第1073話 レムリア海戦(1)
紅炎の月16日。
どんよりとした分厚い雲がかかるが、風は穏やかで、静かな波が広がるレムリアの大海原。
灰色の空と紺碧の海、二色の景色がただそこにあり続けるだけの海上に、今まさに東西より古代の全盛期以来、最大規模の大艦隊がやって来た。
その西より来るロンバルト征服艦隊。旗艦、天空戦艦アスガルドのブリッジにて、西方大帝ザメクはいつものように太い腕を組み、玉座にふんぞり返っては野獣の如き獰猛な笑みを浮かべ、メインモニターに映し出された敵影を睨んだ。
「ほぉう、アレが魔王の繰り出した連合艦隊とやらか」
いまだ攻撃の射程内には遠いものの、両艦隊はついにレムリア海上にて互いを認識する距離にまで相対を果たした。
大陸西部はレムリア海だけでなく、遥か彼方に暗黒大陸が浮かぶ広大な大黒洋にも接しており、沿岸部には大きな港が幾つもある。故に西部で有力だった国々は、いずれも大きな海軍戦力を保持していた。
西部統一を成し遂げたザメクは、それらと幾度もの海戦を演じ、そして最後には勝利してきた。西の海で苛烈な覇権争いを潜り抜けてきたロンバルトは、今やルーンに勝る海軍戦力と、そして何より海戦の経験があると自負している。
しかしながら、曇天を背に海を進んでくる連合艦隊は、これまで相手してきた西部各国とは比較にならない大艦隊であった。
先頭を進むルーン国旗が翻る戦艦を筆頭に、主力級の大型艦は何れも濛々と黒煙を吹き出し、大海原を突き進む姿は力強い。
レムリア最大の敵と見ていたルーン海軍についてはかねてより調査を行っていた。戦艦から巡洋艦に至るまで、すでにほぼ魔導式へと更新されており、ロンバルト海軍に劣らぬ性能があると判明していたが……あんなに黒い煙を噴くような魔導機関では無かったはず。
この土壇場で新型を導入していたか、あるいは入念に隠蔽されていたか。どちらにせよ、こちらが事前に入手していた情報以上の速力を発揮しているルーン艦隊に、やはり一筋縄ではいかぬ相手だと思わされてしまう。
だが見たことも無い最新式の魔導戦艦よりも遥かに衝撃的なのは、大艦隊の上を悠々と飛ぶ巨大な要塞――――ザメクも西部で探し続けたが、ついぞ見つけること叶わなかった、天空戦艦と双璧を成す古代の飛行型巨大兵器。すなわち、天空母艦である。
「十字軍が使っていた時は白かったはずだが……どうやら、ただ色を塗り替えただけではないらしい。ギル、お前はどう見る」
「飛行速度も姿勢も安定。展開されているシールド出力も、こちらと遜色はありません。無理に飛ばしたハリボテではなく、天空母艦として十全な機能を持っています。ですが、気にするべきは、この大きな円塔のような構造物ですね――――」
ザメクの右腕、六聖将の筆頭たる魔導士ギルフォードは、拡大された天空母艦の一部を指し示す。
巨大な船体に、平坦な甲板を目一杯に広げた、明らかに他のモノを載せるための構造が、天空母艦の特徴である。十字軍はその広大な甲板に白い宮殿を建てて、空中要塞として使っていたが、本来は戦人機やさらに大型の機動兵器を積載した、文字通り母艦となるものだ。
本物の戦人機を軍団で抱えるオルテンシアであれば、古代における正しい運用法も出来たのだろうが、帝国に戦人機は無い。あったとしても、オルテンシア戦線に投入する。
古代兵器を満載にするはずの巨大な甲板に載せられるのは、精々が竜騎士くらい。従来の空中戦力しか搭載はしないと予想は出来ていたが――――甲板のど真ん中に鎮西している、巨大な円塔型の構造物は尋常ではない不気味な気配が漂っているのを、鋭敏な第六感を備えたギルフォードは強く感じていた。
「戦艦と同じように煙を噴いておるのだから、出力増強のために大型の魔力炉を増設しているのではないか?」
「ええ、確かにあそこから強いエーテル反応も感じます。それで天空母艦の出力を増しているのは事実ですが……」
円塔は巨大であるが、それほど高さはない。これから天を衝くほどの塔を建てるために、土台だけ出来上がったような外観である。
ギルフォードは古代から暗躍していたらしい西方教会を殲滅した際に、彼らが後生大事に抱えていた古い書物の中にあった、神話の一節を思い出す。
混沌の地上に蠢く魔族が、天に浮かぶ楽園へと攻め込むために、雲を突き抜け空を超える巨大な塔を建造したが、白き神の怒りによる神罰の雷を落とされ崩壊した……その崩れ去った塔を描いた挿絵と、何故か重なって見えてしまう。
ザメクの言う通り、ただの増設された魔力炉であるならば、それでいい。
だがしかし、塔の表面に緻密に刻み込まれた紋様は、エーテルを生み出すための炉というよりも、むしろ儀式祭壇のように見える。
邪神に生贄を捧げるかのような酷く恐ろし気な雰囲気を感じるのは、その巨大さと闇夜のような黒一色の重厚感によるものだけとは思えなかった。
「戦略級の古代兵器である可能性も考えるべきです。どうにもアレには、嫌な予感が拭い切れません」
「そうか、魔導の女神ルミナスの加護厚きお前がそう感じるのであれば、そうなのだろう。ならば致し方ない、少々格好悪いが、このまま安全策を取らせてもらおう」
「はい、陛下。それがよろしいかと」
すでに組んでいた陣形に変更は無く、このまま行く、とザメクは戦闘前最後の決断を下した。
連合艦隊は魔王の名の下に相応しい規模の大艦隊である。しかし、こちらも負けてはいない。いいや、魔王の艦隊を打ち破るべく編成された、ロンバルトの海軍戦力を結集した最強の大艦隊だ。
艦隊指揮は西方大帝ザメク自らとり、アスガルドを筆頭に復活させた古代兵器を擁し、西部最新鋭の魔導戦艦を揃えた。さらには聖剣の勇者ロイと六聖将も勢揃い。
ザメクが築き上げたロンバルトという大国の力が全て、ここに揃っている。
強大な野心だけを抱えながらも、燻っていた若き日々。
しかしロイと運命の出会いを経て、己の野望はついに火が点いた。そこからは燃え盛る炎の如き勢いで、覇道を突き進んできた。
まずは故国たる都市国家ガリアンを掌握。それから周辺の都市国家を瞬く間に併呑し、複数の強国によって安定していた西部に、一大勢力として台頭した。
何れも強大な国々。六聖将もまだ敵国の英雄で、頼れるのは勇者ロイと天空戦艦アスガルドくらい。
だが数多の英雄と大軍と艦隊を打ち破り、ついに西部統一を成し遂げ、大国ロンバルトは建国された。
恐らく、ここで自分の人生が終わっても、パンドラの歴史に名を刻むことは出来るだろう。西の大国ロンバルトの祖として。
しかしザメクの野望は留まることを知らない。この胸の内に秘める強欲の炎は尚も激しく燃え盛り、訴えかける。
西部統一など通過点に過ぎない。グレゴリウスの言う通り、お前は所詮、西の王。
欲しい。
だが魔王の名などいらぬ。パンドラ統一を黒き神々に約束された肩書は、あってはならない。
欲しい。欲しいモノは、己の手で掴み取る。
だから魔王は名乗らない。我こそ大帝。大いなる皇帝、ただ一人ザメクという男の名の元に、このパンドラを手に入れる。
そして次は、十字軍のいるアーク大陸か、モンスターひしめく未開の地が広がる暗黒大陸か――――この世界は、まだその全貌を見せてすらいない。
欲しい。欲しい。この広い世界の全てが欲しい。
だからこれは、己の野望の二歩目に過ぎぬ。
西を平らげ第一歩。魔王を打ち破り、パンドラを統べて第二歩。我が野望の道は、まだまだ果てなく続いていく――――このレムリア海戦とて、覇道の中では小さな一歩に過ぎない。
だが、偉大な一歩だ。
ザメクはそんな、万感の思いを込めて号令を下す。
「西方大帝ザメクの名をもって命ずる――――我が前に立ち塞がる魔王の艦隊を、叩き潰せっ!!」
◇◇◇
「ふぅ……クロノさんは、間に合わないかもしれませんね」
潮風に青い髪を揺らしながら、どこか物憂げに呟くのは、魔女フィオナ。
こうしているだけなら、愛する人を思う静かな美少女に見えるのだが……と、妹のフィアラは隣でそんなことを思っていた。
「戦人機を相手する方が大変そうですし、仕方がないですね。頼りにせずとも勝てるよう、準備をしてきましたが――――どうですか、フィアラ。緊張、しています?」
「不死鳥突きに行くよりはマシよ」
「そうですか」
皮肉気に口を尖らせて言ったところで、この姉には言葉通りの意味にしか受け取られることは無い。
余計な緊張は無いようで安心、とでも言いたげな顔でフィオナは頷いている。
この戦場で、本当に心から緊張などしていない者など、この天然の姉貴だけだとフィアラは思う。
緊張しないはずがない。眼前には、すでにロンバルトの大艦隊がその威容を見せているのだから。
ロンバルト艦隊は、最初にレムリア海を先行していた前衛艦隊を前列に置いた陣形となっている。
前衛艦隊の中核は六聖将の内の三人と聖歌隊を含んだロンバルトの艦隊だが、同盟国から募った艦艇によって、その数はかなり膨れ上がっている。
西部統一を成したロンバルトは、レムリア海の西側沿岸一帯においても、その覇権を握っていると言っても過言ではない。まだロンバルト領になっていないだけで、西側沿岸の都市国家はほぼ支配下にあると言ってもいい。
そうした国々はロンバルトからの技術供与を得ることで、魔導式戦艦を保有するなど海軍力を強化していたが……それらは大陸中部へ進出するための戦力として、利用されることとなった。
前衛艦隊が進むごとに、支配下にある都市国家からの増援を受け入れ、それだけで十分に大艦隊と呼ぶに相応しい規模と化している。
ロンバルトとしては、まずはこの数を揃え、質も底上げされた前衛艦隊をぶつけてくるつもりだろうことは、海戦はほとんど素人のフィアラでも分かることであった。
前衛艦隊の相手に手間取れば、その綻びをついて本命の征服艦隊が仕掛けてくる。潤沢にして、使い捨ててもさほど惜しくない戦力を前面に立てて押す作戦は、正攻法と言えるだろう。
そして正攻法だからこそ、小細工は通じにくい。前衛艦隊が調略によって一部が離反したり、戦闘停止などをしたところで、後ろの征服艦隊は容赦なく背信行為とみなして撃沈するだけだろう。ザメクには、膨れ上がった前衛艦隊を御すに足るだけの力が十分にあるのだ。
故に、こちらも前衛艦隊の突撃を如何にして上手く捌くか、というのが重要になると、すでにある程度の敵戦力の情報が出揃っていたことで、帝国とルーンの参謀達が喧々諤々の戦術会議をしていたのをフィアラは知っている。
しかし、戦いの趨勢を握る戦略兵器を預かる姉は、海原を進み行く前衛艦隊など見向きもせず、ただその上空にある巨大な艦影を見つめていた。
「アレが天空戦艦アスガルドですか」
「あの一隻しか飛んでいないのですから、間違いないでしょう」
「エルドラドとは、随分と形が違って見えますね」
戦艦の詳しい違いになど興味はないフィアラだが、姉の言わんとしていることはよく分かる。
帝国が誇る天空戦艦エルドラドは、フィアラから見ても、如何にも戦艦らしい形状をしていると思える。細長い船体に、甲板に並んだ主砲、そして天守のように聳える艦橋。
エルドラドが飛ぶ様を遠目のシルエットだけで見えたとしても、空飛ぶ船だ、と誰もが認識できるだろう。
一方、ロンバルトの天空戦艦アスガルドは、船というよりも、鯨のような形に思えた。それも獰猛な、大きな四角い頭をした要塞鯨のようなシルエットだ。
搭載している主砲はエルドラドを超える四門。大きな背中に二門を備え、さらに鯨の胴体部にあたる両側面に一門づつ。
さらに副砲の数も多く、ずんぐりとした巨大な船体の至る所から生え出しており、より攻撃的な印象を抱く。
カラーリングも無骨な鉄の色ばかりで、実用一辺倒。いいや、事実としてザメクの西部統一を成し遂げるために戦い続けた、移動要塞としての歴戦の姿であろう。
その分厚い装甲板には黒々と傷跡と焦げ跡が刻みつけられており、それでも尚、揺らぐことなく戦い続ける圧倒的な威風が漂っている。
少なくとも、主砲の一つも積んでいない天空母艦と比べれば、あちらの方が遥かに強そうに見えるが……フィアラは撃ち合いでプルガトリオが負けるとは全く思えなかった。
「姉さん、私はそろそろ瞑想に入りますので」
「分かりました。寂しくなったらお姉ちゃんを呼んでもいいですからね」
「邪魔すんなっつってんの」
いらん姉ムーブにイラっとさせられながらも、フィアラは大人しく瞳を閉じ、太陽神へ捧げる祈りの姿をとった。
フィオナとフィアラ、二人が立つのは天空母艦プルガトリオの甲板に建てられた神殿、その屋上である。
組み上げられた儀式祭壇はメラ本殿と同じ様式であり、それを補助するためにフィオナが作った祭具なども祀られている。そして端々には、その身に火がつきながらも不死鳥鎮撫のために祈り続けた太陽神殿の大神官、それから選び抜かれた神官達が続く。
いまだ砲火を交わす間合いにはない遠くの天空戦艦アスガルドにいながらも、六聖将ギルフォードが察した通り、この場は正に太陽神殿の大儀式祭壇と化していた。
屋上に誂えた祭壇だけならば、歴史と伝統あるメラ本殿には及ばない。だがしかし、儀式祭壇として機能するのは、目に見えるこの場だけではない。
天空母艦プルガトリオという艦体そのものが巨大な一つの祭壇と化すのだ。
全く以て正気の沙汰ではない。ただ飛ばすだけでも古代の叡智の結晶たる奇跡だと言うのに、フィオナはそれを成し遂げた。
天才の域を超えた狂気の術式設計を、この艦は隅から隅まで刻まれている。緻密にして膨大極まる術式構成を理解できるのは、間違いなくフィオナ一人だけ。
しかしそのフィオナを信じて、『魔女工房』の職人たちは寸分違わず設計通りに仕上げて見せた。
そして結果的に、フィオナの設計は全て正しかったことが証明される。太陽神殿の御子フィアラがここで祈れば、正に想定通りに術式が機能したのだから。
もしこれでダメだったら、どうするつもりだったのだろう……などと思ってしまうこと事態が、己の凡人の証拠だとフィアラはつい自己嫌悪してしまう。
出会ってまだ一年にも満たないが、それでも一生分の驚愕を経験するほど、この天才で天然の姉に振り回されてきた。正直、信頼も信用もあったものではないのだが――――それでも、彼女の力は信じるに値する。
魔女フィオナは間違いなく、このパンドラで誰よりも魔導の深淵へと足を踏み入れているのだから。
「ネル、そろそろ撃ちますので、用意しておいてください。ウルスラ、もうこの辺で艦を止めて、完全静止でお願いします」
フィアラが瞑想に入ってしばし、両艦隊がジリジリと間合いを図るように進む中で、フィオナがネルに先制攻撃の開始を宣言する。
距離はいまだ、天空戦艦の主砲も届かぬ遠距離。しかし、フィオナはこちらの攻撃が先に届くと確信していた。そして実射試験をする間もなく本番となったため、その威力のほどを知らぬままだが、フィオナの力を信じてネルは許可を下す。
ネル提督の号令一下、減速しつつ防御結界の発動準備が連合艦隊で進む中、灰色の空の真下でプルガトリオはピタリとその場で停止した。
こちらの動きを、ロンバルト艦隊からもはっきり見えているだろう。しかし敵艦隊は動揺することなく、すでに万全の陣形を敷いていると確信しているように、変わらず進み続けて間合いを詰めてくる。
もう間もなく、アスガルドの主砲の射程内にも入る。その距離感とタイミングを見極め、フィオナは『ワルプルギス』を満開に咲かせ、唱えた。
「原罪よりも深き悪――――『黒魔女・エンディミオン』 」
魔神の加護、発動。
それによって、仕込んだ術式の第一段階がオートで動き出す。天空母艦が搭載する本来の動力炉が唸りを挙げてエーテル出力を増大させ、各部に力を送り込む。
そしてそれは血が巡るのを可視化したかのように、巨大な漆黒の船体へ真紅のエーテルラインを浮かばせる。
「『悪魔の存在証明』」
魔人化、発動。
さらに術式の第二段階が起動。
屋上祭壇の背後に聳え立つ円塔から噴き出す黒煙の量が爆発的に増大し、轟々と燃え盛る炎の色彩が入り混じり始めた。
この塔は『魔女工房』の本拠地に突き立つ煉獄炉の改良型である。アルゴノートに搭載したのと同様に、ここで発動させる大魔法のためだけに調整した専用の一品でもあった。
その煉獄炉が全力で稼動を開始し、俄かに灼熱の魔力を色濃く発し始める。
あまりに急速なエーテル反応の高まりに、ロンバルト側も警戒を強くしていることだろう。
実際、ロンバルトの大艦隊を、自慢の聖歌隊による歌が織り成す高度な防御結界が包み込み始めていた。
耳をすませば、魔力の気配と共に美しい旋律が聞こえてくる。歌の女神の加護により紡がれる、乙女達の歌声は戦う戦士達を守る強固な盾を化しているが――――広域結界の守りは想定内。
フィオナは、たとえ相手がリィンフェルト並みの聖女を担ぎ上げてきても、『聖堂結界』ごと撃滅する一撃を目指して、準備してきたのだ。
「さぁ、行きますよ、フィアラ。ルーンを焼き尽くす不死鳥の炎、見せてあげましょう」
「不吉な言い方しない! 太陽の女神へ、御子フィアラが願い奉る――――」
つい一言文句をつけてから、フィアラは瞑想で練り上げた魔力を種火として、煉獄炉の中へと注ぎ込む。
悪名高き魔神『黒魔女エンディミオン』の力によって作られた漆黒の炉へ、ルーンが崇める善神『黄金太陽ソルフィーリア』の神聖な炎の力が注がれる。
本来は相反するはずの神性を帯びた力はしかし、ソレイユ姉妹の血によるものか、ごく自然に、そうあると神が定めたかのように入り混じり、一体化し――――煉獄炉の奥に、黄金に輝く火が灯った。
「なかなか良い感じですね。あともう少しですよ、頑張ってください、フィアラ。手とか握ります?」
「そういうのいいから黙ってて!!」
「恥ずかしがらなくてもいいのに」
声を荒げてしまうのは、余裕の無さの表れ。そもそも、この状況下で余裕などあるのはフィオナだけである。
一歩間違えばプルガトリオ全体に巡った、濃密な火属性魔力が大爆発を引き起こしそうな危ういバランス感覚の上に、凄まじい勢いで魔力を炉に吸われている。
すでに共に魔力を捧げて少しでも御子の力の支えとなるべく、祈りを捧げていた神官の中には、魔力が尽きて倒れた者や、制御を誤り体に火がついた者もいる。
大儀式魔法はとっくに始まっており、一瞬たりとも集中を乱せない鉄火場にある。だというのに、フィオナだけはピザが焼き上がるのを釜の前で待ち侘びているかの如き自然体のまま。
「楽が出来ているのは、フィアラのお陰ですよ」
「……」
最早、返す言葉の余裕もない。いいや、あったとしても、こういう時だけ心の内を読んだようなことを言う姉に、返せる言葉は見つけられなかった。
だからフィアラは、ここが踏ん張りどころと心得て、力の限りを尽くす。
その思いと注ぎ込んだ力は、やがて小さな黄金の火を炎へと変える。
煉獄炉からは煙よりも、轟々と燃え盛る炎が火山の噴火のように柱となって吹き上がり始めた。
肌を焦がすような熱風が吹き荒れる中、フィアラは自分の最初の務めは何とか果たせたことを悟った。
「火入れはこれで、十分でしょ……後は、頼んだわよ、姉さん……」
「はい、お姉ちゃんに任せてください」
気安く応えながら、フィオナは手にした杖を振り上げる。
その瞬間、ついに堰を切ったかのように、煉獄炉が爆音と共に巨大な火柱を噴き上げた。
このまま天空母艦は爆発四散するのでは、と思ったのは警戒感を高めて観測していたロンバルト兵だけでなく、連合艦隊の味方も同様。フィオナの力を信じたネルでさえ、本当にこれで大丈夫なのかと内心で冷や汗をかいていた。
そんな破滅的な光景の間近で、フィオナはいつもと変わらぬ表情と平坦な声音で、静かに祝詞を謳う。
「大いなる火の翼よ。不死なる炎を纏う羽よ」
それは妹から教わった、彼女が最も得意とする術。
「燃やせや燃やせ、不浄は灰へ、舞い散る火の粉は燦々と」
敵意を露わに決闘を申し込んできた時にも使っていた。
「焦がせや焦がせ、悪徳を塵へ、猛き炎に限りなし」
魔法の詠唱とは異なる祝詞は、魔女たる自分にとっては馴染みが薄い。
「熱き祈りに応え、今ここに聖なる火を顕現せん」
けれど、その旋律の美しさ。そして、これを謳うためにどれほどの努力と情熱を費やしたのかは、最後まで聞き届ければ深く理解できた。
素晴らしい術だ。心からそう感じたからこそ、フィオナは思った。
これを自分が使えば、もっと強く大きく出来ると。
一切の悪意も傲慢もなく、ただ純粋にそう思った。
「羽ばたけ――――『焔鳳』」
キョォオァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――
それは正に、不死鳥の顕現。
ただ目の前の敵を焼き尽くすために行使する、攻撃の術ではない。
煉獄炉から姿を現した『焔鳳』は、メラ霊山の火口から怒り心頭で飛び出してきた不死鳥の如き、巨大にして莫大な熱量を秘めている。
しかし、これは本物の不死鳥などではない。あくまで模倣。だが本物の不死鳥の力も取り入れているので、限りなく本物に近づいた偽物と言えよう。
破滅的な災害を齎す『龍』とは異なる。一人の魔女が完全に制御下においた証として、この『焔鳳』は不死鳥と異なり、その身を全て黄金の炎で形作っていた。
「貴方は火山の化身」
杖を振り上げたまま、フィオナは重ねて祝詞を謳う。
ここから先はオリジナル。『焔鳳』をより攻撃に特化させた、追加術式である。
「震える山。轟く大地。川は干上がり、波は退く」
煉獄炉から覗く『焔鳳』の体は、ちょうど両翼を広げて今にも飛び立ちそうな格好。
黄金の炎に包まれた巨大な鳥の姿は神々しくも、荒々しい。
「怒りよ燃えろ。赤く、激しく。天を衝いて、焼き焦がせ」
古代の伝説にのみ残る、龍災。その災厄の片鱗を、この場にいる誰もが感じる。感じざるを得ない。
神々しい黄金の火の鳥は正に怒り狂った形相で、その鋭い嘴を開き、体と同じ黄金に輝ける炎を噴く。
煌めく火炎放射は祝詞に沿うように、天を衝くかの如く直上へと放たれる。
「やがて燃えた空が降る。堕ちた天は炎の烙印」
天へとかかる梯子のように、巨大な黄金の火柱が上がる。
それは曇天を貫き、分厚い雲の層を吹き飛ばし、この地にだけ向こう側に広がる青空を覗かせた。
天候を変えた。大魔法の威力を語る形容としてはありふれているが、実際に一部だけでも空模様を変えられる魔法がどれほどあるか。
自ら青天を作り出し、陽光の元に照らされる黄金の鳳はより一層の神々しさを増す。
「滅びの日を謳え――――『極烙焦土』」
最後の節を謳い切る、その刹那。天を衝く黄金の火柱は、一筋の閃光へと変わる。
その神秘的な現象に、誰もが目を、あるいは心を奪われる。神話の一節が如き、目が眩むほどの美しい光景に。
だが術式の基礎を担うフィアラは知っている。理解できているが故に、背筋が凍る。
その黄金の閃光は、今ここで紡いだ全ての魔力が込められた、純粋な灼熱の一閃であることに。煉獄炉は土台。焔鳳は砲身。この美しい一筋の光こそが、敵を滅する砲弾。すなわち、戦略級大魔法『極烙焦土』である。
天を衝き雲を割り、青天を作り出す莫大な火炎が、ただの光に見えるほどに凝縮された一撃だ。一体、その光の中にどれだけの灼熱が込められているのか。
想像を絶する滅火の閃光が今、フィオナが杖を振ると同時に、ロンバルト艦隊へと振り下ろされた。
ヒィイイン――――
不気味な甲高い音と共に、真っ直ぐ縦に振り下ろされた『極烙焦土』は、まず一隻だけ空に浮かぶ天空戦艦アスガルドを断った。
展開されていた防御結界も、頑強極まる重厚な装甲も、まとめて灼熱の一閃によって両断される。
天空戦艦を真っ二つにしても勢い衰えぬ『極烙焦土』は、そのまま直下にある前衛艦隊を薙ぎ払う。
聖歌隊の結界など、まるで蠟燭の火に近づけた薄紙が如く燃えて破れ去り、直後には鋼鉄の艦隊を穿つ。
西方式の魔導炉に引火し、搭載した弾薬の数々も誘爆。そうでなくとも、途轍もない熱量の発露たる光線が照射されれば、それだけで大爆発を引き起こす。
戦艦一隻が木端微塵に弾け飛ぶ、凄まじい爆発が、連鎖的に続く。発射点となる焔鳳は、怒り狂うドラゴンがブレスを吐くかのように、その首を振ることで、いまだ吐き出され続ける『極烙焦土』の一閃が艦隊ごと薙ぎ払ってゆく。
黄金の光に触れる端から爆ぜ、連鎖的な大爆発によって爆炎の嵐が吹き荒れるが、それ以上に海面が蒸発した水蒸気によって覆いつくされてゆく。
途轍もない熱量は、莫大な量の海水を瞬時に蒸発させる。大量の煙幕を焚いたように、いいや、それ以上の勢いと規模でもって、誘爆し続ける前衛艦隊の無残な光景を、真っ白い蒸気が覆って隠して行った。
そうして、ほとんど敵影が隠れるほどにまで分厚い水蒸気の層が立ち込めた頃になり、ようやく『極烙焦土』の照射は終わりを迎える。
それと共に、全てを出し切ったように、焔鳳の姿も消えていった。
「ふぅ……これで半分くらい消えていればいいのですが」
さて、渾身の一撃はどれほど敵に損害を与えられたか。
一息つきながら、フィオナは敵影が完全に見えなくなった白い煙の向こうを見つめた。




