第1040話 ヴェーダの天子
俺の血を持って帰還したルドラによって、エルロード帝国とネヴァーランドとの同盟は無事に成立することと相成った。
記念として、俺はネヴァーランドへと招かれ、そこで女王と初めて顔を合わせた。
女王ルドミラは、可愛らしい少女だった。あんなに可愛い妹がいるなら、ルドラも頑張って支えようと思うだろう。
リリィにルドミラ、今パンドラでは美少女の女王が流行っているのかと思ったが……30代のリリィと40代のルドミラは、どっちも少女ではないのでは。
いや人間基準に当てはめるのは良くないな。種族特性によれば、二人ともまだまだ少女の年頃だ。30代40代は、余裕で青春時代。可愛ければ、大体何でも許されるものなのだ。
ルドミラも俺の血の味はいたく気に入ってくれたようで、記念式典は和やかに、それでいて恙なく終わった。
オルテンシアと十字軍に対する、具体的な対応はこれから詰めていくことになるが、そこから先の話に俺は必要ないだろう。特にオルテンシアについての調査と、動きを見てから決める必要がある。
現状、こちらからオルテンシアに対して先制攻撃する気はない。向こうから仕掛けてこない限りは、帝国としても北部には干渉しない姿勢だ。ただ同盟国ネヴァーランドへの侵攻が確認されれば、そこで参戦となる。
今のところ、オルテンシアは降伏を進める使者を送って来るくらいで、国境線まで軍が押し寄せてきたりはしていない。立地的には奥まった北西にあるネヴァーランドへ、そうそう大きな戦力を向かわせたくはないのだろう。
こちらが黙っている分には、オルテンシアも無理に突くことは無いと思われる。
そんな現状なので、オルテンシアの侵攻が始まるとしても、まだ時間の猶予はあると見ている。北部も広いし、向こうだって全域を治めるための時間は欲しいだろう。無論、俺達にも準備の時間が必要だ。
そうしてネヴァーランドとの同盟締結に関する諸々を終えて、俺は次の仕事に取り掛かることになった。
清水の月15日。
俺はヴェーダ法国へと向かうこととなった。
お供はサリエル率いる暗黒騎士団といういつものメンバーに加えて、今回はリリィも同行している。
まずはラグナ公国まで転移で飛んでから、陸路でヴェーダへと向かう。ラグナから真っ直ぐ北上して程なくすると、海に出たのかと錯覚するほどの大河が現れる。
この川が、唯天ゾアの鞭が作り出した水流のイメージ元でもある、トリシエラの南大河だ。
すでにヴェーダは帝国へ下っているので、この国境となる南大河から、見るからに豪勢なデカい川船でお出迎えされた。いまだに派手な歓待には慣れないが、これも魔王のお仕事である。
相手だって国のトップを出迎える以上、見栄えは良くしないといけないから、仕方のないことだ。まして今回は、お忍びではなく、魔王クロノがヴェーダを平定した、と公にアピールするためにやって来ている。
船に乗ってヴェーダへ入ってからは、俺とリリィは街に入る度に歓待するヴェーダ民へ手を振る作業に従事することとなった。
そうしてじっくり二日間ほどかけて、清水の月17日。俺達はヴェーダ法国の中枢であり、この地の中心でもあるトリシエラ山へと到着した。
聖なる山として古来より崇められるトリシエラ山、この中腹に『武仙宮』というヴェーダの王城がある。
「城というより、寺院だな」
メラ霊山とは違い、切り立った断崖絶壁が目立つ、荒々しく険しい巨山がトリシエラ山である。その中で、比較的なだらかな斜面を登った中腹に開かれた場所に、荘厳な大寺院が建てられていた。
ここはヴェーダ武仙郷という、法国の元となったゾアの故郷である小さな里があったという。俗世に紛れていた天子を見つけ出し、法国を開いた時に、天子が座すべき宮殿として、この場所が選ばれたのは必然だろう。
最初はこじんまりとした寺だったようだが、法国はトリシエラ全域を平定し、そこから五百年もの安寧を築いた。当然、その長い歴史の中で、天子のおわす宮殿を小さなままにしておくはずもない。
かくして法国の威信と権威を象徴する、巨大寺院が今ここにあるワケだ。
眩いほどの白壁に、鮮やかなエメラルドの装飾が美しく輝く。他の国でも見たことが無い、独特のドーム型の天井や尖塔といったヴェーダの建築様式は、実に神秘的な雰囲気を醸し出している。
リリィと一緒にゆっくり観光でもしたいところだが……正面の大きな広場に、大勢の人々が詰めかけて、俺達を出迎えてくれるている以上、のんびりしてはいられないな。
集った人々の半分は、小さな町のような規模である『武仙宮』に仕える者達で、他は恐らく全員、武人だろう。通りがかりの野次馬やら、ただの子供連れといった一般人のような者は一人もいない。
賑やかな歓迎ムードこそ流れているものの、俺に向けられる視線は、「魔王ってのはどれほど強いんだ?」と鋭く見定めるような感情が強く籠っている。
その辺は流石、武の国といったところか。これはヴァルナ森海を巡遊した時みたいに、どこかで力を示す決闘イベントとか必要かもな。
きっと誰もが見たいと思っているだろう。『唯天』ゾアを倒した、魔王の力を。
「はぁーっはっはっは! よく来たな、クロノ!」
「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました」
無数の強さを問う視線に晒される中で、出迎えに出てきたのは今の法国において政治的トップである『三柱』にしてヴェーダ大老員議長を務める、ゾアの娘シータ。
そして当然のように呼び捨てで魔王への敬意皆無の、自由な妖精ルルゥである。
一番のお偉いさんであるシータが出て来るのは当然として、ルルゥが一緒にいるのは、俺との約束があるからだろう。それにヴェーダとしても、現状で俺と最も親しい間柄だと見做される、説得で寝返ったルルゥを前に出そうという判断は自然なものだ。
「それでは、どうぞこちらへ。天子様がお待ちです」
挨拶もそこそこに、俺達はシータの案内でいよいよ本殿へと立ち入る。
開け放たれた重厚な正門から、ただ真っ直ぐ中央まで進んでいけば、『天仙座』と呼ばれる、いわば玉座の間へと辿り着く。
話によれば、天子は昔の天皇のように、姿を隠して謁見するのが普通らしい。ヴェーダにおいて天子は、ただの君主というだけでなく、宗教的な権威も併せ持っているからだ。神秘的な演出が重視されるのも分かる。
だがしかし、すでに帝国へと下った以上、天子といえどもエルロード皇帝、すなわち魔王を相手に、姿を隠すような態度は許されない。
『天仙座』の奥にある、本来なら姿を隠して座している席は空いている。
俺の前には、ただ小さな女の子が一人、佇んでいた。
「ようこそ、ヴェーダ法国へ、クロノ魔王陛下。私が天子でございます」
はっきりとそう言葉にするものの、その声音と体が微かに震えているのを、嫌でも感じ取ってしまう。
結い上げられた淡い緑の髪には、バフォメットが如く大きな巻角と、白金の冠が乗っている。衣装は十二単のように、長い衣を何枚も重ね着しており、真っ白い衣装が褐色の肌を際立たせていた。床まで垂れている長い裾の下で、蛇のように蠢いているのは、恐らく尻尾だろう。
身体的な特徴としては、悪魔族に近いか。しかし純粋なバフォメットやディアブロス、あるいはサキュバスとは異なり、悪魔族の特徴が濃い混血種だと思われる。
ヴェーダは大河に囲まれた閉鎖的な立地であると同時に、多様な種族が入り乱れている地域なので、混血種が多いのも自然なことである。
威圧感のある悪魔的な特徴に、神聖さを演出する出で立ちは、民に崇められる天の子に相応しい――――だが、この子は本当に、ただの子供なのだ。
幼く、純粋な。だからこそ、ルルゥは友として傍にいるのだろう。
そんな彼女に、魔王の俺はさぞ恐ろしかろう。
最強だと信じていた唯天ゾアさえ倒し、ヴェーダの新たな支配者となった俺のことなど、想像を絶する怪物だと思われていてもおかしくはない。
きっとこの子も理解はしているのだ。ゾアが敗れた以上、最早ヴェーダには魔王を止められる力は無い。これまで誰よりも大切に守られてきた我が身が、今まさに俺という怪物に生殺与奪を握られてしまっていると。
「俺がエルロード帝国皇帝、魔王クロノだ」
天子が幼い子供だということは分かっていたし、こういう態度になるだろうことも想定してはいたが……いざ、あからさまに怖がられるとショックだったりする。
立場が立場だから、仕方がないとはいえ、それでも早々に打ち解けられないものか、と気持ちが逸ってしまう。
リリアンのように懐いてくれ、とまでは言わないが、せめて命の危険はないと安心できるくらいには思ってほしいものだが、
「ふふん、安心しろ、天子。クロノはいいヤツだぞ」
そこで自信満々に出しゃばってきたのは、ルルゥであった。
シータが「あっ!?」みたいな顔をしているが、あえて素知らぬふりをしておく。本来なら君主同士の間に勝手に割って入るなど不敬の極みだが、今の俺にとっては渡りに船である。
「ほら、こうすれば分かるだろ?」
「ふわっ……」
ルルゥは天子の手を握ると、俺の手もまた握った。
その姿はさながら、帝国と法国の間を繋げる架け橋のよう。だがそれ以上に、俺と天子の心を繋げてくれる。
妖精のルルゥが手と手を取れば、その強力な精神感応によって、両者の気持ちをダイレクトに伝えることもできる。ただの妖精ではなく、より強い能力を備えた半人半魔だからこそ。
俺はルルゥの手を通して、天子の不安や困惑、そしてルルゥが手を握ってくれた安堵感といった気持ちが、ボンヤリとしたイメージで感じ取れる。
逆に天子には、今の俺が抱いている感情も、同じように伝わっているはずだ。
「うふふ、貴女にしては気が利くじゃない」
ルルゥによるテレパシー通信へ、さらにリリィが加わる。
リリィは俺と天子の空いている方の手を握り、四人で輪のようになった――――瞬間、より明瞭な感情イメージが俺の中へと流れ込んでくる。
それは天子の断片的な記憶。彼女の中で、特に強く印象に残っている思い出の数々だ。
両親さえも逆らえない、唯天ゾアの厳しい教育。堅苦しい『武仙宮』での生活。求められるがまま、ヴェーダの君主たる天子を演じ続ける一方で、歳を経るごとに自由への憧れが募って行く。
そんな天子だからこそ、ゾアを相手にしても己を貫く、どこまでも自由な妖精ルルゥとの出会いは衝撃的だった。
彼女にとっての幸運は、ゾアがルルゥの勝手を許したこと。ゾアからすれば、ご褒美に欲しがっていた犬猫のようなペットを与えた、といった程度に過ぎないだろうが。
そうして、ルルゥは天子の傍にいることを許された。そして自身の強さによって、『四聖』まで昇り詰める。
どんな時も、誰が相手でも、決して己を曲げず自由奔放に振る舞うルルゥは、天子にとっての憧れであり、最高の友人にもなった。ルルゥと共に過ごすようになってからは、忙しなくも楽しい思い出ばかりが映る。
「どうだ、分かったか!」
「はい……ルルゥが心を許したならば、クロノ魔王陛下に邪心など無いと、信じられます」
お陰様で、と言うべきか。ルルゥとリリィ、二人の規格外妖精によるテレパシーによって、天子にも俺の為人がしっかりと伝わってくれたようである。
今の天子が俺を見る瞳に、もう怯えの色はない。
「俺は自分を聖人君主などと思ってはいないが――――それでも、パンドラを守る意志は本物だ。勿論、その中にはヴェーダも入っている。唯天ゾアが築いた五百年の平和を、これからもこの地で続けられるように」
「それが魔王ミアの加護を授かりし、新たなる魔王の使命なのですね」
パンドラに住む者達が、互いに大陸の覇を競い合うのは構わない。誰が大陸を征そうとも、それが人の世の理に任せた結果なのだから。
けれど白き神の加護によって、絶大な力と勢力を誇る十字教勢力は許されない。あるいは、黄金魔神カーラマーラのような旧き悪神が、神の力をもって現世を支配しようとすれば、それに抗うのが『黒き神々』だ。
ミアは元々、十字教を相手に戦っていたから、十字教勢力へ対抗する『黒き神々』の中で筆頭となるのだろう。また別の悪神が勢力を起こしたなら、恐らくはその悪神と因縁のある他の神が筆頭となって出張って来る――――そのように他の神がパンドラに影響を及ぼそうとした際に、人の世の理が乱れるのを防ぐ免疫機能のように働くのが、『黒き神々』なのだ。
人そのものではなく、理を守るためにあるから、龍災を引き起こしたドラゴンなんかも普通に含まれている。理を崩す相手に対するカウンターとなる戦力ならば、何でもいいのだろう。
こうした『黒き神々』が持つ役割については、パンドラ神殿において高位の神官となってから、それとなく教わる内容らしい。そしてこの国において規範であり信仰でもある『ヴェーダの法』のトップでもある天子もまた、この事をよく知っているようだ。
だから彼女は、俺が魔王ミアから守護の意志を託された者だと、すでに理解している。
「改めて、ここに深く謝罪を申し上げます。ヴェーダのみならず、このパンドラそのものの災いとなる十字軍へ対するクロノ魔王陛下に、唯天ゾアは己が私怨から敵対することを、我々は止めること叶いませんでした」
「いいや、この事をヴェーダが気にする必要はない。ゾアとの因縁は全て、正々堂々の一騎討ちにて決着をつけてきた。神聖な決闘の結果を、誰であろうと口を挟むことは許されない……ヴェーダ法国では、常識的な考え方だろう」
「遺恨を残さぬよう、寛大なご配慮に、感謝の言葉もございません。ただ、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「ゾアお爺様は、強かったでしょうか」
「強かった。あの戦場では誰よりも」
第十三使徒ネロなどよりも、ゾアの方がよっぽど強さかったさ。純粋に力も技量も上回られたのは、第七使徒サリエル以来と言えるかもしれない。
それを更なる力で圧せるからこそ、『戦闘形態』は切り札足りえる。
「おい、難しい話はもういいだろ」
いい加減に待ちくたびれた、と膨れ面となってルルゥが遮ってくる。もうテレパシーは十分だとばかりに、繋いでていた手を離すと――――その小さな指先を、ビシっと真正面へと向ける。
指さす先にいるのは俺ではなく、同じく幼女の姿をした妖精。すなわち、リリィである。
「リリィ! ルルゥの紅水晶球を賭けて、決闘だぁ!!」
俺と天子の橋渡しなど、ルルゥにとっては気まぐれの行動に過ぎない。彼女の本命こそ、リリィとの決闘。
カーラマーラの遺産相続レースの折に、無残に奪い去られた己の宝物を、取り戻すための戦いだ。
「えっ、今すぐやるのか?」
「私は別に構わないわよ」
ルルゥの挑発を、リリィは余裕の微笑みで受けて立つ。
心配するまでもなく、リリィも約束通りに決闘に付き合ってやるようだ。
「見てろよ天子、ルルゥがこの悪い妖精をボッコボコの、ボコにしてやるところをなっ!」
「が、頑張ってね、ルルゥ。私、応援してるから!」
仲睦まじく決戦に臨む意気込みを語り合っている傍ら、俺もリリィにコソっと話す。
「何て言うか、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ、私は絶対に負けないわ」
「いや勝敗を心配してるんじゃなくて……前にやった時、フィオナの『妖精殺し』で何もさせずに圧倒したんだろ」
曲がりなりにも天子の御前試合となるリリィVSルルゥである。あまりにも無慈悲なワンサイドゲームで蹂躙するような内容は、ちょっと心証がよろしくないのでは。
「勿論、今回はちゃんといい勝負になるよう、手加減するから」
「具体的にどれくらい?」
「このまま戦うわ」
ほう、つまり幼女のまま臨むと。
今のルルゥは紅水晶球を奪われているため、本気モードである少女形態への変身は出来ない。出来たとしても、ごく短い時間しか維持できないだろう。
一方のリリィは自分のとルルゥのとで、紅水晶球二個持ちという掟破りのダブル装備である。自分だけ変身して戦う、というだけで尋常ではない差がついてしまう。
無論、それでもリリィを倒すべく、ルルゥは『妖精神拳』というオリジナル格闘技を編み出し、妖精にしては真面目に修行もしてきたようだ。
「そのまま戦うとなると、流石にちょっと心配かも」
幼女リリィも決して弱くはない。だが同じ条件でルルゥと相対するならば、本気リリィを倒すために磨いてきた『妖精神拳』を使うルルゥの方が有利に思えてくる。
「そうね。だからクロノは一生懸命、私のこと、応援してね?」