第1022話 海魔軍迎撃(1)
突如として現れた海魔軍に対するため、ルーン王城に設置された司令部。
そこには国王ハナウを筆頭に、宰相と陸海の大将、そして急ぎ参内した太陽神殿の御子フィアラ。続いてエルロード帝国を代表して、外交大使ザナリウスに連れられたネルがやって来て、面子が揃った。
素早い対応だったが、相手の動きもまた早い。すでにして鯨型の群れが潜航することで艦隊の攻撃を逃れながら、港の目と鼻の先にまで迫って来ていた。
最低限の情報共有は行われたものの、悠長に対応策を議論している暇は無かった。
「先ほど、『払暁学派』より犯行声明が届きました。海魔軍はサンクレインを始め、ルーンの四方に出現しています。各港町を人質として、身代金と幹部達の釈放を求める内容です」
「十中八九、ブラフですね」
宰相コルネリウスの報告に、真っ先に応えたのは第二執政官ソージロ。
基本的には宰相を立てて、秘書のように黙って控えていることの多い彼だが、こと緊急時においては最速で解答を提示する。
「十年前と同じく、狙いはメラ霊山の噴火と見て間違いないでしょう。御子様には、今すぐにメラ本殿へと向かい、万が一の備えについていただきたいのですが」
「やはり、そうですか……」
十年前の事件で、彼女の両親が命を落としたことなど、ここにいる誰もが百も承知。親と同じ末路を辿るかもしれないことを、成人を迎えたばかりの若き御子に背負わるのは酷く残酷であるが、これこそが太陽神殿の御子として最大の務めである。
年齢に関わりなく、御子を継いだ者は、メラ霊山を鎮める大いなる責務を追う。
「うむ、こればかりは太陽神殿へお頼み申し上げるより他はない。御子様、頼めますかな」
「はい、ハナウ陛下。私も先代と同じく、身命を賭してでも、御子の務めを果たしてまいります」
「これほどの事を起こさせぬよう、奴らを潰すのが我らの責務だったのだが……こうも易々と再びの蛮行を許すこととなってしまった。我々の力不足、心から申し訳なく思う」
「いいえ、全て覚悟の上でございますれば」
鎮痛な面持ちで若き御子へルーンを救う大任を背負わせることを謝罪するハナウ王に対し、フィアラは毅然とした表情でそう応え、深々と一礼をする。
「それでは、私は使命を果たしに参りますので、これにて失礼させていただきます」
「御子様のお手を煩わせることがないよう、我々は尽力しよう。陸将よ、道中は頼めるか」
「ははっ、すでに精鋭を太陽神殿へ向かわせております。メラ本殿までの護衛はお任せあれ」
御子を失えば、一度暴走したメラ霊山を鎮めることは出来ない。『払暁学派』が狙う個人としては、国王よりも優先度が高いだろう。
最も厳重な警備体制でもって、メラ霊山への道行を守るのは当然の対応だった。
堂々と退出してゆく御子フィアラを見送ってから、ハナウ王は海将へと顔を向けて問うた。
「艦隊はどれだけ動ける」
「間もなく半分ほど出航が可能となります。しかし、海魔軍の進行速度を考えると、海上の迎撃にどれだけ間に合うか……そもそも、鯨型に潜航されれば打てる手は限られます」
自慢のルーン艦隊も、流石に海に潜る相手までは有効な攻撃手段は限定される。基本的に艦隊が想定するのは、同じ艦隊なのだから。
そもそも海というフィールドにおいては、自由に水の中を泳げる海棲モンスターが強いのは当たり前。ルーン海軍も新型の魔導大砲など右肩上がりに軍事力を増しているものの、それでもレムリア海の覇者は向こう100年、巨大な海竜であり続けるだろう。
「畏れながら、動ける艦隊は首都より遠い場所から順に向かわせるべきかと」
「ソージロ殿、それでは首都の守りが!」
「事ここに及んでは、敵の上陸を全て防ぐことは叶いません。首都には潤沢な戦力が揃っている以上、ある程度の被害を許容し地上で迎え撃つ。しかし、地方の港町などが狙われた場合、どこまで敵の侵攻を許すか未知数です」
「最悪、艦隊に乗せた海兵を上陸させれば良い、か……如何なさいますか、陛下」
「ふぅむ……ネル姫よ、レッドウイング伯領に同様の海魔軍が出現したことは、間違いないのだな?」
「はい。サンクレイン沖に現れた群れより規模は小さいながらも、十数頭もの鯨型が確認されております。現在は、暗黒騎士団長サリエルが上空から追跡中であり、その攻撃を警戒してすでに潜航しているとのことです」
淀みなく答えるネルの報告に、誰もが渋い顔を浮かべる。
妖精のテレパシーで結ばれた通信網のお陰で、首都以外の情報が素早く入ったことは非常にありがたい。クロノが来ていなければ、他の場所の情報が入るのは決定的に遅れ、甚大な被害を被ったに違いない。
しかし問題なのは、その入って来た情報がなかなかに絶望的なことである。
実際に結構な数の海魔軍が、レッドウイング伯領の沖合に出現している。ということは、『払暁学派』の犯行声明にある、ルーン本島を囲うほどの大軍が迫っているというのも、あながちハッタリとは言い切れない。
少なくとも、東西南北の四方からは、同等規模の群れを差し向けられていると考えるべきであった。
「本島の四方に分かれて群れが襲ってきているなら、この襲撃も戦力の分散を図る陽動の可能性は高いでしょう。ですが実際に海魔軍という脅威がやって来る以上、こちらも無視はできません……敵の本命が割れた時、即座に対応するべく最精鋭の戦力は留めておくがよろしいかと」
「確かに、これほどの脅威を国として見過ごすワケにはいかん。海将よ、各地へ派兵するつもりで艦隊を出してくれ。首都の守護は地上で何とかしよう。ここより離れた地の民を守れるのは、海軍だけである。頼んだぞ」
「御意!」
艦隊運用の方向性が固まって、海将は急ぎ伝令へ命令を通達させた。司令部の出入りはより慌ただしくなってゆく中、ネルは静かに手を挙げた。
「よろしければ、私も首都防衛に参加したく」
「うぅむ、それはなりませんなネル姫……御身に万が一のことがあれば、クロノ帝に申し開きのしようもない」
「いいえ、このような事態で傍観することこそ、我が夫は許さないでしょう」
まだ結婚してはいないのでは? と思ったものの、わざわざそれを指摘する無粋な者はいない。
しかしながら、ネルの要請はありがた迷惑でもある。
これで十字軍なり大遠征軍なりの秘密部隊の襲撃であれば、共通の敵として帝国軍と協力するのは問題ないが……如何せん、今回の敵はルーンが抱える犯罪組織の犯行。
フィアラに謝罪したように、これを事前に防げなかったルーンの手落ちともいえる。
そんな戦いに、魔王の伴侶でなくとも、アヴァロン王女たるネルの身を危険に晒すなど。
「とは言え、最前線で戦うと言えばお困りでしょう。私は医療大隊長として、救護のお手伝いをしたく存じますが、如何でしょうか」
「おお、それは大変ありがたい。慈愛の天使と称されるネル姫の癒しの力を貸していただけるならば、傷付いた民も安堵し、戦いに向かう兵も奮い立つというもの」
だがそこは流石に本物の王女。こういう場合の配慮もお手の物。
ルーン軍に迷惑がかからない範囲での協力の申し出を願い、ハナウ王は心底安堵したといった笑顔でそれを受け入れた。
「それでは、最前線には私が出るとしましょう」
「この状況下では、それも致し方あるまい。ソージロ、頼めるか」
「はい。今は一刻も早く、首都に迫る脅威の排除を優先すべきですから」
随分な自信だな、とネルは思った。
第二執政官ソージロは、若くしてその地位にまで上り詰めた、ルーン一の出世頭。ネルとて顔を合わせたことは何度かあったものの、彼が戦う姿を見たことは一度も無い。
だがしかし、宰相に次いで内政を担う立場にある彼が、こうも堂々と出陣を願い出て、ハナウ王も許可を出すということは、それほどの個人戦力に違いない。
果たしてその実力は如何ほどか、とつい推し量るような視線を送れば、ソレに気づいたようにソージロはネルの方を向き、如才ない微笑みを浮かべた。
ルーンが抱える特筆すべき個人戦力が見る良い機会か、と思い直して、同様に麗しい微笑みで応えた。
かくして、司令部より第二執政官ソージロと医療大隊長ネルも退出し、現場へ急行することと相成った。
◇◇◇
「あー面倒臭ぇ……コイツら面倒臭ぇ……」
ついそんな悪態が口から漏れてしまう。
押し寄せる海魔軍を前に、今この港町を守れるのは俺達しかいない、と意気込んで迎撃に出てきたはいいものの、想像以上の苦戦を強いられることとなった。
とは言え、こちらが押されているとか、被害が続出というワケではない。ちょっと高い火力で撃てば大爆発の大炎上となる油まみれのモンスターの処理が、とにかく手間がかかるのだ。
まず銃が禁止。
EAシリーズならハンドガンでさえ、一発撃てば敵が爆ぜる。
それからブースト禁止。
奴らが歩くだけでそこら中にまき散らされた油は、機甲鎧の推進力たるエーテルブスースターに炙られれば引火しかねない。噴き出る燐光が少々当たった程度で火は点かないが、ちょっと乱戦になるだけで引火のリスクは跳ね上がる。
銃とブーストが封じられた時点で、暗黒騎士の強みが半減だ。今の暗黒騎士は最低限の機動力とパワーアシストを受けただけの、単なる重騎士も同然。
パワーと防御力は健在なので、そうそう力負けすることは無いのだが……如何せん、港を含めて海岸線のどこからでも上陸してくるし、巻貝砲弾に搭載されて撃ち出されて乗り込んできた奴らが早々に町中に散らばっている。
首都と比べればずっと小さな港町だといっても、機動力を封じられて駆け回るにはどうしても時間がかかってしまう。
そしてさらに、コイツらは倒せばそれでお終いじゃない。死体となっても油の成分は変わらず。町中で倒したクラゲ型の死体など、ガソリン満載して横転したタンクローリーも同然。これ絶対爆発するやつ。
つまり、速やかな死体の処理までお仕事に含まれるので……
「ああぁーっ、面倒臭ぇ! 不法投棄だオラぁっ!!」
ヤケクソ気味に叫びながら、魔手で縛って引き摺って来たデカいクラゲの死体を海に向かってぶん投げ、魔弾。
ドカァアアアアアアアアアアアアアアン……
と、海上で盛大な大爆発を引き起こし、ようやく危険物の処理完了。
『炎の魔王』の力任せに結構な飛距離で投げ飛ばしてから炸裂させたというのに、熱い爆風が装甲に叩きつけられる。やはり、こんな奴を町中で大爆発させるワケにはいかないな。
『マスター、西に5キロ地点の河口に鯨型一頭が揚陸』
「俺が行って片づけてくる。周辺に家屋は」
『ありません。その場で起爆させて問題ない』
サリエルの報告を受けて、俺は気合を入れて駆け出す。
現状、唯一の空中ユニットとなるサリエルには、次々と海から増援が現れる海魔軍の監視を任せている。人里離れた場所に上陸すれば、周辺被害を気にせずサリエルも空中から攻撃して一網打尽に出来る。
西5キロの河口に出現した奴らも、上から襲えば一発だが、今のサリエルはさらに遠方まで侵攻した集団を叩きにも行ったので、現状、最速で潰しに行けるのが俺だけだ。
けど、その前に通りがかりに出来るだけの手は出していくことにしよう。
「セリス、そのまま抑えててくれ!」
「お願いします、陛下」
港を駆け抜ける中、見えてくるのはゾロゾロと上陸し町中に散らばる寸前のところを、重力結界に囚われ拘束された集団だ。
数は多いが、まとまっているなら対処は楽だ。
「『魔弾・封冷弾』」
凍てつく氷の弾丸を全弾発射。
奴らの爆発力の秘密は、濃密な火属性魔力にある。火と熱に反応するので、低温の攻撃となる水と氷属性ならば存分に浴びせても起爆の心配はない。土属性も大丈夫じゃないかと思うが、岩の砲弾を叩き込んでも爆発しそうでちょっと怖いから使わない。
危険な油を纏っている他に、奴らには大した能力はない。『封冷弾』の弾幕を叩きつけられても、特に防御手段も回避もなく、そのままモロに浴びて凍り付く。
一番厄介なクラゲは、地を這うための触手をある程度凍らせれば、地上での移動能力を失う。
次いで数が多い随伴歩兵代わりといった半魚人型も、人型という制約から片足だけでも凍れば、その場を這いずることしかできなくなる。
そうしてまずは相手の機動力を封じつつ、重力の網に囚われたままの群れに飛び込んで行く。
真っ黒いドロドロの巨躯と触手が蠢く気色悪い中で、俺が振るうのは神々しいほど白く輝く牙の太刀。
「今日は油モノばっかり食わせて悪いな」
しかしナマモノ相手であれば文句はつけない『天獄悪食』が、全く手ごたえを感じさせないほど容易く敵を切り裂く。
クラゲのブヨブヨした肉体はスライム同然の切り心地。サハギンは鱗と各所に藤壺のような甲殻などもあるが、その程度の天然鎧で悪食の牙を防ぐには到底足りない。
だが鋭い切れ味よりも、やはり悪食能力こそが奴らにとって最適な効果を発揮する。
火属性魔力によって爆発する以上、ソレを喰らえばただの油となる。勿論、引火性なのは変わらないが、凄まじい爆発力を発揮するパワーは失われるのだ。
一太刀浴びせれば、クラゲでさえも爆発力は半減。二の太刀も喰らわせれば、ほぼ完全に無力化できるだろう。
だがどれほど効果的といっても、所詮は一本の剣に過ぎない。
これから5キロ先の相手を潰しに行くのだ。敵が分散するだけで、悪食での処理速度は落ちていく。
「スマン、俺は5キロ先まで離れるから、ここは任せたぞ――――『嵐の魔王』」
セリスの返事を待たずに、加護の力全開で俺はすっ飛んで行く。
『――――マスター、こちらは殲滅完了』
「ああ……こっちもようやく片付いた」
微妙に遠い地点にもチラホラ現れ続ける海魔軍を、西に東に行ったり来たりしながら叩き続けて、どれだけ時間が経っただろうか。そろそろ陽が傾き始めそうな時刻となった。
俺やサリエルはこれくらいの持久戦は平気だが、半日以上戦い通しな暗黒騎士団には疲労の色が見え始めている。だがブースター機動を封じているので、機甲鎧の消費エーテルは随分少なく済んでいるのは、不幸中の幸いと言うべきか。
『さらに新手が出現』
「クソ、露骨に時間稼ぎしやがって……」
この海魔軍が、悪の秘密結社らしく町中で大暴れすることそのものが目的で押し寄せてきているワケではないことは、百も承知だ。
『払暁学派』のボスと対面したと連絡してきたフィオナだが、妖精通信がいきなり途切れた。フィオナは明確に奴らの目的を伝えようとしてくれた矢先のこと。テレパシーのジャミングまでしてくるとは、用意周到な奴らである。
つまり、こうして俺達が油まみれになって戦っている時点で、相手の思惑通りにコトが進んでいるに違いない。
ルーン司令部からの情報では、メラ霊山の噴火を狙っている、とは聞いているが……果たしてソレをどういう手段でやってるくるかまでは分からないのだ。
十年前に引き起こされた時は、メラ霊山の山頂、太陽神殿のメラ本殿という場所を襲って噴火を促したそうだが、今のところは全くの無事だそうである。
海魔軍の侵攻が始まってから、すぐに御子フィアラと厳重な警備と共にメラ本殿へと向かい、さらに防衛用の守備隊も続々と駆け付け、現地は厳戒態勢に入っている。
だが最も狙われそうな場所に、敵は現れない。
ただ無尽蔵に思えるほどの海魔軍が、ルーンの戦力を分散して足止めさせるためだけに、戦力の逐次投入という下策のような使い方でぶつけてくるだけ。
「こんなことになるなら、リリィも連れてくれば良かった」
敵の術中に嵌っている自覚はありながらも、目の前で町を襲うモンスターが現れる限り、見捨てる選択肢は取れない。だがこのまま戦い続けても根本的な解決にはならず、そのための方法を探すことも出来ずに、焦燥感ばかりが募って行く。
リリィがいれば、なんて弱音が思わず口から漏れてしまった、そんな時だった。
『マスター、急ぎレッドウイウング城で戻ってください』
「どうした、城の周囲に敵は――――」
『敵の召喚術士が、大規模な召喚魔法を行使する兆候があります。この距離では、私も間に合いません』
まさか、ここを襲ったのはレッドウイング城が目的だったのか。
慌てて城の方へ視線を向ければ、
ォオオオオァアアアアアアアアアアアアア……
重々しい唸り声を轟かせてながら、巨大な触手を蠢かせるシルエットが、強烈な魔力の気配と共に浮かび上がって来る。
あのデカさと形は、クラゲじゃない。アレは、
「クラーケンのお出ましかよ」




