第269話 一人が二人
「え、それじゃあ俺一人だけ留守番ってこと?」
夕食時、俺含め寮の住人四人が集ったラウンジで交わされた会話内容をまとめると、そういうことになる。
「ごめんねクロノ! ごめんねぇー!!」
「すみませんクロノさん」
と、膝の上に乗っかって半ば泣き付く勢いの幼女リリィと、いつも通りの無表情で淡々と謝罪を口にするフィオナ。
「いや、二人共パワーアップするのに必要なことなんだろ、だったら思う存分やるべきだ」
俺が加護を得るためにミアちゃんの試練を受けるように、何とリリィとフィオナも似たようなことをするのだという。
その詳しい試練だか修行だかの内容は妖精と魔女の秘密と言われたので分からないが、それぞれ単独で成さなければいけないのだとは聞いた。
つまり、リリィとフィオナはスパーダを離れて修行の旅にでるという事だ。
「遅くとも一ヶ月くらいで帰って来る予定ですので」
「クロノごめんねぇー!!」
「一ヶ月でいいのか? 修行とかって、もっと時間がかかるものじゃないのか?」
少なくとも、俺の試練は一ヶ月じゃ終わらない。
例えモンスターが連続で現れたとしても、ラースプン並みのヤツを相手に連戦で勝ち抜くというのは、いくらなんでも不可能だ。
「大丈夫です、ちょっと必要なモノを集めるだけで済みますから」
「ふーん、採取クエストみたいな?」
「大体そんな感じですね」
「クロノぉー!!」
「リリィ、別に俺は怒ってるわけじゃないからな、そんなに謝らなくていいんだぞ」
この話をした時からぐずりっぱなしのリリィ、俺はとりあえず宥めるように頭をなでなでする、いつもより愛情三割増しくらいで。
「うぅー、クロノは一人で寂しくないの?」
潤んだ瞳で上目遣いは反則だろうリリィ、そんな目で見られたら快く送り出してやろうという気持ちが揺らいでくるじゃないか。
「そりゃあ、寂しいことは寂しいが――」
「じゃあリリィ行くのやめる」
「ダメですよリリィさん、それじゃ本末転倒じゃないですか」
変わらぬ無表情のはずなのだが、どこか冷たさを感じる目つきのフィオナが、俺の膝の上で猫のように丸まるリリィを抱え上げた。
「やぁーっ!」
「クロノさんに甘えてばかりいてはいけませんよ」
フィオナに捕獲されてじたばたもがくリリィ、何だか聞き分けの無い妹をしかりつける姉みたいだ。
本気で泣きそうなリリィには悪いが、二人のその姿はどこか微笑ましく思えてならない。
「クロノさんも、リリィさんに言って聞かせてあげてくださいよ」
「えーと、頑張って終わらせて、早く戻って来てくれよリリィ!」
「ほら、強くならない役立たずはいらないとクロノさんも言ってますよ」
「やぁークロノ捨てないでぇーー!」
なんだその歪曲表現は、そしてリリィも本気にしないでくれ。
「うぅ……クロノ、リリィ頑張るからね! 待っててね!」
だが、一応リリィのヤル気には繋がったようで、フィオナの膝の上で雄雄しく覚悟を語った。
「おう、頑張ってこい!」
一体何をどう頑張るのか詳しくは分からないが、とりあえず新たな力を得る以上それなりの苦労はあるだろう。
一人でしなければならないという制約があるので、俺には応援することしか出来ないというのはもどかしいが。
「クロノぉーうぐぐっ!」
「ダメですよリリィさん、またクロノさんの膝の上に戻ると離れがたくなってしまいますから」
「ぐぬぬーっ!!」
さて、椅子の上で仲良くじゃれあってる妖精と魔女の二人は置いておこう。
俺はテーブルを挟んで正面に座る錬金術師へと視線を向けて話題を振った。
「シモンは野外演習に参加するのか」
「うん、ウィルと一緒にライフルの試し撃ちしてくるよ」
野外演習は、各コースの生徒が集って一つの部隊を構成し、実戦さながらに適当なダンジョンへモンスター討伐に行く特別授業なのだそうだ。
「何処のダンジョンに行くかはもう決まってるのか?」
「うん、イスキア丘陵だって。去年と同じの定番ダンジョンだね」
おお、そこは俺もつい先日行って来たばかりの場所じゃないか。
奇遇だな、と思うより、シモンが定番と言ったように、スパーダ周辺かつ大人数での行動に向くダンジョンとなれば、自ずと選択肢は限られてくる。
「イスキア古城を拠点に周辺のモンスターを討伐するんだけど、僕が戦いで出番がありそうなのは拠点防御くらいだろうし、モンスターが来てくれなかったら銃の出番もないんだよね」
見張り用の塔に篭り、ライフル片手に睨みを利かせるパーフェクトスナイパースタイルなシモンが目に浮かぶようだ。
シモンが狙っているなら、俺は絶対に攻城側に参加したいとは思わないな。気づいたら脳天を吹っ飛ばされるのがオチだろう、全く、恐ろしい娘、いや、子である。
「そういえば、丘の上に城が建ってるのが見えたな、アレがイスキア古城なのか」
盗賊討伐の後、一応はイスキア丘陵に赴いてグリードゴア捜索はした。勿論、完全な空振りに終わったが。
「そうそう、それだよ、昔はあそこが国境線を争う最前線だったんだって」
遠目に見てもソレと分かるほどの大きさだったから、なるほど、重要な拠点防御として活躍していたのか。
「なんか、ダンジョン一つとっても歴史があるんだな」
スパーダ育ちではない俺には、どれも初めて聞く話ばかり。
普段のこういう何気ない会話でも、俺は少しずつこの異世界の知識を深めることになるわけだ。
だが、それも話す相手がいなければ成立しない。
「野外演習の期間は、二週間くらいだったか?」
「うん」
それがちょうどリリィとフィオナがいなくなる時と重なるんだからな、参るぜ。
「お兄さん、もしかしてホントにちょっと寂しかったりする?」
思えば、リリィと出会ってからは、彼女を筆頭にいつも誰かと一緒に行動してきた気がする。
そして、それがいつしか当たり前のように思えていたのだろう、そんな俺がいざ一人になるというのだ。そりゃあ、
「そうだな、寂しいよ」
苦笑しながら、俺は少し情けない本音をシモンに零した。
「クロノぉーやっぱりリリィ行かないよぉー!」
「リリィさん、何度言ったら――」
この騒がしくも微笑ましい時間も、これからしばらくはお預けか。
果たして、静かな寮で一人過ごすのに耐えられるのか、なんて女々しい心配を思わずしてしまうのだった。
「すみません皆さん! 私だけ学校でお留守番ですぅ!!」
アヴァロンのお姫様は、学生食堂に集った『ウイングロード』のメンバーに向かって涙ながらに頭を下げた。
「……は?」
いきなりの謝罪に、兄のネロも思わず間の抜けた反応をしてしまう。
他のメンバーも似たような反応、だが、シャルロットだけは事情を知っているのかどこか決まりの悪そうな表情をしている。
「つまり、どういうことなんだ?」
「はい、あのですね――」
悲痛な面持ちで事情を語るネルは如何にも悲劇のヒロインといった風に見えるが、
「テストで赤点だったから追試で野外演習に参加できないだと!?」
誰の所為にもできない完全な自業自得であった。
「すみません、その、気づいたらテストが終わっていて……」
「おいおい……どんだけボーっとしてたんだよ」
どこかのほほんとした雰囲気のあるネルだが、流石に答案用紙を白紙で提出するレベルで間が抜けていないことは兄として当然知っている。
だからこそ、尚更驚きではあるのだ。
「まぁいいじゃねぇか、赤点なんてよくある事だしよぉ」
あっけらかんと言い放つのは、剣術バカとネロから揶揄されるカイ・エスト・ガルブレイズ。
剣の申し子、剣に生きる、などと言えば聞こえは良いが、それ以外はさっぱり無頓着な彼は筆記試験の成績が常に絶望的なのはメンバーだけでなく神学校では周知の事実である。
「お前とネルを一緒にすんな」
要領が悪く少々ドジなところもあるネルではあるが、生来の真面目な気質もあって、特別苦手な教科を除けば十分に優秀な成績を治めている。
始めから学業を捨てているカイと、精一杯努力しているネルとでは比較対象にならないのは当然だ。
「追試が決まってしまったなら、今更どうにかすることもできないでしょ」
眼鏡の奥で紫に煌く‘魔眼’を揺らめかせながら、サフィール・マーヤ・ハイドラはどこか達観した物言いをする。
「まぁ……そうだな」
参ったとばかりに黒髪を掻き揚げるネロ。いくら彼でも真っ当にテストへ出席した上で赤点を叩き出した妹をフォローすることなどできようはずもない。
「はぅ……ごめんなさいぃ……」
そして、そのどうしようもなさを一番理解しているのは当の本人でもある。
「今回の事はもうしょうがないわ、問題なのは野外演習よ」
ネロ、ネル、シャルロット、カイ、サフィール、この五人で冒険者パーティ『ウイングロード』は構成されている。そこから一人抜けるということは、純粋にパーティバランスの崩壊を意味する。
「うぅ、私が抜けてしまったばかりに迷惑を……」
だが、シャルロットがここで問題提起しているのは、四人になってしまったことではく、
「私ら四人は今回の野外演習で一緒だけど、ネルは次に持ち越しでしょ、その時は一人になるじゃないの!」
「ああ、俺もそれが一番心配なんだが」
「ええーそっちの心配だったんですかぁ!?」
当然だ、と言うようにネル以外の四人が首をたてに振った。
「そもそも俺ら四人は単独でもやってける火力はあるからな。けど、治癒術士のネルを一人でってのは、なぁ」
伊達にランク5パーティを名乗っているわけではない、ないのだが、基本的に回復や強化などのサポート中心の治癒術士が単独になってしまうのは、大いに不安がある。
「あの、私一人といっても、他の生徒も一緒に――」
野外演習は、その一回で全ての生徒を動員するわけではない。
年に何度か行われ、生徒たちはそのどれか一回に参加すれば良いのである。
『ウイングロード』は今回の野外演習に参加することが決まっていただけであり、ネルのように赤点で追試やその他やむをえない事情で参加を見送る生徒は、また次の機会に回されるだけという、意外に柔軟性のある行事だったりする。
しかしながら、
「他のヤツはアテになんねーだろ、はぁ、今回の野外演習サボれば俺も次に回されるか――」
どうにもネロにとっては、このお人よしな妹は自分の目の届く範囲にいてくれなければ不安なようである。
もっとも、ネルのように純真無垢な美しい妹を持てば、男ならば殊更に兄として過保護にならざるをえないだろう。
「いけませんお兄様! 私のことはそんなに心配しなくても、自分でなんとかしますから!」
だが、その兄心を妹がありがたいと思うかどうかはまた別の問題である。
少なくとも、ネルは兄が不正を働いてまで自分の面倒をみるのを良しとはしなかった。
「そうよネロ、流石にそれは過保護すぎ」
「やーいシスコン男」
「ちっ、そこまで言われちゃ大人しくしてるしかねぇか」
妹の強い反論にあえば、ネロとて引き下がらざるを得なかった。
調子に乗ってシスコン呼ばわりするカイへの鉄拳制裁は忘れなかったようだが。
「それじゃあネル、しばらくお前を一人にしちまうが、なんだ、その、気をつけろよ」
「はい、お兄様こそ、あまり無茶しないでくださいね」
イマイチ兄としての忠告が伝わっているかどうか不安なネルの反応に、ネロはもう一押し具体的な注意を促すことにした。
「男に気をつけろ、特に、気味の悪い触手を出すようなヤツにはな」
「え、あ、はい」
だが、残念ながら兄の注意は全く妹へは伝わらなかったようである。
それはともかく、『ウイングロード』は結成以来、初めてメンバーを欠いた状態で活動することとなるのだった。
同時に、このスパーダに留学してからのネロが、妹のネルと一週間以上もの期間を離れるのも、また初めてである。
もしネルがアヴァロン王宮にいるのであれば、一週間や一ヶ月など気にせず、安心して残していけただろう。
だが、同盟国とは言え異郷の地であるスパーダに、いや、より具体的に言うのなら、有象無象の男が存在するこの王立スパーダ神学校に、彼女を一人で残すのには言い知れない不安がある。
特に、あのクロノという底知れない不気味な男もこの学校の寮に滞在していると思えば、その懸念もより一層強いものになる。
「とにかく、男には気をつけろ、いいな?」
「あはは、やっぱシスコンだー」
結局、ネロの不安が拭われることはなかった。
そして、そんな兄心を知らず、ネルは天使の笑顔で野外演習に旅立つネロを見送ることだろう。