第1019話 海魔(2)
「くっ、クロノ様……一体何が……」
大騒ぎを聞きつけて、レッドウイウング城の一室に儲けた臨時司令部へ、何時にも増して不安気な様子のファナコがやって来た。
すでに俺が『暴君の鎧』を纏い、暗黒騎士達も総員、機甲鎧を着込んだ完全武装の物々しい雰囲気に、文系少女である彼女が気圧されているのを感じた。
物騒で申し訳ないとは思うが、事が事だからな。
「今朝方、沖から未知のモンスターが出現した。複数種類の混成かつ、統率された動きで侵攻してきたことから、これを『海魔軍』と呼称し、ルーンを狙う人為的なモンスターテロと推定されている」
すでにルーン王宮では対策司令部が置かれ、ハナウ王の号令一下、ルーン軍総出で対処するよう動き出している。ネルが首都に残ってくれていて本当に助かった。お陰で、彼女が司令本部と妖精通信でホットラインが通じている。
俺自身の希望もあって、現地にいる貴重な即応戦力として俺達が動くことも、すでに伝えた。こういう報告と連絡を事前に出来ていれば、後になって揉め事にならずに済む。
そりゃこっちは善意で助太刀してても、向こうからすれば外国の軍隊が勝手に戦い始めたら大問題だからな。
ともかく、司令本部からこの『海魔軍』の情報は逐一入って来るし、こっちの戦況も報告できる。
「ここには俺達の他に、大した戦力はない。ファナコは急いで首都に戻った方がいいだろう」
司令本部からは、このまま俺達はファナコを抱えたままレッドウイング城で籠城し、とにかく防備に徹し、後の事は全てルーン軍に対処を任せ欲しい、との要望は伝えられている。
確かに、急な襲撃ではあるものの、最高位の国賓たる相手に現地で戦ってくれ、などと頼めるはずもない。皇帝は君主であり、冒険者でも傭兵でもないのだ。
だがしかし、目の前でモンスターに襲われる町があり、そして自分にはそれに対抗するための十分な力があるとなれば、動かぬ理由はない。俺はエルロード帝国皇帝だが、パンドラの魔王だ。ちょっとモンスター軍団が出てきたくらいで、身の安全を確保して引っ込んでいられるか。
というワケで、今すぐ港まで突っ込む気満々なのだが、そうなればこの城に残るのは、元々の警備と、ファナコの警護についてきた近衛騎士のみ。
要人警護だけなら十分な数だが、モンスター軍団が襲来した状況下となれば、心許ない戦力としか言いようがない。
敵は全て海から来ており、内陸山側となるこっちは安全だ。海魔軍が地上侵攻してくるにしても、ここまで到達するには時間もかかるし、俺もこんなところまで通す気はない。
よって、ルーンの姫君であるファナコには、万が一を考慮すれば今すぐサンクレインの王城へ帰らせるのが最善であり、司令本部の要望でもあった。
首都も海魔軍に襲われている真っ最中ではあるが、ルーン軍の主力が勢揃いしているから、こんな港町にいるよりかは遥かに安全。ハナウ王も傍にいてくれた方が安心というものだ。
「……いいえ、私はここに残ります」
しかし、ファナコの返答は否であった。
無論、俺のように腕自慢で参戦を望んでいるワケでは断じてない。彼女はこの緊急事態に明らかに動揺しており、小さく震えてもいる。どこまでもか弱い女性として、当然の反応をしている。
「無理する必要はない。ここで避難したところで、誰もファナコを悪くは言わないさ」
「これは面子の問題では、ないのです……私の、ただのワガママ……万が一にでも、この場所に何かがれば、私は……」
ああ、そうか、そりゃあそうだよな。
オタクが自分のコレクションを、守らないはずがない。ちょっとくらい怖くたって、絶対に失いたくない、尊い宝物がここにはあるのだから。
「分かった。レッドウイング城の守りは任せる」
「は、はい!」
ファナコのことは、前線司令部を任せるアインに見ておいてもらおう。
首都のネルとやり取りして互いの情報通信に務めるならセリスが適任だが……今回の相手は、気軽に火力で吹っ飛ばせる相手じゃない。広範囲を重力で圧せるセリスは、海魔軍を食い止めるためには絶対に必要だ。
後はファナコの傍にいても安心できるように、プリムもここに残していくべきか。いやでも、『ケルベロス』装着したら愛らしい姿は見えなくなるので、あまり意味はないかも。
しかしプリムも今や立派なエースだ。その実力を見込んで、ファナコの警護も任せるとしよう。
「あ、あのっ、クロノ様……これほど大それたことを起こすのは、恐らく『払暁学派』の仕業だと思われます」
「ルーンの裏社会を牛耳る大魔導結社、だったか」
ネルからの通信でも、ざっくり聞いている。
太陽神殿のように由緒正しい神話から続く宗教があるのと同時に、遥か古から闇に蠢く悪の魔術師達の業も、ルーンには根強く残っているそうだ。邪法や禁術の研究をする違法な魔導結社の活動が、やたら活発というのが、平和で発展した島国ルーンの裏の顔でもある。
恐らくは、メラ霊山を中心とした巨龍穴と大地脈の集合という魔力的に優れた立地。そしてレムリア海の交易によって、方々から希少素材や古代の遺物などが広く手に入れられること。そういった要因もあって、ルーンで活動するのが最適なのだろう。
違法な人体実験をするにしたって、ルーン国民を攫うよりも、輸入した奴隷をそのまま使う方が、足が付きにくいそうで。反吐が出るような話だ。
「『払暁学派』は以前にも、大規模なモンスターテロを起こしていますから」
十年前に起こった、ルーンを震撼させた大事件。
そしてこれによって、御子フィアラの両親は命を失うことになったのは、大きな悲劇として今もルーン国民にとっては記憶に新しい。
「今回はそれ以上の規模らしいが――――失礼、緊急の通信が入った」
兜を通して、ダイレクトに妖精通信のテレパシーが届けられた。
この波長はヴィヴィアンのもの、すなわちフィオナからの通信である。
「フィオナ、どうした」
『クロノさん、そっちで海から脂ぎったモンスターがいっぱい出てきて大変なことになっていませんか?』
メチャクチャ他人事みたいな聞き方されるが、確かにその通りだ。
これほど大事ならフィオナも耳に入って……いや、フィオナはメラ霊山へ向かったはず。島の中央部、海から最も遠い場所。
連絡用に妖精のヴィヴィアンこそ連れているが、俺達が教えなければ、フィオナはこの事を知りようがないはずだが……
「海魔軍と名づけられたモンスター軍団が、今まさに上陸していきている。俺達はこれから迎撃に出るところだ」
『なるほど……どうやら、本当のようですね』
「フィオナ、そっちで何があった」
『えーと、そうですね……私は予定通り、メラ霊山の麓までやって来たのですが――――『払暁学派』のボスと名乗る人が、今目の前にいます』
◇◇◇
首都サンクレインを発ち、フィオナはのんびり丸一日かけて食い倒れ珍道中をしながら、メラ霊山の麓の町へと辿り着いた。
そして翌日、清水の月3日。
早朝から宿を出て、昨日の内に目星をつけておいた店で、期待通りの朝食を平らげると、いよいよメラ霊山へと登るべく、最も大きな登山道へと向かった。
メラ霊山は太陽神殿にとっての聖地であり、ルーンのシンボルでもある、有名な山だ。敬虔な信者から物見遊山の登山客、果ては志を抱いた芸術家などなど、毎日それなり以上の人数で賑わう、山へと続く大きな道はしかし、今日に限って一人も見かけなかった。
「……ねぇ、ご主人、これヤバくない?」
「何がですか?」
すでに多くの人通りがあって然るべき道。
だがそこには人気は全く無く、早朝の内に晴れているはずの、真っ白い朝靄が漂い、不気味な静寂が周囲一帯を包み込んでいる。
魔法に疎い一般人でさえ、あまりの不自然さに狼狽えるだろう。まして敏感な第六感を持つ妖精ならば、すでにこの場が人為的な結界によって人払いがされていることにまで気づくことが出来る。
「どう考えても、よからぬ輩が人払いかけてる真っ最中でしょ」
「でも、ただ工事しているだけかもしれませんし。線路とか」
「どこでも線路敷こうとすんのはウチの列車バカ共だけよ! もう、なんでこんな気合の入った結界張って人を寄せ付けないようにしてるところを、わざと知らん顔して突っ切るのよぉ!」
「だってここが一番近いですし」
たとえヴィヴィアンのいうよからぬ輩がよからぬ企てで人払いの結界を張っていたとしても、フィオナにとっては関係ないことだ。自分はただ、この道を通りたいだけなのだから。互いに干渉せず、それで良いではないか。
しかしよからぬことを企んでいる者が、私は関係ありません、と素知らぬ顔で通過する者を見逃すはずもないことまで考えないのがフィオナである。
よって、その歩みを阻む者が現れるのは時間の問題であった。
「やぁ、おはよう。いい朝だね、お嬢様」
「おはようございます」
冷え冷えとした霧の中から現れたのは、上質な騎士の礼服を纏った青年……否、女性であった。
とても登山客とは思えぬ出で立ち。まだルーン王宮で出くわした方が自然な恰好の人物だ。
一見すると美青年に思える、凛々しくも華麗な容姿は、つい先日の記念式典で気合の入れた恰好をしたセリスを連想させた。
フィオナより頭一つ分は高い、スラリとした長身に、かすかに女性的なボディラインが窺える。濃い藍色の髪は短く切り揃えられ、柔和な目元が大人の色香を漂わせている。
すれ違えば誰もが振り向き見るような麗人だが、フィオナはただ挨拶されたから、礼儀としてのみ挨拶を返しただけで、そのまま真っ直ぐ通り過ぎようとした。
この人払いの結界を敷いた術者が、彼女であると気づきながらも。
「フィオナ・ソレイユ――――まさか、貴女の方からここへ戻って来られるとは。本当に、運命を感じるよ」
「すみません、急いでいるので」
「案内するよ。貴女がここに、探しに来たあらゆる場所へ」
その言葉に、ようやくフィオナは足を止め、振り向いた。
黄金の輝きを秘めた茫洋とした瞳を向けられ、騎士礼装の女は心の底から嬉しそうな笑みを浮かべて、恭しくお辞儀をした。
「私の名はクーリエ。名乗るほどの家名は持ち合わせておりません。しがない魔術師の端くれでございます」
「それで、私の探している場所を知っていると?」
すでに自分の名を知っているのだ。律儀に自己紹介を返してやる義理はない。
フィオナは不躾に、彼女にとってはただ率直な疑問をぶつけた。本当にお前は私の望みを分かっているのかと。
「メラのオリジナルモノリスは、山頂からのみ入れる太陽神殿の隠し祭壇にある。他にも、ここの地下には生きた古代遺跡が数多く眠っているのだが……とても一日では、案内しきれませんね」
「なるほど、やはり魔導結社が幅を利かせていられるのは、古代遺跡に潜っているからなのですね。えーと、『払暁学派』でしたっけ」
「お恥ずかしい、今は細々と活動しているだけの小さなサークルさ」
「ルーンでは随分と悪名高いと聞いていますが」
「昔の話だよ。私などは、ただ成り行きで長の座に納まっただけの凡人に過ぎない。魔導の深淵へ踏み込むことなど、とてもとても……」
大袈裟な謙遜の台詞を吐くクーリエだが、この人払い結界の完成度を見るだけで超一流と呼べるだけの実力があることは窺える。
これで結界術の専門ならば良いが、クーリエの立ち姿は明らかに戦い慣れした魔術師のソレである。
「私の求めに応えてくれるなら、手っ取り早くて助かりますが……貴女が私に協力する目的はなんですか? 燃やしたいモノでもあるのでしょうか」
「ふふ、確かに燃やしたいモノはあるけれど、それは自分でやるさ。私がお嬢様に構うのは、それが運命的な導きだから、かな」
「あんまり面倒くさい言い方するなら、私は一人で行きますけど」
「貴女の母君と私は、深い縁があってね――――赤ん坊の貴女を転移でルーンから逃がしたのは、私なのさ」
ルーンにあるかもしれない、と思われた真実の欠片。
それが今まさに、フィオナの目の前に差し出された。
「ヴィヴィアン」
「嘘は言ってないっぽいわよぉ……」
念のために、自分の興味を惹くためだけのブラフではないことを、妖精であるヴィヴィアンに確認させておく。
それを分かった上で、テレパシーで読めるよう感情も込めてクーリエは言い放っていたようだ。
「では、後は隠れててください」
「言われなくても隠れてるー」
巻き込まれるのは御免だと言わんばかりに、ヴィヴィアンはフィオナの頭の上で、三角帽子の中に隠れた。空間魔法に飲み込まれれば大惨事だが、フィオナが戦闘でこの三角帽子を捨てることは決してないため、ひっついている分には安全地帯なのである。
「私の親と生まれを知っているならば、詳しく聞かせて貰いたいです」
「ああ、良かった。人並みに興味を抱いてくれてはいたんだね。その超然とした態度は、やはり血筋だと思ったものだけれど」
「力づくで聞いた方が早い系ですか?」
「私達が争う必要なんて、どこにもないさ。包み隠さず、真実を全てお話するとも」
華麗な微笑みを浮かべながら、フィオナの前まで歩み寄ったクーリエはそっと片手を差し出した。
「それでは、まず貴女の生まれた場所へとご案内いたしましょう」
「私の手を取ってエスコートできるのは、クロノさんだけです」
「おっと、これはとんだご無礼を。お許しください、お嬢様」
一切乱れぬ笑みのまま手を引っ込めたクーリエは、背中の青いマントを翻して歩き出す。
「よろしければ、貴女が如何にして魔王の寵愛を受ける魔女となったか、その経緯をお聞かせ願いたいですが」
「話はそっちが先ですよ。回りくどいのはナシでお願いします」
「承知いたしました、お嬢様。それでは、何故、貴女が生まれるに至ったかをお話ししましょう」
「子供は勝手に出来るモノですよ」
「愛があればそうなりますが……貴女は、生贄となるため生まれたのです」
その言葉に、さほどの衝撃はない。
ただ平凡な男女が愛し合った末に生まれた、ただの赤子であるとは思っていなかった。
生まれたばかりの自分を手放すような、魔術師としての事情があると予想していたが、
「しかし、贄となったのは母君の方。今、貴女を前にして、私はようやく笑い話として語れそうです――――」