第29話 戻る日常
リリィと出会ってから、早いもので一ヶ月がたとうとしている。
この世界においても、一日、一週間、一ヶ月、一年、の数え方は正しい、なぜなら呼び名こそ違うが、ここで採用されているのは地球と同じく太陽暦だからだ。
俺がリリィと出会ったのは『緑風の月』と呼ばれる4月に相当する月、その最初の週である。
今は5月『遠雷の月』、明日で二週目に入ろうという頃だ。
この異世界太陽暦は、2月『氷晶の月』は28日までで、4年に一度29日を数える閏年も存在するなど、全く一緒である。
お陰ですぐに憶えることが出来た、一日の時間も大体24時間となっている。
如何せん時計が無いので、ハッキリとは分からないが。
それと、この村や周辺についてもそれなりに分かってきた。
イルズ村や付近の村は、小麦を基本作物とした農村である。
ただ、この異世界にはモンスターという危険な存在がいるので、人の住まう村は、どんな田舎でもそれなりに人数も集い、イルズ村のように木の柵など最低限の防衛設備を持っている。
なので、数戸しか無いような極小の村々が無数に点在しているようなことは無く、中世の文明レベルであるにも関わらず人里はかなり正確に把握できているようだった。
また、大雑把だが周辺の地理を記した地図も、村長の家で見せてもらい、イルズ村に隣村のクゥアル村、ダンジョン指定されている妖精の森、クゥアル洞窟、メディア遺跡、その他の森林や山岳地帯に川など、大体の位置関係は覚えた。
イルズ村周辺は、ガーヴィナルという竜族が最近興した国の領土の一部であるらしく、その首都であるダイダロスをそのまま国名代わりに使われ、また、竜王の領地とも呼ばれる。
ガーヴィナルは、竜族の中でも若いのだそうだが、それでも強力な力と野心を持って、自ら王となり国を建てたのだ。
ああ、それとすっかり忘れていたが、このパンドラ大陸は人間による征服活動が展開中なのである。
開拓だとか植民地だとか、そんな台詞を港町で聞いたが、それは事実であった。
ちなみに、ここがパンドラ大陸であるのに対し、俺が元々いた実験施設のあったところは、アーク大陸と呼ばれている。
そして俺の世界では海の向こうを渡ってやってきた人間が、新大陸をどう征服したのかは、すでに歴史が教えるところとなっている。
アフリカやインドにおいては、原住民を奴隷扱いで支配し、本国との一方的な交易を結ばされた。
南アメリカ大陸では、当時栄えていた二大帝国であるインカとアステカは、両方とも滅び、民族絶滅という最悪の結末を迎えている。
では、このパンドラ大陸も、隷属か絶滅、どちらかの道を歩むことになるのか? といえば、どうやらそうでもないらしい。
植民地が征服されたのは、突き詰めて言えば圧倒的に武力の差があったから、子供でも分かる簡単な理屈、強い方が弱い方を好きに出来るのだ。
このパンドラ大陸に住まう、エルフ、ドワーフ、ゴブリン、獣人などの亜人種は、鉄と火薬で武装した人間が現れたとしても、対抗できるだけの力を持っている。
この魔法の世界においては、銃は絶対的な力を持つ武器にはなりえない、小型のダガーラプターすら満足に仕留められないようなものだ。
もっとも施設にいたヤツらの装備からいって、銃は開発されていないのは明らかであったが。
ついでに、俺はここ一ヶ月の生活で、異世界における人間という種族の持つ力がどんなものかも改めて知ることが出来た。
脱走する際、マスク共や剣を携えた軽鎧の集団は俺でも一息に殺せる程度の力だった、あれは偶々弱かったのではなく、人間の基本的な強さがあの程度のものだからだ。
あのサリエルほどの力を持ったヤツで、1万や10万の軍団が作れるとは思えない。
やはりサリエルは完全に別格で、この世界での人間は、俺の世界にいた人間と、基本的な性能は同一であるのだ。
魔法の力はあるだろうが、人間の軍団は、モンスターの力を持つ集団に絶対的な優位性は無い、寧ろ個々の能力は劣る。
そして、人間側にサリエルのような強力な者がいるのなら、こちらも同じく、他のモンスターを圧倒するほどの力を持つ者がいる。
その代表がドラゴンであり、ダイダロスを治める竜王ガーヴィナルもその一人なのである。
アーク大陸から渡ってきた人間の、パンドラ大陸における上陸地点は不幸にも、いやここは幸運と呼ぶべきか、ダイダロスの目と鼻の先であった。
よってアーク大陸の人間は、竜王率いる強力なダイダロス軍を正面に相手取る形となっており、ダイダロスから先のパンドラ大陸に侵攻することは出来きないでいる。
ダイダロス軍は現在、上陸した人間をほぼ完全に封じ込めることに成功しており、アーク大陸の人間の全軍撤退を交渉という名の脅迫中であるという。
以上は全て村長から聞いた話であるが、港町で聞いた会話で、パンドラ征服がうまくいっていない、というのと内容が一致するので、恐らくほとんど事実だろう。
どうやら、戦乱に巻き込まれるような心配は杞憂に終わりそうで、俺はこのまましばらく冒険者生活を続けられそうだと思った。
そして、今日も異世界の平和な日常が始まる。
「あ、ヴァーツさんおはようございます」
「おう、おはようさん
お、今日はリリィさんがいないねぇ、どうしたんだい珍しい」
「霊薬作りに今日は一日家で作業なんですよ、俺に手伝えることはもうないし」
「そうかい、ここ最近はほとんどアンタと一緒に毎日リリィさん見かけたけど、いないとやっぱり寂しいねぇ。
けど、そうかぁ、そろそろ薬売りの日だったかぁ」
「今回はいつもより沢山作れるみたいですから、良かったらどうぞ、お代は勿論いただきますけど」
「あっはっは、商売人だなぁ」
「生活がかかってますからねー」
「そんなこと言って、冒険者で結構稼いでるんだろ? かなり腕が立つって聞いたぞう」
「いやいや、黒魔法が珍しいだけですよ」
「モンスターを退治してくれりゃ何でもいいさ。
今日もギルドに行くんだろ、頑張ってきな!」
「はい、それじゃまた」
早朝、村へ行く途中で畑仕事中のヴァーツさんと挨拶するのも、最早習慣となっている。
初めて見たときはゴブリンが出現したと驚いたものだったが……うーん、慣れってすごいな。
ヴァーツさんと奥さん、その子供達が畑仕事に勤しむ姿は、服装以外はやはりゴブリンの群れにしか見えないが、彼らは立派にイルズ村の一員なのである。
「グリントさん、おはようございます」
「おはよう、あんれ、リリィさんが――」
さっきから出会う人みんなに言われるな、まぁ確かにいつもリリィと一緒ではあったけど。
事情説明もそこそこに、村の門を顔パスで入る。
最初に来た時もリリィが居たからあっさり通してくれたけど。
「そういやぁ、ウィンドルを見たってヤツが多くてよう、デカい群れができつつあるみてぇなんだわ」
ウィンドルは風狼とも呼ばれるモンスターで、ようは風の魔法を使う狼だ。
ダガーラプターと同じように群れを組んで狩りを行い、危険度はランク1と最低レベルだが、村人からすれば十分脅威に値する。
「そうですか、じゃあ見かけたら退治しておきますね」
「おう、よろしく頼むわぁ」
日々のモンスターの動向を聞くのも、いつもの事だ。
グリントさんは、自警団の団長らしいが、肉体派のリザードマンらしくこうして門番しているのが性にあっているのだとか。
それでも、村人や他の自警団員から村周辺の情報はしっかり聞いているらしく、特にモンスター事情には詳しい。
人間が侵略しに来ているとは言え、イルズ村にとって直接的な危険は、今も昔もモンスターだけなのである。
「おはよう、今日はどんな本をお探しかしら?」
村長の家を訪れて、異世界に関する本を読むのが、俺の午前の日課だ。
毎日図書室に入り浸る学生(現役で高校生だが)状態の俺を、シオネ村長は快く迎えてくれる、いや、いつもお茶とか出してもらってホントすみません……
「転移・召喚魔法か、その儀式設備がある遺跡について書かれているのってありますか?」
「魔道書はないけれど、そうねぇ、遺跡系ダンジョンに挑んだ冒険者の記録くらいしか、それらしいものはないわね」
「それでお願いします」
俺は元の世界に帰ることを諦めたわけでは勿論無い。
ただ、どうすれば良いのか全くわからないので、こうして本などで召喚魔法について調べるくらいのことしかできない。
「魔法やダンジョンについて詳しい本となると、ダイダロスにある図書館でもないとありませんね」
「やっぱりそうですか、その内行くことも考えておきます」
まぁいいさ、焦っても仕方ないし、この問題はゆっくり考えることにしよう。
クロノもようやく異世界での生活が‘日常’と言えるほど安定してきました。人間によるパンドラ大陸の侵略は進んでいないようですが、果たして……