第1032話 ラストリゾート(1)
抜けるような青空に燦々と輝く太陽。白い砂浜。青い海。
絵に描いたような美しいビーチに、贅沢にも俺は寝転がっていた。
寝心地抜群のビーチチェアにのんびり寝そべり、傍らには映画でしか見たことないようなデッカいトロピカルジュースなんかも置いてある。
このどこからどう見てもテンプレ海水浴状態なのは、恐らくサリエルがセッティングしたからであろう。
ああ、波の音が心地よい。他に人などいない、プライベートビーチなのも最高に贅沢な環境だ。
時期としては三月に当たるが、日本と違ってルーンはかなり温暖な気候である。ジリジリ焼けるような暑さではないが、水着で海に来て心地よいくらいの気温だ。のんびりするにはちょうどいい。
「はぁ……休みも今日で終わりかぁ」
清水の月10日。今日でルーンバカンスも最終日である。正確には明日の朝一で、転移でパンデモニウムへ帰還する予定。
本当はもう少し前に帰るはずだったが、不死鳥事件のせいでゆっくり休むはずだった日数が大半吹っ飛んだ。事後処理や海底遺跡を巡る交渉やら含め、まともな休日となれたのは、昨日と今日くらい。
それでも貴重な休みだった。俺はその終わりを迎えて、久しぶりに憂鬱な月曜日を迎える学生の気持ちを思い出していた。
「こうしていると、夏休みも欲しくなって来るな」
海水浴、高校に入ってから行ったかなぁ……中学の頃に行ったのが最後だった気がする。でもウチの文芸部は仲良かったし、今年は夏合宿で海、とかそういう話もあったと思う。
こうして実際に穏やかなビーチで寝転がっていると、今更ながらにそんなことを思い出していた。
もう戻れない高校二年の夏休みに未練はあるが、今この時も十分過ぎるほど魅力的だと思うべきだろう。何故なら俺は、一人ではないからだ。
「クロノくん、お待たせしました」
「ネルが時間かけるからですよ」
「もう、フィオナさんは着付けが適当過ぎるんですよ!」
そんなことを言い合いながら現れたのは、ネルとフィオナ。勿論、バッチリと水着姿である。
適当な着付け、と言われていたフィオナだが、俺からすると黒いビキニ姿は見事に決まっていると思う。杖こそ握ってないが、いつもの三角帽子はそのままで、それがかえって普段の姿と水着の露出がギャップになって、いかがわしい、もとい色気を感じさせる。
一方のネルは、純白のビキニに白い帽子を被った、シンプルなスタイル。だが背中の白翼も相まって、やはり天使のように魅力的な姿である。
ルーンでも理想のお姫様と名高い清楚華憐な美貌と雰囲気が漂うが、はち切れそうな胸元から、肉感的なボディを露わにするビキニ姿は煽情的でもあった。俺に巨乳耐性がなければ、とても理性が持たなかったであろう。
「どう、ですか?」
「二人ともよく似合ってる。目のやり場に困るくらいだ」
「もう裸なんて見慣れていますよね」
「そんな風情のないことを言うな。胸を出すな」
フィオナが平然とブラを引っ張って、次の瞬間には零れ落ちそうになるところを止める。
そりゃ裸だってもう何度も見ている。見ているが、そういうことではない。あとプライベートビーチだからって無防備すぎる。
ちょっと恥ずかしそうに水着の感想を聞いてくるネルを見習え。
「サリエルとファナコは一緒じゃないのか」
「あの二人はもう少し時間がかかりそうでしたけど」
「ええ、初めて見るタイプの水着を着ていたようなので、手間取っているのではないでしょうか」
幸いと言うべきか、異邦人文化もそれなりに残ったりするから当然と言うべきか、海水浴に水着は、海洋国家ではそれなりに普及しているレジャーである。
少なくともルーンでは、レッドウイング伯の存在もあって、海水浴を含む、南国リゾートとしての観光事業にも力が入っていた。
このプライベートビーチはルーン王族御用達として古くからあるそうだが、多くの人々で賑わう、ハワイなんかを思わせるホテルの並ぶ海岸沿いの一角もある。俺個人としては、そっちの方が楽しそうな気もするが、立場もあるので、おいそれと人の多い場所には突っ込めない。
ともかく、海水浴があるので水着も普及しているのだが……お姫様であるネルをして「初めて見る」という以上、これもサリエルが現代知識で用意した代物だと思われるが、
「あっ、来ましたよ」
「随分と控えめな水着なのですね」
フィオナがこちらへ歩いてくる二人を見つけて指す。
行軍時のように堂々と歩みを進めるサリエルが前を行き、背の高いファナコが猫背気味で続いている。
ネルが「控えめ」と言ったように、ビキニタイプと比べれば、確かに二人の水着は露出度は各段に低い。
だがしかし、俺の性癖を的確に刺してくるデザインであるのは間違いなかった。
「スク水と競泳です。如何でしょうか、マスター」
「す、すげぇ再現度だ……」
俺の前に仁王立ちし、恥ずかしげもなく堂々と言い放つサリエルには、思わず気圧されるほどだ。
小さく華奢なサリエルの身に纏うのは、これぞ王道、濃紺のスクール水着。しかもしっかり旧型だ。
勿論、胸元にはゼッケンが縫い付けられており、達筆な字で『白崎』と書かれている。
これは白崎さんへの尊敬なのか侮辱なのか。そりゃあね、高校から水泳の授業は男女別になって、男子は女子の水着姿を拝む機会が無くなったワケで、だからこそ白崎さんのスク水姿は幻の存在となり憧れの気持ちとか結構有ったけど……もしかして、俺の心をここまで読んでいるのか!?
サリエルだからありえそう。
「水抜きもちゃんとある」
ここがアピールポイント、とばかりに腹部をめくって、ほっそりした真白のお腹が露わになる。まさか、この俺が生でこんな光景に立ち会えるなんて……エロ同人でしか見たこと無いシチュだ。
サリエルの誘惑に負けて、思わずヘソを突いてしまった。
「……んっ」
小さく色っぽい吐息が耳をくすぐる。
ヤバい、コレ。色んな意味でヤバい。
「ちょっと、ズルいですよサリエルぅ!?」
「これがニホンの知識を持つアドバンテージ……やはりサリエル、侮れませんね」
「うわっ、うわぁ……エッチだ……」
ついやってしまった俺の行動に、ネルは叫び、フィオナはじっくり観察し、ファナコは赤面していた。
三人のリアクションで、俺も理性を取り戻す。白昼堂々、何をやっているんだ俺は……という反省を込めて、危険なスク水サリエルから、視線を逃がすようにファナコへと向ける。
向けるのだが、逃げた先もそれはそれで魅惑的な姿があった。
「あっ、あのぉ、そんなに見られると……」
「長身のファナコには、凄い似合ってるぞ。だから、よく見せてくれよ」
病的な青白い肌で痩身に見えるファナコだが、ちゃんと出るとこはしっかり出たスーパーモデルのような体型だ。
かなりの長身とスラリと伸びた手足は、全体的にはスレンダーなシルエットに見えるが、『鬼々怪々ユラ』の力を発揮するべくしなやかな筋肉がついていることが分かる。
そんな彼女の体を包むのは、シアンカラーの競泳水着。
男なら絶対どっかで見たことあるに違いない、これぞ競泳水着、と言うべきカラーリングとデザイン。
世界を超えているから著作権フリーなので、堂々と有名スポーツメーカーのロゴまで入っている。このマークとか見るだけで懐かしいぞ。
「わ、私もどっか見せた方がいいですか……?」
「いやいい、無理しなくていいから」
封印眼鏡は外した鋭い鬼の眼に、薄っすら涙を浮かべて恥じらうファナコに、俺はしっかり断りを入れておく。
鬼眼は本人の意志とは無関係に、強烈な威圧効果を発揮するが、今この場にいるのは一騎当千の強者ばかり。無自覚垂れ流しの威圧程度を、気にするような者は一人もいない。
ファナコはプライベートで、もっと自分を出せるようになった方がいいだろう。
「それで、クロノさんの水着は?」
なんて素敵な水着ハーレムだ、と立ち並ぶ彼女達の姿に満足していると、フィオナがそんなことを言い出す。
いや別に、俺の水着とかどうでもよくない? 男の裸に価値なんてないし、見るべきとこなんて……
「いいから早く脱いでくださいよ」
「分かったって」
渋るほどのモノではないので、フィオナに急かさるがままに、俺は羽織っていた上着を脱ぐ。
「下は?」
「……下はちょっと」
流石に渋る理由が、俺にはあるのだ。
俺の腰には今、パレオみたいに一枚大きいのが巻かれている。そしてこの下に履いてるのが、俺の真の水着であって、
「今更、裸を恥じらうと言うのですか?」
「分かったちゃんと脱ぎます」
段々厳しくなってるフィオナのジト目の圧と、そこはかとなく期待に目が輝くネルとファナコ、そして全てを知ってるだろうサリエルの視線を受けながら、俺は腰巻を取り去った。
そして露わになるのは、ボディビルダーしか履かないだろうという、際どい黒のブーメランパンツ。
用意されていたからといって、黙って履いてから後悔した。なんだこの股間の心許ない感覚は。防御を完全に捨てているとしか思えない。
これアレだ、裸より恥ずかしいってヤツ。
だが一度履いたものを脱ぎはしなかった無精が祟って、俺は今こんな姿を婚約者達の前で晒す羽目になってしまった。
「おおぉー」
と、感嘆の声がネルとファナコから漏れていた。
何でだよ。やっぱ超恥ずかしいわコレ。
「そんなに見られると流石に恥ずかしいんだが」
「素晴らしい肉体美です、クロノ様。古代の英雄象なんかも、きっとこんな肉体を見て彫られたのでしょうね」
感動と感心が混ざったような顔で、ファナコが言う。
でもこの体は人体実験の成果であって、俺が努力してボディビルドしたってワケではないからな。あまり自慢する気にならないというか。
「数々の死闘を潜り抜けているにも関わらず、傷跡のない肌。美しい」
「それはなんか回復力があるからで……」
「だからこそ際立つ、この胸の傷跡! クロノ様、この傷は如何なる由来が!」
「あっ、ちょっと触らないでくすぐったい」
語っている内に段々興奮してきて遠慮もなくなり、とうとう俺の胸元に手を伸ばしてペタペタ触られてしまう。ファナコ、これがオタクが煙たがられる典型的ムーブだぞ!
思うものの、愛すべき婚約者のスキンシップは甘んじて受け止める。
「これはリリィに心臓移植した時の傷だ。自分でぶち抜いたせいか、何故かこの傷だけは綺麗に塞がらなかったんだよな」
「な、何と言う愛の証……」
そう言われると照れるが、確かにその通りではある。
魔王の最後の試練。愛する者の心臓を捧げる、という残酷な試練へと抗った跡だ。
「ちょっと羨ましいですよね。私もこういう証が欲しかったです」
「今のネルに刻まれたら、本当に死ぬから勘弁してくれ」
腕を撫でて行く、白く柔らかなネルの掌だが、聖堂結界すら砕く破壊力が宿ることを、俺はよく知っている。
ネルでなくても俺の婚約者全員、火力高いから傷跡を刻みつけるほどの一撃を受けたらマジで死ぬ。傷跡どころかバラバラの惨殺死体か、消し炭になって灰しか残らないだろう。
「クロノさん、そろそろ振り解かないと、ネルがその気になって止まらなくなりますよ」
「そっ、そんなことありませんよ! 私が昼間からそんなっ、はしたないことするわけないじゃありませんか!」
わざとらしいほど焦って言うネルに、フィオナとサリエルから冷めた視線が集中する。
俺もネルに腕を絡めとられて、胸の間に挟まった辺りでそろそろ引っ込みつかなくなるな、と思っていたところだ。
休日を欲に溺れて過ごすのも贅沢なのだろうけど……ほら、この後は一応、アットホームなバーベキューをする予定とかあるし。今日のところは普通に海のレジャーを楽しみたいのが正直なところ。
「では、海ですし、一回くらいは泳いでおきますか?」
「よし、そうだな、それがいい」
海だから泳ぐ、という短絡的だが王道の提案に、俺は乗っかることにした。
「折角ですから、何か賭けましょう」
「なんだフィオナ、そんなに泳ぎに自信あるのか」
「魔法アリなら負けませんよ」
なるほど、剣と魔法の異世界自由形と来たか……面白い。
「はい! それでは、勝った人が今夜クロノくんを独占できる、ということでどうでしょうか!」
「それ俺が勝ったらどうなるんだ?」
「全員マスターの好きにして良い」
「あっあっあっ、私、まだそういうの、心の準備が……」
ネルがいかがわしい提案したせいで、サリエルがそれに乗ってさらにアレな感じになってしまったな。
だがしかし、俺も男だ。この機に乗じて、もっと男として欲張ってもいいのかもしれない。なにせ貴重な休日、それも南国リゾート風とくれば、ちょっとくらいはっちゃけるくらいで良いんだ。良いことにする!
「よし、乗った。それで行こう」
「決まりですね」
「うふふ、皆さんお手柔らかにお願いしますねぇ」
「勝負をするなら、加減はしない」
「あわわ……ま、負けられない戦いが……」
そうして、今夜の過ごし方を賭けた水泳レースが始まった。
ルールは簡単、数百メートル先に見える岩場を回って、ここへ最初に戻って来た人の勝ち。武装はナシで、魔法アリ、加護アリ、相手に危害を加えなければなんでもアリの自由形だ。
このレギュレーションで、目下最大のライバルと見るのは、
「……」
静かに水平線を眺めるサリエルだ。
超人的な身体能力と制御力を持つ、俺に次ぐフィジカルの強さの持ち主である。普通に泳げば、サリエルが一番早いんじゃないかと思う。
「――――『鬼々怪々ユラ』」
「はっ!?」
佇むサリエルの隣で、メキメキと額から角を生やして鬼と化してゆくファナコに目を剝く。
「おいファナコ、大丈夫なのか!?」
「す、すみません……体力勝負、みたいなことになると……何か抑えきれない感じで……」
「どうする、止めた方がいいか?」
「いえ……泳ぐだけなので、大丈夫そうです……」
それはユラも泳ぐつもりってことなのか?
まぁ、本人が大丈夫と言うなら信じよう。最悪、暴走してもこの面子なら余裕で鎮圧できるし。
「الماء، السيل، المتدفق ――――」
「こらフィオナ、フライング詠唱はやめろ」
「やはりダメですか」
「当たり前だろ」
手段を選ばず勝ちに来てやがる。フィオナめ、こんなお遊びでも本気か。
しかし、最速候補のサリエルに、鬼ファナコ、そして絶対何かやらかしそうなフィオナ、と油断できない状態だ。
全く、もうちょっと遊びを楽しむ余裕みたいのがあって然るべきではないだろうか――――なんて思いながら、スタートの合図となる閃光が空に弾けた瞬間、
「――――『嵐の魔王』」
俺は全力で海へと跳んだ。
◇◇◇
「やりました、私が一番です!」
ま、負けた……『嵐の魔王』のスタートダッシュを使っても俺は負けた。
優勝はネル。2位サリエルに、僅差で3位にファナコがついた。俺とフィオナは無様な最下位となって、辛うじてゴールまで流れ着いたといった有様である。
「もう、クロノさんのせいですよ」
「どう考えてもフィオナのせいだろ」
醜い責任の押し付け合いが発生するのやむをえまい。
スタートは『嵐の魔王』で大跳躍をかました俺の圧倒的有利だった。しかし、直後に飛んできたのが、フィオナのフル詠唱『水流槍』。
海面に突如として大きな水流として巻き起こり、俺は着水と同時に渦に弾かれ大きくコースアウト。『嵐の魔王』は直線番長なので、こういう時に細かい修正や短い距離を詰めるのには使えない。
そうして俺を押し退け、唯天ゾアが見せたように水流に乗ってフィオナが飛び出して来た。泳ぐというより、自ら魔法で作った高速の水流に乗って流れるだけなので、速度は断トツ――――だったが、岩場のコーナリングで見事に吹っ飛んで行った。魔法の制御力に難アリという弱点が露骨に出た形である。何故いけると思ったのか。
そうして俺とフィオナが馬鹿みたいにコースアウトしたのを後目に、真面目に泳いできたネル、サリエル、ファナコ、三人のデッドヒートが繰り広げられた。
やはり超人的な身体能力に、完璧に理想的な泳ぎ方で最高効率のクロールで突き進むサリエルに、鬼の力業で追いかけるファナコ。
その少し後ろを純粋なフィジカルでは劣るネルがなんとか食らいついている……ように見えたが、岩場をUターンして最後の直線勝負となった時に、ネルは牙を剥いた。
まず発動したのは速度強化の魔法。
次いで、翼に渦巻く風魔法。さらにフィオナほどではないが、水魔法による水流操作も並列して行使していた。
そして極めつけは、風を纏う白翼で、飛魚のように海面を跳ねる、翼を持つ者にのみ許された高速泳法。
流石に強化と魔法と翼の合わせ技の総合力で、サリエルとファナコをぶち抜き優勝を攫って行ったのだ。
という様子を、「私泳ぐのあんまり得意じゃないので」とのたまうフィオナを背負って、俺が虚しく平泳ぎしながら戻っていく最中に見せつけられたのだった。
「ふふ、素敵な夜にしましょうね」
「どうせ一回戦でダウンするくせに」
「敗者のフィオナさんは黙っててだくさい」
「ぐぅ」