第1042話 ヴェーダの湯
「お見事でございました、クロノ魔王陛下。これで皆も、陛下が唯天を打倒するに相応しい力の持ち主であると、よく理解できたことでしょう」
「ああ、良い戦いだった」
「しかしヴェーダには、まだまだ多くの勇士達がおります。よろしければ、今日この場に居合わせること叶わなかった者達にも、機会を与えて下されば幸いなのですが」
「無論だ、また相手になってやろう」
などと、俺は精一杯の虚勢を天子へと張っていた。
千人組手は、何とか思った通りにやり遂げた。ヤル気満々のヴェーダ戦士達を千切っては投げを繰り返し、たまに仙位持ちやそれに準ずる使い手が混じっているのを油断なく捌く。
正直言って、思ってたよりもずっと疲れた……いつものように、ただの鍛錬というなら汗を流す疲れた顔を晒すのもいいが、今回みたいなデモンストレーションとなると、どこまでも余裕ぶってカッコつけなきゃならんのが辛い。
天子の前でまだまだ余裕です、って顔を維持するだけで限界だよ。
「格闘だけで仙位持ち相手にするのは、ちょっと甘く見ていたな」
唯天として君臨し続けたゾアが圧倒的だったとはいえ、彼が認めた実力者だけが仙位を与えられるのだ。
ゾアがいなくなった今、ヴェーダで最強の座につくのは唯天に継ぐ『双極』の二人。だが、流石に双極二人がかりで俺に挑むのはフェアじゃないと思ったのか、千人組手に参加したのは青鬼の女傑ガオジエンだけ。
彼女は見た目通りフィジカルに優れ、俺とタイマンで殴り合えるパワーとタフネスを備えていた。このレベルが二人がかりだったら、普通に殴り負けていたかもしれん。流石は本物のオーガ族というべきか、その膂力と気迫は、『鬼々怪々』ファナコと並ぶ迫力だった。
今度は俺の代わりにファナコが千人組手をするといいかもしれない。
しかし双極の二人が示し合わせて、片方だけの参加にしたとしても、他の奴らには与り知らぬ話。隙を見て割り込んでくる奴らがいるのは当然。だが最も厄介なのは、真っ向勝負で戦うガオジエンをタンク役として、虎視眈々と俺の背後を狙う奴である。
そう、例えば四聖姉貴とか。
最初にド派手にぶっ飛ばしたが、大乱闘が始まった騒ぎに紛れて、のこのこ復帰してきたアイツは、隙を見て俺にちょっかいをかけ続けていた。どうやら暗殺者としての適性もあるようだ。というか、そちが本職じゃないだろうか。
何とか俺に膝をつかせて褒賞ゲットを粘っていたようだが……人数が減った最終盤になると、コソコソできなくなり、もう一回ぶっ飛ばして退場させてやった。また挑戦してくれ。
だが最も俺を苦しめたのは、やはりルルゥだろう。
「やっぱ『妖精神拳』強いじゃねぇか……」
魔力ポーションガブ飲みで回復したルルゥが、終盤になって参加してきた。地に足つけて、徒手空拳の俺を相手にすれば、今度こそ本領発揮と思ったのだろう。実際、その通りであった。
ルルゥの機動力はさながら全力で壁にぶつけたスーパーボールのように高速で跳ね回る。繰り出される拳は小さくとも、そこに込められた威力は上級攻撃魔法並み。
防御はただでさえ万能の守りである『妖精結界』なのだが、ルルゥの凄いところは必要に応じて結界の曲面を変形させて、俺の打撃を受け流すようにしていたことだ。
この受け方は、リリィでもしていなかった独自技である。恐らくは、武術の発達したヴェーダで修行をしたからこその発想だろう。
妖精である彼女にとって、『妖精結界』もまた手足同然。掌で相手の攻撃を逸らしたり、流したりするのと同じように、結界でソレをやる。
これが非常に厄介だった。パンチキックだけで破るのは相当厳しい。
千人組手も最終盤、ガオジエンとルルゥに挟まれて二対一で戦った時が一番苦戦したな。
しかし、そこでいい勝負を演じられたお陰で、俺にもヴェーダ側にも両方の顔が立つような感じになった。
終わった後は、拍手喝采の大歓声が上がり、リリィの決闘など無かった、とばかりの大盛況で幕を閉じることが出来たのだった。
◇◇◇
「あああぁ……」
沁みる。と、つい呻き声と共に漏らしてしまう。
千人組手で疲弊した肉体が浸かっているのは、天然温泉。それもただの温泉ではない。唯天ゾアも山籠もりの際に愛用していたという、ポーション並みの強い回復力がある、魔法効果も含めて非常に良質な泉質なのだ。まさに聖山トリシエラが生み出した奇跡の湯。
それが『武仙宮』の裏手から、少々山を登った先に誂えた小さな秘密の浴場だった。
今回は俺が体を張ったことに対する天子のお返しとして、ここに案内してもらったのだ。
折角、そんな凄い温泉に入れるとあって、あえて回復はせずに千人組手の生傷もそのままにしておいた。
何より俺も一人の日本人として、仙人愛用、奇跡の秘湯、みたいな謳い文句のある温泉と聞けば、期待せずにはいられない。
そうして胸をときめかせてやって来た秘湯は……なるほど、これは確かに秘湯だ、と納得できるような神秘的な雰囲気に包まれていた。
ゴロゴロとした荒い岩の湯舟はそのままに、ヴェーダ風の石造りで浴場設備は最低限。景色を遮る無粋な壁や仕切りはなく、存分にトリシエラの大自然を堪能できる。そして振り返り見れば、眼下に『武仙宮』と、さらにその下に広がる城下町の夜景が一望できる、素晴らしいロケーションだった。
なるほど、ゾアも自分の作った国をこうして眺めていたのだろう。玉座の上から見下ろすよりも、こうして温泉から一望できる方が贅沢に感じられるな。
「うぅーん、これは星5だなぁ」
スゥーっと痛みが引くと共に、骨の髄から温めてくれるような奇跡の湯にどっぷり浸かり、満点評価の思いを抱いて、俺は心行くまで堪能――――
「お疲れ様。いい戦いだったわね、クロノ」
「うおっ、リリィ」
すっかりお一人様気分だったところに、何の前触れもなくリリィが現れた。
笑顔で労いの言葉をくれるリリィだが、勿論ここが温泉である以上、その身は一糸纏わぬ全裸である。妖精特有の発光も抑えた、真の全裸状態だが、幼女形態なのでセーフだ。
「失礼するわね」
「ああ、いい湯だぞ」
ザブーンとかけ湯を流してから、リリィは俺の膝元に収まるような位置で座り込み、湯舟へと浸かった。
「千人組手はいいアイデアだったわ」
「思ってたより苦労はしたが、やって良かったよ」
「そうね。本気で殺意をもってた人もチラホラいたから、不穏分子がすぐ見つけられて良かったわ」
「そんなコトしてたのかよリリィ……」
「ヴェーダに限らず、身の程知らずはどこにでもいるものよ」
そりゃあ、俺がゾアより強いことを示しても、納得しきれない者だっているだろう。純粋にゾアを崇めているような連中ならば、敵討ちを標榜してもおかしくない。
だがソレは今のヴェーダの意向に背く行いだ。今日この日をもって、ヴェーダ法国はエルロード帝国へと併呑される。天子と大老員議会がそれを認めている以上、これに反した行いはすなわち、反逆行為となる。
「またヴァルナみたいに反乱されるのは勘弁だなぁ」
「大丈夫よ、その辺はシータも重々承知しているようだし。不穏な動きがあっても、絶対に自分達の手で終わらせるでしょうから、気づかないフリして任せておけばいいのよ」
そうだな。こっちが下手に反乱の動きに気づいて、「おい、今反乱しようとしたよなぁ?」とケチをつけたりすれば、折角の友好ムードも揺らいでしまう。
「ヴェーダ傭兵団は、貴重な遊撃部隊になってくれる。良好な関係を築いておきたいからな」
当たり前のことだが、誰だって戦争は嫌なものだ。命を含めたあらゆるモノを消耗する、忌むべき行い。
だからソレを実行に駆り立てるには、理由が必要だ。国を守るため。巨大な利益のため。神のため。
逆に言えば、理由がなければ戦いは忌避される。パンドラの平和が保障されるなら、俺は魔王なんか止めているからな。スパーダをはじめ、これまで帝国が取り込んできた多くの国々も、十字軍から故国を奪還できれば、戦う理由の大半を失うと言える。
俺がパンドラ大陸全土の平和を叫んだところで、それに心から賛同する者は少ない。自分の故郷が戻れば、それ以上の戦いには臨みにくい。わざわざ遠く離れた他所の国の地で、命を賭けて戦うなど、喜んで出来ることではないのだから。
国民の厭戦ムードというのは、戦争の継続に大きな影響を与える。苦戦続きのベトナム戦争で、アメリカ本土で大々的な反戦運動が起こった、なんて近現代の歴史で習うところだろう。
その辺を踏まえて、我が帝国もカーラマーラに建国した時から、ずーっと十字軍の脅威を叫ぶプロパガンダ教育を徹底したり、出来るだけの対策はしている。間違っても十字軍との戦いなんて止めて、手を取り合い歌を歌ってラブ&ピース、なんて反戦思想を蔓延らせてはならない。
と、多くの国々を取り込んだ今、そういった部分はより重要な課題となっているのだが……元より積極的な傭兵活動を国を挙げて行っているヴェーダは、その限りではない。
基本的に彼らは、傭兵契約を結べば、きちんと戦い抜く。そこへさらに、ヴェーダの教えに基づく『正しき強さ』に見合う大義があるとなれば、さらに奮戦してくれる。
これからスパーダを取り戻すにあたって、最もヤル気に満ちているのはスパーダ人であるのは当然だが……他の国の出身者に、彼らと同じだけの士気を求めるのも酷な話である。
その辺、良くも悪くもネロは自ら大遠征軍を率いて各地を蹂躙したので、レーベリア会戦での士気は十分なものとなった。俺が十字軍の脅威を訴えかけずとも、何としても奴はここで始末しなければ、という意識は広まっていたからだ。
今はレーベリア会戦で圧勝したばかり。これまでも連戦連勝で来ているからこそ、帝国全体に戦争反対の気風は無い。
けれどこの先、苦戦が続けば。十字軍の脅威など素知らぬ土地が増えれば。急速に拡大した帝国の巨大な領土そのものが、重い枷となってしまう時が来るのではないか――――
「安心して、クロノが十字軍を駆逐できるまで、ちゃんと帝国は戦えるようにするから。私がしてあげる」
「ありがとう、リリィ」
「ヒャッホォーイ!!」
ちょっといい雰囲気になったと思った瞬間、能天気な掛け声と共に、盛大な水飛沫が上がった。
「コラァ、ルルゥ! 湯舟に飛び込むんじゃない!」
「キャハハハハ! ああぁー、これがジジイの自慢してた温泉かぁー! なかなか気持ちいーぞぉー」
かけ湯ナシ、飛び込み、大騒ぎ、と温泉マナー違反を連打してくる自由な妖精に、俺は声を上げた。だがそんな注意など全く聞こえぬとばかりに、ルルゥはプカプカと湯に浮いている。
「……なんでルルゥがいるのよ」
「クロノが入っていいなら、ルルゥも入っていいだろー」
「ダメ」
「ダメじゃないー」
「ダーメーなぁーのぉー!」
幼女マインドに戻ったリリィが、ルルゥを相手にバシャバシャし始める。
俺の目の前でキャッキャと揉み合うせいで、俺の顔もバシャバシャだ。
「あーもうメチャクチャだよ」
公共の場で子供がはしゃいで困る親の気持ちは、こういう感じなのだろうか。
もっとノンビリゆっくりしたかったのだが、こうなっては致し方ない。いくら俺の独占とはいえ、温泉の場で無法を許すわけにはいかないからな。
「いいか、温泉はちゃんと大人しく入らないとダメだぞ」
「ぶぅー」
「むぅー」
両脇に妖精幼女を抱えて強制的に大人しくさせて、湯舟に浸からせる。残念ながら、両手に花、という気分には全くならない。
結局、何かにつけてルルゥが暴れそうになるので、ほぼつきっきりで世話をすることに。頭を洗い、背中を流し、また湯舟に漬ける。と、ルルゥにばかり構っていると、今度はリリィが不機嫌になるので、同じように洗ってやり……奇跡の湯に浸かったはずなのに、かえって疲労が増している。
「うぇー暑ぅい……ルルゥもう出るぅー」
「リリィも出る……」
「そうか、俺はもう少し入ってくよ」
流石に温泉に入れば結界もノーガードのため、小さな体はすぐに温まって来るようだ。湯舟に入ってほどなく、二人は同時に茹ってきた。
上がったらちゃんと体を拭いて、カゼ引くんじゃないぞ、と最後まで親みたいな注意を言いながら、何だかんだで仲良さそうに二人並んで歩く幼い姿を見送った。
やれやれ、これでようやくゆっくり出来るな……そんな精神疲労感を味わいながら、今度こそ温泉を堪能し、いよいよ出ようかと言うところで、
「それでは、お子様はお帰りになられたので、ここから先は大人の時間でーす」
「……です」
ヒツギとプリムのメイドコンビが立ち塞がった。
両者ともタオルこそ巻いているものの、あの肩口から覗く肩紐のデザインからして、ルーン海水浴の時に装備してきた危ないヒモ水着に違いない。
ヒツギの奴、アレが俺に有効だとキッチリ見抜いて、再びプリムに着せてきやがったな。こういう所だけホントに抜け目ないよなお前。
「いやもう出るところなんだが」
「まぁまぁ、そう仰らずに。ご主人様には是非とも、愛しいメイドによる、極上のマッサージサービスをご堪能していただきたくぅ」
「マッサージ、します」
「うーん、マッサージかぁ……」
まぁ、それくらいならやってもらってもいいかもな、と思った矢先のことである。
「それでは、こちらのマットの上へどうぞー」
「おい、この怪しいマットどっから出してきた!?」
実物は見たこと無いけれど、画面越しでは随分と見た覚えのあるピンク色のエアーで膨らむタイプのマットが、いつの間にやら置いてある。
これは決して、山奥の秘湯にあっていいモノじゃない。コイツは泡のお風呂屋さんにしかあっちゃダメなヤツだろ!
「お前、またフィオナから変なモノ横流しされたんじゃないだろうな」
「いえ、この由緒正しきサキュバス式マッサージマットは、淫魔に詳しい有識者の方からお譲りいただきました。そうですね、名前を明かすことはできませんので、ここはイニシャルをとってP氏、とだけ言っておきましょう」
「ピンク許さねぇ」
アイツが本物のサキュバスだってことは、もうすでに分かってんだよ。
しかし、そうか……あのやけに現代的なラブホテル部屋に潜んでいたから、このテのグッズも知っているんだな。
古代から使われていたなら、確かに由緒正しい歴史ある品ということだが、
「プリムが、頑張ってご主人様を、気持ちよく……します」
「おい待てやめろプリム、タオルをはだけるな」
そして自分の体に透明のヌルヌルをかけようとするんじゃない。
未成熟な幼い体と、釣り合いの取れていない大きな胸。ホムンクルス特有の真っ白の綺麗な肌の、滑らかな深い谷間にヌルヌルが流れ落ちて行く様は完全にアウトの絵面であった。
やはりサキュバス式マッサージとやらは間違いなく18禁の技だ。そもそも淫魔の技で健全なモノがあるわけない。
そして、どこか得も言われぬ色香を放つように感じられるプリムに迫られると、ちょっとヤバい気がする。俺の直感がそう訴えかけていた。
使うか、『愛の魔王』……いや、下手すれば精神防護の効果よりも、アッチの効果が働く危険性がある。
加護は切れない。ちっ、ここは一旦、ヒツギでも見て落ち着こう。
「くふふ、そんなに熱い眼差しを向けられると、ヒツギも昂ってしまいますぅ」
この上なくだらしないニヤニヤを浮かべながら、ヒツギがタオルを投げ捨てる。現れるのは、さっきまではしゃいでいたリリィやルルゥと比べれば、ちょっと上くらいの体つき。背伸びというにはあまりに高すぎる、いかがわしい黒いヒモ水着がツルペタボディに張り付いていた。
よし、落ち着いたな。
これで冷静な対処ができそうだ。
今この場で俺が出来る最善の行動は、
「サぁリぃエぇルぅーっ!」
素直に助けを呼ぶことだけだった。