第1033話 ラストリゾート(2)
抜けるような青空に燦々と輝く太陽。白い砂浜。青い海――――絵に描いたような美しいビーチだが、実は海では無い。
そこはパンデモニウムの光の泉。リリィが砂漠の地にこしらえた、妖精女王への信仰と妖精達の住処とする新天地である。
リリィはカーラマーラを掌握し、パンデモニウム設立と同時に、新たな光の泉の建設にも着手していた。元よりパンドラ中の妖精を戦力として招く計画もあり、沢山の妖精が心地よく過ごせる場所を用意する必要があったこと。それ以上に、妖精女王イリスに愛された自分の本拠地に、光の泉が無い、なんてことでは顔向けできないという宗教上の理由も大きい。
そうしてまず始めたのは、砂漠の緑地化である。寂寞の大砂漠は、交通のための流砂や新兵器の演習場としては役に立つが、基本的に人が住むのには向かない不毛の地だ。
大迷宮という名のシェルターがあるため、食料生産の畜産農業の必要には迫られないものの、周囲一帯全てを砂漠のままにしておく必要はない。まして、オリジナルモノリスの力によって用意に緑地化も可能となれば尚更だ。
かくして、演習場とは都市を挟んで反対側へ、光の泉を作ることに決まった。
帝国の拡大と共に、緑地化も順調に進み、今や大きなオアシスと化すまでに成長を果たした。
生い茂る緑の木々は、ヤシの木を筆頭に如何にも南国らしい植物ばかり。色鮮やかに大きな花々が咲き誇り、甘く熟した果実がたわわに実る、南の楽園のような光景が広がる。
そして楽園の中央に広がるのが、海と見紛うほどに巨大な妖精の泉。
正確な真円を描く人工の巨大湖で、中央に浮かぶ小さな島には、妖精女王イリスを祀る神殿と、傍らに小さな小屋だけが建つ。モノリスも設置されており、リリィはいつでも白百合の玉座から、ここへ転移ができる。クロノと二人きりになれる、新しい秘密の場所でもあった。
巨大な円湖とその周囲一帯を覆う南国の緑によって、パンデモニウムの光の泉は形成されている。
これほど立派なオアシスとなれば、妖精達も何不自由なく過ごせるため、多くの妖精が楽し気な声をあげて遊び回る姿が、そこかしこで見受けられる。
しかし、この場で遊ぶのは妖精達だけではない。
巨大な光の泉。その一角に広がる白砂の浜には、多くの人々が集っていた。
「ヒャッホォ-ウ!!」
「ウォオオオオオオオオオ!!」
ザブーン、と白い砂浜を駆け抜ける勢いで、水面へ飛び込んでいくのは、第一突撃大隊隊長カイと、今や立派なエースとなっているレキ。
そんな二人に、筋骨隆々の大隊員達が歓声を上げて続く。
「ねぇ、光の泉って妖精女王を祀る聖地でしょ。こんな騒いでホントに大丈夫なの?」
「リリィ女王が大丈夫って言ってるから、大丈夫なの。多分」
「後で祟られたりしたらイヤよ私は……ねぇ、ウルって呪いとか強くなかったっけ?」
「強いけど、妖精相手は無理」
「だよねぇー」
総合演習にて、本気出したリリィと相対する恐ろしさを身をもって味わったウルスラとシャルロットが、遠い目をしながら、頭空っぽでバカ騒ぎを始めている大隊員達を眺めた。
この度、大きな光の泉が完成し、妖精だけでなく一般にもリゾート地として解放されることとなった。
湖の中央島のみ立ち入り禁止とされ、それ以外は散策も自由。砂漠の都市であるパンデモニウムでも、豊かな南国の自然を感じられる一大観光地だ。
その記念すべき観光客の第一陣として、総合演習で死力を尽くして戦った帝国軍人達が選ばれた。次のスパーダ奪還が始まる前の、休暇の一環でもある。
砂漠の都であるパンデモニウムにおいて水着は全く普及していないが、帝国軍には水中訓練用の水着があるため、泳いで遊ぶ者達には特別に貸し出しされている。
濃紺のノースリーブシャツとハーフスパッツのセパレート型だ。飾り気がなく露出度低めな水着は、発育の良すぎるレキが着ても年相応の健全さ。
一方、カイを筆頭に男連中は大体上半身裸である。鍛え上げた自慢の肉体と歴戦の戦傷を見せびらかしていた。
しかしながら、スパーダの姫君でもあるシャルロットはきちんと自前の水着を持ちより、己の髪色と合わせた鮮やかな赤いビキニを、アクセサリー込みで着こなしていた。
そしてウルスラも同じ隊で同じ魔術師クラスであるシャルロットのよしみで、ちゃっかり素敵な水着を調達している。白いビキニにパレオを巻いた姿は、シャルロットと並べば異国のお嬢様同士が集ったような風情となっていた。
「ところで、シャルは今夜どうなの」
「どうって、何がよ」
「だって今夜こそ、とうとう隊長と――――」
「わぁーっ、ああぁーっ! なんで知ってんのよそんなことぉ!?」
分かりやすいほど赤面して取り乱すシャルロットを、師匠譲りのジト目で睨みながらウルスラは気になる恋模様を聞き出そうとする。
ネロとの決着がつくまでは、婚約したとはいえシャルロットに手は出さない。そう決めたのは他でもないカイ自身であり、シャルロットからすればくだらない男の意地だと思っている。
それでも、そんな決意を抱ける男はカイの他にはいないのだと思えば、それが嬉しくもあった。
結果的に、二人ともネロの最期の瞬間に立ち会うことは叶わなかったが……今はもう、全てが終わったこと。
だからまとまった休暇の取れるこのタイミングで初体験に違いない、とウルスラは見当をつけていた。そしてその通りだった。
「安心して。ちゃんと適当なところで副隊長に場を引き継がせるから、シャルはいいところで隊長としけこむの」
「しけこむとか言うなぁ……」
否定しないということは、やっぱりそういうことなの、と追撃すればますます赤くなっていくシャルロット。
ウルスラからすれば、シャルロットはクロノと同い年の年上の女性だが、実に弄り甲斐のある初心な、もとい親近感の湧くリアクションをくれる相手だ。一国のお姫様だが、冒険者活動にのめり込むお転婆ぶりのシャルロットとは、ウルスラもレキも親しみやすかったのは事実である。もっとも、お高くとまっているようでは、命知らずの実力主義である第一突撃大隊でとてもやっていけないが。
「ネル姫様はもう、クロノ様と色んなプレイングをこなしているの。シャルもここから挽回するべき」
「ネルのことは関係ないでしょ……私は別に、その、普通でいいって言うかぁ……」
「リリィ女王に頼み込んで一番いい部屋とってもらっておいて、普通とか」
「だから何で知ってんのよぉ!!」
乙女心全開でロマンチックな夜を過ごす準備には余念がなかったシャルロットの行動を指摘すれば、真っ赤になって反論してくる姿に、ウルスラはニヤニヤを抑えきれなかった。
年下の少女にいいようにからかわれて散々だ、と思うシャルロットだが……この時の彼女はまだ知らない。
夜の宴の真っ最中に、「シャル、愛してる!!」と叫ぶカイにお姫様抱っこされ、大隊員全員から拍手喝采で閨へ向かうのを見送られるという、特大の羞恥プレイが待っていることを……
◇◇◇
パンデモニウムで大勢の帝国軍人が休暇を楽しむよりも前に、少し早めの休みに入った者もいる。
レーベリア会戦の後、最も早く休暇期間に入ったのは、宿敵たる白竜との決着をつけた、ベルクローゼンであった。
彼女はアヴァロン王城の一角、同じ場所に再建された火の社にて静養することとされた。何だかんだで、250年もの時を過ごした実家のような場所である。パンデモニウムの地下で過ごすよりも、陽の当たる静かなここの方が、心穏やかに休息できるだろうという配慮の結果だ。
そしてベルクローゼンは今、七歳児同然の幼い姿で、麗らかな初春の日差しを縁側で浴びながら、座布団の上に正座をして湯呑のお茶を握りしめていた。
「はぁ……お茶が美味いのぅ……」
あまりに心穏やか過ぎるベルクローゼンの姿がそこにはあった。
見た目こそ七歳だが、その雰囲気は完全に寿命が燃え尽きる寸前の域に至ったものである。
本気を出して精魂尽き果てた結果、ベルクローゼンはすっかり老け込んでいた。
「ガーヴィエラや、ネルはまだかいのぅ」
「もう、ベル様。ネル姫様は魔王陛下と一緒にルーンへ行ったでしょう」
「ほーん……主様はどこかのぉ」
「だから魔王陛下はルーンに行ったばかりですよー」
「そうかぁ、そうじゃったかのぉ……」
ネヴァン奪還後には、世話役としてやって来たガーヴィエラが、にこやかに繰り返される質問に答える。
同じ黒い髪に赤い瞳を持つ二人は、姉妹のようにも、祖母と孫のようにも見えるのだった。
「ベル様、そろそろ総合演習が始まりますよ」
「おぉー、戦じゃ。妾も若い頃は、レーベリアで大戦をな」
「それはこの間の話でしょー」
ボケたことを言うベルクローゼンを抱っこしながら、設置されたモノリスで今、帝国で話題沸騰の総合演習を観戦する。
演習とはいえ、あの女王リリィの呼びかけによって大々的に開催されるのだ。ただのデモンストレーションなどではなく、実戦さながらの激しい戦いが見られるのではないか。そして、そんな戦いを見れば、少しはベルクローゼンも元気が出て来るのでは、という期待を抱いて観戦に臨んでいた。
そして始まる帝国臣民ドン引きの死闘の数々を見て、ベルクローゼンは言った。
「ほわぁ……やっぱり若い者は元気で良いのぅ……妾もあと200年若ければ……」
「これは回復するまで、まだかかりそうだわー」
ベルクローゼンとガーヴィエラの穏やかな日々は、まだもう少し続くのであった。
◇◇◇
「……こんなことをしていて、いいんだろうか」
奇しくも同じ時刻、シモンはクロノと全く同じようにビーチチェアに寝そべっては、抜けるような青い空に輝く陽の光に目を細めていた。勿論、傍らにはトロピカルジュースもセッティングされている。
天空戦艦エルドラドを筆頭に、帝国軍を支える古代魔法技術全般を担当している魔導開発局長シモンも、ついに地獄のデスマーチを潜り抜けて奇跡の休暇へと辿り着いていた。
何もしない、というあまりにも贅沢な時間の使い方をしていると、実は自分がもう過労で倒れて夢でも見ているのではないか、という気持ちになる。南国楽園そのもののロケーションも、天国チックな演出に一役買っている。
倒れるどころか、死んでるかも……なんて思いながら疲労感の抜けない体で転がっていると、自分を呼ぶ声が届いた。
「シモン」
「あっ、リア姉」
現れたのは、姉エメリア。スパーダで唯一生き残った将軍であり、重騎兵軍団『テンペスト』を率いて戦場を駆ける帝国軍きっての猛将だが、今は無骨な鎧兜は影も形もない。
見上げるほどの長身と龍神の加護を秘める肉体は、惜しみなく陽の下に晒されている。
「スパーダ奪還を前に、私も休暇を頂いたのでな」
何故ここに、とシモンが問うよりも先に、エメリアは言い放つ。
なるほど、確かにこの水着姿は戦時でも訓練でもありえない。
本気で加護を発動させる時は鎧をパージして黒いビキニ状態となるが、今のエメリアが着ているのは、休暇前にサリエルから密かに提供してもらった、試作型競泳水着だ。
鮮やかな青地に黄色い差し色の入ったカラーリングは、これもまたクロノが見れば「絶対どっかで見たことあるやつ!」と感想を抱くこと確実な異邦人デザインである。
エメリアは自他共に認める、典型的な無骨な武人であり、こういった休暇の際には自分に似合った華やかなコーディネートをするお嬢様のようなスキルにはとんと自信が無かった。
普段はそれでも良いのだが、今回ばかりはそうもいかない。なにせ故国奪還の大戦を目前に控えたタイミング。ただの休日とは、その意味合いは大きく違ってくる。
「純粋な水着など、久しぶりに着たものだが」
「あー、えっと、なんか珍しいデザインだけど、リア姉には似合ってると思うよ」
クロノと親友をやっているお陰で、説明されずとも水着のデザインに異邦人文化の色を見抜いたシモンは、この水着の出所に見当をつけつつも、素直に褒める言葉が出てきた。
昔と違って、姉に対する苦手意識はすっかり無くなった。思えば、自分が子供だったに過ぎない。
ロクな戦闘能力も持たない『錬金術師』がわざわざ国を出て一人で冒険者としてやっていく、だなんて家族なら反対して当然のこと。ほとんど家出同然にスパーダを離れてダイダロスへ向かったのは、今だからこそ何て馬鹿な真似を……と冷静に省みることができる。
けれど、そんな無謀な行動のお陰で、今の自分があると思えば、若い頃の苦労は買ってでも、という教訓よりも、ただ単に運が良かっただけ、と肝が冷える。
ともかく、エルロード帝国で責任のある立場について激務をこなしてきた今のシモンにとって、エメリアは姉としても将軍としても何ら気後れすることのない相手となっていたが、
「そうか、それなら良かった。奇異の目で見られていると思ったが」
水着の珍しさもあるが、こんな目立つ長身美女が歩いていれば大体の奴は振り向き見てしまうだろう。
鍛え上げられた体は太く、大きく、逞しい筋肉の鎧で覆われているが、その上からさらに突き出るほどに盛られたバストとヒップがグラマラスなボディラインを描く。そしてそんな肉体を包み込むのは、初見でも機能美を思わせる競泳水着。
怜悧な美貌の女将軍が着る水着としては、派手な装飾のお嬢様向けよりも、遥かにその魅力と色気を高めていた。
だからこそ、シモンも目のやり場に困っているのを誤魔化すように、視線を泳がせていたのだが、
「ところで、シモン。この機会にはっきり話しておこうと思ってな」
「ひゃい!?」
言いながら、全く無遠慮に自分が寝そべるビーチチェアへと腰を下ろしてきたエメリアに、悲鳴染みた声が上がる。
いきなり近い、というか密着している。いくら豪華なサイズのビーチチェアとはいえ、寝転がってるところに余裕のメートル越えのデカいお尻が振って来れば十分な着地面積などあるはずもなく。結果的に爽やかな青い布地とエルフらしい白い柔肌の感触が同時に触れる状態となった。
「こら、逃げるな。大事な話なのだ」
「そっ、そうですか……」
思わず反射的に起き上って離れようとしたところを、抵抗などまるで無意味な女将軍の剛腕がシモンの華奢な体を抱える。お陰で密着度はさらに上がり、今なら頭に水着越しの胸の感触までついてくる。
こんな体勢で大事な話するなよ、と思いつつも諦めて耳を傾ければ、
「スパーダを取り戻した後、私とバルディエルを再興してくれないか」
「ああ、お家再興かぁ……」
確かにこれは大事な話だし、先にハッキリと決めておくべきことでもあった、と納得してしまう。
十字軍によりスパーダが陥落した結果、今はバルディエル家の生き残りはエメリアとシモンだけ。
陥落前までは、現当主たる父親は壮健で、後を継ぐべき兄弟が三人もいた。だからエメリアも自分の力を活かした将軍に専念できていたが……戦果の中で当主は亡くなり、三人の兄弟もスパーダ陥落からファーレンへと落ち延びるまでの間に、エメリエへ後を託すように『テンペスト』の騎士として散って行った。
結果的に、バルディエル家の当主を今はエメリアが代行という形で務める状態なのである。
しかしながら、それも単なる肩書に過ぎない。バルディエルは貴族としての権力は失われているのだから。
いくらスパーダが亡命政府として存続しているとはいえ、王家は勿論、かつての四大貴族とて、全ての領地に財産の大半を失っている。帝国へ落ち延びたスパーダの勢力が、今もそれなりの体面を保っていられるのは、他でもない、クロノ帝の慈悲あってのこと。
クロノがスパーダで過ごした期間は僅か一年ほどであるが、それでも十分過ぎるほどの思い入れをもってもらっている。今代のスパーダ王となったウィルハルトとの親交深く、カイやシャルロットといった面々とも交流があることで、プライベートな面でも強い繋がりがあるのだ。
このままスパーダを取り戻せたなら、クロノ帝ならばその復興にも力をいれてくるだろう。
だがしかし、スパーダ王家は総督として安泰なれど、全ての貴族までその地位が保障されるものではない。そしてそれは、四大貴族とて例外ではないのだ。
「お前がさほどバルディエルの血筋に思いがないことは知っている。だが、どうか頼む」
シモンは所詮、養子である。だがバルディエルの血を継ぐ分家の出であることも確かだ。
シモンの両親は、バルディエル当主の父と随分と懇意にしていたと聞いている。スパーダは王族だって、若い頃は当たり前に冒険者活動をやって実戦での経験も積まされる。彼らもそういった間柄で、冒険の中で固い絆で結ばれたというのは、スパーダの貴族社会では何ら珍しい話ではない。
だから両親が亡くなった時に、当主は一も二もなくシモンを引き取ってくれたのだ。
「確かに、僕がバルディエルの名前を背負うなんて使命感はないけれど……それでもここが、僕の家だから。また四大貴族なんて名乗れるくらい、立派になれるよう再興するのに協力は惜しまないよ」
以前の低ランク冒険者に過ぎない自分なら、出来ることなど何もなかった。けれど今は、曲がりなりにも帝国を支える幹部の一員だ。その自覚も自負もある。
今の自分ならば、どれだけ背伸びをしたって追いつけないと思った、この偉大な姉の力にだってなれるという自信があった。
「そうか……本当に良かった。お前がそこまで言ってくれるとは」
力強いシモンの言葉に、エメリアの凍れる美貌にも、暖かな微笑みが浮かぶ。
だから感極まったような彼女の抱擁も黙って受け入れた。顔が全部胸に埋まって息苦しくても。
「それじゃあ、まずは子作りからだ」
「いやちょっと待って、なにそれ聞いてない」
流石にそれは黙って受け入れられない発言が飛んできた。
慌てて顔を上げるが、大きな胸の間から覗く姉の顔には、すでに不退転の決意が宿っている。
「今は私が当主だからな。下手な相手と婚姻するワケにはいかないだろう」
「いやそこはホラ、帝国の有力な人が幾らでも――――」
「男系の血が外様になるのはよろしくない」
当主の性別、そして家の血筋を男系か女系か、どちらを優先するかはパンドラにおいて国によって様々だ。だが当主は男、血筋も男系、と定める国が多い傾向があり、基本的にはスパーダも含まれる。
とはいえ、それなりに異種族も多く暮らすスパーダでは、そこまで厳しく見られることはないが……古くからの名門バルディエルともなれば、気にするべきポイントであった。
「だから私の夫となるべき男は、シモン、もうお前しかこの世にいない」
これで三兄弟の誰かが生きていれば、何の問題もなかった。彼らの内で、一人でも息子がいれば正統後継者となる。だからエメリアは好きな相手でも、政治的な理由でも、選択肢は幾らでもあった。
だがしかし、バルディエル本家が途絶えようかと言う瀬戸際となって、男系血筋の維持まで何とかしようと思えば、確かに現状ではシモン以上に適切な相手はいない。
まずい、適切な反論が何一つ思い浮かばない、と詰みを意識してしまったその時、
「ちょっと待った。それは少々、強引に過ぎるのではないかな、エメリア将軍」
「ソフィア、貴様……余計な口を挟むな。これはウチの家の問題だ」
この窮地に計ったようにやって来たのは、スパーダ四大貴族の一角、パーシファル家の当主たる、ダークエルフの美女。ソフィア・シリウス・パーシファルである。
帝国士官学校の理事長としては白いスーツを、魔術師教導団ではローブを纏う彼女だが、やはり今はこの場に合わせた水着を着ていた。
青ベースのエメリアの競泳水着に対抗するかのように、真っ赤なビキニが艶めかしい褐色だに映えている。
「いいや、これは色恋の問題さ。シモンは私が先に唾をつけているんだ」
「そうなんですか!?」
それも聞いてない、と言ったとろこで、ソフィアは怯まない。
確かに、彼女もまた貴重な古代魔法の知識を持つ者として、『古代魔法研究所』の方ではかなりお世話になっている。
古代魔法に精通した人物などただでさえ少ないのに、その上さらに身許も確かで信頼のできる人物となれば、レギンと彼女くらいのものである。
ここしばらくは戦続きで、シモンも研究所より帝国工廠の現場に出ずっぱりだったお陰で、研究については相当ソフィアに任せてしまった。士官学校の理事でもあり、魔術師教導団での教官も務める、忙しい彼女にかなり無理を聞いてもらったという負い目はある。
あるのだが、それとこれとは別の問題ではないだろうか。
「お家問題を盾に迫るなんて、これだから戦場しか知らない女は無粋で困る」
「黙れ、生き残りが多いパーシファルには関係のない話だろう」
「シモンは君の一存などで、勝手に婚約を決められる立場ではない。なにせ彼は、今や帝国の古代魔法技術を一手に担う存在だ。帝国軍で何人もいる将軍とは、比べ物にならない影響力がある――――魔王クロノ、女王リリィ、両陛下も口を挟まずにはいられないのではないかな」
「ふん、認めて貰えば良いだけの話だ」
「そう上手くいくかな。私を除いたって、シモンを狙おうという輩は大勢いるし、今も増え続けている」
エメリアも伊達に将軍を長くやっていない。政治の世界にも、嫌でもそれなりの関りと理解がある。
シモンという、見た目だけならどうとでも取り込めそうなエルフの少年が、帝国では替えの効かない重要人物となっている。何より、皇帝と女王、どちらからも信頼が厚い最古参とも言える関係性であることも大きい。
すなわち、シモンと婚姻すれば、それだけで帝国において大きな影響力を得られる立場になり得るのだ。
政治の世界では、そういったボーナスキャラのような存在が発生する時がある。そしてそういう時は、誰も彼もがその人物を狙って、ロクでもない暗闘が繰り広げられ……最悪、敵対勢力に渡すくらいならと当人の暗殺を試みる場合すらある。
「この私を脅すつもりか」
「とんでもない、私は彼の身を一心に案じているだけさ。君が強引な進め方をしたせいで、万が一なんてことは決してあってはならない」
「あっ、ちょっと――――」
言い争うのは二人の自由だが、勝手に自分を間に挟めないで欲しい、とシモンは切に思った。
なんか流れでソフィアも勝手にビーチチェアに腰掛けて、エメリアに劣らぬ豊満な肉体が密着してくる。結果、シモンは挟まった。エルフとダークエルフ、白と黒の美女の体で完全に間に挟まった。
押し付けられる感触で体はどうにかなりそうだが、頭上でバチバチと繰り広げられる二人の言い合いに頭は冷え冷えだ。
頼むから、まずはここから解放してくれ、というシモンの祈りが通じたよう、再び第三者の声が上がった。
「失礼いたします」
「シークさん、助かったよー」
言葉だけでは失礼と言いつつ、全く無遠慮に腕を突っ込んでシモンを引っぺがしたのは、女性型の人造人間。
型番はF-0049だが、シーク、とクロノ直々に名づけられネームドとなった彼女は、シモンの秘書として専属でつき従っている。
その結果、より専属として特化した存在に進化した彼女は、他のホムンクルスと比べて格段に自我が強まり、ただ指示に従うことしかできない人形ではない。
そして進化は自我だけでなく、体にも現れている……というのが、真っ白いアルビノボディに映える、艶やかな黒いビキニがはち切れんばかりに膨れ上がっていることから分かるだろう。
「おい、邪魔をするな」
「これは仕事じゃなくてプライベートな問題なのだから、シーク君の出番はないよ」
「いいえ、私は公私に渡ってシモン様をお支えするのが使命ですので」
「ちっ、ソフィアの言った通りの輩がもう出てきたということか……」
「君は現場でもシモンと一緒なんだから、今は引っ込んでてくれないか」
「シモン様がお困りのようですので。お引き取りください」
二人の胸の間からは脱したものの、次はホムンクルスの胸に挟まれて、あんまり助かってはいないかも、と気づきつつも、三人が睨み合うこの状況をどうするんだと推移を見守るより他は無かった。
事態は完全に自分の力で何とか出来る範囲を超えている。平和な休暇がどうしてこんなことに。これなら仕事してる方がマシだった、と後悔が湧いてきたその時、
ザバァアア……
大きな水飛沫を上げて、目の前の水面から光と共に持ち上がる。
何事か、と三人とも瞬時に身構えるが、
「お楽しみ中のところ、ごめんなさいね」
泉の中から女神が現れるかのように飛び出してきたのは、全裸のまま『妖精結界』を纏った光り輝く少女リリィであった。
リリィも彼女だけの中央島でくつろいでいたところだろうに、この様子から、どうやら緊急事態が発生したのだと全員が察した。
「悪いけれど、休暇はもう終わりよ。ちょっと大変なことになってきたみたいで」
「御意」
「ご命令、承りました」
「イエス、マイプリンセス」
リリィの一言で、三人とも姿勢を正して返答した。
一方、これで本当に助かった、といった表情のシモンにリリィは言う。
「シモンは私と一緒に来てくれるかしら。珍しいお客様が来たのよ」
「えっ、そんな人いるの……?」
リリィをして珍しい客、などと言うに値する人物の存在にシモンは心当たりが浮かばなかった。なにせ今やこのパンドラにおいて、リリィと対等な者は限られる。
「ルドラが来たわ」
「ええっ、ルドラって、あの吸血鬼の!?」
「そう、吸血鬼の国ネヴァーランドの特使としてね――――」
懐かしい名前に驚くシモン。一体、彼が如何なる用向きでやって来たのか、やはり想像はつかなかったが……嵐の到来の予感だけは、第六感の鈍いシモンでも確かに感じるのであった。