第1026話 メラの試練(1)
メラ霊山の麓に広がる樹海の一角は、そこだけ真冬の景色へと変貌していた。
真白の新雪が深々と降り積もり、新緑に生い茂る樹木は凍り付いている。さらには、鋭く尖った氷の柱が林立し、巨大な氷山の角も隆起するほど。
まるで氷の龍が暴れたような凍てつく異様。だが、それほどの氷属性の力を解き放った氷魔術師は、すでに雪の上で膝を屈していた。
「いやぁ、まさかこんなに早く君が来るとはねぇ……」
「十年も追っていたのです。顔を見せれば飛んでくるのは、当然のことでしょう」
ビッシリと封印術式が刻み込まれた、魔術師殺しの特性ワイヤーによって、『払暁学派』の長、クーリエはあえなく御用となっていた。
苦笑を浮かべるクーリエを見下ろすのは、忍のソージロ。長身に纏った黒衣には霜がついているものの、生身にはさほどのダメージはない。
クーリエは伊達にルーン最大最悪の魔導結社のボスではない。魔術師としての実力は超一流であり、こと氷魔法の扱いにおいて彼女を超える者はこの国にはいないであろう。
だが、それでもソージロが余裕をもって彼女を制することが出来たのは、実力もさることながら、氷魔術師クーリエを捕らえるための準備と装備を揃えていたからに他ならない。
十年前に起こったメラ霊山噴火危機。それと同時に敢行された要人襲撃。ファナコに手を出されて人生最大にキレた学生のソージロはこの時に複数の犯罪組織と、『払暁学派』の幹部さえも単独で捕らえたが……このおぞましい事件の首謀者たるクーリエは取り逃がしてしまった。
彼女が表向きに姿を現したのはこの時が最後であり、以後十年間、どれほど国内を捜査しようとも、その所在どころか目撃情報の一つも得られることは無かった。
それはソージロが忍となり、第二執政官としても成り上がった後でも同様。クーリエの行方は全く知れなかった。
しかし、再度の噴火危機に、彼女は姿を現した。
事を起こせば、その時に必ず現れる、とソージロは確信していた。そうなる前に見つけるのが理想だが、結局それは敵わなかったが。
海魔軍の出現によって、再びメラ霊山を狙うだろうと予想は立っていた。それでも目の前に迫り来る海魔軍の脅威は無視できず、初期対応にはソージロも自ら出張った。
だが本命はルーンのどこか、恐らくはメラ霊山かその周辺に現れるだろうクーリエだ。ソージロは海魔軍と戦っていたが、忍の大半はクーリエの捜索に集中させ――――帝国の魔女フィオナを連れて山道を歩くクーリエの姿が補足された。
一報を聞いたソージロは、ペガサスに乗って文字通り飛んで現場へと駆け付けたのだった。
追い求めていた因縁の敵を前に、戦いは避けられない。
「十年、か。本当に長かったよね。私も君も、実にご苦労なことじゃあないか」
「貴様が十年間も古代遺跡に引き籠って用意した計画も、これで終わりですよ」
クーリエが未知の古代遺跡に潜伏することで、姿をくらませていることは分かっていた。しかし現代の魔法技術では、十全に偽装機能が働いている生きた遺跡を発見することは、ほとんど不可能に近い。
裏切りの御子、狂気の魔女ナミアリアが誰にも邪魔されずに好き勝手できていたのも、彼女が複数の古代遺跡を自ら発見し、利用する術を身に着けていたからこそ。
魔女の亡き後も、その腹心であったクーリエは残された遺跡を利用し、『払暁学派』を今日まで最も恐れられる魔導結社として存続させてきた。
だが、それも今日で終わりとはソージロの言う通り。
間違いなく全ての遺跡の管理権限を握っているだろうボスを生け捕りにしたのだから。
「貴様の企み、全て読ませてもらう」
「その必要はないよ。私の役目は、すでに終わっているのだからね」
尋問要らずに、クーリエの頭を掴んで、直接テレパシーで脳内の情報を強制的に引き出そうとすれば、最初に流れ込んできた感情は彼女の台詞通りであった。
強がりでも言い逃れでも何でもない。クーリエは本当に、ここで自分が捕まっても何の問題もないと確信しているのだ。
クーリエは確かに、ルーン最強の氷魔術師と言われるだけの実力はあった。ソージロも対策装備が無ければ苦戦は免れない。最悪、取り逃がしてしまう可能性もあるほど、彼女の力は強大だった。
だがそれにしては、やけにあっさりとお縄についた、といった印象を抱く。死に物狂いで彼女が抵抗すれば、決してこんなものでは済まなかったはず。
その理由が、抵抗する意味がないと彼女自身が考えた上でのことだとすれば、
「噴火は止められないと」
「ふふっ、それは――――彼女次第さ」
不敵に笑ってクーリエがそう言い放った瞬間、最初にソージロが察したのは本能的な危険の直感。
次いで鋭い第六感をビリビリ刺激する、強烈な魔力の気配。
まずい、と結界を張りつつ身構えた時、赤々とした輝きは突き立つ氷山の内部に灯った。
ズゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン――――
噴火の如く赤々とした灼熱が、巨大な氷山を地面から吹き飛ばす。荒れ狂う熱波と砕けた氷片の弾雨が過ぎ去った後、濛々と白い蒸気が煙る向こうから、のっそりと出て来るのは三角帽子の人影だった。
「ふぅー、ようやく出られましたよ」
「流石はランク5冒険者。よくあの迷宮を脱したね」
縛られていなければ拍手も送っていただろう、にこやかな笑みを浮かべて、地下から脱してきたフィオナへとクーリエは賛辞を送った。
クーリエの役目は、フィオナに真実を伝えること。そして、事が為されるまで、時間稼ぎをすること。
儀式祭壇の広間でフィオナにクラゲをけしかけ、自ら剣を取り戦い始めたが――――真正面から戦って、ナミアリアを超える才を持つ魔女を相手に十分な時間を稼ぐことは出来ないと自覚していた。
だから早々に氷の幻影をばら撒いて隠れて離脱し、足止めはこの場所に用意しておいた仕掛けに任せることとしたのだ。
この場所は確かに古代遺跡としての機能こそ死んでいるものの、クーリエほどの魔術師が長い時間をかけて細工を施せば……罠満載の人工ダンジョンとなる。
仕掛けられた数々の恐ろしい魔法トラップに、海魔軍を始めとした召喚獣達。そこらのダンジョンより、よほど悪辣な迷宮と化した中を、フィオナはこれぞ元ソロ専の面目躍如と言うように、知恵と勇気と魔法のゴリ押しで、見事に突破を果たしたのだった。
だが、当のフィオナ本人に達成感はない。
ひたすら面倒な足止めを食らい続け、ここを脱するのに半日近い時間を要してしまった。何より、一人でのダンジョン探索のつまらなさと来たら。
「よくも私に、こんなつまらないソロ攻略なんぞを」
「あっ、痛っ! 痛い!」
不機嫌なオーラを纏ったフィオナが拘束されたクーリエに歩み寄るなり、杖でポコポコ叩いて八つ当たりを始めた。
殺すほどの勢いでぶっ叩いてはいないが、『ワルプルギス』のトゲトゲしたとこが刺さったりして、クーリエは素直に痛がっている。
そのあまりに気安いやり取りに、実はコイツらグルなのでは? との疑念も湧いてくるが、他でもないソージロ自身がその線はないと調べをつけていた。魔女フィオナは超ド級の天然マイペースであり、危険な魔導結社のボス相手でも、何ら気後れすることはない。
これも強者の余裕の一種か、と気を取り直して、ソージロはフィオナに声をかけた。
「失礼ですが、それ以上はご遠慮ください。その女の身柄はルーンが預かりますので、あまり手出しをされては困ります」
「あー、執政官の人。いたんですか」
「最初からいましたよ」
至極真っ当な突っ込みに、フィオナは素知らぬ顔で右を見て、左を見て、ついでに後ろも見まわしてから、納得いったように頷いた。
「どうやら、そのようですね。恐ろしく魔力の発露が低いので、気配が薄くて。これが『忍』の戦い方ですか」
ド天然でも、流石は天才的な魔女。すでに戦い終わった後の状況を見て、おおよその戦闘内容を把握されたとソージロは察した。
フィオナのような魔法職は勿論、クロノやサリエルのように強力な前衛戦士タイプも、様々な形質で魔力を発して戦うものだ。全身から迸るオーラなど、その最たるものである。
故に、ランク5冒険者が本気で戦えば、大抵は素人でも何かしら感じられるほど濃密な魔力の気配が残るものだが……『忍』は暗殺者のように魔力の気配も殺して戦うスタイルが基本だ。
ただの暗殺だけでなく、純粋な正面戦闘においても、濃密な魔力を体内に留めた強化系武技や、切れ味や硬度を高めるだけのシンプルな魔法装備を用いる。炎の大爆発や雷の乱れ撃ちのような、派手な魔法や武技は使わないのだ。
「見ての通り、すでにクーリエは抑えました。周囲に手下が潜んでいる様子もありません。この場での戦いは終わりましたので、よろしければ魔王陛下の元へお送りしますが」
「そういうワケにもいかないでしょう。事態は何も解決していませんし」
ルーンの暗部である『払暁学派』とクーリエに関して、本来フィオナは全く関係のない立場である。無関係どころか、魔王クロノに次ぐ賓客であるフィオナを巻き込むことさえ国際問題に直結する。
今更ではあるが、これ以上フィオナをルーンの問題に関わらせるワケにはいかないという立場を、ソージロは執政官としても忍としても、取らざるを得ないのだ。
しかし、そんな立場など全く知らず、あるいは理解していたとしても、フィオナが「否」と言うことに変わりはない。
「後は我々が解決すべき事態ですから」
「止められませんよ、あの子には」
「御子様のお力が不足である、と?」
「その身を犠牲にしても、無理ですね」
ズズン――――
不気味な地響きと共に、メラ霊山の山頂が赤々と輝き始めた。
ついに明確な異常が起こったことで、尋問せずともクーリエの言は証明される。ソージロとしても、考え得る最悪の事態にまで進行してしまっているのだと認めざるを得ない。これならばクーリエもあっさり捕まるかと、納得もできてしまった。
メラ霊山は、ただの活火山ではない。かつて太陽の神が山頂に座した、巨龍穴。神が去った後の世界にて、真にこの地を統べるのはルーンの人間ではない。
クーリエが受け継いだナミアリアの目的こそ、ここに眠る『龍』なのだ。
「――――すでに、不死鳥は目覚めた」
舞台俳優の如く誇らしげに言い放つクーリエに、ソージロも苦々しい表情に歪んでしまう。
これこそが最悪の事態。メラ霊山の自然噴火ならば、まだマシ。対応策もある。
けれど巨龍穴で眠っている炎の神鳥を起こしてしまったなら、ルーン本島全土が文字通りの焦土と化してしまう。
アダマントリアでは『炎龍』と呼ばれ、溶岩の肉体を持つ大蛇の姿で顕現する。ルーンでは『不死鳥』、あるいは『フェニックス』と神話で語られる燃え盛る火炎の翼を持つ鳥の姿だ。
畏れられる天災は同じだが、それを司る龍の姿は地方によって異なることは珍しくない。そして、その姿に見合った固有の能力を持つこともあり、『不死鳥』は当然、不死身の再生力を持つと伝わっている。
「なるほど、私の母は不死鳥を調伏させるつもりだったのですね。不死身にでもなりたかったのですか?」
「ナミアリア様が魔導を極めるためには、不死鳥の力を自らのモノとする必要があっただけのこと。次のステージへ登るための通過点さ」
「私を踏み台にして、ですか」
自分が生まれた本当の理由をフィオナはすでに知っている。
由緒正しい太陽神殿の御子が、荒ぶる不死鳥を鎮めるのでさえ命懸けなのだ。それを調伏、飼いならし、その力を取り込もうとするなど、正に神への反逆に等しい無謀にして愚行である。
だがナミアリアは確信していた。自身の才能を完全に受け継ぐ子供を生贄に捧げれば、その可能性に届きうると。
「けれど、お嬢様は逆に母君を踏み台として、生まれ出でた」
「普通に産んでくれれば焼け死ぬことも無かったでしょうに。最も衰弱する出産時にまで儀式を仕込もうなんて、欲をかくからですよ」
「それくらいのリスクを呑まねばならないほどの挑戦ということさ。あの方は無謀な賭けにも全額ベットするような人だったからね」
「だから私に賭けようと?」
「ああ、その通り。さぁ、見せてくれよ、お嬢様。ナミアリア様が挑んだ不死鳥の試練を、見事に乗り越えるところを」
イカれている、とこの場で唯一の常識人たるソージロは心底思った。
そんなコトのために、ルーン存亡の危機を招いたのかと。
極まった魔術師が、更なる力を求めて龍に手を出そうとするのは、まだ理解できる。身に余る野望を叶えるために、分の悪い賭けにでも挑まなければならないことなんて、当たり前のこと。
しかし、クーリエは自身が強大な力を得るためではない。かつての思い人が残した一人娘に、勝手に自分の思いを押し付けただけ。
これでフィオナが最初からクーリエと通じていて、不死鳥にちょっかいをかける陰謀を企んでくれていた方が、まだ心情的には納得できる。
いつかこんな日が来ると、その一心だけでコイツは二十年も潜伏し続け、『払暁学派』を維持し、準備を整えた。
そして運命の悪戯か、ついにナミアリアの娘、フィオナが本当にルーンへやって来た。ただの少女ではなく、パンドラに名を轟かす魔女として。
運命の神がいるならば、どうして毎日を平穏に暮らす善人ではなく、こんな頭のイカれた極悪人の願いを叶えさせるのか。そんな悪態を胸の内でついてしまうほど、クーリエにとって都合よく事が運んだことを忌々しく思ってしまう。
「はぁ……仕方ないですね。ちょっとやってみますか」
「フィオナ様、まさか」
「そのペガサスで、私を山頂まで運んでくれませんか」
軽い溜息一つで、フィオナはクーリエが勝手に押し付けた試練へ挑むことを決めた。まるで友達から、ちょっと面倒な用事を頼まれたかのような感覚で。
「……貴女に、できるのですか」
「まぁ、なんとかなるでしょう。アダマントリアで『炎龍』を操ったことはありますので」
フィオナの心情はさておき、彼女の実力は本物だ。『炎龍』を操ったことも、紛れもない事実として調べがついている。
龍の力を使えるならば、あの難攻不落と名高いアダマントリアを一夜で陥落させたことにも納得がいく。
この頼みは断れない。
業腹だが、自分もまたクーリエと同じく、フィオナに賭けるしかないと。
「それに、私はお姉ちゃんですから。妹は助けてあげないといけないでしょう」
と、どこか自慢気にのたまうフィオナに、ソージロは折り目正しく了承の意を込めて一礼をした。