロだけでなくメンバー一同は感想を抱いたに違いない。
「でもね、私だって色々と考えたわよ。お父様のお仕置きは、流石に骨身に沁みたしね」
「沁みるのはお尻でしょ?」
「サフィはちょっと黙ってて!」
しかしながら、彼女も彼女なりに考えがあることを、ちょっと頬を赤らめながらも表明する。
「お父様はきっと、私を試しているのよ」
それは単純に、イスキアの件を反省しているかどうか、という意味ではない。
「もし私がここで大人しくしてたら……多分、もう一生、そのままになる」
決して、悪い意味ではないだろう。それはむしろ、一国の王女に求められるべき従順さ、貞淑さ、である。
「私はね、ただお淑やかなお姫様になんて、なりたくない。都合の良い政略結婚の道具なんて、絶対に御免だわ!」
シャルロットは第三王女。つまり、上には第一と第二、二人の姉が存在している。
だが、二人とも今はスパーダにはいない。上の姉はファーレン、下の姉はル-ンだ。
シャルロットが家族の中で最も尊敬しているのは、父親を抜かせば、上の姉、第一王女である。憧れ、と呼ぶべきだろうか。
彼女は強かった。恐らく、今の自分と同じ年齢であっても、とても敵わない。片手で軽々と大剣を振り回す第一王女は、父レオンハルトの少年時代を彷彿とさせる。
だが、何より激しいのはその気性。口より先に手が出る。しかし、義理堅く人情も厚い、女だてらに豪放磊落な性格は、多くの人々から愛された。
己の意志を貫き通す強い姉の姿に、幼いシャルロットは憧れた。その結果が現在の性格。だが自分のワガママなど、当時の彼女に比べれば可愛いものだろう。
しかし、そんな姉も結婚を機に変わってしまった。
相手は隣国ファーレンの王子。無論、種族はダークエルフ。
決して、他種族を差別しているわけではない。あくまで国同士で取り決められた典型的な政略結婚に、姉は大いに反抗したのだ。別に当時の彼女に恋人がいたわけではないが、自らの意志を無視して物事が決まることを、何よりも嫌うのである。結婚、という人生の一大イベントであるなら尚更。
まだ会ったこともない男との婚約を聞いた姉は、愛剣を片手に、父レオンハルトの元へ殴りこんだ。時刻は平日昼間、王は職務の真っ最中。
だが、彼女が玉座の間へ踏み込んだその時、レオンハルトはスパーダ国王のみが使うことを許される国宝の王剣を手に、静かに座って待っていたという。
玉座の間で始まった父と娘の決闘は、スパーダの歴史の一つとして刻み込まれることとなった。
勝敗の結果は、第一王女が予定通りファーレンへ嫁いでいった現状を鑑みれば、わざわざ語るまでもないだろう。決闘に敗れたのだから、勝者の言うことには従う。生粋のスパーダ人気質な彼女は、文句一つつけることはない。
だが、シャルロットは姉の心中を、その無念を思うと、今でも涙が出そうになる。
特に、結婚式の当日に見せた、あのあまりに晴れやかな笑顔など、とても直視できるものではなかった。
結婚相手の王子様は、どう見ても姉が認めるだろう強い力をもつ逞しい男ではない。少女と見まがうほど華奢な体と容姿の、何とも女々しい少年である。
あんな貧弱男の妻に、あの強い姉が……しかも、今こそ人生の絶頂とばかりに喜び、舞い上がるという、あまりに惨めな演技を結婚式では散々に見せつけられ、幼いシャルロットの心は叩きのめされた。
その演技は、スパーダとファーレンの友好のために、今も続いている。年に一度の里帰りでは、いつもスパーダワインを片手に惚気話を語って聞かせるのだ。特に長男アイゼンハルトと次男ウィルハルトの弟コンビは首根っこを掴まれ、強制的に徹夜コース。
家族の前では心配かけまいと、昔と変わらぬ態度でいることが、かえってシャルロットにとっては物悲しくてならない。
自分もいつか、ああなるのか。いいや、絶対になってやるもんかと。
その決意を抱いたのは、どうやら下の姉、第二王女も同じであったようだ。
彼女は上の姉と違い、大人しい少女だった。ウィルハルトと同様に、武技にも魔法にも才能はなかったが故、ひたすらに一国の王女として求められるがままに学問、教養、礼儀作法を学んでいった。
シャルロットは、下の姉が苦手である。あまりに物静かな彼女と、何を話していいか分からない。事実、ほとんど話した記憶もない。王城の書庫で静かに本を読みふけっているイメージだけ。
そんな彼女は当然、姉と違って大人しく余所へ嫁いでいくのだろう――と、思われた。
スパーダの第二王女、ルーンの下級貴族と駆け落ち!? 当時の広報誌の一面が飾ったタイトルである。ガセでも誤報でもなく、真実だった。
この事件を目の当たりにして、シャルロットは初めて、苦手だった彼女のことを理解できた気がした。
下の姉は、愛する人と結ばれたかっただけなのだ。同じく、すでにして思い人のいるシャルロットとしては、その気持ちが痛いほど分かった。
己の愛を貫いた彼女を、上の姉とはまた違った意味で、シャルロットは尊敬している。
幸いにも、レオンハルトはこれをあまり糾弾せず、半ば黙認という形で、駆け落ち事件は決着がついた。下の姉もまた、たまに里帰りしては、惚気話を披露してくれる。
そんな結末の異なる二人の姉の姿を見てきたシャルロットの心は、すでに決まっている。
自分は上の姉のように強くありがらも、下の姉と同じく愛する人と結ばれる。そんな、最高の幸せを手に入れてみせると。
「だから、私はもっと強くなるのよ! この戦争で武勲を挙げて、今度こそ、お父様に認めさせるの、私の力を!」
スパーダの第一・第二王女の事情と、それによってシャルロットが抱く覚悟を、ネロとネルは知っている。それどころか、当時は子供ながらに相談し、励まし合った結果、育まれた心意気だ。
この言葉を、シャルロットがただのワガママや気まぐれで言っているだけではないと、幼馴染なら理解できる。
「まぁ、そう気張るなよシャル。俺達はパーティだ、いつも通り適当にやれば、それで上手くいく。無茶する必要はねぇからな」
「ん……ありがと、ネロ」
少々ヤル気を感じさせない言葉だが、その気持ちはシャルロットへ伝わったようだ。また少し、彼女の頬は上気した。
「それじゃあ、決まったからには準備を始めないといけないわね」
今すぐにでも、とばかりにサフィールは席を立つ。事実、屍霊術は他のクラスよりも事前準備が多い。武器一本を手入れするより、僕一体をメンテナンスする方が遥かに手間はかかる。そんなものを何十、何百と行使するのだから。
「へへっ、俺も黙ってられねェな……よーし、クロノでも探して相手んなってもらうかな!」
「今度は腹パン一発で負けるような無様は晒さないことね」
「ったりめぇよ! 今度は耐えてみせるぜ!」
「喰らうこと前提とか、ホントに頭悪すぎ」
そんなやり取りをしながら、サフィールとカイは食堂を去って行った。
「それじゃあ、俺もさっさとギルドで受注すませてくるか」
「ふふん、私もついていってあげるわよ」
「いや、別にいい」
冷たくあしらうネロに悪気はない。だが、シャルロットはあからさまに表情を曇らせる。ネロにはその変化が、ちょうど視界に入っていなかった。
「お兄様、シャルと一緒に行ってあげてください。久しぶりですから、色々とお話したいんですよ」
「ちょ、ちょっとネル!?」
「はぁ、そうなのか?」
「べっ、べ、別にそんなんじゃないし! 寂しかったとかそんな、変な勘違いしないでよね!?」
「あー、まぁ、シャルがいない間にクエスト四つもこなしたし、その辺の話はしとかねぇとな」
「そ、そうそう、そういう事が聞きたかったのよ! それだけなんだから!」
誰に対する言い訳なのか、テンパったシャルロットと、そんな様子を気にも留めないネロの二人は、なんだかんだで仲良く並んで席を後にした。
「お兄様ったら、本当に鈍いんですから。シャルも苦労しますね」
そんな独り言を漏らしながら、最後に残ったネルも席を立つ。
テーブルには四人分の食器が残されているが、自ら配膳する必要はない。そんなものは、給仕の仕事である。
故に、もう何も気にすることなどなく立ち上がった、その時である。
「こんにちは、お姫さま」
背後からかけられた声は、どこか聞き覚えがある。あるのだが、記憶にある声音とイマイチ、一致しない。
そう、ネルが覚えているこの声の持ち主は、もっと幼く、舌足らずな口調であったのだから。
「……リリィ、さん?」
振り返り見れば、そこに立つのは因縁の妖精。自分をたった一睨みで絶望のどん底へ叩き落としてみせた、魔性の女である。
「ちょっと話があるのだけれど、時間、いいかしら?」
その姿こそ、神学校ではすっかり有名になった愛らしい子供である。だが、いつもの純真無垢といった幼い雰囲気はまるで感じられない。
やはり、普段のわざとらしいほどに子供っぽい振る舞いは、演技であったのか。ネルは確信する。そうだ、これこそ、彼女の本性なのだと。
「ええ、分かりました。お付き合いいたします」
返事はいつもと変わらぬ言葉づかいだが、ネルは自分でも分かるほど表情が凍りついていくのを感じた。
恐怖ではない。あの時とは、もう違う。これは強敵を前に臨戦態勢をとる、一流冒険者が持つ緊張感である。
「そう、ありがとう」
妖しく輝くエメラルドグルーンの瞳と、冷たく氷れるアイスブルーの瞳。二つの視線が静かに交差する。
「場所を変えましょうか。二人だけで話せるほうが、良いのでしょう?」
「ええ、心当たりがあるなら、案内をお願いしようかしら」
そうして、アヴァロンのお姫さまと幸せの妖精さんは、仲良く二人で連れ立って、食堂を出て行く。
ネルは命を賭けた決闘に挑む覚悟を秘めて、本性を現したリリィの誘いに、乗ったのだった。
リリィが、しょうぶをしかけてきた!