第334話 目覚める怠惰
「――轟け赤き雷鳴『赤雷侯ラインハルト』!」
シャルロットが唱えるのは、神の座まで登り詰めた偉大なる祖先の名。赤き稲妻の加護は即座に顕現し、可愛い子孫の力と成す。
瞬間的にその身から発せられた真紅のオーラは、ただそれだけで目前に迫っていた何十もの蛇型寄生体を吹き飛ばした。
ツインテールとマントを誇らしげになびかせて堂々と立つその姿は、一国のお姫様ではなく、ランク5に相応しい実力を備えた雷魔術士の風格が漂う。
一方のグリードゴアは、こちらもランク5モンスターの余裕だとでもいうように、赤く猛るシャルロットなど見向きもせずに池の畔に寝そべったまま。
「ふん、土属性だか雷属性だか知らないけどね、私の一発は相性なんて吹き飛ばすほど凄いんだからっ!」
威勢の良い啖呵をきると、『真紅の遠雷』を思い切り振り上げ高らかに詠唱を始める。
「ترى، البرق في السماء تشغيل(見よ、天空に奔る雷光を)」
短杖の先端に、赤色の雷が収束していく。
「يرتجف، وهدير الرعد إلى الأرض(震えよ、大地に轟く雷鳴を)」
束ねられた万雷は、悲鳴を上げるように甲高い炸裂音を響かせる。
「ساطع يا مجد الأحمر(輝け、我が栄光の赤色)」
そうして空中に完成するのは、己の身長の倍ほどもある巨大な剣。その形は古式ゆかしいスパーダ伝統の両刃剣。
「――『雷紅刃』っ!」
赤雷侯ラインハルトの加護によってのみ発動できる古代魔法、シャルロット必殺の赤き雷剣が解き放たれる。
標的は三十メートル以上の巨体、外すわけがない。例え回避行動をとったとしても、落雷の如き速さで直進する電撃からは決して逃れ得ない。
ついにグリードゴアは一切の動きを示すことはなく、覆らぬ運命のようにシャルロットの『雷紅刃』が直撃する。
特異な真紅の稲光は、グリードゴアの黒い巨体どころか、広がる小さな池までも覆いつくすように眩しく輝いた。
術者本人であるシャルロットも、思わず反射的に瞼を閉じる。
降りしきる豪雨に相応しい雷鳴がイスキア丘陵に轟くと共に、再び目を開ける。すでに発光は納まっていると、彼女は知っている。
そして、これを喰らった者はランク5モンスターであっても致命傷を免れ得ないということも。
「あはは、やった! なによ、やっぱり最初からこうしてれば――」
だが、その予想も自信も、全てが裏切られる。
「――え、ウソっ、なによコレっ!」
シャルロットの瞳に映るのは、先と変わらずに寝転がったままのグリードゴア。
唯一の違いといえば、その黒い体表が、今は何故かレンガのような赤褐色へ変化していることだ。
「な、なんでよ、防がれたっていうのっ!?」
モンスターに言葉は通じないはずだが、まるでその問いに応えるようにグリードゴアは動いた。否、その身に宿す固有魔法を使ってみせた。
バチバチと紫電が弾けると、本来の色であるらしい赤い巨躯のグリードゴアを中心に、黒々とした砂嵐が巻き起こる。
自身の影を操る闇属性のようにも見えたが、それは確かに地面から噴出す黒い砂に他ならなかった。
「雷で砂鉄を操ってる……」
あまり聡明とはいえないシャルロットではあったが、同じ雷属性の使い手として即座に能力の正体を看破してみせた。
あれは色違いの黒いグリードゴアではなく、砂鉄で全身を覆っていたに過ぎない。
そして、膨大な量の砂鉄を凝集、圧縮して形成された漆黒の全身鎧は、見事に『雷紅刃』を防ぎきってみせたのだ。
流石に全てが一瞬で剥がれ落ちるほどの超威力ではあったが、再び魔法で操作すれば鎧は簡単に再生する。
その事を理解した時には、シャルロットの前には再びグリードゴアの黒い体が復活していた。
「これじゃあ土属性も雷属性も、両方強いってことじゃないのよ」
人もモンスターも、持ちえる属性の威力には偏りがある。単一の属性であるほど強力になり、複数属性を併せ持つほど、その効果は均等に分散するか、片方に偏るか、というのが基本的な法則だ。
だがしかし、この一幕を見る限りでは、どうにもグリードゴアは土も雷も同じだけ強力な効果を持ち得ているように思える。
そう、まるで土属性と雷属性、それぞれ二種類のモンスターが揃っているかのように。
「グリードゴアに、ランク5相当のヤツがとり憑いてるってことね……最悪のパターンじゃない……」
これでは二体同時にランク5モンスターを相手にするのと同じだけの危険度である。
自分一人どころか、ウイングロードでも手に追えるかどうか――不安と焦燥が胸に過ぎると同時に、グリードゴアが今この時に目を覚ましたかのように起き上がった。
その立ち姿はまるで黒い岩山。数日前に、神学生たちの前に現れた時と変わらぬ威容を誇っている。
あの時は配下に任せて立ち去ったが、今、グリードゴアの両目は真っ直ぐスパーダの姫君へと向けられている。
どうやら、シャルロット自慢の一撃は目覚まし代わりにはなったらしい。怠惰なモンスターでも、自ら動いて狙うほどの注意を引くほどに。
これからその小さな体を喰らってやる、とでも言わんばかりに、グリードゴアの凶暴な大口が目一杯に開かれる。
「ブレスっ!?」
その動作にシャルロットは即座に危機を察知。
すでにグリードゴアの口腔からは細かい紫電が無数に迸り始めている。
雷のブレス――いや、身を守る砂鉄が次々と剥がれ落ち、口元に集っていくのを見れば単なるサンダーブレスではないことは明白。
上半身の砂鉄装甲の全てをつぎ込んで作り出されたのは、一本の剣。
それはシャルロットが先ほど見舞った『雷紅刃』と全く同じ形状をしていた。
唯一の違いは黒一色に染まっていることだけ。そこに秘められた膨大な電力も同等、いや、それ以上かもしれない。名前をつけるなら『雷黒刃』が相応しい装いである。
そんなものが飛んで来ることを思えば、とても背中を向けて逃げ出す気にはなれない。
シャルロットはできうる限りの防御を固めるより他はなかった。
「――『震電巨盾』っ!」
雷を防ぐなら、同一属性による吸収効果を狙うのが最も確実。展開されるのは雷属性の上級防御魔法。
加護の効果も反映されて、赤色の電流が茨のように絡み合う直方体の盾が形成される。
得意属性でもあるため、略式詠唱でもその完成度はかなりのもの。だが、それでも防御力に不安は拭えない。
「防いでラーちゃん!」
アンデッドラースプンは命じられるままシャルロットの前に躍り出て、文字通り我が身を盾に防御の構えをとる。
そこで、グリードゴアの紫電煌く砂鉄大剣が撃ち出された。
その口が一瞬だけ輝いたところまでしか、シャルロットは認識できなかった。
「きゃっ――」
気づけば視界は高速回転、どこを映しているのか、そもそも、ちゃんと視覚が働いているかどうかも定かではない。
ついでに聴覚もおかしい。すぐ傍で落雷が轟いたかのように、耳の中がガンガンとやかましい。自分の叫び声さえ聞こえない。
「う、うぅ……」
一瞬、気絶していたと悟る。
濡れた草地と、未だに降りしきる冷たい雨粒の感触が左右の頬にある。うつ伏せに倒れているらしい。
生きている事を喜ぶべきだろうか? そんな呑気な考えはできなかった。
僅かに視線を上げれば、腹部を黒い大剣に貫かれたラースプンの巨躯が、ゆっくりと地面に倒れこんでいく姿が見えた。
少しだけ思い出す。
ラースプンをぶち抜いてきた刃は、そのまま展開させた『震電巨盾』をあっさりと粉砕させた。
そして、シールドブレイクの衝撃によって何メートルも吹っ飛ばされてしまい、今の無様な姿に至る。
「くっ……腕、動かな……」
麻痺は雷属性攻撃の代表的な追加効果である。
砂鉄の剣そのものは体に届かなかったが、一挙に放たれた電撃の余波は全身に受けてしまっていた。
雷に対しては強い耐性を持つシャルロットを麻痺状態に追い込んだことは、ただそれだけで放電の驚異的な威力を物語っている。直撃を食らえば、彼女の体は今度こそ黒コゲになることだろう。
もっとも、その死に様をグリードゴアが望めばの話である。
追撃は飛んでこない。その代わりに、グリードゴア自身が地響きさえ伴うような歩みで、ゆっくりとシャルロットへ接近してくる。
「えっ、ウソ、やめて、来ないで――」
地に伏せったまま身動きの取れないシャルロットは、その黒い脅威が迫り来るのを眺めていることしかできない。
両腕が、それも指先まで完全に麻痺してしまっており、ポーチからポーションを取り出して使用することさえままならない。
ネルがいれば無詠唱の下級回復魔法一発で復帰できる。いや、他の誰でもいい、もう一人でも仲間がいれば、高価なアイテムで幾らでも回復してもらえる。
単独のリスクを改めてシャルロットが思い知るころには、グリードゴアはもうすぐ目の前に立っていた。
その巨大な鼻先が寄せられと、血生臭い吐息がシャルロットの愛らしい顔に吹きかかる。
その臭気に思わず細い眉をしかめるが、もう、そんな臭いなど気にしていられる状況ではない。
「いやぁ! やめてっ! やめなさいよぉ!」
大口を開けたグリードゴアは、そのままシャルロットを喰らうのではなく、再び紫電を吐き出す。
それは紛れもなく、寄生の分身体である蛇。
近くで見ると、本当に紫色のスパークで肉体が構成されており、頭部はヒュドラのように目が無く、口だけの不気味な姿をしていた。
そうして、グリ-ドゴアの大剣のような牙の隙間からは次々と蛇が湧き出てくる。
寄生するには一匹だけでは足りないのだろうか、それとも、無数の蛇で弄ぼうというのか。
恐怖で震えることさえままならない。
今のシャルロットには、もう、悲鳴をあげることしかできなかった。
「いやぁあああ! 助けてっ、ネロぉおおおおおおおおお!!」
「――刹那一閃」
果たして、救いの手は差し伸べられる。
煌く白光の一閃がグリードゴアの鼻先に直撃した。
驚いたような呻き声を漏らしながら、黒い巨体は二三歩後ずさる。
同時に、グリードゴアへ炸裂した攻撃の余波を受け、今しもシャルロットの体を蹂躙せんと飛びかかろうとしていた蛇は群れごと雲散霧消した。
光の突風となった衝撃波は跡形もなく分身体を消し去って見せたが、まるでその威力消失を計算され尽くしたかのように、シャルロットの身は赤い髪を揺らすほども届かなかった。
「ネロのバカ……来るのが、遅いのよ……」
この白い光の斬撃を見れば、それだけで誰が助けにきたのか判別できる。
光の魔力を用いた遠距離攻撃用の武技、正式名称は『刹那一閃』。
アヴァロンの第一王子、ネロ・ユリウス・エルロードの得意技であるということを、幼馴染にしてパーティメンバーであるシャルロットが、知らないはずがない。
「ったく、一人で無茶しやがって」
聞きなれた気だるい声が届くと共に、シャルロットの前に純白のユニコーンが軽やかに降り立つ。
「色々と文句はあるが、全部後回しだ。助けに来たぜ、シャル」
かくして、白馬の王子様がお姫様のピンチに現れたのだった。
グリードゴアは新たに現れた三人の、いや、その騎馬も含めて六体の獲物を品定めするかのように目を向ける。
自身が発する紫電と同じ色に輝く不気味な視線を、ネロは如何にも不快といった表情で睨み返した。
「刹那一閃くらっても無傷か、流石に硬いな」
「アイツは土と雷、両方強力なのよ。『雷紅刃』も防がれたわ」
状態異常回復のポーションで復活したシャルロットが立ち上がり、簡単に情報を説明。
「っち、これはマジでネルがいないのが痛ぇな」
グリードゴアがランク5のパラサイト型モンスターに操られているのなら、寄生を破る状態異常回復魔法は非常に有効だ。
倒すまでに至らずとも、本体から引きずり出すことはできるだろう。
「おい、考えてる暇なんかねーだろ、さっさとやろうぜ!」
二角獣から降り立ったカイは、すでに大剣を構えて今にも切りかからんばかりの迫力。
「策もなしに飛び出してきたんだし、正攻法でいくしかないでしょ」
サフィールは偽スレイプニールからは降りずに、魔道書を開いて新たな僕の召還準備に入る。
地に横たわる『ラーちゃん』を一瞥するサフィールは、折角の新作が早くもガラクタとなり少しだけ残念そうに眉を寄せた。
「まぁ、俺も今回はコイツをぶった斬ってやりたくて仕方ねぇからな、いいぜ――」
手にする刀を構えなおし、ネロは不敵な笑みを浮かべる。だが、その真紅の瞳には明確な怒りの色が映りこんでいる。
「最初から全力で行くぞ、フォーメーション『ドラゴンキラー』」
対人、対軍、対モンスター、様々な状況に合わせて適切な連携を指示するのはリーダーのネロを置いて他にはいない。
命じられた『ドラゴンキラー』は、その名の通り、竜を殺すことを目的とした、完全な大型モンスター討伐用のフォーメーション。それも、全員が加護と武技と魔法を尽くして発動させる全力の必殺コンボである。
そうして、幼馴染に手を出されて怒りに燃えるネロと、それに応えるカイとサフィール、そして麻痺からポーションと愛の力で復活したシャルロットが、この憎きグリードゴアを討たんと動き始めようとした、その時であった。
ゴギャァアアアアアアアア!!
それは八日前に初めて姿を現した時の再現と言わんばかりの、強烈な咆哮と、爆発だった。
俄かに噴き上がる土砂の塔は、そのまま豪雨と混じって頭上から周囲一帯に降り注ぐ。
猛然と巻き上がる土煙と、泥交じりとなった雨に、ウイングロードメンバーは攻撃の為の一歩目が止まった。
「くっ、ヤロウ――潜りやがった」
ネロが吐き捨てるように言った通り、気がつけばグリードゴアの黒い巨躯は目の前から忽然と消え去っていた。
直前まで立っていた場所には、巨人が大地を抉ったような跡が残っているのみ。
グリードゴアは実際に自身が通れるだけの穴を掘って移動するわけでは無く、まさしく水中を泳ぐように、地中を潜航するのだ。
再び地上に姿を現すまでは、地中を貫通するほどの攻撃手段が無ければ手出しはできない。
「へっ、出てきたところをぶった斬ればいいだけの話だろっ!」
「それは無理じゃないの? だってこれ、どんどん離れていってるわよ」
サフィールのやや冷めた口調は、どこか冗談のようにも聞こえるが、あの大地震と思えるほどの振動は、確かにこの場から遠ざかっているように感じられる。
「え、もしかして、逃げたの?」
どこか拍子抜けした、というようなシャルロットの言葉は、直後にネロが否定した。
「いや、この方向は……イスキア古城だ」
「ウソっ! なんでよ!?」
ウイングロードの迫力に恐れをなして逃げ出した、なんて考えるほど、彼らはモンスターを舐めてはいない。
真っ当に考えれば、総大将たるグリードゴアを向かわせるほどの何かがイスキア古城で起こったと予想できる。
あるいは、ついに城が陥落し、喜び勇んで獲物を喰らいにいったのか。
「くそっ、どっちにしろ最悪だぜ」
グリードゴアが城に現れるなら、そもそも何のために自分たちがここまで来たのか分からない。
「それじゃあ、早く戻らないと!」
「あー、それもやっぱり無理みたいよ?」
さらに一段階テンションの下がったサフィールの声によって、シャルロットの意見はまたしても否定される。
どういうことだ、と問い詰めようとするが、サフィールは静かに指を指し示すのみ。
状況を理解するには、それだけで十分だった。
「おいおい、またコイツの相手をすることになるのかよ……」
シャルロットを守って機能停止したはずのラースプンが、全身から紫電を発しつつ、地面から起き上がっていた。
腹部を貫いた砂鉄の刃が崩れると共に、今度はその身を守る鎧へと変形していく。
どうやらグリードゴアと同じく、砂鉄を自在に操作するほどの精密な魔力操作を、ラースプンにとりついた分身体は持っているらしい。
「死体は操れないんじゃなかったの?」
「ただの死体はね。アレは私の『屍霊術』の術式ごと乗っ取ってるのよ。思ってたよりも優秀な寄生能力ね。あるいは、ラーちゃんに憑いたヤツが特別なのか」
「おい、どっちにしろ、アイツを倒さないと俺ら城まで戻れねーってことだろ!」
二度目の復活を果したラースプンは、これまで自分を飼いならしてきた主へ恨みをぶつけるように声をあげる。
それはガラハド山中で聞いた時よりも、ずっと力強く、それでいて、おぞましい。
黒き憤怒の咆哮が、イスキアの丘に轟いた。