第1014話 レーベリア戦勝記念式典(1)
「あっ、ああぁ……来るぅ……来ちゃうぅ……」
薄暗い部屋の中、ソファの上で呻き声を上げながらモゾモゾと蠢く人影は、明らかに不審そのもの。だがその物体がこの部屋の主のため、放置されている。
今日も今日とて自室に引き籠っていたルーン第一王女ファナコ・ゴールドサン・ルーンは、絶対に顔を合わせないといけない来賓が現れたことで、テンションだだ下がりで一人無為に駄々をこね続けていた。
「失礼します、姉さん」
「あっ、ソーくん……」
そんな王女の自室へ、ノック一つでいつでも入れるのが、従弟であるソージロだ。
今日も彼はメイド達から「姫様をよろしくお願いします」という期待の籠った視線を一身に背負って、部屋へとやって来たのだった。
「も、もう来たの……?」
「魔王陛下御一行は、昨日すでに到着していますよ」
「あーあーあー」
聞きたくなぁーい、とソファでバタバタする姉を後目に、ソージロは雑然と散らかった周囲を目につくところから勝手に片づけを始めた。
ファナコが散らかして、片づけて良いもの、悪いもの、仕事の資料なのかお楽しみ用なのか、等々の非常に個人的な区分を理解して片付けが出来るのはソージロだけである。
ひとまず、メイドが掃除の際に扱いに困りそうなものから拾い上げつつ、話を始めた。
「戦勝記念式典は明日、開かれることとなりました」
「そんなっ、まだもう一日猶予はあったハズ!?」
「それが無くなったから、こうして伝えにきたのです」
「うぐぅ……こっ、心の準備がぁ……」
「今日中にお願いします」
敵の進軍が早すぎて切羽詰まった将軍が上げるような無様な呻きを上げながら、ファナコはソファでジタバタもがいている。
いつもこのテのイベント事は嫌そうにするのだが、いつにも増してイヤイヤ期な姉の姿に、ソージロも溜息を吐いてしまう。
「そう気負う必要はありませんよ。魔王陛下のお相手はフィアラ様がなさいますし、ネル姫様とはすでに知らぬ仲ではないでしょう」
そして魔女フィオナは、外交関係にとんと興味などない、徹底した個人主義であることは、すでに明らか。テレパシーなどなくとも、その言動を傍から見ているだけで理解できるというものだ。
故に、ファナコが今回の式典で求められるのは、第一王女として当たり障りなく笑顔で挨拶をすることだけ。
ルーン王宮の方針として、魔王クロノへ推すのは御子フィアラであると決まっているので、お若い二人きりで歓談でも、なんて事を進められることもないので安心……とはいかなかったようだ。
「ネル姫がいるから尚更イヤなのっ!!」
「何故、と一応は聞いておきましょう」
「あんな理想的なお姫様と並ばされる私の気持ちなんてっ、ソーくんには分からないよぅ!!」
ファナコはイケメンで鳴らすネロ王子も苦手だったが、その妹のネル姫はさらに苦手であった。
アヴァロンとルーンは何代も前から友好関係にあり、幼少の頃から歳が近いこともあって、アヴァロン王ミリアルドはネルを、ルーン王ハナウはファナコを、それぞれ連れてきた時には、仲良くなれるよう何かと機会を儲けたものだった。
結果的に、表向きには両国の姫君は互いに友好を結んだ、ということにはなっている。
だがしかし、現実的には、正確にはファナコの個人的な感情としては、大いにコンプレックスを抱くこととなってしまった。
それも無理はない。ネルはパンドラ中部において「理想のお姫様」と名高い美姫である。
清楚可憐な容姿に、分け隔てなく向けられる慈愛のロイヤルスマイル。女性的な魅力に溢れるスタイルに、あの純白の美しい翼。このルーンでも、彼女が訪れればその姿を一目見ようと人々が押し寄せるほどの人気ぶり。
その上さらに、『天癒皇女アリア』の強い加護を宿し、多くの人々を癒す聖女の如き力まで。
一方ファナコは根暗な瓶底眼鏡で、ネルに勝っているのは身長くらい。浮かべる笑顔はいつまでたってもぎこちなく、下手に喋れば「ドゥフッ」とかキモい声が漏れてしまう始末。
人々の役に立つような能力など何もなく、むしろこの眼鏡の奥に封じた魔眼は、誰からも恐れを抱かれるだけの忌まわしい代物だ。
アヴァロンとルーン、同じ一国の姫君だからこそ、まざまざとファナコはネルとの差を見せつけられ、間近で実感していた。
「でも一番辛いのは……こんな私の醜いコンプも、ネル姫は分かって接してくれてることなのぉ……」
「ええ、そうでしょうね。ネル姫様は正真正銘、慈愛に溢れたお方ですから」
「わ、私ぃ……もうあの子の可哀想な子を慈しむような視線に、耐えられないのぉ……」
これでネルが外面だけはいい腹黒い意地悪な女であれば、遠ざければそれで済む話であった。ファナコもただ、アイツは嫌な女だと陰口を叩けばいい。
しかし彼女の慈愛と理解は本物で、ファナコとて決してネル本人を憎んでいるワケではない。
ただ、ネルの存在はあまりに眩しすぎるのだ。彼女が天上で光り輝く美しいお姫様だとしたら、自分は暗い日陰の地べたに這いずる、ただドレスを着ただけの醜い女に過ぎないと、そう実感せずにはいられない。
優しさは、時に人を傷つけてしまうこともあるのだ。
「人と比べて、自分を蔑むのはお止めください。自分よりも優れた者など、世の中には幾らでもいるのは、当たり前のことなのですから」
「何でも出来るソーくんには、分かんないよ」
「何でもは出来ません……今日、初めてお会いした魔王陛下ですが、私などではとても敵わないと一目で理解したほどですから」
「うっ、そ、そんなに……?」
「ともかく、劣等感に苛まれる必要などありません。ネル姫様の優しさを認められる、その素直な心根だけで十分、友として並び立つには相応しいのです」
「で、でもぉ……姫同士だから付き合いあるだけで、別に友達と思ってくれてるかどうかは……」
「だとしても、実の兄を失った悲しみを労り、魔王の婚約者となったことを喜ぶ、お言葉をかけなくてはならないでしょう」
「あっ……うん、そう、だよね……」
平和なルーンでぬくぬくしている間、ネルが激動の時代を駆け抜けてきたのだと、ファナコは改めて認識する。
一時は国まで失い、囚われの身となっていたのだ。アヴァロンこそ無事に取り戻したが、つい先日の大戦で、十字教として敵対した兄ネロを討ったのだ。
今のネル姫の心中たるや。自分なんかが慰めの言葉などかけたところで、何の意味もないかもしれないが……それでも、幼い頃から彼女を知る一人として、ちゃんと声をかけることに意義はあるのだと思えた。
「ソーくん、私、頑張ってみるよ」
「はい、姉さん」
「でも、頑張ったら絶対メンタル落ち込むから……締め切りちょっとだけ伸ばしておいて……」
「そのように、手配いたしましょう」
これで無事に話はまとまった、としてソージロはメイドを呼ぶ鐘を鳴らした。
明日はすぐに式典が始まる。今日の内から身を清め、しっかりと準備を整えておかなければ、どんなボロが出るか分かったものではない。
こうして、魔王の前に出しても恥ずかしくないルーン王女を仕立て上げるべく、ソージロとファナコ付きメイド組は急ピッチで仕事を始めるのであった。
◇◇◇
レーベリア会戦での勝利は、ルーンの海上封鎖による協力あってのこと。よって、この戦いは正確にはエルロード帝国・ルーン同盟軍と大遠征軍との対決でもあった。
なので俺としても、ルーンには堂々と戦勝国を名乗ってもらいたい。万が一にでもネロ達が海路で逃げられでもしたら、パンドラ中部都市国家群は泥沼の長期戦に入った可能性が高いからな。
ともかく、ネロが無理矢理にでもレムリア海の突破を断行しなかったお陰で、ルーン海軍にはこれといった損害はなく、無事に戦いを終えた。そして会戦直後に次の戦争を始めた帝国と違い、ルーンには十分な時間があった。
何が言いたいかと言えば、要するに戦勝記念式典を開くにあたって、それはもう豪勢に開催できるだけの余裕があったということだ。
「凄い気合入ってるよなぁ……」
ちゃんとした国が本気出したらこうなる、ってのを見せつけられたような気分である。そりゃあ俺だってエルロード帝国皇帝として、何かと式典やらに顔を出す機会は増えたが……そもそも帝国は戦時中。併呑した国の大半は十字軍に蹂躙された後で、それ以外は大人しく従うより他はない中小規模の国家か、あるいは帝国に負けたか。つまり、我らがエルロード帝国含めて、国を挙げた大規模式典をやってられる場合じゃないとこばかり。
本日の首都サンクレインはお祭り騒ぎと相成り、王城には続々とルーンの要人が集まっている。恐らく、今日ここに来れない者は、国防の関係上動かせないような立場の者くらいだろう。
それだけルーンは、エルロード帝国皇帝としての俺を歓待している、という意志をアピールしてくれていた。それを大袈裟、なんて他でもない俺が口に出すわけにはいかないだろう。
「今のパンドラには、クロノくん以上の国賓はいませんから」
「大遠征軍を蹴散らして、ようやく広大な帝国領も安堵した……ようには、見えるだろうからな」
これまではネロの大遠征軍と向き合う状況が続いたため、破竹の勢いで領土拡張をした帝国も、いつソレが破綻するか分からなかった。帝国と大遠征軍、互いの主力がぶつかり合った結果が出ない限り、領土安泰とは言えないワケだ。
そしてその結果が、ついにレーベリアで出た。
大遠征軍という巨大な敵勢力が一掃されたことで、この広い帝国領を脅かす存在は消えた。少なくとも、周辺国からはそのように認識できる状況となったワケだ。
ならば今の俺は最早、魔王を名乗る新興国の王ではなく、名実ともにパンドラ大陸の半分を制した大帝国の皇帝と、誰もが認めざるを得ないところまでやって来た。
ルーンと同盟を結んだ時は、まだ飛び地でアヴァロンを奪還しただけの、遥か遠いアトラス大砂漠の果ての国でしかなかったが、今や帝国領はレムリア海南岸の都市国家群をも飲み込んだ。
たとえ同盟を組んだ味方であっても、相手の国力の方が遥かに大きければ、そりゃあ気の一つや二つ、使うってなもんだろう。
あまりに脅威に思われ過ぎて、うっかり暗殺なんて企てたりしないで欲しいものだ。仲良くしようぜぇ……?
「そんなことよりも、よく似合ってるよ、ネル」
「そっ、そうですか……? 少し、派手すぎたかなって思ったのですけれど……」
お褒めの言葉など聞き飽きているだろうに、初々しく照れた様子を見せるネルは、実に愛らしい。
羽猫メイドも似合っているけれど、やはり本物のお姫様だから、ドレスがパンドラ一似合う……とまで言ったら、リリィが対抗心で本気出してきそうだから、順位付けするような言葉は使わない。
今日のネルのドレスは自分でも言うように、確かに派手目だ。ウェディングかっていうほどのボリュームがある純白のドレスである。それに加えて、フワフワと羽衣のようにヴェールも浮いており、魔法技術も惜しみなくつぎ込まれた一品だ。
このドレスは他でもない、この式典では是非ともコレを、とミリアルド王が送ったものである。ネヴァン解放後、ルーンへ来るまでの僅かな間だが、ネルは一度アヴァロンへ里帰りをさせている。
落ちるところまで落ちたネロであったが、それでもネルの兄であり、ミリアルド王にとっては息子なのだ。家族だけで話す時間は絶対に必要だろう。
俺はもう家族とは会えないが……だからこそ、家族のいる者は大切にすべきだと心から実感できる。
「魔王の伴侶に相応しい、美しさと華やかさだ。俺の隣に立って、その輝きで照らしてくれ」
「はい、クロノくん……」
こんな歯の浮くような褒め台詞も自然に出て来るほど、ミリアルド王厳選のドレスは素晴らしいモノだし、それを完璧に着こなすネルも凄い。やっぱ白い羽生えてるのって、デザイン的に反則だよな。リアル天の羽衣も着こなせるんだから、こんなのスーパーモデルも敵わないって。
「クロノさん、私のはどうですか?」
「フィオナも似合ってる……けど、そこまで防御性能ガン積みする必要ある?」
勿論、ネルと同じく婚約者の一人であるフィオナもドレス姿でバッチリとキメている。いるのだが、この一見すると鮮やかなブルーのパーティードレスは、前に立つだけで付与された種々の魔法から、魔力の気配が強い圧となって放たれている。
普通、このテの仕込みは出来る限り魔力の気配は抑えて作るものだ。そもそもドレスを着るような場面で、単純な威圧効果なんてあったらまずい。
しかしフィオナのドレスは、一切なんの遠慮もなく、私は本気で魔法防御を施しています、と言わんばかりの気配を漂わせている。
見た目こそ綺麗なドレスそのものだが、こんな濃い魔力を押し付けるように放たれていれば、私は貴方達を一切信用していません、常在戦場、喧嘩上等、なぁに見てんだコラァ!? と叫んでいるようなものだ。
「ちゃんと攻撃性能はないので、大丈夫ですよ」
「そのスカートと帽子の中に、武器は入れてないよな?」
洒落た羽付き帽子と、フワリと広がるスカート。どちらにもしっかり空間魔法が施されている。
こういった式典においては、武器の所持はタブーだ。
「拘束系の専用装備なら」
「ダメだ、ちゃんと全部出しておけ」
「はぁ、仕方ないですね……」
実に渋々、と言った様子で帽子とスカートをゴソゴソしながら、杖やら本やら薬品瓶やら……どんだけ入れてんだ!
隠し持っていた数々の装備品をサリエルに手渡し、その後は厳重にボディチェックを施し、ようやくOKとなった。
「クロノさんはいいですね、帯剣が許されていて」
「だからってカンナと悪食は背負わんぞ」
君主である俺とハナウ王だけは、式典の場において帯剣が許されている。それ以外は近衛であっても、室内にいる限りは武器を持たないよう徹底されているのだ。
勿論、普通は儀礼剣や自慢の国宝の宝剣なんかを携えるもので、ガチ装備背負ってくる奴などいない。
まして俺のはド級の呪いの武器だ。こんな殺意全開の大剣担いで入れば、その場で宣戦布告も同然になっちまう。
「えー、でも皆さん、見たいんじゃないですか?」
「呪いの武器なんて、見せびらかすもんじゃないっての」
「ところで、『黒乃神凪「無命」』でしたっけ……まるで結婚したかのような名前ですよね?」
やっぱり、気になるモノなんだろうか。レーベリア会戦の直後、リリィからも凄まじい疑惑の眼差しでジロジロされてしまった。
そして今、ネルも満を持して問い詰めます、といった真剣な眼差しを向けてきている。
実際、字面だけで見れば、俺と同じ黒乃姓になったようにしか見えない。そして俺も呼び方は『無命』じゃなくて『カンナ』ってつい呼んでしまっている。
ただ愛用の武器、という以上の愛着を持っていることは確かだ。
「そこはホラ、一番長い付き合いの奴だし。俺に合わせて進化してくれたようなものだから、そういう銘になるのも自然……みたいな……」
「ヒツギちゃん、どうなんですか?」
「はい、鉈先輩は嫁です!」
「おい!」
ネルが呼べば、待ってましたとばかりに出しゃばって来たヒツギを、頭を掴んで影の中へと突っ返す。
余計に煽るようなことを言うんじゃない。
「やっぱり……そう、なんですね……」
「やっぱりってなんだ。どうもしないって、別にヒツギみたいに人の姿になって出て来るワケじゃないんだし」
「でもその気になったら出来そうですよね」
ここでフィオナも参戦してくる。
いつものジト目のように思えるが、この目は割とマジな目だ。
そしてついでのように、隣に控えるサリエルも真紅の視線でジっと見つめてくる。
「いや、ないから。ホントそういうのは無いから」
「そうですね、クロノさんが望まない限りは、出てきそうもないタイプのようですし」
「ええっ、それじゃあもし、クロノくんが戦場で寂しくなったら……そこにつけ込んでくる可能性が!?」
「いや戦場でそんな浮ついた真似するワケ――――」
「……」
やめてくれ、サリエル。頼むから今は黙っててくれ。
確かにお前との思い出は戦場でのことだけど……それでも言っていいことと悪いことってあるんだよ!
「マスター、そろそろ入場のお時間です」
「……そうか。二人とも、行くぞ」
「逃げた」
「逃げましたね」
ともかく、俺は普段使いの呪いの武器は全て影の中で大人しくさせておき、腰に一振りの刀――――戦利品たるネロの愛刀を差して、メイン会場となる王城の大広間へと向かうのだった。
◇◇◇
「――――この度は、エルロード帝国皇帝、クロノ陛下に拝謁の栄に浴し、身に余る光栄に存じます」
「こちらこそ、ルーンの姫君に会うのを楽しみにしていた」
長ったらしい式典の開幕も終えて、ようやくご歓談のお時間といった段階に至り、俺はついにルーン第一王女のファナコ・ゴールドサン・ルーンと顔を合わせた。
真っ赤なパーティドレスに身を包むのは、細身ながらも出るとこはしっかり出ている長身。その背の高さはブリギットよりも少し超える、といったところか。流石にエメリア将軍ほどデカくはないが、女性としてはかなり長身の方に入る。バレー選手みたいなスタイルだ。
その上背と綺麗なスタイルから、華やかに着飾ったご令嬢で溢れる会場にあっても、ファナコ姫は一際目を惹くほどの存在感を放っているが……気になる……やっぱりその昭和の漫画キャラみたいな瓶底眼鏡が気になって仕方がない。
「……」
型通りの挨拶を終えてからは、黙りこくって俯き加減。
俺もデカいから頭一つ近くはファナコ姫より高いのだが、うーん、この角度から見ても、彼女の目元は覗き込めない。眼鏡の隙間からも、その目が見えないよう隠蔽魔法まで施されているな。
魔眼を封じている、との噂だが……これほど徹底して隠し通すほど、危険な力なのだろうか。
「申し訳ない、かの魔王を前に緊張しているようでしてな」
「どうぞお気になさらず、ハナウ陛下。ファナコ姫はとても繊細なお方だと、私はよく知っておりますので。武名轟く魔王を前にすれば、少しばかり固くなってしまうのも当然のことでしょう」
あからさまに俺を避けるような態度のファナコ姫に対して、すかさずフォローを入れるのが父親であるハナウ王。そしてにこやかに即答して見せるのが、俺の隣に立つネルである。
まぁ、怖がられるのはこの顔に生まれた宿命として慣れたものだが……どうにも、それだけが俺を見ない理由ではないようだ。
俯いたままのファナコ姫だが、その視線はチラチラとこちら側には向けられており、中でも特定の一人に対しては、随分と熱心な目が向けられているのを俺は察していた。
「戦場しか知らぬ無骨者で、申し訳なく思う。俺にはお姫様を喜ばせる気の利いた会話は出来そうにないが……良かったら、一つだけ聞かせて貰いたい」
流石に挨拶の言葉だけで終わるのは、あまり外聞もよろしくない。一言二言は楽しく会話を交わした、と見られるくらいのやり取りは必要なのだ。
でもリリィ曰くコミュ障確定のファナコ姫に、それを求めるのは酷な話。だから、一つだけ質問するからソレにだけ答えてくれればいいよ、と返しやすいように振った。
という気遣いに見せかけた、これが俺の本命でもあった。
「ファナコ姫はルーンにおいて、芸術に秀でた文化人と聞き及んでいる。そんな貴女に、我が近衛の衣装がどれほどか、是非とも評して貰いたい」
と、紹介するように前へと出すのは、俺の護衛として傍につかせた暗黒騎士三人。
セリス、ファルキウス、そしてプリムだ。
セリスとファルキウスは漆黒の騎士礼装をバリっと着込み、凄まじいイケメンぶりを発揮している。どう考えても魔王の俺よりも目立っているし、ルーンのご令嬢からの熱視線を二人だけで独占していた。
一方、プリムの方は何とも可愛らしいドレスで着飾っている。しかし未婚のお嬢様が着るには躊躇うような、胸元はガッツリ大きく開かれ上乳の半分は露わになるような露出度で、さらには深いスリットの入ったタイトなスカートはヒップラインを強調しつつ、艶めかしい太ももも晒されるという具合だ。
下品になりかねない露出度がありながらも、全体的には華々しく映えるように見えるのはデザインの妙であろう。
「近衛の中でも選り抜きの美形を着飾ったのだが、どうだろう。この華々しい式典に恥じない程度の出来栄えにはなっていれば良いのだが」
「……」
俺が問いかけている間も、ファナコ姫の視線は……やはり、プリムに向けられている。その様子はすでにチラ見ではなくガン見。信じられない、何故こんなモノが存在するのか、と我が目を疑うような様子である。
だが、彼女も多少の間を置いて、状況を思い出したようだ。
「えっと……そちらのお二人は、まるで物語の中からそのまま出てきたかのような、見事な貴公子ぶり、と思います……ルーンでも、これほどの美男はいないでしょう」
セリスは女だけど、とはわざわざ言わない。こういう場面なら男装の麗人路線の方が便利、とは本人の談である。
「それから、その……もしや魔王陛下は……プリム、お好きなのですか……?」
「ほう、ファナコ姫はこの子の恰好をご存じで」
今回、プリムに着せたドレスは、ただのドレスではない。凄腕の職人へ金に飽かせて作らせた、最高級のコスプレ衣装だ。
パンドラでも大人気ラノベ『プリムの誘惑』最新10巻、プリンセスバトルロイヤル編で登場した大正義メインヒロイン・プリムの、印象的な強化フォームの恰好だ。だからドレスでありながら、やたらエロい露出デザインになっている。
「いやぁ、そのぉ……ルーンで流行った書籍は、一通り目を通してはいますのでぇ……」
瓶底眼鏡で目元は見えないはずなのに、全力で目が25m自由形を泳いでいるのが分かる。
果たしてその動揺は、あまり女性が喜んで読むべきではない本について詳しく知っているからか、あるいは……
「可愛いでしょう。よく似ているし、偶然にも、プリムと名づけられた子だ」
「はわぁ……再現度ヤッバ……これもう本物じゃん……」
お上品に口元を手で覆っての呟きだが、俺の地獄耳には丸聞こえである。
流行った本にちょっと目を通す、程度の動機で、健全な青少年向けラノベの最新刊まで熱心に読み込んでいるとはちょっと思えない。
「それで、この出来栄えはどうだろうか」
「完璧です。記念に画像記録を残しておきたいほどですね」
「それは良かった。この場でならば、好きに撮影してくれて構わない。プリム、可愛く撮ってもらいなさい」
「はい、ご主人様」
「んはぁ、声も解釈完全一致ぃ……」
評判は上々のようだ。
その一方で、何故こんな女の子のドレス一つだけで盛り上がっているのか、全く分からないという顔をしているハナウ王。まぁ、オタ趣味を親に理解を求めるのは、どこの世界でも無理な話だろうからな。
「ファナコ姫は大変な読書家でもあるようだ。その深い見識を語り聞かせてもらいたいものだな」
「あっ、ええ、機会があれば……是非に……」
その言葉が聞けて良かった。ひとまず、今日のところはこの辺でいいだろう。