第393話 第四の加護
『灯火』という暗所を照らす魔法は、基本的に炎が得意なフィオナに任せきりだが、第一の加護で疑似炎属性を行使できる俺も、使えないことはない。
「灯火――っと、やっぱあんまり上手くはいかないな」
手のひらから放られた黒い炎の塊は、その大きさも挙動も風船にそっくりで、メラメラと不安げに揺らめきながら宙を漂い始めた。
色は黒くとも、不思議と光量は普通の炎と変わらないようで、真っ暗闇の空間をおぼろげながらも照らし出す。
視界を確保するために、さらに黒い灯火を五つほど送り込んでから、俺は『暴食牙剣「極悪食」』を肩に担いで一歩を踏み出した。
ぶっ壊した内壁の向こう、ラストローズの本体がいる中央空間は、大闘技場のアリーナと同じくらいの丸い敷地面積を誇っている。
だが、天井がこれまで歩いてきた洞窟通路と同じ程度の高さしかないので、そこまで広い開放感はない。
アリーナというよりも、これは――そうだ、SF映画やゲームとかで見るような、無数の配線が全方位に伸びている巨大なマザーコンピューター的な中枢機関が設置されてる部屋、みたいな印象だ。
「本当にローズ、なんだな……」
中央に鎮座するのは、巨大な薔薇の花だ。繊細な氷細工のように透き通った水色の花弁は、奇跡のブルーローズなんて連想しそうだが、直径三メートルはありそうな大きさのせいで、やはりモンスターだという不気味さが先にたつ。
薔薇のモンスターということは、ラストローズはサキュバスではなく『アルラウネ』の突然変異種と考えられる。上半身が女性、下半身が薔薇の花となるアルラウネは、ランク3モンスターとしてギルドの資料でも見たことある。実際に戦ったことはないが。
ちなみに、上半身は必ず女性の姿ではあるが、絶対に美人であるというワケではないらしい。
目の前にある巨大な青薔薇からはしかし、女性の姿は見えない。まぁ、幻術で獲物を捕らえるのだから、視覚的に惹きつける女性体の存在は不要なのかもしれないな。
重要なのは、そう、花の下部から地面へ延びる無数の茨である。
茎は太く短く、花は地面の上に置かれているように低い位置で咲いている。その花と地面の隙間から、三百六十度、全方位に渡って数えきれないほどの茨がうねるように束となって走っているのだ。
その様はやはり、SFチックな巨大スーパーコンピュータールームにある配線と似ている、と思ってしまう。
俺がここまで踏み込んで来ても、モルジュラみたいに動いてこないところ見ると、やはり自由自在に動かせるものじゃないんだろう。
地面に走る茨を踏みつけながら、一歩、また一歩と本体と思しき花まで距離をつめていくが、ラストローズには何の反応も見られない。
幻術が破られると、もう一切の抵抗手段がないのだろうか。
いや、油断は大敵。『逆干渉』のお蔭で、罠の手口は理解できたが、ラストローズの手の内を全て把握したというわけではない。
もしかすれば、次の瞬間にはあの薔薇の花の内側から、凄まじい速度で女性体が飛び出してくるかもしれない。グリードゴアの生首から、スロウスギルが飛び掛かって来たように。
今度こそ不意打ちはくらわない。第三の加護『雷の魔王』があれば、突発的な出来事への対応は可能だ。
そうして最大限に注意を払いながら、ついに極悪食の刃が届くまであと一歩という間合いに入ったその時――動いた。
凍れる薔薇の花弁が、音もなく開いてゆく。
不意打ち……では、ない。大きく開いた花の中より、ソレは現れた。アルラウネと同じように、女性の姿。
「……黒乃くん」
そう、彼女は俺に呼びかけた。ついさっき、夢の中で俺に聞かせてくれた、儚くも麗しい少女の声音で。
「くそっ……ふざけた真似、しやがって……」
それは、白崎さんだった。夢ではなく現実に、俺の記憶と寸分違わぬ白崎百合子の姿が目の前にある。
衣服は再現できなかったのか、それとも誘惑しているのか、最も見慣れた制服姿ではなく、一糸まとわぬ裸体を晒している。
透き通るような白い肌にかかる、艶やかな亜麻色の長髪。ほどよく膨らんだ胸に、細くくびれた腰元は、下腹部のさらに下が見える直前で、青薔薇の花びらで隠されている。
そんな彼女の姿は艶めかしいというよりも、一級の美術品を前にしたように、ただ、美しさだけを感じられる。
どこまでも澄んだ黒い瞳が真っ直ぐに俺を見つめながら、さらに言葉を紡ぐ。
「お願い、黒乃くん……助けて」
命乞いの言葉。
くだらない、馬鹿馬鹿しい、聞く耳なんて持てるはずない、コイツはモンスターだぞ――そうは分かっていても、即座に、今この瞬間に、刃を振るえていない以上、効果があったことが証明されている。
俺は今、確かに攻撃を躊躇していた。
「ねぇ、お願い……私はただ、ここで静かに暮らしたいだけなの」
確かに、ラストローズはラースプンやグリードゴアと違い、自ら動いて被害を出してはいない。この洞窟で死んだ冒険者は、危険と知りながら自ら挑んだわけだし、プンプンなどのモンスターは勿論、自然の摂理に基づいた捕食の一環にすぎない。
一体、どんな権利があって、野生に生きるモンスターを殺せるというのか。
「お願い黒乃くん……私を、助けて」
どこまでも同情を誘う悲痛な面持ちで、白崎さんは訴えかける。
いや、これは白崎さんではない。そもそも、ラストローズが人の知能を持った上で、命乞いの演技をしているとも限らないのだ。
単純に記憶の中から、危機を回避するに相応しい方法を選択し、それを実行しているだけなのかもしれない。さながら、記憶とイメージを現実に映し出す映写機のように。
そうと分かっていても、完璧な姿と声を再現されれば、躊躇する。本人じゃないから何でもできる、というほど人は物事を割り切れない。
例えば、親兄弟や最愛の恋人といった大切な人、そんな人物の映った写真を、何の躊躇もなく土足で踏めるか。少なくとも、俺には無理だ。少しばかり脅されたとしても抵抗するし、踏んだら一万円やると言われても、やはり断るだろう。
それが、本物と変わらぬ姿で「助けて」と命乞いするのだ。簡単に、刃は振るえない――
「なぁ、白崎さん」
本物じゃないと分かっていながらも、俺はそう呼びかけた。
「なぁに、黒乃くん?」
小首を傾げてそう答える偽物の反応は、どこまでも完璧だ。一体、どこまでコミュニケーションに対応しているのだろうか。
だが、今はどうでもいい。試すつもりもない。
「俺が今まで、どれだけ人を殺してきたと思う」
「え?」
もし本物の白崎さんと出会った時にこう言ったら、彼女は偽物と同じ反応をするだろうか。
「あの忌々しい白マスクを殺してやった、十字軍はもっと殺しまくった。恨みはないが、盗賊だって殺した」
彼女の返事はない。黙って聞いている、というより、反応のしようがないのだろう。
「殺したくないけど、殺した。同じ実験体、同じ、日本人を――」
所詮、これは俺の勝手な覚悟を固めるために喋っているに過ぎない。独り言といってもいい。
だから返事なんてなくていい。何と答えられても、俺の行動は変わらないのだから。
「――俺はもう、後には退けない」
そうだ、こんな偽物に戸惑っていられるほど、甘い状況ではない。
「退くつもりもない。俺は力が欲しい、今度こそ、使徒を殺せる力が」
握った剣を、構える。
右手一本で振り上げた極悪食は、これから与えられる餌を前に、歓喜の声をあげるようにギチギチと唸る。
「だから、ごめん、白崎さん――」
そこでようやく、俺の意志を感じ取ったのだろう。目を見開いて、白崎さん――否、ラストローズは絶叫した。
「いやっ! 黒乃くん――」
「――喰らい尽くせ、極悪食!」
ふと目を開けると、そこは――黒い玉座の間だった。
寝てたってワケじゃないんだが、ちょっと目をつぶったらここに来ていた。どうやら、熟睡していなくても呼べるらしい。
「ついに、この時が来てしまったようだね……ううん、まずは、第四の試練の達成、おめでとう、黒乃真央」
いつになく真剣な表情で、古の魔王、ミア・エルロードがそんな祝いの言葉をくれた。
学ランみたいな黒い軍服とマントの正装姿も、腰かける巨大な玉座も、今のミアならば相応しいものに思える。
「お褒めにあずかり光栄であります、皇帝陛下」
雰囲気に流されたのと、冗談半分で、俺は右手の拳を左胸にあてるスパーダ式敬礼をしてから、玉座におわす伝説の魔王へ片膝をつく。ついこの間の勲章授与式典で覚えた、礼儀作法である。
「あはは、やっぱり改まって畏まられると、ちょっと恥ずかしいね」
それなりにウケたようで一安心。ミアちゃんが柔らかく微笑んでくれると、かなり癒される。
「でも、今回は危なかったよね」
玉座を立って、長大なマントをズルズル引きずりながら歩み寄ってくるミアに、俺は苦笑いを浮かべて答える。
「正攻法の通じない相手だったからな」
あんな搦め手を使われれば、どんなに戦闘能力が高くとも無駄なこと。これまで習得した『炎の魔王』『鋼の魔王』『雷の魔王』、強力な三つの加護も全く出番がなかった。
「力だけじゃどうにもならない敵もいる、ということだね」
「ああ、いい経験になったよ」
「良い夢は見れたかな?」
さらっと笑顔でとんでもないことを聞かれた。俺の背筋に悪寒が走る。
「ま、まさか……俺の夢を、見ていたのか?」
いやそんな、馬鹿な……だが、しかし……うわーどうしよう……ヤベー、マジでヤベーよこの展開は……
「大丈夫、そこまで悪趣味じゃないつもりだよ」
「ほ、本当に見てないんだな?」
あんな童貞の妄想全開の夢でも、僕は気にしないよ、という優しい心遣い的な意味でも困る。これでミアちゃんが男ならば、まだいい、百歩譲って。でも、やっぱり本当は女の子だったりした場合……
「ホントに見てないってば!」
もー、とプンスコしながらも、ミアちゃんがはっきりと否定してくれた。その言葉、信じますよ、魔王様。
「よし、この件についてはもう気にしない。だから、さっさと証を奉げるぜ」
「えっ、もう奉げちゃうの?」
「奉げたらダメなのか?」
何か証を奉げる前に儀式とか前フリとかは特に必要なかったはずだが。もしかして、試練も半ばということで、新ルールが追加されたとか?
「うぅ……ダメってワケじゃない、けどぉ……」
けど、何だというのだ。
というか、今日のミアちゃんは一体どうしたんだろうか。最初はやけに真面目だったし、今は妙に歯切れの悪い返答ばかり。魔王のくせに、この女々しい態度はなんなんだ。可愛いけど。
「それじゃあ、早く奉げさせてくれよ」
と、俺がこの神様時空な夢の中でも使える『影空間』より、今回の討伐の証を取り出し、やや強引に話を進める。
「討伐の証は、コイツでいいんだろ?」
俺の手にあるのは、種のようにも卵のようにも見える、何とも不思議な楕円の物体である。大きさは十センチそこそこといったところ。色はほとんど白に近いが、ほんのりと青みがかっている。
「確かに、『色欲の子宮』だね。証はそれで、間違いないよ」
子宮、か。まぁ、コイツは極悪食でぶった斬った偽白崎さんの下腹部から出てきたからな。
あの体は完璧に乙女の柔肌を再現していると思われたが、いざ一太刀浴びせて見れば、ガラスのように砕け散った。どうやら、中身はただの氷像だったようである。
そうして、氷の白崎百合子像の下腹部と薔薇の本体が繋がっている辺りから、左目だけに赤く光って見える丸い部位を発見したのだ。
その後は、薔薇の花のど真ん中に極悪食をぶっ刺してやったら、根こそぎ魔力を吸収していったようで、あっという間にラストローズの体は枯れていった。
透き通った水色の花びらは一枚残らず舞い散り、深緑の茨は生命力を感じさせない灰のように真っ白になった。洞窟に描かれた催眠魔法陣は、枯れ切った茨が脆くも崩れ去り、もう二度と眠りの世界へ導くことはない。
「――はい、確かに証は受け取ったよ。これで第四の加護は、君のものさ」
例によって例の如く、俺の手の上で光の粒子となって『色欲の子宮』は消えていった。
しかし、これで四つ目か。ついに半分を超えたな……中々に感慨深い。
「ありがとう。それで、今回の加護の能力って――」
「あっ、あーっ!?」
能力って何だ、と聞こうとした瞬間、突如としてミアちゃんが叫び声をあげた。それも、妙にわざとらしく。
「どうしたんだ、急に叫んだりして」
「えっと、うーんと……あ、そうだ! この前ね、久しぶりにお寿司を食べたんだよ! 二千年ぶりくらいかな!」
そりゃ随分と悠久な時の流れを感じさせる「久しぶり」だな。流石は神様、スケールが違う。
「へぇー、寿司か。そういえば、スパーダに新しく寿司屋ができたって聞いたけど」
「そうそう、そのお店に行ってきたんだよ!」
「もしかして、オープン記念の大食い大会とかやったのか?」
「うん! いいところまで行ったけど、負けちゃったよ」
でも笑顔で語っているところを見ると、そんなに悔しくはないらしい。まぁ、美味しい思い出ができてよかったんじゃないだろうか。二千年ぶりの寿司が、食べ過ぎによる逆流なんて苦しいことにならなくて。
「よし、スパーダに帰ったら俺も行ってみるよ。それで、第四の加護なんだけど――」
「ああーっ!?」
と、またしても途中で台詞が遮られた。
「今度はなんだ?」
「え、えーっとぉ……あの、あのね! スパーダのお寿司屋さんじゃデザートのプリンは取り扱ってないから、注文しちゃダメなんだよ!」
それって、今急いで言わなきゃいけない情報なんだろうか。
いや、神様がわざわざこうして注意をしてくれるんだから、何かしら深い意味があるのかもしれない。こういうところに、次なる試練のヒントが隠されていたり、とか?
「プリンを注文したら断られたんだよね……僕、すっごい残念だったよ」
何だよ、ただの自分の失敗談じゃないか。パレードでドヤ顔ダブルピースと同じような話だな。
「まぁ、そんなにプリンが食べたかったら、スパーダの上層区画にあるスイーツスマイルって菓子店で買えるぞ。一個千五百クランもして高いけど、値段相応の価値はあるくらい美味いから」
「え、ホント! ありがとう、今度買占めにいくよ!」
「人気店だから、一個買えるかどうかだぞ」
というか、神様のくせに大人げないことするなよ。どんだけプリン食べたいんだ。
「とりあえず、プリンの話は置いといて、加護のことだけど――」
「わぁーっ!」
三度発せられる、わざとらしい、わざとらしすぎる絶叫。いくらなんでも、ここまでされればツッコまないわけにはいなないだろう。
「あのさ、さっきから無理矢理、話逸らそうとしてないか?」
「……し、してないよぅ」
俺の目を見て言ってごらん。
どうやら魔王陛下は、嘘を吐くのがすこぶる苦手なようである。頬に大粒の冷や汗を流しながら、円らな赤い目が泳ぎまくってる。
「なぁ、第四の加護の能力って、もしかしてかなりヤバいのか?」
俺としても、第四の加護で得られるだろう能力は、シンプルなパワーアップではないと予想できていた。何といっても幻術特化で、最後の手段が命乞いというヤツである。
「ヤバいっていうか、何ていうか……」
この期に及んでも、やはり言い渋るミアちゃん。どうやら、これは本当に何か問題のある能力であるらしい。
「『鋼の魔王』は硬化で物理防御だったから、第四の加護は幻術とかテレパシーに対する精神防御かと思ったんだが、違うのか?」
「一応、そういう能力もあるけど」
「真の能力ではないと」
うん、とどこか申し訳なさそうに頷く。だが、ミアちゃんの反応はそれだけで、やはり続きを口にしようとはしない。
うーん、一体何を隠しているというんだ……
「もしかして、第四の加護を使うと、幻術で相手を自由自在に操れるようになる、みたいな?」
だとすれば、とんでもなく犯罪的な能力である。俺としても、使用するには躊躇しそうだ。人としての道を踏み外しそうで。
これさえあれば、本物の白崎さんに、あの夢のような言動をとらせることも可能なのだから。いや決して、俺はあの夢の内容を現実に再現しようと思ったりはしていないぞ。断じて思ってない。ただ、ちょっと憧れるってだけなんだ!
「残念だけど、そんなに便利な能力はないんだ」
「あ、やっぱり」
残念というか、ちょっとホっとする。人の心を操るなんて、とんだ邪法だからな。あの忌々しい『思考制御装置』も、そういう類だし。
「でも、それじゃあ一体、第四の加護ってどんな能力なんだよ?」
「うっ……そ、それは……」
「ギアとアクセルの時は名前も教えてくれたし、練習だって――」
「れ、練習なんてダメだよ! 絶対ダメ! 今回だけはダメなのーっ!!」
顔を真っ赤にして、断固として拒絶されてしまった。何だよ、やっぱりヤバい能力なんじゃないか。練習するのも嫌がるってどんだけ……まぁ、どんな能力だろうと、いきなり実戦で、という無茶はしたくないから、練習は必要となってくるわけだが。
そうだ、ミアちゃんもビビるくらいヤバい能力なら、流石のリリィとフィオナも驚いてくれるに違いない。『荷電粒子砲』の時は、調子に乗って大失敗だったし、汚名返上だぜ!
「分かった、練習に付き合ってくれなくてもいいから、名前と効果だけは教えてくれ」
「うぅ……名前だけじゃダメ、かな?」
「いや、効果が分からんと意味がないんだが」
当然の主張である。やはり今回は単純な強化系能力ってワケじゃなさそうだし、手探りで効果を確かめていくってのは、いくらなんでも手間だ。
「わ、分かったよ、それじゃあ、簡単に、一言で、第四の加護の能力を教えるよ……」
「ああ、頼む」
それから、たっぷり十秒くらいの間をおいてから、ミアちゃんはその小さな口を開いた。
「あのね、えっと……第四の加護の能力はね……」
「能力は?」
「え……えぇ……」
「え?」
「え、エッチが凄くなる能力なんだっ!!」
「……え?」
次回の黒の魔王は――
クロノ「頼む! 練習させてくれ!」(迫真)
第394話『ミアちゃんって土下座して頼み込めばヤラせてくれそうだよね』
クロノ「もう男でも女でもどっちでもいいや」(ゲス顔)
第395話『可愛いは正義』
クロノ「……ふぅ」
第396話『賢者へのクラスチェンジ』
の三話同時更新でお送りいたします! 嘘です。