第343話 第三の試練
「――ぁああああああああああああああああああああっ!!」
叫んでいる、ような気がする。
痛い? 苦しい? いいや、これはもっと、おぞましい感覚だ。
ああ、そうだ。あの『思考制御装置』とかいう最悪の白い輪で、頭の中を蹂躙、服従、支配、そんなメチャクチャにされていくのにそっくりだ。
俺は今、何かに脳を弄られている。
何も見えない。何も聞こえない。あるのはただひたすらに不快感と嫌悪感。
やめろ、やめろ、俺は俺だ。他の誰でもない。
必死に抵抗の意思を示すが、この脳内に入り込もうとしている『何か』を、止められない。止まら、ない……
「がっ……あ、あ……」
意識を保っている事すら苦痛、激痛。
急に目の前がチカチカし始める。毒々しい紫の明滅。失明しそうなほどに、いや、もしかしたら俺の目はもう潰れているのかもしれない。
今度は耳に音が聞こえてくる。大音量の雑音、意味なんてないただのノイズ。けれど罵詈雑言を浴びせられるように気力を奪う。
次は鼻。針を突き刺すような刺激臭。その次は舌。最後には全身。
五感が狂う。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、それぞれに合わせた苦しみが渾然一体となって俺を苛む。
それは自らの意思で、己の肉体を手放したくなるほどにっ!
そうして緩やかな自殺へ意識が傾こうとした時……光が、差し込んだような気がした。
視覚を攻め立てる紫のスパークではない、どこまでも優しく、柔らかな、白い輝き。
次第にその白光は、明確な形をとり始める。そう、それは、一枚の白い羽――
「――ぁあああっ!!」
刹那、意識が、五感が、全て正常に戻る。今この場で深い眠りから覚めたような感覚。
相変わらず降りしきる大雨。グリードゴアの骸。体を包む倦怠感に、鉛に変化したように重く感じる両腕。
意識を失いかけたのは、僅か数秒間のことだったんだろう。さっきと同じ光景が、俺の前にある。
唯一の違いは、目の前にあの精神攻撃の元凶が転がっていることだ。
「そうか……コイツが『スロウスギル』なのか」
泥沼のような地面の上で苦しみもがいているのは、やはり、ラミアの形をした電撃、としか形容できない。
二メートルほどの全長は紫電に包み込まれており、かろうじて頭部だけは人の髑髏のように窪んだ眼窩と口があるように見える。
苦痛を堪える呻き声のようなものが聞こえるのは、コイツに発声器官が備わっているからのか、それとも、ただ弾ける電撃の響きか。
長い雷の尻尾を左右にくねらせ、四本指の細腕が必死に地面を這う。匍匐前進でもするかのように、無様にのたうちまわっている。
この不気味な姿のモンスターこそが『怠惰』の名を冠するスロウスギルだ。
初めて見るが、それでも一目で断定できたのは、ミアから貰った左目が、コイツを試練のモンスターだと証明する赤い輝きを見せてくれたからに他ならない。
ちょうど背骨のあたりに真紅のラインが走っているように見える。恐らく、そこが捧げるべき討伐の証なのだろう。
「ギルドの情報も、あんまりアテにならないな……」
以前に調べた時、スロウスギルは『マズナクルス』というナマズによく似たモンスターの突然変異種の可能性が高い、なんて書かれていた。
だが実際は、ナマズとは似ても似つかないラミア型。まさかランク5モンスターに寄生した上に、モンスター軍団まで作り上げるような危険な能力を併せ持つなんてことは、あの数少ない上に虚偽混ざりのギルド情報から察するのは不可能だ。正しかった情報といえば、強力な雷属性を持つ、くらいである。
けど、生態どころか正体さえもあやふやだからこそ、希少なモンスターということになるんだろう。書かれてある事を鵜呑みにした、俺の注意不足ともいえる。
まぁいい、反省するのは後回しだ。
「第三の試練も、ネルのお陰でクリアか……」
『心神守護の白羽根』、このネルから貰ったお守りが、正しく俺の心を守ってくれたのだ。
本来は『呪物剣闘大会』に参加する俺が、呪いの武器にとり憑かれないための保険だったのだが、まさか、こんなところで役に立ってくれるとは。
このお守りは呪い限定で防ぐものではなく、魅了や混乱などの、精神に関わる状態異常全般に回復効果を発揮する。
つまり寄生にも対応しているということだ。
逆に『紫晶眼』のように、直接的に肉体へ影響を及ぼす攻撃には何の反応も示さない。肝心の本番では役に立たなかったが、結果的に俺の命を救ってくれたことに変わりはない。
本当に、ネルにはなんて感謝を伝えればいいかわからない。
だが惜しむらくは、スロウスギルを俺の頭から弾き飛ばすだけで、お守りの力が全て使い果たされてしまったことだ。
コートの胸の内ポケットに忍ばせておいた白羽根を取り出してみれば、うすぼんやりと輝いていた光はすっかりと消え失せ、色合いも燃え尽きたような灰色と化している。
ふっと風が吹けば、本物の灰になってしまったかのように崩れ去り、サラサラと俺の手から逃れるように消えていった。
発動は一回きりという回数制限ではなかったはずだが、そこは流石にランク5モンスターの寄生能力だったということだろう。
それに、天癒皇女アリアの加護による精神防御のカウンターをくらえば、寄生体はそれだけで消滅するはずだから、スロウスギルがかろうじて一命を取り留めているのもランク5に相応しい生命力を持っているということだ。
しかし、そんな瀕死の状態で一分一秒を生きながらえたことに、もう意味はない。
俺の疲労感も『炎の魔王』の発動により限界近いが、それでも、この醜く泥の上をのたうつスロウスギルに、トドメを刺すくらいの力は残っているのだから。
コイツはグリードゴアのように硬い甲殻は勿論、鱗どころか皮さえない。寄生能力特化なら、強靭な肉体を持ちえていないのは当然。コイツは恐らく、悪霊や元素精霊に近い、半実体の魔法生物なのだろう。そういうタイプは総じて、叩けば脆いものだ。
けれど、この電撃の塊を直接ぶっ叩くのは気が引ける。それに、今の腕力でまともにパンチできるかどうかもわからない。
それならば、選択できる武器は一つだけだ。
影から取り出したのは、双銃口の試作型銃。シモンが作ったコイツで、モルジュラをけしかけた恨みも晴らしてやる。
両手に握った銃は、普段よりも百倍は重く感じる。構えたものの、銃口が震える。
けど、この距離ならば外さない。俺の弾丸は必ず、お前の頭をぶち抜いてみせる。
「……魔弾」
一発の銃声が、第三の試練の終わりを告げた。