第395話 雪山ガールズトーク
クロノをテントに寝かせ、粉雪の舞う真夜中の外へ出たリリィとフィオナは、燃え盛るたき火の前で座り込む。
ちょうどよく倒木があり、フィオナは上品に腰かけ、リリィはピョンと飛び乗るように座った。
「夢、見たでしょ」
仲良し姉妹のように、身を寄せ合って座っているが、リリィの口をついてでた言葉は、少しばかり刺々しさを感じられる。敵意、というよりも、まるで役立たずという大失態を演じた自分に苛立っているようだ。
「ええ、お蔭ですっかり、寝過ごしてしまいましたよ」
答えるフィオナはいつものぼんやりした無表情だが、どこか自虐めいたニュアンスが含まれている。
「そうね、良い様にハマってしまうほど、素敵な夢を見れたものね」
はぁ、と小さく白い溜息を吐くリリィ。無言のフィオナ。
少しばかりの静寂が過ぎ去ってから、またポツリとリリィが呟いた。
「ねぇ……どんな夢だった?」
「……すみません、と先に謝っておきます」
どこかバツの悪そうにフィオナが言う。表情を見せたくなかったのか、咄嗟に帽子で顔を隠そう――としたが、その時にいつもの三角帽子を被ってないことに気づいたようだ。
「何で謝るのよ」
「リリィさんが死んだことになっていたので」
「はぁ!?」
包み隠さず打ち明けられた酷い夢の設定に、リリィは驚愕の表情と叫びをあげながら、俄かに立ち上がる。
「だから、先に謝ったじゃないですか」
「そういう問題じゃないでしょ! 何よ、何で死んでるのよ私!? いくらなんでもソレは酷すぎるんじゃないの?」
「では、そういうリリィさんこそ、夢の中で私はどうなってたんですか?」
「そ、それは……」
明らかにキョドるリリィ。だが、すぐに彼女も意を決したようで、正直に打ち明けた。
「私とクロノの結婚を、おめでとう、と祝福してくれたわよ」
「いっそ殺してくださいよ、そんなこと言わせるくらいなら」
口を尖らせるフィオナだった。
「いいじゃない、ちゃんとランク5冒険者っていうことになってたし。私とクロノなんてまだランク2だったのよ」
「ちょっと待ってください、もしかして私、ソロってことになってます?」
「当たり前でしょ?」
開き直ったとばかりに、リリィはニッコリ素敵な妖精スマイルで答える。
「エレメントマスターを結成してくれてもいいじゃないですか」
「えーイヤよ、だって私とクロノは妖精の森のお家でずっと、ずぅーっと、二人で仲良く幸せな結婚生活を送るんだから」
「結婚だなんて、いくらなんでも関係を飛躍させすぎですよリリィさん。私はまずは恋人からと、慎ましいスタートでしたよ」
何故か胸を逸らして誇らしげに言い放つ魔女に、妖精が鋭くツッコんだ。
「何が慎ましいよ、どうせクロノと手をつないだりチューしたり、好き放題やって――」
呆れた顔で言いかけたが、次の瞬間には、リリィの頬は見る見る朱に染まっていった。
対するフィオナは、それよりもさらに分かりやすく顔を赤くして、そっぽを向いて顔色を誤魔化す儚い抵抗。
「――き、きゃぁーっ! なにクロノといやらしいことしてるのよ!」
そう、リリィのテレパシーは読み取ってしまったのだ。
恋人関係となったフィオナとクロノが、一体どんな風に過ごしていたのかを。そう、今この瞬間にフィオナの脳内に溢れたのは、あの爛れた桃色の同棲生活のイメージである。
もっとも、男性経験皆無な正真正銘、乙女の魔女であるところのフィオナにとって、実際の行為を正しく想像することはできない。だが、ラストローズは曖昧なイメージのままでも、当人を満足させる夢を見せることができるのだ。童貞、処女の紳士淑女諸君も安心なサポート設定である。
何にしろ、フィオナが見た非常にあやふやなクロノとの情事のイメージでも、純情可憐な妖精であるところのリリィ(32歳)にとって、直視するには刺激が強すぎた。
「し、信じられない! クロノと、あ、あ、あんな――」
「ちょ、ちょっとリリィさん、声が大きいですよ。クロノさんに聞こえたらどうするんですか」
ワーキャー、としばらく騒いだ後、ようやく二人に落ち着きが戻ってくる。
改めてテントの様子を窺ってみれば、クロノは寝入っているようで、どうやら話の内容は聞かれていないだろうと思われた。
「はぁ……はぁ……いいわ、夢のことはもう忘れましょう」
「激しく同意します」
息を落ち着かせながら、二人そろって静かに倒木へと座り直す。言い争うにしては、あまりに不毛であった。
所詮は夢、空想、妄想。何ら現実には影響しない、単なる幻なのだから。
そして何よりも、二人が共に求めるのは、自分にとって都合のよいクロノではない。空虚な夢に溺れている暇など、ありはしないのだ。『本物』を手にするためには、ただ現実で行動あるのみ。
「ところで、リリィさんは、その……」
「な、何よ、また聞きづらい質問するつもり?」
もう恥ずかしいのは勘弁だ、とばかりに苦笑いバージョンの妖精スマイル。
「クロノさんがどんな夢を見たのか、分かりますか?」
ついさっきテントで話した時に、テレパシーで読めたかどうか、という意味である。
リリィは真剣な面持ちでうつむき黙り込んだが、どうやら、すぐに答えは出たようだった。
「ええ、ほんの少しだけど、イメージが流れ込んできたわ」
「それは、どういうものでしたか?」
「そうね、私と幸せな結婚生活を送っている夢だったわ」
「いえ、そういう冗談はいらないので」
真顔で言うフィオナを前に、リリィはムっとした――かと思えば、どこか諦めたような物憂げな表情で、語った。
「故郷の夢、だったわ」
予想は、すでについていたのだろう。フィオナは特に驚く素振りも見せずに「そう、ですか」と静かに答えた。
しかし、深く大きな溜息を吐いたところを見れば、内心ではそれなり以上にショックであったことが窺い知れる。
「ひょっとしたら、クロノさんには故郷に――」
「やめてっ!」
鋭く、だが、それ以上に悲痛さを感じさせる声によって、フィオナの台詞は遮られた。
「やめて、お願いだから、それ以上は……言わないで」
「すみません、口が滑りました」
頭を抱えて、今にも泣き出しそうな様子のリリィ。自分で口にしようとしたが、フィオナだって、泣きそうだった。
クロノは故郷に帰りたいのではないか――否、それ以上に悪い、最悪の想像を、フィオナは言おうとしたのだ。
ひょっとしたら、クロノさんには故郷に……その続きの言葉は、こうだ。
「――恋人を、残してきたのかもしれないですね」
クロノが元の世界で結婚していないことは、本人の口から語られている。だが、恋人はいたのか。あるいは、好きな女性がいたのか。
それは聞いていない。いいや、怖くて聞けなかったのだ。リリィも、フィオナも。
「……大丈夫ですよ。クロノさんは帰らないって、言ってました」
「うん」
「絶対に、私達を見捨てて、どこかへ行ったりなんかしませんよ」
「うん……そう、よね……」
ありがとう、とリリィは小声だったが、確かにそう言った。
そのまま、二人は仲良く身を寄せ合ったまま、夜を明かす。その静かに過ぎ去ってゆく時間の中で、覚悟を新たにしたことだろう。
クロノの意志を曲げたりはしない、だから、帰るというなら止めはしない。しかし「帰ろう」と思わせないことは、できる。
必ずクロノを振り向かせてみせる――いいや、違う。振り向かせることさえ、しなくていい。
なぜならば、リリィは、フィオナは、クロノの前にいるのだから。私を、私を、貴方は選ぶより他はない。
そのためには、何よりも、まず――
「さぁて、今日も一日、頑張りましょう、クロノのために」
「はい、クロノさんのために」
朝日が、昇った。
そうして、エレメントマスターはその日の内に、風雪と幻のアスベル山脈を後にした。