第1020話 魔女が生まれた日
「新郎、ティオール・テオ・ナナブラスト。新婦ミナエリス・ソレイユ。太陽の神へ、盃を掲げよ――――」
その日、サンクレイン太陽神殿では盛大な結婚式が挙げられていた。
太陽神殿の御子ミナエリスの婚儀である。
ルーンで最も信仰される宗教、その次代を担う御子の婚姻は国の一大慶事といえよう。ルーン中から参列者が集まり、ハナウ王を筆頭に王族も勢揃い。首都は御子の婚姻を大いに祝い、お祭り騒ぎとなっている。
「ミナ」
「ティオ」
往々にして政略結婚とは互いの意に沿う者同士とはいかないものだが、どこか照れくさそうに愛称で呼び合う二人の間に、そんな隔意など一切ないことは明らかだった。
太陽神殿の御子を代々務めるソレイユ。ルーン建国より武勇に優れ忠義に厚い、古き名門ナナブラスト侯爵家。ルーンの歴史の中では、両家が結ばれることも幾度かあり、どちらにとってもケチのつけようがない良縁だ。
その上、当人同士が同い年の幼馴染として、仲睦まじく過ごしてきた。
ミナエリスは精霊術を得意とし、歴代の御子と比べても非常に優秀な力を若くして示している。神への信仰厚く、勤勉実直、信徒の範となるべき御子に相応しい人格も兼ね備えていた。
流れるような金髪に愛らしい美貌。同性も憧れるようなスタイルで見目麗しい、その姿は神事においては殊更に輝くような魅力を放つ。
一方のティオールは、ナナブラストが誇るべき武勇こそ欠片も持ち合わせてはいなかったが、その心優しく、誰にでも分け隔てなく接する博愛精神は、これから御子の伴侶となるにはこれ以上なく適任であろう。
ナナブラストの血を色濃く受け継いだ、綺麗な水色の髪と黄金に煌めく瞳は、彼の中性的な美貌を神秘的に引き立てていた。
ミナエリスは優しいティオールを愛し、ティオールもまた御子の使命にひたむきなミナエリスを愛していた。
そんな二人が健やかに愛を育み、国中から祝われる結婚式。今この時、世界で一番幸せだったはずの二人を、誓いの盃を掲げられた太陽神、『黄金太陽ソルフィーリア』だけは祝福をしなかった。
いいや、あるいは、これこそが祝福なのかもしれない。神が真に太陽の御子を欲したのならば。
ヒュゴッォオオオ――――
二人の愛を誓う盃が交わされようとした刹那、轟音と灼熱が聖堂を駆け抜ける。
飛び散るは無数の火の粉と、真っ赤に溶け落ちた破片の飛沫。凄まじい高熱によって、聖堂の天井は大きな穴をぶち抜かれていた――――そう顔を挙げて認識した時、ソレは天より舞い降りた。
長い黒髪と黒目。漆黒のローブをはためかせて、背中から燃え盛る炎の翼を羽ばたかせて、直上から降り注ぐ陽光に照らされる様は、さながら太陽神の遣わした使徒が如く。
しかし、かの者が神の遣いなどではないことを、他でもない、御子ミナエリスはよく知っていた。
「何を……今更、何をしに現れたっ、ナミ!!」
親の仇を睨むような憎悪の籠った目で、ミナエリスは双子の姉の名を叫んだ。
ナミアリア・ソレイユ。
本来、ミナエリスに代わり、御子となるはずだった女である。
「ああ、結婚おめでとう、ミナ」
対する姉は、一切の光を映さぬ深淵が如き漆黒の瞳を無感情に返す。
いつもそうだ。子供の時からずっと。姉の瞳には何も、誰も、映っていない。底の見えない奈落を覗き込んでいるような、不気味な心地。
心にもない言葉だ。本当に妹の結婚を祝福するならば、彼女はとうに最前列に座っている。
だがナミアリアは、この善き日に現れた。ハナウ王をはじめ、大勢の要人が集うこの場所で、会場をぶち抜いて。
言い訳しようもない重罪だ。この時点で王侯貴族、太陽神殿に対する暗殺未遂とみなされ、即座に斬り捨てられるべき状況。
だがしかし、聖堂に集う誰もが動けない。動くわけにはいかない。
ナミアリア。歴代最強の御子となるはずだった、優秀な妹を遥かに凌ぐ、天才にして狂気の魔女。彼女が目の前に現れた時点で、次の瞬間には聖堂ごと灰燼に帰してもおかしくない、とその力を知る誰もが思ったからだ。
明確な殺意と憎悪を露わにした妹ミナエリスだけが、最悪の乱入者たる姉ナミアリアと対峙する。
「殺し合いがお望みなら、今すぐ表へ出ろ。相手になってやる」
「喧嘩なんてする気はない。ちょっと貸して欲しいモノがあって来ただけなんだ」
決死の覚悟の妹に大して、姉は部屋に本の一冊でも借りに来た、というような気安い態度。
戦うにしても、まずは何としてでもルーン首脳陣が勢揃いの聖堂から場所を移さなければならない。何と言えば、このイカれた姉を誘導できるか……ミナエリスは結婚式をぶち壊された怒りの片隅で、その算段を立てていたが、
「ティオをくれ」
「……あ?」
冷静に回っていた思考さえも、その一言で真っ赤な憤怒に染まった。
「ほんの一年くらいでいい。私の子供が生まれたら、返してやる」
「な、んだとぉ……」
「彼の種がいる。それだけの話だよ」
結婚式をぶち壊されただけではない。因縁の姉に、よりによって己の伴侶が奪われようとしている。
そこに愛は欠片もなく、ただ必要だから、と調合用の素材が如く求めるのみ。
そうだ。この姉は魔女なのだ。人を人とも思わず、心など理解しようともしない。
ただひたすらに魔導の深淵を行く、怪物なのだと。
「爆ぜろっ、『焔鳳』っ!!」
「なんだ、急に。危ないじゃあないか、こんな場所でそんな大技を」
瞬間最大出力でぶっ放せる炎の聖鳥、『焔鳳』をミナエリスはただ忌むべき姉を殺すべく放った。
こんな一発ではとても殺し切れないことなど百も承知だが、初手としては自分に打てる最善手。姉の言う、場所を考えなければだが。
怒りと共に解き放たれた大きな炎の鳥は、灼熱の破壊力を秘めて広大な聖堂の幅に届かんばかりに巨大な翼を広げるが、
「『焔鳳』」
ナミアリアがサっと手をかざせば、同じく『焔鳳』が炎の翼を翻して顕現する。
二つの『焔鳳』が現れた聖堂は、その瞬間に何もかも焼き尽くされそうなほどの高熱を人々に感じさせたが、不思議と布切れ一つ燃えることなく、ただ熱風だけが荒れ狂った。
爆ぜようとするミナエリスの『焔鳳』を、ナミアリアの『焔鳳』が完全に抑え込み、爆発どころか余波の熱波まで減衰させているのだ。
「ぐっ、うぅ……」
「まったく、慌てて撃つと術式が乱れる欠点は相変わらずだな、ミナ。もっと精進しなければ、立派な御子にはなれないよ」
「黙れっ、ナミぃ、お前は……ここで、殺す……」
「私を殺したければ、尚の事、力を磨くべきだ。ティオが帰って来るまでの間に、頑張って修行をするといい――――『炎蛇』」
さらなる魔力を注いで『焔鳳』を炸裂させようとするミナエリスに対し、ナミアリアがとったのは更に別の魔法発動。
足元から溶岩のように煮えたぎった体の大蛇が何匹も現れ、大理石の床に焦げ跡を残しながら這い、ミナエリスへ襲い掛かった。
「くっ、がぁあああああ……」
純白の花嫁衣裳を焼きながら、『炎蛇』がミナエリスに巻きつき拘束する。
御子たるミナエリスは高い火耐性を持つため、その白い柔肌が焼けることは無いが、物理的に頑強な拘束具としても機能するマグマの蛇によって、完全に身動きが封じられた。
苦悶の声をあげながら床へと倒れ込むミナエリスの目に、悠々と歩みを進めて自身の夫となる男の前へ立つ、傲岸不遜な姉の姿が映る。
「やぁ、久しぶりだね、ティオ。元気だったかな」
「はい。ナミもお変わりないようで」
深淵の瞳で、変わらず愛らしい少年のような容姿の幼馴染を見下ろす。
ティオールに怯えの色はない。彼もまた、ミナエリスと同じく、彼女のことをよく知っているから。
「私が行けば、このまま大人しく退いてくれますか」
「勿論、私は君を迎えに来ただけだからね」
「一年後、私をミナの元に帰してくれますか」
「君が望むなら、どこへでも帰してあげよう」
「……分かりました」
静かに息を吐いてから、意を決したようにティオールは魔女の下へ一歩を踏み出した。
「ダメだ、ティオ……行くなぁ……」
「ごめんなさい、ミナ。こうするより他に、この場を収める方法はないでしょう。私の身一つで、ここにいる全員の安全が保障されるなら、迷いはありません」
「それじゃあ、行こうか。しっかり掴まっていてくれよ」
自分よりも頭一つ分は低いティオールの体を、軽々と抱きかかえたナミアリアは、再びその背から炎の翼を生やし――――爆ぜるような勢いで天へと舞い上がり、御子の花婿を連れさって行った。
◇◇◇
「おかえりなさいませ、ナミアリア様」
花婿ティオールを抱えたまま、炎の翼を羽ばたかせて飛んできた先は、メラ霊山の麓に広がる樹海の中。空から見ても何の目印もなく、開けてもいない場所へ迷いなく舞い降りる。
鬱蒼とした樹海の中には不釣り合いな、煌びやかな騎士礼装を纏った女が、折り目正しくナミアリアを出迎えた。
「クーリエ、閨の用意は」
「万端ですが、陽が落ちるまではお待ちした方がよろしいかと」
「今すぐじゃダメなのか」
「ティオール様は式の最中に突然連れ去られたのです。多少は落ち着かれる時間が必要でしょう」
「そうか、ティオは貧弱だったからな」
「お時間になるまで、ゆっくりと語らうと良いでしょう。ティオール様とは、知らぬ仲でもありますまい。きっとナミアリア様の真意も理解なさってくれるかと」
「お前が言うなら、そうしよう」
話している間に、騎士礼装の従者クーリエは、大樹の洞の中に隠されたモノリスにアクセスし、樹海の下に広がる古代遺跡への扉を開く。
地面に転移魔法陣が音も無く浮かび上がった直後、白い光が弾けて遺跡の中へと彼女達を導いた。
「……ナミ、何故こんなことを」
広大な大広間に誂えられた、仰々しい儀式祭壇を臨みながら、クーリエがティーセットを整え終わったところで、ティオールはそう切り出した。
「私の目的はずっと同じだよ」
「魔導の探求、ですか」
「大雑把に言えばそうなるね」
ティオールがミナエリスと幼馴染であったように、幼い頃は双子の姉であるナミアリアも共に過ごしていた。
だが初めて出会った時から、ナミアリアの力は卓越していた。その時点で魔力量は一介の魔術師など遥かに超えており、さらに驚くべきは魔力操作の精密さ。頭のてっぺんからつま先まで、己の肉体は勿論、放った魔法の射程内なら正確に操るほど。
何十もの火の玉をお手玉のように操っては、四方へ同時に発射し飛ぶ鳥を火球の数だけ落として見せたのを目の当たりにした時、彼女は自分と同じ人間ではなく、火の精霊だと本気で思ったものだ。
誰もが天才だとナミアリアを讃えた。
しかし彼女は、どんな賞賛の声にも笑み一つ浮かべることは無かった。きっと凡人の評価など、彼女にとっては夏の夜に鳴く虫の声と同じ。
「ナミは昔から、ソレしか見てないですからね」
「他に見るべきモノが無いんだよ」
物心ついた頃には、すでに魔法の探求にナミアリアは打ち込んでいた。
幼子ならば興味を示すような玩具も遊びも、彼女には何一つ響かない。同じ価値観を共有できずとも、一緒にいられたのは偏にティオールの慈愛と言えよう。
つまらなくとも、彼女のことが何一つ理解できなくとも、それでも隣に立ち、語りかけ、同じ時を過ごした。
故に、ナミアリアを愛称で呼ぶ者は、妹とティオールのたった二人だけ。
けれど、それはあまりにも彼女を常人の枠に捕らえるには、脆い絆であった。
成人を迎える直前。ナミアリアは両親ごと太陽神殿の一角を焼き払い、姿を消した。
それがルーンで最も恐れられる魔導結社『払暁学派』の始まりだった。
「どうして今、よりによってこんな日に帰ってきたのですか」
魔導結社『払暁学派』を結成したナミアリアは、生贄に人体実験を筆頭に、あらゆる禁忌を破って更なる魔導の探求へと邁進した。
御子となるはずだった少女が、狂気の魔女と化したことにルーンの誰もが嘆き、怒り、悲しんだものだが――――ティオールには分かる。ナミアリアに悪事を働いているという気はない。
彼女は今も昔も、ただ自分の魔法にとって必要だからやっているだけのこと。そこに罪悪感は欠片もなく、だからこそ無制限の残酷さをもって多くの人々を利用し尽くした。
やがて『払暁学派』の悪名はルーンだけでなく、国外にまで轟く様になり……不幸中の幸いとでも言うべきか。ナミアリア自身が、すでにルーンには見るべきものはないとして、各国を渡り歩くようになったことで、相対的にルーンでの被害は減った。
そうして自由にパンドラ大陸を放浪し続けていたはずの魔女が、今日この善き日に帰ってきた。何故かと、その理不尽を問わずにはいられない。
「今日が子を孕むには一番よい日だからさ」
「それは……体調的な意味ですか」
「色々さ」
ナミアリアが見立てた魔法的な条件など、素人のティオールには分かるはずもない。だが、少なくとも妹への当てつけで結婚式をぶち壊したつもりはないようだった。
無自覚だからこそ、尚の事ミナエリスにとっては残酷であるが。
「子供が欲しかったなんて、意外でした」
「どうしても必要だと分かってね。やはり魔導の深淵は、たった一人では辿り着けないということだ」
「魔法の才に溢れる子供が欲しいなら、私などより、幾らでも優秀な者はいるでしょう」
「そう思って、方々を探してみたのだが……まったく、笑えるよ。ここ数年の私は、まるで行き遅れた令嬢のように、男ばかり探していたのだから」
今日は随分と機嫌がいいらしい。その光のない黒目を細めて、微笑みらしき表情を浮かべるナミアリアを見て、ティオールはそう思った。
「見つからなかったのですか」
「ああ、どうやらティオ、私にとっては君が一番良い男らしい」
如何なる確証をもって、その結論に達したのか。そんなことは分からない。
この魔法に狂った魔女が、年単位の時間をかけて厳選した結果なのだ。様々な要因を総合的に見た上でのことに違いない。
少なくとも、この結果に単純な好悪の感情など介入する余地はない、はずだった。
「けれど、なぜだろうね。君が相手と決まった時、私は少し安心した」
「そう、ですか……ほんの僅かでも、私のことを思う気持ちがあるならば、嬉しいことです」
「どうだろう、人の気持ちのことなど、私には分からない」
他人どころか、自分の気持ちさえ理解できていない。分かろうともしない。
けれど、本能的に溢れ出る感情は、否応なしに人を突き動かす原動力となるものだ。魔法の力などなくとも、魔女だって己の気分一つで行動を変える。
「やはり、夜まで待つのはやめる。今すぐ始めよう」
あっ、と声を漏らす間に、ティオールは再び長身の魔女に抱えられる。
その行く先は、物々しい装飾に溢れた、見るからに妖しい儀式祭壇。
「えっと、ベッドは」
「このために誂えた祭壇だ」
「生贄になった気分です」
「いいや、捧げられるべき贄は、これから生まれてくるのさ」
◇◇◇
「不思議な感覚だ。自分の中に別人がいるというのは」
果たして、ナミアリアは妊娠した。
それが純粋に神の祝福によるものなのか、全てナミアリアの術によるものなのか、ティオールには分からない。
けれど確実に分かっていることは、ナミアリアのお腹にいる子は、確かに自分の子であるということ。
「そうだ、すっかり忘れていたけれど……名前をつけてくれないか」
「生贄として捧げるだけの子に、名を与えるというのですか」
すっかりお腹が膨らんだ姿は母親以外の何者でもないが、ナミアリアに欠片も母の情などないことをティオールは理解していた。
もしかすれば、自分の中で徐々に大きくなってゆく我が子の存在を感じれば、あるいはその心境に変化の一つもあるかもしれない……そう淡い希望を持っていたが、やはり彼女はどこまでいっても魔女だった。
彼女にとって、ケージの中で実験動物を飼うのも、自分の腹で子を育むのも、どちらも同じ程度の価値に過ぎないのだろう。
そう思っていたのだが、今更になって子供の名前などと言い出されると、ティオールをしても、つい感情的に睨んでしまった。
「この子はただの子羊じゃない。特別なんだ」
「自分の子供は、それだけで特別なものですよ」
「いいや、この子だけが特別なんだ。私の娘だからこそ、私を更なる魔導の深淵へと導いてくれる――――ようやく黄金の日の出を迎えられそうだ」
慈しむように腹を撫でながら、ナミアリアは微笑む。
黄金の日の出、と彼女は呼ぶ。自身が目指す到達点を。
日の出にはまだ遠い、故に『払暁』を名乗っているのだと……そう、ここで共に過ごす中で聞いた。
「名づけてしまえば、私は本当にこの子の父親になってしまう」
「何を言っているんだ、この子の父親は君だよ」
ティオールの苦悩など、魔女に理解などできようはずもない。
何の躊躇もなくナミアリアに攫われたように、ティオールは魔女に抗うことの無意味さを知っている。それは『払暁学派』として暴れ回るよりもずっと前、初めて出会ったあの日から。
だから最初から、諦めていた。ナミアリアが自分の子を生贄に捧げるつもりで産むのだと聞いても。その子を助ける方法など、何一つありはしない。
だから自分の子供ではないと、そう思い込もうとした。割り切ろうとした。
「――――フィオナ」
きっと、名前などつけなくとも、諦めることは出来なかっただろう。
何故なら自分は、これほどの無法を働いた魔女を、憎んではいない。憎めない。
ナミアリアは昔から何一つ変わっていない。彼女は悪意も害意もなく、ただ己の目標にひたむきに邁進しているだけ。
幼い自分が恐れると同時に、焦がれた姿はそのままだった。
「この子の名前は、フィオナです」
「ああ、いい名前だ。やっぱり、君に名付けて貰って良かったよ」
だから愛すると決めた。
魔女が愛を解することは無くとも。自分だけは、父親として、魔女の子を愛し、守ろうと――――けれど、そんな凡人の決意になど、何の意味もない。
そのことを他でもない、人を超越した魔女は自ら証明するのを、ティオールは目の当たりにすることとなる。
◇◇◇
ついにその日が来た。
魔女ナミアリアは静かにその身を祭壇に横たわせている。
介添えとなる者もおかず、この場に立ち会うことを許されているのは父親たるティオールのみ。きっと、それもまた遠大な儀式の一部なのであろう。
とても子供を産むのに相応しくはない、冷厳にして精緻な術式で組み上げられた儀式祭壇だが、生贄を捧げる場としては実にそれらしい。ティオールには、捧げられる赤子の贄を、今か今かと邪神が待ち侘びているように感じられた。
そうして、おぞましくも濃密な魔力が漂い、無数の魔法陣が明滅する薄暗い広間の中で、ただ静かに時を待ち――――
「ナミアリア様、ルーンの騎士団と太陽神殿の強襲です。偽装結界は破られ、すぐにでも内部まで踏み込まれます。急ぎ脱出を」
「いいや、儀式の中断はできない。時間を稼げ、全て使い潰しても構わん。クーリエ、頼んだぞ」
「承知致しました。命に代えても、時を稼ぎます」
広間に響く二人のやり取りで、ティオールもついにこの隠れ家がバレて、ルーン側が救助に来たことを察した。
「よりによって、こんな日に、とはね」
「ミナも同じ気持ちでしたよ」
「この私に意趣返しとは、妹もやるようになったじゃないか」
ミナエリスが修羅の形相で今まさに踏み込んできているだろうことを、ティオールは容易に想像できた。
普段は理想的な御子らしい、優美で愛らしい女性だが……こと姉に関わることには鬼となる。優秀でありながら、それを凡愚と貶めるほどに天才的な姉が君臨していたのだ。
これでナミアリアに人並みの情があれば、双子として仲良くやってこれた目もあったのだが、そんな未来がありえないことは、とうの昔に決まってしまっていた。
「さて、後は時間との勝負だが……頼むよ、フィオナ。いい子だから、早く生まれておいで」
儀式を行うこの広間は、やはり最も厳重に隔離されているらしい。
すでに内部で激しい戦闘が繰り広げられているはずだが、騒音も声も全く聞こえては来ない。ここは変わらずに静寂に包まれたまま。
故に、その静けさを破ったのは、この場所の主であった。
「んっ――――」
ついに来た。
その思いだけは、ナミアリアとティオールで一致した。
「ナミ……」
思わず名前を呼んでしまう。けれど父親に出来ることなど、出産の場においてはその程度。
「ああ、ついに始まった……さぁ、フィオナ、私を導いてくれ……」
ティオールに出産の現場に立ち会ったことは一度もない。それでも、これが尋常なものではないことは一目で理解できた。
最初に感じたのは、熱。
俄かに熱風が広間を駆け抜け、ティオールの纏った衣装を大きくはためかせるほどの風圧となって吹き荒れる。
そして次に、火がついた。
まずは杯や皿に盛られた供物の数々が燃えだし、瞬く間に灰と化す。次は金属器さえもドロドロと溶けだした。
灼熱の元は縦横無尽に走る魔法陣らしく、それが幾重にも刻み込まれた重厚な石の祭壇さえ、マグマのように溶け落ち始めた。
そうして加速度的に増してゆく高熱は、濃密な魔力の流れと共に祭壇の上、ナミアリアの腹へと集約されてゆく。
「うっ、くぅ……」
そこでティオールもまた、自身の異変に気づく。
自分には魔術師としての才は無いが、魔力そのものは多く生まれて持っている。武の名門と名高いナナブラストの血が、彼に燃え盛るような魔力を与えていた。そしてソレが、最終的にナミアリアが自分を孕ませる種に相応しいと断じた理由となるが――――その彼の魔力もまた、魔法陣の働きによって流れ出て行く。
急激な魔力消費による疲労感と倦怠感で、ティオールはその場で膝をつく。
このまま意識を手放してしまいそうな霞む視界の中で、灼熱と魔力が一体となって荒れ狂う祭壇を見上げる。
ナミアリアは。生まれ落ちるフィオナは。一体どうなるのか。
「あっ――――」
刹那、眩い黄金の光が弾ける。
否、それは黄金に輝く炎。轟々と渦巻く火炎の柱が祭壇の上に突き立った。
ギャア……ホォギャア……
不意に耳へと届いた泣き声に、ティオールは理解した。
生まれた。
子が生まれ落ちたことで儀式は終了となったのか。魔力の流出は止まり、自分の体が自由に動くことに気づいたティオールは、重い体を引き摺るように、祭壇へと歩み寄る。
「そ、そんな……どうして、ナミアリア……」
そこでティオールが目にしたのは、信じがたい光景だ。
ナミアリアの腹部は大きく弾け飛び、焦げた血肉の中で赤子が泣き声を上げている。
彼女の下半身は焼失しており、上半身も大きく焼け爛れ、顔だけが何とか元の容姿を維持している。
一目見れば、即死としか思えない有様。
子供を産んだのではなく、腹で爆弾が炸裂したかのような凄惨な有様だった。
「ふっ、く、はははは……ティオ、この子だ……私達の娘、フィオナ……」
「ナミアリア!」
致命傷だと自分でもとうに察しているだろうに、ナミアリアの表情は穏やかだった。自分の腹を爆ぜさせて生まれた子を、正に本物の母親であるかのような眼差しで見つめる。
「フィオナこそ、黄金の夜明け……原初の火に至る、魔女となる……」
ナミアリアの言葉の意味は分からない。
けれど、あれほど己の魔導の探求にしか心を割かなかった彼女が、諦めた……いいや、託したのだ。
「ああ、なんて素晴らしい子だ……フィオナ、私を超えて行け……遥かなる、深淵へ……」
そうして、魔女ナミアリアは息を引き取った。
後に残ったのは、燃やせぬはずの炎の魔女を焼き殺して生まれた呪い子と、慈しむようにその手で我が子を抱き上げる父親だけ。
かくして魔女は生まれた。生贄となるはずだった運命を、自ら焼き尽くして。
2025年4月4日
フィオナ爆誕。
才能と性格は母親譲り、容姿は父親似です。