第1015話 レーベリア戦勝記念式典(2)
「失礼いたします、クロノ陛下」
「どうぞ、かけてくれ御子様」
「私のことは、フィアラとお呼びくださいませ」
その麗しい花が咲くような笑顔は、たとえソックリであってもフィオナには決してできない見事な愛想である。
一通り挨拶回りも済んでちょっと落ち着いた頃合いを見計らったように、俺の席へとやって来たのが、太陽神殿の御子フィアラだ。
他にお付きの者は誰もおらず、彼女は単身で乗り込んできた。そして俺とフィアラが二人きりとなった席へ、近づこうとする者もいない。明らかに狙って作られたシチュエーションである。
これの仕掛け人であろうハナウ王は、なんだかんだでウチの外務大臣としてすっかり定着してバリバリ仕事をしてくれているカーラマーラ洗脳議員の第一人者ザナリウスと、実に楽し気に話し込んでいる。
宰相コルネリウスも同様で、帝国側の来賓と会話をしており、第二執政官のソージロは……なるほど、俺の席からつかず離れず、絶妙な立ち位置に自然に陣取り、しっかり聞き耳を立てていると。
一方、この式典においては俺の相方となるネルなのだが、ルーンにはやはり顔見知りが多く、次々とやって来るルーンの王侯貴族連中の相手で手一杯。
フィオナは……なんかサリエルに寿司を握らせて、会場の一角を勝手に寿司カウンターにして暴食に勤しんでいる。まぁ、アレはアレで人が興味深げに集まって、楽しい催し物と化しているのでいいだろう。
そしてさらに別な一角では、ファナコ姫主催、コスプレプリムとセリス&ファルキウスの撮影会が開催されてしまっていた。俺の護衛ないなった。
流石に君主なのにぼっちとかありえないんで、すぐにアイン筆頭に暗黒騎士が俺の四方を固めている。
今の状況はそんな感じで、しばらくはフィアラと一対一でお相手仕る、といったところ。
たとえルーン側のお膳立てありきだとしても、俺にとっては望むところ。
「君とは一度、話してみたいと思っていた」
「それは何とも光栄にございます……が、陛下が気になるのは、やはり私の顔と名でしょうか」
「勿論それもあるが、まずは太陽神殿について、御子様直々にご教授願いたい」
「そういうことでしたら、喜んで。説法は私の本業にございます」
そうして、フィアラは朗々と太陽神殿の設立についての歴史を語って聞かせてくれた。その内容は眠くなる授業みたいなモノではなく、祀っている神『黄金太陽・ソルフィーリア』を中心とした物語形式であった。
誰にでも分かりやすく伝わるよう、こういうストーリー性をもって仕立て上げられているのだろう。フィアラは実に語りなれた口調。なるほど、本職と言うだけあって、まるでヒロイン声優によるドラマCDを聞いているかのようだった。
で、その内容としては、古代よりもさらに昔、本物の神々がこの世界で人々を統治していた神代の頃。人々を守り慈しむ善良な神々がいる一方、荒ぶる神々、邪神魔神の類も跳梁跋扈しており、神代世界は混沌の様相を呈していた。
そんな中で、悪しき神々の勢力が強まってきた頃に、各地で苦しみにあえぐ人々を連れて、新天地へと導いたのが『黄金太陽・ソルフィーリア』なのだという。まぁ、やってる内容はモーセみたいな感じなので、神話としては王道展開だな。
「ソルフィーリアはその山の頂に座り、登る朝日を見てこう仰られました。なんと美しい陽が見える。ここは黄金の日出国となるであろう、と」
導いた先、辿り着いたのがルーン本島。山とは勿論、国の象徴たるメラ霊山である。
富士山の初日の出よりもありがたい、ルーンの夜明けだ。
「そうして神々の時代の終わりとともに、メラ霊山より天へと登り還ったソルフィーリアは、永劫にルーンを照らす『黄金太陽』の名をもって、我々の守護神として今も見守っておられるのです」
「なるほど、実に美しい建国神話だ。ルーンが神に愛された国だということが、よく分かった」
国産みで日本誕生! と豪語することは出来るが、神話そのままの事が実際に起こったのだと信じている者は極少数派であろう。
しかし神が実在する世界においては、実際に『黄金太陽・ソルフィーリア』が加護を授け、太陽神殿としてその信仰を連綿と受け継いできているならば、この神話の内容はかなり正確ではないかと思われる。
「俺はカーラマーラで、神代の旧き神と見えたことがある」
「それは……俄かには信じがたい話ですが……」
まぁ、神様のご加護がある世界でも、本物の神と出会ったり、言葉を交わしたり、というのは極一部の者にしか訪れない奇跡である。ましてそれが、遥かなる時の中で忘れ去られたはずの旧神となれば、そう簡単に信じられる話じゃない。
けれど『黄金魔神カーラマーラ』が、大迷宮という餌で大勢の人々の欲を刺激し、最果ての欲望都市を打ち建てるにまで至ったのは事実である。
「アレは確かに、人々を弄ぶ邪神の類だった。神代の世界にあんな奴らがごろごろしているなら……ソルフィーリアが人々を救い導いたのも、本当だろうと思えるよ」
「そのような邪神と遭遇し、よくぞご無事で」
「俺達は手も足も出なかったが、どうやらそこからは神の領域らしくてな。俺の魔王様が助けてくれたよ」
「それでは、古の魔王ミアと顔を合わせ、言葉を交わしたこともあるのですか」
「ミアは意外と普通にこの世界をウロついてるぞ。いっつも買い食いしてるし、俺にちくわパンくれたこともあった」
「ちくわパン……?」
マイナーなローカルパンのことはこの際いいだろう。
ともかく、確かなことは神様は神の理に従って動いているということ。世界のために。それはミア達のような元人間が神へと成った者だけでなく、恐ろしい竜災を引き起こした荒ぶる龍神のような存在も同様。
「だが『白き神』だけは、その理を破れるようだ」
「なるほど、それによって人の手に余るほどの加護を授けていると」
使徒には最大の力を。信仰厚き者には『聖痕』を。ただの司祭でも、軽い光魔法が扱える程度の力を寄越す。
ただ一柱で強大な戦力を保持し、広く生活に根ざした数多の司祭にも力を分け与えられる。あまりにも加護を授ける数も範囲も広すぎる。
「では、陛下は白き神によって理が破られるのを防ぐ、いわば神々の代理戦争のような大任を背負って戦っておられるのですね」
「完全に神の理が破られたなら、世界が滅ぶくらいの大事にはなるのだろうが……俺は世界を救う使命を神から授かった、なんてつもりはない。俺が戦う理由は、みんなと同じだよ」
「同じ、とは?」
「故郷を滅ぼされた恨み。そして、大切な人を守りたいし、一人でも多くの人々を救いたい。ついでに、俺も奴らには酷い目に遭わされた、個人的な恨みもある」
戦う理由なんて、それで十分。十分に過ぎるのだ。
「俺が魔王になったのは、ただの結果に過ぎない。十字軍と戦うために必要だと思ったこと、全部やってたらそうなって……そして今、君の前でこうして偉そうに座っていられるというワケだ」
「きっと、それこそが覇道を歩むということなのでしょう」
どうだかなぁ。覇道って、昔のゼノンガルトみたいに明確な野望をもって動く奴のことだと思うが。
「事実、それで大勢の人々が陛下につき従っているのです。民も、兵も、臣も、そしていずれも輝く宝石のような美姫達も」
ぐぅ……大した理由じゃないとカッコつけておきながら、しっかりハーレム築いているだろうと言われれば、ぐぅの音しか出てこない。
だがここで引き下がるようでは魔王が廃る。俺は俺の意志で全員囲うんだと決めたのだから、恥ずべきことは何もなく、そして迷いも後悔もしない。
「俺の婚約者達は皆、それなりに紆余曲折あっての末に結ばれたのだが……興味があるなら、フィオナとの馴れ初めでも語って聞かせようか」
「ええ、それは是非」
ふっ、喰いついたな。やはり年頃の少女は、恋バナ大好き。御子などと崇められる立場にあっても、それは同じ。
まして因縁のフィオナとなれば、気にもなるだろう。
どうにも、彼女はフィオナに大して良い印象どころか、宿敵を前にしたかのような強い警戒感と敵意が滲み出ている。
ソレイユという一族のお家騒動に関わるアレコレなんかがあるのかもしれないが……俺としては、そういうのは抜きにフィオナ自身の為人を知ってもらいたい。
今や帝国の最大火力の名を欲しいままにする魔女フィオナだが、彼女だって真っ当な恋愛を経て俺と結ばれるに至った、一人の乙女なのだから。
「初めてフィオナと出会ったのは、俺がまだ冒険者になり立ての頃で――――」
まるで十年以上前かのような語り口で、フィオナとの出会いである、アイスキャンディーをたかられたワンシーンを話せば、
「えっ……初対面でいきなり意地汚いですね……」
「いやちょっと変わった子だなとは思ったけど、そこまでは」
「私はとても、そんな無礼な者と関わり合いになろうとは思いませんね」
いきなりフィオナの好感度が下がってしまった。あんなの全然カワイイ天然行動ってくらいなのに、どうして……?
坊主憎けりゃ袈裟まで、魔女が憎けりゃローブまで憎いとでも言うのか。
「それでも、次に出会った時は危ないところを助けてもらったからな」
「恩を着せて更にたかろうという魂胆ですか」
「言い方……」
イルズ村にヴァルカン達と一緒にフィオナが駆け付けてくれた時に、そんな勘定していたとは思えない。こっちで冒険者登録したばかりだから、とりあえず受けてみるか、くらいの気持ちだったろう。
「恩に着てくれたのは、むしろフィオナの方だ。あの時点では、まだパンドラ側に肩入れする理由なんか特に無かった。ちょっと旗色が悪くなりそうなら、また十字軍の傭兵として戻ればいいだけなのに……フィオナはそうしなかった」
そう、あの時のフィオナはいつでも裏切れた。別に俺達を陥れようとする心算が無くとも、ただ自分の身が危ういと思えば、十字軍に戻る選択肢は普通に有り得る。
それでもフィオナは迫り来る十字軍の大軍相手に、僅か百人ばかりの俺達へつくことを選んでくれたのだ。
「彼女が十字軍の傭兵としてやって来たことは、知っていたのでしょう。何故、疑わなかったのですか」
「リリィがいたから、といえばそれまでなんだが……俺にはとても、裏切るつもりで潜入に来たような奴には見えなかったからな」
「そもそも、どういうつもりで十字軍を抜けたのですか。新天地で魔道の探求でもしようと?」
「飯が不味いから辞めた」
「はぁ……?」
「でもアイスは美味かったんだ。で、これからも美味いモノ食わせてやるから、パーティに入ってくれって誘った」
「とても正気とは思えませんね」
「でも、潜入するつもりの奴だったら、もっと上手な嘘をつくだろう。良くも悪くも、フィオナは自分に正直だからな。シンクレアから来たと聞いた時でも、俺はフィオナを信じることにした」
「あの女を信じて、後悔したことは」
「一度も無い」
そう断言できる。これまでも、そしてこれからも。
「それほどまでに、彼女の力は魅力的ですか」
「フィオナの魔法の威力を羨んだことは何度もあるし、今もそう思っている。けど、それだけで結婚までしようとは思わないさ。カワイイところも、沢山あるんだ」
「顔ですか」
「美少女なのは全くその通りだよ」
とは言え、フィオナとよく似た美貌を持つフィアラには、可愛いことは何ら評価プラスには繋がらないだろう。むしろ顔の良さで取り入ってワガママ放題、だなんて穿った見方もされかねないからな。
よし、ここはいっちょフィオナのカワイイとこをアピールしておくことにしよう。
「実は、面と向かって俺に告白したのはフィオナが最初だったんだ」
「そうなのですか。順当にリリィ女王から、と思っていましたが」
「ガラハド戦争を終えてスパーダに帰ってきた後なんだが、あの頃は色々と揉めてなぁ……」
つい、遠い目になってしまう。思えば一番苦労したのって、あの時期ではないだろうか。
「当時の陛下は、十字軍の大将を退けるご活躍と聞きましたが」
「今、俺の近衛をやっているサリエルが、その大将だ」
「捕らえた大将を奴隷とするようレオンハルト王に願った、というのは本当だったのですね」
「ああ。サリエルは本物の使徒で、俺も殺す気でこれまで鍛え、備えてきたんだが……いざトドメを刺す寸前に気づいてしまったんだ。彼女が俺の同郷で、よく見知った相手だったと」
「では……彼女もまた異邦人だったのですか」
「そういうことだ」
どうしてもサリエルを殺すことの出来なくなった俺は、彼女を抱えてどうにかこうにかスパーダに帰還したワケなのだが、
「それは物凄い修羅場になりませんか」
「なった。地獄みたいな修羅場に」
「どうなったのですか」
「リリィが泣いて出て行った……」
これが発端となってフィオナ達の妖精殺しから、俺への最後の試練など、大変な苦労の連続となるのだが、今は置いておく。本題は、このタイミングでフィオナが告白に動いた点だからな。
「妖精で純粋なリリィには、俺がサリエルを救って身内に引き込んだことがどうしても許せなかった。誰だって許せるはずがない。だが、フィオナはあえてここで、俺を許すと言ったんだ」
「それって、惚れた弱み、みたいな話ですか?」
「確かに、愛しているから俺を許すのだと、そう告白した。だがフィオナ続けてこうも言った」
「私とリリィさんを敵に回して、サリエルを守り切れる自信、ありますか?」
「ただの脅しじゃないですか……」
「そうだ、フィオナはサリエルという俺が絶対に見捨てられない相手を人質にして、さらにはリリィが離脱したこの隙を狙ったんだ」
サリエルという邪魔な存在を、俺から譲歩を引き出すための人質として利用し、さらには最大の恋のライバルであるリリィを出し抜ける絶好のタイミング。
リリィはサリエルを許せない。けれど自分なら許せる。
恐らく、ただ二人一緒に告白しただけならば、俺がリリィを選ぶと思っていたのだろう。だからフィオナには必要だった、リリィではなく、自分を選ぶことの絶対的なアドバンテージが。
それがサリエルを許す、という選択なのだ――――と、今頃になってようやく、俺は当時の彼女の気持ちが理解できている。
「酷い告白だろう。愛どころか人の心すら無い、なんて感じる者の方が多いかもしれないが……それでも俺は、やっぱり嬉しかったんだ」
フィオナの告白は俺に究極の選択を迫る苦しみを与えたが、俺には恨みや憎しみの感情だけは、終ぞ湧くことは無かった。
「俺はこんな顔だからな、異邦人の学生やってた頃から女性には避けられ気味で……このテのことについて、自分にはとんと自信が無くて」
俺にそういうのはない、と思い込んでいたから、リリィやフィオナのあからさまな好意にすら気づかないクソ鈍感さだった。
結果的にフィオナの方から告白することになったが、普通だったら呆れてとっくに離れているだろう。
「だから嬉しかった、自分が愛されているって思えて。それにフィオナだって、ただ勢い任せで告白するんじゃなくて、人質なんて外道な手段をとってまで、本気で求めてくれたんだ」
「いえ、普通にただの外道だとしか思えないのですが……」
ええぇ、愛の深さに感動するとこだと思ったのにぃ……ごめんフィオナ、どうやら俺にはこれ以上の好感度回復ができそうもない……
心の底からドン引きした、といった表情のフィアラを前に、俺は全てを諦めてしまいそうになってしまう。
「で、でも、今はほら、サリエルとも仲良くやってるから」
苦し紛れに指さす先には、サリエルに寿司を握らせては美味しそうにフィオナが食べる、和気藹々とした雰囲気が、
「サリエル、炙りサーモンマヨまだですか。早く握って役目でしょう」
「申し訳ありません、フィオナ様」
「うぅーん、次はチーズも乗せてみましょう」
そんな様子を眺めたフィアラは、あからさまに眉をひそめて言う。
「奴隷として酷使しているようにしか見えないのですが?」
今度こそ、ぐぅの音も出なかった。