第382話 アスベル村冒険者ギルド
凍土の月23日。十一日間の旅を終えて、俺達『エレメントマスター』はクエストの目的地であるアスベル山脈、その拠点となるアスベル村に到着した。
最初に向かったのは、アスベル村冒険者ギルドである。
「まさか、噂の黒き悪夢の狂戦士が受けてくれるとは思わなかったよ」
ラストローズ討伐の依頼主である村のギルドマスター、ジミーさんは開口一番、そう言った。
還暦を過ぎて尚、衰えを感じさせないがっしりとした体格の老人は、そんな驚きと嬉しさの入り混じった台詞でもって歓迎の意を表してくれるが、俺としては素直に喜べない。
「あの……何で知ってるんですか」
「君の勇名はアヴァロンまで轟いているよ」
どうやらイスキアの戦いは、パンドラ中部の都市国家群にはすっかり広まっているようだ。特にアヴァロンは、あの場に第一王子のネロがいたこともあって、よく話題になる。
アヴァロン。そう、俺は今、初めてミアちゃん縁の地であるアヴァロンへと訪れているのだ。
ラストローズが潜むアスベル山脈は、この村を南端として、そのまま遥か北まで伸びている長大な山脈である。南はアヴァロン領、半ばは『ウインダム』というハーピィが住まう山岳国家、北は『オルテンシア』というエルフの国家、合わせて三つの国を縦断している。
だがアスベル山脈のイメージで最も有名なのは、やはりアヴァロンだろう。古の魔王ミア・エルロードがまだ羊飼いだった幼い頃に住んでいた牧場が、ここアヴァロン領の南端にあったからだ。勿論、伝承で残っているだけなので、実際にどこが牧場のあった場所なのか詳しくは不明である。今でも考古学者が血道を上げて現地特定の研究をしているらしいが……今度会った時に、聞いてみようかな。
そういえば、この伝説が残っているからこそ、それにあやかってアヴァロン王族の別荘がここに建設されたのだとか。子供の頃はアスベルの別荘へ行くのが楽しみだった、とネルがいつだったか語ってくれていた。
ともかく、今はクエストの話である。黒き悪夢の狂戦士の恥ずかしい二つ名がスパーダに留まることなくどんどん拡散していってるという事実については、もう諦めるしかないのだから。
「それで、ラストローズについてなんですけど、詳しく話してもらえますか?」
俺達がわざわざ依頼主と会っているのは、今回の試練の相手となるランク5モンスターの情報を仕入れるためだ。ギルド資料のスロウスギルの情報が的外れだったこともあり、より情報収集に念を入れようということもあるが、このジミーさんにも、挑む冒険者に対して話をしたいという希望があったらしい。
このギルド二階にある会議室を貸し切って面会の場が設けられるのは、実にスムーズであった。
しかし、この田舎村のギルド会議室を見ると、アルザス村を思い出すな……似たような木造の簡素な一室の中で、ちょっとした感傷に浸りながら、彼の説明へ耳を傾ける。
「ああ、ラストローズの巣を最初に発見したのは私でね――」
そうして語られたのは、苦い思い出の数々。最初に発見したのは三十年前、ジミーさんがまだ現役の冒険者だった頃である。
最初の犠牲者は、将来有望だった若きランク4パーティの三人組。
「中の三人は、明らかに尋常な様子ではなかった。途中から、ついさっき話したことと同じ台詞を繰り返すようになったのだ」
テレパシーの通信機で連絡を取り合っていたからこそ、その異常が分かったらしい。もっとも、その通信機も途中で妨害されたようで、あくまで断片的にしか彼らの言葉は聞こえなかったと言うが。
結局、その三人が洞窟から戻ることはなかった。
「直接的にモンスターと戦闘したのではなく、何らかの状態異常に陥っていたのだと思われる。混乱や魅了とも違うが、少なくとも正気を失う幻惑の効果があったことは間違いない」
「洞窟のモンスターがラストローズだと断定したのは、何故ですか?」
「薔薇の茨のような蔓が壁面にある洞窟に住まい、謎の幻術を使い、不気味な桃色のガスを発生させる、という情報が一致したのはラストローズだけだったからだ」
「姿は確認していないと」
「残念ながら、私が探したラストローズに関しての資料にも詳しい姿は記述されていなかったのだよ。一応、あるだけの資料はここにまとめてあるから、後で目を通しておくといい」
もっとも、あまり役には立たないと思うが、とジミーさんは苦笑いしながら続ける。
やはり試練のモンスターはどれも希少で、正確な情報が残っていないケースが多い。まぁ、十分に予想できていたことだし、少しでも資料があるだけありがたい、と素直に受け取る。
「他にも、今まで洞窟へ挑んだ冒険者が残した情報によって、より信憑性は高くなっている」
二度目に洞窟へ挑んだ時、最優先されたのは当然、そこに棲むモンスターの特定である。倒すよりも、姿を確認して確実に情報を持ちかえることを優先したという。
「その時は私も調査隊の一員として洞窟へと立ち入った。そこにあったのは、完全に氷に包まれた三人の死体だけだった……勿論、三人が生きているとは思っていなかったが、あれを見て何よりも恐ろしいと感じたのは、三人とも満面の笑顔を浮かべて死んでいたことだ」
死の間際まで幻惑の効果は発揮しつづけ、彼らは自分が死んだことにも気づかぬ内に逝ったのだろう。
「ジミーさんが調査に入った時は、死体を確認しただけだったんですか?」
「通信で知っていた、左右に分かれる最初の分岐路、それ以上は奥に進まないと決めていたからね。三人の死体は、分岐路のすぐ右側のところにあった」
当時の記憶によれば、三人は左を選んで進んで行ったという。左に進んだはずなのに、右の通路にいたという結果である。幻惑の効果の中には、道を迷わせるというのも含まれているのだろう。
「三度目は、幻術の対策アイテムを所持した冒険者が挑んだ。しかし、彼らも帰ってはこなかった」
その後、何度かジミーさんが最初の時と同じく、テレパシー通信機を片手に突入した冒険者と連絡をとりあいながら情報収集、ということを行ったようだが、やはり結果は同じ。
何度繰り返しても、分岐路を過ぎてしばらくしてから、同じ台詞を言うようになるのだとか。
そうなれば、もう手遅れ。帰還するように言ったところで、方向感覚も狂わせているのだから、当人が「戻っている」と思っても、出口へ近づくことができないのだ。
「そんなモンスターを、この資料にある人物はどうやって倒したんですか?」
差し出された資料、ラストローズの乏しい情報が記載されたこの書類には、ただ一つ真実として、討伐を果たした、とだけは明記してある。
「分からない。というより、倒した本人が決してラストローズとの戦いを詳しく話さなかったからだそうだ」
倒したのは、パンドラの神殿に仕える敬虔な神官の男だったらしい。クラスは治癒術士、倒すのに特別に威力の高い攻撃は必要ないというのは推測できる。
このラストローズは、スロウスギルのように絡め手を得意とするモンスターだ。故に、直接的な戦闘能力は、ラースプンやグリードゴアと比べるべくもなく低いはず。
「治癒術士だというなら、単純に自分だけは幻惑を免れたということでは?」
剣士や戦士に比べれば、治癒術士の方が精神面での防御能力に秀でているはずだ。
「ああ、私もそう思う。かなり高位の神官でもあったようで、回復の古代魔法も使えたという」
何だかネルみたいだ。となると、ランク5に相応しい実力の持ち主ということになる。
だが、そんな人物が何故、倒し方を語らないのか。直接問いただしたいところだが、もう何十年も前に死亡しているらしく、物理的に不可能である。
「高位だからこそ、淫魔の類らしいラストローズとの戦いを口にするのは憚ったのかもしれない」
「それは、えーと……ラストローズとは性的な意味での戦いになるかも、と?」
「詳しくは分からない。だが、かの神官は死の間際に、こう言い残したらしい――あの時、私も仲間と共にラストローズに殺されれば良かった、と」
どうやら、淫魔がもたらす死は、この上なく甘美なものであるらしい。
これは相手をするのに色んな意味で覚悟がいるな!
「むぅ~」
「……むっ」
思った瞬間、左右に座るリリィとフィオナから、冷ややかな視線が向けられた。べ、別に期待とかしてないし、勘違いしないでよねっ!?
ジミーさんから説明を聞き終え、会議室を後にした。ギルドの一階は、イルズ村と同じように酒場が併設してある作りとなっている。ただ、アスベル山脈という有名なダンジョンの拠点となる村なので、イルズ村よりはずっと利用者の数が多い。
まだ時間は朝だし、これからクエストに赴こうという者が多いのだろう。酒場席には、朝食をつつきながら話し合っているパーティの姿が幾つも見受けられる。
匂いにつられてフィオナが凝視しているのは、まぁ、いつものことである。でもフィオナさん、朝食はさっき食べたでしょう。
ともかく、話も聞いたし、クエストの手続きも終えているので、もうギルドに用はない。あとは真っ直ぐアスベルの雪山へ向かうだけ、と意気込みながら扉を出ようとしたその時である。
「だからそれは俺のせいじゃ――って、あぁ!? お前は黒き悪夢の――」
「――クロノくんっ!?」
バーンと派手に開けられた扉より登場したのは、何とも見知った顔が一つと、できれば見たくなかった顔が三つ。
「あれ、ネル?」
現れたのは『ウイングロード』のメンバーだ。先頭にいて俺の顔を見るなり叫んだのは戦闘狂のカイ。直後に彼を押しのけて、俺の前までパタパタと駆けてくるのが、ネルである。
「わぁー、どうしてクロノくんがここに――きゃんっ!」
そのまま俺に抱き着いてくるかのような勢いでやってきたネルだったが、突如として浴びせられたフラッシュに怯んで急停止。
「こ、こら、リリィ……」
「だって、急に突進してくるんだもん」
プンプン、と反省の様子を見せないふくれっ面で警戒感を露わにするリリィが、俺を庇うように前へ立ったのだ。相変わらずの対応。
寮やラウンジでやるならいいが、ここには心優しいネルだけじゃなくて、本気で警戒しなきゃいけない王族代表みたいなネロも――
「……どうしてお前がここにいる、クロノ」
ああ、ほらね。リリィに負けず劣らず不機嫌な様子で、赤マントの王子様が登場する。
「どうして、と言われても、クエストで来たからとしか答えられないが」
「クエストだと、まさかっ――」
ハっとしたようなネロの反応に、俺も嫌な予感が走った。
「ラストローズ討伐かっ!?」
「フェンリル討伐かっ!?」
違った。全然違った。
「……クエストが被ったわけじゃないようだな」
「ちっ、驚かせやがって……」
苦笑いな俺に、ちょっとバツの悪そうなしかめ面のネロ。
まさかクエストがブッキングしたかと思ったが、違うもので良かった。もし重複していれば早い者勝ちとなるので、当然、成功の難易度は格段に上がる。相手がウイングロードなら、尚更である。
「どっちにしろ、向かうダンジョンは同じかよ。頼むから俺らの邪魔はす――」
「ごめんなさいクロノくん、お兄様ったら、イスキアで活躍できなかったからって、対抗意識を燃やしてるんですよ」
「ネルっ!? 適当なこと言うんじゃねェ!」
心外だ、と言わんばかりに迫真の表情のネロだが、ネルはあらあらうふふと聖女な微笑。ひょっとしたら優秀すぎる兄の言いなりか、とエルロードの兄妹関係を邪推したが、それはむしろ逆なのかもしれない。哀れネロ。
「クロノくんもアスベル山脈に行くんですよね? だったら途中まで一緒に――」
「クロノ、いこっ!」
「行きましょう、クロノさん」
右手をリリィに引っ張られ、左腕をフィオナに絡まれて、俺は否応なく前進させられる。
「すまんネル、またな」
二人が強行しなくても、俺もネルの申し出は断っていただろう。ネル以外とのウイングロードメンバーとは険悪すぎるし、何より、サフィールという俺の命を狙うことさえ辞さない危険人物もいる。すでに事情は知っているリリィとフィオナは、ネルを睨みつつも、真に注意を払っているのは最後尾に立つサフィールだ。本当に、下手したらガチの殺し合いが始まる。
「そう、ですか……ごめんなさいクロノくん、無理を言って」
だがしかし、そうはっきりと残念そうな顔されると心苦しいことに変わりはない。覚悟が足りてないと、俺はすぐにでもNOと言えない日本人になってしまう。無理にでも引っ張ってくれる仲間に感謝だ。
そうして、ズルズルと頼れる仲間に情けなく引きずられながら、ギルドの扉へ向かう。
「おいクロノ、次は負けねぇからな、首洗って待ってろよ!」
物騒なことを爽やかな笑顔で言い放ったのはカイ。やはりコイツはブレないな。
「命をかけない練習試合なら、いつでも相手になる」
「へへっ、サンキューな!」
無邪気な笑顔が眩しい男だ。戦闘狂ではあるが、根は悪いヤツではないのだろう。
俺としても、次は純粋に剣の勝負がしたいと思っている。神学校において、彼ほど剣の練習に適した相手はいないのだから。
「それで、私の魔眼はいつ返してくれるのかしら?」
「俺の魔眼だ。失せろ」
「今ならグリードゴアとスロウスギルの素材もセットでもらってあげるけど?」
「さりげなく増やしてんじゃねーよ」
しれっとふざけたことをぬかすサフィール・マーヤ・ハイドラ。この頭のイカれた女にだけは、礼儀も何も必要ない。
「いやだわ、欲張りな男って。死ねばいいのに」
そんな殺伐としたやり取りを最後に、ようやく俺はギルドを後にした。
そういえば、ウイングロードなら誰か一人足りないような気がするが――まぁ、いいか。