第150話 蠢く白い影
メディア遺跡は、首都ダイダロスより10キロほどの地点に存在する、危険度ランク4の高難度ダンジョンである。
広大な地下空間であるメディア遺跡に最近発見された新区画の調査は、十字軍の侵略によって冒険者の活動どころではなくなっていたため、ほとんど手付かずの状態であった。
首都ダイダロス陥落よりおよそ一ヶ月の間、冒険者ギルドはその機能を完全に停止していた。
そして、それは当然、魔族の自由など許さない十字軍が支配することによって、現在も、いや、最早永久にダイダロスの冒険者達の活動は禁止されている。
故に、普段ならばちらほらと冒険者の姿が見えるはずのメディア遺跡にあって、彼らの逞しい姿は何処にもない。
だがしかし、今ここには本来活動している冒険者の数よりも、遥かに多い人によって賑わっている。
それは全員が人間、白地に十字のシンボルをあしらった揃いの服装、紛れも無く、十字軍である。
彼らの大半は、メディア遺跡の新区画に集中していた。
なぜなら、そこに目的のモノがあるからである。
「へぇ~コレがそうなんですかぁ、イヤぁスミマセン、凄そうな祭壇というのは分かるのですが、古代魔法関係は専門外なもので――」
『白の秘蹟』の最高責任者であるジュダス司教は、目的の『祭壇』の前までたどり着いたその時、背後からこの耳障りな甲高い早口の台詞を投げかけられた。
いつもと同じ眉をしかめた険しい表情のまま、喧しい声の主に向けてジュダスは振り返った。
「いやぁどうも~、私、メルセデス枢機卿猊下直属軍団の総指揮官を務めております、グレゴリウスと申すものです、あ、位はこう見えて司教ですので、んふふ、お揃いですねぇ、同じ司教同士、変な遠慮は無用ですので、どうぞよろしくお願いしますぅ」
紛れも無く司教の位を示す法服を纏ったその煩い男は、人間の成人男性としては平均的な身長で、少しばかり細身に見えるという以外には、とりたてて目立つ容貌では無い。
馴れ馴れしくジュダスに向けて握手を求めるグレゴリウスは目をやけに細めて、いや、元々細目なのだろう、どこか狡賢い童話のキツネを思わせるような顔つきで胡散臭い笑みを浮かべている。
「『予言者』グレゴリウスか……それで、用は何だ司教殿」
てっきり無視を決め込むのかと思える雰囲気だったが、ジュダス自身は特別気を悪くした様子は無く、そのまま握手に応じた。
「いやいや、『予言者』などとお恥かしい二つ名を、まぁ私が自分で名乗ってるんですけどねぇ、あっはっは!」
一人で笑い声を上げながら、握手を交わした二人の司教は隣に並び、言葉を交わす。
「何の用だ、と聞いているのだが」
「あぁ、これはスミマセン、どうも私お喋りなクチでして、どうにも話を脱線しやすく、よく言われるんですよぉ、早く本題を話せ、って」
「……」
ジュダスの無言の圧力が分からないほど、どうやらグレゴリウスは空気の読めない男ではないようだった。
「深い意味はありません、ただのご挨拶ですよ。
私、十字軍の‘皆さん’とは是非とも仲良くしていきたいと思っておりまして、こうして方々を挨拶周りしているのです、貴方は色々と目立たな――おっと、何かとミステリアスな方ですからねぇ、どうにも居場所と連絡先などが分かりづらくて、こうしてお会いするのが最後になってしまいました、どうかお気を悪くしないでくださいね?」
「ならば、もう目的は達したであろう」
言外に早く帰れと言っているのは明白。
だがそれに気づいているのかいないのか、グレゴリウスは笑みをより一層深くして、さらに話しかける。
「いえいえ、折角こうしてお会いしたのですから、少しばかり近況報告やら、情報交換といきませんかぁ?
私はこう見えて顔は広いですからねぇ、ここ一ヶ月のダイダロスの様子など、色々お教えする事ができると少しばかり自負しておりますよ、はい」
「儂には必要のない情報だ、お主も研究で篭り切りの爺に聞くことなどないだろう」
ジュダスは司教という高い位を持ちながらも、自身の研究に没頭している根っからの研究者だということは、教会の中では割と有名な話である。
曰く、ジュダスという男は自分の満足いく研究環境を整えるためだけに、司教の位まで登り詰めたといわれる。
それはつまり、誰にも邪魔されず研究さえ出来れば、他に何も欲しない、多くの聖職者が求める‘富‘と‘権力’には見向きもしないということ。
そんなジュダスの話から得られるのは、何だか分からない専門的な研究の情報だけであり、自身の利益に結びつくようなものは一つもない。
ジュダスは第七使徒サリエルを‘創り上げた’ことをはじめ、その研究成果は大々的に公表され、内外から高い評価を得てはいる。
しかし、その有能さを当て込んで自身の懐に取り込もうとするにしても、司教という位は厄介なものであり、なにより最高位たる教皇自身に目をかけられていることから、ジュダスとは不干渉を貫くのが良いと、教会内で評価されているのであった。
勿論、そんな評判をグレゴリウスは知らないはずが無い、が、それでもしつこい娼館の勧誘のようにジュダスへ言葉をかけた。
「貴方が‘我々’の行動に影響を与えないものであるのはよくよくご存知ですよ、しかしながら――」
軽薄な細目に、僅かに鋭い光が宿る。
「――方々で‘魔族狩り’を行っているのは、下手をすれば反感を買いかねない少々危険な行動ではないですかぁ?」
ジュダスは、ゆっくりとグレゴリウスに顔を向ける。
大柄なジュダスはグレゴリウスを見下ろすような格好となった。
老齢の研究者としては、少々不自然なほど引き締まり、鍛え上げられた肉体は、第一線で戦う騎士のような印象を覚える。
だが、グレゴリウスは抜き身の刃の如き威圧感を前にしても僅かほども心が揺らぐことは無い。
「何故それを――と聞くのは、野暮であるな。
儂の行動を『予言』した、そうだろう?」
「いやぁ、実はそうなんですよぉ、コレ以外に証拠が無くてもう色々と探るの大変でしたよ!
中々どうして、秘密裏に動くのがお上手ですねぇ、年の功ってヤツですかぁ、んふふふ」
ジュダスが秘密裏に、十字軍兵士や傭兵として占領部隊に己の手のものを紛れ込ませ、有用な‘実験体’を捕獲するために暗躍していたことは、教皇以外に知るものはいない。
そのはずだった。
「それで、如何でしたかパンドラの魔族は? ご満足のゆくものでした?」
「現段階で必要数は確保できた、研究は予定通りに行われる」
すでに隠す意味はないことを理解しているジュダスは割と正直に答えた。
「『神兵計画』でしたっけ? いやぁ思っていたよりも優秀なようですねぇ、このまま‘量産化’が成功しちゃったら、十字軍兵士みーんな失業しちゃうんじゃないですかぁ?」
賞賛なのか嘲笑なのか、判別しづらい台詞に、ジュダスはただ「予定通りの研究成果だ」という以上のことは言わなかった。
世辞も罵倒も、この研究に打ち込む司教に対しては馬の耳に念仏と同じ、何ら気にするほどのことではない。
「あ、そうそう、それでも壊滅しちゃった部隊があるそうじゃないですか、これの事に関しては、少々詳しいですよ? なにしろ私の配下の占領部隊で起こったことですからねぇ、確かキプロス傭兵団、とかいう名前でしたっけ?」
キプロス、魔族捕獲任務において唯一戻らなかった若い男の顔を思い浮かべるが、ジュダスはすぐに忘却の彼方へ消し去った。
死んだ者に用は無い、必要な駒が、部品が、壊れたというのなら新しいものに取り替えれば良いだけの事。
キプロス担当の部隊は捕獲数ゼロ、生還した実験体も半分以下の壊滅状態であった。
だが、そういう失敗をする者の存在も織り込み済み、先も言ったように、実験体としての魔族の数は十分確保できており、目的は達成されている。
故に、いやみとも取られかねないグレゴリウスの言葉にも、別段思うところは無いらしく、逆にジュダスは問い返すのだった。
「お主の方は、使徒を動かしたそうではないか。
一万にも満たない魔族の民を殲滅させるなど、使徒の仕事ではないな」
「まぁそれは私も思ったんですけどねぇ、どうにも『予言』には逆らえないものでして。
動かすところまでは良かったんですけど、帰ってきたらえらく不機嫌でしてねぇ、報酬の増額につぐ増額で、私の‘ボーナス’がパーになっちゃいましたよ、たはは」
くすんだ金髪をボリボリとかきながら、グレゴリウスは第十一使徒ミサの暴虐ぶりを面白おかしく語る。
「アレはお主よりも強力な‘加護’を得ているのだ、僅かばかり『神意』に干渉できるからと言って、使徒を容易く御することが出来るなどと思わぬ方が良い」
「……ええ、そうですね、よくよく肝に銘じておきますよ」
一瞬だけ、グレゴリウスの気配が鋭くなったのをジュダスは察知していた。
それは『予言』のカラクリを言い当てられたことに対する警戒か動揺か、どちらにせよ、この場でどうこうするようなつもりは、お互いに無い。
「勘違いしないでいただきたいのですが、私は貴方と敵対するつもりも、邪魔するつもりもありません。
‘私達のダイダロス’で何かしようという時は、話を通していただければ、色々と便宜を図ってあげることができますよ。
思惑はそれぞれあっても、神の為に働くことに変わりは無いですからね、円滑な協力関係が築けることを私は、いえきっと神も願っていることでしょう」
「……憶えておこう」
ありがとうございます、と恭しく頭を下げるグレゴリウスを、すでにジュダスは見てはいなかった。
その目は、正面に聳え立つ古代の祭壇。
それが如何なる効果を秘めた魔法装置であるのか、グレゴリウスが言ったように専門知識が無ければ分かるはずもない。
だがジュダスには一目見て、これが何なのか、どう使うのか、何ができるのか、即座に把握した。
故に、ここがランク4の危険なダンジョン内であっても、彼は躊躇する事無く‘決断’を下したのだ。
「ああ、すっかり言いそびれてしまいましたが、お祝いの言葉を送らせていただきますね。
白の秘蹟‘第四研究所’設立、おめでとうございます」
ここは最早メディア遺跡にある名も無い新区画では無い。
神兵計画を推進する、クロノを始めとした数々の実験体を生み出した忌まわしき第三研究所に次ぐ新たな研究所、すなわち『第四研究所』が、パンドラの地に建設されたのだった。
第9章はこれで最終回です。計らずとも150話で終えられるとは、中々キリが良いですね。
スパーダへ逃れたクロノは、これからどう再起を図るのか、どうぞ次章もお楽しみに。クロノたちの戦いは、まだまだこれからです!