第130話 黒の館(ブラックボックス)陥落
ギルドのロビーには、生き残った冒険者全員が集結し、順次脱出路を通って撤退を始めている。
改めて見渡してみれば、皆一様に戦いの痕をその身に残し、どこの配置も激戦であったことを物語っている。
そして何より、その数が目に見えて減っていた。
全部で103名いた冒険者達だったが、特に今日の一戦で20人以上が戦死し、大幅に人数を減らしてしまっている。
だが未だ戦闘中、嘆いている暇は無いし、これから速やかにアルザス村から脱出しなければならない。
「ヴァルカン、突撃部隊を率いて先に裏門で準備しといてくれ」
「いいのかよ、お前が殿で」
「気にするな、最初からそうする予定だったろ」
「そういやそうだったな、先に行ってるぜ」
敵の重騎士部隊が後方に迫っていることは、すでに全員へ伝わっている。
そして、これから街道を通って逃げるには、この100の重騎士部隊を正面突破するしかないことも理解している。
ここが最後の山場だ。
「あ、お兄さん」
「シモン――なんだ、そっちも大変だったみたいだな」
『ヤタガラス』を肩にかけるシモンは、全身がやけに煤けている。
よく見れば、その細く白い手足には赤い火傷のような痛々しい跡が点々と見受けられる、きっと炎の攻撃魔法で狙われたのだろう。
「今日は魔術士が沢山いたからね、一発撃ったら火の玉が十発返って来るんだ、参るよホント」
そう言って苦笑を浮かべる、どうやら元気はまだまだあるようだな。
「それでも無事で良かった、ほら、シモンも早く行った方がいい」
「うん、じゃあお先――にっ!?」
と言った瞬間、シモンの頭がガクンと揺れる。
まるでハンマーで叩かれたかのような反応だったが、シモンの脳天に叩きつけられたのは鋼鉄の塊などではなく、二つの乳の塊だった。
「なんてことだ、怪我をしているじゃないかシモン、よく私に見せてご覧」
「あ、スースさん……」
未だ加護発動中なのか、唐突に現れたスーさんがシモンを後ろから抱きしめている。
恥かしいのか逃れようとするシモンだが、以外とマジで拘束しているのかスーさんの腕から逃れられない。
ついでに、シモンが身をよじるたびに頭の上にある大きな乳房がたゆんたゆんと揺れたりたわんだり、まるでスライムのように激しく動く――いや、あの中身もスライムなんだっけ?
「遊んでないで、早く行け二人とも」
「これは失礼、それじゃあ行こうかシモン」
「うーあー……じゃあねお兄さん」
何か言いたげな目をしていたシモンだったが、結局、スーさんに抱えられたまま脱出路へと姿を消した。
そんな仲良し女の子二人組みを見送ると、もうほとんどの冒険者はこの場を脱したようで、ここ最近は毎日賑わっていたギルド一階のロビーは随分と物寂しい光景となる。
そんな感傷に浸っていると、最後のメンバーが帰還した。
「ただいま、クロノ」
リリィは地上にいる俺達の退避が完了するまでは天馬騎士部隊の動きを抑えてくれていた為、ギルドへ戻ってくるのは最後となってしまったのだ。
「無事に戻ったようでなによりだ」
「私は睨み合いしてただけだからね」
すでに少女状態では無くいつもの幼女姿になっているが、意識だけは元に戻しているようだ。
「私も空から確認したわ、白い鎧の集団が真っ直ぐこっちへ向かってた」
「そうか、ただの歩兵なら、まだなんとかなったんだけどな」
「でも、いいの? 足止めはまだ5日目、もしかしたら、追いつかれるかもしれないわよ」
「ああ、そん時はガラハド山中でゲリラ戦を仕掛けりゃ1日くらいは足止めできるだろう」
「ホントに?」
「……たぶんな、やってみなきゃ分からん」
意地悪く笑うリリィの視線が心苦しい、幼女の姿でそんな小悪魔的な微笑みしないでくれよ。
「ふふ、大丈夫、きっとなんとかなるわよ」
「そうだな、じゃあリリィ、先に――」
「行くわけないでしょ、私はクロノと一緒、離れるつもりはないわ」
必ずしも殿にリリィを配置する必要は無いため、先にギルドから脱出して欲しかったのだが、こうしてローブのフードへ入りしがみ付かれてしまっては、もう振り払うことはできないな。
「仕方無い」
首元に猫のように纏わりつくリリィの頭を撫でると、この修羅場にあっても凄まじい癒し効果を発揮して、俺の心を落ち着かせてくれる。
「この状況下で、随分と余裕ですねクロノさん」
「フィオナ!? うっ、なんつーか、もう歩いても大丈夫なのか?」
現れた黒衣の魔女フィオナ、いつも眠そうな目は今も相変わらずだが、どことなく冷めた感じに見えるのは俺の気のせいだろうか。
「魔力全開、とはいきませんが、普通に動く分には問題ありません、ポーションを沢山頂きましたので」
脳裏にベッドの上で各種ポーションをガブ飲みするフィオナの姿が鮮やかに映し出される。
「では、私も先に行って馬の用意をしておきますね」
「頼んだ」
フィオナを脱出路が通じる地下室へ降りて行くのを見送った直後から、ギルドを揺する音と衝撃が一際大きくなった。
「そろそろここもヤバいな――」
特に正面玄関などは、破城槌でも持ってきたのか、ガンガンと物凄い勢いでぶっ叩かれている。
いくら黒化で強化したと言っても、あの様子じゃ破られるのは時間の問題だ。
「それじゃ、こっちも最後の策の用意をするか」
十字軍兵士達は、有刺鉄線を乗り越え、柵を打ち崩し、ついにアルザス村の防壁を突破した。
魔族が組織的な抵抗を止めてギルドへと引きこもった今となっては、あれほど苦戦を強いたこの防壁もあっさりと超えられてしまう。
そして、この戦いもついに終わりが見えてくる。
黒の館と仇名される黒一色の冒険者ギルドに向けて、兵達は砂糖に群がる蟻の如き勢いと数で攻め寄せていく。
ギルド周辺は未だ目くらましの煙幕によって視界が悪いものの、矢の一本も飛んでこない無抵抗なことで、全く気にせず突き進む。
ただ天馬騎士部隊だけは敵の見えないこの状況にあって、無理に攻撃することはせず、上空で待機状態となりつつ、地上部隊がこの不気味な建物を制圧する様を高みの見物と決め込んでいた。
「よぉし、もう一撃だ!」
威勢の良い声がギルドの正面玄関から響き渡る。
渡河に用いた丸太をそのまま扉を破るのに歩兵達は利用していた。
魔法も技術も無い原始的な方法だが、何人もの男達が抱えて思い切り叩きつける丸太は、一撃ごとに確かな破壊力となって黒色魔力で強化された扉を歪める。
そうして、防ぐことの出来るダメージの限界に達した黒い扉はとうとう打ち破られ、堅牢な守備を誇る黒の館はついに敵の侵入を許す。
「開いたぞ! 行けぇええ!!」
「うぉおおおお!」
高らかに鬨の声を挙げて、一挙にギルド内へと雪崩れ込む兵達。
100名以上の冒険者を収納できる広めのロビーだが、怒涛のように踏み込んでくる兵達によってあっという間に面積は埋まってゆく。
「なんだ、敵がいねぇぞ!」
「気をつけろ、上に潜んでるかもしれない」
「いや、逃げ道があるに違い無い! 探せっ!」
ギルド内に敵の姿が見えない事に凡その見当をつけ、兵達は即座に動き出す。
ある者は階段を上り各部屋の索敵をする。
またある者は、秘密の隠し通路が無いかと壁や床をチェックする。
恐らくは、上空で待機する天馬騎士へ、周辺の捜索を要請する命令もその内に下されるだろう。
少なくとも50名以上は生き残っている魔族の集団が、忽然と姿を消すことなどありえない。
どこに隠れたのか、あるいは逃げたのかは分からないが、敵はすぐに見つかる。
そう十字軍兵士の誰もが思っていた、その矢先である。
バキ――バキン――
不吉な音がギルド内を踏み荒らす兵達の耳に届いた。
「お、おい、今のって――」
まるで木の柱が折れた時のような音だ、そして、その感想は実に的を射たものであった。
致命的な部分が折れる連続的な音と共に、床がグラグラと揺れ始める。
「早く逃げろ! 崩れるぞぉ!」
兵達がギルドより脱出しようと慌てて踵を返すが、時すでに遅し。
数多くの兵を満載した建物は、その外に群がる兵までも巻き込んで、逃げる間も無く瞬時に倒壊する。
人の悲鳴を掻き消して、ただ崩壊の轟音が周囲一帯に響き渡った。
「――黒化解除」
ギルドを包む黒化を解除すると、あらかじめ細工をしておいたことで、すぐにこの4階建ての木造建築は崩れ落ちる。
「よし、上手く行ったようだな」
「やったね!」
肩に乗るリリィとハイタッチを決める。
この脱出路にまで響いてくる振動と轟音は、ギルド倒壊の策が成功したことを如実に表していた。
こうしてギルドごと崩してしまえば、この脱出路の入り口を塞ぐことができる。
「んー、結構な人数が巻き込まれたみたいね」
「そうか、最後までギルドは大活躍してくれたな、感謝しないと」
自分で強化したとはいえ、今日までよく耐えてくれたギルド、いつの日かアルザスを十字軍の支配から解放できたら、この場に記念碑を打ち立ててもいいくらいだ。
「やれることは全部やった、ケツまくってさっさとズラかるぞ!」
「うん!」
最初に落とした橋に続いて、こういう建物を崩壊させるのも定番ですよね。