第1009話 黒薔薇城の秘儀(2)
王城に咲き誇る呪いの黒薔薇、竜妖花『ヴァイラヴィオーラ』。
ネヴァンを建てたファーレン王が、その卓越した呪術を駆使して生み出した、竜と植物を掛け合わせた合成獣である。
一般的に合成獣といえば、屍霊術によって死体を繋ぎ合わせたモノか、召喚術士や調教師が魔法によって相性のいいモンスターを掛け合わせて誕生する。
それぞれ全く異なる方法で生み出されるが、異なるモンスターの特徴を宿した一個体となる、という結果に変わりはない。
『ヴァイラヴィオーラ』はこの両者の方法をどちらも取り入れたハイブリッド型と言えよう。
まずベースとなる黒薔薇は、元々、ファーレン王が呪術として行使する、精霊の性質も併せ持った魔法植物であるらしい。
その最も扱いなれた黒薔薇に、強力な竜の素材を一体化させ、獰猛なドラゴンとしての性質を組み込んだ……と、言葉にすれば簡単だが、やってることは非常に高度な融合術式だ。
黒魔法以外はサッパリな俺には理解不能だし、きっとリリィでも解析しきれず、フィオナでも再現は出来ないだろう。種族固有の魔法体系に加えて個人の天才的な才能を駆使して組み上げた原初魔法は、同じ条件を揃えた者でなければ真似できないと言う。魔法の深淵を感じさせるね。
そうして生み出された竜妖花『ヴァイラヴィオーラ』は、後に王城が建てられるこの地に根ざし、外敵を退ける切り札の一つとされた。
しかしあまりにも長い年を経たことで、『ヴァイラヴィオーラ』は育ち過ぎだ。
休眠させているだけなら問題はない。しかし、一度その眠りを覚まそうと思えば、膨大な黒色魔力を要するようになってしまった。
それこそ、かつてのファーレン王の再来とも呼ばれた、前王サンドラ・ニュクス・ファーレンであっても、『ヴァイラヴィオーラ』を使うことはできなかった。相手となるのが、ダークエルフではないスパーダの王女シャルディナであったことも、大きな理由であるが。
だが、今ここには俺とブリギットがいる。魔王の加護を持つ男と、正統なモリガン神殿の大神官。これほど『ヴァイラヴィオーラ』を目覚めさせるのに、相応しい二人が揃うことはない――――そう思ったからこその、思い切った王城潜入作戦をブリギットは敢行したのだ。
そして、その作戦は今まさに大成功とも言えるべき殺戮を繰り広げていた。
「――――気が付いたら、外がとんでもないことになってる」
「うふふ、最高の一時でしたわ、クロノ様」
もう随分と時間が経っていたようだ。
そんな風に感じるのは、ただブリギットに夢中になっていただけではない。事の最中に俺は、『戦闘形態』を使った時のように、凄まじい勢いで魔力を吸収されている感覚を味わった。
流石に体が溶けることは無かったが……本当に、ブリギットと自分の体が溶けて一つになってしまう錯覚を覚えた。そして、それが抗いがたいほどの心地よさをもたらすのが、このテの術式の恐ろしいところである。
そういうワケで、俺は魔力をガンガン吸われている間は意識が朦朧としていて、今になってようやく頭がハッキリしてきたところだ。
どうやら、十全に魔力が供給され、完全に覚醒した『ヴァイラヴィオーラ』は自らの意志を持って暴れ始めたからだろう。
魔力供給こそ終えたが、魔法的な繋がりはこの祭壇にいる限りは維持されるようだ。まぁ、元々は精霊植物として使役していたものだから、本来は術者が自由自在に操れる構築になっているはず。
だがあまりに大きくなりすぎた『ヴァイラヴィオーラ』を、完全にコントロールするのは難しい。何も言われなくとも、ブリギットがほとんど制御を手放し、本能のままに暴れるに任せているのだと察せられた。
まぁ、それを理解したところで、すでに戦いは終わったようなものなのだが。
感覚が通じる『ヴァイラヴィオーラ』から、俺はここで寝ころびながらも外の様子を知覚することができていた。
「王城は完全に制圧したようだな」
「ええ、十字軍の生き残りは一人もいはしないでしょう」
うっとりとした様子で、俺の胸板に頭を擦りつけてくるブリギットの感触と共に、夥しい血の跡がそこら中に塗りたくられた凄惨な王城内の様子が脳内に浮かび上がって来る。
激戦というより、一方的な虐殺があったような酷い現場だが、そこに転がっていて然るべき、無残な惨殺死体は一つも見当たらない。
全て『ヴァイラヴィオーラ』に喰われたからだ。
通路の幅を塞ぐほどの大きな大蛇型の奴に丸のみされた奴らもいれば、小型の蛇サイズの蔦に絡まれ、細切れにされながら喰われた奴もいる。
巨大な触腕と化した体がぶつかって、城の一角が崩落して潰れて死んだような兵士さえ、血の匂いに惹かれて寄って来た黒薔薇に残さず喰らわれた。
王城全体から湧き出てきた黒薔薇の怪物、そのあまりの物量に十分な予備戦力を抱えていたはずの城内も、綺麗に一掃されてしまった。十字軍兵士が消え去ったことですっかり静寂を取り戻した王城だが、ほんのついさっきまでは、各所に立て籠もり決死の抵抗を続けていたものだ。その様子を、俺はブリギットと溶けあう夢見心地の中で垣間見た記憶が朧げに浮かび上がる。
怨敵ではあれど、どうしようもなく追い詰められた姿は哀れなものだ。彼らの姿に、俺はグラトニーオクトに追い詰められたアルザス要塞の時を思い出してしまった。
「それにしても、デカいとは聞いていたが……まさかグリゴールを丸呑みするほどとは」
「ふふ、私達の愛の結晶が、これほど大きく花開くとは。嬉しいですが、少々、恥ずかしくもありますね」
初心な少女のような微笑みを浮かべるブリギット。その顔の向こう側に、俺は朝日に照らされた王城正門広場で、逆さまになって頭から巨大な竜の口に飲み込まれる途中で止まったグリゴールの姿を見た。
最も大きく育った『ヴァイラヴィオーラ』の部位は、城に備わった塔を超えるほど、巨木が寄り集まって形成された、巨大な竜の頭をしていた。
そのシルエットはヒュドラのように、目も耳も角もなく、ただただ獲物を喰らう巨大な顎だけを持つ頭部に似ている。
最大サイズのヒュドラヘッドは、大きく鎌首をもたげて、グリゴールを半分ほど口の中に沈めた状態で、天高く仰ぐような状態で停止していた。まるで、最初からそういう形で作られたオブジェのようだ。
さらにその周囲には、二体のグリゴールが、一回り小さな別なヒュドラヘッドに絡みつかれ、地面に倒れ伏していた。
王城を守る最後の切り札であろう、三機のグリゴールは動力のエーテルも根こそぎ吸われつくしたのか、全く動く気配はない。
「あっけない、と言うより、こんなに実感が湧かない勝ち方は初めてだよ」
「これで良いのです。ネヴァンで散った同胞達も、この勝利に満足してくれることでしょう」
すでに王城だけでなく、首都全体が静かなもの。戦いはとっくに終わったのだ。
ネヴァンを囲う防壁の守備兵は、それなりの数が割かれていただろうが、幾ら何でも本丸である王城が文字通りの全滅となってしまっては、戦力が残っていても戦い続けるのは不可能であろう。指揮系統は完全に崩壊している。
これで王城から貴族の一人でも脱していれば、まだ指揮を回復する余地もあったかもしれないが、隠し通路の中にも『ヴァイラヴィオーラ』は湧き出ているのだ。万に一つも、生きて王城から脱出できる可能性はない。
「それじゃあ、早くネヴァン解放を祝ってやらないと」
「もう少しだけ、このままで……」
「残念だが、そうも言っていられないようだぞ」
確信と共に俺が体を起こせば、
「ブリギット、今すぐクロノさんを解放しなさい。そこに居るのは分かっているのですよ」
「返して! 私のクロノを早く返してよ!!」
ドンドン、と上の隠し扉が乱暴にノックされる音と共に、姦しい声が響き渡って来る。
「はぁ……もう少し、余韻を味わっていたかったのですけれど」
邪魔者が入ったことで、口先を尖らせて文句を言うブリギットは、渋々その身を起こしたのだった。
◇◇◇
「――――というワケで、やっとパンデモニウムに帰ってこれたんだ」
「まったく、総力戦じみた大会戦をやっておきながら、立て続けにファーレンの首都奪還とは。最早、汝の戦好きは大陸中に轟いておろう」
およそ二か月ぶりに、俺はパンデモニウムへと帰還した。すぐにファーレンへ向かったから、会戦後に一度も戻らなかったからな。
実家のような安心感、と言うには、それほど慣れた感じもしないのだが。
そして久しぶりに帰った俺を出迎えてくれたのは、レーベリア会戦とネヴァン奪還作戦の連戦を裏から支えてくれた、ウィルハルト大将閣下である。
顔を合わせて涙の再会、なんて湿っぽいのは一切無い。開口一番、疲れた顔で……いやホントに疲れ切った顔してんな……俺への皮肉が飛んでくるのも、遠慮がない男同士が故である。
気楽に話せる、数少ない友人と会ったことで、俺はようやく大戦を終わらせて帰って来たのだと実感を覚える。
うーん、そういうのって、妻とか恋人とかが待つ家に帰った時に覚えるもののような……でも俺の婚約者、全員戦闘要員だからしょうがないね。
「まずはお疲れ様だな、お互いに」
「なぁに、汝のように戦場で命を張ることに比べれば」
「でも絶対、俺より睡眠時間少ないだろ」
「ふっ、問題ない。出征前にフィオナ嬢が差し入れしてくれた、このエネルギッシュドリンク『オーバーエナジー』があれば、何と24時間戦えるのだ」
「おい、それ連続で飲んだらダメなヤツ!!」
黒地に赤い炎と雷がド派手に描かれた缶を、色濃い隈の浮かぶ光の消えた目で自信満々に掲げるウィル。魔王のスタミナよ我が手に、と印字されたキャッチコピーが何かちょっとイラっとくる。
まったく、なんてモノを差し入れてんだフィオナは。
一体どこのポーションメーカーが作ってんだ。こんなモノがあるから、己の限界を超えても働き続けてしまうんだぞ。
「あの唯我独尊を貫くフィオナ嬢も、今や大勢のドワーフ職人を抱える大親方でもあるのだ。もっと元気に働きたい、睡眠時間は削れれば削れるだけお得、でも頭はシャッキリしたい、というドワーフ達の要望に応えて、工房で急遽拵えたモノだという」
「そもそも魔女工房製なのかよ……なぁ、ソレ本当に合法か? 違法な成分入ってない?」
「違法であったところで、今更規制するのは厳しかろう。コレに頼っておるのは何も我だけではない……帝国軍を支えるべく日夜働く臣民達にとって、この『オーバーエナジー』は最早欠かすことの出来ぬ、魔王の加護なのだ」
「勝手に俺の加護増やすな」
まるで魔王の俺が臣民にブラック労働強制してるみたじゃん。そんなパンデモニウムがディストピアみたいなイメージになるのは困る……でもディストピアなのは本当なのが一番の困り所だが。
洗脳臣民と同じで、このブラック推奨『オーバーエナジー』もまた、帝国の勝利のための必要悪ということなのか。
「ひとまず、大きな戦いは終わったんだ。早くちゃんと休んでくれ。この応接室なんか、すっかり仮眠室だろ。スパーダ政庁にもしばらく帰ってないんじゃないのか」
今日の俺はプライベートなので、お忍びでウィルの務めるテメンニグル最上位階層へとやって来ている。
住居とスパーダ亡命政府に関わることは別に用意されたスパーダ政庁で執政されるが、ここ最近はスパーダ王としてよりも帝国軍大将としての仕事が優先されるため、帝国の中央政庁となっている古代の超高層ビル『テメンニグル』に監禁、もとい缶詰となっているようだった。
俺達は最高の防諜対策がされている奥の応接室で駄弁っているのだが、スパーダ政庁に帰る暇もないウィルの私室と化しているのが、見るだけで分かった。
メイドのセリアがついているから、流石に飲食物なんかは綺麗に片づけられているし、掃除も徹底されているが、ウィルが自分で持ち込んだ資料やら書類やら魔導書やらエロ本やらは、そのままになっている。幾ら何でも、この状態の応接室にゲストを呼ぶとは到底思えない。
まぁ、俺は友達だから堂々と上がり込んでるけど。
気分的には、友達の家にいってソイツの部屋に入り浸っている感覚だ。ああ、戦続きですっかり薄れていった俺の中の男子高校生魂が、少しずつ蘇って来ている感じがするぞぉ。
「ふん、それはこちらの台詞であるぞ。見事に二つの戦を圧勝で終わらせたのだ。ここらで魔王陛下にお休みいただかなければ、我ら下々の者も休めぬというものよ」
「じゃあこれから連日開催される祝勝会とか晩餐会とか出なくてもいい?」
「それは必要な仕事であるからして」
「ですよねぇ……」
戦が終わったら終わったで、新しい仕事が出て来るのが君主の辛いところ。
というか、普通の王様だったら戦後の方が処理で忙しくなることもある。むしろ公の場にちょこちょこ顔を出すだけで済んでる俺は、恵まれているというレベルじゃない。
宰相リリィを筆頭に、ウィル達のように政務を丸投げできる状態だからこそ。俺は戦争だけやってるウォーマシンで、ついでに魔王という旗頭になってりゃいいのだ。
出来ないことは、出来る人に任せる。そうしなければ、あまりにも拡大し過ぎた帝国は、明日にでも空中分解してしまうだろう。
「とは言え、余計な催しにまで汝を付き合わせるようなことは本位ではない。そこで、我は一計を案じておる」
「おお、なんだソレ!?」
希望を感じさせるウィルの発言に、俺は前のめりになって食いつく。
「戦勝の熱狂が冷めるまで、ルーンにバカンスへ行くがいい」
「バカンスって……そんな遊んでていいのかよ」
「無論、遊びだけでは済まぬがな。どの道、レーベリア会戦ではレムリア海封鎖を成し遂げたルーンには、一度は魔王直々に訪れなければならぬであろう」
確かに。アヴァロン解放実行の際に、同盟こそ締結したが、俺自身はまだ一度もルーンへ訪れたことはない。無事にアヴァロン解放はなったが、次々と新たな戦準備に追われるようになって、行く機会というか余裕が全く無くなったからな。
ネヴァン解放も済ませたことだし、ここが一番いいタイミングかもしれない。
「なるほどな、確かにちょうどいい機会だ」
「良かったら、ネル姫も連れて行ってやってくれ。そろそろ、彼女にもしっかりと心を休めねばならぬ時が必要であろう」
「ああ、そうだな……」
ネロは死んだ。俺がこの手で殺した。
第十三使徒、裏切りのアヴァロン王子。帝国からすれば、敵対する相手を倒した、というだけの話だが……ネルにとっては、愛すべき実の兄だった。
勿論、覚悟の上での事。最早こうするより他はない、とネル自身が決断してのことだ。
だからといって、傷つかないはずがない。
今は戦後で大勢の戦傷者の手当に奔走しているが、ウィルの言う通り、いつまでも忙しさにかまけて悲しみを紛らわせ続けるワケにもいかないだろう。
「それじゃあ、ありがたくルーンにバカンスへ行かせてもらうよ」
「うむ。帝国軍もしばらくは再編に時間を要するであろう……クロノよ、我に焦りが見えると思わば、すぐにでも止めてくれ」
「次こそ、いよいよスパーダだからな」
逸る気持ちは、ウィルが自分自身でも抑え込めないだろう。
ネヴァンを解放し、ファーレン全土を取り戻したことで、帝国は南側からもスパーダ領と接するところまで進出できた。
もう一方のアヴァロン側も、ダキア地方を割譲したウィンダム領を挟んで、スパーダへ睨みを利かせている。
ファーレン・アヴァロン、両側から侵攻を開始すれば、スパーダに居座る十字軍には、もう後ろに下がるより他に逃げ場はない。
ようやくだ。ようやく、大陸に蔓延る十字軍を駆逐できる目途が立ってきた。
「必ず俺が、第八使徒アイを殺して、ウィル、お前の玉座を取り戻してやる」