第1030話 暇を持て余した女王陛下のお遊び
パンデモニウムの大迷宮第五階層、この地の中枢たるオリジナルモノリスが座す広間は、リリィの玉座の間であり日々の公務をこなす執務室も兼ねた『女王の間』となっている。
本来なら王の威光を示すための玉座の間だが、こと妖精族においては金銀財宝や芸術的な建築様式などは必要としない。ここを彩るのは、ただ美しい花々の色合い。そして純粋無垢に戯れる、妖精達の遊び声こそが、妖精の繁栄を何よりも現すのだ。
そんな白百合の玉座に、どこまでも退屈そうに寝そべりながら、幼女リリィはぼんやりと妖精達のお祭り騒ぎを眺めていた。
ネロを討ち取った大戦の戦勝に帝国が湧いているように、ここの妖精達もお祝いで盛り上がっていた。特にレーベリア会戦と、それに続くネヴァン奪還に従軍した妖精達も帰還しており、このお祭り騒ぎに混じってはしゃいでいる。
普段は麗らかな春の木漏れ日に照らされたような室内だが、今ばかりは無駄にギラギラしたライトがそこかしこで点灯し、ズンズンジョワジョワと最近パンデモニウムで流行りのアップテンポのハイな曲がご機嫌な爆音で鳴らされている。
「ウォー、イェァ!」
「もっとアゲて行こうぜー!」
「キャッハーッ!」
「おい、もっと蜜とナッツ持って来い!」
「へへっ、アルカディアンナッツ、持ってんだるぉ? くれよぉ……」
大声で歌い、踊り狂っては酒代わりの蜜をがぶ飲みし、方々から取り寄せたお菓子を貪る。特にヴァルナ森海の集落から献上されたアルカディアンナッツは人気で、貢物として運んできたリス獣人が現れるなり、盗賊のように妖精達が集っていた。
純粋無垢が故の無法な宴が続く中、リリィは深々と溜息を吐く。
「はぁ……やっぱり、クロノがいないと、何にも面白くないわね」
すでに終戦直後に急ぎの仕事は片づけてある。自分がずっと玉座について命令を下さずとも、上手い具合に洗脳と政治能力のバランスが落ち着いたカーラマーラ議員達が過半を占める帝国議会が国政の運営を担ってくれている。
議会には併呑した各国からも、代表者として議員を選出しており、国土の拡大と共に議員数も増える一方。しかしその過半数は絶対にリリィの洗脳下にある者が務めるよう維持されており、実質的な独裁政権である。
もっとも、広大になりすぎた帝国を画一的に治めるのは難しい。基本的には以前の統治者をそのまま用いて、各国の生活が大きく変わることがないように務めている。
帝国軍は連戦続きではあるものの、勝利を重ね続けているお陰で、あらゆる場所から徴兵しなければならない末期戦とはほど遠い状況にある。
十分な税と兵力が帝国へと供出される限り、リリィが各国の統治にわざわざ口を出すことは無い。出す必要になる方が、リリィの手間を取らせることになるので困る。
そういうワケで、中央は議会に、地方は総督に、基本的な統治を丸投げすることで、リリィも自身の政務負担を徐々に減らしていった。今は各所の監視と、ちょっとした調整程度に済むようになっている。
お陰様でリリィもようやく息抜きできるだけの余裕を取り戻すに至ったのだが……目の前で繰り広げられるどんちゃん騒ぎに、自分も素直に加わる気にはなれなかった。
「あーあ、早くルーンから帰ってこないかなぁ」
ルーンで一騒動あったことは、すでに聞いている。
戦争ではなくバカンスに行っただけなのに、国の存亡の危機に巻き込まれるクロノのトラブル体質には溜息モノだ。そして何をどうしたのか、ファナコ姫が僅か一日二日でクロノのハートを射止めたことにも、大いに複雑な気持ちを抱いてしまった。
自分は彼と結ばれるまであんなに苦労したのに……と、そこはネルと同じような感情からは、リリィとて逃れられない。
しかしながら、元よりルーンから新しい婚約者を迎えることは、ほとんど既定路線でもあった。何せルーンは帝国が取り込んだのではなく、今も独立した対等な同盟国だから。
まだスパーダ奪還が控えている今、ルーンとの関係はより強固なものとしておかねばならない。政略結婚はその最も確実な方法である。
そう自身を納得させたとしても、クロノのいないこの寂しさを埋めることには何ら貢献しない。むしろ、益々思いは募る一方。リリィは日に日に自分の中に膨らんでいく欲求不満を自覚していた。
「そこまで思い悩まれるのでしたら、いっそルーンへ出向けば良いのではありませんか?」
「私は帝国を任されて、ここに残っているの。私まで遊びに行ったら、クロノが安心できないでしょ」
「顔を見せれば、魔王陛下は素直にお喜びになるでしょう」
「だからこそよ。今はクロノの好意に甘えたくはないの」
リリィをしても駄々洩れになってしまう不満の感情に、側近の妖精たるカレンもつい、そんな進言をするのだが、リリィも半ば意地である。
この期に及んで、寂しくてやっぱりお留守番できませんでした、などと言えるはずもない。
もっと長くクロノと離れていた期間を耐え忍んでいたこともあるのに、こんな事で堪え性を見せなければ、フィオナにもネルにも何と言われるか分かったものではないだろう。
「それでは、安直ながら憂さ晴らしなどされては如何でしょう」
「ふぅん、何か私の気が紛れるようなコトがあるのかしら」
「各所から、演習の要望が上がっております」
と、カレンが羽を瞬かせれば、リリィの前にズラズラとホログラムの画面が投影される。
「『第一突撃大隊』、『混沌騎士団』、『帝国竜騎士団』、『巨獣戦団』、ウチの主力のほとんどじゃない」
曰く、スパーダ奪還の前に総合的かつ実戦的な演習を行い、万全を期したい。
というのは建前で、どうにもレーベリア会戦を通して各自の戦力が良くも悪くも披露されたことで、意識してしまったようなのだ。
どこの部隊が最強なのか、と。
「そんなのラグナの黒竜が一番でいいじゃない」
「彼らは今も療養中の身ですので、演習には参加できませんから」
因縁の白竜相手に本気を出した結果、ベルクローゼンはかなりの消耗を強いられてしまった。
そのお陰で、今の彼女は最も長く過ごして住み慣れた、アヴァロン王城の火の社で療養生活中。縁側に座って空を見上げながら、「はぁ……お茶が美味いのぅ……」などとボンヤリ呟く、老人のテンプレみたいな状態だ。
ベルクローゼンほどではないものの、黒竜大公ヴィンセント、ダリアニス、グラナートの両公爵もラグナに帰って回復に努めている。
「レーベリアでもネヴァンでも圧勝でしたから、まだ暴れたりないと感じる者も多いですので」
「まったく、憂さ晴らしは彼らの方じゃない――――でも、ちょうど大規模演習用の設備も完成したことだし、いい機会かもね」
これも大事なお仕事か、と自分を納得させて、リリィはカレンの誘いに乗ることにしたのだった。
◇◇◇
ある日、リリィが言った。
「演習、やるよ! みんな、来てねー!」
その翌日には、誰もがこう言った。
「帝国軍最強決定戦やるってよ!」
リリィ女王陛下直々の呼びかけに、帝国軍の腕自慢達が、今こそ我らが勇名を示す時、と次々と名乗りを上げた。
決戦の日、彼らは実戦さながらの戦意を纏い集結する。
開催場所はパンデモニウム郊外、新兵器の試射などを行う演習場。如何にも広大な砂漠のど真ん中といったロケーションであり、足元は砂地か荒地、なだらかな起伏を描く砂の丘陵と、点々と立つ岩山といった光景が延々と広がっている。
全体的に見晴らしの良い、真っ向勝負の開けた地形である。
「おはようございます。帝国軍報道官エリナ・メイトリクスです。ご覧ください、パンデモニウム大演習場には今、レーベリア会戦さながらに帝国軍の主力が集結しております!」
今回は開発中の新兵器など、軍事機密は含まれないので、大々的なイベントとしても報道されることとなった。
カーラマーラは大陸最先端を行くアイドル文化の聖地であり、娯楽はかなり充実しているものの、剣闘などのバトル系の催しはかなり弱い。
スパーダを筆頭に、帝国が取り込んだ国々の中には、煌びやかに歌って踊る軟弱な見世物よりも、血沸き肉躍る壮絶な死闘こそを見たいという要望が強いところもある。
ならば帝国軍の広報の一環として是非に、とエリナが企画を持ち込み、リリィは「まぁええか」の精神で許可を出した。
常に最前線の取材を行くエリナのお陰で、帝国にはかなり戦争のリアルな情報が流れていると言える。戦いが終結した翌日には、現場での中継が行われるほど。
しかしながら、戦闘の真っ最中の映像だけは、軍事作戦の遂行中であるために絶対に許可できない。
すなわち、帝国が誇る精鋭達の戦いぶりが如何なるものか……多くの帝国臣民は知らないのだ。
だからこそ、この機会に如何に帝国軍が精強であるかをアピールするためにも、というエリナの熱弁をリリィはぼーっと聞いていたことを覚えている。
そうして、エリナは帝国軍最強決定戦もとい、帝国軍総合演習を見事にプロモートすることに成功した。
そしてこの発表に、帝国中が興味を示した。パンデモニウムのヴィジョンでは、それぞれ放送局が専門家やら現役帝国軍人やら賑やかしアイドルや芸人を招いた特別番組を垂れ流し、帝国各地のモノリスにはエリナの国営放送が映し出される。
途轍もない大戦が見られると、帝国中でお祭り騒ぎと化していた。
「現場は今、物凄い熱気に包まれております」
「お前らぁっ、準備はいいかぁーっ!!」
「ウォオオオオオオオオオオオオオオ――――!!」
「デーッス!!」
「暑苦しいの……」
エリナは主だった軍団を紹介するべく、各陣地を順に訪ねて開戦前のコメントを求めた。
最初にやって来たのは、やはり帝国軍の中でも目覚ましい活躍を遂げている、第一突撃大隊である。
「こちらは、カイ大隊長。スパーダ四大貴族、ガルブレイズ家の現当主でもあらせられます」
「おっ、受付嬢の姉ちゃんじゃねぇか」
「うふふ、昔の話です」
元々、スパーダの学園地区のギルド務めだったエリナと、当時は学生冒険者であったカイは面識がある。『ウイングロード』の担当ではなかったので、あくまで顔を覚えている程度だが。
「今回の意気込みをお聞かせください」
「そんなの決まってんだろ、俺達が最強だっ!!」
「フォーウ! 隊長クール!」
「バカ丸出しなの……」
「ホント、こういうトコは成長しないんだから」
堂々とした最強宣言に、大隊の脳筋野郎共は大歓声だが、ウルスラとシャルロットのインテリ魔術師組(自称)は冷めた目で、いつまでも学生の頃と変わらぬノリのカイを見ていた。
「次にご紹介するのは、元カーラマーラの高ランク冒険者で編成された、『混沌騎士団』です」
「俺が混沌騎士団長、ゼノンガルト・ザナドゥだ」
第一突撃大隊に劣らず、元冒険者として血気盛んな連中が集った『混沌騎士団』も戦意に溢れている。
レーベリア会戦では本陣防御に徹し、ネヴァン奪還では一番いい所をヴァイラヴィオーラという怪獣に持っていかれたので、ゼノンガルトを筆頭に自分達の実力をまだまだ十分に示せていない、という不満が燻っていた。
「カーラマーラでは俺達が最強だ。このアトラス大砂漠で、負けるワケにはいかん」
「ふふ、頑張ろうね、ゼノくん」
当然のようにハーレムメンバーを侍らせて言い放つゼノンガルトの姿に、帝国中の男からヘイトを集めつつも、紹介は続く。
「こちらはヴァルナ森海を代表する、『巨獣戦団』です」
「フゥー、グルルルル……」
獰猛な唸り声を漏らす3m越えの巨躯を誇るリザードマンの団長を前にしても、エリナの微笑みが崩れることは無い。このくらいでビビっているようでは、最前線の報道官は務まらないのだ。
「我らの力を示す。それだけだ」
「イェア、イェア! イヤァーハァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
正に地竜そのものの威圧感を発する団長と、奇声を上げてカメラに寄って行くなんかデカくてかわいいウサギに挟まれても、エリナは動じず中継を続けた。
「おぉーほっほっほ! お久しぶりですわねぇ、エリサさぁん!」
「はい、クリスティーナ団長は今日も気品漂う淑女ぶりでございますね」
庶民が思い描くようなお嬢様キャラに、これでいてリップサービスも得意な帝国竜騎士団長クリスティーナとは、非常にトークがしやすい相手である。タレントに転向した方がいいのでは、とエリナが本気で思うほど、彼女にはキャラクター性とアイドル性があった。
「やはり空を制する『帝国竜騎士団』は優勝候補の一角と言われておりますが」
「いえいえ、そうとも限りませんわ。ラグナの黒竜軍団がいないとはいえ……帝国には空の精鋭が数多く揃っておりますのよ」
今回は『帝国竜騎士団』の他に、本命の対抗としてベルドリアの『竜騎士教導団』が参戦している。新たに飼いならしたサラマンダーに団長ラシードが跨り、養成を続けてきた竜騎士をありったけ率いている。数だけならば、クリスティーナの竜騎士団を上回るほど。
他にも、少数精鋭ながらも精霊魔法の扱いにも長けた、ファーレンの『有翼獣騎士団』も参戦していた。
彼らは大神官ブリギット率いる地上のドルイド部隊とも連携するため、既存の空戦術では対応しきれない可能性が高い。
「ですが、それを制してこその、『帝国竜騎士団』ですわぁ!!」
そうして紹介をして回っている内に、いよいよ大演習の開始時刻が迫る。
エリナはリリィ女王も座す観覧席のある本陣まで戻り、大演習場の立体地図が浮かび上がり、各軍団が駒として配置されたホログラムを前に、大演習の説明を行う。
「今回の大演習は、いわゆるデスマッチルールとなります」
敵を全て倒し、最後まで生き残った軍団が勝ち、というシンプルなルールである。
各軍団には、人数と戦力のバランスが取れるよう、それぞれ歩兵部隊も加わっている。歩兵、射手、魔術師、騎兵、と一通りの兵科が揃えられており、それら通常部隊と上手く連携するか、それとも囮や捨て駒として使うか、戦術は軍団の長に任される。
「シチュエーションは遭遇戦となりますが、見晴らしの良いフィールドですので、動き出せばすぐにでもお互いの配置を認識できるでしょう」
初期配置こそ周囲の敵が見えないようになっているものの、砂丘の一つにでも登れば、視界が開けてどこかしらの軍団は目視できるだろう。
その上で、仕掛けるか、止まるか、あるいはその場で防御陣地を築くか。それも長の戦術判断である。
「尚、これはあくまで演習のため、安全に配慮され全ての武器に『幻影器』が適応されております」
攻撃力のない精巧なニセモノを再現する、練習用の魔法具だ。それなりに高価かつ高等な魔法具なので、名門校などでしかお目にかかることはない代物。
しかし実戦的な演習をするために、『幻影器』を元に大量に運用できるよう、古代の遺物を利用して開発されたのが『拡張幻影器』である。
要するに、軍団単位で『幻影器』を装備品に一括して適応できる。これによって、全力を発揮しながらも安全な実戦が出来るという寸法だ。
「ただし、即死するような肉弾戦だけは禁じられております。徒手での格闘戦をする際は十分に注意しましょう」
ネルの古流柔術のように、素手で肉体を破壊する格闘術も存在する。また、獣人やリザードマンのように、生来の爪や牙という武器を持つ種族もある。生身の肉体にまで『幻影器』は機能しないので、素手での殺し技は強く禁止されていた。
また、これは公にはされていないものの、『次元魔法』も禁止されている。使徒に対抗しうる希少な魔法として、少しでも情報が漏れることは避けるため。また、カメラに映らなくなるので、番組的にも困るという理由もある。
「それでは、いよいよ大演習が始まり――――ああっ、アレは!?」
各軍団配置が完了し、今にも戦いのゴングが鳴り響く、といったその時。開戦の合図よりも、高らかに響き渡るのは、
クォオオオオオオオオオオオオオオオン――――
晴れ渡った青空を横切る、真紅の流星が響かせる不気味な駆動音。
飛竜すら置き去りにする高速と三次元軌道で縦横無尽に宙を駆け抜けてから、大演習場のど真ん中へと真っ逆さまに落ちて行く。
「――――私も参戦するわ。よろしくね」
「リリィ女王陛下が降臨されましたぁ!!」
普段はヴィジョンやモノリスでの放送で、愛らしい幼女の姿でにこやかに歌って踊る姿しか知らぬ者達が、今、初めて目にする。
地獄の首都を支配する、妖精女王の戦闘形態を。
手足が伸びて、美しい少女の姿と化し、赤いエーテルの燐光を噴かす星型の古代兵器の上に堂々と立つリリィ女王の姿には、画面越しでも跪いてしまうほどの威風が漂っていた。
「おいおい、マジかよぉ……」
「それは禁じ手だろう……」
「うぬぅ……」
「あわわ、空中演習の悪夢ががが……」
カイはかつて、両腕を千切られ内蔵を破裂させられて敗北を喫した経験が脳裏を過る。
ゼノンガルトは遺産相続レースで、無様極まる大敗をさせられた苦い記憶が。
戦ったことはないが、ヴァルナの獣人戦士達は滅びの彗星を思わせる本能的な恐怖に身を震わせる。
そしてクリスティーナ含む竜騎士達は、空中での演習と称して『ヴィーナス』装備のリリィを相手にズタボロにされたことを思い出す。
たとえ使徒が相手だってぶん殴ってやるよ、と豪語できる帝国軍の主力級メンバーでも、本気出したリリィを前に二の足を踏んでしまった。
圧倒的な力を前に屈した経験が、あるいは勝ち筋の見えない戦闘力を知って。
それでも絶望へ挑むために一歩を踏み出す勇気が、彼らにはある。
しかし、再び己を奮い立たせてリリィへ挑むと気炎を上げるよりも先に、再び空に轟音が響き渡った。
ズドォオオオオオオオオオオオオ――――
何事か、とリリィさえも驚きの表情と共に、空を見上げた。
そこには青い空を染め上げるような、巨大な紅蓮の大爆発が巻き起こっている。新型の砲弾でも炸裂したかと思うような光景だが、その爆炎を突っ切って、赤々と燃え上がる火の玉が飛んで行くのが誰の眼にも見えた。
それは先ほどのリリィと同じように、まるで燃え盛る流星のように飛翔し、そして追いかけるように女王の頭上へと降り立った。
「――――フィオナ」
不遜にも女王たる自分の頭上に浮かぶ者の名を、リリィは驚愕で身を見開いて呟いた。
「リリィさん、久しぶりに勝負しませんか」
すでに魔人化を果たしたフィオナの姿は、これ以上なく本気を伺わせる。
クロノを巡って殺し合った時以来……否、今のフィオナはあの時以上の力を持って現れた。
「ふふっ、あははは! まさか、貴女も空を飛べるようになるなんてね!!」
「ふふん、どうですか。ルーンで練習してきました」
悪魔の容貌で、子供のような自慢げな表情を浮かべて、フィオナは己の背に翻る炎の翼を翻した。
「『不死鳥の羽』です。私の母の得意技、だったそうですよ」
狂気の魔女ナミアリアは、炎の翼を生やして自由自在に空を飛んだ。婿を奪うために、厳重な警備が敷かれていた結婚式に易々と乗り込めたのも、この能力があってこそ。
フィオナは母親譲りのこの飛行魔法を、泣いて嫌がる妹を引き摺って、不死鳥に危険なちょっかいをかけながら習得したのだ。
正直、自分に向いた魔法ではない、と思っている。けれど自らの意志で空を飛べるのは、この上ない爽快感も与えてくれる。
魔導の探求、などと大仰に言っていたが……きっと母はこの翼を授かったことで、もっと高く飛びたかっただけではないか、とフィオナは今や誰も知らぬ真実に近づいていた。
その母ナミアリアは、天性のコントロールと演算力、緻密な魔法制御の才能で炎の翼を操ったが……致命的に制御力に欠けるフィオナは、不死鳥の力を利用することで、空を飛べる繊細な空力制御を実現していた。あとは出力による力業だ。
そうやって自身の弱点を補って、ついに自分の領域でもある空へと踏み込んできた最大最強のライバルを、リリィは眩しい日差しを受けるような顔で見上げた。
「そう、それは良い贈り物を貰ったわね」
「ええ、お陰様で、ようやく空でもリリィさんに挑めますよ」
初めて上からリリィを見下ろすフィオナの視線と、見上げる空の支配者の視線が交差する。今にも大爆発しそうなプレッシャーを伴って。
「いつか、こんな日が来るかもしれないと思っていたけれど」
まさか、こんなにも早く昇り詰めて来るとは。
やはり、フィオナこそ一番のライバルなのだと笑みを深めて、リリィは唱えた。
この素晴らしい親友に、全力で応えるために。
「うふふ、負けないわよ――――『ルシフェル』反転起動完了」
かくして、光の翼を輝かせる妖精と、炎の翼を燃やす悪魔による、空の頂上決戦が始まった。
この総合演習で、帝国軍は一つの教訓を得る。
空襲って、ホントに恐ろしいですね、と……